「.........箱庭の兎は随分速く跳ねられるのね。素直に感心するわ」
つい今しがた《世界の果て》を目指し跳んで行き、もうすでに米粒ほどまで小さくなった黒ウサギの背中を見て、飛鳥が呟く。
「ウサギ達は箱庭の創始者の眷属。様々なギフトの他に特殊な権限を持ち合わせた貴種です。彼女なら余程の幻獣に出くわさない限り大丈夫だと思いますが...」
飛鳥らよりもさらに幼い、齢十あるかどうかといった少年が答える。
彼はジン=ラッセル。黒ウサギが所属するコミュニティの長である。
黙って世界の果てにまで行ってしまった十六夜を追いかけ黒ウサギが去った後、黒ウサギに代わって残ったローリー達を案内する役目を請け負った少年だ。
「その《箱庭の創始者》ってのはどこのどいつなんだ?」
「え? 神々ですが...」
ローリーの問いに、ジンが困ったように答えた。そんなこと気にしたこともない、という顔だ。
その答えを聞いて、ローリーは小さく息を吐く。
「神っつっても、それこそ星の数ほどいるだろ。地球にも色んな神話体系、色んな創造神がいたけど、別に神共がみんな仲良く手を取り合って世界を作ったわけじゃない。世界が出来た後に
「
「そこまで込み入った話じゃなくて...いや、そうなのか? そうかも」
むぅ、と顎に手をやり一人考え込むローリーを見て、ジンは困惑しながらも自らの役目を果たそうと気を取り直す。
「ここで立ち話もなんですし、中に入りましょう。皆さんにこの《箱庭》をご案内します!」
そう言い、先行して門を潜る。
飛鳥と耀、最後尾に未だ考え込むローリーという並びでジンの後に続いた。
「ところでローリーくん。少し聞きたいのだけれど」
「ん?」
飛鳥に話しかけられ、耽っていた思考を一旦止める。
「オーストラリアって、どんな国なのかしら。コアラとかカンガルーがその辺にいたりするの?」
「...それ、今気になるか?」
これからオーストラリアなんかよりよっぽど未知に溢れた世界に足を踏み入れるのに?
そういう意味を込めて飛鳥を見るローリーだったが、彼の目に映ったのは少女の純粋な瞳。なんならその後ろにいる耀も、発言こそしないものの興味はあるのか、聞き耳を立てている。
「...んー、まぁ、そうだな。ルーはどこにでもいるよ。草原はもちろん、森とか、ビーチとか。コアラもルー程じゃねぇけど、探そうと思えばわりと簡単に見つかるな」
「やっぱり! 図鑑でなら見たことがあるけれど、コアラもカンガルーも一度この目で見てみたいわ」
「はい」
門の中はそれなりに距離があり、手持ち無沙汰なのだろうか。質問したそうに耀が挙手する。
「何?」
「野生のコアラって絶滅したんじゃないの?」
「......は?」
ローリーの間抜けた声が響いた。
キョトンと小首を傾げた耀が続ける。
「動物保護施設、いわゆる動物園にいるコアラが最後の生き残りだったはず」
「んな訳ねぇ...いやあるのか? あるかも」
ふむ、と一瞬考え込んだ様子のローリーが、耀と、そして「コアラって絶滅してるの? 残念だわ...」とちょっと落ち込んだ様子の飛鳥へ答えを返す。
「俺の時代はまだ野生のコアラがいた。春日部の時代にはもう絶滅していた。俺らのいた時代が違うんだろ。それか、そもそもとして生きていた《軸》が違う。そういうことなのかもな」
「《軸》が違う...?」
「ああ。いわゆるパラレルワールド的な感じで。時間軸も世界軸も違う、で多分合ってるよな、ジン?」
飛鳥と耀の頭上に疑問符が浮かんでいるのが見えたローリーは、先頭を歩いて会話に混ざるかどうか悩んでいたジンへと話を振る。
「あ、はい! えっと、ローリーさんの言う通り、皆さんはそれぞれ異なる時間軸から召喚されています。耀さんはローリーさんのいた時代より未来に生きていたのでしょう」
「あら、そうなの? 春日部さんは未来人だったのね」
「...うん。野生のコアラ、見たかった。それ以外にも、たくさんいたはず」
無表情でありながらどこか寂しそうに見える耀を、飛鳥は哀れむ。出会ってからまだ数時間程度ではあるものの、今まで出会ってきた人間とはどこか違う耀に友情にも似た感情を抱いているのだろう。
「ジンくん、でいいわよね? ここには、コアラはいないの?」
「いるにはいますが、珍しいですね。野生となるとさらに。神々に出会う方が簡単ですよ」
「へぇ」
ジンの返答に飛鳥は落胆し、逆にローリーは愉しそうに笑う。
「(まぁ、ローリーさんは外の人間だし。さっきの質問といい、神ってモノに興味があるのかな)」
そう解釈したジンは、神々が跋扈するこの《箱庭》をさぞ楽しんでくれるだろうと期待を寄せる。
そのためにもまずはこの世界についての解説役という大役をしっかりとこなさないと。改めてそう気合いを入れたところで、薄暗い門を抜けた。
「...驚いたわ。外から天幕の中に入ったはずなのに、随分と明るいのね」
外の大自然とは異なった、石やレンガを中心に組み立てられた建造物や整備された道。
自分達がいた元の世界とは随分と違う街並みに感嘆しながら、飛鳥が誰に向けたでもない感想をこぼす。
「箱庭の天幕は、中からは不可視になっているんですよ。そもそも、あの天幕は太陽の光を直接浴びることのできない種族のために用意されているものなんです」
「あら、箱庭には吸血鬼でも住んでいるの?」
「え? いますけど」
「...そう」
冗談のつもりで言ったことが常識だと返され、驚いたような呆れたような、微妙な声を漏らす。
そんな飛鳥とはまたも真逆に、ローリーは笑う。
「ヒャッハ! 吸血鬼までいるのか。いいなぁ、箱庭。しばらくは飽きなさそうだ」
ニタニタと笑うローリーに、ジンは頼もしさと同時に不安も覚える。
一つは、ローリーが《箱庭》に対して無知であること。知らないこと自体は問題ではなく、《箱庭》を甘くみていることが心配だった。
そしてもう一つは、その傲慢さ。無知であるが故の、そして元の世界では特別なギフトで敵無しだったから故の、全てを見下し値踏みするかのような発言の数々。
彼が人類である以上、その強さには限界がある。どうしようもない壁に当たった際、その自信が喪失してしまわないか。それも不安だった。
「見知らぬ世界に皆さんも不安なところ、疑問に思うところがたくさんあると思うので、街を案内する前に、《箱庭》について説明させていただければと思います。すぐそこに美味しいレストランがあるので、そちらで食事でもしながらお話させていただいても?」
それらの不安を隠すように、意識して声を明るくする。
三人とも特に反対する理由も無く、ジンの意見に了承の意を込めて頷いた。
暫く歩き、目的の店に到着した。
案内されたテラス席で、注文を待つ店員にそれぞれ好きな物を頼んでいく。
「私はこのBセットと、あと紅茶をいただこうかしら。春日部さんは?」
「...同じでいい。Bセットとお茶」
「お茶にも種類があるでしょう? 緑茶に麦茶、ほうじ茶に紅茶、ほかにも色々。ホットとアイスも選べるわよ?」
「......緑茶。アイスで」
そもすれば親子のような会話。短い間ではあるが、それぞれの性格がよく分かるなと、メニューに目を落としながらローリーはぼんやりと考える。
「俺は...そうだな。ステーキとトンカツ、スペアリブに...お、ラーメンとかもあんのか。じゃあこの魚介豚骨ラーメンと、餃子を十皿。あ、ライスも付けてくれ。大盛りで」
「...はい?」
つらつらと並べられた注文の数に、猫の獣人である店員が少し首を傾けて聞き返す。
「あー、すまん。早かったか? えっとな、ステーキと、トンカツ、スペアリブ」
「あ、いや、えっと、聞き逃したとかではなく...」
耳を若干しんなりさせて、困ったように再度聞き返す猫店員。それに対してこちらも困った、何か悪いことでもしたのかと小首を傾げるローリーに、呆れた、信じられないといった声音で飛鳥が口を挟む。
「貴方、その量を一人で食べる気?」
「そうだが? 腹が減ってるって言ったろ」
「それにしても限度というものがあるでしょう...」
「......フードファイター?」
「男の子はたくさん食べるんですぅ」
まぁ男の子って歳でもないけどな、と捨てるように呟いて、店員へと視線を戻した。
「全部残さず食べっから、さっきの全部頼むわ。あ、ドリンクはビールで。樽で三つな」
「か、かしこまりました...!」
「にゃおにゃにゃうにゃぁ」
「はーい!」
三毛猫の鳴き声にまで反応した店員を見て「一気に頼みすぎたかな。焦らせちゃったかも」と少しだけ反省するローリーは、慌てた様子の店員から視線を切り、メニューを閉じながら固まっているジンを見る。
「ジンはどうする?」
「え? あ、僕は、えと、僕もBセットで。緑茶をお願いします」
「はいはーい! Bセットが三つに、ステーキ、トンカツ、スペアリブ、魚介豚骨ラーメン、餃子が十皿に、ライス大盛り。それからねこまんま。お飲み物が...」
「...ねこまんま?」
そんなもの頼んでいないし、メニューにも無かったはず。そう思ったのは疑問を口にしたローリーだけでなく、飛鳥も同じだったらしい。
「店員さん? 彼はねこまんままで食べないと思うのだけれど。ほら、貴方が一度にたくさん注文して焦らせるから」
「そんなこと言われてもな」
多少の反省はしたが、全部食べるのだし別に改める必要もないと不満を顔にするローリー。
まぁどちらにしろ店員のミスだろうと注文の取り消しを行おうとしたところで、耀が驚いたように、そして若干目を輝かせて店員に聞いた。
「...三毛猫の言葉が分かるの?」
「そりゃあ分かりますよ〜。私は猫族ですので。それじゃあ、少々...あいや、だいぶ? いやいや、そこまでお待たせはしませんので〜」
そう言って戻っていく店員の背中を暫く眺めていた耀が、目を輝かせたまま膝上の三毛猫へ視線を落とす。
「...箱庭ってすごいね。私以外にも、三毛猫の言葉が分かる人がいたよ」
「にゃあにゃぅ」
それは、人と猫との明らかな言葉でのコミュニケーション。あらゆる動物愛好家が夢を見て、叶わぬものと諦めてきたもの。
興味深そうに耀を見るローリーの隣で、飛鳥が目を輝かせ、声を跳ねさせる。
「春日部さん! 貴女、動物と会話ができるの!?」
「うん。生きているなら誰とでも会話できる。水族館のペンギンもいけたから他の動物でも大丈夫」
飛鳥もまた、動物を愛する者なのだろう。
そういえばコアラやルーを見たがっていたな、とローリーは先程の会話を思い出す。
「全ての種族と会話ができるのであれば、とても心強いギフトですよ。幻獣との言葉の壁は大きいですから」
「なんだ。動物はともかくとして、幻獣とのコミュニケーションも難しいのか? さっきの猫人間や、黒ウサギだって幻獣の一種だろ」
意外そうにローリーが声を上げた。
「ええ。彼女らは神仏の眷属として言語中枢を与えられているので会話が可能ですが、他の幻獣達は独立した種族です。僕らと同じ言葉は介しません」
「そりゃ妙だ。いくら独立してようが、幻獣ってのはそこの三毛猫どころか人間よりも高次の存在だろ。ヒトの言語を理解できないとは思えねぇな」
「高次の存在だからこそ、ですね。こちらの言葉を理解はしていますし、その気になれば様々な方法で意思疎通を図ることも可能でしょう。ですが、彼らが格下の僕達に合わせる必要を感じていないのです」
「あー......」
納得した、と頷く。
それを、ジンは意外だと思った。
先程までの態度を見るに、ローリーは自信に溢れ、かつ自尊心が高い男という認識だった。悪く言えば傲慢であり、そんな男が「幻獣に見下されている」と言われても腹を立てずに大人しくしていることに多少の違和感を持つ。
それはまるで、経験に基づいたソレ。過去に多数の幻獣、或いはそれに準じた存在と出会ってきたのではないか。そんな予想がジンの頭を過ぎり───
「───おんやあ? 誰かと思えば、東区画で最弱の名無しコミュのリーダー、ジン=ラッセルくんじゃありませんか」
─────ニタニタと品の欠片も感じさせない笑みを浮かべた、タキシードの男に乱入された。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
「────以上がジン=ラッセルのコミュニティ、《ノーネーム》の実態ですよ」
そう結び、勝手に即席してきたタキシードの男───ガルド=ガスパーは口を閉じた。
彼が語ったのは、ジンの治めるコミュニティ《ノーネーム》の実態。随分と芝居がかった口調で述べられた、《ノーネーム》という存在が如何に哀れかという講釈。彼らがどのようにして夢に敗れ、地に落ち、泥に生きるかを声高々に流布する《箱庭》の底辺であるという現実だった。
こんな公共の場で恥でしかない話をされ、ジンは俯くしかない。否、恥だけならまだマシだ。
問題は、今同席している三人。異世界より召喚した、人類最高峰の恩恵保持者達。
ジンは意図的に、自分達の現状を彼らに話していなかった。ほぼ騙す形で自分達のコミュニティに加入させようとしていた。
褒められたことではない。場合によっては、彼らに幻滅され、責め立てられても文句は言えない。というより、そうなるのが必然だ。
恐る恐る、三人に視線を向ける。
一体どんな目で見られているのか。どんな感情を向けられているのか。せっかく見えてきた希望に影が差してしまうことに怯えながら見据えた先にいた三人は────
「なぁ久遠、そのB定食のハンバーグも美味そうだなぁ」
「やめてちょうだい。貴方の分はたくさんあるでしょう。私の食べ物まで狙わないで、意地汚いわね」
「三毛猫、おいしい?」
「にゃおぅにゃ」
ガルドの話の途中で配膳されたご飯に夢中だった。
大量に積まれた料理を前に、ナイフとフォークを綺麗に使い口へと運びながら飛鳥のハンバーグに目を光らせるローリー。
案外と上品な食べ方をするローリーを意外そうに見て、あんなにも食べていてまだ残っているにも関わらず自分のハンバーグを狙ってくる食い意地に呆れを示す飛鳥。
我関せず、ローリーに奪われないように手早く食事を済ませて三毛猫の相手をする耀。
これにはジンも、自信満々に話していたガルドも「信じられない」という目を向ける。
「...あ、あの、皆さん? 私の話を聞いていました...?」
「んぁ? んぉう、ふぃいふぇふぁほぉ」
怒りなのか、口元が小さく震えるガルドが、そんな三人に聞く。
ローリーがそれに反応しようとするも、口が塞がって上手く言葉が伝わらない。ため息を一つ吐き、代わりに飛鳥が返答する。
「飲み込んでから喋りなさい、全く。...ええと、それで、ガルドさん? 話はちゃんと聞いていたわ。ジンくん達のコミュニティの現状、貴方達がこの地域を支配しているということ」
「そ、そうですか。それは良かった」
「話は分かった。でも、なぜそんなにも丁寧に説明を?」
コホン、とわざとらしく咳払いをして、ガルドは再び口を開く。
「単刀直入に言いましょう。もしよろしければ黒ウサギ共々、我ら《フォレス・ガロ》に加入しませんか?」
「な、何を言い出すんですガルド=ガスパー!?」
流石に聞き流せないのか、今まで黙っていたジンがテーブルを叩いて講義する。しかし、ガルドの鋭い眼光にあてられて押し黙ってしまった。
「黙れ、黒ウサギの審判稼業で食い繋ぐだけの寄生虫が。何も知らない相手なら騙し通せると思ったか? そっちがその気なら、俺も箱庭の住人として仁義を通させてもらうぜ」
「おう。それはガルドの言うことが正しいぜ、ジン」
咀嚼していたものを飲み込んだローリーが、ガルドに同調して言う。
ジンも自分が間違っていると分かっているのか、何も言えない。ただただ悔しそうに、膝の上で裾を握りしめる。
「何かを隠してんのはなんとなく分かってた。まぁそこまで興味は無かったから何も言わなかったが、俺を騙そうとしてなのは間違いない。その点において、お前は俺の不信を買ってる」
くるくると回したフォークをビッとジンへ向ける。それに反応して、ジンの肩が震え、逆にガルドの口角は上がっていった。
「それでは───」
「その上で言おう、ガルド。お前のコミュニティなんぞ、全くもって
予想外のその答えに、ガルドだけでなくジンも硬直した。
それを尻目に、ローリーは食事を再開しようとする。ステーキにナイフを入れながら、「そういや」と飛鳥と耀を見た。
「お前らはどうすんの?」
「私も結構よ。ジン君のコミュニティで間に合っているもの」
「どっちでもいい。私は、この世界に友達を作りに来ただけだから」
「あら、それじゃあ私が友達一号に立候補してもいいかしら?」
「......うん。久遠さんは、私の知ってる女の子と違うから大丈夫かも」
「飛鳥でいいわよ。よろしくね、春日部さん」
「あら^~」
「気持ち悪い顔を向けないでくれる?」
「...いや別にいいんだけど、お前ちょっと不敬だぞ」
「あら、敬うところがあるの? 歳上ってだけで敬えというのなら、世の中そんなに甘くないって教えてあげるわ。というか貴方、何歳なの? お酒を飲んでいるけれど」
「321歳」
「...そう。まぁまともに答える気が無いのであれば────」
「あ、あの御三方、よろしいので?」
軽口を叩き合うローリー達を見て、ガルドの目に困惑を覗く。
「先程から申し上げてる通り、ジンのコミュニティは最底辺のノーネームで、」
「問題ないわ」
彼らの反応が信じられなかったのだろう。
再度《ノーネーム》の現状を短く提示し、再考するよう呼びかけるも、飛鳥から返ってきたのは明確な拒絶だった。
「私───久遠飛鳥は、裕福だった家も約束された将来も、全てを投げ打って箱庭に来たのよ。それを今更、小さな一地域を支配してるだけの組織の末端に加えてやる、と言われて喜ぶとでも思ったかしら? 相手を見てから交渉することね、似非紳士さん」
「ははっ、そりゃ無茶な話だろ久遠」
ステーキを食べきったローリーが、片手で樽を持ちビールを流し込んでから飛鳥とガルドを見て軽く笑う。
「あの手紙を出したのはジンや黒ウサギ、《ノーネーム》なんだろ? 俺らの出自どころか『何を願って箱庭に来たか』なんざガルドが知ってるとは思えねぇよ。ま、こいつが勧誘を急ぎすぎてるとこもあるけどな。ガルド、次やる時はもっと慎重に、上手くやれよ?」
言いながら、空いた平皿をどけてラーメンを目の前に移動させる。
「箸の使い方ってこれで合ってる? 合ってるか」
ふんふん、と割り箸を見つめた後、パキンと割ってラーメンに突っ込む。
少し苦労した様子でラーメンを啜るローリーに、ガルドは変わらず「信じられない」と絶句する。
しかし、自分の望んだ返答でないからといって「はいそうですか」と立ち去れるわけもなく。腰を少し上げ、より強く主張する姿勢を見せる。
「し、しかしですな───」
「いい加減に
ガチン! と不自然にガルドの口が閉じられた。本人はパニックに陥った様にもがくが、口を開ける事が出来ない様だ。
「...ローリー君の言う通り、こちらの現状を全て知っていた訳ではないのかもしれない。ただ私達が騙されているのを見かねて声をかけただけかもしれないという可能性。それを見落としていたことは謝るわ」
一度紅茶を口に含み、自身を落ち着かせるようにゆっくりと言葉を吐く。
「それでも、貴方のその不躾な態度は問題だと思うの。それに聞きたいこともあるわ。
ドカッ! と椅子が軋む程に勢いよく、それでいて姿勢正しく座った。
何が起こっているのか理解できないことが恐怖となり、逃げ出したいと抵抗しようとするも、体が動かない。
自身の体を襲う異常。ここ暫く感じていなかった野生としての危機感が、ガルドの中に強く渦巻く。
「......へぇ」
そんなガルドの様子を見て、ローリーは一度食事の手を止めてニヤニヤとガルド、飛鳥の両名を見る。
そんな不躾な視線が気に食わずフンと鼻を鳴らした飛鳥だが、すぐに意識をガルドへと戻した。
「貴方はギフトゲームで他のコミュニティを従わせていった、と自慢してたわよね? でも自分のコミュニティそのものを賭けるなんて真似、そう何度もあるものかしら? 主催者権限を持ってない貴方がどうしてそんな大博打をする相手を何人も見つけられたのか、
続く、飛鳥による
抗うことなど出来ず、脂汗を滲ませながらガルドは答える。
「...ほ、方法は様々だ。一番簡単なのは、相手のコミュニティから女子供を攫ってゲームを強要させる。それに応じないコミュニティは周りのコミュニティを使ってゲームに乗らざるを得ない状況に追い込む」
「小物らしい堅実な手段ね。それで、攫った人質はどうしたのかしら?」
「もう殺した」
ある程度想定はしていたが、聞きたくなかった言葉。飛鳥の顔が曇る。
ここまでくるといっそ開き直ったのか、ガルドは薄い笑みすら浮かべていた。
「初めてガキを連れて来た日に、泣き声がうるさくてイライラしたから殺した。次は自重しようとしたが、コミュニティに返せとうるさかったからやっぱり殺した。それ以降は捕まえたガキ共はその日の内に殺すことにした。死体が残らない様に部下に食わせ───」
「
ガチン! と再びガルドの口が閉じられる。
飛鳥の瞳には明確な怒りが、話を聞いていた耀やジン、そして周りの客やスタッフまでも、嫌悪を抱いた目をガルドに向けている。
唯一ローリーだけはなんともないように食事を再開していたが、そんなことに気を割く人間はここにはいない。
「素晴らしいわ。ここまで絵に描いた様な外道がいるなんて、流石は箱庭と言うべきかしら......ねえ、ジン君?」
「彼の様な悪党は早々いませんよ」
怒り、嫌悪。大きな負の感情を吐き出すように、ジンの声音は先程までより少し低いものとなっていた。
「あら、それは残念。それで、この外道を箱庭の法で裁く事は出来るのかしら?」
「難しいですね。コミュニティから人質を取ったり、身内となった人間を殺すのは違法ですが......彼が箱庭の外へ逃げ出してしまえば、それまでです」
「そう。なら仕方がないわ」
言葉通り、腹立たしいが仕方ないという雰囲気を纏ったまま、飛鳥が指を鳴らした。するとガルドへの命令が解かれたのか、全身が弛緩し────次の瞬間、ガルドの体が膨れ上がる。
「この、小娘がァァァァァァァァァッ!!」
咆哮と共に、ガルドの体に虎の柄が浮かび上がった。
椅子を蹴散らしテーブルを叩き割り、怒りのままに飛鳥へと飛びかかろうとし、
「喧嘩はダメ」
耀が動く。
飛鳥が反応しきれていなかったガルドの腕を掴み、そのまま回転するように組み伏せた。
あんな細腕のどこにそんな力があるのか。状況を理解できないガルドは、痛みに耐えながら為す術なく至近距離で地面を見つめる。
「おいおい、ガルドよぉ。キレんのはいいけど、メシを散らすな。こっちはまだ食ってんだ」
ガルドの耳に届く、この場この雰囲気に全くそぐわない、どこか気の抜ける声。
チラリとそちらを見れば、料理が乗った皿を器用に両手、頭、膝を使って持っているローリーが、呆れた目を向けていた。
......否。あれは呆れでも、ましてや怒りでもない。
ガルドはあの目を知っている。こちらをまるで見ていない、路傍の石ころ程にも思っていない、あの目を。
「さて、ガルドさん。ここで貴方を見逃しても、貴方には破滅以外の道は残されていないでしょう。でも私は貴方や貴方のコミュニティが瓦解する程度では手緩いと思うの」
こちらは隠そうともしない怒りをぶつけてくる、飛鳥の言葉。
そして、自分を組み伏せている耀からは、弱者を見る空虚な目が降ってきている。
「どうでもいいけど、もうちょい離れてやってくんねぇか。砂埃がメシにかかる」
シッシッ、と野良猫を追い払うよりもどうでもいいというローリーの目が、最後の鍵だった。
「...クソが...クソがクソがクソが!! いい気になるなよガキ共! いいかよく聞けッ!」
強者であるはずの自分が組み敷かれ、見下されているという現実。怒りが溢れ、気がおかしくなりそうだ。
身動き一つ取れないまま、溢れる怒気に任せて喉を開く。屈辱に塗れた己を守るように、最後のカードを反射で捻り出した。
「俺の上にいるのは魔王だ! 第六六六桁外門を守る魔王が俺の後見人だぞ!」
ガシャン! と陶器の割れる音が響く。
血走った目でガルドが音のした方を見ると、ローリーが持っていた皿を落とし、目を見開いてこちらを見ている姿が映った。
「──は、はは、はははははは!! そうだ、魔王だ! 俺に楯突くってことは、魔王に敵意ありだと告げること! 恐ろしいだろう!? 分かったら今すぐこの拘束を」
「黙れ」
脅しが通用したと思い、威勢よく笑っていたガルドの顔が固まる。
先程感じた危機感とは次元の違う、抵抗すら許されない圧力がガルドを襲う。
ゆっくりと、ローリーはガルドへと近付いた。
逃げなければ。野生としての本能がそう告げるが、耀による拘束で動くことができない。
心臓が大きく、そして速く鼓動する。言いようの無い恐怖に思考が乱れ、目が回る感覚に吐き気すら催した。
ガルドのそばまでやってきたローリーが、しゃがんでガルドを覗き込む。
「おい。今、なんつった」
「──────はえ?」
呂律が回らない。
先程までとは全く異なるローリーの気迫に、すぐ近くにいる耀や飛鳥、ジンも言葉が出なかった。
「お前のバックに魔王がいるって? そりゃあいい、わざわざ探す手間が省けたってもんだ」
ローリーの口が大きく歪む。
今までのようなニヤニヤとした笑みと似ているが、周囲に与える印象は全く違う。
狂気。その言葉が最も似合うだろう。
「気が変わった。お前のコミュニティ、興味が湧いたぜガルド。《フォレス・ガロ》を壊せば、お前を殺せば、その後見人っつー魔王は出張ってくんのか? ...ああ、答えなくていい。その先は自分で確かめる」
更にガルドへと顔を近付ける。
ガルドはもう動けない。耀の拘束が無くとも、狂気に捉えられた体が言うことを聞いてくれるとは思えなかった。
狂気から目を背けられず、ただ震え、じっと言葉を待つのみ。
嗚呼、知っている。やはりガルドは、この目を知っている。
これは、そう─────
「ゲームをしようか、《フォレス・ガロ》。お前らと俺、その命を賭けて」
─────《魔王》の目、そのものだ。