過労死したから美食屋なろう   作:ボーイッシュ大好きっ子

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オゾン草って遠いですね…(三万字)
ラブコメを望む声が少ないのは理解していますが、それでも書きたい…!
投稿かなり遅れてしまってすみません。センチュリースープを越えればサクサクいけると思います…多分…


14話

 

 俺は上空二万メートルの青空を、大の字になって見上げていた。

 うっかりオゾン草のギミックが、頭からすっぽり抜けていたのだ。剥けないと気づいたあの後、運良く自然に開いてくれている個体がないかと周辺を必死に探してみたのだが、見事に全て硬く閉じていた。俺の『食運』はやっぱり薄い……。

 かといって、ここまで来て素直に諦められるわけもない。オゾン草は目の前なんだ……!

 

(もういっそのこと、トングを使っちゃうか……?)

 

 会長には「捕獲するまで使うな」と釘を刺されていたが、あの言い方からして「楽に登るために使うな」って意味だったような気がしてきた。うん、多分そうだろう。この場面なら使っても良い気がしてきた。

 

 キョロキョロと、周りに誰もいるわけないのに見られていないか確認した俺は、そのままオゾン草の葉に飛び乗り、手とトングを使って、同時に葉を剥こうと思ったが……。

 

「うーん……いや、どの葉とどの葉だ……?」

 

 スンスンと匂いを嗅いでみるが、全くわからん。ただの青臭い匂いだ。葉に耳を当ててみるが、声も何も聞こえない。

 これか? こっちか? 無作為に葉を摘んでみるが、食材からの反応は全く感じられない。

 

(あれ俺、嫌われてる? トリコと一緒?)

 

 小松シェフは、トリコが葉を摘んだ時に「少し葉の警戒が緩んだような気がする」と言っていたんだが……あれか、小松シェフのような戦闘能力を持たない者がいないと、オゾン草は警戒を緩めてくれないのか? さすがに、ただの好き嫌いで選んでるわけじゃない……よな……?

 

 んーじゃあ、勘でやってみるか。まぁ勘と言っても、サニーが習得した愚衛門直伝の直感のようなものではなく、ホントにただの当てずっぽうなんだけど。

 

「『トング・ツマミ』……」

 

 とりあえずトングでそれっぽい葉を優しく摘み、もう一枚を自らの手で掴む。

 そのまま引っ張ろうとしたが、俺は手をピタリと止めた。

 

「……いや、やめとこ……」

 

 絶対無理だ、これ。

 もし奇跡で一回剥けたとしても、2枚目3枚目の葉で100パーセント失敗する。さらに、「自らの手」と「トング」を完璧に同時に動かすという動作に慣れていないのも相まって、完全に剥き切る前に、ここにあるオゾン草のほとんどをダメにしてしまう気がする。

 

 失敗した時に『ツボミ』に戻るならまだ良いんだ。これだけ栄養満点の雲の上なら、どうせすぐに成長するだろうとわかる。

 だが、もし『腐る』のであれば……。

 

 俺が転生した『トリコ』という作品において、アニメと漫画では様々な箇所に相違点があるんだ。このオゾン草もそう。アニメだと失敗したらツボミに戻るが、漫画だと一瞬にして腐るのだ。

 そして現状、この世界がどっちの仕様なのか俺はわからなくなってる。なんでかって? あのグルメキャスターティナ、彼女の存在がややこしすぎるからだ。アニメ限定キャラの彼女がいるからアニメ準拠かとも思うが、アニメのようなトリコたちとの深い接点は彼女に無い。それに、ティナは漫画でも一応、1コマだけ存在はしている。描かれていなかっただけで、漫画の世界でも彼女は裏でキャスターとして働いていたのかもしれない。そう考えると漫画の世界線寄りの気もするし……。

 

 メタ的な推論を抜きにしても——やっぱりダメだ。

 腐る=命を失う、だ。そうなるかもしれないとわかっていながら、成功率が途方もなく低いギャンブルに踏み切るなんて絶対にやっちゃいけない。

 ライフの街で、そして与作の元で、俺は『命を紡ぐ』ことの凄みと真摯さを肌で学んだばかりじゃないか。「全ての命に対して平等だ」と言い切った与作の顔が脳裏をよぎる。自分の意地のために、食材の命を粗末に扱うような真似はしたくない。

 それに、さっきは目の前のオゾン草に我慢できなくて目を瞑りかけたが、会長の「トング禁止令」は、移動だけでなくおそらくこの捕獲工程も含まれている、と思う。

 そもそも、俺にこのオゾン草の捕獲を依頼してきた時点で、「誰かと一緒に行け」という会長からのメッセージだろう。

 あの人は、こんなイレギュラーな存在も含めてどこまでも先を見据えている。原作でトリコにオゾン草の捕獲を依頼したのも、小松という人間の素質を見抜き、トリコのコンビに相応しいと気づいていたからだ。

 なら、俺にオゾン草を依頼したということは、コンビとまでは言わないが、1人じゃなく2人で行くことに何か意味があるんだろう。

 その意図に気づかず、すっかり浮かれて1人で来てしまったわけなんだけど……。

 

「はぁ……また登るか。ひとまず誰を誘うか考えないと」

 そう思考を切り替えようとするが、ふと別のことが頭をよぎる。

 

(コンビ、かぁ……)

 

 原作で会長は、自身にコンビがいなかったことに少し哀愁を滲ませていた。

 

『いくらすごい食材を調達する美食屋がおっても、それを調理できる料理人がいなければそれは何の価値もない』

 

 あのセリフには、単なる役割分担以上の深い意味が込められているように感じた。

 どれだけ至高の食材をテーブルに並べても、向かい合って一緒に『美味しい』と笑い合える人がいなければ、分かち合う喜びがなければ、それはひどく虚しい。

 アカシアやフローゼ、そして三虎……愛する家族たちと同じ食卓を囲む未来を失ってしまった一龍の、どうしようもない哀しさが滲み出た言葉じゃないだろうか。

 だからこそ、トリコには「良い料理人を見つけたらすぐコンビを組め」と急き立てるように助言したんだ。

 

(……はぁ、さっさとオゾン草捕獲して、帰ったら一緒に食べてやるか)

 

 美味しいものを「美味しい」と笑い合う。それこそが食事における最大のスパイスであり、会長がかつて愛した温かな食卓。せめてその温かみを少しだけでも感じてもらえるのならいくらでも一緒に飯を食おう。

 

 『一緒に飯を食う相手』

 食の喜びを分かち合うための、生涯の相棒か。

 

(……俺にもいつか、コンビを組む料理人が現れるんだろうか?)

 

 俺は、どこまでも広がる澄み切った青空をぼーっと見つめる。

 一緒に美味しいものを食べたいと思う相手——

 

「コンビって、相手は料理人じゃなきゃだめなのかな……」

 

 誰もいない天空の島でボソッとこぼすと、俺は立ち上がり、上空二万メートルの雲の上から下界へと全力でダイブしたのだった。

 

 

 

 

「じゃあ、その『オゾン草』ってやつが2人じゃなきゃ食べられないから、わざわざオレを誘いにきたってこと?」

「そーゆーこと!!」

 

 さっすがー! と、俺は元気よく親指を突き立てた。

 現在はIGOの捕獲専用ジェット機の機内。今回は俺とメルクの2人でシートに並んで座っている。

 上空二万メートルの雲の上から下界へと全力ダイブしたとき、猛スピードで落下しながらヨハネスさんに電話をかけて迎えを手配したのだ。一番下の根にパラシュートでなんとか着地し、急遽メルクマウンテンへと向かった。

 

 ——そして数時間前。工房に駆け込んだ俺が「野菜食べに行こ!!」と誘った直後のこと。

 ぽかんと呆然とするメルクに、俺は矢継ぎ早にこう告げたのだ。

 

『詳しい説明はとりあえず後で! 実は上空に登るのに2、3日野宿みたいな感じになっちゃうんだけど……大丈夫?』

『……よ、夜を……? ふ、2人で泊まり……!?』

 

 2、3日野宿という急な提案に、メルクは上空に登るとかいう意味不明な部分は気にもとめず、顔を赤くして焦り始めた。その焦りを見て、俺はハッと我に返った。

 

『あ、ごめん! 嫌だったら全然いいんだ。仕事もあるだろうし、急にごめん。俺、ちょっと急ぎすぎちゃってた……』

 

 よく考えたら、いくらなんでも勢い任せで自分勝手すぎた。猛省して慌てて引き下がろうとすると、メルクが食い気味に返してきた。

 

『い、嫌じゃない!! ……それに、たまたま……ホントーにたまたま、包丁の依頼はいつもより早く終わらせてあるから……別に行ける、よ』

 

 赤らめた顔を俯いて隠しながら、もごもごと、それでもしっかりと頷いてくれたのだ。

 

 

 ——そうして強引に連れ出して、現在に至るわけだが。

 

「だからって、片道3時間のジェット機にいきなり乗せるかな!? 初めて乗ったよ、ジェット機なんて!!」

 

 メルクは落ち着かない様子で、自身のシートベルトの金具をガチャガチャといじりながら抗議してきた。いくら数日間の野宿を承諾してくれたとはいえ、さすがにこのスピード感には振り回されっぱなしのようだ。

 

「ち、違うんだよ! いきなり連れ出したのは悪いと思ってるけど……これには海より深〜い訳があって! その訳を聞けば、メルクも『なるほど、それは仕方ないね』って絶対に納得するから!」

「へぇそうか……じゃあ、聞こう」

 

 メルクはシートベルトの手イタズラをやめて、隣に座る俺の方へと真剣な顔を向けた。

 

「メルクも聞いたことはあるでしょ? ベジタブルスカイ。行ってみたいとか思ったことない?」

「あぁ、あるよ。天空にある野菜の王国なんて、料理人や美食屋じゃなくても一度は誰もが夢をみるよ。ただのおとぎ話だと思っていたけど、本当にあるんだね」

「そう! 俺も『物語の中』でしか味わえないと思ってたから、こうして自分の足で食べに行けるなんて長年の、いや! 人生の念願だったんだよ!!」

「そ、そんなに行きたかったんだ……」

「やっとの思いで過酷な蔓を登り切って! 最高に美味しい野菜を山ほど食べて! もう準備は万端だったんだ! テンションも胃袋も最高潮! さぁメインディッシュのオゾン草食べるぞって意気込んで見つけ出したら……食べれなかった」

「うん、それはさっきも聞いたね。それで?」

「ん? これで終わりだよ?」

「は……? それだけ?」

 

 メルクが、本気で意味がわからないといった顔で俺を見た。

 

「それだけ!? 僕がどれだけ食べる気満々だったかわかる!? それなのに!! 目の前に最高の食材があるのにお預け食らったんだよ!? そんなの速攻飛び降りて、すぐ助っ人呼んでリベンジに行くでしょ!!」

「どれだけ食い意地張ってるんだよ……」

 

 俺の熱弁に対し、メルクは呆れ果てたように顔を引き攣らせた。

 

「でも……そんな過酷な場所の助っ人なんて、オレよりもっと適任なヤツがいたんじゃないのか? ど、どうしてオレを呼びにきたんだ?」

 

 そう尋ねてきたメルクは、なぜか真っ直ぐにモノクの顔を見れない。

 

(何でこんなこと聞いてるんだオレは……! 別に理由なんてなんだっていいのに! これじゃ、オレがなにか期待してるみたいじゃないか……!)

 

 と、メルクが隣で勝手に焦っていたとは露知らず。聞かれたモノクの方も、実はかなり焦っていた。

 

 メルクを誘った理由。それは、あの雲の上で会長の言葉を思い出し、「一緒に美味しいものを食べたい相手」を考えた時——真っ先に頭に浮かんだのがメルクの顔だった。

 なぜかは、自分でもよくわからない。でも、その直感をそのまま言葉にして説明するのが、今はなんだか無性に恥ずかしくてたまらなかった。

 

「あー、いや別に!? スピード重視でライフよりメルクマウンテンの方が近いって、ヨハネスさんに言われたからとかじゃないよ!?」

 

 照れ隠しのあまり、俺は咄嗟に誤魔化してしまった。

 自分で言っておいてなんだが、ひどい理由だ。「なんだその理由は!」と呆れてツッコまれるかと思っていたが。

 

「……そうか、まぁ、そんなものだよね」

 

 返ってきた声は妙に冷静で、素っ気なかった。

 そのままメルクは窓の外へ顔を向けてしまい、会話もそこでプツリと途切れてしまった。

 

(バカか俺!!)

 

 隣で静まり返るメルクの横顔を盗み見ながら、俺は内心で頭を抱えた。

 近かったからなんて適当な理由、誘われた側が嫌な気持ちになるに決まってるじゃないか!! なんで俺は聞かれてあんなに焦ったんだ? なんで本当の理由を言えなかったんだ……? なぜか無性に恥ずかしくなって……早く謝らないと!

 でも、いざ口を開こうとすると喉が引きつる。

 

(「ごめん、本当は誰と行くか考えた時に真っ先にメルクが浮かんだからなんだ」って言え! 俺!!)

 

 かくいうメルクも、窓の外の流れる景色を見つめながら内心で激しく後悔していた。

 

(なに勝手に気分を落としてるんだ……! つい素っ気ない態度を取っちゃったせいで、空気が最悪じゃないか!!)

 

 モノクになんて言われるのかを、期待していたというのか。

「近かったから」というただそれだけの理由に、なぜか胸の奥がチクリと痛んでしまった。そんなこと、普段のオレなら全く気にしないはずなのに。とにかく早く謝らないと……。

 しかし、中々素直に謝れない不器用な2人。

 そのままお互いに、口を開きかけては閉じ、視線を彷徨わせてはモジモジとしながら、結局一言も喋らずにスカイプラントの根へと到着するのだった。

 

「ヨハネスさん、2回もごめんね! 今回で必ず獲ってくるよ! ヨハネスさんの分も!」

 

 タラップを降りる際、俺は気まずい空気を払拭するように元気よく声をかけた。

 

「気にしないでください。モノクさんも二回目だからといって油断せずに、お気をつけて」

 

 そう冷静に告げるヨハネスさんに手を振り返し、俺はメルクとの気まずさを誤魔化すようにスタスタと先に降りていく。「よーし、や、やるぞー!」と、少しわざとらしく体を伸ばして屈伸運動などを始めてみた。

 その後ろで、少し遅れて降りようとしたメルクに、ヨハネスが深く頭を下げた。

 

「研ぎ師メルクさん、であっていますか? お会いできて光栄です。かなり危険な環境ですが、あのメルクさんなら問題ないでしょう。モノクさんをよろしくお願いします」

 

 それは間違いなく、規格外の実力を持つと噂される『初代メルク』だと思い込み、彼なら心配無用だと判断したうえでの挨拶だった。だが、二代目であるメルクにとっては、彼らを騙しているようでひどく気分が悪く、胸が締め付けられる言葉だった。

 

「え、えぇ……。送っていただきありがとうございました。ライフよりメルクマウンテンが近いとはいえ、長時間のフライトで疲れも溜まるでしょう」

 

 罪悪感から逃れるように、メルクはすぐさま感謝の言葉へと話をすり替えようとした。だが。

 ヨハネスは不思議そうに首を傾げて言った。

 

「いえ、……メルクマウンテンよりはライフの方が近いですよ。今回はモノクさんがメルクマウンテンに向かってほしいとご指定されたので……」

「え……」

 

 そのヨハネスの訂正の言葉に、メルクの足がピタリと止まった。

 先行して一人で屈伸をしている、少し落ち着きのない背中を見つめる。

 どうしてわざわざ、自分を呼んだのか。

 胸の奥で、無意識に小さく膨らもうとする「期待」の感情。メルクはギュッと唇を噛み締め、スカイプラントへと足を踏み出したのだった。

 

 

 

 

「うちの山を登るのとはまた違った筋肉を使いそうだね。でも、山住みとして尻込みするわけにはいかないなっ」

 

 メルクはそう言うと、腕を十字に抱え込むようにして、肩甲骨周りの筋肉をぐっと伸ばすストレッチを始めた。

 

(……なんか、急に機嫌がいい……?)

 

 俺の失言のせいで最悪な空気が流れていたというのに。

 この重苦しい空気のまま登るのは……と思いながら、恐る恐るメルクの表情を伺ったのだが、なぜかその横顔は不思議なほど晴れ晴れとしていた。

 すっかりやる気になって、念入りにストレッチまで始めている。

 

「モノク」

「は、はい!」

「なるべく君の足を引っ張らないように努力するよ。君がそんなに食べたがってる『オゾン草』も気になるしね」

「え、あ、うん! 絶対美味いから期待してて!」

 

 俺が力強く親指を突き立てると、メルクは小さく笑って頷いた。

 そうして始まった、2度目のスカイプラント登攀。

 驚いたことに、メルクの身のこなしは俺が思っていたよりも遥かに軽やかだった。

 四千メートルの険しいメルクマウンテンの山道を日常的に歩き、生活しているだけあって、足場の悪い場所でのバランス感覚や、基本がしっかりと身についているようだ。

 

「すごいねメルク! このペースで登れるとは思わなかったよ」

「だてに山のてっぺんで暮らしてないからね。でも、確かにこの植物のスケールは規格外だ……」

 

 これは俺にとって嬉しい誤算だった。

 道中、オゾン草のギミックの難しさや、俺が先に食べてきた暴力的に美味い野菜たちの話を雑談しながら、メルクはしっかりと俺のペースについてきている。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 しかし、登り始めて数時間が経過し、標高が上がるにつれて少しずつ空気が薄くなってきた。メルクの呼吸が少し荒くなってきている。

 

「ちょっとペース落とそうか? まだまだ先は長いし」

「いや……大丈夫、だ。君に、ついて行けなきゃ……意味がない」

 

 少し汗を滲ませながら、メルクは真剣な顔で首を振った。

 その強い眼差しに押され、俺はそのまま登り続けたのだが——

 

「あっ……!」

 

 疲労からか、蔓の表面のわずかな湿りにメルクの足がズルッと滑った。

 バランスを崩し、その体がフワリと宙に浮く。

 

「メルク!」

 

 俺は咄嗟に蔓を蹴り、落下しかけたメルクの細い腕をガシッと掴み取った。

 俺はそのまま力任せに彼女を引き上げ、安定した太い蔓のくぼみへと抱き寄せるようにして引き戻した。

 

「ご、ごめん……。足を引っ張らないようにと、言ったのに……」

 

 覇気のない声でそう言い、メルクは深く俯いてしまった。

 

「こういう時は『ごめん』じゃなくて、『ありがとう』がいいな!」

「ひゃっ!?」

 

 俺は蔓に片手でしがみつきながら、バッと顔を近づけ、俯いていたメルクの顔を下から覗き込んだ。

 

「やっぱり少しペースを落とそう。メルクに無理をさせたいわけじゃないんだ。怪我をさせたくない」

「わ、わかったよ……。ごめ——いや、ありがとう」

 

 至近距離で覗き込まれたメルクは、パッと顔を赤くして目を逸らしながら、小さくお礼を口にした。

 

「僕が誘ったんだ。責任を持って、絶対空まで連れて行くよ」

 

 俺は彼女を安心させるように、ニカッと笑ってみせる。

 

(とはいえ……)

 

 いくら四千メートルの山に住み慣れているからといって、彼女の本職はあくまで『研ぎ師』だ。美食屋のように日々美味いもんを食べて細胞を進化させているわけじゃない。気温も気圧も激変する二万メートルの蔓を最後まで自力で登りきるのは当然無理だろう。

 一応、メルク用に『酸素の葉』と、寒さを凌ぐ『ライタージャケット』はリュックに忍ばせてある。

 だが、彼女が自分から「もう無理だ」と諦めることはないだろうな。だから、本当に限界だと感じたら、俺が止めよう。で、彼女を背負って登る。

 そんな決意を胸に秘めつつ、俺たちは安全第一のペースに切り替えて、さらに数時間をかけて登り続けた。

 やがて、辺りが夕日に染まり、そしてゆっくりと夜の帳が下り始めた。

 

「よし、今日はここまで。ひとまずこの辺で休もう」

 

 大人数人が横になれるほど巨大な葉っぱを見つけ、そこを今夜のキャンプ地とした。

 

(ペースを落としつつも今日1日で半分ぐらいは到達したな。猛獣が少ないのもラッキーだった。食材は確保できなかったけど……)

 

 風の当たらない葉の根本に腰を下ろすと、メルクは緊張の糸が切れたように深く息を吐き出し、へたり込んだ。

 

「お疲れ様。はい、これ」

「ありがとう……」

 

 俺が水筒を渡すと、メルクは両手でそれを受け取り、喉を鳴らして水を飲んだ。

 上空数千メートルの夜は、下界の喧騒が嘘のように静まり返っている。見上げれば、工房で見るよりもさらに大きく、澄み切った満天の星空が広がっていた。

 

「すごい星だね……。工房から見る星も綺麗だけど、ここはまるで宇宙に浮いてるみたいだ」

「だね。しかも、なんとさらに、明日の朝はここから昇る朝日が見られるよ」

 

 俺は携行食料をかじりながら、隣で星空を見上げるメルクに笑いかけた。

 まだ先は長い。1人の時はあまり気にしなかった星空だが、こうして誰かと見上げなら過ごす夜は、悪くないなと思った。

 

「……ありがとう、モノク」

「ん? なにが?」

「オレを、ここまで連れ出してくれて。ずっと工房で生きてきたから、これからもずっとそうなんだと思ってた。まさか、こんな冒険に出ることになるなんて夢にも思わなかったよ」

 

 メルクは星空から視線を外し、少しだけ照れくさそうにはにかんだ。

 

「こちらこそ、だよ」

 

 その静かで穏やかな表情を見届けてから、俺たちは疲労感に押しつぶされるように、巨大な葉の上で並んで寝落ちしたのだった。

 

 日が昇る前、辺りはまだ薄暗く、上空特有の冷たく澄んだ空気が肌を撫でていた。

 

「メルク。……メルク、朝だよ」

 

 耳元に届く穏やかな声。

「ンー……」と低く唸りながら、メルクはゆっくりと薄目を開けた。ボヤけていた視界が徐々にピントを結び、目の前にしゃがみ込んでいる顔がハッキリと映る。

 

「モ、モノク!?」

 

 なぜ彼がこんな至近距離にいるのか。寝起きの頭で一瞬混乱したメルクだったが、すぐに記憶が蘇る。

 そうだ。ベジタブルスカイに向けて、2人でこの規格外の蔓を登っていたんだった。昨日は疲労が凄まじく、葉っぱのキャンプ地で横になった瞬間、泥のように寝落ちしてしまって……。

 

(ってことは、オレはモノクと2人で寝た……!? そ、添い寝みたいな距離で……!?)

 

 バッと顔に熱が集まり、メルクは勢いよく身を起こした。しかし、当のモノクはそんなメルクの動揺など全く気にも留めていない様子で、スッと空の向こうへ指を差した。

 

「ほら見て、メルク。日が昇るよ」

 

 その言葉につられて視線を向けると、海の彼方から、眩い黄金色の光がゆっくりと世界を照らし出し始めていた。

 海と空しかない、ただそれだけの圧倒的な空間。視界を遮るものは何一つなく、生まれたての太陽の熱がじんわりと頬を温める。

 

「……絶景だね」

 

 メルクは息を呑み、ぽつりと呟いた。

 

「工房でも、つい研ぐのに夢中になっていつの間にか日の出を迎える時があるけど、これとは比べ物にならないな……」

 

 その言葉に、景色を眺めていたモノクがピクリと反応し、首だけをこちらへ向けた。

 

「ちょっと待って。いつの間にか日の出って……徹夜してるの? そのあと、ちゃんと寝てるよね?」

「いや……昼夜逆転するのはあまり良くないから、そのまま寝ないようにして一日を……」

「寝なさい。ちゃんと寝なさい」

 

 モノクの声は低く、そしてひどく真剣だった。

 

「健康第一だよ。……とりあえずこれ、朝ごはんにしよう。『ナナバナナ』。腹持ちもいいし、カロリーもしっかりあるからさ。これからの登攀には最適だと思って持ってきたんだ」

 

 モノクはリュックをごそごそと漁り、バナナを2本取り出して片方をメルクに手渡した。

 

「へぇ、ナナバナナ。初めて聞いたよ。どこかで獲ってきたの?」

「僕の菜園でね。まぁ、美食屋たるもの現地調達してこそだとは思うんだけど、念のため非常食は何かしら持っていくようにしてるんだ」

「さ、菜園……? もしかして君、また新しい食材を作ったのか……?」

 

 メルクが目を丸くすると、モノクはどこか誇らしげに胸を張った。

 

「そうだよ! 最近、創作意欲が凄くてね!」

「鍛冶屋か君は……」

 

 呆れ返ったメルクは、思わず持っていたナナバナナで軽くモノクの肩を小突いた。

 

「食材は鉄じゃないんだぞ。炉に入れてハンマーで叩けば、新しいものがポンポンと打ち上がるわけじゃないだろうに……」

「あはは、まぁまぁ。でも美味しいのは保証するよ」

「そんなにポンポンと美味しくて新しい食材を作り出したら、また世間は大騒ぎじゃないか。それに……また権利もタダで渡すんだろ?」

 

 メルクがジト目で睨むと、モノクは当然のように頷いた。

 

 

「そりゃそうだよ。皆に美味いって言って、笑顔で食べてもらいたいからね。……ただ、今回のはまだ公表できないって所長に言われちゃったんだけど」

「やっぱり大騒ぎになるからか?」

「それもあるけど、手続きがパンクするらしいんだ」

 

 モノクは少し困ったように頬を掻いた。

 

「前の6種を公表した時も、裏でとんでもない時間がかかったみたいでさ。『成分検査』や『生態系評価』、あとは権利関係の手続きとか市場の調整とか、とにかく色んな審査の窓口を通さなきゃいけないらしくて」

「……想像しただけで頭が痛くなるね」

「でしょ? この間IGOに行ったら、マンサム所長に言われたんだ。『今すぐこいつらを公表すると、うちの審査部と法務部がパンクしてしまう!』って」

 

 そこでモノクは少しだけ顔をしかめ、ひどく真剣な目をした。

 

「所長は笑いながら言ってたけど、……僕、仕事で人が無理をするのが、本当に嫌なんだ。命を削ってまで急いで世に出さなきゃいけない食材なんて、この世にないから。だから、関わる人たちの負担がこれ以上増えないように、現場の健康とペースを最優先してゆっくり進めてもらうようにお願いしたんだ」

 

 そこまで聞いて、メルクは納得の息を吐いた。

 底抜けに明るい彼が時折見せる、働く者に対する敬意と切実さ。彼なりの優しさは、裏で支える実務者たちへの気遣いにもしっかりと向けられているらしい。

 

「あ、でもね」

 

 モノクは声を潜め、少しだけ身を乗り出した。

 

「『モノクが個人的に信用しているヤツらになら、渡しても構わんぞ! バレたらヤバいがな! ワシが!!』って許可はくれてるんだ。だから、一応世間には内緒ね?」

 

 悪戯っぽく笑いし、人差し指を口元に立てるモノク。

 

『僕が信用している人』

 

(オレは……モノクにとって、そういう相手、なのか……)

 

 急激に顔が熱くなるのをごまかすように、メルクは手元のナナバナナの皮を慌てて剥いた。

 一人で勝手に胸を高鳴らせる純情な二代目メルク。

 

 しかし、底抜けにお人好しなモノクが『信用している人』という言葉を広義に受け取りすぎた結果、ライフの与作や鉄平、さらには顔見知りのIGO職員たちにまで「内緒だよ!」と笑顔でこの新食材を大量に配り歩いているという、罪深くも残酷な事実を彼女は知らない。

 

「わ、わかったよ……。誰にも言わない。オレと、君だけの秘密だ」

 

 少しだけ上擦った声でそう返し、メルクは真っ赤になった顔を隠すように、ナナバナナを大きく一口かじった。

 

 サクッ……。

 

 バナナを噛んだはずの歯から伝わってきたのは、ねっとりとした果肉の食感ではなかった。まるで、香ばしく焼き上げられた生地を噛み砕いたような、軽やかな破砕音。

 

 そして次の瞬間——

 

「なっ……!?」

 

 メルクは思わず目を見開き、フリーズした。

 噛み切った断面から、堰を切ったように溢れ出してきたのは、濃厚なカスタードクリームだったのだ。

 舌の上でとろけるような滑らかなクリーム。卵の暴力的なまでのコクと、ミルクの優しい甘み。そして、スッと抜けていく、気品あふれるバニラビーンズの香り。

 

(甘い……! なんだこれは、ただのバナナじゃない!? まるで、出来立てのシュークリームみたいじゃないか!)

 

 果肉だと思っていた部分は、サクサクとした絶妙な歯触りのシュー生地に変化しており、溢れ出す濃厚なクリームをしっかりと受け止めている。クリームの水分に決して負けない香ばしさがあり、その計算し尽くされたかのような食感のコントラストは、まさに完璧に調律された『作品』だった。

 これほどまでに繊細で、甘く、優しいスイーツなどいつぶりだろうか。一口かじっただけで、登山の疲労がスッと抜け落ち、身体の隅々にまで幸福感が染み渡っていく。

 

「んんっ……!!」

 

 メルクはたまらず口元を手で覆い、感嘆の声を漏らした。

 

「おいしい……! 外側は驚くほど軽くて香ばしいのに、中からは濃厚で滑らかなクリームが……! どうなってるんだ……!?」

 

 目をキラキラさせて感動するメルクを見て、モノクは「おっ!」と嬉しそうに身を乗り出した。

 

「すごい! メルク、一発目で『シークレット』引いたね! シュークリーム味か! そういう味もあるんだ!」

「シークレット……?」

「うん。一房にきっかり7本のバナナが生えてるんだけど、中身は『チョコ』『キャラメル』『バニラ』『ストロベリー』『チョコミント』『ソーダ』……って、それぞれ味が全く違うスイーツになってるんだ。で、最後の1本が、房ごとに何味が出るか完全にランダムの『シークレット』。どんな種類があるか把握しきれてないんだ。シュークリーム味、メモしとかないと……」

「1房で7種類の味が……これを、君が作ったのか?」

「色々な果樹の成分を掛け合わせてみたんだ。一房で7つのスイーツが楽しめる夢のハイブリッドフルーツ、『ナナバナナ』だよ!」

 

 えっへん、と胸を張るモノクを見て、メルクは改めて手元のシュークリーム味を見つめた。

 

(異なる成分を掛け合わせて、これほど完璧な味のバランスに仕上げるなんて……)

 

 メルクは溢れるクリームをこぼさないように、もう一口、大切にナナバナナを頬張った。

 

「……君の言う通り、これは世界中の人を笑顔にする味だね」

 

 メルクは朝日に負けないくらい清々しい、真っ直ぐな笑顔を彼に向けたのだった。

 

 

 

 

 

 

「ナナバナナで補給充分! よし、今日で一気に登りきれるかな」

「あぁ、このバナナ一本でかなりのエネルギー補給になるね。今日中に登りきれるかは……オレ次第か」

 

 自身の帯をキュッと締め直し、気合いを入れるように顔を上げるメルク。その瞳に弱音や怯えはなく、ただ真っ直ぐに上空を見据えていた。

 

「ここからは猛獣も一気に増えてくるから、避けられるところは避けつつ登ろう」

「わかった」

 

 俺が先頭に立ち、二日目の登攀がスタートした。

 蔓の隙間を飛び交う『ドリルバード』の群れや、縄張りを主張する『エアゴリラ』など、血の気の多い猛獣たちと時折遭遇したが、無駄な消耗を避けるため、俺たちは息を潜めてやり過ごしながら高度を稼いでいった。

 しかし、全てを平和的にやり過ごせるほど、天空の生態系は甘くない。

 

「っ!」

 

 巨大な蔓の表面を移動していた時、突如として足元の植物が意志を持ったようにうねり、鞭のようなツタがメルクの足首に絡みついた。

 同時に、俺が足場にしていた太い蔓も激しく暴れ出し、鋭いトゲを持った『邪悪な豆の木』が何本もツタをもたげて襲いかかってきたのだ。

 

『薄刃乱斬り!』

 

 メルクは全く慌てることなく、即座に腰の包丁を引き抜き、流れるような太刀筋で足に絡んだツタを細切れに切断。軽やかに宙を舞い、安全な足場へと着地した。

 

「無視はできなそうだね」

「中々厄介な植物だ」

 

 迫り来る無数のトゲ付きツタに対し、俺は腕の筋肉を捻り上げる。

 

『8転ボルトパンチ!!』

 

 乱回転の打撃が、邪悪な豆の木を吹き飛ばす。

 一方のメルクも、踏み込みから鋭い刺突を放っていた。

 

『柳刃突き!!』

 

 豆の木たちが次々と動きを止めていく。

 完全に沈黙した邪悪な豆の木たちは、スカイプラントのただの蔓の一部へと同化して戻っていった。

 

(こいつら、倒すと蔓に戻るんだよな……どういう原理なんだろう。スカイプラントの白血球的な役割なのかな?)

 

 そんな考察を頭の片隅に置きつつ、俺は包丁を鞘に納めるメルクに感嘆の声を漏らした。

 

「すごいねメルク。あんなに身のこなしが軽いなんて」

「君ほどじゃないさ。……あのオックスチキンの角を楽々と獲ってこれたのも頷けるよ。君の打撃、とんでもない威力だった」

「ま、角は折っちゃったんですけどね……」

「だから、素材としては全く問題ないってば」

 

 俺が苦笑いしながら頭を掻くと、メルクも呆れたように微笑んでくれた。

 さすが、名工『二代目メルク』。この過酷な環境下でも芯の強さが、その立ち振る舞いにはっきりと表れていた。そりゃそうだよな。将来、あのグルメ界に四天王たちの次に後続として続いているんだ。精神力も覚悟も凄まじい。

 

 そのままテンポよく登り続け、高度一万メートルを越えたあたりから、環境はさらに厳しさを増していった。

 空気が薄くなり、メルクが立ち止まった。

 

「……くっ」

 

 メルクはズキズキと痛む頭を片手で押さえ、顔をしかめた。

 明らかな高山病の症状だ。

 

「大丈夫? 少し休む?」

 

「いや、まだ大丈夫だ。……山に住んでいるというのに、情けないな……」

 

 自身の実力不足を嘆くように自嘲するメルクに、俺は首を振った。

 

「ここはもう標高一万メートルを越えてる。メルクじゃなかったら、とっくにぶっ倒れてるよ」

 

 いくら四千メートルの山に住み慣れているメルクでも、これだけのハイペースで標高一万メートルを越え、気圧の激変に晒されれば、流石にキツいだろう。ここまで自力で登ってきたその精神力と体力に純粋に感心する。

 だが、過酷な自然は休む隙を与えてはくれない。

 そこから追い討ちをかけるように、下から凄まじい突風が吹き上げてきた。見上げれば、今まで青く澄んでいた空が一気に禍々しい漆黒に染まっていく。

 

「……あれは」

「……積乱雲」

 

 二日に一回は積乱雲が形成されるのかここは。たまったもんじゃないな。

 しかも、俺が前回突入した時は、ちょうど俺の周りに積乱雲が形成されていったから「ほぼ中間地点スタート」だったわけだが、今回はちゃんと一番下の入り口から入れてくれるみたいだ。ご丁寧にありがとうございますッ!!

 俺は空を覆い尽くす巨大な黒雲を見上げながら、内心で悪態をついた。

 

「メルク、これを」

 

 俺は背負っていたリュックを下ろし、中に入れていた『酸素の葉』と『ライタージャケット』を取り出して渡した。

 

「これは?」

「微量の水分と二酸化炭素、そして光があれば酸素を生成してくれて酸素マスクの代わりになる『酸素の葉』。こっちは『ライタージャケット』。積乱雲の中はマイナス数十度にもなる極寒だから、これを着ていればある程度は緩和されるはずだよ」

「そんな便利な道具があるのか。……モノクは?」

 

 リュックから出されたのが一人分しかないことに気づき、メルクは不思議そうに首を傾げた。

 

「僕はいらないよ。寒さも、酸素問題も、前回登り切った時になんとか適応したから」

「……なら、オレも使うべきじゃないんじゃないか?」

 

 メルクは渡された装備を押し戻そうとしてきた。俺にだけ負担をかけさせまいという生真面目さからだろう。

 

「ダメだよ。ちゃんと使って」

「でも——」

「あぶない!」

 

 メルクの言葉を遮るように、俺は腕を振り抜いた。

 頭上の積乱雲から、岩かと思うほどの巨大な(ひょう)が落下してきた。

 

『ボーンシザース!!』

 

モノクの鋭い技が雹を真っ二つに断ち切り、氷の残骸がパラパラと周囲に降り注ぐ。

 

「危険すぎるんだ。メルク……僕のレベルに無理やり合わせようとしなくて良いんだよ。同じ実力じゃないと冒険できないなんて、そんな決まりはないんだから」

 

 モノクの言葉と、今雹を切ってもらっていなければ確実にかわせなかったという事実を突きつけられ、メルクはギュッと唇を噛んだ。

 

「……わかったよ」

 

 そう言って、メルクは素直に道具を受け取り、ライタージャケットを羽織って酸素の葉を口元に装着した。

 装備し終わったのを目視で確信した俺は、くるりと背を向けてメルクの前にしゃがみ込み、「はいっ」と両手を後ろに広げた。

 

「ん……? 何をしているんだモノク?」

「何って、背負うから乗って?」

 

 その体勢のまま、顔だけ後ろに向けて首を傾げるモノク。

 

「せ、背負う!?」

「うん、言ったでしょ。僕が責任『持って』連れて行くって」

「そ、そんな、物理的に持つって話だとは思わないよ!!」

「いいから乗って! ほら、こうしてる間にまた雹が降ってきちゃうよ」

 

 急かす俺の言葉に、「くっ……」と呻きながら、メルクは真っ赤な顔をしてぎこちなく俺の背中に乗った。

 

「お、重くないか?」

「めっちゃ軽いよ!!」

「そ、そうか……」

 

 その身体の細さや軽さは、やはり女の子のそれだ。俺の首元に回された腕が、どこか落ち着かないようにモゾモゾと動いている。

 メルクの心臓がトクトクと早鐘を打っているのが伝わってくる。

 

「あれを抜ければ、いよいよベジタブルスカイだよ。しっかり掴まっててね!」

「わ、わかってるよ!」

 

 俺が声をかけると、首に回された腕の力がギュッと強まった。

 

「なんか、前回よりも雷と雹が凄そうなんだけどね……」

 

 さっきの巨大な(ひょう)と、頭上で絶え間なくピカピカと光っている雲を見上げながら、俺は目を細めた。

 前回はあんなに大きな(ひょう)は降ってこなかったし、雷も大したことなかった。もしかして、あれで『当たり』の積乱雲だったのだろうか。

 

「気温や気圧によって差ができるものだと聞いたことがある。これだけの上空だとその気象の差も規格外なんだろうね」

 

 背中から、酸素マスク越しにくぐもったメルクの声がする。

 

「今回は多分ハズレだよ」

「あれモノク。もしかして弱気なのかい? 責任を持って連れて行ってくれるんでしょ?」

 

 積乱雲を前に少し気負けしたような俺の発言をからかうように、メルクが耳元で少し得意げに言った。

 

「ぜんっぜん!! ちっちゃすぎてハズレって意味ね! もっとデカいのが良かったなー!」

「さっきと言ってることがチグハグだ。……ちなみに、前回で適応したって言ってたけど、寒さと低酸素になんてどうやって適応したんだい? こ、今後の参考程度に聞きたいんだけど」

「今後…? んー、簡単にいうとね。寒さは、全身の筋肉を全力で細かく震わせて、強引に熱を発生させて身体を温めるんだ。で、低酸素の方は、息を吐き出すのを一度気管で止めて、中の二酸化炭素だけが凍った時に吐き出すんだけど、その——」

「あ、いやもう大丈夫だよ。君が規格外だということの参考にはなった……」

 

 背中のメルクが、スーッと真顔になって引いていくのがわかった。

 常人の生物学を完全に無視した美食屋特有の力技を聞かされ、軽い気持ちで尋ねたことを心の底から後悔していた。

 

 そんな他愛のない会話を遮るように、頭上でひときわ巨大な雷鳴が轟き、足元の太い蔓がビリビリと震え上がった。

 同時に吹き下ろしてくる冷気が一段と鋭さを増し、容赦なく肌を突き刺してくる。どうやら、これ以上のお喋りは頭上の『化け物』が許してくれないらしい。

 

「……さてと」

 

 俺は蔓に食い込ませた手足にぐっと力を込め、膝を深く曲げて跳躍の姿勢をとった。

 

「メルク。振り落とされないように、それと舌を噛まないように」

「わ、わかった……!」

 

 背中のメルクがさらにギュッと腕の力を強めてきた。ライタージャケット越しの温もりが、俺の背中と首筋にピタリと密着するのを確認する。

 

「——さぁ、行くよ!」

 

 限界まで縮めた脚力を一気に解放し、俺は力強く蔓を蹴り上げた。

 雷鳴が絶え間なく轟く漆黒の極寒地獄へ向け、俺たちは弾丸のように突入した。

 

 入った瞬間から中は極寒、突風、雷鳴が吹き荒れる文字通りの地獄。背中にしがみつくメルクも、吹き付ける冷気と風圧に耐えるのに必死で、もう話す余裕は流石になさそうだ。

 

(シバリング……!)

 

 一気に身体が凍りつく前に筋肉を激しく震わせ、強引に熱を生み出しながら蔓を登る。

 でも、急がないと……今回の積乱雲は明らかにデカい。前回よりも雲を抜けるのに確実に時間がかかる。常に全力でシバリングを行っているんだ、カロリー消費もバカにならない。

 

(あー、食没さえ習得してればなぁ……ナナバナナ食いまくってカロリー貯蔵しまくるんだけど……!)

 

 そんな現実逃避の思考を回しながらも、降り注ぐ巨大な雹を蹴り砕き、吹き荒れる突風に耐え、網目状に走る雷を間一髪で避けながら、なんとか着実に高度を稼いでいく。

 しかし——

 

「ぐっ……!」

 

 雷の直撃を避けた先に、大岩のような雹が待ち構えていた。なんとか腕を交差させて衝撃に耐えたものの、骨にまで響く重い痛みに思わず深く俯いた。

 

 やばいな……前回より圧倒的に過酷だ。高さが増すにつれて、雹も雷も激しさを増している。これ以上激しくなられると、避けるのと防御するのに手一杯で上に進めない……!

 どうする? 一番厄介なのは、いつどこに落ちてくるか予測不能な雷だ。アレを防ぐには、あの羽が要る。

 でも……俺のペラペラの食運じゃ、そんな奇跡の遭遇なんて望めない。下手したら原作のスタージュンより食運無い説あるんじゃないか、俺?

 どうやって切り抜けるか。苦悩し、足が止まりかけたその時。

 背中のメルクが、俺の首元に回した腕に、さらにギュッと強い力を込めた。

 

(……そうだ。ちゃんと責任持って連れて行くって、さっき言ったばかりじゃないか。約束は、守らないと!!)

 

 弱気を振り払い、奥歯を噛み締めて視界を上へ向けた、その時だった。

 

 ——ピタリ、と。

 あれほど狂い咲いていた雷鳴が止み、吹き荒れていた暴風が嘘のように静まり返った。

 圧倒的な、一瞬の静寂。

 背中のメルクが「あっ……」と息を呑む気配がした。

 

 暗黒の積乱雲を切り裂くように、それは空の彼方から舞い降りてきた。

 全身から稲妻を神々しく放ち、漆黒の闇夜を真昼のように照らし出す巨大な鳥。一本一本の羽毛がまるで純度の高い雷の結晶のように美しく輝き、バチバチとプラズマの尾を引いて宙を舞う姿は、荒れ狂う嵐を従える王のごとき威厳と、息を呑むほどの美しさに満ちていた。

 

「すげぇ……本物の、ライトニングフェニックスだ……!!」

 

 大自然が生み出した奇跡の造形を前に、俺はつい少年のように目を輝かせて興奮の声を漏らした。かっこいい……!

 

 助かった……! なんとか俺の極小の食運でも姿を現してくれたのか……! いや、もしかしたらこれは俺じゃなく、背中のメルクの運が引き寄せてくれたのかもしれない。

 何はともあれこの羽があれば、雷を完全に防げる。

 

「……ちょっと、取ってもいい?」

 

 俺が畏敬の念を込めて慎重に手を伸ばすと、ライトニングフェニックスは警戒する様子もなく、スッとその巨大で美しい翼を俺に向けて差し出してくれた。

 

「ありがとう。……あ、今度また別の二人組がここに来ると思うけど、その時もどうかお願いね」

 

 俺は眩い光を放つ巨大な羽を一枚大切に抜き取らせてもらい、頭上に高く掲げた。

 

 再び降り注ぎ始めた無数の落雷の一つが、フェニックスの羽に当たる、が完全に無効化される。

 

「これなら行ける!!」

 

 最大の障害だった雷の脅威が消え去った。俺は羽を強固な傘として構え、残る雹と突風を蹴散らしながら、一気に蔓を駆け登っていく。

 やがて、厚く垂れ込めていた漆黒の雲が徐々に薄れ、視界が白く眩い光に包まれていく——

 そして、ついに。

 暗黒の極寒地獄を抜け出した俺たちを温かく包み込んだのは、どこまでも澄み切った無限の青空と、視界の果てまで続く極彩色の植物たち。二回目であってもその衝撃は薄れない。

 

「メルク! 見てよ!! ——これが『ベジタブルスカイ』だよ!!」

 

 背中にしがみついていたメルクは、突然の眩い光と俺の声に反応して目を開いた。

 そこに飛び込んできた果てしない青空と極彩色の景色に、「うわぁ……」と思わず感嘆の息を漏らす。

 眩い光の中でパッとその瞳を輝かせた後、着地した俺の背中からスッと降り、大地に足をつける。

 

「わっ、なんだこれ」

 

 一歩踏み出した瞬間、メルクは足元の独特な沈み込みに驚き、少しバランスを崩しかけた。

 

「雲の上に草が生えてるから、ふかふかなんだ。変な感じだよね」

「本当に雲の上なんだね……」

 

 メルクは不思議そうに足踏みをし、軽くその場でジャンプして、トランポリンのような柔らかな感触を確かめている。

 その少し無邪気な姿に思わず頬を緩ませながら、俺は近くの小高い丘を指差した。

 

「メルク、こっちだよ。あそこからもっとすごい景色が見えるから」

 

 俺が先導するように歩き出すと、メルクも弾むような足取りでついてくる。

 丘を登り切り、俺の隣に並んだ彼女に、俺は目の前の空間を大きく腕で示した。

 

「ホントすごいよ! 見て!」

「わっ……すごい、景色……!」

 

 眼下に広がるのは、見渡す限りの広大な野菜の海。

 通常の大きさの野菜から巨大なものまで。色とりどりの極彩色の野菜たちが太陽の光を浴びてキラキラと輝き、みずみずしく甘い香りが、風に乗って丘の上まで届いてくる。

 メルクは声を出したきり、隣で数十秒間、瞬きすら忘れたかのようにその光景を見つめ続けていた。

 料理人や美食屋ならずとも誰もが一度は夢見るという、野菜の王国。『おとぎ話』として語られることもあるという世界が今、確かな現実として目の前に広がっている。

 

「……いきなり説明もなくジェット機に乗せられた時は、どうしてやろうかと思ったけど」

 

 やがて、夢心地から覚めたメルクが、俺の方を向いてふっと笑いかけた。

 

「強引に連れ出してくれて、ありがとう。君の言う通り……これは『仕方ないね』って、完全に納得させられたよ」

「あはは……勝手なことして本当にごめん。でも、この景色をメルクにも見せたかったんだ。無事に連れてこれて、喜んでもらえてよかった」

 

 俺が安堵から照れくさそうに頭を掻くと、メルクは少しだけ目を細めて優しく頷いた。

 

「あぁ、最高の気分だよ。……よし、じゃあ早速、なにか食べてみたい——」

「それはごめん。食べないほうがいい」

「えっ?」

 

 一歩を踏み出そうとしたメルクの前に、俺は食い気味に立ちはだかった。メルクが目を丸くして驚く。

 

「ど、どうして?」

「食べないほうがいいんだ……!!」

「な、なんでだよ! 折角こんなとこまで来たのに! こんなに暴力的に美味しそうな野菜の匂いを嗅がされて、食べずに帰るなんて——」

「食べたら、ここで『解き放つ』ことになる」

「……解き放つ?」

 

 首を傾げるメルクにモノクはめちゃくちゃ真剣な顔で告げた。

 

「ここの野菜は、栄養価が高すぎる上に、とてつもなく消化が早いんだ。食べたら食べただけ、ものの数十分で消化が完了してしまう。つまり——」

 

 数十分後には、猛烈な便意に襲われる。

 

(いくらなんでもメルクに、天空で悲劇を味わわせるわけには絶対にいかない……!!)

 

 俺の言葉の先を瞬時に想像したメルクは

 

「…………やめよう。オレは、食べない」

 

 と、一切の未練を断ち切った、決死の宣言。

 

「うん。一応ちゃんと大容量のグルメリュックとグルメケースは、詰め込めるだけ詰め込んできたから。現地で食べれないのは申し訳ないけど持って帰って、工房の『安全』な環境でゆっくり食べよう」

「…………あぁ。そうしよう」

 

 メルクは深々と頷いた。

 言葉こそ短いが、その引き攣った口元と、救世主を見るような切実な眼差しが全てを物語っている。

 表情だけで、とてつもない感謝がビリビリと伝わってくるのだった。

 

「それじゃあ、リュックに詰めるのは後にして、先にモノクの目的である『オゾン草』のところへ行こうよ」

 

 そういう事情を知れば、メルクの切り替えは早かった。スッと未練を断ち切るように野菜たちに背を向けて言う。まぁ、見ていると食べるのを我慢できなくなるっていうのもあるのだろうけど。

 

「そうだね。先に詰めちゃうと荷物になるし。……えっと、たしかこっちの方だよ」

 

 周りをキョロキョロと見渡し、記憶を頼りに方角を指差す。

 ふかふかの丘を下り、しばらく歩くと……お目当てのものが、群生するようにそこにあった。 巨大な、一枚一枚が分厚い緑葉の塊だった。まるで規格外に成長したキャベツか白菜のように、何枚もの巨大な葉が幾重にも重なり合い、中にある『アレ』を厳重に包み込んでいる。

 

「これが、オゾン草……」

「そうだよ。ジェット機で説明した通り、何枚もの葉が重なり合って中の本体を守ってるんだ。この葉を、正しい順番で二枚同時に剥かなきゃいけない」

「正しい順番、か……。それは何か法則があるのか?」

「いや、法則らしいものはないと思う。ただ何かしら、微かに違いがあるんだとは思うんだけど……1人で来た時はなーんにもわかんなかったね」

 

 俺は「お手上げです」というジェスチャーを両手で作った。ふざけているわけではなく、本当にどうしようもなかったのだ。

 

「なるほど。じゃあ、まずはそれを見つけるところからか」

 

 メルクは顎に手を当てて悩み、オゾン草の巨大な葉を一枚一枚真剣に観察し始めた。

 だが、俺が一人で来た時と同様、視覚や触覚だけで違いを見抜くのは不可能に近い。となれば、頼れるのはもっと直感的な、第六感の『感覚』だ。それこそ——

 

(もしかして……メルクになら、分かるんじゃないか?)

 

 いきなり突拍子もない質問になるが、手詰まり状況を打破するにはこれしかない。俺は少しだけ前置きをして、彼女に尋ねてみることにした。

 

「ねぇメルク。……ちょっと変なこと聞くかもしれないんだけど」

「ん? なんだい?」

「メルクって、『食材の声』みたいなのって聞こえたりする?」

 

 俺の唐突な問いに、メルクはパチクリと目を瞬かせた。

 

「……食材の、声?」

 

 メルクは少し驚いたようだったが、俺の意図を探るように少し考え込む。

 

「言葉として聞こえるわけじゃないんだろう? それって……オレにとっての『包丁の声』みたいな感覚かな?」

 

 あ、伝わった。

 自分でもかなり抽象的で変なことを聞いている自覚はあったが、そこはさすが研ぎ師だ。

 

「そうそう! 気持ちが伝わってくるみたいな」

「あー、そういう感覚ならわかるよ。『喜んでる』とか『もっと使って欲しい』とかね。ただ……食材でそれを感じたことはないかな」

 

 やっぱりそうか。

 原作でも、小松シェフの折れた包丁を見て、彼女が色々と感じ取っているシーンはあった。あれって比喩でもなんでもなく、本当に包丁の『声』が聞こえてたんだ。

 俺が思うに、無機物である包丁の声が聞こえるのなら、それってほぼ『食材の声』を聞き取る原理と同じじゃないのか……? だから、

 

「もしかしたら、メルクならわかるかも知れないね。試しにやってみようか」

 

 俺が先にジャンプして、巨大なオゾン草の葉の上に飛び乗る。

 続いてメルクも軽やかに飛び移ってきた。

 メルクは真剣な顔つきで、それぞれの葉を見つめたり、そっと手のひらで触れたりしている。

 

「どう?」

「……いや、わからない」

 

 何も感じないようだ。……うーん、手詰まり?

 当てずっぽうでやっていくと、相当な数のオゾン草を無駄にすることになるし……と頭を抱えていると。ん?

 メルクが今、何気なく握っている葉が、心なしか少し『喜んでいる』ように見える。気のせいか? いや、強張っていた葉の緊張がふっと解けているような……

 

「メルク、ちょっと僕側の葉を掴んでもらってもいい?」

「え? わかった」

 

 位置を入れ替えて、俺の目の前にある葉を掴んでもらう。だが、今回は特に何も伝わってこない。

 じゃあ、さっきの葉なのか?

 先ほどまでメルクが掴んでいた葉を俺が握ってみるが、やはり何も感じない。そしてまた入れ替えてメルクに握ってもらうと……うん、やっぱり嬉しそうに反応してる感じだ。

 

(こいつ、俺が触ってもピクリとも反応しないくせに、メルクにはデレデレに反応するのかよ。なんてやつだ……)

 

「なにかわかったの?」

「うん。とりあえず、その葉は確定っぽい。……悪いんだけど、他の葉も全部順番に掴んでいってもらっていい?」

「わかった」

 

 そうして、メルクに葉を一つずつ触ってもらい、しらみつぶしに『喜ぶ葉』を特定していく。

 

「——よし、これとこれだね。遂に、一歩進んだ……!」

 

 なんとか正解の二枚を絞り込み、俺とメルクでそれぞれを掴む。

 

「あとは、同時か」

「うん、しっかり息を合わせないといけないから……どうしようか。とりあえず、僕が『せーの』で掛け声を出すから、同時に引こう。せーの、の『のっ』のタイミングでいくからね?」

「せーの、の『の』……わ、わかった」

 

 ミリ秒のズレも許されない繊細な作業にしては、あまりにも感覚的でざっくりとした掛け声だ。メルクは「本当にそれで合うのか?」と少し不安そうに眉を寄せたが、ここはもうやるしかない。

 二人は互いに視線を合わせ、ギュッと葉を握り直した。

 

「いくよ……せーのっ!」

 

 ボフゥッ!

 

「「わっ!?」」

 

 俺とメルクの驚く声が重なる。

 葉を剥いたその瞬間、オゾン草の全体から真っ白な煙が勢いよく吹き出し、巨大だったオゾン草は一瞬にして小さな『ツボミ』へと戻ってしまったのだ。

 

「……失敗。完全に同時じゃなかったかな」

 

 失敗したが、俺はホッと胸を撫で下ろした。

 最悪の『腐る』パターンではなく、『ツボミに戻る』パターンだと知れたのは大収穫だ。とはいえ、オゾン草の捕獲からは振り出しに戻ってしまった。

 

「モノク……もう一回やってみよう」

 

 メルクはツボミに戻ったオゾン草を見つめ、何かを考え込むようにしながらそう言った。

 

 俺たちはそこからさらに三回ほど挑戦を繰り返した。

 しかし——

 

「せーーのっ!」

 

 ボフゥッ!

 

「モノク、今の掛け声は『せ』が少し長くなかった!?」

「え!? うそ!?」

「せーっ、のっ!」

 

 ボフゥッ!

 

「今回のはタメが早すぎる! 引き始めがズレてしまうよ!」

「ご、ごめん! 次こそピッタリいくから!」

「せーのっ!!」

 

 ボフゥッ!

 

「だから『のっ』のタイミングが毎回微妙に違うんだってば!!」

「うっそだぁ!? 僕の中では完璧な『せーの』だったんだけど!?」

 

 ポンポンと小気味良くツボミに戻っていくオゾン草たち。

 緊迫した空気はどこへやら。すっかりコントのようなやり取りを繰り返した末、ついにメルクが「あぁもうっ……!」と頭を抱えてストップをかけた。

 

「ダメだ、君の掛け声じゃ全然一定じゃない……! これじゃあ何百回やっても成功しないよ」

「うぅ……面目ない。僕、絶望的にリズム感がないのかも……」

 

 しょんぼりと肩を落とす俺に、メルクは呆れたように一つため息をつくと、職人の顔つきへと切り替わった。

 

「次からはオレが合図を出すよ。モノクはなるべくその合図に合わせて引いてくれ。もし、少しズレたとしても……最後の微調整は、オレが君の動きに『合わせにいく』から」

 

 ——オレが合わせにいく。

 『二代目メルク』だからこそ言える、絶対の自信に満ちた頼もしい宣言。

 

「掛け声は、『3、2、1』でいくよ。オレのリズムに、君の感覚を預けてくれ」

 

 スゥッ、とメルクが静かに息を吸い込んだ瞬間。

 彼女の纏う空気が、一変した。

 それはもはや、数多の刃と命を研ぎ澄ましてきた名工、『二代目メルク』という孤高の職人の顔だった。

 


 

鍛造(たんぞう)

 金属を高温で熱し、ハンマー等で叩いて圧力を加えることで、内部の空隙を潰し、結晶を微細化して強度を飛躍的に高めながら目的の形へと成形する技術である。

 世界一の『研ぎ師』であるメルクだが、当然、彼女の包丁作りは鍛治仕事も含まれ、この鍛造の工程は必須の技術となる。

 

 職人が灼熱の鋼を打つ時。そこには必ず、生命の鼓動にも似た一定の律動『リズム』が生まれるのだ。

 

 カンッ…! カンッ…! カンッ…!

 

 ハンマーを振り下ろす、小気味良い三拍子。

 叩く力の強弱、鋼の温度変化、跳ね返る反発力。その全てを完璧に統制するため、一流の職人は己の肉体の中に、決して狂うことのない『絶対的なメトロノーム』を刻み込んでいる。

 通常、それは「カンッ、カンッ」と鋼を打つ重厚な鍛造の響き。だが、彼女は世界一の『研ぎ師』。何万、何十万と砥石の上で刃を滑らせてきたメルクの細胞には、その強固な律動が、鋭くも美しい『研ぎのリズム』へと昇華され、骨の髄まで、いや、魂の底まで深く染み付いている。

 故に、彼女が発する『3、2、1』というカウントダウンには、コンマ一秒——いや、ミクロのズレすらも存在しない。

 それはただの音声ではない。鋼に命を吹き込む『創造の鼓動』と完全に同調した、神業の如きタイムキーパー。

 類稀なる職人の圧倒的な実力は、たった三文字の『掛け声』にすら恐るべき精密さとなって顕現する……!!

 


 

「……いくよ、モノク」

「……わ、わかった」

 

 ただならぬメルクの集中力と、彼女から放たれる研ぎ澄まされた空気に、モノクは思わず息を呑んで頷いた。

 完全に目を閉じ、メルクが静かにカウントを紡ぐ。

 

「——3」

 シャッ…

 

 その瞬間、メルクの精神は極限まで研ぎ澄まされ、世界から一切の音がフッと消え去った。

 それは彼女が砥石に向かい、最高の刃を研ぐ際にのみ起こる『過集中』の印。吹く風の音も、肌を撫でる空気の揺らぎも、邪魔な音や感覚の全てが完全に遮断され、彼女の内側には無限の静寂だけが広がる。

 

「——2」

 シャッ…

 

 無音の世界の中で、掛け声に合わせてモノクが緊張から微かな息を漏らす。

 そのかすかな呼気の音と振動のみが、研ぎ澄まされた彼女の耳にはっきりと届く。いや、それどころか、巨大な葉を伝わってくる微量なモノクの心音の振動さえも、今のメルクの手には確かに伝わっているのかもしれない。モノクの肉体の連動が、手に取るように読み取れる。

 

「——1……」

 シャッ…

 

 モノクの葉を掴む手が力み、ペリッ、と葉の繊維が剥がれたその刹那。

 その極微の振動と音に対し、メルクは寸分の狂いもなく己の初動を『合わせた』

 目すら開けず、腕に無駄な力みは一切ない。己から引くのではなく、モノクの引力と同調し、あとはただ分厚い葉の自重に従い、自然に落ちるように滑らかに剥き下ろしていくだけ。

 二人の腕が、全く同等の速度で、完全に同時に葉を引き剥がした。

 

 白い煙は——上がらない。

 

「すごい! すごいよ、メルク! 僕が少しズレちゃったかもと思ったのに、スルっと綺麗に剥けた!」

 

 無事に剥けた興奮からメルクに飛び寄る俺だったが、彼女の顔を見てハッと息を呑んだ。

 メルクの額には汗が伝い、その表情からは疲労が滲み出ている。それはまるで、『研ぎ』を終えた直後のような、消耗状態だった。

 

「メルク、大丈夫……?」

「あ、あぁ……大丈夫だ。普段の研ぎ以上に、深く集中した気がするよ……」

 

 メルクは小さく息を吐きながら、手で額の汗を拭った。

 

「本当に大丈夫……? さっきのメルク、確かにとてつもない雰囲気だった。完全にメルクの世界に飲まれてたよ」

 

 すぐ隣にいたはずなのに、まるで彼女の工房の中に引きずり込まれたかのような錯覚。世界一の研ぎ師としての強烈な『世界』が、あの空間には確かに形成されていた。

 

「本当に大丈夫だよ。……でも、流石にまた『一から』とかだと厳しいな。だから、このままミスなしで、剥ききろう……!」

「……っ!! うん! 次は絶対ズレないように気をつけます……!!」

 

 そこからは、早かった。

 メルクの極限の集中力に引っ張られるように、俺の身体も自然と『合わせる感覚』を掴んでいく。二回目、三回目、四回目……と、俺たちは難なく同時に葉を剥き落としていった。

 

 ……そして遂に、中心部のラスト二枚まで到達した。

 

「遂に、ここまで来た……!」

 

 俺は目の前にある、最後の外葉を見つめて感慨に浸った。

 第一ビオトープに身を置いて二十数年。一人で黙々と新食材の開発に没頭してきた俺には、『誰かと息を合わせる』というコンビプレイに絶望的なまでのブランクがあった。だが、今ならわかる。その隙間は、間違いなく埋められてきている。

 ほとんど、いや完全にメルクの圧倒的な実力と気遣いのおかげだけれど。

 

「これを剥けば、ついにオゾン草本体……」

 

 メルクが最後の二枚を見つめ、静かに片方を摘む。俺ももう片方をしっかりと指で挟み込んだ。

 

「いつでも、いいよ……!」

 

 俺が声をかけるが、返事がない。

 不思議に思ってメルクの方を向くと、彼女は静かに、けれど真っ直ぐに俺の目を見つめていた。

 

「……最後は、君の掛け声でいこう」

「え? いや、でも……」

 

 俺が戸惑うと、メルクはふっと柔らかく微笑んだ。

 

「大丈夫だよ。これだけ一緒に剥いたんだ。君の身体にも、リズムが少しは染みついたでしょ?」

 

 そう言って、俺たちの足元に重なっている、見事に剥き落とされた葉を視線で指し示す。

 

「それに、オレももう君の呼吸に合わせられる。安心して、君は『せーの』と言ってよ」

 

 メルクは悪戯っぽく目を細め、言葉を足した。

 

「でも、完璧な『せーの』でお願いね」

 

 それは、彼女なりの最大限の信頼の証だった。モノクに花を持たせようとしてくれているだけでなく、完全にモノクを認めてくれたからこその言葉。

 

 この土壇場で、メルクは俺の背中を力強く押してくれたのだ。

 

「メルク……」

 

 俺は小さく息を吸い込み、強く頷いた。

 

「わかった……!」

 

 二人の視線が、再び最後の葉へと戻る。

 もう、失敗するとは思えなかった。俺たちの呼吸は、間違いなく一つに重なっている。

 

「じゃあ、行くよ」

 

 空気を肺いっぱいに吸い込み、魂を込めて合図を放つ。

 

「——『せーのっ』!」

 

 俺とメルクの手が、寸分の狂いもなく同時に引かれた。

 

 外葉がパラリと剥けた瞬間、中から『丸め込まれた状態』の植物が姿を現した。

 

「これが……! オゾン草……!」

 

 メルクが歓喜の入り混じる声を上げる。

 

「まだ完全じゃないよ!」

 

 俺が叫んだ直後。

 丸め込まれていたオゾン草の本体が、ぷるっ! と命を持ったように震え出し、クルクルクルクルッ! と勢いよく解けていく。

 そして、ぷるんっ! と完全に立ち上がったその瞬間。

 葉の表面から滲み出ていた桁違いの瑞々しさと水分が、圧力から解放されたことで、パァッ! と激しく弾け飛んだ。

 

「わっ! す、少し動いただけで、なんて水しぶきだ……! これがオゾン草……!」

 

 降り注ぐ清涼な水のシャワーを浴びながら、メルクが目を輝かせる。

 

「凄い……! パンパンに詰まった肉厚な葉。葉脈が光って、微かにドクドクと脈打ってる……! なんて生き生きしてるんだ……!」

 

 目の前にあるのは、ただの植物ではない。

 圧倒的な生命力と、極限まで濃縮された旨味を内包した、大自然の傑作。太陽の光を浴びて神々しく輝くその姿に、俺たちはただただ圧倒され、言葉を失って見惚れた。

 

「あのオゾン草が、やっと食べれる……!」

 

 前世の頃から、漫画を読みながらずっと食べてみたいと憧れ続けていた食材の一つ。それに加えて、一人でベジタブルスカイを訪れたせいで、目の前のオゾン草に泣く泣くお預けを食らった俺は、もうギリギリのところまで我慢の限界がきていた。

 

「メルク! 早速食べよう!」

「そうだね! 疲れたのも相まって、身体が欲しているのが分かるよ!」

 

 俺たちはオゾン草を挟んで向かい合った。

 ごくり、と互いに唾を飲み込む。

 

「じゃあ」

「あぁ」

 

「一緒に齧ろう!」

「モノクが先でいいよ!」

 

——ピタッと二人の動きが止まる。

 

「ん?」

「え?」

 

 俺とメルクの声が重なり、そのまま綺麗にすれ違った。互いにきょとんとして顔を見合わせる。

 

「ちょ、ちょっとまってくれ! も、もしかして食べるのも同時なのか!?」

 

 メルクが顔を赤らめながら聞いてきた。

 

「あれ? それは言ってなかったっけ? うん、食べるのも同時じゃないとダメなんだ。だから、えっと……メルクはそっち側噛んでね。僕こっち側噛むから」

 

 俺はしゃがみ込み、オゾン草の右側と左側の絶妙なポイントを指差した。うん、ここなら同時に噛みつきやすい。

 

「なっ! こ、この葉に二人で同時に噛み付くのか!? ここと、ここ!? す、すごい近くないか!?」

 

 俺が指差した場所をメルクも指差し、顔を真っ赤にして猛抗議してきた。二人がそこに顔を寄せれば、もちろん至近距離にはなる。

 

「……? まぁ近いけど、近い方がタイミングも合わせやすそうじゃない?」

「そ、そういう問題じゃ——」

「あぁもうメルク! こんな凄い食材を目の前にして長話するもんじゃないよ! 僕は前回お預けくらってるから、もう我慢ができないんだ!! ごめん!!」

「わ、わかった! わかったから! ちょっと、一呼吸置かせてくれ!!」

 

 食欲で理性が飛びかけている俺に急かされ、メルクは両手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。

 

(はたから見れば、まるでカ、カップルのような食べ方じゃないか……! 今から彼と、こんな至近距離で……っ)

 

 ドクドクと、目の前のオゾン草ぐらい脈打つ自分の心臓を必死に押さえ込む。

 なんとか平静を装おうと指の隙間からそっとモノクの方を窺うと——

 そこには、微塵も気にする素振りもなく、ただ目の前のオゾン草に向けて「じゅるり……」と盛大によだれを垂らしているモノクの顔があった。

 純度百パーセントの食欲全開なその顔を見て、メルクはスッと落ち着きを取り戻した。

 ふぅーっ、と大きく息を吐き出し、メルクは覚悟を決めてオゾン草に顔を近づけた。

 

「……い、いいよ」

「ゴクリ……」

 

 至近距離で息遣いを感じながら、モノクは口を開けた。

 

「いただきます……」

 

 距離が縮まる。

 互いの息が触れ合いそうなほどの至近距離。弾け飛んだオゾン草の清涼な香りと、雲の上の澄み切った風が二人の間を吹き抜けていく。

 ふと視線を上げると、モノクは真っ直ぐに目の前のオゾン草だけを見つめていた。

 オレのことなど全く気にしていない。ただ純粋な憧れと食への渇望だけを瞳に宿し、夢にまで見た極上の食材と向き合っている。

 

 そのひたむきな横顔が、ベジタブルスカイの神々しい光に照らされて、ひどく綺麗だった。

 風に柔らかく揺れる髪。伏せられた長い睫毛。過酷な積乱雲を共に乗り越え、微かに汗を滲ませた逞しい首筋。

 

 目の前には、誰もが夢見る最高の食材があるというのに。どうしてオレは、オゾン草ではなく、彼に目を奪われてしまっているんだろう。

 ドクドクと脈打つオゾン草の鼓動よりも、オレ自身の胸の高鳴りの方がずっとうるさい。

 オレは微かに震える唇を引いたまま、まるで魔法にかけられたように彼を見つめ続けていた。

 彼がゆっくりと唇を開く。

 ただ食材に惹きつけられているだけだというのに、彼のその飾らない無防備な仕草が、オレを、静かに、けれど確実に揺さぶってくる。

 

 不思議と、焦りはなかった。

 視線すら交わっていないのに、彼とタイミングを合わせるのはひどく簡単なことのように思えた。

 なぜなら、今のオレは、彼の瞬き一つ、息を吸う胸の動き一つにまで、惹き込まれてしまっているからだ。

 

『——せーのっ』

 

 モノクの低く落ち着いた声が、静かに響く。

 彼が息を吸い込む。オレも吸い込む。

 彼が真っ直ぐに唇を寄せる。オレもそれに惹きつけられるように顔を寄せる。

 それはまるで、一枚の絵画のように静かで、繊細で、息を呑むほど美しい数秒間だった。

 オレは彼の凛とした横顔からなんとか視線を外し、彼と全く同じタイミングで、みずみずしい葉へとその歯を立てた。

 

齧り付いたオゾン草は、二つの歯形を残したまま、内側から発光するように眩く光り輝いた。

 完全に成功した証拠だ。

 

「うまくいった……!」

「輝いてる……!」

 

 至近距離で顔を合わせたまま、俺たちは喜びを分かち合うように瞳を輝かせ、そのまま口の中に含んだ分厚い葉を思い切り噛み締めた。

 

 ッ!!

 

「なっ……なんだこれ! すごい強い食感!」

 

 俺は目を剥いて叫んだ。

 

「あぁ! 軽く噛み切ろうとしたら、葉の方からパーンと跳ね返されるようなものすごい弾力がある……!」

 

 メルクも驚愕に目を見開きながら、懸命に顎を動かす。

 

「すごいよメルク、ギッチリ詰まった繊維がほどけるたびに、いろんな音と振動が直接顎に伝わってくる……!」

「本当だ……! 硬いだけじゃない、噛み砕くこと自体がこんなにも『楽しい』食材なんて初めてだよ!」

 

 咀嚼するたびに脳髄を揺らす、リズミカルで心地よい振動。

 だが、オゾン草の本当の恐ろしさはここからだった。繊維が解け、そこに閉じ込められていた水分が口いっぱいに溢れ出した瞬間——

 

「っ……! なんだこの味は……! ミントなんか目じゃない、スカッと突き抜けるような爽快感……!」

「それに、この香り……! フルーツみたいな甘味と、爽やかな酸味が同時に弾けて……っ!」

「でもそれだけじゃない! 後から追いかけてくるこの程よい葉の苦味が、フルーツみたいな甘さをキュッと引き締めて、味の輪郭を完璧に完成させてる……!」

「あぁ、ダメだ……この絶妙な苦味、確実にクセになる……! いくらでも食べられそうだ……!」

 

 極上の食感、爽快な旨味、フルーツの甘味と酸味、そして全てをまとめるクセになる苦味。

 

 その全てが完璧なバランスで調和し、一つの芸術作品のように口の中で完成されている。あまりの美味しさに、俺とメルクは咀嚼を続けながら、どうしようもない笑みが込み上げてくるのを止められなかった。

 

「あぁ……ダメだ、本当に……」

「あぁ……」

 

 ゴクリ、と喉を鳴らして飲み込み。

 俺とメルクは全く同時に、感嘆の息を吐き出した。

 

「「……っ、美味すぎるっ……!!」」

 

 至高の美味を前に完全に語彙力を失った俺たちは、顔を見合わせて弾けたように笑い合った。ただただ目の前にある『最高の美味』を共に分かち合うものとして、距離が近いとか、そんな照れや羞恥心は完全に吹き飛んでいた。

 

「本当にありがとうメルク。僕の強引な誘いについて来てくれて。メルクがいなかったら、僕は絶対に食べられてなかったよ」

 

 極上の味の余韻を楽しみながら、モノクが改めてメルクに深く礼を言う。

 

「大したことないよ。それに……『ライフ』の方が近いのに、わざわざうちの山まで来てくれたみたいだしね?」

「え! あ、知ってたの!?」

「ヨハネスさんからたまたま聞いてね。どうしてもメルクマウンテンに向かってほしいって言ったんだってね?」

 

 悪戯っぽく笑うメルクに、俺は思わず言葉を詰まらせた。

 ぐっ、バレてる……。

 でも、あの時は恥ずかしくて誤魔化した理由を今、しっかりと説明する良いチャンスだ。

 

「……本当はさ。最初に一人で食べられなかった時、『一緒に食べるなら誰か』って考えたら、一番最初に頭に浮かんだのがメルクだったんだ。だから、『メルクと来たかった』。なぜか素直に言えなかったんだけどね。ごめん」

 

 照れくさそうに頬を掻きながら、包み隠さず答える。

 

「そ、そうなんだ……。それは、う、うれしいよ……」

 

 茶化しにいったつもりだったのに、予想外に真っ直ぐな言葉を返され、モノク以上に照れてしまうメルク。

 

「それに、このオゾン草はどうやら僕が『食べなきゃいけなかった』食材みたいだ」

 

 俺は残ったオゾン草を摘み上げ、じっと見つめた。

 

「僕の身体の細胞が、異常なほど活性化してる。疲労感もすっかり無くなって、体の奥から力がみなぎってくるんだ。初めての感覚だけど……これは多分、食材が『グルメ細胞』に適合したんだ。オゾン草は、僕の『適合食材』だったんだよ」

 

 ギュッと拳を握りしめ、内側から溢れ出る力を確かめる。積乱雲を登り切った疲労も、シバリングで消費したカロリーも完全に補われ、それ以上のエネルギーが満ち溢れていた。

 

「適合食材……じゃあ、この依頼はそれも全て見越してたってことか?」

「会長なら有り得るね。二十年以上も人と関わらずに生きて来た人間に、コンビプレイも強制できるし、おまけに適合食材との出会いまで。全く、うってつけの修行だったってわけだ」

「凄まじいね……」

「そういう人だよ、あの人は」

 

 雲の上の心地よい風と共に、静かな余韻が流れる。俺は手元に残ったオゾン草の葉を、改めてじっと見つめた。

 口の中にいつまでも残る、爽快で極上の余韻。体の底から湧き上がってくる、適合食材特有の凄まじい生命力。

 そして何より、一人では絶対に辿り着けなかったこの味を、隣にいるメルクと共に苦労して分かち合えたという『最高の体験』

 俺の中で、ストンとパズルのピースがはまるような感覚があった。

 

「……うん。やっぱり、間違いないな」

「ん? どうしたんだい?」

 

 不思議そうに首を傾げるメルクに、俺は顔を上げて、真っ直ぐに宣言した。

 

「よーし、決めた! 僕、この食材を『フルコース』に入れる!」

「フルコース!? そんな急に!?」

「急じゃないよ! 元々食べに行くと決まった時から、候補として考えてはいたんだ。めちゃくちゃ気になる食材だったしね。それに、味も最高だったし! 申し分ないね!」

 

 俺が胸を張って宣言すると、メルクは少しだけ目を丸くしてから、優しく微笑んだ。

 

「まぁ、美食屋のフルコースにとやかく言うつもりはないけど。でも、なんか不思議な感覚だよ。君のフルコースが決まる瞬間に居合わせられるなんてね」

「確かに。初めて会った時は、こんな風に一緒に空の上で野菜食べてるなんて想像もつかなかったね。……ちなみにメルクは、フルコースってあるの?」

 

 ふと気になって尋ねてみる。原作の記憶を辿るが、メルクは美食屋ではないものの、フルコースがあったような、なかったような……。

 

「いや、特には決めてないよ」

 

 あれ、無いのか。俺の記憶違いだったかな。

 

「フルコースメニュー作らないの?」

「え? いや、うーん……。今まで考えたことがなかったな。オレは、研ぎ師だし……」

「別に『美食屋だけしか作っちゃいけない』なんてルールは無いんじゃない? 作っちゃおうよフルコース。探すの、僕も手伝うよ?」

 

 こっちの世界に転生してきて、自分だけの『人生のフルコースメニュー』を思い描き、探す楽しさを知った俺は、そのかけがえのない楽しさをメルクにも知ってほしいという純粋な気持ちで勧めた。

 

「……手伝って、くれるのか?」

「もちろん! 最高の研ぎ師には、最高のフルコースが似合うでしょ?」

 

 俺の言葉に、メルクはしばらく驚いたように目を瞬かせていたが、やがて顔をほんのりと朱に染め、手元にあるみずみずしいオゾン草の葉をそっと見つめた。

 

「……それも、いいかもね。じゃ、じゃあ……オレも、コレを入れようかな……なんて……」

 

 照れ隠しのように俯きがちに呟いたその声は、雲の上の澄んだ空気に、ひどく優しく溶け込んでいく。

 メルクのその発言に、俺は思わず目をぱちくりとさせた。

 それに気づいたメルクがハッとして、慌てて両手を振る。

 

「あ、いや今のは無しだ! フルコースが被るのなんて、美食屋が一番嫌うって聞いたことがあるし! オ、オレは別の食材を——」

「え、いいじゃん!」

「……え?」

 

 遠慮して引っ込めようとしたメルクに、俺は食い気味に返した。

 

「確かに、メニューが被るのを極端に嫌う美食屋もいるだろうけど……なんなら知り合いにもいるけど! 僕は全然気にしないよ! むしろ、二人で一緒に食べる食材なんだから、二人揃ってフルコースに入れる方が理に適ってるかも! 入れる?」

「いや、え……ホントにいいのか? オレと同じフルコースで……」

「いや嬉しいよ! お揃いのメニューがあるなんて、なんかオシャレじゃない?」

「そ、そうかな……? なら、入れようかな。モノクと同じフルコースメニューに……」

 

 真っ赤になった顔を両手でパタパタと仰ぎながら、メルクは嬉しそうに頷いた。

 こうして、二人のフルコースメニューの『サラダ』に、オゾン草が追加されたのだった。

 

=========================

【モノクのフルコースメニュー】

■オードブル:

■スープ:

■魚料理:

■肉料理:『宝石肉(ジュエルミート)の黄金唐揚げ』[捕獲レベル48]

■メインディッシュ:

■サラダ:『オゾン草』[捕獲レベル68]

■デザート:

■ドリンク:

=========================

 

「じゃあ、また二人で食べに来よう! オゾン草!」

「そ、そうだね! 二人でしか食べられないし!」

 

 二人でしか食べられない。その圧倒的な『特別感』に、メルクは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

 

 一方で、『二人でしか食べられない』という言葉を聞いて、モノクの脳裏にはある「記憶」が掘り起こされる。

 

「オレは……! モ、モノクとしか食べないから! だ、だからこれからも二人で定期的に……いや何を言ってるんだオレは——」

 

 高鳴る鼓動を抑えきれず、まるで「毎日オレに味噌汁を作ってくれ」とでも言わんばかりの台詞を無意識に紡ぎかけてしまったメルク。

 だが、隣から聞こえてきた謎の奇声によって無惨にも切り裂かれた。

 

「——『ふんふんッ』!!」

 

 メルクが隣を見ると、そこには片手にオゾン草を持ち、器用に顔を動かしているモノクの姿があった。

 しかも彼の手にあるオゾン草は、なぜか見事に発光し、瑞々しく輝いている。

 

「……なに、してるんだい……?」

 

 モグモグモグ、と満足げに口を動かし、ゴクリと飲み込んだモノクが満面の笑みで振り返る。

 

「おぉ、いけた! あ、ごめんごめん。実はさ、一人でも食べるために『高速で二回噛む』練習をしてたんだよね。理論上、同時に二ヶ所噛めばいけるからさ。で、実践してみたらほら! 『ふんふんッ』っていけたよ! うまぁ……!」

「…………」

「…………あ、そう。よかったね」

 

 先ほどまで赤くなりっぱなしだったメルクの顔から、急速に熱が引いていく。

 これを境に、この日メルクの顔が赤くなることは、もうなかった。

 

 

 

 

——そして時は少し遡り、モノクがトリコに新食材を持って見舞いに行く数日前のこと。

第一ビオトープ研究所

 

「お前さんから話とは珍しいじゃないか、モノク。てかワシにアポ取りなんぞやめろ。ビジネスマンじゃあるまいし」

 

 マンサム所長がガハハと笑いながら、所長室に向かう廊下を並んで歩く。

 受付さんに「マンサム所長にアポ取れますか?」と連絡を入れてもらったら、数分後に『お前さんはアポなぞいらんわ!!』と、わざわざ受付までドスドスと迎えにきてくれたのだ。

 

「いやー、つい名残で」

「なんの名残だ……」

「大事な話だから、一応順序は守ろうと思ってね」

「真面目な内容か。お前さんと話す時は『ハンサム』と聞こえる言葉が少なくて悲しいぞ」

「ハンサムハンサム」

「雑なのはいらん!!」

 

 ガチャリ、と所長室のドアを開ける。

 すると中には、赤紫色のロングコートを羽織った長髪の男が静かに佇んでいた。

 

「おやおや。モノクさんですね。お初にお目にかかります。IGO防衛局局長をつとめております、レイと申します」

 

 レイ局長だ。

 丁寧な口調でありながら、俺を探るような鋭い視線を、あえて分かりやすく向けてきている。牽制か? 一応俺も返しとこ、探る視線。

 

 この人、原作で活躍する場面がほとんど描かれなかったんだよなぁ。実力も実績も未知数だったんだけど……今、初めて直接対面してみてわかった。

 只者じゃないな、この人。立ち姿に一切の隙がない。後に第0ビオトープのお披露目回で初登場するだけあって、実力は間違いなく第0と同等クラス。今の俺が挑んでも瞬殺だろう。

 初絡みだし、俺も礼儀正しく丁寧に行こう。

 

「初めまして、レイ局長。……今、僕のこと何回殺せますか?」

「初対面でいきなり何を聞いとるんだ!?」

 

 マンサム所長がすかさずツッコむ。

 

「……10回、ですかね。11回は行けなそうです」

「局長も真面目に答えんでよいわ!!」

 

 忙しいマンサム所長。

 俺の勘は正しかった。ロン毛の人は、こういう質問にきっちり答えてくれるタイプだ。

 

「アドバイスを頂いても?」

「ええ。重心が安定していませんね。あなたが重心移動を終えるまでに、5回は殺せます」

「あと5回は?」

「局長としての見栄ですね」

「全く聞いとらんの……!!」

 

 マンサム所長を置いてけぼりにしながら、レイ局長は涼しい顔でふっと微笑んだ。

 

「冗談はさておき。モノクさん、あなたの『視線』は少し真っ直ぐすぎます。相手の強さを測る時は、もう少し景色を見るようにぼんやりと捉えた方が、殺気を悟られませんよ」

「なるほど。局長も『見てますよ』ってアピールしながら隙を伺ってるようでしたけど」

「それは局長としての余裕ですね」

「へぇ。じゃあ次会う時は、僕も局長ぶってみますよ。見栄を張って11回殺せるって顔でね」

「ふふっ。楽しみにしています。……中々できるお人のようだ」

「レイ局長も、もうちょっとお硬い人だと思ってましたよ」

 

 互いに軽いジャブのようなやり取りを終え、俺とレイ局長は同時に笑い合った。

 その様子を見ていたマンサム所長が、呆れたように息を吐く。

 

「局長、モノクを探るような真似はよしとくれ」

「おや、マンサム所長もお人が悪い。モノクさんがここに来るとわかっていて、私をここで待たせていたのでは? それに探るだなんて。私はあの方々と違って、モノクさんを信用していますよ?」

 

 その言葉を聞いて、所長は深いため息をついた。

 

「はぁ……わかったわかった、ワシが悪かった。モノクすまんな。局長がたまたまおったから、念のため顔合わせをさせときたかったんだ。深い意図はない。……てか今、ハンサムって言った!?」

「言ってません」

「言ってないね」

 

 俺たちは呆れたように即答した。

 

「それでは、顔合わせも済みましたし、私はお邪魔でしょう。そろそろ業務に戻ります。……またお会いしましょう、モノクさん」

 

 レイ局長が優雅にお辞儀をし、静かに部屋を出て行く。

 パタン、と重厚なドアが閉まる音が響くと、所長室にスッと静寂が落ちた。

 なんだ、気の良い人だったな。俺がドアの方を見つめていると、背後からガチャガチャとガラスの触れ合う音が聞こえてきた。

 振り返ると、マンサム所長が備え付けのキャビネットから酒のボトルとグラスを取り出しているところだった。トクトクと琥珀色の液体が注がれる音だけが、静かになった部屋にやけに響く。

 

「……さて」

 

 グラスを片手に、所長はドカッと革張りの大きなソファに腰を下ろした。

 

「それで、わざわざ順序を守ってまで持ってきた『大事な話』とはなんだ?」

 

 俺にも向かいのソファに座るよう顎で促しながら、所長はゆっくりと本題へと移った。

 

「僕の新食材についてだよ」

「なんだ、新食材のことか。お前さんが提供してくれた6種の新食材は、そろそろ全ての手続きが終わりそうでな。お前さんが手続きに協力してくれたのもデカいぞ。代理人による手続きより本人がする方が圧倒的に早いからのう」

「それは良かった。もう農家での栽培も始まってるって聞いたけど?」

「あぁ。あとは量産体制に乗せた際の『品質の均一化チェック』と、市場に出回るスピードをコントロールするための『流通ガイドラインの策定』くらいじゃな。これも来月には片付くじゃろう。……で、その新食材がどうした?」

「うん。今回はその6種じゃなくて、さらに2種の食材ができたんだけど」

 

 俺がそう告げた瞬間。

 マンサム所長は、まるで聞き間違いか何かを疑うように、目を真ん丸に見開いて完全に硬直した。

 数秒の沈黙。そして、唐突に肩を揺らして笑い出したのだ。

 

「ワッハッハ! ワシがハンサムだと!?」

 

1ミリも「ハンサム」という要素が入っていないのに、脳が完全な現実逃避を引き起こしている。

 

「いや、言ってない言ってない。一応『葛柚子』と『ナナバナナ』って命名したんだけど」

 

 俺が冷静にツッコミを入れると、所長は「ハッハッハ……」と徐々に笑い声をフェードアウトさせ、グラスを机に置いてスンッと冷静な顔に戻った。

 

「モノク。お前さんが6種の食材を生み出してから、まだ1年も経っとらんぞ……。それに、さっき言ったがまだその手続きすら完全には終わっておらんのだ」

 

 所長は眉間を揉み解すように指を当て、深く息を吐いた。

 

「新種を世に出すための審査窓口がどれだけあるか知っとるか? まずは安全性を確認する『成分・毒性検査』。既存の環境を破壊しないための『生態系評価』。さらには『権利関係の手続き』から、既存農家の不利益を防ぐための『市場の価格調整』まで……とにかく膨大な窓口を通さなきゃいかん。さらに2種の手続きとなると、うちの審査部と法務部はパンクしてしまうじゃろう。……しかし、やるしかないか」

 

 渋い顔で唸る所長に、俺はすかさず身を乗り出して口を挟んだ。

 

「待って所長。職員さんたちのワークライフバランスを、なにがなんでも重視してほしいんだ。一部の窓口だけじゃなく、全員ね」

「全員か。……そうなると、その2種の公表をかなり遅らせることになるぞ。それでもよいのか?」

「どれだけ遅れてもいいよ。人の不幸の上に成り立つものに意味は無いから」

 

 俺が真っ直ぐにそう告げると、マンサム所長は少し驚いたように目を見張った。

 そして、手元のグラスをゆっくりと揺らし、ふっと口元に柔らかな笑みを浮かべた。

 

「……美食屋も料理人も、普通は己の見つけた食材を『一秒でも早く世に出せ』と急かすものじゃ。自分がどれほどの偉業を成し遂げたか、早く世界に知らしめたいからな。……だがお前さんは、書類にハンコを押して駆け回る裏方の連中の顔まで見えているらしい。誰かが泣きながら配膳した飯は、いくら高級食材でも味が落ちるからなぁ」

 

 所長は俺へ向けて軽くグラスを掲げた。

 

「お前さんのそういう甘さは、不思議と嫌いになれん。分かった、窓口の連中がちゃんと家に帰って寝るようにしっかり管理し直そう」

「ありがとう、所長。……でも、もしそこまで面倒をかけるなら、今後しばらくは新食材を作るペースを落とした方が良いのかな? みんなに迷惑かけちゃうし」

 

 モノクが職員たちの疲労を気遣ってそう提案した瞬間。

 

「いや待て、そんなつもりで言ったんじゃあない」

 

 所長は軽くため息をつき、今度は第一ビオトープ所長としての、ひどく威厳のある顔でモノクを真っ直ぐに見据えた。

 

「よく聞け、モノク。確かに新食材の手続きは面倒事の温床だ。だがな、この『グルメ時代』において、新しい食材を生み出すという行為は、全人類から称えられるべき奇跡なんだ。ましてやそれを複数生み出すなど、世界中どこを探してもお前さん一人だけだろう。それを妨げる権利など、この世界に誰一人として持っていない!」

 

 所長は立ち上がり、ドンッと力強く自分の胸を叩いた。

 

「お前さんの希望通り、職員のワークバランスは完璧に調整する! 公表は遅れるが、どれだけの数を生み出そうとも、必ずお前さんの食材を世界に届けてみせる! それこそがワシたちIGO職員の責務だ! だからモノク、お前は気にするな! 作れるだけばんばん作れ! ……あ、あと最高の『酒類』も頼む!!」

 

 面倒事は全て大人が引き受けるから、お前は己の才能のままに羽ばたけ。

 その言葉の奥にある、底知れない器の大きさと責任感。これこそが、数々の荒くれ者たちを束ね、美食屋たちから頼られる『マンサム所長』という男なのだ。

 

「マンサム所長……!」

 

 俺は心からの感動と敬意を込めて、その名前を呼んだ。

 

「え? いま、ハンサ——」

「実はあと3種あるんだけど良い?」

 

感動の空気を一刀両断するモノクの申告。

 

「なッ、先に言えッ!!!」

 

 マンサム所長は顔を真っ赤にしてツッコミを吠えた。

 

「ごめんごめん! いきなり『5種追加して』って言ったら、流石に怒られるかなって思って……」

「もうこの際何種類でもいいわい!! ……ハァ、ハァ……それで、その3種は一体どんな食材なんだ?」

 

 肩で息をしながらも、呆れ半分、期待半分といった顔で聞いてくる所長に、俺は少しだけ声を潜めて笑った。

 

「実は、出所祝い用でね。一つ目が——」

「なに!? 出所祝いだと!? つまりそれは……」

 

 ——近々、厳重な刑務所での長きにわたる投獄生活から解放されるであろう『とある男』

 四天王随一の破壊力と、それに比例する底なしの暴食っぷりを誇るあの規格外の問題児へ向けて、俺が密かに準備したプレゼント。

 彼に気に入ってもらうためには、既存の食材ではダメだろう。そう思ったからこそ、新種を急いで生み出している。

 

 モノクの作り出した新たな美味たちがお披露目されるのは、あの男の出所祝いをするもう少しだけ先の話である——

 

 


 

・おまけ解説

絆創(ばんそう)コウモリ

【分類】哺乳獣類

【捕獲レベル】20

【解説】

怪我をした者の傷口にピタリと張り付き、自身の羽で患部を優しく覆い隠す小型のコウモリ。

患部に張り付くと、羽の内側から殺菌・治癒作用のあるゼリー状の樹液を分泌し、傷口を保護しながら治療を行う。一度張り付くと傷が完全に治るまでは決して剥がれず、完治すると役目を終えたかのようにポロリと落ちて、再び自然の空へと飛んでいく。

高価な「ドクターアロエ」や、凄腕の再生師による高額な治療には手が届かない一般家庭において、ちょっとした擦り傷や切り傷の治療用として絶大な支持を得ている。

特に医療が身近な「癒しの国ライフ」ではポピュラーな存在であり、怪我の絶えない元気な子供たちにとっては、治るまでの間くっついている一時的なペットとして「コウモリくん」などと名前を付けて可愛がられることも多い。

『お母さん、ボク絆創コウモリじゃなくて、ドクターアロエがいいー!』

『バカ言うんじゃありません。ドクターアロエなんて高級品うちが買えるわけないでしょ! 絆創コウモリが嫌なら、与作さんにツバ付けてもらいに行きますよ!?』

『ボク、コウモリくんがいいー!!』

——というのは、ライフの町角でよく耳にする、微笑ましい親子の日常会話である。

 




出番がほぼないココ、ゼブラ早く出したいですね……
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