「おーい、はくねこ~」
外から声がした。
「はーい。今行きますよ」
はくねこは、自室のドラフト内で反応を進めている目の前のフラスコを覗き込んだ。
中では、透明な液体がゆっくりと色を変えている。
火を少し弱める。
ここを間違えれば、想定外の効能が出かねない。
だからこそ、慎重に操作する。
金のためでもない。
優しさでもない。
これは、もはや屑ほどしか残っていない、自分の科学者としての意地だった。
やがて作業を終えると、手袋を外す。
白衣の上から羽織っていた上着を整え、玄関へ向かった。
「はいはい」
扉を開ける。
そこには、大家さんが立っていた。
「忙しいところ悪いな」
「いえいえ。何かありましたか?」
「今度、町内会のほうでな。樹木の伐採の仕事があってな」
「ああ、もちろん受けますけど……」
はくねこは少し考える。
「できれば、室内でお茶やお昼とかを作る役割でよろしいでしょうか?」
「ん?」
「あまり陽の光が強いところは、ちょっと苦手でして」
「ああ、そうだったな」
大家さんは納得したように頷いた。
「もちろん問題ない。室内で準備をしてもらえれば、というより人手が足りないから助かる」
「ありがとうございます」
はくねこは、にこりと笑った。
「楽しそうだな。なにか、いいことでもあったのか?」
「こうやって声をかけてくださるだけでも、ありがたいのですよ」
「そうか?」
「ええ」
はくねこは、少し照れたように笑う。
「30代のフリーターだと、やっぱり町内での、目線が痛いですからね」
「そんなこと気にするなよ。はかねこにはいつも助けてもらってるだろ」
「そう言っていただけると嬉しいですね」
はくねこは頭を下げた。
「でも、人や獣人に信用されるというのは、ありがたいものですよ」
「まあ、はくねこはヤクねこ以上に真面目だからな」
「いえいえ。そんな大したものではありませんよ」
と、ぶんぶんとてをふる。
「じゃあ、日付は来月の土曜日でいいか?」
「はい。予定を空けておきます」
「助かる」
「こちらこそ。わざわざ声をかけていただいてありがとうございます」
「じゃあ、また土曜日な」
「はい。当日はよろしくお願いします」
大家さんが去っていく。
本当に大家さんは私にはもったいないぐらい優しい人だ。
はくねこは、しばらくその背中を見送った。
そして、静かに扉を閉める。
「……さて」
部屋の奥へ目を向ける。
先ほどまで火にかけていたフラスコ。
その中では、まだ反応が続いている。
はくねこは時計を確認した。
「もう少しですね」
そう呟くと、白衣の袖を整えた。
そして、何事もなかったかのように作業へ戻った。