初めてのグルメ界編めっちゃワクワクしましたよね。
海に浮かぶ巨大な御膳、グルメ時代の中心地【IGO本部】にて——
「
グルメケース。その頑丈なショルダーベルトを鷲掴みにし、トリコは得意げに眼前の人物へとケースを掲げてみせた。その横には、キッチリとしたスーツを身に纏い、直立不動でガチガチに固まっている小松が立っている。
「いや〜はっは。そーいやそんな依頼しとったな、ワシ」
と、『湯』と無骨に印字された急須から、ゆっくりと湯呑みに茶を注ぎながら笑うのは、IGO会長でありトリコの育ての親、一龍だ。
「忘れてたのかオヤジ!?」
「冗談じゃよ、ちゃんと覚えとる。おまえさん
おまえさん
誰かと比較しているような言い回しに少し引っかかりを覚えたトリコだったが、すぐに横の相棒へと視線を向けた。
「あぁ、捕獲できたのはコイツのおかげさ。紹介するぜオヤジ。俺がコンビを組んだ料理人、小松だ」
ドカッとソファーに腰を下ろし、隣でガチガチになっている小松の背中をポンと叩いて紹介する。
「ど、どど、どうも初めまして……こ、小松と申します……ホテルグルメでシェフを、その……させてもらってます」
あまりの緊張で全身から変な汗をかいているのが、誰の目にも明らかだった。
「ほぉ、ウチの従業員か」
淹れ終わった茶を盆に乗せ、ゆっくりと歩み寄りながら一龍が言う。
「は、はい……よ、よろ、よろしくお世話になってます」
「キンチョーしすぎだろ小松……」
緊張しすぎて挙動不審になっている小松の姿に、トリコは思わず苦笑いを浮かべた。
「このグルメケース——オゾン草の保存プログラムを入力したのもおぬしか?」
机の上に置かれたグルメケースを指差し、一龍が小松に問いかける。
「あ、は、はい。オゾン草は保存データが売ってなかったので……何時間もかけて現地で入力しました……」
気圧とか温度とか。何の気なしに頭を掻きながら、小松は答える。
「なるほど……」
(やはり食材の声を感じ取っているか……。同じ時代に
小松の言葉を聞いた一龍の目が、わずかに鋭く光った。
「トリコよ」
「ん?」
「いいコンビを見つけたのぅ……大事にしろよ」
そう真っ直ぐに向けられた一龍の瞳は、どこか遠い過去を懐かしむように深く、そして途方もなく優しかった。
息子同然であるトリコが『相棒』を見つけたことに対する、確かな安堵。そして、親としての純粋な喜びに満ちていた。
「あぁ……」
トリコは短く答え、出されたばかりの茶を口に運ぶ。
「あやつもさっさと組めばいいものを……」
盆を持ちながら、一龍が心配気味にボソリとこぼした。
さっきから、誰のことだ?
疑問に思い、湯呑みに口をつけたまま聞き返そうとしたトリコだったが——次の瞬間。
「ぶゃはぁっ!! 苦ぁっ!! なんだコレ!?」
口の中に広がった暴力的なまでの苦味に、トリコは思わず茶を盛大に吹き出した。舌の根が痺れるような強烈な渋み。
「わっはっは。これはオゾン草の外側の葉を焙煎した『オゾン茶』じゃ。かなり苦いが慣れればやみつきになるぞ」
「オ、オゾン茶ぁ!? 外側の葉って……てかオヤジ、既にオゾン草持ってたのかよ!! じゃあわざわざ俺に依頼すんなよ!」
腰に手を当て、自慢げにガハハと笑う一龍に対し、トリコはソファーから身を乗り出して盛大にキレる。
「バカモノ! お前の修行のためじゃろうが!!」
一龍はピシャリと雷を落とした。
「未熟なまま『グルメ界』へ入るのは自殺行為じゃからな」
諭すように告げる一龍だったが、当のトリコはどこ吹く風だ。
「あぁ……寒さと低酸素ならもう適応できたぜ」
ベジタブルスカイでの過酷な環境を乗り越えた達成感からか、トリコはグッと力強く拳を握り込み、自信に満ちた笑みを浮かべる。
「これで俺も『グルメ界』へ——」
「アホぅ」
やる気充分に立ち上がろうとしたトリコの言葉を、一龍が心底呆れたような声で容赦なく遮った。
「お前にはまだまだ適応せねばならん環境が山ほどあるわい。ホレ! 次の依頼じゃ」
言いながら、一龍は懐から取り出した二つ折りの紙を、ソファーに座るトリコの鼻先へ勢いよく突きつけた。
「え!? えぇ〜っ! まだ依頼あんの!?」
突然顔面に紙を押し付けられ、トリコは素頓狂な声を上げてのけぞる。てっきりオゾン草の捕獲でテストは終わりだと思っていた。
「まだいくつもあるぞ。その紙に記された食材を全部捕獲するんじゃ」
紙を受け取って呆然とするトリコを見下ろし、一龍は有無を言わさず宣言した。
「それまで『グルメ界』へ入ることは許さん。これは修行じゃ」
「クソぉ、オヤジ
トリコは手元の紙を見つめながら、露骨に気を落とす。そんなトリコを鼓舞するように一龍は言う。
「サニーやココも今ごろ、様々な環境適応の修行に励んでおるぞ。お前と同じようにな……」
「え……サニーとココが……?」
「あぁ……それから——」
落ち込んでいた顔つきから明らかに表情が変わったトリコにさらに続ける。
「『ゼブラ』もな!!」
「なっ! ゼ、ゼブラ!?」
あのゼブラが世に解放される。その事実に驚愕を見せたトリコ。だが、すぐにその表情は好戦的で楽しげな笑みへと変わった。
「……そりゃあ、すげぇことになりそうだな……」
もう少し驚くかと思っていた一龍が、不思議そうに眉を上げた。今後の戦力としてゼブラも絶対的に必要な存在であるため裏で色々と動き、出所を早めたわけだが……
「なんじゃトリコ、ニヤニヤしおって」
「だってよオヤジ。これで終わりじゃねぇだろ? ……もう一人、いるんだろ? ゼブラにあいつが
トリコのその問いに、一龍も自然と口角を上げてニヤける。
(オヤジもニヤけてんじゃねぇか)
と、トリコは内心で軽く突っ込んだ。
さっきから「お前さん『も』」だの「あやつもさっさと」だのと、いちいち別の誰かを匂わせる言い回しをしていたのだ。四天王の他にもう一人いることぐらいとっくに想像がついていた。
「ご名答。モノクにも修行させとる。さっき飲んだオゾン茶のオゾン草だって、モノクに修行として獲りに行かせたものじゃわい」
「やっぱりな、もう一人はモノクか」
トリコは我が意を得たりと頷く。
「えっ!? じゃあ、モノクさんもベジタブルスカイに行ってたってことですか!?」
なんとなく想像がついていたトリコに対し、純粋に驚いて目を丸くしたのは小松だ。
「モノクのやつー……あの店で会った段階で、もうオゾン草を食ってやがったのか。くそー、先越されちまったぜ」
トリコは悔しそうに声を漏らすが、自分と同じように未知の食材に挑んでいる友人の存在に、その顔はどこか嬉しそうだ。
「びっくりですね。モノクさんも修行中だったなんて……」
小松も、あの時のモノクの顔を思い浮かべながら、しみじみと呟いた。
「あやつもまだまだじゃからな。特別きついのを準備してやったわい」
まだまだ。
その一龍の言葉と、つい先ほどの「グルメ界への立ち入り禁止令」、そして店でモノクから強めにグルメ界入りを止められた記憶が、トリコの脳内で重なる。
「なぁ、オヤジ……」
トリコはふと真剣な顔つきになり、一龍を見据えた。
「モノクも、グルメ界じゃあ『瞬殺』なのか?」
モノクが口にした言葉をそのままぶつける。
その問いに一龍は少し悩み、ゆっくりと首を横に振った。
「む? いや、瞬殺、とまではいかんじゃろう。まぁ、いい線は行くかもしれんが……一日は持たんじゃろうな」
(あやつは、あの
と、一龍はモノクの知識も加味して答えるが、
「いい線……ね」
トリコは少し悩むような素振りを見せた。
(モノクは「瞬殺」と断言してたが、やっぱりあいつ、自分の力を低く見積もってやがったな……あるいは、俺を止めるためにあえて大げさに言ったか。どちらにせよ、あいつの実力はオヤジが認めるほどの領域にいるっつーことだ)
トリコの瞳の奥に宿った、静かだが熱い炎。
それは決してちっぽけな嫉妬心などではない。未知の領域を共に志す友への純粋な「俺も負けていられねぇ」と己を奮い立たせる、真っ直ぐで力強い『負けん気』だった。
そのひたむきな闘争心を感じ取り、一龍は嬉しそうに笑う。
「ほっほっほ。同年代に競い合える存在が新たに現れたのはええことじゃなぁ。互いに刺激し合い、高め合うことができるからのう」
「べ、別にそういうんじゃねぇよ。俺はただ——」
図星を突かれたトリコが、少し照れ隠しのように言い返す。だが、その言葉の先を紡ぐよりも早く、一龍の纏う空気がスッと変わった。
「トリコよ……」
静かだが、腹の底に響くような力強い声。一龍は真っ直ぐにトリコを見据え、言葉を紡ぐ。
「これからワシは、グルメ界に入る……」
その言葉に部屋の空気が少し張り詰める。しかし次の瞬間、一龍はいつものように、ニカッと太陽のような大輪の笑顔を咲かせた。
「——お前たちにもその気があるのなら、早いとこ、追いかけて来な!!」
「オヤジ……」
トリコの顔にも、一龍とよく似た、ニカッとした極上の笑顔が浮かび上がる。
力強く拳を握り込み、トリコは迷いなく言い放った。
「あぁ!! すぐ行くから待ってろよ!!」
もっとも、この時のトリコが言った「すぐ行く」が、直行レベルの『本当にすぐ』だとは——さすがの一龍も、想定していなかったらしい。
◇
ざあぁぁぁっ、と。
窓越しの視界を白く染めるほどの土砂降りの雨。
雨の止まない町——『レインタウン』
「やっぱりか! ハハ!」
店内で注意されるレベルのトリコのデカい声。しかし、この町ではどこでも絶えず激しい雨音が響き渡っているため、そのやかましさが問題になることはなかった。
「モノクのやつ、わざと大げさに言いやがったな……!」
サニーが先んじてグルメ界の入り口を体験し、「大したことなかった」と評したことによって、トリコの中では一つの確信が生まれていた。モノクからのあの真剣な忠告は、自分を止めるための『半ば脅し』だったんだな、と。未踏の地への入場ハードルが下がったことで、トリコの声は明らかに弾んでいる。
「なんだ? モノクに何か言われたのか?」
唐突にモノクの名前が出てきて、サニーが不思議そうに眉を寄せる。
「あぁ。あいつ、俺が
そう言うと、トリコはわざとらしく眉尻を八の字に下げ、身振り手振りを交えながら少し甲高い声を作って言う。
「『トリコ、グルメ界は早すぎるよぉ 僕が行ったら瞬殺されるよぉ』……なんて真面目な顔で言ってきてよ。やっぱり俺をビビらせようとしたんだな!」
どう考えても誇張気味なモノマネである。
「それ……モノクのつもりか?」
オーバーな身振り手振りを交えるトリコに、とサニーは呆れたように声を漏らす。
「なぁサニー、お前どこからグルメ界に入ったんだ!? 場所を教えてくれ!」
身を乗り出して尋ねてくる友人に、サニーは内心で舌を巻いた。
(聞いた感じだと、モノクのやつはグルメ界のヤバさを正確に知ってるみたいだな。言い方的に直接グルメ界に入ったわけじゃねーみたいだが……どこで知ったか知らねーが、あいつだけ冷静にあの絶望を理解してんのは、なんかムカツク。オメーも一回グルメ界にボコボコにされて泣きべそかけっつーの)
サニー自身、実際にはグルメ界の圧倒的な脅威に触れ、死ぬ寸前を味わった身だ。「大したことなかった」というのは、サニーなりの美学からくる見栄でしかない。しかし、どうやらモノクはその本質を正確に捉えているらしい。
(だが、モノク……トリコの『行動原理』までは理解できてなかったみてーだな)
目の前で目を輝かせるトリコを見つめ、サニーはフッと息を吐く。
(コイツは言ったって聞かない。俺と一緒だ……そうだろう、トリコ。俺やモノクが止めたとこですんなり「わかりました」ってタマじゃねぇしな。それだと……美しくねーもんな)
グラスを傾け、サニーは静かに解説を始めた。
「グルメ界に入るにはまず、陸、海、空、いずれかの入界ルートを選ぶ必要がある……」
真剣なトーンに切り替わったサニーの言葉に、トリコも真顔になって耳を傾ける。
「空と海からの入界はリスクが高ぇから辞めた方がいい……残りは『陸』。人間界からグルメ界へ繋がる陸のルートは三つ。ザーベル島『命の滝壺』、ユトウ島『悪霊たちの港』、ワック大陸『三途の道』だ」
一般の美食屋であれば耳にすることすら稀な、三つの名。淀みなく語られるその情報は、サニー自身が自らのグルメ界へ赴くにあたり、どれほど入念な情報収集を重ねていたかを如実に物語っていた。
「その中で、最も邪魔が少なく入界しやすいと言われるルートが、ザーベル島『命の滝壺』だ」
ガタッ!
聞き終えるや否や、トリコが椅子を蹴るような勢いで立ち上がった。
「『命の滝壺』だな。ありがとよサニー!」
迷いのない、やる気に満ち溢れた視線をサニーに向けて礼を言う。
「一人で行く気か?」
「当然だ。今はまだ小松もテリーも連れて行けねぇ……。モノクから『行くならついてく』って言われてたが……」
「は? なにっ? モノクがついて行くって——」
「これは俺自身の力試しだからな……!」
モノクの発言の真意を探るために、サニーは詳しい事情を問い詰めようとした。だが、当のトリコは完全にやる気の炎に包まれており、サニーの戸惑いなど一切意に介することなく、すでに一人で勝手に決意を固めて自己完結していた。
「ってことで……くれぐれもオヤジと、特にモノクには内密にしてくれよサニー! バレたら絶対怒られる! 怒ったモノク、すげぇ怖そうだしよー!」
「あ、おい、トリコ! 話を聞け!」
サニーの制止も聞かず、トリコは足早に店の出口へと駆けていく。
「あ、そうだ!」
しかし、扉に手をかけたところでふと立ち止まり、振り返った。
「この店うまかったよ。ありがとな」
両手をパンッと合わせ、満面の笑みで感謝を伝える。食い物への感謝だけは絶対に忘れない男だ。
「支払い俺かよ!! 呼び出したのオメーだろ!!」
サニーが激しいツッコミを飛ばすのと同時に、カランとベルを鳴らしてトリコは足早に店を飛び出していった。
「……ったく」
嵐のように現れて去っていった友人に、サニーは唇を尖らせて深く息を吐き出す。
しかし、その不満げな顔は、すぐに遠くを見つめるような静かな眼差しへと和らいだ。
(一人、か…。ムチャすんなよトリコ)
友人への純粋な心配。
だが、そのシリアスな空気は、三秒と持たなかった。
(……つか、これ俺もモノクに怒られるやつじゃね? はぁーあ。確かにアイツ、本気で怒ったら絶対怖そうだわ……)
自分の未来のトラブルを想像し、サニーはあからさまにげんなりとした顔でテーブルに突っ伏した。
怒り、案じ、そして強烈な萎え。わずか数秒の間でクルクルと表情を変えるサニーの憂鬱なため息は、レインタウンの激しい雨音に虚しくかき消されていったのだった。
◇
その後レインタウンでサニーと別れ、その足でザーベル島に赴いたトリコは、躊躇うことなく『命の滝壺』へと飛び込んだ。
しかし、いざ飛び込んでみれば、空中でブレスドラゴンの鼻息にのされ、マイナス二万メートルに位置する深い深い『アングラの森』へと真っ逆さまに落下したのであった——。
「くっ……」
(か、体が動かねぇ……!)
数分の間、気を失っていたトリコは目を覚ますが、体を起こそうと力を込めても、泥に沈んだかのようにピクリとも動かない。
ここは人間界の数倍以上の重力が常時かかる、真なる死地だった。
そしてその重力に押し潰されるように大の字で地に伏すトリコの横から、
パキパキ、と。
巨大な木々が不気味に軋む音が響いた。
「カロロロ……」
重い首を巡らせて音の方向を見やると、深い森の暗がりから『それ』が現れた。
前後左右、360度の死角なき視野で獲物を捕捉する四つの異形な目。そして三つの鼻と口を持つ、三面の巨大な虎。
全身の筋肉を波打たせ、まるで極上の餌を前にしたかのように口からはおびただしい量の涎が絶え間なく滴り落ちている。その口内に覗く舌は無数の針山のようになっており、一舐めするだけで獲物の肉を骨ごとズタズタに削ぎ落とす狂気の構造をしていた。
『阿修羅タイガー』
哺乳獣類【捕獲レベル:測定不能】
(ぐ……う……体が、重い……!)
完全に『獲物』として捕捉されている。トリコは本能でそれを理解していたが、普段の数倍のGがのしかかる体は、ブレスドラゴンから受けたダメージも相まって、少しずつしか体を起こすことができない。
しかし、足擦りをして逃げ惑う獲物を、慈悲深く待ってやるような虎などこの世界には存在しない。ジリジリと、確実に息の根を止める間合いへと顔を近づけてくる。
恐怖心にも似た、明確な死のイメージが脳髄を突き刺した。
「ぬぁあぁああ!!」
トリコは気力だけで全身の筋肉を弾けさせ、阿修羅タイガーの噛みつきを、後方への強引な跳躍によって間一髪で躱した。
しかし、体勢を立て直そうと着地した瞬間、自身の体重が何倍にも跳ね上がったかのような圧倒的な重圧に膝が砕け、無様にも肘をついてしまう。
(い、いったいなんなんだ……!? まるで体重が何倍にも重くなったかのような……)
無理もない。サニーから得た情報は、あくまで入界ルートの『名』のみ。どのような環境が待ち受けているかなど、一端も知らずに飛び込んだのだ。無知なままに踏み込んだ代償が、今この絶望的な状況を招いていた。
肘をつき、体勢を崩したトリコを見逃すはずもなく、阿修羅タイガーは巨丸のような前足を無慈悲に伸ばし、追撃をかけてくる。
「うぉおぉおお!!」
トリコは血を吐くような咆哮と共に、限界を超えた力を脚に込めた。
『——レッグ・ナイフッ!!』
トリコの右足から放たれたナイフの刃が、迫り来る阿修羅タイガーの前足を捉え、硬質な肉球を深く斬り裂いた。
鮮血が噴き出し、苦痛の鳴き声を漏らした阿修羅タイガーは、激昂して太い鋼のような尻尾でトリコの胴体を容赦なく薙ぎ払う。
「がはっ……!!」
吹き飛ばされ、ドッ!と巨大な岩塊に激突したかのような衝撃。
しかし、トリコを受け止めたそれは岩などではない。純白の毛に覆われた、丸太のように太い猛獣の『腕』だった。
標的を目にするや否や闘争心を燃え上がらせ、考えるより先に外敵の排除に動く森の暴君。巨大な白毛猿。
『キングレントラー』
哺乳獣類【捕獲レベル:測定不能】
トリコ自身が、衝突したそれに視線を向けようとしたその時——
ドロ……
(な……なんだ!? 目から血が……、手足もシビれてきた……!?)
再び地に伏したトリコの目から、血がドロリと垂れ、手足の感覚が麻痺していく。
『ヒゴァアア!』
自身の体に起きた情報を処理する暇すら与えず、獰猛なキングレントラーがすぐさま頭上から巨大な拳を振り下ろしてくる。
隙を見せれば確実に死ぬ。本能でそれを悟ったトリコは、無理やり迎撃態勢を取り、反撃の力を全力で左腕に練り上げた。
「ぉおぉおお!! じゅうご——」
本来であれば、ここで放つのは
『貴様よりも、モノクという男のほうがまだ勝機があったな』
かつて宝石肉を巡る死闘の最中、美食會副料理長スタージュンに冷酷に突きつけられた言葉。
『まぁ、いい線は行くかもしれんが……』
つい先日、一龍が告げた言葉。
『僕が行ったら瞬殺されるよ?』
そして、彼自身が真面目な顔で放った忠告。
幼い頃から競い合った四天王の面々とは全く違う出自でありながら、自分たちの先を行き、比べられ、そして自分自身でもつい比べてしまう男。
モノクの忠告は正しかった。約束を破り、見切り発車で踏み込んだ結果が、この無様な這いつくばりである。
だが、その『約束を破っておいてこの有り様』という苛立ちが。そして『瞬殺されるわけにはいかない』という対抗心と負けん気が、トリコのパワーを強引に引き上げた。
「——
まさにイレギュラー。
限界を2連分上回る、未知のパワーが炸裂した。
フルパワーの17連釘パンチがキングレントラーの巨拳に真っ向から激突し、ドドドドドッ!と凄まじい衝撃波を伴って巨大な白猿の巨体を仰向けに弾き飛ばす。
「ぐぁあっ……!」
しかし、トリコ自身も限界を超えた反動で筋肉が断裂し、苦悶の声を上げて崩れ落ちる。
バッ、と起き上がったキングレントラーの血走った視線の先には、先ほどトリコの刃を浴びて気の立っていた阿修羅タイガー。トリコという存在を置き去りにして、獰猛な二頭の猛獣は互いを外敵と認識し、
しかし、ここに原作とは違う『綻び』が一つ生じていた。
かつて一龍はトリコに言った。「力や技が通用せんとは言わんが——」と。
その言葉の通り、トリコの放った『レッグナイフ』や『釘パンチ』は、グルメ界の猛獣たちにも確かなダメージを刻み込んでいる。
原作であれば、キングレントラーと阿修羅タイガーの力は完全に拮抗する。
だが、今回は極限状態で放たれた『17連釘パンチ』。原作よりも2連分多く叩き込まれたそのダメージにより、キングレントラーの右腕の出力がほんのわずかに落ちていた。
その結果、拮抗していたはずの二頭のパワーバランスが、僅かに阿修羅タイガー側へと傾いてしまう。
二つの巨大な力がぶつかり合い、爆発的な衝撃波が周囲を薙ぎ払う。
「うぉあっどぁあぁ!」
その激突の余波を受け、トリコの体は枯れ葉のように宙を舞った。
本来の歴史であれば、この吹き飛ばされた先は『ヒートプラネット』の待つ灼熱のエリア。
しかし、パワーバランスが崩れたことによって、トリコが吹き飛ばされた方角は——ほんの数度、ズレていた。
たった数度の綻び。
だが、この『グルメ界』において、その数度のズレだけで『環境』は様変わりしてしまうのである。
進みが遅くてすみません。言い訳すると13連勤なんです……