地平線の向こうに、太陽がゆっくりと沈んでいく。
境界壁の上で横になっていたローリーがパチリと目を開き、ゆっくりと立ち上がった。
そのまま欠伸とともに数歩歩き、眼下の街を見下ろす。
未だ世界を照らす太陽の光は、しかし巨大な境界壁に阻まれ、街中はすでに薄暗い。
だが、その程度の闇、カンピオーネの眼を持ってすれば昼間も同然だ。街の中を見てみれば、人々が忙しなく動いている様が見て取れた。
人々以外にも、魔王とその臣下、そして複数体の白い巨兵の姿もある。
昼と夜の狭間で、街は静かに動き始めている。
「さァ、この俺を仲間外れにしてまで組んだゲームだ。それなりに面白ェ展開を見せてくれよ?」
ニタニタと意地の悪い笑みを浮かべたローリーが呟いた、次の瞬間。
街が大きく脈打った。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
舞台区画。大祭運営本陣営の大広間。
太陽は壁の向こうに消え、天よりも街灯の方が強い光を放つ舞台区画の歩廊には、人一人いなかった。一週間前の祭りの喧騒が嘘のように静まり返っている。
陰る宮殿の大広間に集まった、五〇〇程の人員。
既に屈服を強制させられた者や病魔に冒され床に伏す者を除いた、《The PIED PIPER of HAMELIN》への参加者だ。
五〇〇と言われればそれなりの数に聞こえるが、これでも全体の一割未満。相当の数の人員が削られている。
ザワつく衆人の前に現れたサンドラは、不安を掻き消すような、凛然とした声を投げかける。
「先日伝えたゲームの行動方針について、再度確認します。動ける参加者には皆、それぞれ重要な役割を果たして頂くことになります。ご清聴ください。...マンドラ兄様。お願いします」
サンドラの傍に控えていたマンドラが軍服を正し、ジンたち《ノーネーム》とともに練った行動方針を読み上げた。
「其の一。三体の悪魔は《サラマンドラ》と、ジン=ラッセル率いる《ノーネーム》が戦う。
其の二。その他の者は、各所に配置された一三〇枚のステンドグラスの捜索を行う。
其の三。ステンドグラスを発見した者は、指揮者であるジン=ラッセルに指示を仰ぎ、ルールに従って破壊、または保護する」
「ありがとうございます。間もなく、魔王とのラストゲームが始まります。気を引き締めて戦いに臨んでください」
おお!!! と雄叫びが上がる。
以前にこの方針を伝えた際には、「《ノーネーム》が主軸に入る」ということに多少なりとも反発が起きた。だが、《ノーネーム》が
集まった約五〇〇名の中には、病魔に蝕まれている者もいる。
本当であれば布団に入って安静にすべきだが、無理を通せば動けないことはない、という比較的軽度な発症。ならば、こんな時に寝かせてくださいなどと言っている場合ではない。
魔王のゲームに勝つため、参加者たちはサンドラの言葉通り、気を引き締める。
大地が大きく揺れ、街ごと光に包まれたのは、その直後だった。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
一方、ペストたちは闇に覆われていく街を静かに見下ろしていた。
三人の他には、大量のネズミと、ラッテンが停戦前に屈服させた《サラマンドラ》の火蜥蜴たち、そして
「マスターマスター。やっぱり奴ら、私たちの謎を解いたみたいですよ?」
配下のネズミから上がってきた報告を纏め、ラッテンが告げる。
ラッテンにも、そして報告を受けたペストにも驚きはない。ローリーの忠告通りに進んだ、というだけだ。この四日、謎は解かれている前提で準備を進めてきた。
「あの連中は、私たちがバラバラに行動するって思ってるみたいですね。北の階層支配者と《月の兎》がマスターの相手を、十六夜って子と吸血鬼、それから耀っていう女の子が私とヴェーザーの相手をするみたいです」
「そう。想定通りね」
あちらの主戦力は把握している。
とはいえ、その本当の実力は未知数。十六夜という少年の情報はほとんど集まっていないが、ヴェーザーの見立てでは、今のヴェーザーよりも強いかもしれないという。
「あの小僧は俺が死んでも止めてやる」
「ちょっと、やめてよねヴェーザー。あんた、一回本当に死んでるんだから」
ヴェーザーの言葉に、ラッテンが嫌そうな顔を向けた。「ジョークだろ」とヴェーザーが返すが、ブラックジョークが過ぎるとラッテンは不機嫌になる。
二人の戯れをよそに、ペストが静かに口を開いた。
「方針は伝えた通りよ。防衛は捨てる。二十四時間の時間制限は無いと思いなさい。徹底的に攻めに入るわ」
ラッテンとヴェーザーが頷く。
本来は、三人が別行動を取り、各自参加者側の妨害をする予定だった。だが、戦力を分散しては、誰かが死ぬ可能性がある。ローリーという強敵に敗北したペストたちは考えを改めた。
有象無象の手駒を手に入れるために、忠臣を失う。そんな愚行は犯せない。
「私たちが本気で戦って、それでゲーム終了まで生き残る強者だけを配下にすればいい。仮に誰も生き残らなかったとしても、白夜叉とローリー・コリンズが手に入る。それで十分にお釣りが来るわ」
その後、また別の場所でギフトゲームを仕掛けて、白夜叉やローリーを使って、そこで手駒を集めればいい。
最強の星霊・白夜叉と、権能を複数所持する魔王・ローリー。
他の参加者、特に《月の兎》も欲しいが、欲を掻いて負けてしまっては元も子もない。
「最警戒は《月の兎》だな。あいつだけはマスターに任せるしかない」
「《月の兎》って、やっぱり強いの?」
「ああ。強い」
ラッテンが首を傾げるが、ヴェーザーが即答する。
ペストも、黒ウサギについては話を聞いたことがあるだけで、実際の実力は知らない。
そもそも《審判権限》を持っている黒ウサギがゲームに参加することは稀だ。
「あの個体じゃないが、昔、一度だけ《月の兎》が戦っているのを見たことがある。あれは並の神仏じゃ歯が立たん。正真正銘、最強種の眷属だ」
「そんなに? じゃあ、ローリーとはどっちが強い?」
ラッテンが興味本位で聞く。
ペストもそれは気になるのだろう。黙って耳を傾けた。
「さぁな。《月の兎》は戦いを見たことがあるってだけで、実際に俺が戦ったわけじゃない」
「主観でいいのよ、主観で」
「そうだな...サシの勝負なら、多分ローリーだ」
ラッテンが「ふぅん」と呟いた。ラッテン自身、あの魔王が負ける姿など想像できていない。納得の評価だった。
ただ、ヴェーザーの評価は、あくまでヴェーザーの主観で成り立っている。実際にローリーと戦い、そして殺されたヴェーザーだ。ローリーの存在を必要以上に大きく見ている部分も多少はあるだろう。
「乱戦になったら、私が《月の兎》を連れて離脱するわ。その間、貴方たちには随分と危険な目に遭うわけだけれど」
ペストがヴェーザーとラッテンを見る。
二人は笑った。主の盾になるため...ではない。どうとでもしてみせると、自信を孕んだ瞳をペストに向ける。
「任せろマスター。この命に変えても、」
「だ〜か〜ら〜! それをやめてって言ってるのよ! 何、そのブラックジョーク気に入ったの?」
「いいや。ただまぁ、そのくらいの覚悟はあるってことを伝えようと思ってな。俺たちは最後まで、マスターに忠を尽くす」
お巫山戯を挟みこそしたが、ヴェーザーは本気だ。グリムグリモワールを担ぐ最後の魔王として、ヴェーザーはペストに心からの忠義を捧げている。ラッテンも同じだ。
それは、先のローリーとのゲームで、ペスト自身痛いほど理解していた。
成り行きで組むこととなった、などとはもう思わない。二人は真に自分の忠臣なのだと、心に刻んでいる。
「...死ぬことは許さない。作戦を伝えた時も言ったけれど、あなたたちを失うくらいなら、ほかの手駒はいらないわ」
「キャ〜〜!! ねぇ聞いたヴェーザー!? んもう、マスターは本当に素敵っ♪」
ラッテンが叫びながらペストに抱きつこうとし、ペストがそれをひらりと避ける。ラッテンの瞳に涙が滲むが、笑顔はそのままだった。
太陽が完全に沈む。
点在する
忌々しげに例の魔王の顔を思い浮かべた三人が、ゆっくりと参加者たちがいる方角を見据える。
「ゲームを再開するわ」
ペストの短い宣言に、ヴェーザーとラッテンが応と答える。
まず動いたのはペストだ。両手を掲げ、街中に配置していたハーメルンの魔書を起動させる。
その直後、ヴェーザーが一人地上へと降り立ち、大笛を強く地面に叩きつけた。
激しい地鳴りが起き、光が街を呑み込んでいく。
視界が晴れた時、元の煉瓦造りの街並みはすでに無くなっていた。
天を衝くほど巨大な境界壁は跡形も無く消え、美しかった煉瓦造りの街並みは、木造の街並みへと変化している。
「さぁ、勝ちに行くわよ」
ペストが飛び出し、ラッテンとヴェーザー、シュトロムたちが後に続く。
ペストたちが通った後には、歩廊を埋め尽くさんばかりのネズミたちが蠢いていた。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
「チッ、どうなってやがる」
十六夜が舌打ちを漏らす。
突然の街の変化に戸惑って、ではない。そちらも驚きはしたが、ヴェーザーという地精寄りの悪魔の仕業だろうと推測はできていた。
予想外だったのは、ペストたちの動きだ。
近場で最も高い風車の上に乗り、街の中をぐるっと見回した十六夜が見たのは、固まってこちらに向かってきているペストたちの姿だった。
「十六夜の読みでは、ペストたちは散らばって時間稼ぎするだろう、って話だったよね?」
鷲獅子の恩恵で十六夜の隣に飛んできた耀が、猛禽類の視力でペストたちを発見する。
耀は十六夜を批難しているわけではない。耀自身、時間制限があるこのゲームでは、ペストたちは個別に動いて妨害に徹するだろうと踏んでいた。
「連中、守りじゃなく攻めに来やがった。時間制限もあるのにだ。可能な限りこちらを殺さずに勝つつもりだと思ってたんだがな」
交渉の場でのペストは、十六夜の目から見れば随分とおざなりだった。力はともかく、戦略家としては未熟、というのが十六夜の率直な感想だ。
今のペストたちの行為も、凡そ合理的とは思えない。考えられるとすれば、単に何も考えていないだけか、あるいは、
「手駒集めは諦めたのかな?」
耀と同じ答えに至り、十六夜は考える。
プレイヤー側の屈服を諦めた、もしくは最小限で良いと考えた。その説が最も濃厚だ。
単純にプレイヤー側を鏖殺するだけなら、ペストたちは散らばる必要などない。極論、ほとんどのプレイヤーはペストの黒風一つで黒死病を発症し、死に絶える。
ラッテンやヴェーザー、シュトロムがプレイヤー側の主力を抑え、ペストが黒い死の風を撒き散らす。殺し合いであれば、それが最も効果的で、勝率も高い。
「...まぁ、それならそれで別に構わないがな」
敵が纏まって来るというのなら、こちらも主力を集めて迎え撃つ。多少想定とは違うが、やるべきことは変わらない。
問題は、乱戦になった時に上手くチームワークが取れるかだ。圧倒的な実力ゆえに、十六夜は他人と共に戦うという経験があまりにも少なかった。耀とは方向性が異なるものの、仲間を頼るという行為には慣れていない。
「春日部。お前は予定通り、レティシアと一緒にラッテンを狙え。耳栓は持ったな?」
「うん。...大丈夫、安心して。あんまり、十六夜の方には行かないようにするから」
十六夜が最も危惧していたのは、自身の戦いに他人を巻き込むこと。十六夜の戦いにおいて、他者の存在は基本的に邪魔にしかならない。強者との戦いであれば尚のこと。
耀は少し顔を曇らせはしたものの、十六夜は単独で動いた方が良いと判断し、そう返答した。
「ヤバそうならすぐに呼べ。そっちに向かう」
「分かった。私が操られたら気絶させていいから」
「ヤハハ! 任せろ、一発で沈めてやる」
「むっ」
不満の表情を浮かべる耀に、十六夜はさらに笑って返す。
そこに、黒ウサギが跳んできた。後ろを見れば、サンドラとレティシアもいる。こちらの主力だ。
「十六夜さん!」
「ああ、分かってる。連中の行動には面食らったが、予定通りに動くぞ。黒ウサギ、ペストはお前に任せていいんだな?」
十六夜の問いに、黒ウサギは頷いた。
ペストは黒ウサギ、そしてサンドラが相手をする。それは事前に決めていたことで、黒ウサギからの強い要望があったからだった。
十六夜、飛鳥、耀。そしてローリー。異世界よりやってきた四人の輝きは、黒ウサギの目が眩むほどだった。
ローリーに対しては思うところも少なくはないが、それでも、現時点では確実に《ノーネーム》の力となっている。
だが、彼らを招いた者の責任として、黒ウサギが目を眩ませてしまうことは許されることではなかった。
特に飛鳥と耀は、魔王のゲームでは力不足。その点を白夜叉にも忠告されていたにも関わらず、彼女らの放つ煌めきに目を輝かせるばかりで、今の今まで特に対策を講じてこなかった。その結果が、飛鳥の誘拐だ。
「(...ローリーさんの方が、むしろ...)」
ローリーを警戒し続けてきた黒ウサギが、これまでの彼の行動を思い出す。
ローリーだけは、飛鳥や耀に力を付けさせようと動き続けていた。二人だけではない。ジンにも、他の子供たちにも、もしかしたら黒ウサギ自身にも、そういった試練を与え続けてきたのだろう。
やり方は決して褒められたものではない。「死んだらそこまで」という言葉も、きっと嘘ではないのだろう。厳しい、という領域を超えた狂気の教育。
それでも、ローリーの行動自体は間違ったものではなかったのかもしれない。
非礼を詫びる、というわけでもないが。
魔王の相手を譲ってくれた十六夜と耀に、攫われてしまった飛鳥に、そしてどこかで見ているであろうローリーに。黒ウサギは自らの矜持を胸に、もう一度、力強く宣言して見せる。
「YES。黒ウサギが愛玩動物ではないのだと証明してみせます。帝釈天様から月へと導かれた《月の兎》の力を、どうぞ特等席から御覧ください♪」
頷いた十六夜たちは、一斉に飛び出す。
ここでペストたちを迎え撃っては、下にいる他の参加者たちが巻き添えに遭いかねない。
見慣れない街を、五人は屋根伝いに駆け抜けた。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
最初にペストたちの元へ辿り着いたのは、第三宇宙速度で跳んできた十六夜だった。
勢いを殺さず、ペストの右隣に浮かぶヴェーザーへ拳を叩き込む。
それを大笛で受けたヴェーザーが歯を剥いて笑った。
「来やがったな、小僧!」
「ヤハハ! 随分と俺好みの変化をしたじゃねぇか、ヴェーザー! それになんだその洒落た義手は! どこぞの魔王にでも貰ったか!?」
十六夜が回し蹴りを放つ。ヴェーザーはそれも大笛で受け止めたが、僅かに体勢を崩した。
その隙を狙い、十六夜の拳がヴェーザーの腹を捉える。
「ゔッ...」
込み上げる嘔吐感を気合いで押し込み、ヴェーザーは大笛を振り下ろした。
十六夜がそれを避け、少し後ろに下がる。入れ替わるように黒ウサギが到着し、紫電を纏った金剛杵をペストに向けた。穂先から奔った稲妻がペストを襲うが、ペストは表情を崩さず、黒い風を稲妻にぶつけた。一瞬の拮抗の後、稲妻が花火のように散って消える。
黒ウサギの後ろからサンドラも現れ、炎を放つ。
「...学ばない相手というのは、こんなにも退屈なのね」
迫り来る炎を前に、自分に言い聞かせるように呟いた。
ペストは棒立ちのまま、風を球体のようにして自身の周りに展開する。猛る炎は呆気なくその風に防がれた。
球体の風が徐々に大きくなり、一つの竜巻となって黒ウサギとサンドラを襲う。それを十六夜が拳で粉砕し、
「余所見してんなよ小僧!!」
十六夜の背後からヴェーザーが横薙ぎに大笛を振った。防御は間に合わず、十六夜の腕から骨の軋むような鈍い音が鳴り、そのままゴシック調の民家に墜落する。
「十六夜さん!」
黒ウサギが思わず十六夜へ視線を向けた瞬間、目の前に再び黒い竜巻が発生した。次は二つ。一つは黒ウサギの方へ、もう一つは十六夜が落下した民家へ、地面を巻き上げながら迫った。
黒ウサギは金剛杵から轟雷を放ち、その余波に乗って竜巻から距離を取る。
だが、もう一つの竜巻は十六夜の落ちた民家を呑み込んだ。木造の民家が音を立てて崩壊する。
「───ハッ、しゃらくせぇ!!!」
竜巻が、巻き込んだ民家ごと吹き飛んだ。その中心で、十六夜が楽しげに笑っている。
ペストの眉が僅かに動く。あの表情は見覚えがあった。
「...気に食わないわね」
ローリーと同じ、俺を楽しませろと言わんばかりの、挑発的な笑み。
空から見ていたペストから、思わず舌打ちが漏れる。その隣にヴェーザーが飛んできた。
「不味いぜマスター。ラッテンのやつが引き剥がされた」
見れば、確かにラッテンが近くにいない。
目だけを動かし周囲を見渡せば、少し離れた場所で、ラッテンが紅い巨人と戦っている姿が見える。
「...ちょうどいいわ。ヴェーザー、貴方はあの金髪の子を連れて、ラッテンのところに向かいなさい。兎と小竜は私が受け持つわ」
「了解だ。死ぬなよ、マスター」
そう言い残し、ヴェーザーが十六夜の元へ急降下した。大笛を振るい、地面を隆起させ、少しずつではあるが着実にラッテンの方へと向かう。その様子を見てから、ペストは黒ウサギとサンドラに視線を戻す。
「ヴェーザーに攻撃する隙があるのに、見逃して良かったの?」
「ええ。黒ウサギは十六夜さんたちを信じていますし、任されていますので」
ペストの問いに、黒ウサギは朗らかに笑ってみせた。自信ではなく、信頼。その言葉に、ペストの口元がフッと緩む。
「そう。だったらそんな信頼、纏めて吹き飛ばしてあげる」
「まあ。黒ウサギたちはそこまで軽い女ではございませんヨ?」
暴風と轟雷が鳴り響く。
サンドラだけが話に乗れず、少しだけ困ったような、悲しいような、そんな顔をしていた。
✿ ❀ ✿ ❀ ✿
時は少しだけ遡り、ペストに黒ウサギが迫っていた頃。
「(ローリーとのゲームじゃ役に立てなかったし、隙あらば〜、なんて思ってたんだけど...)」
黒ウサギの持つ武具、《
アレに手を出すべきではない。相手にもならない、とまでは言わないが、ペストの邪魔になってしまうことは想像できる。
「(それじゃっ、私は予定通り...)」
黒ウサギから視線を外し、スっと身体を捻る。
「チッ」
少し前までラッテンの頭があった場所を、一筋の影とレティシアの舌打ちが通り抜ける。
ラッテンの表情が異様に輝いた。
「────────」
「な、なんだ...?」
恍惚、という言葉がよく似合うだらしのないラッテンの表情に、レティシアが一瞬たじろぐ。
「─────────.........いい」
「は?」
ゆらりと、熱に浮かされたように、ラッテンはレティシアを見つめた。聞き取れないほどの呟きは、徐々にその熱を上げていく。
「かっっっっわい〜〜〜〜〜!!! 本物! 本物の、純血の吸血鬼! うわぁ...超美少女じゃない! 何その煌めきまくってるスーパープラチナブロンド! 嗚呼、ダメよ、ダメダメ。興奮してきたかも...♡」
怒涛だった。目が蕩けていた。不審者だった。
背筋に寒いものを覚えたレティシアが、ギフトカードから槍を取り出し、ラッテンへ向けて投擲する。
ラッテンは高揚のままにステップを踏み、ひらりとその槍を避け、再度レティシアに熱い眼差しを送る。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花! ああ、すっごく良いわぁ...! ...ほんとに殺さないとダメ? ダメよねぇ。あーあ、もったいないっ。ほんと〜〜〜にもったいなぁい」
身体をくねらせ、苦悩に顔を崩し、そしてラッテンは魔笛を取り出した。口元に運び、笛を奏でる。
およそ戦場には相応しくないであろう、低音の豊かな響き。聴く者の足を止める笛声は、レティシアでもわずかに動きが止まってしまうほどだ。
レティシアが思わず耳を塞ぐ。ラッテンが引き連れていた火蜥蜴の群れがレティシアを囲おうとしたところで、
「いったァ!?」
突如背後から襲った衝撃に、笛が口から離れた。
火蜥蜴たちの動きが止まり、レティシアが影を鞭のように操って火蜥蜴たちを薙ぎ払う。
そのまま影の鞭はラッテンに向かうが、それを辛うじて避け、ラッテンは背後を振り返った。
「一体────ちょっ!?」
誰? と問おうとしたところで、人間の足の裏が眼前に迫っていることに気が付き、倒れるように回避する。旋風がラッテンをわずかに飛ばすが、転がりながら体勢を整えたラッテンが、攻撃を仕掛けてきた犯人を睨み付けた。
「...貴女、紅いドレスの子と一緒に、」
「えい」
ラッテンの言葉を待たず、犯人───耀が、ゴリラの怪力で近場にあったソフトボール程度の岩を投げる。
「ちょ、最後まで聞きな...わぁ!?」
次々に投げ飛ばされる岩を、ラッテンはアタフタと避ける。当たっても死ぬことはないが、さすがに痛い。
加えて、レティシアの影もラッテンを狙っていた。
「あぁ〜〜もうっ! なんなの貴女たち!」
ペースを乱されていたラッテンが、叫びとともに再度笛を吹く。先程よりも高音が美しい、耀を操るための演奏だ。
だが、耀が止まる様子は微塵もない。まっすぐにラッテンを見据え、黙々と岩を投げ続けている。
「(効かない!? 嘘、こんな小娘に...!?)」
ラッテンの「人を操る」という能力は、絶対ではない。飛鳥の“威光”同様、格上には効果がない能力だ。
それでも、下層にいる人間に効かないなんてことがあるだろうか。そう考え、そしてラッテンは思い出す。
「《ノーネーム》...! あの化け物がいるコミュニティの子だったわね!」
忌々しげに叫び、笛の音色を変える。
火蜥蜴たちが動き出し、上空にいた三体のシュトロムも降下してきた。
火蜥蜴たちは耀とレティシアの下へ這い寄り、レティシアは加えて三体のシュトロムに囲まれる。
ラッテンを襲う岩と影の雨がようやく止んだ。
「ふふ。さぁて、この隙に♪」
ラッテンが笛を高らかに鳴らす。
先程よりも大きい音が、ペストたちが打ち鳴らす戦闘音の中でもじんわりと街に染み渡り、大量のネズミが一斉に蠢いた。
ラッテンの狙いは、耀でも、レティシアでもない。
街のどこかにいる、恐らくステンドグラスを破壊しに行っているであろう者たちだった。
本来なら火蜥蜴たちを動かして潰すつもりだったが、今は耀で手一杯。シュトロムもレティシアを抑えるために動かせない。
ならば、使えるのはネズミだ。戦闘力に少し不安が残るが、無いよりはマシだろう。数で押し潰し、弱い人間から攫い、少しずつ操り手駒にしていく。
そんなラッテンの狙いを、一つの声が遮った。
「────その女を捕まえなさい、ディーン!!」
ネズミたちへ命令を出す音色を奏でようとしたところで、ラッテンの体が紅く巨大な手に掴まれる。
「は...っ!?」
「そのまま投げ飛ばしなさい!」
「DEEEeEeeEEEEeENNN!!!!」
耳を劈くほどの咆哮とともに、ラッテンはディーンに投げ飛ばされた。
地面の上を数回バウンドし、ゴロゴロと転がって、大祭運営本陣営の壁にぶつかりようやく止まる。
「ケホッ、ケホッ...いっったぁああい...! 最近こんなことばっかりぃ!!」
全身擦り傷だらけになったラッテンが思わず叫ぶ。つい先日もローリーに蹴り飛ばされ、今度は何者かに投げ飛ばされ。たった二回だが、ラッテンにとってはありえない出来事の連続だった。
恨みがましい目で、突如現れた紅い巨人を見る。
その肩には、数日前にラッテンが捕まえた飛鳥が堂々と立っていた。
「...そんな不細工な鉄人形を連れて、一体何の用かしら、お嬢ちゃん?」
精一杯の嫌味を込めてラッテンが問いかける。
対する飛鳥は、不敵な笑みを崩すことなくラッテンを見下ろした。
「不細工? 貴女の目は節穴なのかしら。まぁいいわ。リベンジしに来てあげたわよ、ネズミ使いの道化さん?」