朝、目が覚めたら香澄はベッドに居なかった。
キッチンから気配がするので、とりあえず安心はしたが、料理苦手じゃなかったっけか。
シーツに包まり顔を出すと、目が合った。
香澄はゆったりとしたワンピーススタイルだった。
腰のあたりをひもで結んで快活さを出している。
「あれ? 意外と早いわね。もうちょっと遅いと思ってた」
窓から見える日光を察するに、七時と言ったところか。
野営ならとうに朝飯を済ましている時間だ。
とりあえず、おはようと言ってみた。
「はい、おはよう。今朝食の準備をしているから、身支度しておいて。手桶はそこよ」
準備のための準備も万端か。
手拭いで体を拭って衣類〈アンダーウェア〉に手を通す。
男物の用意はしてないから、と言うので、いつもの旅人の服に着替えた。
おやと伺うのは香澄だ。
「もう黒色は卒業したとか言ってなかった?」
「魔獣ライオネス製で、黒いんだ。性能優先」
「そう」
何か考えていた様で、何を言い出すか戦々恐々としていると。
「まぁ、いいわ」
“もう要らないわよね”とか言われたらどうしようか、とか考えた。
冒険者が終わりだろうと愛着のあるものはなかなか捨てられない。
朝食は目玉焼きにベーコンとトースト、あとコーヒー。
元居た世界じゃありふれているがこちらではどうなんだろうか。
高価だったりしないのだろうか。
彼女はにこにこと笑みを絶やさない。
敢えて聞くのも憚れるので止めておいた。
ゴーンと鐘の音が鳴る。
「あ、いけない。もうそんな時間なんだわ」
彼女はパタパタとスリッパの音を立てながら寝室に向かっていった。
着替え終わると昨夜再会した時と同じいで立ちだ。
俺が「随分強いメイクなんだな」というと「若いってだけで馬鹿にされるのよ。そのカモフラージュね」と若干の苛立ちがあった。
パタパタと音がする。
「はいこれ、合鍵。夕方には戻るから、それまでには帰宅しておくこと。お弟子さんは取り合えず家に連れてきなさい。その娘の身の振り方はそれから考えましょ。それじゃもう出るから戸締りはおねがい。それじゃ」
軽い口づけをすると慌ただしく出て行った。
俺も宿に戻るとするか。
荷物もあるし、綾香がほったらかしだ。
宿に戻ると支配人に出くわした。
「やはりお泊りのようでしたな。仲良きことは良い事ですな。オホホ」
まぁ大人が朝帰りする理由なんて一つしかない。
離れ離れになっていた夫婦なら猶更だろう。
「いや別にいいんですけどね。やっと会えたんだし。盛り上がったってしょうがないし。何をしていたかなんて聞くだけ野暮だし。ただ未成年への配慮っていうか、連絡の一つ位あってもいいんじゃないかって思うし。ちょっと聞いてるんですか、大人の人」
とは綾香の弁。
猶更と言ったところで、大人の一方的な都合でしかないのも事実か。
一言詫びて、綾香の処遇を明かした。
「新婚夫婦と同居って、えー」
「香澄は家を持っていてね、余っている部屋を使っていいってことだ。取り敢えずは今晩紹介する」
「お食事会?」
「仰々しい言い方だとそうなる」
「えー。ハードルたかいっ」
綾香がこだわったのが服装だった。
旅人の服でお呼ばれはあり得ないとまで言った。
「香澄は気にしないぞ」
「私が気にするんです!」
バックパックをひっくり返し、取り出したのはブレザーの制服だった。
パルオプラス村で綾香が手押し洗いしていたのを思い出した。
「あー、シワが付いてる!」
「もう諦めて旅人の服にしとけ」
「ちょっと女将さんにしわ取れないか聞いてくる」
熱源に炭火を使うアイロンがあるそうな。
鉄製品があるから不思議ではないと言えば不思議ではない。
それを借りて悪戦苦闘すること一時間。
無事シワも取れ、用意万端だ。
宿屋の清算をして、香澄の家で無事ご対面。
「初めまして。結城綾香です。本日はお招き頂きありがとうございます」
招かれた側が先に待っているのだから多少ちぐはぐ感が拭えないがこんな物だろう。
「はい、初めまして。遠野香澄です。すぐ夕食を作るから適当にくつろいでいて」
新婚だったころを思い出すと、胃がキリと痛んだ。
「料理って得意って程でもなかったろ。手伝う」
「大丈夫よ、こっちに来てエレンおばさんに仕込まれたから」
「保護してもらった人か?」
「そう。だから真一郎もじっとしていなさい」
綾香と一緒にテーブルに向かって腰掛ける。
互いに手持無沙汰になってきた頃だ。
綾香が小声で聞いてきた。
「香澄さんって歳いくつ?」
「二〇歳」
どれだけ驚いたのか綾香の目は真ん丸だ。
「私と大して変わらない?! ていうか年の差婚?!」
「綾香の年頃の三年は大きいと思うけどな。まぁ驚くなと言う方が無理だけども」
「馴れ初めを一つ」
「結婚相談所でお見合い」
「あるんだ。そういう話」
「俺らは破談が続いていたからな。切羽詰まっていた者同士かみ合ったのかも」
「だめだ~。三年後の自分が予想できない」
「十七歳じゃちょっと早い話かな」
「結婚か、むぅ」
香澄がオーブンミットで持ってきたのはグラタンだった。
「なに? 二人して内緒話?」
「香澄が二〇で結婚したことで、人生観が揺らいでいるそうだ」
「そう言う事ね。私たちは特異だったから、あまり参考にはならないわよ。はい。冷めないうちに召し上がれ」
「グラタンか。こちらでお目にかかれるとは思わなかったな」
「スパゲティは既にあったから、業者にマカロニを依頼してみたのよ。そうしたらできたって訳」
綾香が一口食べた。
「わ、おいしい」
「どういたしまして」
「腕を上げたなー。ますます家でやることが少なくなった」
「素直においしいと言えば済むのよ」
「はい。おいしいです」
「よろしい」
こちらでは十五歳で成人だ。
なので綾香もウィスキーを水割りで飲んだ。
すっかり出来上がり、ソファーで眠り込んでいる。
香澄は彼女に毛布を掛けてやった。
「ふぅん。中々可愛い子じゃない。もてそうね」
「好きな奴はもう居るって言ってたぞ」
「そう」
「そこで質問なんだが、元の世界に帰る手段はあるのか?」
「その質問に答えるのは難しいわね。転移魔法陣でこの世界にやってきたのだから、その逆もまたしかり。理論上は帰れるのだけれど、いま状況がそれを許さないのよ。基本研究すらままならないわ」
「パレ=パラエタリム」
「正解。やっぱり知ってたのね」
「旅の途中で二回ほど出くわした。下っ端だけで本人は全く不明だ。自分の手は汚さずにってパターンだからな。正直、はらわたが煮えくりかえる」
「いい? 転移魔法陣を扱うどころか、下手をすると口にするだけで、関係者とみなされ、取り調べを受けるのが現状なのよ。とてもできないわ。真一郎、あなたも自重して」
「なら、当の本人を調べると言うのはどうだ。マグナサーパス王国またの名を魔術師の王国とまで言うなら居場所に心当たりがあったりしないか」
香澄は大きなため息をついた。
「死んでるのよ。とっくの昔に」
「死んだって、何か確証があるのか?」
「今から約一年前に葬儀が行われたわ。記録にも残っているし、墓を暴いてまで死亡を確認した」
「なら弟子か、血縁者か」
「弟子は取らなかったそうよ。孤児だから血縁者も不明」
「なら騙〈かた〉りか。私生児の線も見逃せない」
「何故そう固執するのよ」
「綾香が転移されたのはまだ三週間そこそこ。そして転移者という犠牲者はいまだ止まっていない、だろ? 何かはまだ居る」
『なかなかいい線いってるね。でも何かってのは失礼じゃないかな』
その声は突然だった。俺らの間に緊張が走る。俺と香澄の魔法探知に引っ掛からず、ここまで接近をしてくるとはただ者じゃない。
俺が「香澄! 右側カーテンの裏!」と叫ぶと香澄は返事代わりに腕を振った。カーテンが消し炭になる。
『無詠唱魔術とは流石大魔導士様だ。今のはファイアーボールの亜種かな。あぁ怖い怖い』
声の位置がまた変わる。
今度はキッチンからだ。
『ただ今日は甲竜の戦士に会いに来たんだ。何というか、それなりって感じだね』
食事用ナイフを投げつける準備をする。
「香澄、これは転移だ。この声の主は転移で移動してる」
『これは驚いた。正解だよ。ご褒美を上げようか。何がいいかな』
転移魔法陣は三度も見たからな。
感覚〈パターン〉は分かっている。
「名前ぐらい名乗っていけ」
『随分と謙虚だね。まぁいいけどさ。僕の名前はネクテラと言う。また会うことになるよ、真一郎。それじゃバイバイ』
部屋の空気から緊張感が抜ける。
香澄も警戒を解いた。
俺も投げようと手に持っていたナイフをテーブルに置いた。
「香澄。錬金術師パレ=パラエタリムの専門は転移系魔術と聞いた。ネクテラとの関係は否定できない」
「上等じゃない。誰に喧嘩を吹っ掛けたか思い知らせてやるんだから」