『それでは入場していただきましょう! 第一ゲームのプレイヤー、《ノーネーム》の春日部耀と、《ウィル・オ・ウィスプ》のアーシャ=イグニファトゥスです!』
舞台の真ん中で黒ウサギがくるりと回り、プレイヤーを迎え入れるように両手を広げる。
それを聞き、耀とレティシアは舞台へ上がろうとし────耀の目の前を火の玉が高速で駆け抜けた。たまらず耀が仰け反り、尻もちをつく。
「主殿!」
出鼻を挫かれたどころではない耀にレティシアが駆け寄り、舞台上を睨む。
そこには、火の玉の上に腰掛けている少女の姿があった。
「あっはははははは! 見て見て見たぁ、ジャック? 《ノーネーム》の女が無様に滑稽に尻もちついてる! ふふふ、さぁ、素敵に不敵に面白おかしく笑ってやろうぜ!」
「YAッFUUUUuuUUU!!」
少女───アーシャはケラケラと、派手なゴシック風のフリルのスカートを揺らしながら、子供のイタズラが成功したかのように嘲った。
ドッ、と観客席の一部から笑いが起きる。
この《造物主たちの決闘》は、此度の《火龍誕生祭》の目玉とも言えるギフトゲームだ。そんな栄えある舞台に《ノーネーム》が立つことに不満を抱く者は少なくない。
「...随分とナメてくれるじゃないか、《ウィル・オ・ウィスプ》」
静かに怒りを滾らせるレティシアとは違い、耀は侮蔑そのものにあまり関心はない。
それよりも今は、彼女の視線を釘付けにするモノがあった。
「その火の玉、」
「はァ? アーシャ様の作品を火の玉なんかと一緒にすんなっての。コイツは我らが《ウィル・オ・ウィスプ》の名物幽鬼! ジャック・オー・ランタンさっ!」
「YAFuUUUUuU!!!!」
アーシャの宣言と共に、火の玉の火力が増した。
火が炎へ、そして炎が人型へと姿を変える。
轟々と燃え盛るランプを持ち、浅黒い布の服をたなびかせ、人の頭の十倍はあろうかというカボチャ頭から陽気な笑いを響かせる。
ジャック・オー・ランタン。
耀のいた時代でも、その名は有名なカボチャのお化け、そのものだった。
耀にハロウィンを楽しんだ記憶などないが、それでもやはり、目の前にハロウィンの化身のような存在が現れれば目も引かれる。
だが、今はそのカボチャのお化けも敵の“恩恵”。ただじっと見ているだけでは始まらないと気持ちを改め、レティシアの手を取って立ち上がる。
「《ノーネーム》のくせに私達《ウィル・オ・ウィスプ》より先に紹介されるなんて生意気だっての。私の晴れ舞台の相手をさせてもらえるだけで泣いて感謝しな、この名無し」
アーシャの嘲笑は止まらない。観衆の中にはまだ笑っている者もいた。
《ノーネーム》とは、名も旗も失うとはこういうことなのかと、耀は改めて実感する。
『げ、ゲーム開始前の挑発行為は控えるように、アーシャ=イグニファトゥス!』
「はぁい」
予想外のレティシアの参戦。
そして、同胞である《ノーネーム》を馬鹿にされたことへの怒り。
黒ウサギ自身も感情の置き場に困りながら、それでも審判としてアーシャを注意した。
しかし、アーシャに反省の色は見えない。小馬鹿にしたような声音と仕草で軽く答えただけだ。
「...安い挑発だ。腹立たしいが、乗るなよ主殿」
「うん、分かってる」
そう言いつつ、耀は円上の舞台をぐるりと見渡し、貴賓席にいる飛鳥を見つけて手を振った。
その行為がアーシャの癇に障ったのか、舌打ちして皮肉を込めて言う。
「チッ。なんだなんだよなんですかァ? アタシ達を無視して客とホストに尻尾と愛想ふるって、何、それ挑発のつもり?」
「うん」
耀の態度に、アーシャのプライドは逆撫でされ続ける。無表情の耀とは対照的に感情をそのまま顔に出し、唇を尖らせた。
その様子に、レティシアは一瞬呆気に取られる。
「大人しいと思っていたが、なんだ、主殿も随分と負けず嫌いだな?」
「やられたらやり返さなきゃ」
言いながら、耀は横目でアーシャを見ていた。
そんなやり取りを見て黒ウサギの溜飲も多少は下がったのか、コホン、と咳払いを一つ挟んで審判としての仕事を再開する。
『───それでは、第一ゲームの開催前に、白夜叉様から舞台に関してご説明があります。皆様どうかご清聴の程を』
黒ウサギの言葉の後に続くのは静寂だった。
先程までの喧騒も、まして《ノーネーム》への嘲笑もない。皆が“主催者”の言葉を聞くために耳を傾ける。
貴賓席に座っていた白夜叉が腰を上げ、静まり返った会場を見回し、緩やかに頷いた。
「うむ。協力感謝するぞ。それでは早速ゲームの舞台についてだが......まずは皆、手元にある招待状を見てほしい。そこに数字が書いておらんかの?」
観客が一斉に招待状を取り出す。白夜叉と同じ貴賓席に座っていた飛鳥も、持っていた招待状を広げた。
観客の中には宿に置いてきた、ここにはいないメンバーに預けている、といった者も少なからずいる。
招待状の有無だけで一喜一憂する面々を温かく見つめた白夜叉は、そのまま説明を続ける。
「では、そこに書かれている数字が“主催者”───《サウザンドアイズ》の出身外門である三三四五番となっている者はおるか? おるのであれば、招待状を掲げ、コミュニティの名を叫んでほしい」
観客席からざわざわと静かなどよめきが聞こえる。
招待状を持っていた者達は数字を確認し、そのほとんどが指定されたものと違ったと嘆く中、貴賓席から見て対岸側の席から一際大きな声があがった。
「あ、あります! ここに! 《アンダーウッド》のコミュニティが、三三四五番の招待状を持っています!」
樹霊の少年がそう叫ぶと、周囲から大きな歓声が上がる。
白夜叉は樹霊の少年にニコリと笑いかけ、霞のように姿を消し、次の瞬間には少年の前に立っていた。
「おめでとう、《アンダーウッド》の童よ。後に記念品でも贈らせてもらうとしよう。《アンダーウッド》の旗印を拝見しても良いかの?」
突然目の前に現れた白夜叉に驚きを隠せなかった少年だったが、問いかけにコクコクと勢いよく頷いた。
その後、少し手間取ってはいたものの木造の腕輪を取り出し、白夜叉の前に差し出す。そこには、コミュニティのシンボルと思われる、巨大な大樹の根に囲まれた街が描かれていた。
それを少しの間眺めた白夜叉は、再度少年に微笑む。そして次の瞬間、白夜叉は貴賓席に戻っていた。
「今しがた舞台が決定した。それでは皆の者、お手を拝借」
白夜叉が両手を前に出し、観客達もそれに倣う。
白夜叉の動きに合わせ、観客全員でパンッと柏手を一つ。
その所作を合図に、世界は流転し始めた。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
変化は劇的だった。
耀やレティシアの足元は闇に呑まれ、闇の中では幾多もの世界が星のように廻っている。
この感覚に、耀は覚えがあった。加えて、直前の柏手。これも白夜叉の仕業なのだろうと察しをつけ、怖がるでも暴れるでもなく、耀は静かに身を任せる。
暫く闇の中を落ちていくと、急にボフッという着地音が耀の耳に届いた。足裏に伝わる感覚も、先程までのような冷たい石造りのものではない。
「木の根っこの...洞窟?」
足元を見るまでもなく、上下左右、耀達を囲うように巨大な樹木の根がこれでもかというほどに広がっていた。
耀の独り言を聞いていたアーシャが、小馬鹿にしたように笑う。
「ふ〜ん、ここって根の中なんだ。親切に教えてくれてどうもありがとよ」
「......」
耀はアーシャを見向きもせず、無関心そうな顔で周囲を見回す。
その態度がアーシャを苛立たせ、青筋を立てて臨戦態勢を取らせた。
「(...やっぱり、あんまり気の長い方じゃないな)」
今にも飛びかかって来そうなアーシャの気配を感じながら、耀は思う。
相手を煽るなどあまり慣れている行為ではなかったが、こうも簡単に乗ってくるとは。
そして、同時に本命の探索も進める。
まだゲームは始まっていないが、耀の五感は常人のソレではない。一歩も動かず、周囲の状況を把握することも可能だ。
レティシアは何も言わず、ただ万が一アーシャが動いた際には対応できるようにだけ準備する。レティシアはあくまで補佐。主体としてゲームメイクを行うのは耀である、と一歩引いている。
突如、耀とアーシャの間の空間に亀裂が入った。
亀裂から出てきたのは、輝く羊皮紙を持った黒ウサギだ。
両者を一度ずつ見た黒ウサギは、羊皮紙───“契約書類”に記載されている内容を淡々と読み上げる。
『ギフトゲーム名《アンダーウッドの迷路》
・勝利条件
一、プレイヤーが大樹の迷路より野外に出る。
二、対戦プレイヤーのギフトを破壊。
三、対戦プレイヤーが勝利条件を満たせなくなった場合(降参含む)
・敗北条件
一、対戦プレイヤーが勝利条件を一つ満たした場合
二、上記の勝利条件を満たせなくなった場合
────“
黒ウサギの宣言とほぼ同時に、耀とレティシアはアーシャ達から距離を取る。アーシャもジャックの背に乗り、ゆっくりと上昇した。
勝利条件が複数あるため、両者共に明確な方針が欲しかった。どう攻めるか、あるいはどう守るか。耀とアーシャはしばらくの間睨み合い───そしてアーシャがクスッと笑う。
「このままじゃ埒が明かねぇし、先手は譲っ」
「それじゃあ遠慮なく」
アーシャが言い終わる前に、轟ッと強風が吹いた。
「ちょっ、」
油断していたアーシャは、ジャックごと後方に飛ばされた。その隙に耀とレティシアが駆け出す。
「どう勝つ、主殿?」
「まずは迷路のゴールを目指してみようと思う。相手がどんな力を持ってるかは知らないけど、先にゴールしちゃえばいいんだから、無理に戦う必要なんてないよ」
これがローリーや十六夜であれば、ゴールを目指すことなどせずに正面から殴り合うだろう。
しかし、耀は彼らほど戦闘が好きなわけではない。
「迷路は攻略できそうか?」
「うん。風の通りや匂いで分かるよ」
加えて、耀にとってはゴールを目指す方が得意分野であり、勝率も高い。
必要最低限以外の戦闘を避けるのは必然だった。
しかし、相手は第六桁のコミュニティ。そう易々と耀を見逃すはずもない。ジャックの背に乗ったアーシャが耀達を追跡してくる。
「あっははははは! 不意打ち上等! でも残念、空も飛べない人間じゃあジャックの速度には、」
「飛ぶね」
「おうとも」
耀はグリフォンの力を借り、レティシアは影を操り翼のように広げ、二人同時に空を飛ぶ。速度はジャックと然程変わりはしないが、それでは追いつくことはできない。
レティシアの正体も分かっていなかったアーシャは驚くばかり。自分でも言っていた通り、彼女はこのゲームが人生初だった。格下、しかも名無しだと見下し、勝って当然と慢心し、どうやって
ことごとく上手く進まない。成功したのは、最初に耀を転ばせたことだけ。
だがそこはさすがに六桁のコミュニティに属する者。苛立ちを抱えながらも次の手を考える。
「...おぅけぃ、そーいうことならアタシも本気だ。行くぞジャック!」
「YAHOHOoOOOOO!!」
前を飛ぶ耀達に向けて、アーシャが左手を翳す。
すると、ジャックの持つランタンから溢れた業火が樹の根を焼き払いながら耀達を襲った。
しかし、その業火は耀の起こした風の前に霧散する。
「風を操る“恩恵”か!」
舌打ちし、再度業火を放つが、やはり耀の起こす風の前に散らされる。
対して耀も相手の秘密に迫る。
「あの炎...」
「悪魔の業火だな。ジャック・オー・ランタン、引いては《ウィル・オ・ウィスプ》の伝承の一つに『二度の生を大罪人として生きた者の魂が生と死の境を彷徨っていた際、悪魔が現れ篝火を与えた』というものがある」
レティシアの持つ知識を聞き、耀は次々と襲い来る業火を散らしながら考える。
耀も、少しではあるが《ウィル・オ・ウィスプ》の伝承の知識はあった。レティシアの言う悪魔に篝火を与えられた魂こそがジャック・オー・ランタンの原典だ。であるならば、そのジャックを「自分の作品」と言い放ったアーシャは何者なのか。
「ねぇレティシア。あのアーシャって子、すごい悪魔だと思う?」
「いや、そこまで大層な存在ではないだろう」
ホッ、と内心耀が胸を撫で下ろす。
そのような大悪魔が相手では、さすがに勝ち目がない。逆にそうでないのなら、まだ勝ち目はあるということだ。
「なになになァに? コソコソと作戦会議ですかァ!? ちょこまか動きやがって、三発同時に撃ち込むぞジャック!」
「YAッFUUUUUUUUU!!」
アーシャが左手を翳し、ジャックのランタンから業火が溢れる。先程までよりも威力の上がった炎が、計三発。それぞれ別方向から耀達を狙うが、耀も先程までより風の出力を上げ、風の壁ですべてを防いだ。
そしてその攻防で、耀は業火の正体を確信する。
「やっぱりあの炎、ジャックが出してるんじゃない。あの子がガスを出してるんだ」
僅かな空気の乱れや、独特な匂い。
それらから導き出した答えを、レティシアにだけ聞かせるように小さく呟いた。
今はまだ直接的にこちらを狙ってきているが、ガスを広範囲に充満させられたら逃げ場がなくなる。風でガスを散らすにしても、根ごと燃やされてしまえば厄介だ。燃えた根から出る煙に巻かれれば、息も続かなくなる。
その場合はアーシャも巻き込まれるだろうが、相手にはそれを防ぐギフトがある可能性もある。
「(挑発しておいて良かった)」
二度の挑発で、アーシャはひどく苛立っていた。
苛立ちは視野を狭める。特段期待していたわけではなかったが、それが功を奏したのかもしれない。
もう一度くらい、アーシャを軽く挑発しておこうか。そう思った耀がチラリと振り返ると────アーシャが諦めたようにため息をつく姿が目に映った。
「...はぁ、クソッタレ。ホントはアタシの力で勝ちたかったんだけど...ごめん、後は任せるね、
「────
え? と声でもない息が耀の口から漏れた。
それもそのはず。今まで陽気に、機械的に、決まったカタコトのようなものしか発してこなかったジャックの口から、流暢な言葉が出てきた────ことではない。
「ッ、避けろ主殿!」
レティシアが叫び、体当たりのような勢いで耀を抱えて横に跳ぶ。
一瞬前まで耀がいた場所を、先程までとは比較にならない火力の炎が音を立てて通り過ぎた。
「...嘘」
「嘘ではありませんよ、お嬢さん。失礼」
つい先程まで後方にいたジャックが、今は耀の前に立っていた。
カボチャ頭から激しい炎が溢れ、耀達に襲いかかる。レティシアが影の羽を広げて防御するが、勢いに負けて耀ごと数メートル飛ばされた。
「やはりそうか...!」
飛ばされながらも空中で体勢を整えたレティシアが、鋭い目をジャックに向ける。耀も一度倒れてしまったものの、すぐに立ち上がって構えた。
「さぁ、早く行きなさいアーシャ。御二人は私が足止めします」
「悪いね、ジャックさん」
立ち止まった耀達の頭上を、アーシャが飛び越えて去って行く。
ゴールを目指しているのだ、と耀も追いかけようとしたが、耀の目の前にジャックが霞のように現れ道を塞いだ。
「行かせません。貴女はここでゲームオーバーです」
ジャックのランタンと頭から業火を零す。
その業火はすぐに樹の根に燃え移り、瞬く間に耀達を囲う炎の壁となった。
火の粉から耀を守るように影を広げたレティシアがジャックを睨む。
「大人しくしているかと思ったが、七桁のゲームで本気を出すのか。随分と過保護な子守りじゃないか、幽鬼」
「ヤホホ、それは貴女も同じでしょう、吸血鬼の姫君」
ジャックの空虚な目の穴に、先程までとは違う炎が灯る。明確な意思と魂、そして威圧感。ふざけた笑い声は健在だが、立ち姿には一分の隙もない。
耀は思考が追いつかず二人のやり取りに入れなかった。レティシアがジャックを見据えながら呟く。
「アレは、あのアーシャという娘が作ったギフトじゃない。『生と死の境界に現れた大悪魔』───《ウィル・オ・ウィスプ》のリーダー、ウィラ=ザ=イグニファトゥスが製作した
不死。
ジャックが邪魔をしてアーシャに追いつけないのなら、二つ目の勝利条件である「ギフトの破壊」を行えば良い。そう考えていた耀の思惑が、たった二文字で掻き消える。
「(不死が相手だと...うん、さすがに壊せないかな)」
耀は不死殺しの“恩恵”を持っているわけではない。破壊がどの程度の度合いのものを指すのか分からないが、仮に「修復不能」という状態を破壊と呼ぶのであれば、今の耀に打つ手は残っていなかった。
「(ううん。不死ってだけじゃないな。これはちょっと、私じゃどうしようもないかも)」
ジャックの頭から盛り溢れる業火、そして押し潰されそうな威圧感。それは耀が箱庭で戦ったどの相手とも比にならない、とても強力なものだった。
これが“悪魔”か、と諦念にも似た思考に陥る。
今の耀が持つ最大の切り札、グリフォンの力も通じない。目の前の世界最古のカボチャのお化けに、勝てるビジョンが視えない。
「(箱庭で、もっと友達を増やしておくべきだったかな)」
グリフォンだけではなく、別の幻獣の力も使えたら。そんな無意味な思考に辿り着き────
「(...友達?)」
ふと、ローリーの言葉が蘇る。
友達は大切だ。耀自身、友達を作るために箱庭に来た。だが、今この瞬間、“友達”に拘る必要があるだろうか?
耀は一度目を閉じて、スゥと大きく息を吸った。炎に熱された空気が肺を満たす。そしてその空気を吐き出し、目を開いて、陽気に不敵に笑うジャックを強く見上げた。
「───レティシア、ジャックをお願い。私はアーシャに追いつく」
「了解した、主殿。私がただのメイドでないということを見せるとしよう」
影が蠢き、炎の壁に穴を作る。
耀は全力で空気を蹴り、最高速度でその穴を潜り抜けた。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
アーシャは一人、樹の根の迷路の中を走っていた。
耀ほどではないが、アーシャもガスを操る大地の精霊として、ある程度の空気の流れが分かる。確証こそないものの、きっとこっちだろうと当たりをつけてゴールを目指す。
「あ〜あ。このゲームが終わったら、きっとジャックさんから小言を言われるんだろうなぁ」
ジャックはアーシャの所有する“恩恵”でも、ましてやアーシャが作った悪魔でもない。
ジャックは《ウィル・オ・ウィスプ》のリーダーが手ずから作り上げた大悪魔であり、コミュニティの参謀役。コミュニティ内での力関係はアーシャの方が低い。
自分の晴れ舞台がこんな形で終わってしまうこともそうだが、何よりこの後に待っているであろうジャックの指導という名のお説教を考えて、少しだけ憂鬱になる。
「ま、とにかくさっさとゴールして、」
「やらせない」
轟ッと強風が吹き、アーシャの横を人影が通り抜けた。
一瞬呆気に取られたアーシャが「は?」と声を漏らすが、すぐに耀に追いつかれ、追い抜かれたのだと理解する。
「ちょっ、待っ、」
「待たない」
「はぁ!? おまっ、ジャックさんはどうしたんだよ!!」
全力で耀の後を追いながら、まさかジャックが負けたのかと考えるが、すぐにその判断を捨てる。
ジャックが耀に負けるはずがない。それはジャックの力をよく知っているアーシャが一番分かっていた。ならどうやってここまで、と考えたところで、耀の補佐として着いていた金髪の女がいないことに気がつく。
「チッ、仲間を置いて来たのかよ!」
「残念ながら、置いていかれてはいない」
「は、うわっ!?」
アーシャの足が、蛇のようにうねる影に捉えられる。たまらずアーシャが転びかけるが、その影はすぐに炎に燃やされてアーシャを解放した。
「ヤッホホ。ああ全く、元魔王が出てくるなど...とんだ誤算です」
「不死の大悪魔よりはマシだろう?」
アーシャのすぐ後ろからそんな会話が聞こえてくる。アーシャが振り返ると、身の丈ほどはある巨大な槍を持ったレティシアと、それからアーシャを守るように立つジャックの姿が視界に入った。
ジャックが放った炎を、レティシアが槍で掻き消す。そのままレティシアがジャックに突進するが、それは分厚い炎の壁に阻まれた。
その炎の壁は前を行く耀の前にも現れ、耀の足を止める。
「じゃ、ジャックさん!?」
「急ぎなさい、アーシャ。相手は純血の吸血鬼、あまり悠長にはしていられませんよ」
「はぁ!?」
言っている間にも、レティシアは炎の壁を迂回して来ている。
状況はほとんど分からなかったアーシャだが、戸惑っている暇はないとジャックに従い駆け出した。
レティシアがジャックに迫る。
槍がカボチャ頭を捉える直前、ジャックは炎でレティシアの視界から消え、炎を穿った槍の先には既にその姿がない。
「ちっ、厄介だなッ!」
レティシアが耀の方を見れば、そこには消えたジャックの姿があった。先程からこの瞬間移動のような能力で、レティシアはジャックを足止めしきれていない。まともに打ち合うこともできず、耀への妨害を許してしまっている。
影の翼を広げ、飛翔して耀の元に急ぐ。
耀が炎に呑まれる直前、影で耀を守り、槍を振るって炎を散らした。
その勢いのまま槍でジャックを突くが、ランタンで防がれ、炎で押し返される。
「マジかマジかよマジですかァ!? ジャックさんと正面からやり合うとか、オマエ本当に純血の吸血鬼かよ!」
その様子を見ていたアーシャが、走りながら叫んだ。
相手は《ノーネーム》、名も旗も失った力無き名無し。そう思っていたのに、まさか《箱庭の騎士》が出てくるだなんて聞いていない。
焦りが募り、油断が生まれた。その隙を、根の裏から忍び寄った耀が狙う。
「おわっとあっぶねぇ!!」
直前で耀の接近に気付いたアーシャが身を捻り、耀の攻撃を回避する。
耀としては攻撃が当たれば儲けもの、当たらずともそのままゴールに向かって走れば良いと考えており、その通りアーシャに見向きもせずに走り出す。
「ヤホホ〜♪」
しかし、陽気な笑いと共にジャックが現れ、またも耀の行く手を阻んだ。
レティシアも追いつき攻撃するが、こちらも先程と同様、炎に阻まれる。
「...すまないな、主殿。あれだけ息巻いて同伴しておいてこのザマとは」
申し訳なさそうに言ってくるレティシアに、耀は小さく首を横に振る。
「ううん。レティシアがいなかったら、多分私、とっくに諦めて降参してると思う」
「はは、それをしたらローリーに烈火の如く叱られそうだな」
「確かに」
軽口を叩き合いながら、二人は一瞬目と目を合わせる。
そしてレティシアが動いた。
影を操り、地面から突き上げるようにジャックを襲う。
そして同時に、耀はジャックと逆方向に駆け出した。
「ヤホホ、逃がしませんよ」
「それはこちらのセリフだ」
ジャックの意識が耀に移った瞬間を捉え、レティシアが接近する。影の翼を力強く羽ばたかせ、突風を起こした。
その突風でジャックを包む炎が掻き消える。直後にレティシアが槍で突くが、ジャックはランタンでそれを防いだ。
「やはり、貴方の瞬間移動には発動条件がある。炎を纏わなくてはならないのだろう?」
「おや、よくお分かりになられましたね」
「何度も見ていれば察しもつくさ」
察しがついたところで対処ができるわけではない。距離を取ってしまえば対応できず、またすぐに耀のところへ行かせてしまうだろう。
そう考えたレティシアが選んだ戦法は近接戦闘。ジャックに瞬間移動をさせる暇を与えない波状攻撃を繰り返すこと。
これ自体でジャックを倒すことは叶わない。不死である以前に、ジャックは強い。
だが、無理をして倒す必要もない。耀の邪魔をさせず、単純な迷路攻略の勝負になれば、耀はアーシャに負けはしない。
「もうしばらく私に付き合ってもらうぞ、幽鬼」
「ヤホホ、かの吸血姫のお相手ができるとは恐悦至極。しかして私も勝利は欲しい。全力であのお嬢さんを追わせていただきましょう!」
影と炎が衝突する。
激しい音を響かせて、レティシアは持てる力を遺憾無く奮った。