第13話 『まだ見ぬ実りの色彩を』
箱庭二一〇五三八外門居住区画・《ノーネーム》農園跡地。
枯れ果てた土壌を前に、二人の人影が立っていた。
一人は、短く整えられたアッシュブラウンの髪をしたオーストラリア人の男───ローリー・コリンズ。太陽の光を受けて白く映える肌と、冬の海を思わせる灰色の瞳は、この乾ききった荒野にはどこか場違いなほど鮮やかだった。
その隣では、少女───リリの狐の耳と尻尾が、乾いた風に揺れていた。
「死んだ土壌を豊かにするには、まずは三つのプロセスが必要だ。リリ、分かるか?」
「え? えっと.........たくさん耕す、でしょうか?」
必死に考えたものの、結局ひねり出せた答えは一つだけだったリリ。そんな彼女に、ローリーは柔らかく笑ってみせる。
「まぁ、後々はそれも必要だな。それよりも先にやることがある。答えは、土壌の基礎作り、有機物の投入、微生物の活性化だ」
指を三本立て、一本ずつ折り曲げて説明を始める。
「まずは土壌の基礎作り。これはpHの調整、有害物質の除去、あとは必要に応じて塩類の除去なんかもだが、まぁ今回は最初の二つだけでいいだろう」
「ぴーえいち?」
「酸性に近いか、アルカリ性に近いかを知るための数値のことだ。どんな植物を育てるかにもよるが、まずは中性に近付けるところから始めたい」
ローリーの丁寧な講義を聞いて、リリは一生懸命にメモを取る。
リリは《ノーネーム》における、子供達のリーダーだ。家事はもちろん、農場の運営も担っている。
十六夜達が「前に立ち敵と戦う者」であるならば、リリ達は「本拠地を守り、支える者」。ゲームに参加できないからといって、子供達が何もしないわけではない。生活基準を整える仕事がある。
だが、それでもやはりまだ子供。できることよりもできないことの方が圧倒的に多い。そこで、ローリーは暇を見つけては子供達の教育を行っていた。
メモを取り、理解する。それは中々に大変なことで、矢継ぎ早に言葉を並べても追いつけない。
それを分かっているローリーは、静かに、たまにリリの書き間違いを指摘しながら待つ。
「精が出るな、主殿、リリ」
二人きりだった農地に、もう一人の少女が現れる。
フリルのついたエプロンドレスに身を包み、長い金髪を黒い大きなリボンで丁寧に纏めた少女───レティシア=ドラクレアが、お盆を持ってローリー達に話しかける。お盆の上には三つのグラス。その全てに麦茶が注がれている。
「おう、レティシア。悪いな。リリもキリが良いタイミングで飲んどけよ」
「は、はいっ!」
メモを取りながら返事をするリリ。ローリーは一足先に麦茶を手に取り、喉を潤す。
「農地の再興の目処は立っているのだろうか?」
レティシアも同様に麦茶を飲みつつ、ローリーに聞く。
レティシアの記憶にあるこの場所は、雄大で豊かな農園だった。それが今は見る影もなく、雑草すら見当たらない。
「まァ、今すぐにとはさすがにいかねェな。土をまるっと入れ替えるくらいのことをすれば話は別だが、一から復活させるとなると年単位で時間がかかる」
「そうか...」
山吹色の穂波が揺れ、色鮮やかな果実が実っていたかつての農園を知るレティシアにとって、今の死んだ農地の惨状は見るに堪えない。
かつてコミュニティを支えた土地の面影はどこにもない。そんな切なさがレティシアの胸に去来した。
「そう心配すんな」
僅かに眉をひそめながら農園を眺めるレティシアを安心させるようにローリーが言い、未だメモ取りが終わっていなかったリリの頭を無造作に撫でた。
「わわっ...!」
「こいつらは無能じゃあない。ちゃんと教えてやればちゃんとできるさ。なぁ、リリ?」
「は、はいっ!」
決意を込めた顔で力強く返事をするリリに、レティシアは微笑む。
本当に強い子達だ。自分達がいない間、きちんと《ノーネーム》を護ってきた。あんなに小さかった子供達がとても立派になったと感慨に耽る。
そして何より、ローリーの存在が大きい。
魔王を自称するレティシアの主は、存外子供達に優しかった。それどころか、きちんとした教育を施し、育てようとしている。
全てを一人で解決できる力を持ちながら、他者を教え導く存在。今の《ノーネーム》にこれ以上とない貢献をしている。
「(それ故に、やはり黒ウサギ達との関係は良好なものであってほしいのだが...)」
レティシアから見て、ローリーと黒ウサギ達の関係は健全なものとは言い難かった。しかも、どちらかと言うとその責任はローリーにある。
レティシアが《ノーネーム》主軸の今後について憂いていると、突然、本拠地の方から凄まじい砂埃が巻き上がった。
何事かと目を凝らす暇もなく、それは猛烈な旋風となり、ものすごい速度でこちらに向かってきていた。
その正体もすぐに判明する。迫り来る旋風の最前線───そこには、緋色の髪を荒々しく舞わせた黒ウサギの姿があった。
あっという間にレティシア達の所まで跳んできた黒ウサギは、レティシアやリリを見向きもせず、怒りと焦りの篭った瞳でローリーを睨みつける。
「ローリーさんッッッ!!!!」
「おう。十六夜達なら白夜叉のとこに向かったぜ」
「なぜ止めてくれなかったのですか!!?」
「止めてくれるなよ、って言われたからな」
「ではなぜ黒ウサギに報告をしてくれなかったのですか!!!」
「黒ウサギには内緒よ、って言われたからな」
「───デジャブ!!!!!」
頭を抱え、怒りに震えた黒ウサギが絶叫する。
イマイチ話が見えてこないレティシアとリリが顔を見合わせ、代表してレティシアが質問する。
「どうしたんだ黒ウサギ。主殿は何を隠している?」
「別に大したことじゃあねぇよ。ただちょっと、黒ウサギに黙って十六夜達が遊びに行っただけだ」
「大したことじゃない...? ただちょっと遊びに行っただけ......?」
プルプルと小刻みに震えながら、黒ウサギが俯いた。
「(これはまずいな)」
そう即座に判断したレティシアが、そっとリリの手を引いて音もなく後退した。
二人が十分な安全圏まで距離を取った、その瞬間。黒ウサギの溜め込んだ怒りが爆発した。
「これの!! どこがッ!!!! 大したことではないのでございますかッッッ!!!!!!!」
ウサ耳を逆立たせ、一枚の紙切れをローリーの顔面に叩き付ける。
大して痛くはないものの、明確な怒りを持って投げられたそれを、ローリーが顔から剥ぎ取る。そして、そこに綺麗な文字で書かれた内容に面倒くさそうに目を通した。
「えーっと、何々? 『黒ウサギへ。北側で開催される祭典に参加してきます。貴女も後から必ず来ること。レティシアもね』」
思わぬところで自分の名前が出てきて、レティシアはほんの少しの不安に襲われる。
読み上げるローリーの横から慌てて手紙を覗き込むと、そこにはまだ続きがある。嫌な予感を覚えながら、今度はレティシアがその一節を読み上げ始めた。
「『私達に祭りのことを意図的に黙っていた罰として、今日中に私達を捕まえられなかった場合、三人共コミュニティを脱退します』? ...これは随分と穏やかじゃないな」
コミュニティ脱退という言葉は、ここ箱庭において決して軽いものではない。箱庭に来てからまだ日の浅い十六夜達とレティシア達とでは、そのあたりの価値観が根本的に違うのだろう。
だが、そうだとしても、これは決して軽視できる発言ではなかった。
「こうなるからッッッ! 皆様にはお伝えしていなかったのにッッッ!!!」
頭を抱えて悶絶する黒ウサギの肩を、ローリーがポンと軽い調子で叩く。
「まぁ落ち着けよ黒ウサギ。ハゲるぞ?」
「うぎゃああああああああ!!!!!!!!」
怒髪天を衝くとはまさにこのこと。
スパァン!!! という鋭い快音が響き渡る。緋色の髪を振り乱しながら振り下ろされた黒ウサギ特製のハリセンが、ローリーの脳天に寸分の狂いもなく炸裂した。
それを避けることなど造作もないはずなのに、わざと真正面からハリセンを受けたローリーは「うんうん、それでこそ黒ウサギだ」と、なぜか満足げに愉悦に浸っている。
「一体誰が北の祭典のことを...!? 白夜叉様から届いた招待状は厳重に保管して、絶対に皆様の目に付かないようにしていたのに...!」
「ああ、それな。俺が教えた」
「やはり犯人は貴方様でしたかこの人でなしッッ!!!!」
「いやそこまで言わんでも」
間髪入れず、黒ウサギはローリーの胸ぐらを掴んで激しく前後に揺さぶった。ガクガクと頭を揺らされながらも、ローリーは飄々とした態度を崩さない。
黒ウサギの胃痛を一切気にかけず問題児三人衆に祭典のことを教えたローリーは、黒ウサギの目には自分を虐めて愉しむ「人でなし」そのものに映っていた。
しかし、ローリーにしてみれば、ただ面白そうなことを三人にも共有してやっただけのこと。そこまで罵倒される謂れはない。
──ただちょっと、黒ウサギが慌てる顔が見られたら面白そうだな、と思っただけである。
「それにしても、不思議だな」
ガクガクとローリーを揺さぶり続ける黒ウサギを横目に、レティシアがふと、手元の紙切れに視線を落として呟いた。
「手紙では黒ウサギと私には来いと言いつつ、主殿に対して来いとは言っていないのだな」
ふと、そんな疑問がレティシアに浮かんだ。「三人共脱退」と言っているのは、間違いなく十六夜、飛鳥、耀の三人だろう。その脱退の脅し文句の対象にも、もちろんローリーは入っていない。
「今朝、俺も久遠に誘われたんだけど断ったんだ。今日はリリの農園復興の手伝いをするって決めてたからな」
「意外だな。主殿は真っ先に向かうと思っていたよ」
「先約、しかもガキとの約束だからな。それに、農園の問題は今後の《ノーネーム》の活動に大きく影響する。さすがにこっちを優先するさ」
その発言に、今すぐにでも問題児達を捕まえるために跳び出そうとしていた黒ウサギが立ち止まり、じっとローリーを見つめた。
黒ウサギはローリーを危険視している。かつて栄華を極めた《ノーネーム》を一夜にして滅ぼした魔王と同種の存在ではないかとさえ疑っていた。
しかし、先日の作戦会議でも話題に上がったことだが、現状《ノーネーム》に最も貢献しているのはローリーだ。今もこうして、コミュニティの未来のためにわざわざ教鞭を取っている。子供達から上がってくるローリーの評判もすこぶる良い。
そして何より、今この瞬間において、ローリーはほかの快楽主義的な問題児達と違って理性で動いているように見えた。
そうだ、戦闘面ではちょっと...かなり...いや、超が付くほど滅茶苦茶だが、基本的には王を自称するだけあって理知的な─────
「だから久遠に言ってやったんだ。『俺は明日向かう。明日は一緒に黒ウサギを困らせてやろう』って」
「やっぱりそうでございますよねこのお馬鹿様ぁあああ!!!!」
────スパパーーン!!!
小気味の良い乾いた音が、何度も農園の空を駆け抜けた。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
あの後、弾丸のような速度で跳び出していった黒ウサギの背中に、ローリーはのんびりと手を振る。
「頑張れよ〜」という届いたどうかさえ怪しい声援を送り、ローリーは改めてリリとの農園復興作業に戻った。
しかし、 荒れ果てた農園の再興はたった一日で解決するような規模のものではない。まずは全体的にやるべき事の順序、そして効率的な手法をかいつまんで教え込む。
リリは必死に頷きながらそれを頭に叩き込み、メモに書き起こす。それが終わった後、予めローリーが直々に書き記しておいた「のうぎょうのきほん」という本をリリに手渡し、今日の作業は終了となった。
「主殿、少し良いだろうか」
夜になり、夕食を終えて広間で子供達とトランプに興じていたローリーに、レティシアが声をかける。
「ちょっと待っとけ」
今ローリーがやっているのはポーカー。ギフトゲームにも用いられることもあるテキサスホールデムだ。ディーラーは持ち回りで、今はリリが緊張した面持ちで担当している。
レティシアを一瞥し、待機させながら、ローリーは子供達に向き直った。
ゲームに参加している子供達は皆一様に難しい表情を浮かべ、自分の手札と共通カードを何度も往復して見ている。
共通カードは以下の五枚。
スペードの八
ハートのA
クラブの二、K
ダイヤのQ
リバーと呼ばれる状態で、今の手札と共通カードで勝敗が決まる。
「オールイン」
子供達が頭を悩ませている中、わずかに口角を上げたローリーが堂々と宣言した。
それに焦った子供達は、咄嗟の判断で勝負を降りる者、勝負に乗る者で別れる。前回のゲームで、ローリーはロイヤルフラッシュを出していた。その記憶が脳裏から離れず、ほとんどの子供達が勝負から降りる。
残ったのはローリーを含めて二人。灰色の尖った犬耳と尻尾を持つ獣人の少年、コウだ。
ローリーとコウが同時に手札を晒す。
ローリーの手札がクラブのQ、ダイヤのKでツーペア。
コウの手札がクラブのJ、ハートの二でワンペア。
結果はローリーの勝利となる。
「げっ」
ローリーの手札を見てそんな声を漏らすのは負けたコウではなく、ゲームを降りた栗色の髪をオカッパにした人間の少年、カイだった。
チップとして賭けていたお菓子類を回収したローリーはカイに笑いかける。
「カイよォ、お前俺の手より強かったろ」
「う、うん」
カイが自分の手札を開示する。
カイの手札はダイヤのAとクラブのA。スリーカードで、勝負に乗っていればカイの勝ちだった。
「なんで分かったの?」
「顔見てりゃ分かる。全員そうだが、全部顔に出すぎだ」
薄く笑いながら、ローリーは言う。
「皆して終始不安そうだったけど、ちょっと良い共通カードが出たらすーぐ嬉しそうにする。ポーカーフェイスってのは教えたろ?」
「でも、兄ちゃんも笑ったり、眉間にしわ寄せたりしてたじゃんか!」
そう叫ぶのは、今しがたゲームに負けたコウだった。顔に出ていたのはお互い様だと言いたいらしい。
「ああ。だからお前は、俺のオールインがブラフだと思って賭けに出た。違うか?」
「うっ...だ、だって...五枚目が出た時、すっげぇ嫌そうな顔してたし...」
「そっちもブラフだったってわけだ。いいか? 無表情は相手にこっちの情報を悟らせない『守り』の表情、偽った表情は相手に勘違いをさせる『攻め』の表情だ。相手や状況次第でどっちも使い分けられるのが理想だな」
ただし、と付け加える。
「初っ端からどっちもやろうだなんて、余程の嘘吐きじゃねェと不可能だ。だからまずはやりやすい無表情、ポーカーフェイスから覚えてけ」
はーい、と子供達が返事をする。
それに満足していたローリーに、コウが悔しそうに呟いた。
「ちぇ、ちょっとは手加減してくれてもいいのにさ」
「獅子は兎を狩るにも全力ってことだ。分かったな?」
そもそもお前は勝つために降りることも覚えろ、そう言い放ってローリーは立ち上がり、少し後ろでゲームを観戦していたレティシアを見る。
「場所は変えるか?」
「ああ、できれば。応接間でいいだろうか?」
待たされたレティシアは文句も言わず、そう提案する。
それを聞いていた子供の一人が不満そうに声を上げた。
「え〜、ローリーさん行っちゃうの?」
「すまないな、少し大事な話があるんだ」
レティシアが少し屈み、子供達と目線を合わせる。
ローリーは屈むことはしないが、楽しそうに笑って見せる。
「今日は終わりだ。明日から俺ァ北に行くが、帰ったらまた相手してやる。もうちっとマシになってるよう努力しとけよ?」
それだけ言って、ローリーは広間を出た。
レティシアももう一度子供達に軽く謝罪をし、夜更かししないように言いつけてからローリーの後に続く。
少しだけ前を歩くローリーに駆け足で追いつき、隣を歩き、そしてローリーの顔を見上げた。
「どうした?」
「いや、随分と子供達に好かれているなと思ってな」
「ハッ、当たり前だろ。俺は王だぞ? 王ってのはそういうもんだ」
何も不自然なことはない、と言うローリーの言葉を聞き、レティシアは一瞬だけ表情を曇らせる。
「...ああ、そうだな。王は民に愛されるものだ」
だがすぐに元に戻り、その後は特に話題もなく二人で廊下を歩く。
元はかなりの勢力を誇っていた《ノーネーム》の屋敷はそれなりに広い。部屋を移動するにも数分はかかる。
しばらく歩き、応接間に到着した。
入室してすぐに上座に深々と腰を下ろしたローリーは、対面に座ったレティシアが喋り出すのを待つ。
「主殿は明日、北側に行くのだろう?」
レティシアはそう話を切り出した。
真意は読めず、ローリーはひとまず素直に答えることにする。
「ああ。朝には出るぞ」
「そうなると、本拠地から主力、いや、そもそも戦える人材が一人もいなくなってしまう」
現在《ノーネーム》でギフトゲームに参加できるのは七名。ジン、黒ウサギ、レティシア、そして異世界組の四人だけだ。
まだ幼く、ゲームに参加できない子供達だけがここに残されることになる。
「もし、このタイミングで本拠地が襲われたら子供達が危ない。魔王が来る、とはさすがに思わないが、我らの不在を知ってちょっかいを出してくる輩がいないとも言えないだろう」
「そんなことが無いように、ご近所付き合いはちゃんとしてきたつもりだが?」
しかしまぁレティシアの言い分も一理はあるか、とローリーは考える。
誰もギフトゲームに参加出来ないのにどうやってちょっかいを出すのか、とも思えるが、ギフトゲームはあくまで手段であり、ゲームを介さない手の出し方はいくらでもある。
その例の一つが、以前《ノーネーム》が降したコミュニティ《フォレス・ガロ》のようなやり口だ。
「主殿には敵も多い。商店街で荒稼ぎしているだろう。アレを面白く思わない者もいる」
「弱い奴が悪い」
「それは主殿の意見だ。皆が皆、己の弱さに責任を持てるわけじゃない」
要するに、ローリーが商店街のゲームで勝ちすぎた結果として利益が減る者、ゲームの主催者や、今まではそれなりに勝てていた別の参加者から不興を買っているのではないか、というレティシアの不安だ。
そしてその中には《フォレス・ガロ》のような暴挙に出る者─────子供を攫い、人質にするような屑がいないとは限らない。
「だから、私はここに残って皆の留守を守ろうと思う」
「却下だ。お前、俺の命令を忘れたか?」
「いや、しかしだな」
レティシアの提案を即座に突き返すローリーだったが、レティシアも簡単には譲れない。
そんなレティシアの姿勢を見て、ローリーは少しだけ考える。
北側の祭典では数多くのギフトゲームが開催される、とローリーは聞いている。そして、多種多様な“恩恵”が景品として出品されるということも。ローリーはもちろん様々なゲームに参加しようと考えていた。
つまり、ローリーの戦いを見ることができる絶好の機会だ。観察者たるレティシアが居残りしてこの機会を逃すなど、ローリーの思惑にそぐわない。
しかしレティシアはこちらに残ると言い張っており、しかもそれは子供達のためだという。
これをただ無視するというのは王としていかがなものか。ローリーはしばし考え、答えを出した。
「分かった。《天網猟犬》と、念の為に俺の分身体も残していく。これでいいだろ?」
「天網猟犬とは?」
「俺の愛犬だ」
ローリーがギフトカードを翳すと、一匹の犬が現れた。
艶やかな黒毛に身を包み、座っている状態でもローリーよりも背が高い巨大な犬だ。鋭い目をしながらも、綺麗に“おすわり”する黒犬の頭をローリーが撫でる。
「ライっつってな。優秀な神獣だ。素の戦闘力も上々、権能も一つ与えてある」
「なんと。主殿は奪う者だけでなく、与える者でもあったか。それに神獣ときたか...」
ライと呼ばれた黒犬は、舌を出してローリーをじっと見ている。命令を待つ姿はまさに忠犬のそれだ。とても神獣が人間に向けるものとは思えない。
「ライ。俺がいない間ここを護れ。敵が来たらいつも通り、好きに処理していいぞ」
「Woooooooooooonnnnn!!!」
「うるせぇ」
尻尾をこれでもかと振り回し、主の命令に応えて咆哮を上げた。
耳元で叫ばれたローリーは眉をひそめながら、自身の右手の親指の腹を軽く噛み切る。
「《滴るは血。我が鮮血を糧に立ち上がれ》」
聖句と共に血が三滴だけ床に滴り、そこから人型の───ローリーの姿をしたものが三体現れた。
「分身体を創る権能か。三人とも、主殿と同じように戦えるのか?」
「いや、
言われて、レティシアはまじまじと分身体を見る。見た目は瓜二つだが、目は虚ろで、体もピクリとも動かない。確かに人形のようだった。
「お前らはライに従え。ライに何かあれば俺に伝えろ」
ローリーが分身体にそう命令すると、分身体が起動した。目は虚ろなままだが、ゆっくりと歩き出し、ライの隣に立つ。
「これで万が一があっても俺に報告が来る。だからお前は俺と来い」
「......承知した。そういうことであれば、私も共に北側へ行こう」
そもそも、子供達に手を出そうとする者は基本的に小物だ。ライにどのような権能が与えられているかはレティシアには分からないが、こうして対峙すれば相応の力のようなものも感じられる。
神獣だというのも、疑っていたわけではない。だが、こうして相対すれば、それが紛れもない事実だと直感できる。
これであればローリーの言う通り下層の小物などに遅れは取らないし、万が一のための連絡手段もあるのであればひとまずは安心かとレティシアは判断した。
「本当ならガキ共も連れて行きたいんだがなぁ」
レティシアの返事に満足したローリーだが、本来であれば子供達に留守番をさせるのは勿体ないことだと考えていた。
北側はこの東側よりも芸術が盛んだとローリーは聞いていた。そも、箱庭は恒星級の面積がある。北と東が隣り合っているとは言え、その行き来は簡単ではない。北側は完全に異文化と言っていいだろう。
子供達を異文化に触れさせて、価値観を育てさせたい。そんな思いがローリーにはあったが、それは現実的に考えて難しい。
「境界門の使用料、北側での滞在費。これらを考えると皆を連れて行くことはできないだろう」
レティシアの言う通り、問題は費用だ。
《ノーネーム》に在籍している子供の数は百人以上。その全員を連れて行くとなると、今の貯蓄では到底足りない。
「チッ。金が問題でみすみすチャンスを逃すことになるたァな。ンなことなら白夜叉やあの支店長からもっと金を巻き上げておくべきだったぜ」
「ほどほどにな」
「まァ一人なら連れて行けるだろ。リリくらいは連れて行くか」
「貴重な機会だ。私も賛成する。リリならば自分が得た経験を他の子達にも共有できるだろう」
そこらのギフトゲームを荒らして資金を調達しようとしていたが、ローリーは好き勝手に暴れすぎて大抵のゲームから出禁にされている。
適度に負ける、などという芸当がローリーにできるわけもなく、出禁処置も仕方のないものだった。下層の秩序崩壊に備えた裏での白夜叉の働きかけもある。
そして、そもそも時間が足りなかった。
ローリーが北側への招待状を知ったのは今朝。百人以上の旅費を用意するのに、さすがのローリーでも一日ではどうしようもない。
「まァ、金は北側で稼げばいい。また次の機会に全員連れて行ってやるか」
「また出禁になるのではないか?」
「バァカ、出禁になる前に稼ぎきってやればいいンだよ」
芸術文化が盛んということは、その芸術品がゲームの商品になっていることも少なくはないはずだ、とローリーは読んでいる。
なら、賞金のあるゲームはもちろん、価値のある芸術品も手に入れれば、今度はそれらの売買で収入を得ることは十分可能だ。
問題は、ローリーに真の審美眼が無いという点だ。全知の権能からある程度の推測はできるが、箱庭内での価値、箱庭独自の技法・材料が絡んでくるとローリーではその価値を完全に見極めることができない。
「レティシア。お前、自分の審美眼に自信はあるか?」
「え? いや、どうだろうか。絶対とは言わないが、ある程度は分かる、という程度じゃないか?」
「まァ、それで十分だ」
こういうのはあいつが上手かったなァ、と地球に残してきた騎士の一人を思い出す。
だが、今手元にいない者について考えても仕方がない。
「よォし。目ぼしいモンは全部奪うぞ。荒稼ぎだ」
「いや、奪ったらダメだろう」
冗談だと分かりながら、レティシアは形式だけでも注意した。
ヒャハハと笑ったローリーが席を立つ。
「俺ァもう風呂入って寝るぞ」
「ああ。時間を取らせてすまなかった。私はまだ仕事があるから、少ししたら休むよ。おやすみ、主殿」
ヒラヒラと手を振り、ローリーが応接間から出ていく。ライがそれを追うように駆け出して行き、部屋に残ったのはレティシアとローリーの分身体達のみ。
てっきり分身体も出ていくと思っていたが、彼らは動こうとしない。
「......ふむ。従いはするが、常に追従するわけではない、と」
改めて分身体を見る。
この《零れ堕ちる鮮血》による分身体が《ペルセウス》とのゲームで現れた際、権能を使い、かつ会話ができていたとレティシアは黒ウサギや十六夜から聞いていた。しかし、今レティシアの目の前にいる分身体は、権能の行使はおろか会話もできないという。これは明らかな矛盾だ。
考えられるのは三つ。黒ウサギ達から聞いた話が間違っているか、ローリーが何らかの理由で事実を伏せているか、あるいは───そもそも分身体そのものに複数の種類が存在するか。
一つ目はほぼありえない。となれば、残るは二つだ。
二つ目は、ローリーの性格を考えれば絶対に無いとは言い切れない。狡猾に、あるいは面白半分で嘘をついている可能性を捨てるのは愚策だとレティシアは判断する。そして、一番可能性が高いものは三つ目だとも考えるが───
「......いや、これは今考えても無駄だな」
今はまだ情報が足りないと一度思考を切る。
ローリーが嘘をついていたとして、そちらの確認は今すぐにはできない。であれば、分身体が二種類存在するという仮説のもとで、如何にして分身体の種類を見分けられるか。
言われなければ偽物だとは思えないほど、姿形はローリーにしか見えない。見分ける方法はやはり目だろうか、とレティシアは考える。
だが少し肌に触れてみると、あまり体温を感じられないことが分かった。こちらも見分ける手段にはなるかもしれない。脇を擽ってもみたが反応なし。
「まぁ、これは主殿本体に効くかも分からないしな」
そう言って一歩離れる。
攻撃をしてみようかとも考えたが、下手に刺激して暴れられでもしたらたまらない。少なくとも室内で試すことではない、とレティシアは自重する。
不気味なほどに反応がないこれら分身体が、本当に《ノーネーム》の防衛に役立つのか。そこも少し気になったが、まぁそこはライもいるし問題ないかと切り替え、次に進む。
「......これは独り言なのだが────」
レティシアは、三体の分身体を見た。
「実は私は魚より肉の方が好きなんだ。魚はどうにも生臭くてな」
三体は答えない。
目も合わない。
「...まぁいい。念の為だ。そうだな...私の服の好みについて────」
その夜、レティシアは何も言わない三体の分身体を相手に、実にどうでもいい話をいくつか続けた。