俺は走った。
とにかく辺りを駆け回った。
ここは、この状況は危険だと心のアラームが鳴りっぱなしだ。
ここは自然界の魔力密度が異常に高いのだ。
ここに飛ばされる前と後でがらりと変わってしまった。
“ここに飛ばされる”自分で言っておいてから気が付いた。
映画で時々見る別世界に来てしまったとでも言うのだろうか。
翼音〈よくおん〉が聞こえたので空を見上げたら、大型の生物が空を飛んでいた。
大地を駆ける為にあるだろう丈夫な四本脚をもっているのに、大きな翼をもっているのである。
生を受けてそろそろ三〇年になるが、あんな生き物は見たことがない。
俺は堪らず悪態をついた。
周囲にあるもの、草木や岩、空の雲すら得体の知れないものに見えた。
突如吹いた風が、樹木や草原の草を鳴らす。
何かが隠れているのでは、俺を狙っているのか、妄想なのか現実なのかどちらでもいいが、自分の身を守ることが最優先されるらしい。
妻のイメージが頭をよぎる。
俺以上に実力のある魔術師の香澄の事だ、きっと俺より上手にやるだろう。
まずは自分の確認をすることにした。
怪我の類はない。
装備は長袖シャツとジーンズ。
家が洋館だったことが幸いして靴を履いている。
あと、クリスタルの短剣〈ダガー〉が一振り。
スマホがあるが圏外なので使い物にならない。
ここで冷静になってきた。
体調は、すこぶる快調と言っても良い。
これはこの世界の魔力の濃さのせいだ。
あれほど走り回ったのに息切れもしていない。
香澄に施された魔術処理以外心当たりはなかった。
ガサリと音がしたので、とっさにダガーを向けると現れたのは、大型犬程の大きさのウサギだった。
草をかき分けるように大きな耳をぴんと俺に向けていた。
なんだと拍子抜けする事ができなかったのは、ウサギの放つ魔力の波動が、激しい波を打っていたからである。
その波動がはじけたと思ったら、突然襲い掛かってきた。
その脚が大地を蹴った影響で粉塵が巻き上がる。
双眸の間にある宝石のようなものが赤く光っていた。
そのウサギの牙は俺の首を狙っていると悟った。
げっ歯類のくせに鋭利な歯型だった。
まるで鮫のようだ。
ウサギに蹴り出された小石が地面に落ちる前、つまり突進は一瞬〈ひとまたたき〉きもない瞬間だった。
そのウサギは俺を仕留めたと確信していたに違いない。
事実、首をはねられてなお、牙をむいていた。
首と泣き別れになった胴体がピクリピクリと痙攣している。
自分でも驚いたが、俺はダガーでウサギの首を刎ねたのだった。
「結婚相手へのアピールになると思い剣道を習っていたのが、功を奏したな」
言い訳がましい独り言をついこぼしたのは、こんな大きい生き物を殺したのが初めてだったからである。
犬を殺してしまったらこんな感じになるんだろう。
ダガーからは大型ウサギの赤い血が滴っていた。
◆
結論を言えば、大型ウサギは俺の食料になった。
石ころと枯れ木の破材を使って原始的なグリルを作ったのである。
血を抜いて、さばいて内臓を取り出し、毛皮をはがし、転がっている枯れ木で火をつけて焼いた。
ライターはおろか火打石すら無かったので、ファイアーボールを使って火をつけた。
鋭利な石ころで掘った穴には、食べない部所を放り込んで埋めた。
動物とはいえ初めて見る臓腑〈ぞうふ〉を見て、こみ上げるゲロもその中にぶちまけた。
ウサギ肉はもちろん枯れ木に対しても、ダガーは大活躍だった。
調味料が欲しかったが、無いものは仕方がない、だが腹が減っていれば何でも旨いとはよく言ったもので、きれいに平らげた。
「げっぷっ」
先ほどまで命を奪ったことに対して悔やんでいたが、我ながら現金なものである。
「でなければああなる」
水を求めたのだろう、小川の縁でこと切れた死体があったのだ。
随分経っているらしく完全に白骨化していた。
装備を失敬しようと思ったが、錆びて使い物にならなかったのであきらめた。
これは証拠だ。
この白骨遺体は、二本の脚と二本の腕を持っている。
そして鉄製の武器を使っていたという事実。
ならば作り出した奴もいる事になる。
この別世界には文明がある証だ。
頭部に角〈ツノ〉があるのが気にかかるが、まぁいい。
物を作る奴がいるならそれは理論的な奴ら、数を扱う商売でそれを買うやつら、つまり言葉が通じるという意味だ。
パチと焚火の火が爆ぜた。
周囲に魔力の波動が複数あった。
周期的で丸みを帯びたパターン。
その方に目を走らせれば何かと視線が交差する。
しばらくするとそれはゆっくりと立ち去った。
こちらの動物も炎が苦手なのだろうか。
焚火に薪をくべる。
またパチリと爆ぜた。
じきに日が落ちる。
「しばらく寝られない夜が続きそうだ……って会社員と何が違うのだろう」
独り言が多くなったと自嘲気味に笑った。
クリスタルの剣身をもつダガーをじっと見る。
香澄は無事だろうか。
無事だと知らせたいし無事だと確認したいが、どうにもならない。
もどかしい。
その時だった。
「@#$%!!!」
何の音だ。
「&*%$!」
「@&#@!!!」
音というよりは言語のように聞こえた。
現地民かもしれない。
だがこんな危険な場所なのだから、武装しているに決まっている。
第一次接触でしくじって争いごとに発展するのは少々厄介だ。
いやだいぶ。
穏便に済ませてどうにか情報をと思ったが、どうも様子がおかしい。
その声は慌てているように聞こえる。
呼吸を整えてじっとその方を探ると、魔力の反応が三つと一つ。
魔力パターンを見ると、どうも追っ手から逃げているらしい。
逃げているのが三つの方だ。
「逃げ込み先はここか」
日も落ちれば焚火は絶好の目印だ。
俺は腰のダガーを取り出した。
三つを追っている、もう一つの魔力量の大きなこと。
大型ウサギより鋭さに欠けるが、パワーと重量がある。
ダガーで間に合うだろうか。
「「%%&¥*!」」
現れたと思ったら、その追われている三つ、それは三人だった訳だが目の前を駆け抜けていく。
視線が絡む。
伺えたのは恐怖と怯え。
先頭の奴が足をもつれさせたので、その三人は盛大にすっ転んだ。
続いて最後の一つも現れた。
「グルル……」
水牛ほどの大きさで、長い牙を持つイノシシ、が表現として適当か。
そのイノシシは焚火の火を警戒しつつ、それでいて俺らを狙うことは止めなかった。
魔力パターンが、周期的だが鋭利なものに変わる。
仕掛けてくる、そう思ったら、魔力パターンが弾けた。
焚火を踏み越え襲い掛かる。
牙にあてがったダガーを起点にかろうじて、猛烈な突進を受け流す。
魔力が体の強化をしていなかったら、とてもできない芸当だ。
それを幾度か繰り返したら、イノシシの目標は完全に俺となったらしい。
事実追って来た筈の三人には目もくれない。
その三人はすっ転んだ事がきっかけで腰を抜かしている。
後で苦情を申し立ててやる、そう思った瞬間を狙ってイノシシが真正面から突進してきた。
どうする、ダガーでは間合いが足りない。
どうにかして脇に回り込まねば。
気が付けば足元近くにダガーより長い得物のロングソードが落ちていた。
三人のうちの誰かものだろう。
すっ転んだ際に、弾かれて落ちたに違いない。
イノシシが飛びかかって来た事と、俺がロングソードを拾ったことは同時だった。
手にした感覚は当然ながらダガーより竹刀に近い。
婚活の一環で培った剣道の気迫見せてやる。
俺の段位はそれなりなのだ。
一閃、手応えあり。
どうと音を立てて、イノシシは倒れた。
首を斬り落とせはしなかったが、致命傷だろう。
その首から血が噴き出していた。
◆
飛び込んできた三人組は魔獣、俺が勝手にそう呼ぶことにしたのだが、イノシシ型の魔獣を食っていた。
どれだけ逃げてきたのか、相当に腹を空かすしていたらしい。
肉を捌いていく手際の良さから、似たような事を日常的にしている連中、と言う事が分かる。
整った装備を見てからも、どういう事を生業としているのか、何となく分かった。
恐らくは職業的狩人。
「#$@&&」
三人のうち、一本の角を持つ奴がいるのだが、そいつが俺に骨付きのもも肉を差し出した。
言葉が通じないのは互いに了解済みだ。
俺は謝礼を述べるとそのまま肉に食らいついた。
焼きたては旨い。
ただ我がままを言えばそろそろ野菜も欲しいところではある。
指の数が同じせいか、それとも二本ずつの腕と脚を持っているせいか、身振り手振りは概ね共通だ。
その一本角の奴は自分の胸に親指を突きつけとると「ウーナス」と言った。
どうやら名前らしい。
俺はそのまま真一郎と答えた。
二本角の奴がデュオノ、猫耳獣人はフェレナスと言い、三人肩を組んだら揃ってトルニトーズと声をハモらせた。
チーム名と辺りをつける。
なんというか、調子のいい連中だ。
足元をすくわれなければ良いがと思った。
だからだろう。
剣を教えてくれ何て言いだしたのは。
三人は俺が魔獣イノシシを斬ったところを見て、そう思ったらしい。
俺は一つ息を吐くと地面に、樹木と、斬り落とされた枝と、削り出され剣となった絵を描いた。
つまりは木剣だ。
彼らは頷いた。
交渉成立。
俺は彼らからこの世界のイロハを学び、俺は彼らに剣道を仕込む。
目指すは一路、港湾都市カプトウダだ。
ウーナス、デュオノ、フェレナスは全員男です。
ギルド名はトルニトーズ