結論を言うと失敗はしなかったらしい。
注射を打った数分後に失神した俺は客間に放り込まれた。
違和感を感じた左腕はパンパンに腫れて、保冷剤を包帯巻きにされていた。
遠野香澄いわく、数日で腫れは引くでしょとの事だった。
不自由な左腕に閉口していると、その遠野香澄が幾つかの鉱石を持ってきた。
テストということは直ぐわかった。
選んでみなさいというので、彼女の狙い通りに俺は、魔力が封入された鉱石を引き当てた。
自然と魔力を帯びた天然物と、儀式などで意図的に魔力を込められた人工物の違いも、見分けることができた。
なるほど、分かる人にしか分からないのであれば、魔術がオカルト扱いされるのも無理はない。
遠野香澄は「上出来だわ」と上機嫌で、こうしちゃいられないと、地下工房に引きこもった。
なんでもとある筋に出す論文を書くらしい。
こうなると困るのは俺である。
俺はお見合いに来たのであって、オカルトの真相のみを確かめに来たわけではないのだ。
婚活の次のステップに進めるのか。
当人の遠野香澄に確認すれば良いのだが、工房に入っている彼女の邪魔をすると非常に機嫌が悪くなるのでお勧めしないと水谷さんに釘を刺された。
「……」
もはや馴染みの感すらある客間である。
お見合いは成功でいいのではなかろうか、そう考えた俺は、一度帰宅することにした。
結婚相談所のおばちゃんにも一報を入れねばならないし、仕事もある。
水谷さんと連絡先を確認しあい、遠野邸を後にした。
◆
自宅に戻った俺は、平べったい皿の上にティッシュを置いた。
一呼吸おいてから手をかざし、買ってきたオカルトの本通りに呪文を唱える。
「……」
火は点かなかった。
うーむ、魔力は動いているので上手くいきそうなものだが、そう簡単でもないらしい。
我が根城の1Kアパートは、遠野邸の地下工房より魔力密度が薄いので、それが原因かもしれない。
もしくはこの本が間違っているからとも考えられる。
もう一度唱えてみると、数か所、魔力の流れと呪文の韻に、引っ掛かりがある事に気が付いた。
魔力の流れを基準にするなら、――こんな感じで、呪文を修正してみる。
「ファイアーボール」
すると線香花火の様な小さな灯の塊が、手のひらから出てティッシュを燃やし始めた。
「おー、こいつはすごい」
ティシュに水をかけ火が小さなうちに消火する。
だいぶ収まったがまだ腫れている左腕をさすってふと考えた。
新たな力にはしゃいでみたものの、ぶっちゃけ大っぴらにできない。
誰かが知れば自分も魔術師にと思うだろう。
そしてそれは一人や二人であるわけがない。
そうすると遠野香澄は血液を搾取される対象となってしまう。
流石にそれは絶対避けねばなるまい。
これからどうするのか、相談したほうがいいだろう。
スマホが鳴っていたのはそんな時である。
誰かと思えば、水谷さんだった。
丁度いいと通話ボタンをタップした事と罵声を浴びせられたのは同時だった。
『誰が勝手に帰っていいなんて言ったのよっ!』
遠野香澄さんだった。
丸一日たってから言われても困る。
それに地下工房にこもって放置されれば帰りたくもなる。
かくかくしかじかまるまる、経緯を説明すると、ばつが悪いのかしぶしぶ怒りを引っ込めた。
『配慮を欠いたのは謝罪するわ。でもねアンタはすでに遠野家の一族なのよ。この意味分かるわよね』
一族だと言われればもうしょうがない。
俺はなんだかんだ言って謳歌〈おうか〉してきた独身時代を終わらせる事にしたのである。
◆
方々に結婚の連絡をした。
結婚相談所は色々気にする事があるそうだが、成婚までに至ったのならばこれ以上言うことは無いと円満終了だ。
会社は意外な事に好意的反応だったが、友人関係には相応に冷やかされた。
年の差婚の事で、親族にも大丈夫なのかと軽く釘を刺された。
俺はなる様になると答えておいた。
遠野の館でぺらりと案内書をめくる。
何分魔術師の家なのであまり大っぴらにしたくないのが妻の意向だ。
だが披露宴ぐらいした方がいいのではないか思う。
規模も小さいものからあるそうだし。
相談しようと部屋を出た。
目指すは妻の部屋である。
新婚から別部屋なのは彼女の希望だが、俺としてもありがたいと思っている。
最低限のプライバシーは長続きの秘訣ではないかと思う次第だ。
そして部屋の扉をノックしようとしたその直前だ。
『……』
扉の向こうからくぐもった声が聞こえてきた。
取り込み中らしいが、電話でもしているのだろうか。
だが各部屋に電話があるとは聞いていない。
『んふっ! ぁ、あんっ!』
自慰行為中〈おとりこみちゅう〉でしたか。
扉を閉めそこなったのだろう、僅かに空いた扉の隙間から、喘ぎ声が聞こえてきた。
また明日にするか。
相談の気配ではないし、こちらがとち狂うとちょと困る。
それは、部屋から離れようとしたその直前だ。
触れてもいないにもかかわらず、扉が開いた。
魔術で開けたのだろうと察しを付けた。
そして目が合った。
焦点が定まっていないのか、その瞳は蕩けていた。
「ぉそいわよ、あまりにもおそいからぁ、はじめちゃったじゃない……」
部屋のあちらこちらに積み上げられているのは古文書だろうか。
整理があまり行き届いてない部屋の中央に、ベッドがあった。
半ば降りた天蓋の布はシースルーで、くちゃくちゃに波打ったシーツに、その肢体を力なく晒していた。
「んぁ……」
吐息が漏れる。
あまりにも蠱惑的〈こわくてき〉な状況だったので、香に気付くのが遅れた。
頭の芯を緩める甘ったるい匂い。
徐々に理性が溶けてゆく。
「これ、媚香か……」
「そう、すごいんだからぁこれ、さ、はやく……ぅ」
◆
遠野香澄、二〇歳、遠野家現当主。
両親は彼女が十五歳の時に死亡している。
兄弟も親戚もおらず、成人するまでは、執事であった水谷徹氏が後見人として、遠野家を切り盛りしてきた。
魔術師はその性質上、危険と隣り合わせで、いつ途絶えるか分かったものではないと、修練の傍ら彼女なりに伴侶探しを真剣に取り組んできた。
と、言えば簡単だが実際は予想以上に難航したらしい。
ツテがないので一般人向けサービスを使うしかなかったうえに、魔術師限定などと出来るはずがない。
苦肉の策としてオカルトが趣味とした。
そこまではまだ良かった。
単にふるい分けと判断した輩が群がったのだ。
目的は美貌と財産狙い。
もちろん魔術師はいなかった。
追い込まれた彼女は逆に魔術師にしてしまえば良いと、魔術属性を付ければ良いと考えた。
これが婚活が難航した理由である。
群がる連中は逃げて行った。
俺は栄誉ある最初で最後の一人となったわけだ。
けだるい体に活を入れて何とか身を起こす。
気が付けば既に朝日が昇っていた。
彼女はまだ意識が戻っていない、朝も弱そうだ。
ベッドの上でうごめく肉の塊となった俺らは互いを貪り喰った。
日々相当のストレスに耐えていたのだろう、忍耐、自制などと言った理性をかなぐり捨て、底無しの愛欲に堕ちた肢体を晒す彼女には神々しさすらあった。
「……ぅわ?」
「シャワー浴びてくる。一緒にと思うけど、またもうラウンドになりかねないから避けよう」
「うぅん……」
「痛っ」
左手を嚙まれていた。
◆
それから数か月が過ぎた。
仕事はそれなりにこなし、夫婦生活は時々激しいが、それなりに充実した日々を送っている。
そんなある休日の事だ。
妻である香澄に呼び止められた。
「真一郎ちょっといい?」
遠野真一郎、俺のフルネームだ。
会社では旧姓を使っている。
「魔術の実験をしたいのだけれど、手伝ってくれない?」
「構わないけれど、いつ?」
「これから」
地下工房に降りると、魔法陣が描かれていた。
「召喚魔法陣? 前に言っていた使い魔か?」
「正解。真面目に講義を聞いてたようね」
香澄はいつも突然だ。
魔術講義も突発的に行われるのである。
「はい。これをもって」
渡されたのはクリスタル製のダガーだった。
「俺は何をすればいい」
「魔力の流れを見て、暴発し掛かったらそれで斬って止めてほしいのよ」
「そんな危ないものなのか」
「それ程でもないけれど、安全装置〈サーキットブレーカー〉は何にだって必要でしょ。それじゃ、始めるわよ」
香澄は精神統一を行うと、魔法陣に手をかざした。
描かれたパターンが迸る。
今のところ問題はないなと、思っていたその矢先のことだ。
「え、何よこれっ!」
彼女が驚いたのも無理はない。魔法陣の図章が勝手に描き変わったのである。
香澄のミスではない。
外部からの干渉だ。
俺はすぐさまダガーで魔法陣を斬りつけたが、僅かに遅かったようで、俺らは迸る光の中に消えていった。
◆
目を開けるとすべてが変わっていた。
地下工房から草原へ。
地下の柱が巨木に。
魔術道具が、身の丈より大きな葉に。
そして居た筈の香澄がいない。
「ここは一体どこだ」
俺の問いに答える者はどこにもいなかった。