翔べない鷺に告白した 作:赫牛
「ねえ、ほんとに行くの?」
ホームルームが終わり、高校生達が騒々しくなる放課後、不安しか無かった私は市ヶ谷さんに尋ねる。
「うん、勿論! 楽しみだね!」
勿論うきうきるんるんな市ヶ谷さんからはそんな応えが返ってきた。
彼女とは対照的に、避けられない現実を再確認した私は一層げんなりとする。
別に大した事は無いのだ。ただ、カラオケに行くだけの話なのだ。友人との予定としては、別段おかしいところは無いし寧ろ理想的ですらあるだろう。
ただ、私が絶望的に歌が下手と言う事実さえ無ければ。
昔から、歌と付くものは何でも苦手だった。
合唱も輪唱もソロも、音楽鑑賞ですら私にはとんちんかんで、何がいけないのか自分でさえ分からない。何でそんなに苦手になったのかと聞かれれば、薄っすらと思い当たるのは幼い頃に自分の歌を聞いた親の反応だった。
そんな私がカラオケに行った事なんてあるはずが無く、また流行りの曲さえ知らない始末。カラオケに行ったところで絶対に楽しめる訳が無い。
しかし、しかしだ。だからと言って私は断る勇気を持てなかったのだ。あの市ヶ谷さんの、初めて友人とカラオケに行く事を楽しみにする純粋な瞳を見てしまったせいで……。
いや、人のせいにするのは良くない。仮にその理由があったとしても、それ以外にも『人に弱みを見せたくない』と言う、私の変なプライドが邪魔をしているだけなのだ。
理由はどうあれ、とうとう私は市ヶ谷さんの誘いを断る事ができなかったのだった。
故に、私は今カラオケボックスまでのこのことやってきてしまったのだった。
うきうきるんるんのままの市ヶ谷さんは受付を済ませ……勿論ばっちり2時間コースだった……コップを受け取ってドリンクバーで飲み物を入れ、あてがわれた部屋に入る。中は薄暗く、しかし蛍光色の光と巨大な液晶が流す映像とで視認性はさほど悪くはない。
「とりあえず、学校お疲れ様でーす!」
「お、お疲れ様……」
乾杯をして飲んだ炭酸の味が妙にはっきりと感じられて、強い刺激にぴくりと体が震える。
「どっちから歌うー?」
「あ、先どうぞ」
「りょうかーい……じゃあこれ」
市ヶ谷さんが何やらやたらごつい端末を操作すると、モニターに曲名が表示され、すぐに音楽がかかる。街で歩いていると偶に耳にする、アイドルか何かの曲だったはず。アップテンポなメロディが鳴りだし、液晶に歌詞が表示され、そして市ヶ谷さんが息を吸い――。
音楽が終わり、余韻が室内に響く。歌い終えた市ヶ谷さんは気持ち良さそうににこにこしていて、私は拍手を送っていたが内心では汗が出まくっていた。
いや、上手かった。結構上手かったのだ。それは称賛されるべき事だろう。
しかし、それによって逆にハードルが上がってしまっているのもまた事実。こんな盛り上がりの中で私がド級の下手さを見せつけるなんて無理だ。
「白鷺さんは? 何歌う?」
「あ、え、えっと……」
どうする。ここで歌わないのも変だけど歌ったら歌ったで市ヶ谷さんにどんな目で見られるか……。
「白鷺さん?」
「あ……ごめん、その」
「もしかして歌いたくない?」
「え……なんで」
「顔に書いてあるよ」
最悪だ。
「カラオケ来るの嫌だった?」
「ちがっ……そう言う事じゃ」
「じゃあどう言う意味?」
それは、その。
口に出そうとするが、上手く言葉にできない。自分はこんな口下手な人間だったかなと、少し疑問に思う。
思えば昔から、人に弱みを見せるのが苦手だった。
良くできた事を誉められ、優等生だともてはやされ、私のプライドはすくすくと育っていった。唯一嫌いな音楽も、それでも授業への態度が良かったから通信簿では最高得点だったのだ。
否定される事が無かった。
逆に言えば、否定されずに生きてきてしまった。
否定される様になったのはつい最近になってからで、私が跳べなくなった瞬間に皆私を見る目が変わった。変わらなかったのは市ヶ谷さんだけだ。
そんな彼女さえ、変わってしまいそうで、怖い。
「白鷺さん」
名前を呼ばれてはっと我に返った。どうやら考えすぎてしまったようだ。
「歌いたくないんだね」
「あ……うん」
「もしかして下手とか?」
「なっ、ちが……いや、その……」
反論しそうになって、踏みとどまった。怖かったけど、この子相手に変な誤魔化しをしたくないと思った。
「うん……下手なんだ、私」
「……そっか」
そう言って市ヶ谷さんは、私の真隣まで距離を詰めてくる。
「良いんじゃないかな、白鷺さんにも苦手なものがあって」
「え?……でも」
「だって白鷺さんだって人間でしょ?……私は好きだよ、そんな白鷺さんも」
面と向かってそんな事を言われて、思わず頬が熱くなった。この子はこうやって『好き』を不意打ちストレートで投げてくる事があるから、心臓に悪い。
「でも……やっぱり歌は聞きたいかも」
「はあ!?……あんたそれは無いでしょ!」
「えー、笑わないからさ、だから歌ってよ。お願い」
「ぐぬぬ……でも……」
「分かった」
突然市ヶ谷さんが私の手を掴む。驚く私を他所に、市ヶ谷さんは私の手の平に3本線を引いて、それを丸で囲った。
「なに?」
「おまじない。これで白鷺さんは歌えるようになったよ」
「おまじないって……そんなの」
「大丈夫、きっとできるよ、白鷺さんなら」
こちらをじっと見つめる市ヶ谷さんの目は、とても嘘を言っている様には見えなかった。
だから怖いけど、信じてみる事にした。
「これ、どうやってやるの?」
「ここを押して、曲探すんだよ」
受け取った端末を市ヶ谷さんに手伝ってもらいながら操作し、ぎりぎり知っている曲を選んで送信。音楽が流れ始め、私は深く息を吸って、そして――。
この日、私は人生初めてのカラオケを、2時間きっちり楽しんだのだった。
ふわふわとした感覚のまま、私は家に帰った。人生初カラオケが案外良い思い出になった事に驚きつつ、こんなに気持ちが高揚したのはいつ以来だろうと考えていた。流石に市ヶ谷さん以外と行くのは抵抗があるけど、でもまた行ってみたいと思うくらいには良い経験だった。
「ただいまー」
返事が当然返ってこないのは気にせず手を洗い、冷凍庫から冷凍チャーハンを取り出して皿に開け、電子レンジに放り込む。
ぶーんとレンジが振動する間、今日の放課後の事をぼーっと考える。
市ヶ谷さんとどこかに出掛けるの、案外悪くなかったなぁ。勿論私がそう言う遊びを知らな過ぎるのもあるのだけれど、やっぱり未知のものに触れる経験は良いものなんだなぁ。今度は市ヶ谷さんにどこに連れていってもらおうかな……。
……ちょっと待て。
「いやいやいやいや」
何を懐柔されているんだ私は。相手は下心もりもりで私を狙ってきている相手だぞ? 友達から始めて付き合う気満々の女だぞ?
いやそんな簡単に絆される様な人間でないのは私自身分かっている……私はそう言うガードが堅い人間のはずだ。
だからこそ、今度について考えたりしている事にとても動揺しているのだ。
と言うより、今日は本当に単なる友人同士の遊びだったのか?
まさか。
「やられた……?」
遊びと言うのはお題目で、彼女にとっては『デート』だったのでは? こうやって遊びと称して抵抗感をなくしていき、そのまま本当のデートまでこぎつけようとする寸法、って事だ。恐らくきっと、うん間違いない。
このままでは駄目だ。このままだと彼女の狙い通り、将来的にはお付き合いする羽目になる……それだけは避けなければ。
「っし……」
気合を入れる為に一発、自分の頬を叩く。
私は絆されない女、私は強い女、私は一人でも大丈夫な女。
何があっても邪な心を持つ相手に絆されたりなんかするもんですか。絶対絆されない。
「絆されないぞー!」
私が叫ぶと同時に、電子レンジが過熱を終えて止まった。
「白鷺さん」
来た。
次の日、予想通り放課後のチャイムが鳴ると同時に市ヶ谷さんが話しかけてきて、私は身構える。
「……どうかした?」
「ふーっ……別に」
いけないいけない、思っていたよりも闘争心が全面的に出てしまっていたようだ。だが私の覚悟はそれ程に強いものなのだ。
「で、なに?」
「あ、そうそうこれ見て!」
そう言って市ヶ谷さんが差し出してきたスマホの画面には、とても食欲をそそる赤い色彩をしたドリンクの画像が映っていた。
「……これは?」
「この前言ったカフェあるでしょ? そこの新作、今月限定なんだけどね」
「限定……」
限定、なんて甘美な響きだろうか。
「今日どうかなって思ったんだけど……行かない?」
「……ちょっと待って」
限定、限定かぁ。
いや別に市ヶ谷さんと一緒に行きたい訳ではない。だがこの機会を逃せば恐らく一生口にする事はないだろう事が、私と言う人間を知り過ぎるが故にありありと思い浮かぶ。
正直に言えば、すごく飲みたい。今逃せば絶対後悔するだろうと思うくらいに、飲みたい。
でも市ヶ谷さんと一緒に行くと言うのがどうにも難しい所だ。昨日絆されないと決意したばかりだと言うのに、それを半日ももたずに無かった事にするのはちょっと……。
「白鷺さん」
思案を巡らせていると、市ヶ谷さんが声をかけてきたので目を開く。
なんと言う事だ。
そこには上目遣いでこちらを見る、可憐な少女の姿があったのだ……。
「駄目かな……今日忙しい?」
耐えろ、私。抗うんだ、最後まで戦い抜くんだ……!
「……空いてるわよ」
結局、この日も私は市ヶ谷さんと放課後を過ごしたのだった。