過労死したから美食屋なろう   作:ボーイッシュ大好きっ子

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まさか、1人で行ってオゾン層高速二噛みがこんなに希望されるとは思いませんでした。

今回全体がオリジナル独自解釈ストーリーになってます。トリコがアイスヘルから帰ってくるまでは、繋ぎのこういう話が多くなると思います。すみません。



9話

 ズシン、ズシンと、大地を揺らす規則正しい振動が全身に伝わってくる。

 リーガルマンモスの子供とはいえ、すでにちょっとしたビルほどの大きさがあるチビの背中に揺られながら、俺は数時間前の会長室でのやり取りを思い出していた。

 

『場所は——メルクマウンテン。研ぎ師メルクの工房じゃ。…もしかすると材料が不足しておるかもしれん。必要であればサポートしてやってくれ』

 

(まさか、こんな序盤にここへ来ることになるなんて……材料切れなんて素振りは原作にはなかったけど、会長の考えすぎか?)

 

 思わず深いため息が漏れる。山登りかぁ…

 メルクマウンテン。世界中の料理人がその包丁を求めてやまない、世界一の研ぎ師メルクが住む山。

 前方にそびえ立つその山は、まるで無数の刃物が天に向かって突き出しているかのような、異様で険しい岩肌をむき出しにしていた。

 標高は約4000m。

 前世の日本で一番高い富士山すら超えている高さだ。

 

「……チビ、ストップ。この辺が限界かな」

『パォ?』

「うん。じゃあ、ここで待っててね」

 

 チビの背中から一気に飛び上がり、着地する。

 現在地は、山の側面から強引に登ってきた標高900m付近。これ以上は断崖絶壁だし、チビの今の大きさだとこの高さが限界だ。

 

『パォォン』

「あぁ、わかってる。危なくなったらすぐ戻ってくるから。チビも周りの猛獣には気をつけてな。まぁ、今のチビにちょっかい出す命知らずはそうそういないだろうけど」

 

 長い鼻ですりすりと擦り寄ってくるチビの鼻先を撫でてやり、俺は山頂へと続く険しい道を見上げた。

 ここから先、残り約3100mの道のりは、自分の足だけで登らなければならない。

 

(鼻が届くんだったら、鼻から飛んでもうちょっと上からスタートできたな…)

 

 少し後悔しながら軽く準備運動を済ませ、俺は初代メルクサイズの階段に足をかける。

 

「ほっ、ほっ、と……」

 

 軽快なリズムでテンポ良く、俺は巨大な岩の階段を跳び上がっていく。

 一段一段がやたらとデカい。自分の背丈より高いわけではないが、普通の階段のように足を上げて登れるサイズではなく、いちいち両足で踏み切ってジャンプして登るような形になる。

 これもすべて、人間離れした巨躯を持つ初代メルクの歩幅と体格に合わせて作られているからだ。

 チビと別れた標高900メートル付近から登り始め、ひたすらに続く石段をこなしていく。

 1500メートルを越えたあたりから周囲にぎりぎり生えてた枯れ草が無となり、むき出しの鋭い岩肌が目立つようになった。2500メートルを通過する頃には分厚い雲海の中へ突入し、視界が真っ白に。そして今——。

 手元の端末で高度を確認する。

 標高3000メートル。

 すでに雲海を抜け、眼下には真っ白な絨毯が広がっている。見上げれば、まるで刃物のように鋭く切り立った峰々が、どこまでも高くそびえ立っていた。

 

「ふぅ……」

 

 岩肌に腰を下ろし、水筒の水をあおる。

 気温は下がり、空気も明らかに薄くなっていた。前世の俺の肉体だったら、とっくに過呼吸になってぶっ倒れ、そのまま高山病で死にかけている高さだ。

 だが今の俺は、息こそ切れるものの十分に動けている。少しずつではあるが、間違いなくこのトリコ世界基準の、頑丈な体になってきているようだ。

 

(それにしても……これをなんだかんだで自力で登り切った小松シェフも、全然人間辞めてるよな……)

 

 原作でトリコと一緒にここを訪れた小松は、死にかけながらも気合でこのメルクマウンテンを登破していた。あのごく普通のように見える料理人ですら、あの身体能力。極限状態だったとはいえ、やはりこの世界に生きる人間は根本的なポテンシャルがバグっているとしか思えない。俺はチビに乗って900メートルまでズルをしたというのに。

 

「さて、ここまでは順調だけど」

 

 周囲を見渡す。岩肌を吹き抜ける風の音以外、辺りは静まり返っている。

 

(猛獣が出たら、なるべく殺さずに切り抜けたいところだけど……)

 

 トリコの信条――『食う目的以外に殺さない』

 俺も、なるべくそのルールを実行しようと思っている。無駄な殺生はしたくないし、何よりこの人間界にいる間くらいは、少しばかりの甘さを残しておきたい。いずれ行くことになる『グルメ界』じゃ、そんな綺麗事は言ってられないだろうから。

 

 備えはできている。

 俺の『トング』だ。対象を傷つけずに強固に挟み込み、動きを封じたり投げ飛ばしたりする『トングロック』が主力になる。

 いざ猛獣たちが襲いかかってきても、これで足止めしながら登ればなんとかなるだろう。

 

「……よし、休憩終わり」

 

 俺は乱れた息を整え、両手でパンッと両足を軽く叩いて気合を入れた。

 頂上まで、やっと半分を切ったところだ。

 二代目メルクの待つ工房を目指して、俺は再び巨大な階段へと向かってジャンプした。

 

「はぁ……4000メートルの登頂は、やっぱり骨が折れるな……」

 

 標高3000メートルを超えてから、酸素の薄さと冷気が容赦なく肺を焼く。この世界の身体の恩恵で基礎体力は格段にあるとはいえ、決して疲れないわけではない。なんだかんだで息が上がり、少しばかり休憩を挟もうかと岩肌に手をついた、その時だった。

 

 カサ、カサッ……グルルルル。

 

 周囲の岩陰から、不気味な気配が湧き上がってきた。

 現れたのは、全身が毛で覆われたモジャモジャの四足歩行獣『ファーニップ』と、岩のように硬い外殻と鋭い牙を持つ凶暴な犬『ロックウルフ』の群れだ。

 

「こういうタイミングで来るのはお約束か」

 

 疲労のピークを狙いすましたかのような登場に、俺は苦笑しながら背中へと意識を集中させる。

 

「ふぅ……『トングロック』!!」

 

 両手を前に突き出すと同時に、具現化した巨大なトングが空中に顕現する。飛びかかってきた先頭の三体を空中で一気に挟み込み、そのまま登山道の狭い隙間へと乱暴に押し込んで固定した。

 

「悪いね、そこでちょっと止まってて」

 

 挟まれた三体が肉の壁となり、後続の猛獣たちが進めずに詰まっている。だが、眼下からはさらに結構な数が押し寄せているのが見えた。このまま長くは止められないだろう。

 

(確か、頂上付近の工房があるエリアまでは追ってこないはず……原作だとそうだった)

 

 ——なら、ラストスパートだ。

 頂上に着いたらゆっくり休もう。そう自分に言い聞かせ、俺は猛獣たちが壁を突破する前に一気に巨大な石段を駆け上がった。

 肺が悲鳴を上げるが、やがて上方に平らな地面の縁が見えてくる。

 

(よし、見えた……!)

 

 終わりが見えると、不思議と全然違う。先ほどまでの疲労が嘘のように気力が戻ってきた。俺はさらにスピードを上げ、ついにメルクマウンテンの頂上へと足を踏み入れる。

 青空の下、広く切り開かれた山頂の奥に、その建物はあった。

 重厚な石レンガで組み上げられた、武骨で巨大な建物。煙突からは細く煙が立ち上っている。

 

(おぉ……漫画で読んだまんまの見た目だ……)

 

 前世も含めて、リアルでこんな『ザ・職人の工房』と呼べるような建物を見るのは初めてだ。どこか厳かで、歴史を感じさせる佇まいに、俺の心は図らずもワクワクと浮き足立っていた。

 そのまま、感動に任せて工房へと一歩を踏み出そうとした、次の瞬間。

 

『——ウロコ斬り!!』

 

 風を切る鋭い声と共に、斬撃が地面を這うように襲いかかってきた。

 

「ッ!?」

 

 俺は咄嗟に地面を蹴り、大きく後方へ飛び上がってそれをかわす。

 着地した俺の目の前で、先ほどまで俺の両足があった場所の分厚い岩盤が、まるで豆腐のようにスパンッと斜めに切り裂かれていた。

 

(なんでだ……!?)

 

 俺は冷や汗を流しながら周囲を確認する。

 原作でトリコがここへ到達した時、メルクはトリコの背後に迫っていた猛獣、スケイルコングを狙ってこの技を放った。

 だが今回は、スケイルコングも他の猛獣もついてきてはいない。今の攻撃は、確実に俺を狙っていた。狙いは両足。命を奪うためではなく、機動力を奪うことを目的とした攻撃。

 視線を前に向ける。

 工房の入り口、その薄暗い物影に、一つの人影が立っていた。

 

「お前、ポチコはどうした……!!」

 

 低くハスキーな声が響く。

 そこに立っていたのは、作業着に身を包んだ、顔に十字の傷を持つ人物——二代目メルク。

 

 その中性的で整った顔立ちは、激怒というよりも、酷く張り詰めていた。ヒリヒリとするような警戒心がむき出しだ。

 彼女は得物の柄に手をかけ、薄氷を踏むような緊張感で俺を鋭く睨みつけていた。

 

 

◇

 

 

「ポチコ?」

 

 聞き覚えのある名前。コウモリのような翼を持つゴリラ……ヴァンパイアコングだ。メルクが相棒として、飼っている賢い猛獣のはずだが。

 

「いや、知らないけど——」

『出刃両断(かぶとわり)!!』

 

 言い終わるより早く、メルクが腕を振り下ろした。

 空気を裂き、縦に真っ二つに両断する斬撃が飛んでくる。

 

「ちょ、ま、待って! なにがなんだか……!」

「下でポチコが待っていたはずだ!! IGOへの断りのメモを渡されただろう!? なのに何故ここにいる!!」

 

 ヒュンッ!と俺の真横を斬撃が通り過ぎ、背後の岩壁が轟音と共に真っ二つに割れる。

 

(くそっ、そういうことか……!)

 

 ポチコがメルクマウンテンの入り口で、IGOからの使者である俺を追い返すために待機していたのか。俺がチビの背中に乗って標高900メートルまでズルをしたせいで、完全にポチコをショートカットしてしまったんだ。

 

『柳刃突(しだれづ)き!!』

「うわっ!」

 

 今度は直線的な突進と共に、鋭くえぐるような突きが放たれる。間一髪で身を捻ってかわすが、岩肌が抉れ、パラパラと破片が降り注いだ。

 

「なんとか言え! ポチコに……! ポチコに何をした!?」

 

 まずいな。おそらく二代目は、ポチコに『今日登ってくる人間を入り口で帰すように』と厳命していたんだろう。ヴァンパイアコングは知能が高いことで有名な猛獣だ。命令を放棄するわけがない。

 にもかかわらず、俺は平然と頂上に現れた。彼女からすれば、俺がポチコを力でねじ伏せたか、最悪の事態を引き起こしたとしか思えない状況だ。

 

「ちょっと待って! 僕は入り口から登ってないんだ! 900メートル付近から山の横をよじ登ってきてる! だからその子には会ってないんだよ!!」

「なっ、ふざけたことを……! ポチコにも、そんな人当たりの良い接し方で隙をついたのか!?」

 

 だめだ……完全に頭に血が上っている。

 無理もない。初代メルクがヘビーホールへ旅立ち、「自分が勝手に二代目を名乗っている」という強烈な負い目と孤独感に苛まれているこの人にとって、ポチコは唯一心を許せる家族のような存在だ。そんなポチコに何かあったと考えれば、冷静な判断などできるはずがない。

 だが、このままじゃ当たるまで斬撃を飛ばし続けられる……!

 

『薄刃乱斬(しぐれぎ)り!!』

 

 声と共に、先ほどのウロコ斬りよりもさらに細かく、無数の鋭利な斬撃が嵐のように飛んでくる。

 俺は全力で横に走りながら、なんとかそれをかわしていく。そのまま一直線に、俺が初めに『ウロコ斬り』を受けた場所へと駆け込んだ。

 スパッと綺麗に斜めに切り裂かれている分厚い岩盤。その地面の切れ目に、俺は両手の指を深くと突き入れた。

 

「なにを……!?」

 

 メルクが怪訝そうに動きを止め、警戒を強める。

 俺は全身の筋肉に一気に力を入れ、腹の底から声を上げた。

 

「ふんっ!!」

 

 大地を砕く勢いで、俺は巨大な岩の塊を地面から強引に引き剥がし、持ち上げる。

 そして、その岩の底面に向かって、渾身の右拳を叩き込んだ。

 

『——5転 ボルトパンチ!!』

 

 ドゴォォンッ!!

 激しい回転のエネルギーを叩き込まれた岩の塊は、砲弾のように天高く打ち上げられる。そして、上空で耐えきれなくなった岩が内側から弾け飛び、耳をつんざくような花火に似た爆音が、こだまとなってメルクマウンテン全体に鳴り響いた。

 

「くっ……!?」

 

 鼓膜を破るような大音響に、メルクが思わず耳を塞ぐ。

 

「威嚇のつもりか……? そんなもので——」

 

 再び隠し持った得物を構え、俺に技を放とうとしたメルクだったが——その目の前に、巨大な影がバサァッ!と舞い降りた。

 コウモリのような巨大な翼に、猛々しいゴリラの肉体。

 ヴァンパイアコングの、ポチコだ。

 

「ポチコ!? 無事だったのか……!」

 

 メルクの顔に、一瞬で安堵の色が広がる。

 

 あぶねぇ……。4000メートルも下で待機しているポチコに聞こえるかどうかの賭けだったが、なんとか気づいて飛んできてくれたようだ。めちゃくちゃうるさかったしな。俺自身、まだ耳がキーンとしている。

 でも、これでなんとか誤解は——

 

「うわぁっ!?」

 

 安堵したのも束の間、ポチコの巨大な拳が俺の鼻先をすんでのところでかすめていった。突風で髪が大きく煽られる。

 

(今度はそっちかよ……!!)

 

 ポチコは怒っていた。

 パートナーから頼まれ、やって来る人間を断るためにわざわざ下で待機していたのに、気づかず見事に侵入を許してしまった焦り。そして何より、パートナーを危険に晒している目の前の男への純粋な怒り。

 互いに互いを想う気持ちが強すぎるせいで、とんでもなく面倒くさい勘違いの連鎖を生んでいる。

 

「ちょ、メルクさん! これでわかったでしょ!? ポチコには何もしてない! 早くポチコにも説明して!!」

 

 俺の心からの叫びに、メルクもハッとして慌てて声を上げた。

 

「ポ、ポチコ! ストップだ! ……どうやら、オレの勘違いだったみたいだ」

 

 ピタッ、と。

 やはり知能が高い生物だ。メルクの呼びかけと安堵した声色を正確に理解し、ポチコは振り上げた拳を止めた。

 そして気まずそうに額をポリポリと掻くと、のっしのっしと俺の方へ歩み寄り、その分厚い手に握られていた「一枚の紙」をぬっと差し出してきた。

 元々、麓(ふもと)で俺に渡すはずだったものだ。

 

「あ、ありがとう……?」

 

 俺が受け取ると、ポチコは満足したようにバサッと翼を広げ、工房の脇にある巨大な止まり木へと飛んでいき、腕を組んで威風堂々と直立した。仕事は果たしたぞ、と言わんばかりのドヤ顔だ。

 俺はホッと息を吐き出し、クシャクシャになった紙を広げた。

 そこには、こう書かれていた。

 

『多忙につき、面会不可。お帰りを』

 

 無愛想で、ぶっきらぼうな文章。絶対初代メルクをイメージしてるなこれ。

 本来なら、入り口でポチコからこれを渡されてすごすごと帰るのが、正規ルートだったというわけだ。

 

 

◇

 

 

「で、勘違いしてしまったと?」

 

 俺が紙をパタパタと折りたたみながら呆れたように言うと、メルクは申し訳なさそうに気まずげに視線を逸らした。

 

「すまない……ポチコがただ通すわけないから、何か悪いことでもされたのかと、つい……」

「まぁ、誤解が解けたならいいんですけど……。俺も変なルートから登ってきちゃったので……。ちなみに、会長からはなんて?」

「ただ、面会しに行くとだけ手紙があった。君は会長ではな……んんっ! 会長は来てないようだが……君は?」

 

 言いかけた言葉をごまかすように、メルクはわざとらしく咳払いをした。

 

 なるほど。あの爺さん、自分が直接来るわけでもなく、詳細を何も告げずに俺をよこしたから、あんな拒絶のメモを書かれる羽目になったんだ。

 初代メルクと一龍が旧友なのは、二代目も聞かされていたはず。だからこそ、初代が不在で「自分が勝手に二代目を名乗っている」という強い思い込みを抱えている彼女にとって、会長が来ることは心臓に悪いどころの騒ぎではない。「二代目を勝手に名乗っているのがバレる」と恐れて、あんな初代メルクをイメージしたような無愛想なメモで追い返そうとしたんだろう。

 

(——まったく、全部あの適当な爺さんのせいだ)

 

「一応、会長の使いかな…」

「そうか。会長からは…何か聞かされているのか…?」

 

 メルクの探るような視線が向けられている。初代メルクについて何か聞いてきているのか、気にしているのだろう。

 

(さて、どう返したものか……)

 

 こちらとしては、聞いてても聞いてなくてもすべて知っている。だが、ここで「知っている」と素直に口にしていいのだろうか?

 彼女からすれば、他人に「初代がいないこと」や「自分が二代目を勝手に名乗っていること」を知られれば知られるほど、焦りと負い目が強まるだけだ。

 

 実際は、初代からちゃんと後継として認められているのだが…。あの時、初代の声が小さすぎて肝心の言葉が聞き取れなかっただけなのだと、ここで教えるか?

 ——いや、ダメだ。そんなの、今ここで唐突に言われても信憑性がないし、かえって不審がられるだけだ。

 じゃあ、いっそヘビーホールにでも行って初代から直接「星屑」を持ち帰って証拠にするか?…それも無理だ。原作のトリコが挑んだ時だって命がけだったんだ、今の俺の実力じゃヘビーホールはまだ攻略できない。

 いくつかの思考を一瞬で巡らせた末、俺は無難に答える。

 

「いや、なにも。ただ『メルクと会ってきてくれ』って言われただけだよ」

「そうか。会長のいち……んんっ! 龍さんがいったい何のために君をよこしたのかは分からないが、オレは特に用はないんだ」

 

 メルクは少しだけ安堵したように息を吐き、工房の入り口へと向かい、背を向けた。

 

「そっちも無いようなら、わざわざ来てもらって悪いけど帰ってもらえるか? 包丁の依頼が詰まってるんだ」

 

 ボロが出ないように、早めに話を切り上げたがるメルク。

 俺もそれは察しているので、とりあえず帰ろうかと考えたが、ふと会長の言葉が頭をよぎった。

 

『もしかすると材料が不足しておるかもしれん——』

 

 …やっぱり変だ。原作でトリコ達がここへ向かうのは今から半年以上先。半年先のエピソードでも、材料不足でメルクが困窮しているシーンなんて描かれていなかったはずだ。だが、わざわざ会長が余計な一言を添えるだろうか? 適当な爺さんではあっても、適当に指示することはない……はず……

 俺は念のため、と思いメルクの背中に向かって問いかけた。

 

「材料とかは、足りてるの?」

「なにがだ……?」

 

 工房へと向かっていたメルクがピタリと立ち止まる。

 

「材料だよ。包丁の材料。足りてる?」

「……足りている」

 

 数秒の沈黙の後、答えるメルク。いや、なんの沈黙だよじゃあ。

 

「本当に……?」

 

 少し悩む素振りを見せた後、メルクは振り返らずに答えた。

 

「……足りてはないが、材料はいつもオレが自分で調達している。問題ない」

 

 嘘だ。初代は材料調達から包丁作りまで全て自分一人でこなすことで有名だが、この人は二代目だ。まだ自分で危険な材料調達をこなせないことに負い目を感じているのは知っている。

 

 だが、材料が足りていない……? やっぱりおかしい……。

 

「なんの材料が必要なの?」

「『デビル大蛇の牙』と『オックスチキンの角』だ」

 

 デビル大蛇とオックスチキン……どちらも捕獲レベルの高い危険な生物だ。特にオックスチキンは捕獲レベル50近かった気がするが……。

 

「それは、なんの包丁に?」

 

 材料の用途はさすがに包丁だろうが、なぜこの材料が足りていないのかが気になる。原作で、この生物の名前はメルクの口から出ていなかったはずだ。

 

「なぜそんなことまで知りたいんだ?」

「なんとなく……?」

 

 少しため息を吐いたあと、メルクはこちらに向き直って答える。ふとした瞬間に、警戒心を忘れた素の人の良さが出ている。

 

「デビル大蛇の牙は、やつの毒腺に常に繋がっているから毒や酸に対する耐性がある。その牙を材料に使用することによって、『ある食材』に適した包丁が作れるんだ」

「へぇ、なんの?」

「最近流通し始めた、ウィスキぃ茸だ」

 

 なっ……。

 

「キノコの中からウィスキぃが滲み出てくるようだから、対アルコールの性質を持たせ、酸化しづらい包丁を作ってくれと依頼が来てる。これに最も使えるのがデビル大蛇の牙だ」

「……オックスチキンは?」

「これは依頼が様々なところからきているが、おそらく主な用途は……これも最近出た食材、オニオントマト、キャロッとうがらし、ステーキ白菜とかだろう」

「…………」

「新食材が出ることによって、それを機に料理人が包丁を新調することは良くあることだよ。今回は野菜の下処理向きなペティナイフ。オックスチキンの角は、オックスチキンの部位の中で最も軽く、もっとも丈夫だ。空を飛ぶために角を軽量化したと言われている。この角を使用することによって、超軽量かつ耐久性の高いペティナイフに加工できる……と考えている」

 

 俺はメルクから話を聞き、静かに視線を落とした。

 

(そうか……俺のせいか……俺が無作為に食材を拡散したせいで……)

 

「と、最近になってこういう依頼が殺到している。それもこれも新食材を6種も発表した——美食屋モノクの『おかげ』だろう」

 

 俺の心境など知る由もなく、メルクはそれを「おかげ」だと評した。

 

「え?」

「そうだろう? 彼が新食材を作り上げたおかげで、こうして仕事が貰えている。職人としてありがたく感じるのは普通だよ」

 

 そう言って、ほのかに笑みを浮かべるメルク。

 なるほど、会長が俺をここに向かわせた理由が分かった。

 メルクのその表情を見て、一瞬引き込まれる。もしサニーがこの場にいたら、「美(つく)しい!」と叫んでいるだろうな……。

 

「じゃあ、その為にデビル大蛇とオックスチキンの捕獲に?」

「ああ、行くさ」

 

 平然と答えるメルク。

 

「オックスチキンは捕獲レベル50近い獰猛な生き物だよ? デビル大蛇だって舐めてかかると危険だ。委託とか——」

 

 委託……その単語を出してしまってから、俺は「しまった」と思ったが遅かった。

 

「委託はしない……! 材料は全て、オレが『自分』で調達している……!」

 

 ことさらに強調して、強く言い放つメルク。

 初代のように調達ができなくても負い目を感じる必要はないのに……。それ以上に、研ぎ師としての才能がズバ抜けていることに気づけていないんだ、この人は。研ぎ師としての腕前なら、既に先代を超えているというのに……。

 

「依頼を受けたのはつい先日だよ。納期は4年後。1年以内に調達すれば間に合うさ。それまでに行けばいい」

 

 目を見れば分かる。この人は、本当に一人で捕獲しに行くだろう。危険だと分かっていても、「二代目を名乗っている」という重圧と自責に駆られて。

 でも……そんなのは間違っている。

 

「もし、僕が代わりに調達すると言ったら?」

「なに……? 委託はしないと言っている……! オレは研ぎ師メルクだ! 材料も——」

「でも、依頼がいっぱいで忙しいんでしょ?」

「…………」

「それに、実は会長から、『メルクのサポートをするように』と言われてるんだよね。直々に会長から頼まれたんじゃ、少しは手伝って帰らないと……じゃない?」

 

 しょうがないよね、と言わんばかりの身振りで肩をすくめる。

 変な報告をされて一龍に「二代目」だとバレるのを危惧したのか、遠回しに少し脅すような形になってしまった気がしなくもないが、メルクは深いため息を吐いて答えた。

 

「……まぁ、会長が言うなら少しは手伝ってもらわないといけないか……」

 

 こうして、俺はメルクの食材調達のサポートを許された。

 

「じゃあ、今回だけ調達を頼もう。だが君も、いちいち登るのは大変だろう。調達した食材は下でポチコに渡せばいいよ。ポチコに報酬金は渡しておくから、それを受け取って終わりだ。いいかい?」

「了解了解。……じゃあ行ってくるよ」

「あぁ。でも本当にいいのか? 会長の使いの君が、ここまでやる必要はないようにも思うけど。なぜ、ここまでやるんだ?」

 

 ちょっとした罪滅ぼし。

 俺のせいで原作のレールが変わり、その波紋が二代目メルクを危険な材料調達へと向かわせるところだった。

 

「うーん、まぁ……なんとなく?」

 

 俺はそうとだけ返し、背を向けて山を下り始めた。

 本来、この世界に存在しないはずの俺が落とした波紋で、誰かが理不尽な危険に晒される。

 それは、ただ原作を知っているだけの傍観者気取りでは済まされない事態だ。俺が引き起こしたイレギュラーな問題は、俺自身の手できっちりと片付ける。

 それが、この世界で生きていくと決めた、俺なりの最低限の責任なのだから。

 

 

◇

 

 

「じゃ、はい、これ。頼まれてた『デビル大蛇の牙』ね」

 

 ドサァッ! と、工房の床に重厚な牙が山積みにされた。

 作業台に向かっていたメルクが、信じられないものを見るような目でそれと俺を交互に見比べる。

 俺は額の汗を拭いながら、やり切った笑顔でサムズアップを向けた。

 

「オレは……調達した食材は下でポチコに渡してくれと、言ったはずだ……!!」

 

 ワナワナと肩を震わせ、メルクが吠える。

 

「なんでまた4000メートルも登ってきた……!! ポチコはどうした!?」

「あー、いや。ほら、なんとなく…?」

 

 モノクは、どうにもこの人を4000メートルの頂上で1人っきりにする気にはなれなかった。

 

 メルクマウンテンの麓(ふもと)ではポチコが1人っきりで腕を組み直立不動で立っている。

 

 




誤字脱字報告助かっています。ありがとうございます。
昔から間違った漢字の使い方をすることが多くて、周りの人間に漢字間違いを指摘される恥ずかしさには慣れています。じゃんじゃん報告してください。

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