過労死したから美食屋なろう   作:ボーイッシュ大好きっ子

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書きたい内容を片っ端から書き足していったら二万字を超えてしまいました。お時間ある時にゆっくりお読みください。
ごちゃごちゃでわかりづらい部分もあるかと思いますが、とにかく書きたいシーンを書きまくりました。
再生屋って凄い魅力満点な役職だったのにあまり語られてなくて、掘り下げたくなってしまいます。トリコってトリコ以外のキャラでも一つの作品作れそうなぐらい濃いキャラ濃い設定多いですよね。




12話

 

 

 バタバタバタと上空を切り裂くローターの回転音が、ヘリの機内に絶え間なく響き渡っていた。

 

「ヨハネスさん、忙しいのにすみません」

「いえ、仕事ですから」

 

 操縦桿を握りながら、サングラス姿のヨハネスさんがさらりと言ってのける。

 IGOの要職に就きながら、荒事からこういった送迎までなんでもこなすこの人は、モノクから見るとどう考えても働きすぎだ。前世でブラック企業を経験した身としては、この仕事人の労働環境がとても心配だった。

 

「あ、休みとかはちゃんとあるの?」

「えぇ、一応。急遽呼び出しもありますが」

 

 真っ直ぐ前を見据えたまま、怯むそぶりもなく答えるヨハネスさん。

 

「たまに?」

「たまにです」

「……ほとんど?」

「はい?」

「休みは無いようなもん?」

「え、いえ……」

「上司に呼び出され、過労死寸前?」

「そ、そこまでは——」

「よくない! だめですよそんなのは!」

「ですから、そこまでじゃないです。そういう仕事だと理解して勤めておりますので」

 

 横の助手席からじっとモノクに顔を見つめられ、淡々と返すヨハネスのこめかみを、ツーッと一筋の汗が伝い落ちる。

 

「なら良いですけど……」

 

 俺が追及をやめると、ヨハネスさんは小さくホッと息を吐いた。

 

「一応、差し入れを持ってきました。いつもお世話になってるし、今後もお世話になると思うので」

「いただけません。仕事ですから当然のことです」

「そう言わずにどうぞ。沢山持ってきたんですよ。えーと……」

 

 遠慮するヨハネスさんをよそに、俺は座席の後ろに積んでおいた大きめの袋を、なんとか手を伸ばしガサゴソと漁る。そして、その中からパンパンに膨らんだ中くらいの袋を取り出した。

 

「モノクさんの新食材ですか。中々手に入らないので嬉しいです。もう少しで流通し始めると思うのですが……」

 

 前を向いたまま横目でチラッと袋を見て、中身を当てるヨハネスさん。さすがの洞察力だ。と言っても俺が渡すとしたらそれぐらいか。

 

「そうそう。ヨハネスさんにはまだ渡してなかったなぁと思って。後ろの大袋の方はトリコの分ね」

「お会いするのは記者会見以来ですからね」

「あの時はどうも。ヨハネスさんに止めてもらって助かりましたよ」

 

 会見で勢い任せに喋りすぎて会場をパニックに陥れそうになったところを、彼が上手く収拾してくれたのだ。

 

「その時の感謝も込めて、多めに入れてるよ! 『オニオントマト』『キャロッとうがらし』『ウィスキぃ茸』『ステーキ白菜』、えっと……あとは……『アップルビー』『憤怒貝』『葛柚子(くずゆず)』『ナナバナナ』、それぞれ二つずつ入れ——」

「ちょ、ちょちょちょっと待ってください……!」

 

 突然、ヨハネスさんが慌てたように言葉を遮った。

 

「聞き間違いでなければ、初聞きのものが二つほどあったんですが……」

「え? あぁ、マンサム所長には報告したんだけどね。二つ、ラインナップが増えたんだよ!」

「ラ、ラインナップ……そんな、ぽんぽんと新商品みたいに……」

 

 次から次へと食材を生み出すモノクのペースに、さすがのヨハネスも少し取り乱したのか、クイッとサングラスがズレた。

 

「美味しいから、食べてね」

「……ありがとうございます。帰ってから食べようと思います」

 

 しかし、スッとサングラスを指で押し上げると、彼はすぐにいつもの冷静なヨハネスに戻った。

 

「運転しながら食べたら? リラックスできるのもあるし」

「いえ、帰ってから食べます。仕事ですから」

 

 ブレないなぁ、この人は。

 そんなやり取りをしながらしばらく空の旅を楽しんでいると、不意にヨハネスさんが前方を指し示した。

 

「モノクさん、見えてきましたよ」

「おぉ! あれが……!」

 

 雲を抜け、眼下に広がった景色に俺は息を呑んだ。

 

「モノクさんは初めてですか。あれが、癒しの国『ライフ』です」

 

 それは、巨大な緑と水が織りなす、大自然の絶景。

 中心にそびえ立つ巨大な大樹『療樹マザーウッド』。その周りには様々な家、施設がずらっと並び、あちこちからは、温泉の証である真っ白な湯気が立ち上り、陽の光を反射してきらきらと輝いている。

 人工物と自然が見事に調和した、まさしく命を癒すための楽園。

 トリコの世界の奥深さを象徴するその光景に、俺はただただ目を奪われていた。

 

 

◇

 

 

「それでは予定通り、明日また迎えに来ますので」

 

 ヘリポートに機体を降ろし、操縦席のヨハネスさんがさらりと告げる。

 そのままトンボ返りする気満々の彼に対し、俺は無言で操縦席に手を伸ばし、ポチッとヘリのエンジンを切った。

 プスン、とローターの回転音が完全に停止し、静寂が訪れる。

 

「……なんの真似でしょうか」

「これから帰って、明日また迎えにくるって、移動時間的にほぼぶっ通しで運転でしょ? このまま明日まで、ヨハネスさんもここに居ときましょうよ」

「いえ、ですが……」

「燃料代……勿体無いよ……?」

 

 俺が遠回しに経費削減を突きつけると、ヨハネスさんの喉がゴクリと鳴った。

 このままライフを満喫してしまえ。そんな悪魔の誘惑と、職務への忠誠心の間で激しく葛藤する彼のサングラスの前に、俺はヒラヒラと数枚の紙切れをぶら下げた。

 

「会長から貰った、『温泉鮫一回無料券』10枚……僕一人じゃ使いきれないんだよね……ヨハネスさん、半分貰ってよ……?」

「…………っ」

 

 ——数分後。

 無料券5枚を大事そうにしっかりと握りしめ、足早に温泉街へと繰り出していくヨハネスさんの背中があった。

 いいんだ。彼は、働きすぎなんだ。たまには温泉くらい浸かって、ゆっくり羽を伸ばしてもらわないと。

 

(よし、無事ヨハネスさんを休ませられたし。俺もひとまずトリコに会いに……)

 

 ヘリポートを後にした俺は歩き出したが、すぐに立ち止まった。

 場所がわからん。

 中心にそびえ立つ巨大な大樹——あそこに再生所があるはずだけど、巨大な植物や施設が入り組んでいて、道が完全に迷路だ。

 とりあえず、登りの道を辿っていけば着くか?

 そう考えて坂道を歩いていると、記憶にある施設が次々と目に飛び込んできた。

 『温泉鮫』はもちろん、全身に針を刺して筋肉の凝りをとる『サボテンドクター』。あそこの乳白色の湯気は『美白湯』か?

 サニーがいれば迷わずに案内してもらえるんだけど、……と思い美白湯を覗き込んでみたが、あいにくサニーの姿はないようだ。

 トリコたちがアイスヘルから帰還し、このライフにやって来てから二ヶ月弱ぐらい。サニーたちは今、何をしている頃だろうか? なんとか会えないだろうか。

 そんな淡い期待を抱きながら、登り道があればひたすら登っていく。

 歩を進めるごとに、原作では出てこなかったような不思議な医療施設や薬草畑が多数見つけられた。ライフは凄く魅力的な舞台だったのに、あまり深く掘り下げられなかったんだよなぁ。あくまで話のメインは「トリコの腕の回復」と「小松シェフのスープ作り」だったから仕方ないんだけども。

 

「こっからここまで全部欲しいし! 早めに食材買っとかないと、トリコがまた痩せちゃうし!!」

 

 ふと、色々と考察を巡らせていた俺の思考の外から、聞き馴染みのあるよく通る声が耳に飛び込んできた。

 

「てっぺ、カネ」

「俺の扱い荒いなぁ! 出会って二ヶ月の相手を財布扱いしないでもらえる!?」

 

 声のする方へ視線を向けると、露店の前に、見覚えのある人物たちがいた。

 黒髪の短髪と、カラフルな長髪、そしてビシッと決まったリーゼント。

 

「サニー! リンー!」

「ん?」

「んあ?」

 

 俺の声に振り返った二人は、目を丸くした。

 

「って、モノクだし!」

「モノク! こんなトコに何しに来たんだ? もしかしてお前も腕無くなった?」

「そんな何人も腕無くさないよ。トリコが重傷だっていうから、お見舞いだよお見舞い。ほら、トリコに食材の差し入れ」

 

 相変わらずのサニーの言葉にツッコミを入れつつ、俺は右手で持っているパンパンの大きな袋を持ち上げて見せた。

 

「そんだけあればしばらく安心だし!」

 

 リンが嬉しそうに飛び跳ねる。とりあえず、用意できるだけ持ってきたんだ。

 

「ま、すぐ無くなるだろうケドな」

「え、そんなに消費早いの?」

 

 原作では半年間の療養期間がほぼダイジェストだったから、トリコが具体的にどういった生活や食事を送っていたのかは詳しくわからないんだよな。この大袋がすぐなくなるということは、毎日とんでもない量を食いまくりなんだな。

 

「あぁ。トリコの再生の進行は、類を見ないほどに早い。細胞の再生が早いほど、莫大なカロリーを消費するから、食材も早く大量に食わなきゃならない。その量だと、明日には無くなるだろうな」

 

 俺の疑問に、サニーの後ろで大量の荷物を持たされていた『あの人』が答えてくれた。

 

「あ、どうも初めまして。美食屋のモノ——」

「知ってるさ。美食屋モノク。新食材を6種も生み出して、今じゃすっかり時の人だ。俺たち再生屋からは特に注目されてるぜ。命や食材を生み出し、育てるってのは、俺たち再生屋の仕事と近しいものがあるからな」

「いや、そんなに注目されても何も出ないよ。食材を生み出せたのはたまたまだし、生態系を守る再生屋さんと並べられるなんておこがましいよ」

「6種も生み出してたまたまね……よく言うぜ。あぁ、遅れてすまねぇ。俺は——」

「知ってるよ。ノッキングマスターの血を引き、再生屋としても屈指の実力者。再生屋——『てっぺ』」

「て、てっぺ……」

 

 俺があえてサニーの呼び方を真似て名前を遮ると、彼はガクンと肩を落として落ち込んだ。

 

「ん。鉄平(てっぺ)は鉄平(てっぺ)だかんな」

 

 すかさずサニーが「そうだそうだ」とばかりに、鉄平の肩にポンと手を置く。

 

「冗談だよ。鉄平」

「はぁー…、イメージと違ったぜ全く……。まぁいいや、俺もモノクって呼ばせてもらうぜ」

「うん。じゃあはい、親睦の証にこれ」

「出た親睦の証。そーいや約束の『アップルビー』、どうなった?」

 

 サニーが前に頼んだアップルビー大量生産の話を思い出す。

 

「ま、まぁ順調育ってるよ。はい、これ鉄平に『ナナバナナ』」

 

 実はルビー切れであまり生産できていないのを悟られないよう軽く返事しながら、鉄平に食材を渡す。渡されたのは一房のバナナ。

 

「おぉ、これが噂の新食材6種の内の一つかぁ……ん……?」

 

 受け取ったナナバナナをまじまじと見つめていた鉄平の動きが止まった。

 彼の脳内の記憶にある『新食材6種のリスト』と、目の前にあるバナナがどう考えても当てはまらないことに気づいたのだ。

 リンとサニー、そして鉄平が顔を見合わせる。

 

「……もしかして、これ7種目(め)?」

「あー、うん。8種目(め)もあるよ」

 

 俺がサラッと言うと、鉄平が俺を指差したまま、首だけを回してサニーの方を向いた。

 

「これが、普通なの?」

「はぁ……ふつーになりつつあるな。つか、もうふつーか。うん、めんどくせ」

「アタシたちの時もそうだけど、親睦の証に新食材配ってくるのは重すぎるし…」

 

 モノク特有の『新食材の洗礼』を初めて受けて戸惑う鉄平と、頭を抱えるサニーとリンであった。

 

 

 

◇

 

 

 

「よっし、んじゃ買い出しも終わったことだし、トリコの待つ再生所に戻るか」

 

 鉄平が両手と背中に抱えきれないほどの荷物を持ち上げながら歩き出す。

 

「なんか手伝おうか?」

「いや、いいって。これくらい再生屋にとっちゃ造作もない……ってかこのぐらいやんなきゃ師匠に文句言われっからな……」

 

 ぼやきながらも軽快に歩く鉄平の横に並び、俺はライフの景色を堪能していた。

 本当にすごいな、ライフは。前世からこの場所と再生屋という職業に魅力を感じていたが、実際に歩いてみると医療と自然が完全に一体化している光景に圧倒される。

 

「キョロキョロしてどうした? そんなに物珍しいか?」

 

 俺の様子に気づいた鉄平が、笑いかけてくる。

 

「いやぁ、すごいなと思って。この国の設備って再生屋が育てた生物とか植物も使ってるんだよね?」

 

「あぁ、そうだぜ。ほら、あそこに見えるドーム状の施設が『胃袋の洗濯所——デトックス・スパ』だ」

 

 鉄平が顎でしゃくった先には、清潔感のある丸みを帯びた建物があった。

 

「胃袋の洗濯所?」

「美食屋ってのは規格外の食材や微量の毒を持つものを食いまくる。内臓に凝りや老廃物が溜まりやすいんだ。あそこではまず『石鹸ベリー』っていう石鹸みたいな爽やかな香りの木の実を飲んで、続けて専用の『バキュームナマコ』を飲み込むんだ」

「ナマコ!?」

 

 サニーが顔をしかめて振り返る。

 

「うげぇ……生きたナマコ飲み込むとか美(つく)しくねー!! 絶対ヤダねオレは!!」

「まぁ聞けって。そのナマコが胃や腸の壁にこびりついた毒素や老廃物を綺麗に食い尽くしてくれるんだ。最後は吐き出すと内臓が新品同様に洗濯されるんだぜ。あ、吐き出すときは全然苦しくないから安心しな」

「内臓から美(つく)しくなるってのは惹かれるが……やっぱキショいからナシ!」

 

 一人で葛藤するサニーをよそに、リンがポンと手を打つ。

 

「トリコも大量に食べてるから洗濯した方がいいし! あ、でもトリコは何でも消化できるから関係ないか!」

 

 リンのトリコ至上主義な発言に苦笑しつつ、歩みを進める。

 

 すると今度は、岩山にぽっかり空いた穴から乳白色の湯気と甘ぁい匂いが漂ってきた。

 

「あれは『骨休めの石灰洞窟——ボーン・ケイブ』

洞窟全体がミネラルとカルシウムの塊でな。天井から滴る『ミルク鍾乳石』の濃厚なホットミルクを飲みながら、温泉みたいに浸かるんだ」

「へぇー、美味しくて気持ちよさそう」

「それだけじゃないぜ。お湯の中には『骨継ぎサンゴ』っていう生きたサンゴがいてな。日頃の活動で疲労が蓄積した骨や、密度が下がってスカスカになった骨に成分が染み込んで、カルシウムと同化して若々しい骨に蘇らせてくれるんだ」

「へぇー! 内側からの骨のケアかぁ」

「あぁ。骨が若返るからって『身体の若返り』まで信じて通い詰める奴もいるみたいだぜ。……まぁ、骨の若返りにも限度はあるし、さすがにそこまでの効果は……ないがな」

 

 呆れたように肩をすくめる鉄平の横で、サニーが満足げに頷いた。

 

「へぇ……、温泉に浸かってホットミルクを飲みながら、内側から骨を美しく保つってのは普通に優雅で美(つく)しいな。ナマコより百万倍マシだ」

 

「一応、俺のイチオシはあのプラネタリウムみたいな黒い建物だな」

 

 鉄平が楽しげに指を差す。

 

「『メンタルケア・プラネタリウム』。過酷な環境での精神的ストレスや、グルメ細胞の暴走を癒す場所だ。中は暗闇になってて、フワフワの綿飴でできた『綿飴シープ』の群れに埋もれて眠るんだぜ」

「綿飴の羊に埋もれる……気持ちよさそう」

「あぁ。『アロマキノコ』が甘い香りを焚き染めてて、羊が微弱なヒーリングウェーブを放ってる。どんな不眠症の人間でも一瞬で深い眠りに落ちて、起きた頃には寝ぼけて綿飴シープの甘い毛を食って、心身ともに満たされてるってわけだ」

「うっわ、何それ超行きたいし!! トリコと一緒にフワフワの綿飴食べながら、2人でうとうとして…2人で……寝たいしーー!!」

 

 リンが両手を頬に当て、身悶えしながら妄想を爆発させている。

 俺は歩きながら、改めてこの世界への感嘆の息を漏らした。

 ライフも、再生屋も……やっぱり面白い。

 人体を治すだけでなく、生態系や生物の特性を活かして全く新しい癒しの形を生み出している。俺自身が食材を生み出した側だからこそ、彼らの仕事の奥深さをより一層感じる。

 

「モノク、お前ほんとに楽しそうに施設見るな」

「そりゃそうでしょ。すごく勉強になる」

「へへっ、勉強ね…再生屋みたいなこと言ってくれるじゃねーか。お前とは美味い酒が飲めそうだ。今度俺の再生した森も案内してやるよ」

「何その話知らない! いつ再生したの?」

「いやお前が知るわけないだろ……再生しきったのは一昨年ぐらいだな」

 

 再生屋としての実績は原作であまり語られていなかったが、森ごと再生してるのか。

 

「へぇ…てか、鉄平はおじいさんぐらいお酒強いの? 僕は全然なんだけど」

「いや、俺も大してだ。ジジイが強すぎんだよ。不思議なもんで、あれは誰にも遺伝しねぇんだ。あ、モノクのウィスキぃ茸気に入ってたぜ。大量に再生しろって頼まれた。俺らが再生するべきもんじゃないから、断ったがな」

「酒好きにめっちゃ好評なんだよね…怖いぐらい…」

 

 和気藹々と、会話を交えながら歩みを進める。やがてライフの中心部、巨大な大樹にたどり着き、さらに階段を登る。

 

「さて、着いたぜ。トリコと……俺の師匠がいる、『療樹マザーウッド』だ」

 

 鉄平の顔が少しだけ引き締まる。俺もごくりと息を呑み、その扉を潜った。

 

「そしてこれが、多くの再生屋が宿を構える癒しの空間、別名『食の宿屋』だ」

 

 マザーウッドの内部へと足を踏み入れた瞬間——俺は思わず息を呑んで立ち尽くした。

 そこは、見上げるほど巨大な吹き抜けになった広大な空間。

 無数の再生屋たちが、作業着姿で忙しなく動き回っている。未知の植物、奇妙な生物たち、そして、慌ただしく運び込まれてくる食材。

 あちこちから聞こえる指示の声と、濃厚な「生命の匂い」が空間全体に満ちている。

 命を紡ぎ、繋ぎ止めるための圧倒的なスケールと熱気。

 

(実際に目にすると……凄いな、この世界観)

 

 漫画のページ越しに見ていた光景が、確かな質量と温度を持って目の前に広がっている。ここは紛れもなく『命の工房』だ。

 

「おーいモノク、師匠の再生所はこの上だ」

 

 ふと我に返ると、鉄平が螺旋状に伸びる巨大な木造りの階段の中腹から、俺を見下ろして呼んでいた。

 

「あ、ごめん! 今行く!」

 

 俺は慌てて階段を駆け上がり、鉄平やサニーたちの背中を追った。

 下の階の賑わいが遠のき、マザーウッドの上層部へ進むにつれて、周囲はひんやりとした静寂に包まれていく。やがて、少し薄暗い通路の突き当たりで、鉄平が足を止めた。

 

「さっ、ここだぜ」

 

 鉄平が指し示した先には、分厚い木の扉。

 扉の上には、木の枝を雑に繋ぎ合わせて作った、まるで小学生の図工の作品のような『与作』という文字が貼り付けられていた。そして、その扉の横には一枚の銘札がぶら下げられている。

 

『再生所』

 

 ——それだけ。

 シンプルな三文字。

 だが、そのたった三文字と雑な与作という文字。それがなぜか、中にどんな空間が広がっているのかという好奇心を妙に掻き立てる。

 俺は自然と背筋が引き締まるのを感じながら、静かに生唾を飲み込んだ。

 

「あ、こっからは先にモノクだけ入ってくれ」

「え、なんで?」

 

 振り返ると、大量の荷物を抱えたままの鉄平が顎で扉をしゃくった。

 

「実は師匠から、モノクが来たときは2人で会わせてくれって言われててな。なんでもIGOの会長から、あんたが来るって連絡は貰ってたらしい」

「なるほどね。根回し済みってわけか。じゃあ、みんなはまた後で」

「あぁ。師匠は変わってるから、気をつけろよ」

 

 鉄平の忠告に、俺は「ハハハ」と軽く笑い声を上げて応え、扉を開けて中へと足を踏み入れた。

 ギィィ……バタンッ。

 重々しい音を立てて、再生所の扉が完全に閉ざされる。

 

 モノクが中へ入ったのを見届けた後、サニーがふと思い出したように眉をひそめた。

 

「……つかあいつ、なんであんな沢山『クスリバチ』捕まえてたんだ?」

「ずっとブンブンうるさかったし」

 

 リンも思い出したように耳を塞ぐ仕草をする。

 そう、モノクはトリコへの差し入れが入った大袋とは別に、道中で捕まえたクスリバチが大量に詰まった透明なビニール袋を提げていたのだ。

 

「ん……? あぁ、確かに。クスリバチは見慣れてて気にしてなかったぜ。……なんでだ?」

「いや知らね」

「…… あれを師匠は、受けとらねぇと思うが」

 

 癒しの国ライフにおいて、クスリバチは最もポピュラーな医療昆虫の一つだ。再生屋の鉄平にとっては日常の風景の一部すぎて、思考から抜け落ちてしまっていた。

 

 

 

◇

 

 

 

「失礼しますー……」

 

 分厚い木の扉を押し開け、中へと足を踏み入れた瞬間、中の光景に圧倒された。

 床や壁には、おびただしい血の跡がこびりついている。黒ずんで完全に乾ききった古いものから、まだ生々しい赤黒さを残す明らかに新しい跡まで。

 目の当たりにすると結構衝撃的だなぁ。

 しかし、そのショッキングな光景以外にも目を引くものはある。

 

 部屋の中央では、巨大な切り株の上で呼吸器に繋がれた幻の鳥獣『チャコ鳥』が静かな寝息を立てている。そして部屋の隅では、本来なら満月の次の日の朝、朝日が昇り切るまでのわずかな時間しか咲かないはずの花『モーニングローズ』が、朝でもないのに堂々と大輪の花を咲かせ続けている。

 血の匂いと、神秘的な生命の息吹が混在する、なんとも不思議な空間だった。

 

「おぉ、来たか」

 

 作業中だったのか、部屋の奥に立っていた大柄な男がこちらに顔を向けた。

 白い作業着のコートは、返り血でべっとりと染まり、もはや本来の白色の面積の方が少なくなっている。

 通称『血まみれの与作』

 葉巻樹を咥えたその男が、こちらにツカツカと歩いてくる。

 

「お前がモノクだな。会長から話は聞いてる。トリコの見舞いだろ? トリコなら、奥の部屋にいるぜぇ」

 

 そう言って、与作は自身の背後にある扉を親指でクイッと指し示した。

 てっきり「2人で」なんて言うから、何か込み入った話をされるのかと思ったが、あっさり通してくれるらしい。

 

「初めまして、与作さん。ありがとうございます」

 

 俺が軽く会釈をして与作の横を通り抜けようとした、その瞬間。

 バンッ!

 与作が長い脚を横に蹴り出し、俺の目の前に壁のように立ちはだかった。

 

「だが待ちな!! ここを通す前に、ワシも聞きたいことがある!!」

 

 その声は、空気が震えるほどにデカく、重かった。

 俺は立ち止まり、与作の鋭い眼光を見上げる。

 

「聞きたいこと?」

「ああ、そうだ! 会長から『自分で見定めろ』と言われてるからなぁ!! ワシが良いと言うまで通すわけにはいかん!! それが『ルール』だ!!」

 

 見定めろ……ね。

 まぁ、俺の存在はこの世界の上位陣から見たら完全に異質だろうな。第1ビオトープ内に突然現れた身元不明の子供。赤子の頃からリーガルマンモスに育てられたくせに、普通に人語を話し、人間界のことや法律まである程度理解している。

 

 最初、会長にも疑われたように、ブルーグリルのような裏の世界からの干渉や、あるいはどこかの組織が手を引いている可能性を疑うのは、当然だ。会長的に、「そういう疑いを持つ者は自分の目で見て確かめろ」ってことなんだろう。

 

「会長はお前側だ。で、ワシはお前に対して、ぶっちゃけ敵対心は現状ない!! いわば中立だな。だが……お前さんの返答によっちゃ、敵にもなるし……もちろん味方にもなる!! 会長は肩を持っちゃいるが、ワシは自分で見たものしか信じれねぇ! さぁ! 見定めるぜ! お前をな!!」

 

 ——第0ビオトープ職員、再生屋与作による、男同士の『面通し』が始まる。

 

「ま、適当に座れや。一応この部屋は悲鳴やらなんやらが漏れないよう、『縮音石(しゅくおんせき)』を至る所に埋め込んである!! 声が漏れる心配はねぇぞ。安心してデケェ声で喋ってくれや!! だははは! あ、あと嘘は無しな!! つかねぇと約束してけれるならワシも信じよう!! ワシは約束は守る男だ!!」

 

 ……声デケェ。

 すっごい響くなぁ。本当に縮音石なるものは埋めてあるんだろうか。普通に外までダダ漏れしてそうなんですけど。

 

「嘘はつかないですよ。この場で嘘をつくのが一番信頼されなくなるでしょ。僕も流石に、第0の人とは仲良くしたいんだ」

 

 俺が静かにそう返すと、与作がピシッと俺を指差した。

 

「まずそこだ! モノク、お前なんで『第0』を知ってやがる? 第0は会長が直々に作った極秘の組織だ。会長から聞いたんじゃぁねぇだろ。作った本人が機密漏らしてちゃ世話ねぇ……。あの人は、そういう筋は通す……!! どこで知った?」

 

 鋭い問い。

 俺は誤魔化すことなく、しっかりと与作の目を見据えて答えた。

 

「……言えない」

「だはは! 嘘はつかねぇが、言えねぇときたか!! 人間臭くていいぜ、そうゆーの!! だが、それじゃあ状況は変わらねぇぜ、白髪(しろかみ)ボーイ!!」

「白髪(しろかみ)ボーイて……」

「なら、美食會の奴らとの繋がりはどうなんだ。これが一番疑われてるぜぇ、兄ちゃん」

「無いよ。それだけは絶対」

「そうか。嘘はつかねぇというお前の言葉……信じよう!! ……じゃっ、もういいか」

「……え? もういいの?」

 

 あまりにもさっと切り上げる与作に、俺は思わず拍子抜けしてしまった。

 

「ああ、この程度しか聞くことがねえ! 正直な、ワシはお前が敵とか味方とか、どっち陣営だとかどうでも良いんだ!! でも、見定めるなんて言っちまったからな!! 一応形式上聞いといただけだ!! ごめんな!! だははは!」

 

 なんだ、気張って損したな。

 俺が肩の力を抜いてため息をつこうとした——その時だった。

 与作の顔から、すっと笑顔が消え失せた。

 

「それじゃあ、こっからは『再生屋』として聞くぜ……」

 

 空気が、急激に冷たく重くなる。

 血まみれのコートを纏った大男が、鋭い、いや、恐ろしいほどの威圧感を伴った眼差しで俺を見下ろした。

 

「……モノク。お前の持ってるそりゃあ、なんだ……?」

 

 与作が顎で指し示したのは、俺がずっと左手に握っていたものだった。

 

「あ、これ? これは僕の菜園から朝イチで収穫した食材たちだよ。新鮮で美味しいよ?」

「おっ、そうか! ワシも食ってみた——って、そっちじゃねえ!! 逆の手だ逆の手!! 今の空気感でボケれるとは肝座ってやがるな!!」

「あぁ、こっちね」

 

 俺は左手に提げていた透明なビニール袋を持ち上げた。

 中では、大量の『クスリバチ』がブンブンと羽音を立てて激しく飛び回っている。

 

「……なんでそんなもん、大量に持ってやがる。悪いがウチは足りてるぜ。何用だ?」

 

 与作の低い声が、部屋の空気をピリッと張り詰めさせた。

 

「一応言っとくが、ワシとしちゃあ……『自分用だ』と応えて欲しいぜ」

「トリコ用だよ」

 

 俺が迷いなく即答すると、与作はがくりと下を向き、「はぁぁ……」と深く、ひどく重たい溜め息をついた。

 

「もう一度言うが、クスリバチは足りてる。さっさと野に返してきな」

「やだ」

 

 咥えた葉巻樹の煙が、分厚い溜め息と共に部屋の中空へと吐き出された。

 

「……なら、話はまだ長くなるぜ」

 

 ここからが、本当の『面通し』なるようだ。

 

 クスリバチを持って行ったら、与作に不審がられるのは分かっていた。

 実際のところ、トリコが追加のクスリバチを必要とするのはまだ当分先の話だ。

 原作の展開では、トリコの再生速度が異常すぎて与作の想定をはるかに上回り、途中でクスリバチのストックが完全に底を突く。そこでサニーがギリギリのタイミングで捕獲しに走り、事なきを得るわけだが……俺は今回、その分を今のうちに捕獲して持ってきた。

 だから、今の与作から見れば、現状充分にストックがあるにもかかわらず、わざわざ貴重な医療昆虫を無駄に乱獲して持ってきた、ただのバカでしかない。

 

 …でも、俺はもうやめたんだ。

 どうせ後でサニーがギリギリで捕獲して持ってきてくれるから。どうせトミーロッドは鉄平が倒してくれるから。どうせGODはトリコたちが見つけてくれるから。

 ……そうやって、安全な場所から『傍観者』を気取るのは、もう終わりにすると決めた。

 小松シェフのあの言葉が、俺の目を覚まさせてくれた。

 この世界は、もう俺がただ読んでいた『漫画』じゃない。小松シェフも、メルクも、トリコも……皆、確かにここで呼吸をして、懸命に生きているんだ。

 それなのに俺は、原作の知識があるからと、物語が壊れるのを恐れて何もしなかった。トリコがあの凄惨なアイスヘルで片腕を無くし、生死の境を彷徨うのを知っていたのに、ただ遠くから傍観しているだけだった。

 その結果残ったのは、激しい後悔と、自分の卑怯さへの嫌悪感だけ。

 だからこそ、俺はこの『トリコの世界』に、自分の二本足でしっかりと立ちたい。誰かに運命を委ねるのではなく、俺の手で、彼らを助けたい。

 

「それを野に返さねぇってんなら、ここは通せんな」

 

 低く、凄みのある声が思考を遮った。与作が、トリコがいるであろう部屋の扉の前に鎮座し、咥えていた葉巻樹を指で挟み、ギロリと俺を睨みつける。

 

「ワシはな、自分で指示して獲ってこさせたやつか、自分で直接獲ったものしか、ワシの再生治療では絶対につかわん!! それがルールだ!! ましてやクスリバチは今、充分にある!! なんでわざわざ捕獲してまで持ってきやがった? 再生屋として、その答えを聞くまでは通せねえぞ」

 

 一切の妥協を許さない、再生屋としての威圧感。

 それに呑まれないよう、俺は真っ直ぐに与作の目を見返して答えた。

 

「足りなくなるからだよ」

「足りなくなる!? それはねえな!!」

 

 与作が鼻で笑い飛ばす。

 

「常に30匹以上はストックしてる!! そんだけ居りゃ、通常の再生なら2年は持つ!! ましてや、なんでそんなことがお前に分かる!? 再生屋としての経験もねえ、ただの素人のお前が!!」

 

「確かに僕は何の経験も無いよ。でも…与作さんもトリコのグルメ細胞が、他よりも特殊なのには気付いてるでしょ?」

「ああ。だが、まさかそれだけでお前は足りなくなると考えたのか? なら残念だが、お前さんの読み違いだな」

 

 与作は呆れたように首を振った。

 

「あいつのグルメ細胞は確かに特異だ。だが、それだけだ。いくら特異だとしても、細胞の活動には限界がある!!」

 

 今、この段階で話すことじゃないかもしれない。原作の根幹に関わる秘密を、ここで暴露してしまっていいのか。

 だけど、話すことによって、与作がさらに万全の準備を整え、トリコが苦しむ時間が少しでも減るのなら……。

 

「与作さんは、トリコの腕の再生に、実のところどのくらいかかると想定してる?」

「ここまで言ってまだ折れねぇか。正直に言うぜ……トリコの特異な細胞と、現状の進行の速さを加味して考えると、5年…ぐらいだろうな。これでも異例中の異例だ。通常20年はかかる定説を、5年で縮め——」

「半年だ」

 

 俺の言葉に、与作の動きがピタリと止まった。

 

「……なに?」

「トリコの腕は、半年で再生する」

「バカな……!!」

 

 ガタッ!! と音を立てて、与作が椅子から勢いよく立ち上がった。

 

「半年だと!? あの会長でさえ、片腕の再生には1年はかかるぞ!! 信じられるわけがない!! いくらやつの細胞が特異でも、元を辿れば一つの細胞だ!! 再生速度にも絶対的な限界が——」

「——トリコのグルメ細胞は、一つじゃないんだ」

 

 静かな部屋に、俺の声だけが異様にクリアに響いた。

 

「なっ……バカを言うな! グルメ細胞を体内に共存させることなど不可能だ!!」

 

 与作の顔に、明確な驚愕と否定の色が浮かぶ。

 

「過去にグルメ細胞を移植した結果、互いの細胞が反発し合い、身体が耐えきれず四肢がもげ破裂した奴がいる!! あの天才、モーヤンシャイシャイ先生でさえ不可能だったんだ!! それ以来、グルメ細胞の複数移植実験は完全に禁止とされてる!! あの倫理観の欠片もねえ美食會のアホ共でさえ断念するほどの禁忌だぞ!? 確かに、2つのグルメ細胞を有するなら、今のトリコの進行の速さには納得できるが——」

「2つじゃない。3つだよ、トリコのグルメ細胞は」

「み、3つだと……!?」

 

 与作の目が見開き、咥えていた葉巻樹が床へとポロリと落ちた。

 

「2つでさえ存在しえねぇものが……3つだと……!?」

 

 常識を根底から覆す事実を前に、歴戦の再生屋の言葉が完全に宙を彷徨った。

 

「信じられないのもしょうがない。トリコ本人でさえ自覚がないんだ」

「なら、ますますきなくせぇな。本人でさえ知り得ないことをなぜ知ってる? 第一、それを信じる道理はどこにある」

 

 一瞬の驚愕を顔に浮かべたものの、与作は瞬時に冷静さを取り戻し、鋭く問い詰めてきた。

 一歩も引かず、俺は真っ直ぐに言い放つ。

 

「嘘はつかない」

 

 ただ一言。

 俺の目と与作の目が、真正面からぶつかり合う。

 シン……と、血の匂いが漂う部屋に重苦しい沈黙が降りた。与作は俺の瞳の奥の奥まで見透かすように、じっと睨みつけている。

 永遠にも似た数秒ののち。

 

「だはははは!! そうだったな!! いいぜ!! その言葉……信じよう!!」

 

 張り詰めていた空気が、与作の豪快な笑い声と共に一気に弾け飛んだ。

 

「だが! 信じはするが、ルールはルールだ!! そのクスリバチは返してこい!! クスリバチはワシが後で獲ってくる!!」

 

 それは与作なりの、最大限の歩み寄りだった。俺の言い分は信じるが、自分の再生屋としてのルールは曲げない。示談にも似た、この場を収めるための一番大人な提案。

 だが、俺は即答した。

 

「え、やだよ」

 

 ピタッ、と与作の笑い声が止まり、その目が点になる。

 

「お前なぁ……これが一番良い落とし所だろうが。なんでそこまでルールに従わんのだ」

 

 呆れたように嘆息する与作に、俺はぽりぽりと頭を掻きながら言葉を紡ぐ。

 

「俺が今話した内容は、現状話すべきじゃなかったし、昨日まで誰にも話すつもりはなかった。これを話したのは与作さん、あんただけだ」

 

 大きく息を吸い込み、俺は続ける。

 

「俺だって『原作知(ルール)識』を破って喋ったんだ。あんたもルールを破ってくれたっていいんじゃないか?」

 

 その言葉の真意を、与作が正確に理解できたはずはない。だが、俺が「絶対に破ってはいけない自分の中の絶対の掟」を破る『覚悟』の熱だけは、確かに伝わったはずだ。

 与作の巨体に、電流のような衝撃が走る。

 

「……良い目をしてやがる……!! 覚悟の決まった、漢の目だ……!!」

 

 与作の口角が、凶悪なまでに吊り上がった。

 

「モノク! こんだけ話したが……なるほど……、次々と未知を根付かせる……底知れぬ創造の種よ…!!」

 

「気に入った!! いいだろう。ワシのルール、今すぐ破ろう!!」

 

 そう叫ぶなり、与作はドンッと音を立てて身体を退け、背後の扉の前のスペースを大きく開け放った。

 

「長話して悪かったなあ!! 今日を以てワシは全面的にお前の味方だ! さぁ入りな! お前さんがそこまでして気にかけてるトリコが中に居るぜ!! クスリバチでも食材でもなんでも持っ——」

『ガンッ!』

「いてっ……」

「あ、」

 

 与作が勢いよく開けようとしていた奥の扉が、逆に内側から勢いよく押し開かれ、与作の顔面にクリーンヒットした。

 そして、開いた扉の隙間から、ひょっこりと見慣れた顔が覗く。

 

「おい与作、この扉建て付け悪いぞ。全然開かなくて……って、何やってんだ扉の前で。ん? おぉ! モノクじゃねぇか!! 来てたのか! なんだよ呼んでくれよー!」

 

 満面の笑みでぶんぶんと手を振ってくるトリコ。

 

(えぇ……中で待ってろとか、そういう声がけをしてたわけじゃないんだ……)

 

 扉がぶつかった額をさすりながら、与作はトリコを数秒見つる。

 

 やがて爆発した。

 

「トリコォ!! お前ちょっとは空気読めよォ!! 今めちゃくちゃ良い感じで話し合い終わりそうだったんだぞ!? お前のせいでぶち壊しだろうが!!」

「ハァ!? しらねぇよ!! 防音で外の音聞こえねぇのに、どうやって空気読むんだよ!?」

「そりゃあれだ!! えーと、鼻だ!! 鼻良いだろお前!! 匂いで空気読めよォ!?」

「意味わかんねぇよ!? 第一、血の匂いしかしねぇんだよここ!!」

「なんだそれは!! クレームか!? ウチへの悪質なクレームか!?」

「クレーマー扱いすんな!! 事実だ事実!!」

 

 ギャーギャーと子供のように言い争い始める大男二人。

 数秒前まであんなにヒリヒリしていた死闘のような空気は、跡形もなく吹き飛んでしまった。

 俺はポカンと二人の口論を眺め——やがて、堪えきれずに吹き出した。

 

「あっはははは!」

 

 そうだよな、これが俺の好きだった『トリコ』の世界なんだ。

 

「なんだよモノク、何笑ってんだよ!」

「いや、元気そうでよかったなって!」

 

 安全な場所から見守る『傍観者』をやめた先には、こんなにも騒がしく、温かい日常が待っていた。

 俺はクスリバチの入った袋と、特大の食材袋を両手にしっかりと握り直す。もはや迷いは微塵もなかった。

 俺はこのやかましくも愛おしい世界へ遂に踏み入れたんだ。

 

 

◇

 

 

 とりあえず話し合いも終わったことで外に待たせていた3人を呼び込んだ。

 

「ったく、待たせすぎだっつーの……。ほらトリコ、お前の大好きなモノクがわざわざ見舞いに来てやったぞ」

「トリコォ〜! ちゃんとご飯食べてたぁ〜!?」

 

 呆れ顔で入ってきたサニーと、いつものようにトリコに駆け寄るリン。

 

「おぉ! お前ら、モノクを案内してくれてたのか。ありがとな!」

「まぁな。というか、師匠がモノクと2人で話すって言って、俺たちずっと外で待たされてたんだよ」

 

 鉄平が抱えていた大荷物をドサっと置いて答え、面白そうに与作の顔を覗き込んだ。

 

「師匠〜、随分モノクと話し込んでたじゃねえか。なんか機嫌良さそうだし」

「だははは! 野暮用だ野暮用! ちょっとな!」

 

 鉄平の言葉に、与作は葉巻を咥え直しながら誤魔化すように笑う。

 そんなやり取りを横目に、俺はトリコの前まで歩み寄り、持っていた大きい袋をドンッと床に置いた。

 

「ほらトリコ、お見舞いの食材。とりあえず今ある分、限界まで持ってきたよ」

「おぉっ! サンキューな、モノク!」

 

 トリコは目を輝かせ、右腕一本で軽々とその大袋を引き寄せた。

 

「いやぁ、マジで食材のレパートリーが増えて嬉しいぜ! 毎日毎日、アホみたいにカロリー摂り続けなきゃなんねぇし、なんとか腕が治るまでの『20年』、耐えるしかないからな〜!」

 

 トリコが少しだけうんざりしたように笑う。食い続けるのは問題ないが、20年待つというのは中々吹っ切れないようだ。

 だが、その様子を見ていたサニーが、長い髪を指でいじりながらニヤリと笑った。

 

「ふん……そん中見たらトリコ、びっくりすんぜ」

「んあ? なんでだ?」

 

 サニーの意味深な言葉に、トリコが袋の口をガサゴソと開け始める。

 

 その和気藹々とした様子を、部屋の壁に背を預けて眺めながら、与作は一人、口角を深く吊り上げていた。

 

 ——してやられたぜ。

 与作の脳裏に浮かぶのは、モノクをこの場に向かわせた、あの食えないIGO会長の顔だ。

 

(会長め……ワシがコイツを気に入ると分かってて、わざとここに仕向けやがったなぁ)

 

 ひと悶着起きるのは想定済みだったんだろう。

 だが、あんな真っ直ぐで、『覚悟の決まった漢の目』を見せられて、ワシが気に入らんワケがねぇ。

 会長は、モノクのその性質を見抜いた上で、真っ向からワシにぶつけた。

 

(……なるほどな。会長の狙いが見えてきたぜ)

 

 与作の鋭い思考が、第0ビオトープという巨大な盤面を俯瞰し始める。

 今後、会長はワシのように『中立』の立場をとっている第0の人間を、着実にモノク側へと引き入れていくつもりか。

 

 第0の連中は、どいつもこいつも一筋縄じゃいかない『変人』揃い。現状、あそこまで異質な存在であるモノクに対して好意的なのは、タックと……メリスマンぐらいか。

 逆に、敵対的、あるいは強く疑ってかかっている奴は……。

 

(1、2、3、4人……いや、5人はいるか)

 

 頭の中で顔を思い浮かべながら、与作は煙を細く吐き出した。

 組織ってのは、個の力が強大であればあるほど、反発する奴が一人でもいりゃあ纏まらなくなる。

 だからこそ、まずは残りの『中立』な奴ら——それも、ワシのように主に人間界で活動している連中から攻略する気だ。メルクに、ラブ、珍鎮に……愚衛門か。

 

(そうやって外堀から確実に埋めていって、最終的に第0の全員にコイツを認めさせるつもりか? どこまで先を見てやがんだ、あのジジイはよ)

 

 あるいは、まさか。

 いずれコイツを、第0の職員に引き入れるとか言い出すんじゃねえだろうな。

 

(……だはは。味方につくと約束したからには、ワシも協力はもちろんするが。そいつは中々、骨が折れるぜぇ……一龍会長よ)

 

 与作が内心でしたり顔を浮かべ、深く紫煙をくゆらせた——その時だった。

 

「あっ!! なんだコレ!!」

 

 袋の中を漁っていたトリコが、すっとんきょうな声を上げた。

 その大声が、与作の深い思考を遮る。

 

「なんかデカい柑橘っぽい果物が出てきたぞ…! こりゃ…『柚子』か? でも明らかにデケェし、妙に硬てぇな」

 

 コンコン、とココナッツサイズの巨大な柚子を叩くトリコ。

 

「それにこっちのバナナ……ふつうのバナナに見えるが、房の根本がなんだかカラフルな色してやがる……。おいモノク、これってもしかして……」

「うん。新食材…できました!」

 

 俺が笑顔でさらりと報告すると、トリコは目をひん剥いた。

 

「なにィ! マジかよモノク! 前の6種類からまだ一年も経ってねぇんだぞ!?」

「いやぁ、最近創作意欲が凄くてね」

「そ、そんな作家みたいなもんなのか……?」

 

 呆気にとられるトリコ。その横で、サニーが前髪をふっと息で吹き上げながら呆れ顔を見せた。

 

「相変わらずだなコイツは。親睦の証に未発表食材ポンポン配るし」

「早速食べてみてもいいか!?」

 

 トリコが巨大な柚子を抱えながら、涎を垂らさんばかりの勢いで身を乗り出す。

 

「もちろん。食べて食べて」

「おう! で、どうやって食うんだこれ! 硬ぇけど、このまま割っちまっていいのか?」

「それは『葛柚子(くずゆず)』って言ってね。ぐるぐるの長い茎の部分があるでしょ? それを下に、ちょっと押し込んでみてよ」

「押し込む? こうか……んんっ?」

 

 トリコが言われた通りに太い茎をグッと押し込むと、プツン、という小気味良い音が鳴った。

 

「おっ!? なんだ今の。ズボッと入り込んだぞ!?」

「実はそれ、飲み物なんだ。その茎の管が、そのままストローの代わりになるんだよね。さ、飲んでみてよ」

 

「これがストローなのか!? ひゃー、面白ぇ! よし……いただきます!!」

 

 トリコが茎の先端を咥え、勢いよく一気に吸い上げる。

 

 ズズズズッ……!!

 その瞬間、トリコの目が見開き、顔全体がパァッと朱に染まった。

 

「……っはぁああぁぁ〜〜〜〜ッ!!」

 

 まるで雪山で温泉にでも浸かったかのように、腹の底から深く、心地よい息を吐き出すトリコ。

 

「なんだコレ……! あったけぇ!! 中に入ってるのは果汁じゃねぇ、トロットロの『葛湯』だ!!」

 

 トリコが興奮気味に語り出す。

 

「吸い込んだ瞬間に、柚子の爽やかで突き抜けるような香りが鼻の奥をブチ抜いていく! だけど全然ツンとこねぇ。むしろ、とろみのある葛湯の優しくて丸い甘さが、柚子の強い酸味を完璧に包み込んで、舌の上で極上の味わいへと昇華してやがる……!!」

 

 ズズズッ、ともう一口吸い込むトリコ。その表情は、普段の猛獣を食らう時の野性的なものとは違い、完全に『癒やし』に満ちていた。

 

「すげぇな……温かい葛湯が喉を通って胃袋に落ちた瞬間、体の芯からじんわりと熱が広がっていくのが分かる。今までの戦いでガチガチに強張ってた筋肉の緊張が、まるでお湯の中でほどけていくみたいだ……。まるで、果実の形をした『飲む温泉』じゃねぇか……!!」

「飲む温泉……!」

 

 トリコの言葉を聞いていた皆んながゴクリと喉を鳴らす。

 

「俺も一口くれトリコ!!」

「ワシにも寄越せ!!」

「おう、飲んでみろよ!!」

 

 トリコから葛柚子を受け取った鉄平が吸い込み、途端にふぅっと深いため息をついて、ガクリと肩の力を抜いた。

 

「うおぉぉ……こりゃすげぇ……。関節の奥にこびりついてた鉛みたいな疲労が、お湯に浸したみたいにじんわり溶け出していくのが分かる。連日の徹夜作業の疲れが、柚子の香りと一緒に体外へフッ飛んでいきやがる……!

「どれ、ワシも……!! だぁぁぁーッ!! 美味ぇ!! 沁みるぜぇぇ!! 血生臭ぇ治療の連続で張り詰めてた神経が、内側からマッサージされてるみてぇだ!!」

 

 大男三人が、一つのココナッツサイズの果実を回し飲みしながら、恍惚とした表情でだらしない声を上げている。

 一方、サニーとリンにも俺はもう一つの葛柚子を渡していた。

 

「2人も飲んでみてよ」

「アタシから飲むし! ……んんん〜〜〜っ! 何これ超美味しいし!! 甘さが全然くどくなくて、柚子のアロマ効果で心がすっごい落ち着くし〜! アタシこれ結構好きかも!!」

 

 リンが幸せそうに頬を抑えて身悶えする。

 

「どれ、俺も……」

 

 サニーが茎に口をつけ、静かに吸い込む。

 次の瞬間、彼の美しい髪が、ブワッと触角のように淡く広がったかと思うと髪達の力が抜け落ちたように

スーッと垂れる。

 

「……はぁぁ……。なんだこの優しさは。荒んだ心と身体を、絹のような温もりで包み込んでくれる……。味も香りも、そしてこの癒しの効果も……すべてが一切の無駄なく、パーフェクトにまとまっている……!」

 

 血生臭い空間が、葛柚子一つの香りと温もりによって、まるで極上のスパ施設にでも変わってしまったかのようだった。

 全員、完全にマッサージされた後のようにリラックスしている。

 

「はぁ……たまんねぇぜ……一つ目からこれじゃあ、次のこのバナナへの期待が膨らみまくりだ!! まっ、お前の生み出した食材ってだけで、最初から期待度マックスだけどな!!」

 

 葛柚子の余韻に浸りながら、トリコが手元の『ナナバナナ』を輝くような目で見つめる。

 

「ええ……そんなこと言われると、なんかハードル上がりすぎて緊張してきた……。やっぱり持ち帰ろうかな……」

 

 俺が冗談めかして手を伸ばすと、トリコはバッと身体を捻った。

 

「おぉい! ダメだそれは!! もう返さねぇぞ!! 俺んだコレは!!」

「そうだ! トリコォ!! 絶対返すな!! それはもうワシたちのだ!!」

 

 トリコが残った左手で大事そうにバナナの房を抱きしめ、その後ろから与作が加勢するように大声を上げる。大の大人二人がバナナひと房でムキになっている姿に、俺は思わず吹き出した。

 

「じょ、冗談だよ……。それは『ナナバナナ』。普通にバナナみたいに皮を剥いて食べられるよ」

「おっそうなのか、じゃあみんなで分けるか」

 

 トリコは房を顔の前に持ち上げると、片手しかない不自由さを微塵も感じさせない動きで、口を使ってバキッ、バキッと巧みにバナナをもぎ取っていき、みんなへと一本ずつ投げて渡した。

 

(しまったな……)

 

 片手がない相手に、房のままのバナナを渡すのは少し配慮が足りなかったかもしれない。

 

「じゃあ剥くぞ……一体、中はどうなってるんだ……?」

 

 俺が内心で申し訳なく思っていると、当のトリコ本人は平然と、そして期待に胸を膨らませて自身のバナナを口で器用に剥き始めた。ペロッ、と黄色い皮が剥がれ落ちる。

 

「おっ、こりゃなんだ!? スンスンっ、この甘くて芳醇な匂いは……バニラか!?」

 

 中から現れたのは、濃厚なバニラビーンズを思わせるクリーミーな乳白色に染まった果肉だった。

 

「トリコはバニラか〜」

 

 俺がそう言うと、トリコはピクッと眉を動かした。

 

「その言い方……もしかして、それぞれ違うのか!?」

 

 ワクワクとした様子で、トリコが周りの連中の手元を見回す。

 

「へぇ、皆んな違うのか……どれどれ俺は……」

 

 鉄平が自分のバナナの皮を剥き、鼻を近づけてくんくんと嗅いだ。

 

「お、黒い果肉だ。……深くローストされたカカオ豆の香ばしい匂いに、カカオバターの重厚な甘みが混ざったようなこの香り……チョコか?」

「え、なにそれおもしろ〜い! アタシのは〜……チョコミントだ!! すご!! 見た目が完全にチョコミントのアイスみたいな色したバナナだし!!」

 

 リンがキャピキャピと嬉しそうに、鮮やかな水色に黒い斑点が入った果肉を見せびらかす。

 

「ほう……中々美(つく)しい見た目だな、チョコミント。俺のは……」

 

 サニーが優雅な手つきで皮を剥く。中から現れたのは、茶色がかったツヤツヤの光沢を放つ果肉だった。

 

「なんだそれ、ウ◯コか?」

 

 食事中にしていいわけがない直球すぎる表現を、トリコがまた平然とぶっ込む。

 

「っざけんなトリコォ!! ウ◯コじゃねーよ!! 匂いでわかんだろ! こりゃキャラメルだ!!」

「なんだキャラメルか。てっきりウ——」

「もう言うなそれ!!」

 

 激怒するサニーとゲラゲラ笑うトリコの掛け合いを眺めながら、先ほどまで彼らと同じようにテンションを上げていた与作は、一人内心で戦慄していた。

 

(まぁ、美味いもんを前にしてテンションが上がっていたのは嘘じゃねぇが……)

 

 与作の鋭い視線が、笑っているモノクへと向けられる。

 

(なんつー食材を生み出してやがんだ、コイツは……! リラックス効果を持った柚子に、一本一本完全に味が違うバナナだと……?)

 

 前回の6種も前代未聞の代物だったが、さらに同じレベル——いや、それ以上の複雑な構造を持った規格外の食材を、こうもポンポンと息をするように創り出せるものなのか。

 

(こんだけ『創造する』力があるなら、おそらくコイツは美食屋ってよりは、再生屋として——)

 

「師匠〜! 早く剥いてくださいよ〜! 師匠のは何味なんすか?」

 

 鉄平の呑気な声が、与作の深く沈み込みそうになっていた思考を強制的に引き戻した。

 

「お、おう。どれどれ、ワシのは……こりゃ、いちごか?」

 

 与作の手元には、可愛らしいピンク色に染まったバナナが現れていた。血まみれの大男がいちごバナナを持っているというシュールな光景が少し面白い。

 

「なるほど〜、誰も引かなかったか。ちなみに僕のはソーダだね」

 そう言って、俺は自分が手に持つ爽やかな青白いバナナをみんなに見せた。

 どうやら今回は誰も『引かなかった』らしい。

 

「なるほどな! それぞれ違う味のバナナか! 剥くまで何味かわかんないってのも、福袋みてぇにドキドキできて楽しいぜ!!」

 

 トリコがバニラ色のバナナを片手に、少年のように無邪気な笑顔を浮かべた。

 

「よーし、じゃあ早速いただくぜ!!」

 

 トリコが大きく口を開け、バニラ色のバナナに豪快にかぶりつく。

 

 むむっ! とトリコの両目が見開かれた。

 

「うおおおっ!!」

 

 咀嚼するたび、トリコの表情に驚愕と歓喜が入り混じる。

 

「歯が入った瞬間の食感は、限界まで完熟したバナナ特有のねっとりとした重みだ! だが、突然、爆発的なバニラの香りがダイレクトに来やがる!!」

「そんなにすごいのか!?」

「あぁ! ただ甘ぇだけじゃねぇ! 本物のバニラビーンズを限界まで濃縮したような芳醇な香りが、バナナの濃厚な果肉と完全に一体化してやがる! まるで、超高級なバニラアイスをそのまま常温のフルーツとして食ってるみてぇだ!!」

 

 トリコが絶賛の声を上げながら、二口、三口と一瞬で平らげていく。

 その言葉に感化されるように、鉄平も自分のチョコ味にかぶりついた。

 

「こっちのチョコもヤバいぜ……。噛むと、深い焙煎を経たカカオのビターな香ばしさがガツンとくる。だけど、バナナの自然な甘みがそれをすぐに優しく包み込んで……口の中で、出来立てのチョコバナナフォンデュが勝手に完成しやがる!!」

「チョコミントもヤバいし!!」

 

 リンが目を輝かせながら叫ぶ。

 

「バナナの果肉の中に、本当にサクサクのチョコチップが入ってる! ミントの突き抜けるような爽快感のあとに、バナナの甘さが追いかけてきて、もう口の中がスイーツの遊園地だし〜!!」

「……ふん、このキャラメルも大したモンだ」

 

 サニーが優雅に一口かじり、満足げに息を吐く。

 

「ただ甘ったるいだけじゃない。焦がし砂糖の絶妙なほろ苦さが、バナナのまったりとした甘さを上品に引き締めている。口溶けはまるで、極上キャラメルプリン……。完璧な計算で成り立っている味だ。美(つく)しい……」

「だははは! ワシのイチゴも傑作だぜ!!」

 

 与作が血まみれの顔で、ピンク色のバナナを頬張る。

 

「バナナを食ってるはずなのに、噛むたびにイチゴ特有の甘酸っぱさが溢れてきやがる!! バナナのねっとり感とイチゴの瑞々しさ……二つの果実の美味いとこだけを極限まで高め合った、奇跡の共演だなこりゃあ!!」

 

 全員がそれぞれの味に夢中で咀嚼を続けている。

 葛柚子の香りで満たされていたはずの部屋が、今やバニラ、チョコ、キャラメル、イチゴ、ミントという、色とりどりの甘い香りで満たされていた。

 

「僕のソーダも爽やかで美味しいよ」

 

 俺も青白いバナナをかじる。

 バナナの食感なのに、果肉の中に微炭酸が閉じ込められており、噛みしめるとシュワシュワッ、と舌の上で心地よく弾ける。濃厚な他の味の合間に食べるには、この清涼感がたまらない。

 

 そんな中、足早に平らげたトリコの視線が、ふと房に残った最後の一本に止まった。

 

「なぁモノク。ちなみにこの最後の一本は何味なんだ?」

 

 その問いに、俺は事もなげに答える。

 

「あぁ、実はそれランダムなんだ。その房ごとに一本だけ味が決まってないのがある。だからまぁ、完全シークレット味だね」

「なんだそりゃ!? 珍し過ぎねぇかそんな食材!!」

 

 奇妙な食材の性質に対して、大声を上げるトリコ。

 だが、その言葉を聞いて一番戦慄していたのは、他でもない与作だった。

 

(ランダムっ……だと……!?)

 

 与作の背筋に、ゾクリと冷たい汗が伝う。

 

(人間が創り出す中で、別々の味を一つの房に定着させるだけでも奇跡だぞ。それを、収穫して皮を剥くまで中身が確定しねぇ『ランダム要素』まで遺伝子レベルで組み込んでるだと!? ……どこまで規格外なんだ!!)

 

 驚愕で固まる与作をよそに、サニーがフッと笑い、トリコを指差す。

 

「ま、トリコ。お前今、腕の再生で死ぬほどカロリー消費してんだろ。その最後の一本、お前にやるよ」

「おう。俺たちはおすそ分けしてもらった身だしな。患者の特権ってやつだぜ」

 

 鉄平も笑って譲り、リンも「トリコいっぱいたべてー!」と嬉しそうに応援する。

 

「おっ! いいのかお前ら!? じゃあ遠慮なく……」

 

 トリコが期待に胸を限界まで膨らませて、最後の一本の皮をペロリと剥いた。

 

「おわっ!? なんだこりゃあ!!」

 

 中から現れた果肉を見て、トリコが驚きの声を上げる。

 バナナの表面には、まるで上質なココアパウダーのような細かな粉がびっしりと吹いており、果肉自体も雪のようなクリーム色と、深煎りコーヒーのような濃い茶色の層のグラデーションになっている。

 

「甘苦い、すげぇ大人な匂いがするぞ……いただきます!!」

 

 トリコが勢いよくかぶりつく。

 

 咀嚼した瞬間、トリコの目が見開き、太い腕の筋肉がビクッと跳ねた。

 

「……これはッ……!! 『ティラミス』だ!!」

 

 驚愕と歓喜を爆発させ、トリコが叫ぶ。

 

「すげぇぞコレ!! 噛んだ瞬間、表面のほろ苦いココアパウダーの風味が口いっぱいに広がって、そのすぐ下からマスカルポーネチーズの強烈なコクが押し寄せてきやがる!! バナナの食感が、極上のチーズクリームの口溶けを完全に再現してやがるんだ!!」

 

 トリコは一心不乱に咀嚼を続けながら、大声でその衝撃をまくしたてる。

 

「それだけじゃねぇ! 果肉の中心の茶色い層……ここから、エスプレッソをたっぷり染み込ませたスポンジみてぇに、香ばしいコーヒーの果汁がジュワッと溢れ出してきやがった!! 濃厚なチーズの甘みと酸味、そしてエスプレッソの心地よい苦味……。噛み締めるたびにそれらが口の中で混ざり合って、完全にイタリアンスイーツに化けやがった!!」

 

 濃厚な咀嚼音を立てながら、トリコはあっという間にその極上のシークレット味を胃袋へと流し込んだ。

 

「はぁ〜〜〜……美味ぇえええッ!! 口の中が最高のデザートで満たされてやがる!!」

 

 口の周りを満足げに拭うと、トリコは興奮冷めやらぬ様子でグッと身を乗り出してきた。

 

「おいおいモノク! お前、とんでもねぇモン作ったな! この一本一本が、店で出すレベルの完成されたスイーツだ! これ一房あれば、スイーツのフルコースをまるごと持ち歩いてるようなモンじゃねぇか!! しかも腹持ちの良いバナナだ、カロリー補給にも申し分ねぇ!!」

「気に入ってくれたみたいで良かったよ」

「あぁ! 美味すぎるぜ! ……おいお前ら! ちょっと俺にも一口ずつ食わせろ!!」

 

「あ、おい! トリコ! お前、何本食うつもりだよ!! 患者の特権とは言ったがもうだめだ!!」

「トリコやめろ、美(つく)しくねぇだろ! 俺のキャラメルにそのバニラとティラミスの匂いのついた口を近づけんな!!」

 

 トリコが他のみんなのバナナを奪おうと暴れ出し、サニーと鉄平がバナナを握りしめて逃げ回る。リンも大笑いしながらその騒ぎに加わっていた。

 全員が心の底から食事を楽しんでいる。この熱気と笑顔の中心に、俺の作った食材がある。

 その事実が、胸の奥をじんわりと温かく満たしてくれた。

 

 

 


 

【キャラクター解説】

 

■ タック

第0ビオトープ職員。ゴロ族の戦士にして美食屋。

ドレッドヘアーと顔に施された部族特有のペイント、そしてネイティブアメリカンを思わせる民族衣装が特徴的な男。

『食霊』を呼び出し、対話することができるグルメシャーマンの数少ない生き残りである。「食は神聖なものであり、皆と分かち合うもの」という部族の教えを誰よりも強く重んじており、一龍と一族に通ずるものを感じて第0ビオトープの職員となった。

そのため、どれだけ価値のある新食材を生み出しても利権を独占せず、万人が味わえるようにと即座に『フリー化』を行ったモノクのスタンスを大絶賛している。

「あの少年には、豊かな食霊が微笑んでいる」と語り、組織の中でもいち早く彼に好意的な姿勢を見せている人物の一人。

 

 

■ メリスマン

第0ビオトープ職員。美食人間国宝にして、『グルメ文豪』の異名を持つ女性。

ピンク色の美しい髪と、唇の右上にある小さなホクロ、そしてグラマラスな体型を強調する大胆な服装が特徴。

彼女が執筆した本は脳のごちそうと称され、その圧倒的な表現力は文字だけで世界中の人々の腹を満たしてきたと言われている。代表作である500ページを超える感動巨編『マリリンの鍋』をはじめ、数々の名作を世に送り出しており、あの十貝五人衆の中にも彼女の熱狂的な愛読者がいるとかいないとか……。

200年以上前から書籍を出版しているため実年齢はかなりの高齢であるはずだが、そうは見えないほど若々しく妖艶な外見を保っている。また、ただ机に向かうだけでなく、どれほど危険な食材であっても自らの手で狩り、味わってから執筆を行う超実力派でもある。

未知なる食材をこの世に生み出し、世界に新たな味の可能性を示したモノクに強い関心と好意を寄せており、彼女が最近出版したエッセイ本『星屑のサラダボウル』の作中でもモノクの食材について軽く触れている。その際、「食材たちは彼に創られたのではなく、まるで彼に寄り添い、共に在ることを喜んでいるかのよう」と、記している。

 





前回の話があまり良くなかったようで、投稿日に沢山お気に入り解除されてしまいました。低評価を貰うよりもお気に入り外される方が結構メンタルにきますね…。キャラとの絡みが寒いかなーとか、この展開要らないかなーとか、考えすぎも良くないと分かってはいるんですがどうしても気にしてしまいます…。
毎話毎話皆さんの期待に応えられているかドキドキしながら投稿ボタン押してます…。今回の話は自分なりに楽しく書けたんですが、皆さんも楽しく読んでいただけていたら嬉しいです。
次回はいよいよオゾン草ですかね。今は早くメロウコーラ編が書きたいです。
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