「お前ら、アンジェアっつー神を知ってるか?」
「アンジェア?」
聞き覚えのない神の名前を、ペストが繰り返した。
ラッテンが「あ」と何かを思い出す。
「確かアボリジニの方の神話にそんな女神がいたような...? いやでも、神霊? 精霊って話だったような」
ラッテンの回答に、ローリーの目が僅かに輝く。
「そいつはどこにいる」
「え? いや、知らないわよ。著名な神霊ならまだしも、
「チッ、つかえな」
「なんですって!?」
猛るラッテンを無視したローリーがヴェーザーを見ると、ヴェーザーは何も知らないと首を振った。
「まァ、あとはそのうち自分で調べるさ。二つ目の質問だ」
元々答えが出るなど期待していなかったローリーは、指を二本上げて次の質問に移る。
「ペスト。お前は十四世紀以降の黒死病...いや、当時の犠牲者たちの怨念が信仰を得た存在なんだろ?」
「違うわ。彼らの代表ってだけよ」
ペストが否定するが、ローリーは大した違いではないと流した。
「そォか。だったら当然、十六世紀以降の黒死病については把握してるはずだな?」
「知ってるわよ。それが何?」
刺々しい態度を気に入ったローリーがニヤリと笑うが、ペストはそれにさらに威嚇した。
「ならそんなお前に朗報だ。俺がいた世界、っつー箱庭から見たら小せぇ規模だが、その世界軸で、十六世紀後半、正確には一五九二年以降、黒死病は地球上から姿を消した」
「─────────は?」
ペストから、実に呆けた声が漏れた。
当然だ。理解できるはずがない。そんなことがありえるのか。では今この瞬間に存在している自分は何だと言うのか。
疑問に疑問が重なり、荒唐無稽なホラ話だと笑い飛ばすことすらできない。
「さらに正確には俺が終わらせた」
「馬鹿なの?」
思わず漏れた本音に、ローリーがハハと笑う。
「残念なことに、いや、幸運なことにか? とにかく事実だ。黒死病は人類にとって害悪すぎたからな。人類に対処を任せてたら、特効薬ができるまでに下手すりゃ億単位で人間が死ぬ。それはさすがに見過ごせねェ」
だから自分が対応したと、事もなげに言い放つローリーに、ペストは怒りも困惑も超え、いっそ恐怖すら覚える。
見過ごせないからなんだというのか。そんなもの、誰しもが思ったことだ。疫病とは、そんな思いだけで簡単に消えるようなものではない。それをペストはよく知っている。
「黒死病を解析して、黒死病に効く魔術を作り、世界中で発動した。さすがに骨が折れたけどな」
当時の苦労を思い出したのか、ローリーがやや疲れた顔をする。
「黒死病の解析のためにネズミや人間の死骸まで喰らって、黒死病を殺す魔術を作るのに二ヶ月。さらにその魔術で黒死病を地上から消し去るのに四ヶ月ちょいもかかっちまった」
死者を喰らったことも、黒死病を滅ぼしたことも、ローリーにとっては過ぎ去った苦労の一つにすぎないらしい。
ペストは口を開きかけ、何も言えずに閉じた。
黒死病を滅ぼしたなど、一体どれほどの功績か。天然痘とはわけが違う。もはや功績という言葉で片付けて良いのかも分からなかった。
しかも、それをただの苦労話で済ませてしまうような存在が箱庭に召喚されて、ただの人間であるわけがない。魔王を自称する不審者などと、そんな甘いものではなかったと再認識し、ペストが強く唇を噛み締める。
そんなペストの反応を見て、ローリーは求めていた答えを得た。満足し、続いて三本目の指を立てる。
「三つ目。これは本当は白夜叉封印のタネが俺の想像通りかを確認するつもりだったんだが、これはさっきのゲームで解消されたからなァ」
うーん、と悩む仕草を見せたあと、「まァいいか」と呟いた。
「三つ目は四日後のゲームの後だ。なに、こっちも大した質問じゃあない。身構えず待ってろよ」
お前らが生き残ってたらな、というローリーの挑発じみた発言は、ペストには届いていない。そんなことを処理しきれる余力など、とうにペストには無かった。
代わりに、ヴェーザーが前に出る。
「...まぁ、お前がイカれてるのは分かった」
「ヒャハハ。褒めるなよ。殴るぞ?」
「どんな感情表現だそれは。それはともかく、《
それくらいの権利はあるだろ? とヴェーザーが言う。
ローリーもそれを断る理由はない。淡々と語り始める。
「まず、お前は俺に特攻して死んだ。心臓を一突きだ。中々面白かったが、お前はその自己犠牲みてェな考え方をやめろ。仲間のためになりてェんなら、生き残って戦え」
ヴェーザーが苦い顔をする。
ある程度予想はついていたが、いざ聞くと思うところもあるのだろう。
「次にペスト。こいつは、」
「私のことはいいわ。それよりラッテンよ。単独で行動してたはずでしょう?」
ローリーの言葉を遮ったペストが、ラッテンに目を向ける。ローリーの偉業については考えることを辞めた、というよりもはや考えられなくなったようだ。
ペストもまた、自分とヴェーザーが動けない中でラッテンだけが「鐘の破壊」を行える存在として考えていた。だからこそ、それが成されなかった理由が気になった。
肩を竦めたローリーは、ペストの結末を省略してラッテンの話を始める。
「ラッテンは俺の分身体が止めた」
「分身体は私と戦っていたはずでしょう?」
「違うんですよ! こいつ、分身体を複数出せるんです! 大勢で袋叩きにしてきて!」
ラッテンが抗議するように言う。
ペストは訝しんだ。分身体が複数出せる、という点も考えものだが、それよりも。
「大勢で袋叩き?」
その行為が、あまり想像できない。わざわざ二手に分かれ、ペストやヴェーザーと一体一の勝負を楽しみたいと言いのけた男だ。
「そうですよ! 無表情な分身体が十人も! 何を言っても喋りもしないし、あ〜怖かった!」
光景を思い出したのか、ラッテンは両手で自身を抱きしめるようにして身震いする。
ペストも、無表情のローリーが何人も立っている様子を想像し、眉間に深いシワを寄せる。
「まァ瓶と山羊の鐘は壊されたが、魚の鐘がある時計塔には分身体を置いてた。それをラッテンは壊せず、三日目の《夜》が明けて俺の勝ちってことになったってワケだ」
ローリーは淡々と言うが、そもそも鐘を十一個も壊される予定ではなかった。その点では、ペストたちはローリーの想像を超えている。
「まさか謎を完璧に解かれるたァ思ってなかったんだが、一歩及ばなかったな。ま、結構楽しめたぜ。次も頑張れよ」
「次なんてないわよ。もう貴方と勝負なんてしてあげない。私たちのゲームで勝って、貴方を下僕にしてあげる」
苛立たしげにローリーから視線を外したペストは、その場に座り込む。疲労があるのだろう。治療こそローリーが施したが、ローリーの治療は傷を癒しただけで、体力までは戻っていない。
そんなペストを見て、ローリーは「ヒャハハ」と笑った。
「下克上って知ってるか?」
「...やっぱり貴方、ゲーム不参加にしておけば良かったわ」
「そもそも、ンなこたァ勝ってから言え。あんまナメてっとまた負けるぞ?」
ローリーがため息混じりに言う。
冗談には聞こえなかった。《サラマンドラ》と月の兎だけを警戒していたが、ローリーという異物がいた以上、《ノーネーム》そのものも警戒する必要がある。
「十六夜にレティシア、あとはまァ黒ウサギもか。この辺は言うまでもなく強い。サンドラとかいう赤毛のガキも、戦ってるとこは見てねェがそこそこやりそうだ」
「吸血鬼と北の
また負ける、と言われたことが悔しかったのか、ペストが張り合うように自分たちの情報を語る。どの道ローリーは次のゲームでは戦えないし、プレイヤー側との接触もできない。話しても問題はない、という判断だ。
ローリーはまたため息をついた。今度は先程のものより大きい。
「敗北から学べよ。何を根拠に大丈夫なんだ。ペスト、テメェは硬い。確かに生半可な攻撃は通じねェし、俺以外なら黒死の風は冗談抜きで即死級だ。けどな、ンなもん関係なく、勝つヤツは勝つンだよ」
不満げなペストに、ローリーは「そもそも」と続ける。
「お前らを倒せないからって、お前らに勝てないワケじゃあない。お前らのゲームは謎解きがメインだ。そんで多分だが、お前らの謎、もう解かれてるぞ」
「...そう。でも、謎が解かれたからと言って、負けるわけじゃないわ」
ローリーのゲームの謎を解き、その上で敗北したペストが、意趣返しのつもりで言う。それをローリーは鼻で笑った。
「ハッ、お前に俺と同じことができンのかよ」
「逆に聞くけれど、できないと思うの?」
「ああ、思うね。お前はアイツらをナメすぎだ」
ローリーがウィンドウを出す。そこには、残った《世界の核》、魚の鐘が映し出されていた。
突如、その魚の鐘がローリーの目の前に現れた。それを、ローリーは躊躇なく殴って壊す。
すると、空にヒビが入り始めた。ヒビは音を立てながら大きくなり、街にまで至る。
「ああ、そうだ。ヴェーザー。お前は十六夜と戦え。そのための呪力だ」
「あ? なんでそんなことお前に決められなきゃいけないんだ」
「敗者だろ? 黙って従え。十六夜の本気を引き出せるかは分からねェが、ま、頑張れよ」
睨むヴェーザーに、ローリーは面白そうに返した。
「十六夜は俺と同格だと思って、死に物狂いで奮闘しろ。ペストにラッテンもだ。簡単に負けてくれるなよ? じゃなきゃ、せっかく生かしておいてやった意味がねェからな」
それだけ言い残したところで、ヒビが全体に行き渡り、世界が完全に崩壊した。
ペストたちはどこか懐かしささえ覚える、大洞窟の展示会場に放り出される。ローリーは見当たらない。どこにいるのか興味はなく、探す気もなかった。
「...最後まで言ってくれるじゃない。いいわ、元より手加減なんてするつもりはなかったけれど...本気で、貴方のコミュニティを潰してあげる。誰が死んでも、文句なんて言わないわよね?」
緩やかな口調とは裏腹に、最後まで消えなかったローリーへの怒気が、静かに洞窟内に浸透した。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
《The PIED PIPER of HAMELIN》の中断から三日後。ローリーとペストたちがゲームをしている最中。
十六夜たちは大祭運営本陣営の一室に集まり、ゲームの作戦を練っていた。
《サラマンドラ》からは長であるサンドラと、その兄マンドラ。
そして《ノーネーム》からはジン、十六夜、耀、黒ウサギが出席している。
「お嬢様はまだ見つからないのか」
十六夜が呟く。誰に向けた言葉でも無かったが、黒ウサギがそれを拾った。
「YES。レティシアさんが鋭意捜索中ですが、進展はございません」
「でも、ローリーさんが助けに行くって言っていたんですよね?」
ジンが耀を向いて確認する。耀はコクリと頷いた。
「ですが、ローリーさんは飛鳥さん含め、我々プレイヤー側との接触を禁じられていますし...」
「ローリーはゲームが中断されてからすぐに動いてた。十六夜たちが交渉してる時に助けてても不思議じゃない。飛鳥が戻ってこないのも、何か理由があるのかも」
耀の考えを聞き、十六夜も頷く。
「俺から言い出しておいてなんだが、今はお嬢様の行方について話しても意味が無い。そこはレティシアに任せて、俺たちはゲームの話をしようぜ」
この三日、このような作戦会議は何度か開かれている。その度に有効な打開策は生まれず時間が過ぎてきたが、今日は違う。
「結論から言う。ゲームの謎が解けた」
十六夜が淡々と言うと、全員の目が見開いた。
特にサンドラとマンドラの驚愕は大きい。誰も正解に辿り着けていない中で《ノーネーム》の新参者がそんなことを言えば、驚くのも無理はない。
マンドラが机を叩く。
「すぐに聞かせろ!」
「ヤハハ、まぁ慌てんなよ。答えだけを知る謎なんて興醒めだろ? 順々に、道筋を立てて、一つずつ紐解いていこう」
マンドラは不満そうだが、口をつむいだ。腕を組み、話を聞く姿勢を取る。
十六夜が見回すと、全員異議はないといった様子で話の続きを待っていた。
「まずは『偽りの伝承を砕き、真実の伝承を掲げよ』の一文。これが指す『偽り』とはペストだ」
「どうして?」
耀が首を傾げる。
「ハーメルンの笛吹きは、一二八四年六月二十六日という限られた時間内で一三〇人の犠牲が出なければならない。
黒死病の潜伏から発症までの期間は二〜五日。一斉に同じ症状が発見され、限られた地域に住む一三〇人が一斉に死ななければ、ハーメルンの笛吹きの伝承は成立しない。
「では、黒死病...《黒死斑の魔王》を砕く、つまり彼女を倒せばクリアということでございますか?」
「それも考えた。が、そうじゃない。これは偽りを砕き、真実を掲げるゲーム。つまり、それができる物じゃなきゃならない」
「...まさか、ステンドグラス!」
ジンが閃き、十六夜が笑って応える。
ステンドグラスは祭典区画内に、ハーメルンの碑文とともにいくつも飾られている。
《火龍生誕祭》において、白夜叉が敷いたルール。
『一、主催者権限を持つ者は、参加者となる際に身分を明かさねばならない。
二、参加者は主催者権限を使用することができない。
三、参加者でない者は祭典区域に侵入できない』
これらをペストがどう掻い潜り、魔王として主催者権限を使用しゲームを開催できたのか。その部分が謎だったが、これで納得がいくとジンが思考を巡らせる。
「参加者でも主催者でもない別枠...《ウィル・オ・ウィスプ》のジャック・オー・ランタンのような、美術工芸の出展物...! では彼らは、彼らを召喚した
「ああ、恐らくな」
ほぅ、と耀が感心した。
ジンの幼いながらの《プレイヤー》としての動きもそうだが、何よりも十六夜だ。
同じ異世界組、同じような年頃。にも関わらず、十六夜は自分の何歩も先を行っている。
「(...どんな頭の仕組みをしているんだろう)」
そんなことを考えていると、十六夜がさらに続けた。
「だが、恐らく『偽りの伝承』はペストだけじゃない」
「...というと?」
サンドラが少し悔しそうな顔をしながら問う。
彼女は
「『偽りの伝承』は、
「何故? ネズミも嵐も、今の話であれば候補からは外せない」
サンドラの疑問を受け、十六夜はジンの背中を叩く。この問いは
「...本来の伝承と碑文にはこのように記されています。
『一二八四年、ヨハネとパウロの日。六月二六日。
あらゆる色で着飾った笛吹き男に一三〇人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され、丘の近くの処刑場で姿を消した』
この碑文には、ネズミを操る道化師は出てきません。ネズミと、ネズミを操る道化師が伝承に現れるのは、一五〇〇年代から。つまり、時代が合わないんです」
「加えて言えば、黒死病の最盛期も一五〇〇年代。伝染元のネズミが現れたから黒死病という説も現れた。ネズミと黒死病は後付けの、偽りの伝承だ」
「では、嵐は? こちらは年代など関係ないはずだ」
サンドラが続けて聞くが、ジンが少し黙る。そこまでの推理はできていないのだと察した十六夜が代わりに答えた。
「
サンドラが黙る。これ以上、十六夜の唱える推理を否定する材料はない。これが不正解であれば、もはや自分たちにクリアの道はないだろうと思った。
もちろん、だからと言って考えることを辞める気はない。もしかしたら、何か天才的な発想や、全員が見落としている穴が見つかるかもしれない。それを考慮しつつ、十六夜の推理を正解としてゲーム当日の作戦を組むべきだと判断する。
「...分かった。謎解き感謝する。それではそれを踏まえ、当日の動きだが、我々主力は相手を武力で抑える。倒してしまっても構わないし、倒せずとも、第二のクリア条件を満たすべく、主力以外は偽りの伝承が描かれたステンドグラスを砕き、真実の伝承が描かれたステンドグラスを回収する」
「はい、それが最も合理的な動きだと思います」
ジンが賛同する。他のメンバーも異議は唱えず、サンドラが頷く。
「それではジン、当日のステンドグラス担当の指揮者を貴方に任せたい」
「はい。...はいっ!?」
ジンが困惑する。他のメンバーは異議を唱えず、ジンは余計に狼狽えた。
「い、いや、サンドラ、それは...」
つい昔のように呼び捨てで呼んでしまい、マンドラに睨まれたことで背筋を伸ばす。逆にサンドラは、少し朗らかに笑っていた。
「私や《ノーネーム》の主力は魔王を相手取り、指示を出す余裕はなくなるはず。司令塔は必須だ」
「で、ですが、それは僕でなくても良いのでは...? マンドラ様だっているんだし...」
ビクビクとマンドラを見るが、予想外にそこまで怒っているようには見えない。
「私はハーメルンの笛吹きについてはあまり知らん。業腹だが、貴様が知識を有していることは、交渉の場に貴様が出た時点で全員の知るところだ。貴様の言葉であれば信じる、という者もいるだろう」
「で、ですが...」
「ええぃ喧しい! 勝つために貴様を使ってやると言っているのだ! 安心しろ、貴様に全ての指揮を執れとは言わん。この私が補佐をしてやる」
マンドラは、偽りなく心の底から《ノーネーム》を見下していた。箱庭に住む者であれば大半がそういう態度を取る。
だが、現時点でゲーム攻略に最も貢献し、そして必要な知識を有しているのがその《ノーネーム》ということも事実。それを無視し、私情で《ノーネーム》を排斥するほど、マンドラは傲慢ではない。
使えるものは使う。それが《ノーネーム》であろうと、勝てるのであれば躊躇はしない。
そんなマンドラの態度を見て、十六夜は「へぇ」と感心した。
「御チビ、ここで断るなんて道はないぜ? 俺たちは『打倒魔王』を掲げるコミュニティで、お前はその旗頭だ。こんなとこで尻込みしてるようじゃ、この先も魔王となんざ戦えねぇ」
ジンは少し俯き、その後、力強く顔を上げる。
「...分かりました。持てる力の限りを尽くし、ゲームクリアに貢献させて頂きます」
ジンの宣言に、黒ウサギはパァっと目を輝かせる。サンドラもまた嬉しそうに顔を綻ばせた。
ゲーム当日の作戦を立て、内容を詰め、さらに話し合い。
そして、ゲーム中断から七日目。ついに、魔王とのゲームが再開される。