あまり大っぴらにはしてないが、俺には結婚願望がある。
婚活も始めて五年は経つ。
理由は別に新聞で見るような出生率低下を問題にしている訳ではない。
まだガキだったころ、独身人生の悲惨さを語ったTV番組を見たからだ。
露骨な偏向番組だと今でも思うが、当時の俺は真に受けた。
そして心底怖がった。
十六歳にして結婚相談所に行ったぐらいだ。
もちろん就職してから来てくれと追い返されたのはここだけの話である。
勉学はそれなりに頑張ったので、卒業した大学はそれなり、入社した会社もそれなりだ。
なら、それなりの結婚ができてもよさそうなものだが、世間は甘くはなかった。
いい人なんだけど、どうもこう、なんというか、……歯切れの悪いお断りの返事が続く。
ハァと深いため息をついたのは、結婚相談所で向き合うおばちゃんである。
「これで何人目だっけかねぇ」
「まだ十二人目ですよ」
パイプ椅子がギシリと鳴った。
いらだちと言うより悲鳴に近い、そんなことを考えた。
「マッチ度も悪くない……蒼月さん、あんた、無意識になんかやってるんじゃないのかい。セクハラとか」
「失敬な。そんなことはしてません。八人目のHさんなんか、歯に衣を着せないタイプだったじゃないですか。なのにそんな事は言ってないでしょう?」
ハァ、深いため息をもう一度つくとおばちゃんは立ち上がった。
持ってきたのはバインダーだ。
それには要注意と書かれていた。
ペラペラとめくると、一枚のプロフィールファイルを取り出した。
「本当はお勧めしないんだけどね」
それには名前や年齢のほか自己紹介などが記されていた。
目を引いたのは顔写真と年齢である。
若い。
二〇歳とされているが十代特有の雰囲気がまだあった。
そして整った容姿をしていた。
美女というか美少女と言っても良いだろう。
一方こちらは一般会社員だ。
マッチ度にこだわるこのおばちゃんにしては、仕事が悪い。
当然俺は何かの間違いではないかと聞いた。
「オカルトが趣味、というより家ぐるみでやっているらしいのよ」
「オカルトっていうと、映画に出てくる魔法使いのような?」
「どちらかと言うと魔女だね。女が十六歳から結婚できるころからの登録で、もう四年目になるけれど……どうする?」
正直に言うと怪しいなんてもんじゃなかった。
この若さでこの容姿、周囲の男が放っておくほうがおかしい娘さんである。
おばちゃんの言うところによると、チャラい若い奴からロリコン疑惑が立つ年寄りまで、交際を申し込んだどの男も逃げるように断りを入れてきたとか。
贅沢を言うつもりはないので、この場合、この言い方は間違っているのではないか、というぐらいのお相手だが、受けることにした。
十二人からのお断り、後がないのはおばちゃんとの共通認識であるからだ。
手続きを進めてもらうと、いきなり自宅に招かれることになった。
通常、紹介、お見合い、交際、成婚という手順を踏むのだが、随分と性急だ。
あちらさんも何人も逃げられてるからねぇとは、おばちゃんの談。
慣例は棚上げしてもらう事にした。
用意してもらった地図をもとに歩みを進めると、洋館が見えた。
どでかい正面ゲート越しに、それはもう立派な洋館がそびえていた。
「資産もあり、か。これ、逆玉コースだな」
思わず声に出してしまった。
その声は僅かに震えていた。
婿入りが条件らしいが、年齢良し、容姿良し、資産良し、そよ風がこれは罠だとささやいた。
それがいったい何の問題となろうか。
脱独身は至上命題なのだ。
◆
出迎えてくれた人物は水谷徹と名乗った。
初老と呼ぶにはまだ大分ありそうなしっかりとした足取りで、お見合い相手である遠野香澄の後見人を務めていると自己紹介をしてくれた。
その人の後に続いて行くと客間に通された。
ソファーが二つに丸いテーブルが一つ。
他にも調度品が二つ、三つ見受けられる。
随分と豪勢な部屋だが、エントランスから二階に上がる階段、廊下に至るまで豪勢なのだから、驚くというよりは既に疲労感すらある。
少々お待ちくださいと水谷さんは紅茶を置いて部屋を出て行った。
さて、お見合いである。
遠野香澄とはどのような人物なのだろうか。
そしてこちらをどう思っているのか。
先方もこちらのプロフィールも読んでいる筈だ。
それなりな俺のそれなりのプロフィール。
それなりの俺のどこに関心を持ったのか、それが少し気にかかる。
コンコンと扉が鳴ったのでどうぞと答えた。
入ってきたのは写真で見た、いや、それ以上の美少女だった。
赤いタートルネックのシャツと黒のフィットジーンズと言ういで立ちだった。
普段着を着ているのにそう思わせない颯爽とした身のこなし。
腰にまで掛かる黒く長い髪をたなびかせていた。
彼女が真正面に座ったので、丁度相対する位置になった。
何故だろう。
儚さ、華奢、と言った単語は消え失せ、狩猟者と相対しているような気分になった。
「こんにちは。早速で申し訳ないのだけれど失礼させてもらうわね」
何をと言いかける事はできなかった。
彼女の目がまるで黒猫のように見えたかと思ったら、意識を失ったからである。
◆
まだ高校生だったころ、クラスメイトが魔法使いと魔術師の違いについて話していた。
流し聞きだったのでよく覚えていないが、同じ火を作り出すにも、魔法使いより、より技術的なのが魔術師なのだそうだ。
魔術師は魔法使いと異なり、呪文や魔法陣を必要とするのである。
この地下室で、試験管を振っている遠野香澄は果たしてどちらなのだろうか、そんな事を考えた。
彼女が向かうテーブルには、チューブでつながったフラスコや、アルコールランプなど、化学器機で構成された何らかの装置があった。
それは二つの赤い液体を、混ぜ合わせ無色透明な液体を作り出していた。
「あれ? もう気が付いたんだ。どうかしらご気分は」
良い訳がない。
見るからに頑丈な椅子に拘束されているのだから。
「それとも怖さのあまり声が出せない、とか? まぁ仕方ないかもね」
「正直なところ戸惑っている」
オカルト、つまりでっちあげと聞いていたが、不可解な点があまりにも多い。
気を失ったのは、出された紅茶に睡眠薬が混ぜられていたと説明もできようが、この遠野香澄という人物は、アルコールランプに手をかざして火をつけたのである。
それすらも何らかの細工があったとしてもだ、観客がいない状況で、手品を使うだろうか。
朦朧とした意識の中で浮かび上がるビジョン。
彼女は確かに呪文を唱えていた。
「遠野さん。貴女は魔法使い? それとも魔術師?」
「そう、予備知識はあるのね。私は魔術師よ。遠野家の初代は魔法使いだとされているけれど」
「その機器は?」
「今、魔術属性をつける霊薬を作っているのよ。もう一般人上りはしょうがない、とあきらめたけど、夫が魔力量ゼロだと家の体裁もままならないから」
ここでようやく、今に至る過程を思い出した。
彼女は俺と彼女自身の血を採取していたのだ。
事実、俺の左腕には採血した痕跡が残っていた。
止血のための小さな正方形のバンソウコウが貼ってあった。
「ちょい待ち。それを俺に飲ませようというのか。その俺らの血液から作った霊薬とやらを」
「経口じゃないわ。静脈注射♪」
どうやって入手したのか。彼女の手にある注射器はピュルリと溶液を噴出した。
「成功するならいいとして、失敗するとどうなる」
「アナフィラキシーショックかしらね。今風に言えば」
「待て待て待て。冗談じゃない。やめてくれ、ストップだっ!」
「この霊薬というよりこの処置は、対象者が興奮していると効かないのよ。この意味わかる?」
「……婚活を続けたければ、甘んじて受けろって事か」
「拒否してもいいのよ。初対面の時のように暗示魔術ですべて忘れてもらうだけだから」
十三番目のお相手がまさか鬼女だったとは。
いや、魔女か。
どうする。
どうもこうもない、わかりきっている、拒否すべきだ。
俺が望んだのはそれなりの結婚生活だ。
世間的にオカルト一家と知られている家に婿入りなど本末転倒。
だが結婚相談所もいつまでも俺を取り扱ってはくれまい、決断どころだ。
だがしかし。
数刻が過ぎた後、ふぅと彼女はため息をついた。
「じゃ、ここまでにしましょ」
俺は覚悟を決めた。
「やってくれ」
彼女は驚きという感情を初めて表に出したが、直ぐに笑みを浮かべた。
なんとも表現に困る笑みだ。
強いて言えば壊してもいいおもちゃを、手に入れたような悪戯めいた笑顔。
「大丈夫よ、寝たきりになっても面倒見てあげるから」
チクリと注射針を突き立てられた自分の腕を、俺はじっと見ていた。