翔べない鷺に告白した 作:赫牛
「ただいまー」
なんて一応声をかけてみるけど、勿論応えは返ってこない。別にそんな事はどうでも良いのだ。手を洗うのもそこそこに自分の部屋に籠って、ベッドに腰かけてスマホを見る。
開いたメッセージアプリのフレンド欄には、昨日まで無かった新しい名前がある……それは勿論あの子、市ヶ谷歩未だった。
カフェで過ごした別れ際、連絡先を交換したいと言う彼女の申し出を、自分でも驚く程あっさりと承諾してしまった。これまで家族や同じ部員の連絡先しか無かった所に、どちらとも分類できないものが入り込んだ……いや。
「これが……友達?」
これこそ『友達』と言うカテゴリーに分類されるものなのではないだろうか。
いや、どうなのだろう。高々連絡先を交換しただけで、本当にそれだけで友達と言ってしまって良いのだろうか。ただ一度お茶をしただけで、友達と言って良いのだろうか。
「むーん……」
横向きにベッドに倒れこみ、もぞもぞと体育座りになる。画面とにらめっこして、市ヶ谷歩未の名前を見つめる。
『白鷺さんの事が好きだから』
途端にカフェで言われた事がリフレインして、口角が緩んだ自分に気付いた。それを喜ぶべきなのかは分からないけど、慌てて無かった事にする様な事はしたくないと薄っすらと思った。
なんて考えていると、スマホの通知音が鳴ってメッセージウインドウが浮かび上がる。
『今日は楽しかったです!また行こうね おやすみなさい!』
市ヶ谷さんからだった。なんて事はないメッセージ……だよね?
うん、きっとそう。そうなんだけどとても困った。
これ、なんて返したら良いんだろう。
フォーマルに? それともラフに? こんな風に事務的じゃない連絡って、どう返すべき? 同年代の人とこう言うやり取りした事が無い弊害がもろに出ている。
別に何でもない事なんだけど、だからこそ適当にしたくはない気がした。
言葉を尽くして丁寧に……は少し遠い気がする。でも馴れ馴れしくは近過ぎる。
『ありがとう おやすみ』
迷って迷って、結局当たり障りの無い文言になってしまった。だけど『ありがとう』だけは絶対に入れたくて、それを考えているとこうなってしまったのだった。
でも多分、これで良い。
送信して、大きくため息をついてスマホを放す。スマホくらいの軽さではベッドはへこまないけど、ずっと持っていた私は腕が痛かった。
これが友達って事なんだろうか。
物心つくかつかないかくらいには友達と言える様な人もいたにはいたけど、こんなに頭を悩ませるものだったかは覚えていない。面倒な時代……違うか、面倒な年頃になったのかもしれない。
やっぱりこの子と関わるのは疲れる。
だけど、別に不快ではなかったし、疲れる責任をこの子に求めるのも違う。昨日も今日も、私が勝手に疲れているだけなのだから。
「ほんと、なにやってんだろ……私」
途端に笑えてきて、なんだか気持ちが少し軽くなった気がした。
とーんとーん、と大きく弾む様に地面を蹴る。
とんとんとんとん、と駆けて、飛ぶべき場所へ狙いを定める。
ぐっと踏み込んで、立ちはだかる境界線のその先へ、高く跳ぶ。
阻むものを跳び越えて、宙に浮く感覚を享受する。しかし完全に身を委ねる事はせず、私は私の飛びたい場所へと行く。自分はどこまでも行けると言う、全能感を宿す時間。
体は深く沈んで、私の夢見る時間は終わる。
次に見たのは、目を焼く閃光だった。
あまりに唐突で避けると言う思考は無く、反射的に体が動いた事で命拾いした。
命拾いしたのが果たして良かったのか、まだ分からないが。
克明に覚えているのは、火の様な熱さと痛み。息をするのも忘れる様な、頭の中で火花が散る様な、地獄の時間。散り散りな思考の中で早く終わってくれと、ただひたすら願った。
だけど痛みは続いて、続いて、未だ続いて……。
だれかたすけて。
目を開ければ、さっきまでの熱さと痛みは嘘の様に消え去っていた。
夢を見ていた、ただそれだけの事。されどそれは鮮明に、私にあの瞬間を思い出させる。
体を起こして、少し右足を動かそうとしてみる。不思議と痛みは無い……と言うより、感覚が無い? 兎に角まだ足は動きそうにない。
「変な事なってない……よね?」
確かめたいが、下手に触ると固定している石膏が外れてしまうかもしれない。ちょっと怖いけどそのままステイ。こうなってから一週間が経ったが、治っている実感は無い。
今日も憂鬱な月曜日の始まりだ。まだ少し早い時間だが、あの状態の母親が朝食を用意してくれる訳も無く、自分で作るしか無いので素直に起きよう。
よいしょこらしょと1階に降り、誰もいないリビングの奥のキッチンに立つ。冷蔵庫を開けて中身を確認する。父親が定期的に補充してくれているのもあって品揃えは豊富である。消費期限を確認して、今朝は簡単な豚汁とだし巻き卵にする事にした。
目に染みるのを我慢しながら玉ねぎを切り、顆粒だしを溶いた水で煮る。その間に卵を2つボウルに割って溶き、水と顆粒だしを加えて更に混ぜる。熱して油をひいておいた四角いフライパンに3分の1程を流し入れる。素早くかき混ぜてある程度固まったら端に寄せ、持ち上げながらもう3分の1を流し込む。薄く焼けた部分に寄せていた部分を乗せ、また端に寄せて残りの卵液を流し込む。焼き上がった層を巻き取って皿に乗せると、丁度昨晩セットしておいたご飯が炊ける音がした。
良いくらいに玉ねぎを入れた水が沸騰したので火を弱め、豚のこま切れ肉を千切って投入。煮込んで火が通ったら更に火を弱め、味噌を溶き入れる。完成したそれをお椀に盛り、ご飯もお茶碗に盛って朝ご飯が完成した。
時計を見ると思っていたよりも時間が無かったので、いただきますもそこそこに箸を手に取る。やっぱり足が不自由な分どうしても時間がかかるなと内省しながら食べたご飯はだしの風味がしっかりついていて味も濃かったが、美味しかったかどうかはあまり印象に残らなかった。
「ごちそうさまでした」
自分をねぎらって食器をシンクに置いて水に浸し、準備をして鞄と松葉づえを手に取る。
今日もこれから駅まで歩いて電車に乗り、最寄りで降りてそこからも徒歩、途中でコンビニに寄って昼食を買う工程を経てやっと学校まで辿り着く。前までは普通にこなしていたのに、今は途轍もなくかったるく感じる。
でも。
もしかしたら、どこかで市ヶ谷さんと会えるかもしれない。
そうなれば、多少はマシなのかも……。
「何考えてんだ、私」
しっかりと片方だけの靴を履いて、重い玄関の扉を開けた。
「白鷺さん、最近お弁当じゃないよね」
昼食で騒々しい教室の中、市ヶ谷さんのそんな疑問が私の耳朶に響く。
市ヶ谷さんの言葉通り、私は通学途中で買ったサンドイッチとおにぎりで昼食を済ませている。
「そうだけど……なに?」
「いやその……栄養バランスとか気にしないのかなーって」
「……そんな事思ってたの?」
疑問を投げかけると、市ヶ谷さんの目が明らかに泳いでいた。
「ねえ」
「あ、えっと……何でお弁当じゃなくなったんだろーって、思ってました……」
「ああ、そんな事ね」
そんな言いにくい事でもないでしょうに、何気まずそうにしてるんだろう。
「単に親が作らなくなったってだけよ」
「それは……どうして?」
「それは……疲れちゃったのよ、多分」
別に嘘は言っていない。でも詳細を語る様な、そこまでの関係じゃない。
市ヶ谷さんは納得した様な、そうでもない様な表情で唸ると、でもと口を開く。
「やっぱりおにぎりとサンドイッチだけって、あんまり良くないんじゃない?」
「そうかな……?」
「その、足治すのにもちゃんと栄養取った方が良いと思う」
「……それはそう」
至極真っ当な指摘ではあるが、そのために自分でお弁当を作るとなると更に早起きしないといけないし、それが毎日……いや二日に一回でもあまり現実的ではない。
「まあ……考えとく」
「あ、じゃあ、私白鷺さんの分のお弁当作るよ!」
「はぁ!?」
適当に流しておこうと思ったら、市ヶ谷さんはいきなりそんな事を言い出した。
「それなら良いでしょ?」
「良いってか……別にそんな事しなくて良いわよ……」
「でもさ、やっぱちゃんとした物食べた方が良いと思うから。私が作れば白鷺さんは負担ゼロでしょ?」
「……何でそこまで」
友達と言えるかも微妙な間柄の相手にどうしてそこまで、と思ったが……もしかして我ながら図々しい事だが、これも私の事が好きだからで片付いてしまう問題なのだろうか。
「ね、良いでしょ?白鷺さん的にも悪くない話じゃない?」
「それはそうだけど……悪いよ」
「良いんだって、私が好きでやるんだから」
「……分かった、じゃあ、お願い、します……」
鼻息荒く息巻く市ヶ谷さんを見ていると、なんだか断るのが逆に失礼な気がしてきて、私は折れた。
「うん、任せて!」
市ヶ谷さんは自信満々と胸を張る。ここまで言うのだから、私もお弁当の出来が気になってくる。余程料理に自信があるのかもしれないし、一体どんなお弁当を持ってきてくれるのだろうか……。
と言う訳で次の日の昼。
「白鷺さんっ!」
授業が終わるなり市ヶ谷さんが私の方に振り返り、どこか緊張した面持ちで見つめてくる。
「わ、分かったわよ」
視線に気圧されながらも私は300円を……私が申告したのと市ヶ谷さんの親からもアドバイスがあったらしいので設定された、お弁当の代金を差し出す。
「はい、どうぞ……!」
受け取ったそれと引き換えに市ヶ谷さんは震える手でお弁当を差し出してきた。
「ありがとう……」
受け取って包みを開くと、可愛らしいキャラクターのプリントが薄くなった、少し小さめの弁当箱が顔を出した。
「ごめん、急に言ったから私が昔使ってたのしか無くて……」
「あー、成程」
市ヶ谷さんってこう言うの好きだったんだ……今でも好きだったりするのかな。
なんて考えつつ箱を開けると、中には玉子焼きや唐揚げ、プチトマトにきんぴらごぼうにブロッコリーと、なんともスタンダードかつ理想的なラインナップが並んでいた。
「おー……」
「どうぞ……お食べください」
「あ、はいいただきます」
市ヶ谷さんの目力に負けて箸を取り、まずは玉子焼きを口に運ぶ。
「うん……?」
「どう?」
「え、あー……美味しいわよ」
生返事になってしまったと思いつつ、一旦きんぴらごぼうを経由してから唐揚げを頬張る。が、やはり……。
「白鷺さん」
少し低い声にびくりとして顔を上げると、市ヶ谷さんが何か言いたげに私をじっと見つめていた。
「いやぁ……えっと……」
「言いたい事があるならはっきり言って」
「う……分かった」
箸を置き、すうっと息を吸って呼吸を整え、そして。
「あんた、お弁当作った事無いでしょ」
「うっ……」
図星、と言う様に市ヶ谷さんが肩を跳ねさせる。
「料理は冷めてると香りが飛ぶから、ある程度味は濃くしないと駄目なの。だけどあんたのは味全部控えめね。大方作ってる時に感覚で調味料入れたんでしょうけど、ちゃんとレシピは守りなさい」
「ぐっ……」
「それと味付けも玉子焼きと唐揚げで似てるし、きんぴらもしょっぱめのやつだから味の差別化ができてない。彩りを意識してるのは良いけどそこが残念ね……と言うか、ちゃんと味見した?」
「ぐはぁっ……も、もう大丈夫です……」
見事にノックアウトされた市ヶ谷さんは涙目になりながら、私の持つお弁当を持とうとする。
「ちょっと何よ」
「こんな美味しくないお弁当、白鷺さんに食べさせられません……!」
「やめてよ! 私のお昼ご飯なくなるでしょ!」
「ええ? でも……」
ふぅ、とため息をつき、真っ直ぐ市ヶ谷さんの目を見る。
「料理自体全然した事無いんでしょう? それなのにこんなに頑張って作ってくれたんだもの、ちゃんと全部食べるわよ」
ぽかんとしていた市ヶ谷さんの目が次第に潤みだし、そしてぽろぽろと涙が零れだす。
「え、ちょっと!泣かないでよ! ねえ……ああもう」
「だってぇ……白鷺さん優しくてぇ……」
「ええ……?」
周囲の視線も意に介さず泣き続ける市ヶ谷さんをどうにか宥めたいが、生憎そんな素敵な語彙は持ち合わせていないので、せめてもでハンカチを差し出すくらいしかできない。
「ほら、拭きなさい……早く泣き止んでよ」
「ごめんなさいぃ……私、もっと練習して美味しいお弁当作れるようになるんでぇ……」
「……楽しみにしてるわよ」
諦めた訳ではなかった。そう分かって自然と笑みが零れた。
その後一緒に食べたお弁当を、やっぱり味が薄いと二人して笑ったのだった。