翔べない鷺に告白した 作:赫牛
「は?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
何こいつ。て言うか誰?
付き合えってどう言う事?
今私、どう見ても泣いてたと思うんだけど。空気とか読めないのこいつ?て言うか泣いてる所見られたのめっちゃ恥ずかしいんですけど。
「あっ、ごめんなさい!私、
「……はぁ」
そう言われると、確かに教室でこんな子を見た気がしなくもない。だけど自分の世界と関わりが無さ過ぎて正直嘘を言われていても気付けないと思う。
いや、そうじゃない。
「クラスがどうとかじゃなくて、付き合えって何!?何に、どこに、何の為に!?」
「えっ、え?それはその……」
「何?はっきり言いなさいよ」
「怒ってます……?」
「怒ってない!」
別に羞恥から頭に血が昇ってるとかじゃないし。人が感傷に浸ってたのに割り込まれて怒ったりしてないし。
感情とか抜きにして、付き合ってくださいの意味は純粋に気になる。足がこんな事になってる私を連れ回そうなんていい度胸だとか、ほぼ初対面でいけしゃあしゃあととか、威圧する準備はできている。
「その……付き合って欲しいって言うのは……」
「ふん」
「お付き合い、と言う事でして」
「……ふん」
「だからその……私の、こ、恋人になってくださいと言うお願いと言いますか……」
「……ん?」
付き合う、恋人……付き合う……恋人……。
恋人?
彼女?
私が、こいつの?
「はあ!?」
「うっ……声大きい……」
「付き合うって私が、あんたと!?え、ええ?」
多様性が叫ばれる現代、個人の性的嗜好を貶す様な仕草は最早前時代的だし、同性カップルなんてのも珍しくはなくなった。実際自分の周りでもそう言う話を聞く事も少なくない。
ただ、自分がその対象になったとすれば話は別だ。私は今までお付き合いをした経験こそ無いが、異性に対してほんのりとその類の感情を抱いた事はあるし、同性とそう言う関係になっている未来が想像できない。
なので。
「お断り!そう言うのは私、間に合ってますので」
「間に合って……ってええ?ま、まさか、既にお付き合いされている方ががががが」
「違うわよ!無くて充分、って事!……私、恋人とか言ってる暇無いから」
「忙しいんですか、やっぱり?」
「そうよ、勉強は当然だし、部活だって……」
と、言いかけてはっと気付いた。
この足で何を練習すると言うんだ。折れてしまった右足が完治するまでは当然運動なんかできる訳も無く、部活の時間なんてものは当分存在しないのだ。
「私って暇なんだ……」
「暇なんです……?」
「……暇よ、悪い?」
「わ、悪くないです!むしろ大歓迎です!」
「は?」
「い、いえ、そのぉ……本当に心中お察ししますと言うか……」
「死んでないっつうの……」
駄目だ、この子といるとイライラする。ただでさえ気分最悪なのにこれ以上は勘弁してほしい。
「帰る」
「え」
「何えって。別にあんたに関係無いでしょ」
「あうぅ……そうですけど」
「でしょ?じゃあ」
素っ気無く別れを告げて、立ち上がろうとする。しかしそんな簡単に動ける体ではなかった事を思い出す。
「あのぉ……手伝いましょうか?」
四苦八苦していると遠慮がちに声を掛けられる。それがまた私の神経を逆なでした。
「ほっといて!……どいてよ」
「ご、ごめんなさいっ!」
謝りながら道を譲るその子の横を、私はしかめっ面をしながら通り過ぎた。
シャワーを浴びると、ビニール袋に覆われた足がしゃりしゃりと音を立てる。うざったいそれは無視して体を洗うけれど、右足に少し手が触れた瞬間、痛みが走る。
口から嘆きの様な、呆れの様な、もしくは諦めの様なため息が漏れた。
毎日毎日これの繰り返しだ。私の日常はすっかり変わってしまって、何をやるにも今まで支えてくれた足が文字通り足を引っ張ってくる。生きづら過ぎて、生きるのが面倒くさいと若干感じ始めている程に、自分でも順風満帆だったと思う私の人生は『かったるい』事になってしまった。
湯船に浸かろう……と思ったけど、この足でどうやって風呂に入れって言うんだ。どうやっても足に体重がかかってしまうじゃないか。
「何それ……あほらし」
げんなりしつつ浴室から出て体を拭き、足のビニール袋を外して寝間着に着替える……固められたままの足が引っかかって着替えにくかったが、何とか全部着て冷え冷えとした脱衣所からえっちらおっちら逃げた。
痛みに顔をしかめながらリビングに入ると、母親はソファーにもたれかかってスマホを見ていた。
「出たよ」
「あ……うん」
どこか上の空の母親は、私の横を通り過ぎて脱衣所に向かった。
「はあ」
思わず大きなため息が漏れる。
母親があんな風になったのも、私が骨折してからだ。完治には時間がかかるし、治ったとしても今までの様に陸上を続けられる可能性は低い。そう診断された時の母親の絶望した顔と荒れ様は、この世のどんなものよりも醜かった。それ程に母親が私に掛けていた期待は大きかった。いつもやり過ぎなくらいに世話を焼いていたのに、今は私を見もしなかった。関心はゼロに近い。
「それでも親かよ……」
さっきまで母親がいたソファーに寝転んで、つい思った事が漏れた。生暖かくて気持ち悪かったけど、底冷えする部屋では妙に心地良く感じた。
「アイス食べよ……」
それまで口にしなくても良かった様な事を口にしないと立ち上がれない程に、私はソファーに沈んでいた。
次の日。今日も私は寒空の下、大層な松葉杖を突きながら登校した。
昨日と変わらず周囲の目は同情的で、好奇の眼差しでいっぱいで、中にはあざ笑う様なものも混じっていて、全てが鬱陶しい。
矢の雨を潜り抜けて教室に着き、鞄を置いた。一仕事終えたと気を抜いていると、前の席に座っている誰かが私を見ているのに気が付いた。
「げっ……」
それは昨日、私が告白をお断りした女の子だった。名前は確かイチガヤアユミ、だったはず。まさか一つ前の席だったなんて。
「おはよう、白鷺さん」
「お、おはよう、ございます……」
満面の笑みに気圧されて、思わず敬語になった。
あれ?私昨日フッたよね?何で普通に話しかけてきてるの?今まで告白してきた男子達と全然違うんですけど。
え、怖っ。
「あのさ」
「はい?」
「え……大丈夫?」
「何が?」
「いやなんでもないです……」
いや、怖っ。
不安になってつい変な事を聞いてしまったし、向こうは向こうで何かありましたか、みたいな顔するし。
私、昨日は憂鬱になり過ぎて変な夢でも見たのか?
そんな事を考えている内に担任が教室に入ってきて、ほぼ同時にチャイムが鳴った。
「白鷺さん」
休み時間、教室を移動しようとして立ち上がると不意に呼び止められる。またしても前の席の市ヶ谷さんだった。
「な、なに?」
「私、気にしてないからね」
「え、ええ?何が?」
「えと……私の事、その、振った事」
周りに聞こえない様にささやく彼女を見て、気を遣わせている事に少し気が引ける。いや、気にするくらいならわざわざ言いに来なくて良いのにと、引いた気が少し立ち上がる。
「だからね、いきなり恋人は無理でも、お友達からならどうかなって」
「友達……から?」
まるで下心があるかの様な言い方だ。
「そう、お友達から始めて、段々私の良さを知ってもらって、最終的には付き合うの!」
滅茶苦茶下心があった。
「いやだから、断ったって……」
「だから気にしないって言ったでしょ?気にせずアタックし続けるって事」
「はあ?」
何その不屈の闘志。冗談抜きにちょっと怖いんだけど。
「ね、だから友達になろ?」
「……だから、そんなの要らないって」
「要らないの、友達?」
「友達とか……その付き合うとかも、私そんな事してる余裕無い」
「……忙しいんだもんね、そっか」
あれ、意外とあっさり引き下がった。昨日忙しくは無いって言っちゃったのに。
まあこれだけ言って遠慮しないってのもおかしな話。私の気持ちを汲んでくれる子で良かった。
「じゃあ移動教室する時は一緒に行こ」
「え?」
「早く行かないと、チャイム鳴っちゃうよ、ほら」
「え、ちょっと……!」
不意に筆箱やら教科書やらをひったくられ、行かないの、と問いかける様に首を傾げられた。勝手な事をしないでほしいが、ここでこれ以上問答を続けていたらそれこそ本当に授業に間に合わないかもしれない。なんだかしてやられた様で悔しいが、ここはこの子の言う通りにするしか無い……。
「肩貸すよ?」
「いい、一人で歩ける!」
それだけは断固固辞して、少し急いで杖を突く。
「あの子、白鷺さんにさ……」
「あ、だよね」
「てか誰?」
「誰だっけ」
「知らなーい」
教室がざわついているのに気付いたのはその日の午後だった。周りの女子達の間になんだか嫌な空気が漂っている。その中の一人が私に話しかけてきた。
「白鷺さん、あの子って友達なの?えっと……」
「……市ヶ谷さん?」
「そうそうその子!」
「いや、別に……」
「あ、違うんだー……分かったありがと!」
それだけ聞いてにっこり笑ったその子はまたひそひそ話に戻った。それに何となく嫌な気持ちになっていると、お手洗いに行くと言っていた市ヶ谷さんが戻ってきた。
「白鷺さん、大丈夫?」
「え?あー……」
皆が話しているのは多分市ヶ谷さんの事なんだろう。あんた噂されてるよ、なんてわざわざ言ったってこの子が得する訳じゃないし、言うべきではない。だからこそ、なんて誤魔化そうか迷う。
「ん?」
「あ、えっと、ちょっと足痛くて」
「え、大丈夫?保健室行った方が良い?」
「あー大丈夫大丈夫、すぐ治まるから……」
さっと市ヶ谷さんの表情が曇ったのを見て申し訳なく思うのと、何で私がこんな風に気を遣わないといけないんだとでまた変な気分になった。
やっぱりこの子といると疲れる……。
その日の帰り道にも私の心労は絶えない。
「……何で付いてくるの」
「えー、そんな事言わずに一緒に帰ろうよ」
私が歩く隣を、市ヶ谷さんが同じペースで歩いている。そこまで広くない歩道で松葉づえで幅を取るのに、わざわざ隣に立っている……ついでに鞄も持ってくれているし、それはありがたいのだが。
「人と帰るの楽しいよ?」
「だから、私はそう言うの良いって――」
「はいはい、分かった分かった。あ、カフェ寄って行こーよ」
「ちょっと!」
駄目だ、何言っても付いてくる気だし、それどころか求めていない寄り道までさせようとしている。まるで悪魔だ。私は告白を断る事で、何か解いてはいけない封印を解いてしまったのかもしれない。いやでも仮に付き合っても多分同じ事するんだろうし、もしかしてこの子に目をつけられた時点で避けられなかった未来なのでは?
「私行かないからね……ちょっと何よ、鞄返しなさいよ」
「えー、どうしよっかなぁ……」
にやにやと笑いながら私の鞄を遠ざける市ヶ谷さんから取り返そうと手を伸ばすが、足が折れている以上無茶な動きはできない。普段だったらこんなの余裕で取り返せるのに……!
「ほら、行こ?近くだしさ」
「ちょっと!……もう」
ひらひらと揺れる鞄が届きそうで届かないまま、それに釣られる様に歩を進めた。
と言う訳で鞄を人質に取られたまま数分、名前は聞いた事あるがついぞ訪れた事の無いカフェチェーンにやってきてしまった。
「空いてて良かったー、何頼む?」
「もう、何でも良いわ……」
店内でくつろぐ人々が持つ飲み物は色とりどりだし、耳に流れてくるのはチョコチップなんとかだのなんとかモカだの呪文ばかりで、情報過多で私は頭が回っていなかった。
「そう?じゃあ期間限定のやつにするね!ちょっと待ってて」
こっちが何か言う前に市ヶ谷さんは列に並びに行ってしまった。
ほんと、あの子って人の話聞かないんだから……。
それはさておき。
椅子に座ってみて、少し身震いする。自分はここにいるべきではない、ここにいちゃいけないと言う罪悪感を感じていた。昔からこう言う場所に興味を示すと、体に悪いから駄目だと母親に厳しく言われていたからだ。
ここに留まっているのが、少し怖い。
「白鷺さん」
「っ……!」
いつの間にか目を瞑っていて、声をかけられて我に返った。周りは変わらず騒々しいけど、それらは別に私を刺す訳でもなく、ただ私を取り巻いているだけだった。
そしてそれよりも近くに、あの子がいた。
「大丈夫?」
そんな何でもない言葉と共に、手を握られる。
「抹茶のやつにしたけど、良かったかな?」
「……分かんない、飲んだ事無いから」
「じゃあ、今日が初めてだね」
そしてぐいと、濃い緑の飲み物を差し出された。それに刺さったストローに躊躇って、そして思い切って口に加えて吸い出す。こってりした甘味を、程良い苦みが和らげてしつこくなくしていて、思っていたよりも冷たくていつの間にか暖房で火照っていた体を冷やした。
「美味しい……」
「良かった」
にっこりと笑った彼女の顔はとても安心できて、昨日のおどおどしていたあの子とはまるで別人の様に思えて。
「何で、私なんかと友達になりたいの……?」
私よりもずっと輝いている様な気がして、ついそんな言葉が零れた。
驚いた顔をした市ヶ谷さんは隣に座って、また優しく笑った。
「白鷺さんの事が好きだから、です」
私にはその笑顔が、暖かな太陽の様に思えてならなかった。