ある日、村へやってきたラッキーという少女に言われて遠い海へ出る。
そこで大きな白い生きものに呑み込まれ、目覚めると青年カインに介抱されていた。大口から覗いても周りは海。二人きり、白鯨の胃袋で機を待つことにするが……。
※男どうしの重い感情が主軸ではあっても恋愛ものではないので、『ブロマンス』タグをつけています。
※すこしだけグロテスクな場面設定があるのですが、具体的な描写ではないので今回レーティングは設定しません。『残酷な描写』のみにします。
※夢の世界でのお話なので設定が完全にIFです。
※こちらはpixivでも投稿しています。
【⚠️ 注意書き ⚠️】
コチラのお話は、
男どうしの重い感情が主軸ではあっても恋愛ものではないので、
『ブロマンス』タグをつけています。
ただ好みは分かれるので嫌な予感がした方は辞めたほうがいいと思われます。
すこしだけグロテスクな場面設定があるのですが、具体的な描写ではないので今回レーティングは設定しません。
あと、夢の世界でのお話なので設定が完全にIFです。
大丈夫! という方のみ、先へお進みくださいね。
何かを思い出せないまま、ここにいる。
エイハブ・イシュマール・アリは、小さな漁村に暮らす男だった。隻眼隻脚ながら漁師としての腕は確かで、村民からは一目置かれている。
率いる船員たちもひと癖あるが実力ある奴らばかりで、根は明るい。
唄いながら漁に出て、しこたま獲物を持って帰る。——夜は酒を食らって寝る。
この村の住人はどいつもこいつも経歴に難がある。だが夜になると等しくどんちゃん騒ぎして踊りあかす。
ここの暮らしは、悪くない。
エイハブも満足していた。
ある日、迷子を拾った。
名前をラッキーと言う。長い金髪の、小さな女の子だった。
ラッキーは別の村から来たらしいが、……はて。何か目的があると言っていたような。
それはともかく、彼女はすぐにエイハブの住む村に馴染んだ。
エイハブの仲間たちとも仲良くやってくれたし、どんな荒れた海へ連れていこうと文句も言わずに踏ん張っていた。
女だてらに根性があるなあ、と微笑ましく見ていた。
男だったらもっと漁を教えてやったのに……。
そう。鍛えてやらないといけないのは赤毛を逆立てたアトレだ。
過去にエイハブと連んでいた男の忘れ形見で男の子。
度胸はあるが、まだ向こう見ずなところも多く危なっかしい。あと女と見たらすぐ胸へ飛び込んで甘えた素振りをする。
最近はラッキーのそばにいることが多いが、世話を焼いてくれるから懐いたのだろうか。
こういう、甘えたなところは治してやらないとなぁ、とエイハブは考えていた。
いや、他の男もそうだ。女と見ればすぐ鼻の下を伸ばす。
エイハブも女性は好きだ。でも他の男のように、すぐにそういう仲にはなれない。
なぜだろう?
怖いのだろうか? 失うのが?
なぜ自分が喪失を前提に物を考えるクセがあるのかは知らない。
ただ、何かが決定的に欠落しているのだ。
生まれた時からか。それとも、別の時期を境にそうなってしまったのか。
曖昧なまま、一日……また一日と過ぎてゆく。
しばらく経って、ラッキーがエイハブに向かって言った。
『海へ出たい』
海ならいつでも出てるじゃないか、と返したが、
『遠い海へ出たい』
と重ねて、ねだられた。
エイハブは了承した。
理由は思い出せない。相当、思い詰めたハズなのに。
いつもの仲間たちと子ども二人を連れて沖へ出た。
胸を締めつけるような痛みだけが、ゆれる船の上で強まってゆく。
普段の漁場を出て、周囲は朝やけ。海面が光をまとう。
朝を待つ。
エイハブはただ海を眺めていた。まるで何かを待つように。
潮風を受けながら、ひたすら……。
視力を失った左目と、ないはずの片脚がズキズキと痛む。
その瞬間、船が下から突き上げられた。床が斜めになり、体が海へと引きずり下ろされる。
他の連中は船内にいたのでかろうじて無事だった。
「早くボート出せ! 救命具!」
エイハブが叫ぶと、ラッキーが船内から身を乗り出しながら、
「船長!」
と悲痛な声をあげる。
ほぼ直角になった船から振り落とされ、空を見た。
太陽が目を灼く。
刹那、海から何かが飛び上がった。
日を背に受け、まるで光の輪郭を帯びたかのような白い生きもの——。
真っ赤な瞳がこちらを見ている。
巨大なそいつは大口をぽっかり開けると、深遠な闇へエイハブを飲み込んでいった。
♢
目を覚ますと真っ暗闇だった。
頬に触れる冷たい手の感触。湿った生温かい空気の中、心地よい。
徐々に目が慣れてきたら暗がりに白い顔が浮かび上がってきた。
ずいぶんときれいな顔立ちの男だった。すみれ色の潤んだ瞳を長いまつ毛が縁どり、憂いをたたえている。
引き締まった唇は意思の強さを感じさせたが、まだあどけない柔らかさも残していた。
栗色の長い髪が、エイハブの顔をさらりと撫でる。
「ここは?」
尋ねると、青年は抑揚のない声で、
「白鯨の胃袋」
と教えてくれた。
上体を起き上がらせる。時折、地面がドクドクと脈打つ感覚があった。
青年に杖を渡される。
なぜ無事なのか不思議だが、容赦なく白鯨の土手っ腹に突き立てて立ち上がった。
「俺はエイハブだ」
名乗ると、青年も、
「カイン」
と口にして寄り添ってくる。
不吉な名前だ。聖書で、初めて殺人を犯した男の名。それも弟を仕留めたヤツだ。
エイハブを気遣って身を支える彼におよそ似つかわしくない。
カインに仮住まいまで案内された。
先に呑まれたらしく、生きのびるために流れてくるボートや流木などで小屋を建てたという。
焚き木があり、火打石もあり、松明まで用意してくれた。
出て先をさらに進めば、大口までたどり着く。
わずかに開いた隙間からは見渡すばかりの海。
ここを出ても漂流待ったナシだ。
「なるほど。こりゃ、下手に出たほうが危ねえな」
聞いたカインが首を縦に振る。
それから、二人きりで白鯨の胃袋での暮らしが始まった。
初対面こそ表情が強ばっていたが、カインはよく笑う青年だった。
白鯨の口の端から釣り糸を垂らし、魚を釣り上げた時も都度見せてくれた。
本当に何もないのでしりとりや連想遊びで時間をつぶすと、エイハブのくだらない冗談にもケタケタ笑い転げる。
貴重な明かりを無駄にするワケにはいかない。焚く機会は限られているが、松明のもとで浮かび上がるカインの笑顔がエイハブにとって唯一の希望だった。
それと、彼はよく笛を吹く。
笑顔に反してもの悲しい音色だったが、どこか懐かしく心が落ち着いた。
白鯨の大口の前、わずかな星あかりを二人で浴びながら聴かせてくれる。
「島や船が見えたら……」
いつしか肩を叩いて言ってやった。
「松明を掲げて人を呼ぶ。
上手くいくかはわからねえけどよ、やってみなきゃナンにもならねえモンな」
カインが上目でこちらを見ていた。
わずかな光を瞳が反射し、暗闇で淡く輝く。
エイハブはカインの頭をわしわしと撫でまわした。
「ここから出してやる」
見たところ、十八から十九歳ぐらいだ。
多感な時期をこんな暗い場所で過ごすのは、もったいない。
「必ず出してやる……約束する」
励ましてやると、カインはまぶたを伏せ、まつ毛を濡らしていた。
何を考えていたかはわからない。
だがエイハブの一方的な約束を彼は拒まなかった。
♢
昼の海の向こうから唄が聴こえる。
人がいるのか、と話しかけるとカインが首を横に振った。
「あれはセイレーン」
「言い伝えのアレか?」
「たまに聴こえてくるんだ。きれいな唄声……」
うっとりとした声音にエイハブは首をかしげる。
「セイレーンって、船を難破させる船乗りの天敵だろう。俺はできれば会いたくないね」
だがカインは白鯨の大口を見つめて突っ立ったままだ。
微動だにせず、ただただ姿の見えぬ歌姫へ想いを馳せているようだった。
振り返らないまま、ぽつり呟く。
「……きっと、その伝承を広めた人はセイレーンまでたどり着けなかったんだ」
カインによる解釈にエイハブは黙って耳を傾けていた。
潮風が長く柔らかな髪をなびかせる。
「だからこそ他人が彼女を見つけないように嘘を広めた。
そうでなければ嫉妬で気が狂ってしまうから」
彼はまとわりつく髪をのけることなく、顔だけ向けてきた。
髪の隙間から微笑が覗く。
すみれ色の目を細め、締めくくった。
「セイレーンは、そんなことは露知らず、唄いつづける。
誰かが真実の姿を見つけ出すまで……ひたすらに信じて……」
拍手でもしてやりたい口上。
エイハブはぶっきらぼうに、
「お前、ロマンチストだね」
と賞賛を送った。
カインがニコリと笑って、振り返る。
「いつか会いたい。彼女は、どんな姿なのだろう……」
「半身は鳥だと聞くが」
「つくり話だよ。きっと美しいハズだ」
そう言って、ため息をつく姿は完全に恋する男。
自分だって想像でしか思い描けないのに、もの凄い入れ込みようだなあ。
エイハブはカインの意外な恋心を上手く飲み込めずにいる。
セイレーンの歌が途切れ、別の歌に切り替わった。どこかで聴いた曲。
「お前がいつも吹いてるヤツと同じだ」
茶化してやればコクコクとうなずく。
セイレーンの歌を思い浮かべて吹いていたのか。思ったより重度な恋煩いだ。
カインは笛を取り出し、口を近づけようとする。
その前に声をかけた。
「お前も誰かを待っているってのかい?」
カインからはにかまれる。
二重奏を始める直前、答えを口にした。
「……愛を」
♢
それからも二人で変わらぬ日々を繰り返した。
助けは一向に、なかった。
エイハブはさすがにおかしいと思いはじめた。
やがてカインの目を盗み、すこしずつ白鯨内部の探索を進めた。
目印として内壁にキズをつけ、触れながら先に進む。体の限界を感じたら戻る。
本来ならそんなことは不可能だ。
進めば進むほど大口へ戻るまで距離が伸びる。
では、なぜ帰ってこれるのか——『この世界』が現実ではないからだ。
いや、あの村にいたころからわかっていた。目を背けていただけだ。
何から? 向き合うには心構えがいる。
長い間、認めたくなかった。
行き詰まりで答えが突きつけられる。
かつて失った左脚がそこにあった。
なぜ自分のものだと断言できるかは、気にしない。
夢なのだから。すべて、自分の記憶を辿っていたに過ぎない。
周りには一瞬で消えた当時の船や、仲間たちの骨も。
見渡す限りの髑髏。白鯨によって殺された人々の墓標だった。
エイハブは、あの村に辿り着く前、いちど人生をぶち壊された。
忘れようとして逃れたのだ——実際、記憶にフタをして今の今まで思い出さなかった。
しかし白鯨の胃袋から出るためには必要だった。
自分自身の過去を直視し、後ろの彼とケリをつけることが。
振り向かずともわかっている。
「……来てしまったのか」
出会った当初の、なんの感情も窺えぬ平坦な声。
カイン。これまで、同じ場所で寝食をともにした友人。
並びに白鯨と魂を分かつもの。
「お前は俺を騙したのか?」
問えば『違う』と返された。
杖で体を支え、ぐるりと向き直る。
カインが悲しげなまなざしでこちらを見上げていた。
再度、尋ねかける。
「何が違うんだ?」
「あなたのことは友だちだと思っている……」
「俺もそうだよ。今の今までは」
「約束してくれた」
「『カイン』にはな」
カインはただうつむいて目に涙をにじませた。
決意が鈍りそうだ。
だが、エイハブは真横の白鯨の腹を叩きつける。
赤黒く、ぬるりとした壁から白い破片が散った。まるで白いうろこのよう。
拳を細かく切りつけ、傷からは赤い血がにじむ。
それなのに少しも痛くない。
ここは夢。
「お前に会ったら聞きたいことがあったんだ」
「何を?」
「なぜ、俺を生かした」
長年の疑問。
白鯨の力を持ってすれば、エイハブをあのまま殺すのは赤子の手をひねるより容易かったハズだ。
白鯨を操る者からすれば一介の小悪党の生死など大したことではない。
ならばアレは白鯨の意思。
カインは視線をさまよわせ、犠牲になった人々のなれの果てを見渡している。
「あなたが裁いてくれると思った」
わななく唇で告げられた。
よろめきながら、エイハブは杖で必死に体を支える。
「なら、すぐに正体を明かせばよかった……。
なぜ、こんなに……そばにいて……」
憎悪だけなら、心臓に切っ先を突き立てるのは簡単だ。衝動に身を任せればいい。
しかし今は、カインとの日々がある。
あんなに笑いあった後に。会話を交わした後に。
どうして殺せる?
情が移ってからでは、もう遅い。
カインも同様なのか身を震わせている。
共にいた日々が眩しいほど、業が影を落とす。
すみれ色の瞳から、ひと筋、涙がこぼれた。
「……あなたと過ごす日々が、楽しかったから……」
何も言えない。
まったく同じだから、エイハブもわざわざ言う必要がない。
それで腹が立つ。
杖の先で白鯨の腹を突き刺し、ひねり、痛めつける。
やっと振り絞った声は、老人のようにひわがれていた。
「勝手だよ。お前は自分勝手で、ひどい野郎だ」
「エイハブ……」
カインが一歩踏み出し、顔を覗き込んでくる。
みっともないから見るな、と言いたかったのにノドがつかえて声が出ない。
泣き顔まできれいな男に、すがるような目で見つめられる。
「すまなかった。すまない……でも、あなたならここに来ると思ったんだ……。
あなたなら、終わらせてくれると思ったんだ…………」
「その後、俺はどうなる?」
ほとんど責めるような口調だった。
泣いてばかりのカインを睨みつける。
「お前が消えた後に何をすればいい」
「しがらみを抜けて、幸せに……」
「なれるワケがない」
それだけは即答できた。
「そんなことができるワケがない」
「できる。生きていれば」
「死んだようにか?」
仇からおあつらえ向きに用意された人生など空虚だ。
それを強いられるのは屈辱でしかない。
『わかっているのか』と瞳で問いかけるも、カインも引き下がる気はないようだった。
濡れた瞳に、かすかな灯が見える。
「でも、生きてほしい……ここまで付き合わせたから、これからは自由に……」
「まるで呪いだな」
「それでも構わない。あなたをこちらへ連れていきたくはない」
カインの瞳に、いつのまにか涙はなかった。
「恨まれてもいい。あなたを生かすためなら」
エイハブは諦めたように笑う。
お互いに強情だ。
だが時間切れだ——そろそろ目覚めが近づいている。体から力が抜けてゆく。
ここはカインに譲ってやる。
「お前は最後までどうかしている」
「あなたも、なぜ生きようとしない。なぜ死に急ぐ」
「生きようとしているさ。全力で」
「口先だけだ。あなたは大嘘つきだ」
「よく言うよ……」
ここにタバコがあればいいのに。口を塞いで、腹を満たしてくれる。
夢なのに都合よく出てこないのは、なぜだろう。
夢ならば覚めないでくれたら、どれだけ救われるだろう。
いつだって朝は唐突にやってきて、夜を過去へ追いやってしまう。
目覚めたら、カインはいない。
他の連中はこれからも好き勝手に生きるだろう。便りが楽しみだ。
だが、そこに目の前の男はいない。
この夢に置いてゆく。いつか薄れゆく記憶の彼方へ。
一瞬だけ強くきらめき、すぐ消えてしまう朝露のように。
曖昧な記憶の中で、いつまでも胸を突き立てるかけらのように。
「さようなら。エイハブ……」
最後に。
思い出さなければならない。
「待て。お前は『カイン』じゃない」
星を包む海の紺碧と、
こぼれ落ちる血の深紅を、
混ぜ合わせたら紫になる。
お前の瞳の色だ。
色には、すべて名前がある。
お前の本当の名を俺は知っている。
「お前の名前は——」
おわり