―千夏side―
朝五時に鳴ったアラームは無意識に止めていたらしい。念のためにとかけておいたもう一つのアラームで何とか意識を覚醒させ、適当に髪を縛って家を出た。
眠気を堪えて電車に乗り込む。席は空いているが、今座ってしまうと寝落ちてしまう可能性がある。つり革に掴まって立っておくことにした。
脳内では、今日のデッキリストを元に様々なデッキとの対戦をシミュレーションしていく。何度もその手で行った対戦の経験から、自然と脳内で対戦ができる。
ともかく、今日勝たなければ始まらない。余計なことを考えなくて済むよう、目的地に着くまでの間、ひたすらシミュレーションを繰り返した。
何とか寝過ごさずに目的地へとたどり着けた。会場周辺はキッチンカーなどが並び、いずれ来る観客たちを待ち構えていた。
どうやら選手も利用可能らしい。勝利にちなんで、カツサンドなどが売られていた。
こういった催しは好きなので時間があれば色々回りたかったが、今日はそんな余裕はない。選手としてここに来ている以上、少しでも長く会場で戦い続けること。それが最低限の目標なのだ。
控え室には、既に多くの選手が集まっていた。アタシも時間に余裕をもって来たつもりだったのだが……。
見渡すと、何人か知っている顔を見つける。知り合いではなく、こちらが一方的に知っているだけだが。
大会の配信や中継で見たことがある選手だ。その中には全国レベルの選手もいる。
試合を見たこともあるが、やはり相当な腕だった。この中で四人しか全国大会に参加できないというのだから、過酷なルールだ。
そんな中においても、負ける気はしなかった。デッキも仕上がっているし、可能な限りの時間を練習に費やして練度も極限まで高めている。
環境を中心として、マークの薄そうなデッキに対しても初見殺しされないようにテキストやギミックだって頭に叩き込んだ。
今のアタシは、全国でだって戦える自信がある。まして、AWGにプロはいないのだ。アタシの実力は十分に通用するだろう。
それなのに。ただ一人。たった一人に勝てるビジョンは、終ぞ浮かばなかった。
控室の扉が開く音がした。目をやれば、綺麗な顔立ちをした黒髪の少女が入ってくる。
十年以上の付き合いになる幼馴染であり、現在も同じ学校に通う学友であり。
暴力的なまでに、その巨大な才能を振るう、いつかは戦わなければならない相手。
「千夏、早かったね! 今日は頑張ろうね!」
そう言ってアタシの前に立つ、久遠白栞に勝てるビジョンだけは。
この場に至っても持ち合わせていなかった。
♢♢♢
選手入場の時間になり、会場に全選手が並ぶ。開会式として改めてみると結構な人数だと感じるが、全国大会へ参加できる四人以外は涙を飲むことになる。
あと数分もすれば初戦のマッチングが発表される。多くの選手は緊張を隠しきれておらず、闘志と不安が入り混じった独特な緊張感が会場に充満していた。
その不安を増長させる要因の一つに、大会形式が関係しているだろう。形式はいたってシンプルで、一敗したら即アウト。世間では、シングルエリミネーションと呼ばれている。
つまり、ここにずらりと並ぶ選手たちは、一回戦終了時点で半分が姿を消す。たった一度の勝負に敗北し、一度も勝てぬままに。
ベスト4に入るまで、一度の敗北も許されない。店舗代表戦を勝ち抜いた選手たちであっても、その重圧は相当なものだ。
かく言うアタシも、数日前までは不安に苛まれていたのでとやかく言える立場ではない。
結翔とゲーセンで息抜きが出来たのは、思わぬ収穫だった。それが無ければどうなっていたことやら。
《一回戦の組み合わせが公開されました。アプリから対戦テーブルを確認し、移動してください》
会場にアナウンスが響くと、選手たちが少しずつ移動を開始した。
アタシもアプリを開き、対戦相手とテーブルを確認する。見知らぬ名前が表示されていることに安堵しつつ移動すると、大学生ほどの男性が立っていた。
金髪を長く伸ばし、後頭部で結んでいる。耳と鼻にはピアスを付けており、腰にはウォレットチェーンが付いていた。
見るからに軽薄そうな男性だが、見た目で判断しては失礼だろう。
アビカは礼に始まり礼に終わるものだ。テーブルに着くと、アタシは頭を下げる。
「よろしくお願いします」
男性は軽く笑みを浮かべた。
「よろしく。いやあ、人数が多いねぇ。女子高生? それで代表なんて強いんだね。彼氏と一緒に練習してるとか?」
見た目通りの軽薄野郎だった。
「彼氏とかはいないんで。練習は部活っすね」
「えー、そうなの? でもモテるでしょ。後でそこらへんの話聞かせてよ」
結翔からはふざけてヤンキーと呼ばれるアタシだが、周囲からも案外そう見られているようで、何もしてないのにビビられたり、こういう軽薄なチャラ男に絡まれることはそこそこある。この男もそのクチだろう。
デッキをシャッフルし、テーブルにセットする。
カードを引けば、それなりな手札だ。最良ではないが、全く悪くない。
一方で相手はかなり手札が良いようで、目に見えてテンションが上がっていた。
「キミとたくさんお喋りできる時間作りたいし、十五分くらいで試合終わらせちゃおっかな」
ふざけたことを言うものだ。
通常、アビカの一戦あたりの平均的な試合時間は二十分と少しかかるくらいだろう。
だから、十五分ならまあ早く終わったと言える範囲だ。
だが。
「そんなにかからないっすよ」
このアタシを相手に、十五分も立っていられると思っているなら。
全く見積もりが甘いとしか言えない。
結翔との息抜きの前。複雑化してきた環境への対応手段を模索して様々なテックカードを採用していった結果、デッキが本来の動きを見失っていた。
しかし、こういった細かな環境になった時、アタシのデッキにはもっとやれることがあったのだ。
あらゆる対面を想定して多種多様なカードを採用することじゃない。初心に戻り、自分とデッキを見つめる余裕が生まれた時、初めてそれに気付けた。
相手が小細工を弄するよりも速く。誰よりも何よりも速く、ただ前に前にと進むこと。
どんな作戦も罠も置き去りに、最短最速を突っ走ればいい。
「お、おい……。俺はまだ、ガーディアンを二体しかプレイできてないんだぞ……?」
「そうっすね。カードを二枚プレイした、それがアンタの地区大会での実績だ」
軽薄な男のライフがゼロを表示したのは、試合開始から七分後のことだった。
―結翔side―
幼馴染たちの応援に来たは良いものの、観客席からでは選手たちの試合の流れは見えない。距離もある上にテーブルの上で繰り広げられる戦いなのだ。そりゃ肉眼じゃ確認できない。
それでも現地に足を運んだのはギャラリーの存在が選手たちとって大きいからだ。モチベーションにも関わってくる。
それに、テーブル番号さえ分かれば手元の端末で観戦もできる。現地にいながら端末の画面を眺めるという奇妙な光景ではあるが、会場の空気を肌で感じられるというのは存外面白いものだ。
……自分が当事者になるのはごめんだが。
「さて、千夏の試合はっと」
会場で売られているフードやドリンクに目移りしていたところ、一回戦も五分ほどが経過してしまっていた。
序盤も序盤だろうが、千夏の使用デッキはゲームの展開の早いアグロタイプのはずだ。もしかしたら中盤に差し掛かっているかも、と予想して画面をつけなおす。
そして、目を疑った。
「……これ、もうゲーム終わらないか?」
千夏の盤面は既に四体のガーディアン。相手のライフは四点、防御可能なガーディアンは一体のみ。
相手は必死に手札を眺めているが、このターンに千夏の盤面を崩壊させる手段は無いようだ。結局、ガーディアンをもう一体展開しつつ、千夏の攻撃回数を減らしにかかるが、次のターンに速攻持ちに殴られるかバフが通れば敗北という状況。
どちらも千夏が持っていないことに懸けたお祈りプレイだが。
「あのデッキ相手に、そりゃ望み薄だろ」
ターンが千夏に返ると、案の定手札に抱えていたバフをプレイし、ゲームが終了した。
会場のタイマーに目を向けると、試合開始からわずか七分しか経っていない。驚異的な速度だ。
あいつ、速度に振り切りやがったか。地区大会に向けてデッキをかなり細かく調整していたのは、部活中に見て気づいていた。
多くのデッキとの対戦に向けて対策カードを採用して、その枚数の調整に苦戦していたのも見ていたのだが。蓋を開けてみれば、対策カード全抜きときた。ずいぶん強気な構築だ。
最も、この環境ではそれが正解なのかもしれなかった。多種多様なデッキが環境に跋扈する今、全てを対策するなんてできるはずもない。
であれば、デッキの長所を最大まで高めて戦う方が勝算があるということなのだろう。
だが、その選択ができるプレイヤーはそう多くない。一度でも負けたら終わりの大会において、不利対面を踏んだだけで敗退するということが脳裏を過ってしまうのだ。
それまでの努力が当たり運だけに左右されてしまうことに、多くのプレイヤーは耐えられない。
千夏はどうなのだろうか。
遠目から会場の千夏を見るが、その表情までは見ることができない。
「……いや、大丈夫そうだな」
表情は見えなくても、堂々と歩く様を見ればわかる。
あいつは、その運すら乗り越えられる自信があるほどに努力を積み重ねたのだろう。
まるで負ける気など無いと言わんばかりに会場を進む幼馴染に、俺は心の中でエールを送った。
その後も千夏は快勝を続けていった。
一試合あたりの平均試合時間は十分を切っているだろう。いくらなんでも早すぎる。
現代アビカで速度に特化させるとこんなデッキになるのか、と関心させられた。
さて、ここまで千夏ばかり見ていたが、白栞も選手として参加している。と言っても、特筆すべきことは何もない。淡々と勝利を重ねていた。
今回白栞が使用しているデッキは【オーガビートダウン】と呼ばれるものだ。
ガーディアンの召喚方法が特殊なデッキなのだが、除去に強く安定性もあり、盤面の再現性が高い……つまり、勝ちパターンのゲームを作るのに運の要素が少ない。
その分プレイングに差が出やすいのと、デッキ構築の際に自由枠をどう使うかが難しい。
今期はビートダウンの通りが良いからと白栞が組んだのだが、既に歴戦の猛者のごとく使いこなしているのは流石としか言えない。
まあ、こいつは大丈夫だろう。
あっという間に四試合を消化し、選手たちは昼休みの時間になった。
千夏や白栞と連絡を取って一緒に昼を過ごしたいところだが、大会中は選手のスマホ操作が禁止されている。また、昼休憩も控室で行うことになっており、外部との接触が行えない。
そんなわけで。
「ひ、暇だ……」
しばらく一人で観戦していたのだが、昼休憩に入ってやることが無くなってしまった。
ラノベでも持ってくれば良かったものを、歩き疲れるのを嫌って置いてきたのが裏目に出てしまい、こうしてぼんやり会場で空を見上げる羽目になってしまった。
他の観客たちは食事や雑談に興じているが、飲み食いしながら観戦していたためどこかに食べに行く選択肢もない。
どうしたものかと手持無沙汰を嘆いていると。
「あっれー。先輩じゃないっすか」
馴染みのショップのアルバイト、土間が後ろから声をかけてきた。
「何してるんすか、こんな所で」
「千夏と白栞の応援だよ。お前こそどうした。今日はバイトはいいのか?」
大会当日から数日間、各地のショップは忙しくなるのが通例だ。大会の熱気に中てられてカードを買ったり、ショップバトルに参加する客が増えるからだ。
そんな中で休みを取っているとは、店長も頭を抱えているのではなかろうか。
「もちろん観戦に来たんすよ。市場調査だってショップ店員の立派な勤めじゃないっすか!」
言われてみれば一理あるが、配信を見ながら働くこともできるのではないだろうか。
「土間もAWG出れば良かったんじゃないか? お前結構強いじゃん」
「いやいや、私は出れないっすよ。てか先輩、土間って呼び方よそよそしいんで、いい加減やめましょうよー」
そういえば、予選の日はバイトだったか。仮にシフトに入ってなくてもバイト先で権利獲得というのも周りから見たらあまり良くないだろうし、確かに参加は難しいのかもしれない。
だいぶ前の話になるが、俺が教えてからの土間はそれはもう凄い勢いで強くなっていった。
アホなフリなのか素なのかは知らないが、第一印象に反して相当頭はいいのだろう。理解力も高いし判断力もある。
そういう点で言うなら桂木さんも実力の伸び方が凄まじいが、こいつはそこに熱量も加わってあっという間に強くなった。
最近は土間とアビカをすることも無かったし、プレイしているのを見てもいないから分からないが、今ならAWGでも活躍できるレベルなのではないだろうか。
「先輩、聞いてますー? ほら、私のことは『マリオンちゃん』って呼んで下さいよ」
「あだ名の方が長いじゃねえか。いいだろ土間で」
「えー。嫌っすよ、距離感じるじゃないっすか」
「それに、これはあだ名じゃないっすよ。私の
左目を右手で覆い隠すようなポーズと共に宣言する土間。実年齢は知らないが、もしかしたらそういう年頃なのかもしれない。
「おう、そうだな」
こういう時、否定してはいけない。その人にはその人の世界があるのだ。俺は適当に話を合わせることにした。
「先輩。今、適当に話合わせたでしょ」
バレた。
うるさい後輩だが、いないよりは遥かにありがたい。試合を見ながら雑談に興じていたら、時間もあっという間に過ぎていった。
既に夕日も沈みかけている中、八回戦が終了した。
意外にも観客はあまり減っていない様子だ。身内が敗退したので帰るという人も多いだろうが、純粋にこの大会の行く末を見届けたいという人がここまで多いのかと驚いた。
一方で、現在残っている選手は、わずか八名。当初二千人以上が参加していたため会場内は手狭に感じていたが、今はむしろこの広い会場でカードゲームの大会が行われている方が違和感があった。
残った選手たちは、会場中央のステージ上がっていった。そこに用意された特設の対戦テーブルで戦うためだ。
テーブルの上にはカメラが設置されており、会場に取り付けられている巨大なモニターにも映し出される。
緊張の面持ちで特設ステージに並ぶのは、二千人から勝ち残った八名の選手たち。その中に、俺の幼馴染二人が残っている。
あの二人が強いことなんて、俺が一番よく知っている。だというのに、この光景を見ると……。
《それでは、選手の皆様に意気込みを聞いてみましょう! まずは昨年の全国大会でベスト8の実力者、久遠白栞選手にお願いします!》
司会者の宣言と共に、壇上中央のマイクまで歩いていく白栞。
緊張感に包まれたステージ上において、たった一人堂々とした姿は、その場において異端だった。
「皆さん、応援ありがとうございます! 私が今日使ってる香水は来週アビコスから発売される新商品ですが、落ち着いた香りで試合中もリラックスして臨むことができました! ぜひ試してみてくださいね!」
まずはスポンサーの宣伝を挟む白栞。スポンサーがいる一般プレイヤーというのは、長いアビカの歴史上でも異色だ。
当たり前だが、残っている選手は強豪だらけ。しかしその中であっても、白栞の自信は揺らぐことはない。
白栞はステージからこちらを見つめると、そのまま人差し指を向け、
「この調子で残りの試合もしっかり勝って優勝するので、私の雄姿をバッチリ見ててね!」
と、優勝宣言を放った。
「ひゅー。かっこいいっすねー」
「というか、なんでこの距離で俺の位置が分かるんだ……?」
観客も多い中で場所を把握されていることに恐怖を覚える。本当にあいつは何なんだろうか。
その後も選手の紹介とコメントが続いていくが、白栞ほど堂々とした選手はいない。頑張りますとか、応援してくれた友人たちのためにも負けられないとか、無難なコメントが続いた。
《さて、ラストは久遠選手と同じ高校一年生! 燎千夏選手です!》
もう一人の幼馴染、千夏がマイクの前に立つ。
先ほどまでの勇ましさが感じられないのは、距離のせいか。あるいは。
「えっと……。ここまで来たので、負けたくはないです。なんとか全国大会に行けるように頑張りマス」
緊張しているのだろうか。まるで普段の覇気は無い。
いや、そうではない。俺は、それを知っているはずだ。
「あと一回勝てば全国大会ってところで、久遠さんと当たる選手は可哀想っすねー」
土間の言う不安は、全選手が抱えていることだろう。あのステージにおいて最も実力が知れ渡り、実績を持っている人物は間違いなく白栞なのだ。
俺より実力がある彼らだからこそ、よりハッキリと自身との距離を把握している。してしまっている。
「ま、誰と当たったらヤバいなんて考えてる時点でお察しって感じっすけど。デッキ相性とかじゃなくて、プレイヤー自身にビビッてるんじゃなー」
「それは……そうかも知れないけど。でも無理もないだろ」
「そうっすか? 自分にはちょーっと理解できないっすけど。まあ、知り合いと当たったら気まずいなーって事なら分かりますけどね」
土間はこういう所は結構ドライなようだ。いや、豪胆と言うのだろうか。
「実際に参加したら違うかもしれないぜ? お前が出てたら、案外緊張でガクブルかもしれないぞ」
俺としてはステージ上で緊張のあまり固まっている姿のほうがイメージしやすかった。それは普段のふざけた様子だったり、話している印象によるものだ。
だが。
「私が? ありえねーっすよ、これくらいで」
そう断じる土間の目は、冗談でも強がりでもない。それだけはハッキリと分かった。
「……随分と自信があるじゃねーか」
「当たり前っすよ、先輩の弟子なんだから。今日出てたら優勝くらいチョロいって」
「根拠が弱すぎるだろ」
俺に教わったくらいで全国大会に参加できるなら、今頃俺はプロリーグにいるだろう。
土間は自信満々だが、俺の脳内ではステージ上で小刻みに震える土間のイメージが浮かび続けていた。