活俠傳 短編集   作:ボブの卵かけご飯

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サブタイトルのもの※AI

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硝子の藤簪

先の戦いの事後処理が幾らか片づき、ようやく昼下がりに半刻、夕餉前に一刻ほどという隙間ができるようになった。

 

趙活は、その隙間を鍛冶場へ持ち込んだ。

 

戦から戻った唐門には、直すものも補うものも山ほどある。

 

昔であれば、その面倒な部分を多くこなし、誰かに押しつけられた得物まで直していた。

 

いつからか、新しく唐門に入った若い弟子たちが鍛冶を行うようになっていた。

 

趙活も自分の知る鍛冶を伝える側に回っていた。

 

しかし、ここ最近は、手が回りきれていないようだった。

 

そこで趙活は、一人で終えられ、途中で手を止めても困らない小仕事から拾った。

 

初日は武庫で数の減った飛梭と鉄橄欖を選り分けた。曲がった飛梭を火へかざして戻し、鉄橄欖の潰れた稜を打ち直す。牛毛針は錆びたものを捨て、残ったものの針先を研いで、長さの近いものごとに小箱へ分けた。

 

どれも一つなら大した仕事ではない。だが、一袋分を揃えようとすれば半刻や一刻はすぐに消えた。

 

二日目も、同じような仕事を続けた。数打ちの刀剣を研ぎ、暗器嚢の切れた留め紐を替え、持ち手の割れた小槌へ新しい柄を挿す。どれも一人で扱え、呼ばれればその場で置いていけるものばかりだった。

 

講経堂へ呼ばれれば火を落とし、医療房から人が来れば手を洗う。戻った時には炉が冷えている。もう一度火を育て、続きを始める。

 

三日目に、自分の武器を鍛冶場へ持ち込んだ。

 

それは、葉雲舟から贈られた槍の穂先を丹念に磨き上げ、短剣へ仕立て直したものだった。

 

手に取るたび恐れ多く、それ以上に頼もしい。今の趙活が最もよく使う武器でもある。

 

戦場でついた血と脂は拭ってあったが、刃の根には落とし切れなかった曇りが残っている。砥石を替えながら刃筋を整え、小さな刃こぼれを消し、柄へ新しい革を巻いた。

 

研ぎ上がった刃へ炉の火が細く映った。

 

自分は今、これを持つに足る人間だろうか。

 

磨いた鋼の上を、青白い光が一筋走ったように思えた。

 

四日目、武庫へ戻す小暗器が一通り揃った。

 

直した飛梭を束ね、研いだ針を小箱へ収める。鉄橄欖は投げた時に手癖を乱さぬよう、重さの近いものを揃える。毒を塗るものは別へ除け、油へ沈めた。

 

その横で、趙活は小さな坩堝へ透明な破片を入れた。

 

硝子――この地で玻璃と呼ばれるものだ。

 

鉄より脆く、陶より気難しい。

 

熱が足りなければ形にならず、強すぎれば泡を噛む。細く引いても、冷ますのを急げば、何もしていないのに音を立てて割れた。

 

昔、師母から贈られたという玻璃花。その最後の一片を、趙活は唐布衣から譲られていた。

 

ほかの花弁は、唐布衣がすでに使い切っていた。最後の一片も、ただ透明な玻璃を花の形に削った飾りではなかった。

 

手の内へ隠し、指の動きまで技に紛れ込ませ、撃たれた相手にさえ暗器だと悟らせない。趙活は実物も、それを撃つところも見ていた。

 

浅い匙のように反り、根だけが細く、掌へ載せれば僅かに傾く。あの形のまま狙ったところへ運ぶには、自分の暗器の腕では難しい。

 

譲られた一片を使い潰すつもりも、そのまま写して自分の暗器にするつもりもなかった。

 

趙活が作るのは、見た技を自分の指へ合わせ、足りないところを自分のやり方で埋めた別物だった。

 

指の長さも、摘まむ力も、内力を放す癖も違う。

 

針形は、譲られた原品を写したものではない。最後の花弁から玻璃の焼きと冷まし方を探り、見知った幾つかの技を、自分の指へ合うよう繋ぎ合わせたものだった。

 

形も、撃ち方も、戦役へ赴く前にひとまず定まっていた。

 

戦場で放った一本は戻らなかった。

 

どこへ放ち、何を退けたかを、趙活は今さら思い返さなかった。

 

いま行っているのは新しい技を考えることではない。失った分を補い、実際に使って初めて分かった癖を直し、次も同じものを作れるよう手順を固める仕事だった。

 

縫い針ほど細くはしない。透明な細い錐か、小さな鏃に近い形へ引き、先だけを鋭く研ぐ。根元には指で挟むための厚みを残す。

 

指へ載せ、内力を通す。その先をどう使うかは、すでに決まっている。

 

ただし、強く通しすぎれば敵へ届く前に砕ける。弱ければ、ただの脆い玻璃針に過ぎない。

 

一手に注げる量と、針が耐えられる量を合わせなければならなかった。

 

内力で玻璃そのものを鉄へ変えるわけではない。放してから届くまで、細い針の震えと歪みを抑える。役目はそれだけでよい。

 

ただ、使った一本は、考えた通りの働きをした。

 

それで十分だった。

 

その日は針を八本引き、徐冷を終えて残ったのは五本だった。そこからさらに曲がりのあるものを除き、先端を研ぎ、指へ載せて内力を通す。実際に使えるところまで残ったのは二本だけだった。

 

玻璃の花弁も、別に焼いた。

 

最後の一片を見本に、一度は原形どおりに復元した。だが、原品の癖を趙活の指では十分に生かせなかった。今使っているのは、自分の指と打ち方に合わせて形を改めたものだ。

 

戦役を経た今なら、さらに改めるべき箇所が見える。

 

原品が睡蓮の花弁なら、趙活のものは蓮の花弁に近い。先へ細く伸びる原品に比べ、上半が丸く、腹も広かった。

 

これは深く穿つ暗器ではない。

 

だが、打ち出しやすく、相手の目にも捉えられにくい。次の一手を作るには十分だった。

 

翌日には、花弁を十二枚成形した。徐冷を終えて割れずに残ったのは七枚。そのうち刃筋と重みが揃い、指へ載せられたのは四枚だった。

 

針も花弁も、使い切りである。

 

命中すれば肉や骨、得物に当たって砕け、外せば地や岩へ消える。外しても透明な小片を戦場から拾い出すのは難しく、見つけたところで、目に見えぬ欠けが入った玻璃へ二度目の内力は通せない。

 

一度放てば戻らない。金も手間もかかる暗器だった。

 

その日、趙活が炉の火を落としかけた時、机の隅に置いた無色の玻璃片へ夕日が差した。

 

透き通った欠片の縁が淡い紅に染まり、厚みのあるところには紫の影が沈んでいる。

 

趙活は手を止めた。

 

暗器にするのでなければ、無色である必要もない。この色を、玻璃の中へ閉じ込めることもできるのではないか。

 

玻璃を花弁の形に焼けるのなら、縁を刃のように薄くせず、厚く丸めて、飾りの花にすることもできる……はずだ。

 

「やってみるか」

 

その日の仕事は、そこで終えた。

 

翌日、趙活は小さな坩堝を一つ別にし、無色の玻璃へ、色を出す鉱粉を僅かずつ混ぜた。

 

夕日の色を、そのまま写し取れるわけではない。

 

最初は赤が濁り、次は紫が深すぎた。薄く伸ばせば色が消え、厚くすれば光を通さない。

 

分量を変えては熔かし、割って確かめ、また坩堝へ戻す。

 

昼を過ぎた頃、ようやく白桃色に透け、厚みのあるところでは赤紫を帯びる玻璃ができた。

 

趙活はそれを、刃ではない花弁へ焼いた。

 

縁を薄くせず、指へ触れても切れないよう厚く丸める。大きな一枚を上へ、二枚を左右へ開き、濃い赤紫の一枚を下へ重ねた。

 

一輪だけの、名もない小花ができた。

 

出来を確かめるため、根へ細い銅を仮留めし、目の高さから吊るしてみる。

 

小花は重みに従って下を向いた。

 

白桃色の花弁の下から赤紫が覗き、僅かな風にも揺れた。

 

「藤か」

 

一輪では、藤にはならない。

 

その翌日から、趙活は同じ色の玻璃を小分けにして、花を作り足した。

 

花作りは、暗器より面倒だった。

 

刃なら、飛び方と切れ方が正しければよい。飾りは、役に立たないところまで見られる。そのうえ、どの縁も指や髪を傷つけぬよう、厚く丸めておかなければならない。

 

最初に足した花は大きすぎた。

 

次は開きすぎて、藤より蝶に見えた。

 

その次は左右が揃ったが、揃いすぎて生きた花に見えない。

 

花弁は白桃色に透かし、中心から下へ垂れる一枚だけ、赤紫を深くした。

 

色は思う通りに分かれない。

 

赤紫が片側へ寄り、泡が一つ残る。厚みも僅かに違う。

 

趙活は完全に揃えるのをやめた。

 

数日かけ、開いた花を五輪と、蕾を二つ揃えた。

 

細く引いた銅を枝にし、大きく開いた花を上へ置き、下へ行くほど小さくする。形の悪いものは横へ向け、色の濃いものは重なる花の奥へ入れた。

 

不揃いなものを、不揃いなまま一つの房へまとめる。

 

それは、趙活の得意な仕事だった。骨の髄までこびりついた貧乏性が、ここでもものを言った。

 

上はふくらみ、下へ行くほど細くなる。花を密に置きながらも、動けば一輪ずつ僅かに揺れるよう、銅の枝の長さを違えた。

 

一番下へ二つの蕾を留め、余った銅を切る。

 

趙活は出来上がった藤房を持ち上げ、軽く振った。

 

密に重なった花が僅かに触れ、澄んだ小さな音を立てた。

 

玻璃が割れる音ではない。

 

悪くないんじゃないか。

 

趙活はしばらく眺め、そこでようやく考えた。

 

これを、どうするか。

 

壁へ掛けるには小さい。衣へ縫いつけるには重く、腰から下げれば歩くたび物へ当たる。

 

指先から垂れた赤紫の藤の向こうへ、不意に黒い髪が浮かんだ。

 

そういえば、キラキラしたものが好きなやつがいたな。

 

得意げに笑う雲裳の顔まで浮かんだ。

 

「……簪にしてみるか」

 

髪へ挿すなら、大きな飾りを頭上へ立てるより、横へ垂らした方がよい。動いた時だけ揺れ、止まれば邪魔にならない。

 

趙活は鍛冶場の隅から、使えそうな細竹を一本選んだ。

 

長すぎれば、雲裳の結い方には余る。

 

趙活は一度、手を止めた。

 

別に、雲裳のためと決めたわけではない。

 

思いつく髪形へ合わせなければ、長さの決めようがないだけである。

 

そう決めて、軸を短くした。

 

真っ直ぐな節間ではなく、少しだけ癖のある細竹を選ぶ。節を二つ残し、頭を僅かに反らせ、先を滑らかに細めた。刃のようには尖らせない。髪と指を傷つけない程度で止め、油を含ませて磨いた。

 

藤房の根元から伸びた銅を竹の頭へ巻きつける。線の先を折り返し、見えにくい場所で二度巻いて留めた。膠は揺れ止めに薄く使うだけで、花の重みは銅に受けさせる。

 

銅線には捻った跡が残り、巻き数にも僅かな違いがある。その代わり、引いても外れず、花同士が強くぶつからない。

 

巻き終えた切り口を内へ折り込み、指の腹でなぞる。

 

引っかかりはない。

 

短い竹の軸。

 

手で巻いた銅の枝。

 

白桃から赤紫へ色を深める、玻璃の藤の花房。

 

初めて作ったものとしては悪くなかった。作り方をもう少し詰めれば、売り物にもなるかもしれない。

 

机の白布の上に、出来上がった簪を置き、眺める。

 

四師兄へ見せれば、いかほどの値をつけて――。

 

「いた!」

 

思索を中断され、声のするほうに振り向くと、葉雲裳が小走りでやってきていた。

 

「やっぱりここにいた。ここ最近、毎日毎日仕事が終わるたび鍛冶場へ消えていって。今日こそ少しは暇になるかなと思ったのに、いつになったら終わるのよ」

 

雲裳は趙活の前まで来るとそのまま体当たりした。

 

「ぐぇっ」

 

「裳を放っておいて鍛冶ばかり、ついに狂って、點蒼のやつらみたいに剣と結婚するつもり?」

 

「そんなわけあるか」

 

「じゃあなに、裳に飽きちゃったのね。こんなにあなたを思っていたのに……おじいちゃんにいいつけてやる」

 

「やめろ!三師兄を使うんじゃない」

 

近頃ますます雲裳に甘くなる唐陞から何を言われるか、分かったものじゃなかった。

 

「わたしに構わないのが悪いのよ、混世魔王の下僕の自覚が足りないってことよ」

 

雲裳は言い切ると、あたりを見回した。

 

研ぎ直した刀剣。

 

革を巻き直した短剣。

 

油へ沈めた暗器。

 

割れた玻璃片。

 

指先へ残った細かな傷。

 

「ここ数日、ずっとこれを?」

 

「戦で使ったものを直し、減ったものを補っていた。まだまだ手を入れないといけないものはある」

 

「わかってるわ。でも、おにいちゃんがやらなくてもいいんじゃない」

 

「たまにはやらないと、鍛冶の腕が鈍る。それに、自分の装備は自分でやりたい」

 

「おにいちゃんも凝り性ね」

 

否定しきれなかった。

 

雲裳は机の横へ回った。

 

「それで、これは何?」

 

机の白布の上にある簪を見ながら言った。

 

「試作品だ」

 

「新しい暗器? 簪に見えるけれど、唐門の人が作ったものだから、抜いたら毒針が飛ぶとか、毒煙が出るとか、そういうものではないの?」

 

「暗器じゃない。ただの簪だ」

 

「本当に?」

 

「今のところはな」

 

雲裳は警戒するように覗き込んだ。

 

だが、その目はすぐに花へ移った。

 

竹の軸が飾り気に乏しい分、垂れた花房だけが目を引く。

 

玻璃の藤が夕日を受け、赤い瑪瑙と橙の琥珀が煌めいているようだった。

 

雲裳は一房ずつ、角度を変えて眺めた。

 

「悪くないわ」

 

「そうか」

 

「『悪くない』では褒め方が足りないと思っている顔ね。では言い直してあげる。花は少し不揃いだけれど、同じ形が並ぶより生きて見えるし、淡い花弁の中に赤紫が入っているから、重たく見えない。軸が竹なのは地味だけれど、髪へ挿せば花だけが浮いて見えるでしょうね。初めてにしては、ずいぶん上手よ」

 

趙活は頷いた。

 

「どこで手に入れたの?」

 

「手に入れたんじゃない。俺が作った」

 

雲裳が顔を上げた。

 

「これを?」

 

「そうだ」

 

「おにいちゃんが、一人で?」

 

「ここには他に誰もいない」

 

「そういう意味ではないわ。花も、銅の枝も、その巻き留めも?」

 

「軸もだ」

 

雲裳はもう一度、簪を見た。

 

先ほどまで見えていた粗が、別のものに変わっていく。

 

花弁の僅かな違いは、一枚ずつ作った跡だった。

 

巻き数の違う銅線は、趙活の指が曲げて留めたものだった。

 

「これを作るのに、何日かけたの?」

 

「五日ほどだ。仕事の合間だけだが」

 

「そう」

 

雲裳の返事が、少しだけ静かになった。

 

趙活はその変化に気づき、理由もいくつか思い当たったが、どれにも確信が持てず、考えるのをやめた。

 

趙活は簪を手に取った。

 

「少し、つけさせてもらっていいか」

 

雲裳の目が丸くなった。

 

それから、すぐに口元が緩み、照れた表情で言った。

 

「し、仕方ないわね。作った本人が出来栄えを確かめたいと言うのなら、裳が手伝ってあげる。でも、髪を引っ張らないで。下手に挿して崩したら、直すのはおにいちゃんだからね」

 

雲裳は趙活へ背を向けた。

 

髪は一部を上げ、残りを背へ流している。

 

趙活は挿す場所を探した。

 

右では花房が外へ向きすぎる。

 

左へ寄せると、歩くたび頬の横で揺れる。

 

一度浅く挿し、角度を変えた。

 

「痛くないか」

 

「大丈夫」

 

「重くは」

 

「今は平気。長く挿してみないと分からないわ」

 

趙活は手を離した。

 

竹の軸は黒髪へ紛れ、その端から玻璃の藤だけが垂れた。

 

赤紫は、雲裳の白い襟と淡い外套の間でよく映えた。

 

なぜ、この色にしたのか。

 

夕日の差した無色の玻璃を見て、その色を中へ閉じ込められないかと思っただけである。

 

雲裳の白い襟や淡い外套へ合わせて選んだわけではない。

 

少なくとも、色を作った時には。

 

趙活はそう考え、二歩下がった。

 

雲裳が振り向く。

 

「どう?」

 

その場で一度、ゆっくり回った。

 

藤が遅れて揺れる。

 

小さな花同士が触れ、涼やかな音を一つ立てた。

 

裾が戻り、雲裳は趙活を見た。

 

病の影が薄れた頬は以前より少し大人び、そこへ赤紫の光が淡く映っていた。

 

いつもの悪戯めいた表情を少しだけ潜め、趙活を見上げる。

 

趙活は頷いた。

 

「似合っている」

 

「それだけ?」

 

「花の色が髪に映える。長さもこれくらいなら邪魔にならない。歩いた時の音もうるさくない」

 

「急に職人みたいになったわ」

 

趙活は、雲裳の髪で揺れる藤をもう一度見た。

 

「藤は美人を留めるというが、逆だな。雲裳の方が藤を引き立てている」

 

「そう。そういうのでいいのよ」

 

どうやら、今度の答えは及第らしい。

 

雲裳は自分で簪を抜くと、両手の上へ載せた。

 

夕日はもう山へ沈みかけている。

 

玻璃の花へ残った光も淡い。

 

それでも雲裳は、花の一つ一つを長く見ていた。

 

「どうだ? なかなかよくできたと思ってるんだが」

 

趙活が言った。

 

「そうね」

 

雲裳は珍しく、素直に返した。

 

「もう少し作り方を詰めれば、売り物になるかもしれない」

 

雲裳の指が止まった。

 

趙活は止まった指を見たが、細工の出来を案じたのだろうと思い、そのまま続けた。

 

「雲裳から及第をもらえるなら、大丈夫だろう。細工物なら同じ炉で作れて、値も付けられる。今度町へ行った時に流行りの形を調べ、四師兄に相場を聞く。竹軸なら元手も大して――」

 

「売るの?」

 

「売るつもりで作ったわけじゃない。出来上がってから、そう思いついた」

 

「これを?」

 

「これは試作品だから、直すところが多い。次は花房をもう少し軽くして――」

 

「これと同じものを、たくさん作って?」

 

趙活はようやく、雲裳の声が変わったことに気づいた。

 

「同じものというか、売るなら幾つか形を――」

 

「町の知らない娘たちに?」

 

「買う者が娘とは限らない。贈り物にする男もいるだろう」

 

それが決定打だった。

 

雲裳は簪を片手で大事に握ったまま、空いた手で趙活の胸を叩いた。

 

「この馬鹿!」

 

「何だ」

 

もう一度。

 

「不細工!」

 

「それは関係ないだろう」

 

三度目。

 

「人の気持ちを何だと思っているの!」

 

「待て。玻璃が割れる」

 

「割らないわよ!」

 

簪を持つ手だけは、最初から少しも乱れていなかった。

 

その代わり、空いた拳が次々に飛んだ。

 

胸。

 

肩。

 

腕。

 

病弱だった頃とは比べものにならず、痛かった。

 

趙活は受けながら、一歩ずつ炉から離れた。雲裳を止めようと手を出せば、簪へ当たりそうで出せない。

 

「おにいちゃんが何日も鍛冶場へ通って、裳が迎えに来た時に、ちょうど藤の簪を作り上げたのよ。しかも自分で挿して、似合うと言って、そうしたら誰だって自分のためだと思うでしょう!」

 

「いや、俺はまだ渡すとは――」

 

「まだ?」

 

「……言葉を間違えました」

 

「作った本人が髪へ挿したのよ。それを手に持たせて、似合うと言ったのよ。その後で、同じものを町の娘へ売る相談をする人がどこにいるの!」

 

「ここにいた」

 

雲裳の拳が一段強くなった。

 

「冗談を言うところではないわ!」

 

「分かった。分かったから、まず落ち着け」

 

「落ち着いているわ。裳はとても冷静よ。冷静に考えた結果、おにいちゃんは一度殴られた方が人の心を覚えると判断したの」

 

「もう十回は殴っている」

 

「では、あと十回で覚えなさい」

 

言葉通り、十回ほど続いた。

 

趙活は途中から数えるのをやめた。

 

最後に雲裳は大きく息を吐き、簪を両手で包んだ。

 

「これは売っちゃだめ」

 

「試作品だぞ」

 

「だから何?」

 

「銅線の巻きが一つ多い。花の高さも揃っていない。軸にも飾りがない」

 

「裳が初めてつけた時には、それでよかったのでしょう」

 

「まあ」

 

「それなら、もう十分よ。次に上手なものができても、それは後から作った別の物でしょう。最初の一本はこれしかないのだから、これを直すのも、あとから同じ形のものを作るのも駄目」

 

雲裳は趙活が返しそうな言葉を待たず、さらに続けた。

 

「それに売って得られるお金なら、別のもので稼げばいいわ。玻璃の花を売らなければ唐門が明日潰れるわけではないし、もし明日潰れるなら簪を十本売ったくらいでは助からない。四師兄なら、もっと高く売れる物をどこかから探してくるでしょう。だから、これを売る理由は一つもないわ」

 

「同じ意匠にしなければいいのか」

 

「駄目」

 

「竹軸だけなら」

 

「駄目」

 

「玻璃の花を別の色にして」

 

「駄目よ」

 

「全部駄目では商いにならん」

 

「商いにしなければいいでしょう」

 

雲裳は簪を胸へ抱いた。

 

「はあ……おにいちゃんは武林盟主でしょう。人の心を読んで動かしていた。それなのに、どうして簪一本になると、町の子供より人の気持ちが分からなくなるの?」

 

趙活は答えず、視線を外した。

 

雲裳が普段身につけているのは、紅珊瑚や真珠、銀葉の細工である。それに比べれば、竹を削り、銅線で玻璃を吊っただけの簪など、贈り物として釣り合うはずもない。少なくとも趙活は、そう思っていた。

 

逃げた視線は、雲裳の身につけた宝飾へ向いていた。

 

雲裳はその先を追い、ようやく思い当たった。

 

「もしかして、裳の持っている紅珊瑚や真珠に比べて、こんな簪では釣り合わないと思っているの?」

 

趙活は否定しなかった。

 

「……ばかなおにいちゃん」

 

雲裳は簪を胸へ抱き直した。

 

「裳の宝物は、確かに高価だわ。でも、どれほど高くても値のつくものよ。これには値をつけさせないわ。売らないもの」

 

雲裳は続けて言った。

 

「それに、わたしがさっき言った、悪くないって言葉。嘘じゃないわ、本当にそう思ってるのよ」

 

趙活は頬をかきながら、自信なさげに言った。

 

「なら、もらってくれないか」

 

雲裳は簪を見下ろしていた。

 

「初めからそう言えばいいのよ!」

 

雲裳はようやく笑った。

 

「ただし、明日はここ数日いなかった分まで裳の相手をすること。戦の後始末があるなら、書付を持って隣でやればいいわ。裳は邪魔をしないし、たぶん静かにしているし。仕事もできて、かわいい裳も眺められる。一石二鳥ってことよ」

 

「断る余地は」

 

「ないわ」

 

雲裳は簪を差し出し、もう一度髪へ挿すよう求めた。

 

趙活は今度は迷わず、先ほどと同じ位置へ挿した。

 

一度挿しているため、角度も分かっている。

 

花が頬の横へ垂れる。

 

「帰るわよ」

 

「待て。火を落とす」

 

「待ってあげる」

 

趙活が炉を片づける間、雲裳は戸口で何度も花へ触れていた。

 

鍛冶場を出ると、空はもう暗かった。

 

練功場の灯籠や、各建物の窓に灯が入りはじめ、夕餉へ向かう弟子たちが行き交っている。

 

最初に気づいたのは、井戸から水を運んでいた若い女弟子だった。

 

雲裳の髪を見て、足を止める。

 

「雲裳ちゃん、その簪は」

 

雲裳は待っていたように振り向いた。

 

藤が揺れる。

 

「似合うでしょう」

 

「きれい。町で買ったの?」

 

「違うわ」

 

雲裳はそれだけ答えた。

 

誰が作ったかは言わない。

 

だが一歩横へ寄り、趙活が隠れないようにした。

 

女弟子は雲裳と趙活を一度ずつ見た。

 

何かに気づいた顔で笑い、礼をして去った。

 

「なぜ言わなかった」

 

「何を?」

 

「俺が作ったと」

 

「おにいちゃんは売り物にしたかったのでしょう。ここで皆に言ったら、明日には注文を取り始めるかもしれないもの」

 

「作らないと言った」

 

「なら、誰が作ったかは裳だけが知っていればいいわ」

 

雲裳は先へ歩いた。

 

その足取りは、鍛冶場へ来た時よりずっと軽い。

 

少し進んでから、趙活がついてきていないことに気づき、振り返った。

 

「何をしているの。下僕は主人を一人で歩かせないものよ」

 

「わかったわかった。今行く」

 

「簪をくれたから、今日は半歩後ろで許してあげる」

 

趙活は仕方なく、その半歩後ろを歩いた。

 

雲裳は何度も横を向いた。

 

横を向くたび藤が揺れ、そのたび趙活の目が一瞬だけ簪へ行く。

 

雲裳は最後まで、それを指摘しなかった。

 

 

 

その夜。

 

雲裳は自室の机へ簪を置いていた。

 

灯の下では、夕日の中と色が違った。

 

桃色は淡くなり、花弁の根にだけ赤紫が残る。その下の竜骨弁はより鮮やかな赤紫だ。銅の枝には捻って留めた跡があり、竹の軸には磨き切れなかった筋が一本走っていた。

 

雲裳は頬杖をつき、指先で軸を僅かに回した。

 

藤の花が揺れる。

 

花同士が触れ合い、ちりちりと小さく鳴る。

 

雲裳はもう一度、簪を回した。

 

花が灯を返す。

 

默鈴に見せれば、驚くだろうか。兄に見せれば、褒める言葉が出てくるだろうか。唐芳姐さんに自慢してもわからなさそう。

 

考えることはいくらでもあった。

 

だが、今はまだ、誰かに見せるよりも一人で眺めていたかった。

 

雲裳は一人、机に置いた玻璃の藤簪を、飽きもせず眺めていた。

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