吐く息が白い。
風が吹けば冷たさが身に染みる。
草原には溶けそこなった白い雪が残っていた。
大分北上したようだ。
買っておいたマントを、ストルラスに取り付けたバッグから取り出し、羽織った。
これは寒冷地向けのマントで、厚い毛皮でできていて、多少重くなるが暖かい。
ぴゅうと風が吹いた。
そうするとストルラスも体を震わせる。
自前の羽毛だけではもう間に合わないらしい。
次の村ではストルラス用の防寒具も買わねばならないだろう。
数日前に泊まった村で聞いたところによると、次が最後の村でその次はマグナサーパス王国の王都だ。
正直に言うと気がはやる。
分かれ離れになったのは結婚後三ヶ月目だったからな。
新婚気分をも引き裂かれたのだから、反動は相応にあるだろう。
「でへ」
いかん、いかん。
こういう時こそ、平常心に努めるのだ。
つまらん事故を起こして台無しにしたくない。
そうしていると、ストルラスが突然足を止めた。
草原を走る一本道。
一日に一体、幾人が通るのだろう、様々な足跡や幾筋もの轍の跡で踏み固められていた。
そんな場所で「クルル」とストルラスが鳴いている。
何かを見つけたのか、手綱を無視して頭を脇の方に向けた。
意識をそちらに向けると弱弱しい魔力パターンがあった。
……行き倒れか?
◆
朽ち果てた石壁を風よけにして、ストルラスから荷物を下ろす。
倒木を持ってきては、クリスタルダガーで適当な大きさに切りそろえる。
寄せ集めてはファイアーボールで火をつけた。
もう幾度とやった焚火起こしだ。
細い枝から、太い幹へと火が移る。
火が安定したころ、その少女に目をやった。
行き倒れていた少女だ。
こちらが寒いが仕方がないと、防寒マントで包んである。
そのマントの隙間からは彼女の着衣が見えていた。
それはブレザーの制服だった。
襟についていた校章からどうも日本の女子高生と思われた。
俺と同様に他の連中と同様に飛ばされたのだろう。
気の毒に、そう思ったら同じ境遇だと気が付いて思わず失笑してしまった。
相当歩き回ったのだろう、頬は痩せこけ至る所は泥だらけだ。
ただまぁ悪運は良いらしい。
魔獣にも出くわさず、奴隷商人にも出くわさなかったのだから。
ストルラスはすっくと立ちあがるとその辺の草を食べ始めた。
俺も腹がすいたので鍋を取り出した。
それは水で戻した干し肉と野菜を煮込んでいる最中の事だった。
「ん……」
鼻が引くついていた。
しばらくすると目を開けた。
いまいち焦点が定まっていない様で、こちらをと言うより焚火をぼうと見ていた。
「ご、ごはん……」
久しぶりに聞く日本語だ。
ちょっとした感慨に浸ったが、まだ出来ていなかったので、コップをとりだした。
魔術師の水筒も取り出した。
これは魔力を込めると水が補充されるという便利なマジックアイテムである。
コップに水を注ぐ。
ほら、と言って差し出せば、その瞳に映ったのはコップではなく水筒の方だったようで、俺の手からぶんどるとグビグビとラッパ飲みし始めた。
物はついでだと、取り出した岩塩を手渡した。
彼女は匂いを嗅ぐと、ペロペロと舐めだした。
舐め終わった頃には鍋が完成しているという算段だ。
スープを器に入れ、スプーンと一緒に手渡した。
「はい。熱いぞ」
ハフハフ言いながら一心不乱に食べていた。
この様子なら大事にはなるまいと、自分の分も器によそって食べ始めた。
魔術師の水筒に魔力を込め水を補充して、コップに注ぐ。
「ぷはー」
お粗末様といって器を受け取る。
マントの中でもぞもぞと落ち着きなく身じろいでいるその娘は、いい加減焦れた様である。
「ねぇおじさん。無線機とか持ってるんじゃないの?」
「持っていない」
「じゃぁ、山岳救助隊とかじゃなくて?」
久しぶりに聞いた単語だったので思い出すのに時間がかかった。
「消防隊隊員でも警察官でもない」
「ならキャンプ配信者とか」
配信? 俺はその単語を理解するのに大分時間がかかった。
仕事の忙しさもあって、インフルエンサーとかあまり得意ではなかったのだ。
「配信はしていないな。キャンプは今見たとおりだ」
「なんだ。ただのキャンプおじさんだったんだ」
「なんだとは何だ。これでも大変なんだぞ」
「あ、ごめんなさい。馬鹿にしたわけじゃないの。ただそういう原始的な生活をあえてする人ってSNSで見るだけだったから」
「原始的……」
文明とは何だろうか、ふとそんなことを考えた。
科学の代わりに魔法技術が発達しているだけで他は大して変わらないのではないか。
そう思ったが、一部の例外を除き、王権制をとっている国が圧倒的に多いのも事実である。
彼女から見れば、前時代の文明と言われれば否定はできないだろう。
ストルラスが水が欲しいらしいので水筒を口に突っ込んでやった。
「明朝出発するから、今日はもう寝ておいた方が良い」
そういうと、彼女は言いかけた何かを飲み込んで、そのままマントの中に潜り込んだ。
今日は徹夜で火の番だな。
「結城綾香。おじさんは?」
「遠野真一郎。さぁもう寝てしまえ」
明日〈みょうにち〉は風の無い日だった。
木々のざわめきもなく、せせらぎの音もなかった。
ただ曇天が空を埋め尽くしていた。
降雪にはならなそうだが、朝一からこれだと気がめいってくる、そんなことを考えた。
歩み始める。
「おじさんはこの、ストルラスだっけ、乗らないの?」
「俺も一緒に乗ると密着することになるぞ」
「ふーん。気を使ったんだ。ちょっと意外」
「どの辺が意外だ」
「もっと粗野な人かと思った」
「切った張ったを十ヶ月も続けてる輩に言うセリフじゃないな。些細な一言で豹変する奴もいるからもっと慎重になれ」
「そういう場合は通報しますから」
「どこに?」
「……えーと」
「被害を受けてからでは意味ないぞ。もう一度言う。もっと慎重になれ」
不機嫌そうに押し黙る結城綾香。
だがこれぐらいの方が良い。
十代のこの年頃は体の成長の方が早いから危なっかしいんだ。
「質問があります。私はこの後どうなるんでしょうか」
「この先に村がある。同郷のよしみでそこまでは手伝おう。そこから先は済まんが何とか一人でやってくれ」
「同郷? 出身地を話した覚えはない筈だけど」
「日本と言う意味だ」
「やっぱりここ日本じゃないのね。うん、いいの。そんな気がしてた」
ぐずり始めたと思ったら、めそめそと泣き始める結城綾香。
“お母さんごめんなさい”
“もう反抗したりしないから助けて”
よく聞き取れないが恐らくこんなことを言っていると思われる。
そうしたらびーびー泣き始めた。
どれほどの間だったかは敢えて気にしなかったが、普通の反応はこうだよな、そんなことを考えた。
俺の最初は魔獣の相手だったからな。
悠長なことを言っていられなかった。
泣き疲れたのか目をはらしたまま俯いていたが、「ここってヨーロッパ?」と聞いてきた。
「俺は分からないがとにかく村とか町とかがある」
「じゃぁあれなに?」
結城綾香の指さした方向には魔獣のアビアビカスが立っていたのである。