赤ひげ王弟と凍漣の雪姫序章 バルバロス伝説バラベザ海戦 作:Brahma
ここは、ジスタート王国の南部、オルミュッツ公国の宮殿の一室である。リュドミラと呼ばれた青い髪の幼い少女は、代々竜具「操氷の槍」ラヴィアスを受け継いできたルリエ家の後継者としての英才教育の一環として兵棋演習を受けていた。
「爺、船をこのゴールデンシープ湾の北側にある半島を陸越えさせれば攻められないかしら。」
「どのように?」
「ガラタ半島の上に軽くてよくすべるものを敷くの。鉄の板じゃ重たいし、布じゃあすべらせようがないから、油を塗った木の板がいいかしら。それをわたして船を滑らせて運ぶの。」
講師をしていた少女の母親の副将を務めていた老紳士は、目を大きく開いてこの幼い少女の才能に驚かざるを得なかった。後にこの少女は、守勢の戦いの巧者と称され、ブリューヌのアルサス=テナルディエ戦役につけ込んで攻めてきたムオジネルのアニエス侵攻から、ブリューヌを防衛するのに重要な役割を果たすことになるが、幼時において攻勢においても非凡であることを示したのである。
さて、そのころ、オルミュッツのはるか南方にあるメディト海を東へ向かって進む大型船の艦隊があった。
メディト海には、長靴のようにつきでたヒタリア(母音がiとeの中間音であるためヘタリアにも聞こえる)半島がある。その西側には交易都市であるリグリアと東側にヴェネタがある。ザクスタンは、その両都市の海軍の強力なガレオン船をしたてて、最近海路に進出しつつあったムオジネルをこの際徹底的にたたこうというのであった。リグリアとヴェネタのガレオン船は、背が高く、300年ほど前になるが、かって一千年の繁栄を謳われたヘレネス帝国の首都ビザントゥムのハドリオシウスの壁を乗り越えて一時的であるが占領したこともある。ちなみにビザントゥムもムオジネルの先王マフムード2世によって40年前に陥落させられ、現在はムオジネルの交易都市のひとつエステムボルと呼ばれている。
さて、ムオジネルの漁船がそれを見つけたのは夕方であった。風がやみ、水平線のかなたになにやらうごいている。船員の一人が双眼鏡でのぞく。
それは、マスト、帆、風ではためく多数の旗であった。
その数は、20…50…100….200...
その数は増えていった。船の上に翻る真紅の軍旗の中央には、金色に輝く王冠とその上に翼を広げた白頭の大鷲フレスベルクが描かれている。また、もうひとつの軍旗は、白地に赤い十字である。よく見ると十字に区切られた白地にはグレーの星が4つ描かれている。旗艦に掲げられたリグリアの旗であった。
「た、たいへんだ。」
「どうした。」
船長がただごとではないのを察して船員にたずねる。
「ザクスタンの大艦隊です。」
「何?見せてみろ。」
そこには、距離があるものの、明らかにザクスタンのガレオン船がぎっしり並ぶ姿が見える。500隻はゆうに超えている。どうかんがえてもただ事ではない。
「と、とにかく都にこのことを伝えるのだ。」
「は、はい。」
漁船は近くの港に入ると、ただちに代官にこのことを伝える。のろし台に火とともに緊急事態を知らせる黄の旗が揚げられ、早馬でムオジネルの帝都ブルサにこの様子は伝えられる。
「ザクスタンが大ガレオン船の大艦隊をしたてて攻め込んでくるようです。その数は500をゆうに超えるとのことです。」
ムオジネルは、主として陸路の交易で繁栄し、強力な陸軍をもっている。海路も従とはいえ、メディト海の東側の制海権は交易路維持のためにどうしても失うわけには行かなかった。
ムオジネル王カワード1世は、自分の弟であるがっしりとした体躯に赤毛、赤ひげを生やした男を宮殿に呼んだ。たくましいながらもやや童顔の面影がある。27歳の若き日の王弟クレイシュ=シャーヒーン=バラミールであった。
「クレイシュよ。ザクスタンの500以上の大ガレオン艦隊が接近している。これに匹敵する艦隊はわが国にはない。どうすべきか。」
相談された王弟は、答えた。
「王よ。ザクスタンの艦隊は、1000隻です。」
実は、クレイシュは、ザクスタン艦隊進入の報をつかむと自分の手のものに夜闇にまぎれさせてザクスタン艦隊に接近させ、その灯火の数で正確な戦力を把握したのだ。
「何だと。」
「おっしゃるように前代未聞の大艦隊にはかわりありませんな。」
クレイシュはひげをいじりながら何食わぬ顔で話をつないだ。
クレイシュには逸話がある。クレイシュが兄王カワードとチェスを指していたときだった。王に「ザクスタン王が親征し、わが国に攻め込んでくるもようです。」
と伝える者がいた。王は動揺したが、クレイシュは何食わぬ顔で
「いや。ザクスタン王は狩りに出ただけです。心配は無用です。」
と王に伝え、そのままチェスを指し続けた。
王は心配でチェスどころではなかったが、やがて
「ザクスタン王は狩りに出ただけだったようです。」
と伝える者があった。
王はクレイシュに
「どうして分かったのだ?」
とたずねるとクレイシュは
「いや。わしの手のものにザクスタン王のそばで働いている者がいるのです。その者が正確な情報を逐一伝えてくれるのです。」
カワード王はこの王弟をおそれたが、クレイシュは、
「王よ。わしは、戦場のほうが好きだから王位をとるつもりはない。ご心配召されるな。」
と話したという。
話を現時点でのカワード1世とクレイシュにもどす。
「王よ。敵の大ガレオンに対し、大ガレオンで対抗するのは愚の骨頂です。王もご存知のように同じ装備で50隻に足りません。それから大ガレオンのこぎ手は十字教徒の奴隷どもです。そんな大ガレオン船団で対抗しようとしても勝てませんな。」
十字教とは、アスヴァール、ザクスタン、ブリューヌ、ジスタートで共通に信じられている宗教である。それぞれに建国神話はあるが、ザクスタンには、同じ十字教徒を解放するという名分をつくらせることになる。ムオジネルは、太陽、秩序、創造の神アフラブラフマンを崇拝しており、軍旗には、その化身である破壊と戦争の神ワルフラーンが描かれている。
「それではどうするのだ。」
「疾きこと風のごとく、侵掠すること火のごとくといいます。まあ、わしに考えがあるのでまかせていただきたい。」
赤毛赤ひげの王弟は、赤ひげをいじりながら答える。
「うむ。まかせる。」
カワード1世はうなづき、クレイシュは一礼すると王宮を退出した。
さて、そのころ、メディト海では、波をわけて進むザクスタン海軍1000隻がムオジネルの領海にじわじわと侵入はじめていた。
「ははは。ムオジネルの蛮族どもめ。怖気づいたと見える。」
「そのとおりですな。蛮族どもは怯えて出てこないのでしょう。」
ザクスタンの総指揮官リグリア人ドーリア・アンドレアスがごきげんそうにほくそえむと、副官もそれにうなずいて満悦そうな表情で同意を示す。ドーリア・アンドレアスは、海賊討伐で数多くの戦功をあげてきた将であり、経験からムオジネルの海軍兵力をおおよそ把握している。50隻にみたないガレオン船にせいぜい同じくらいの数の海賊船が援軍にくる程度だろう。赤子の手をひねるようなものだ、と考えており、それはある意味全くそのとおりだった。一方でザクスタンの大ガレオン船は、全長40アルシン(1アルシンは1mほど)前後,幅9.3アルシン,高さ3.5アルシンの見上げるような船で、ビザントゥムのハドリオシウスの壁をマストを攻城塔に転化させた「動く橋」で陥落させたリグリアとヴェネタの大ガレオンである。
一方、ムオジネルは陸路による商業活動が主であり、船はあくまでも陸路の補助であり、海路の商業活動は従であった。そのため、大規模なガレオン船の数は少なかった。ただ交易活動を活発化させ、メディト海東部への進出も著しい。交易路を守るために始めた防衛活動がいきすぎて海賊じみたことになることも珍しくなかったがそれはお互い様である。しかし、そのことが商船が量的に船の多いアスヴァール、ブリューヌ、ザクスタンの商人たちをして海賊の半分の裏にムオジネルありとのうわさをつくることとなった。倭寇というが実際には中国人の私掠船や私貿易船が大部分だったというのと同じである。
さて、そういった事情からムオジネルには、ザクスタンに対抗できる艦隊も兵員もいなかった。クレイシュはそれを逆手に取り、ムオジネルの貧弱な海軍を海賊たちの使用しているリベンジ船というガレオン船の一種であるが全長28アルシンの小型の快速船で200隻の艦隊を組織したのである。急ごしらえの艦隊であったが、28門の15パル(1パルは約1インチ)サバ(アスヴァール語ではカノン、ザクスタン語でカノネ)砲と20パルサバ砲8門を積むことにしたのである。海軍の兵員も船もないムオジネルで、相手に対して有利にたつならこれしかないというクレイシュの半ば苦渋の選択であった。
クレイシュは、まずムオジネルの戦力が貧弱なものでしかないと相手が予想しているのを利用しようと考えた。出航予定の二日前の夜クレイシュの幕舎に訪れた人物がいた。
「クレイシュ様。当艦隊に比べて相手は空前の大艦隊。火攻めしかないと思いますが。」
「ウルグ・ベイよ。だれがお前にそういったのだ?」
「いえ。私自身の考えです。」
「実は、ザクスタンの間者を捕らえている。ただ、偽りの降伏をするものがおらずに苦慮しているのだ。」
「わたくしめが参りましょう。」
「うむ。しかし、ただというわけにはいかん。お前ははるか東の国ヤーファにある「勧進帳」という戯曲を知っているか?。」
クレイシュはにやりとしてウルグ・ベイを見つめる。
「はい。わかりました。覚悟いたします。お任せを。」
翌日、クレイシュは出航前の全軍を招集した。
「ザクスタンのドーリア・アンドレアスは、1000隻の大艦隊で進撃している。これを一日や二日で破るのは不可能だろう。三か月分の食料を用意して出航することにする。」
そこへウルグ・ベイが進み出て
「クレイシュ様、なにとぞ思いとどまってください。こちらは大ガレオン45隻、とても対抗できるものではこざいません。速やかに降伏なさり、戦力を温存し再戦の機会をお考えなさいますよう。」
「なにをいうか。総司令のわしの言うことに逆らうか。軍規違反になるぞ。」
「わたしは、無謀な戦いを戒めようとしているのです。どうかご再考なさいますよう。」
クレイシュは激怒の表情を示す。
「こやつは、軍規違反の発言をし、士気をおとしめようとしている。この場合の軍規違反はどう処置することになっている?」
「斬首です。」
そのときヤスクルが進み出て
「ウルグ・ベイ殿は、この戦いに無理があることを心からの忠言しているのです。なにとぞ斬首だけはご勘弁いただきますよう。」
「では、ほかの刑はどうか。」
「死刑はどうかご容赦いただきますよう。」
「では鞭打ちをすることにする。」
鞭打ちも普通の鞭ではなく、とげのようなものが着いており、40発は死んでしまうので39発でとどめるというかなり残酷なものである。
「どうか鞭打ちも思いとどまられますよう。」
「いや命だけは助けるのだ。これ以上譲歩の余地があろうか。」
クレイシュは鞭をふるいウルグ・ベイの背中を打つ。
ビシツ、ザク...ビシツ...ザシッ
背中を打つ鞭の音が繰り返し響き、血が飛び散る。諸将も目をそむけたくなくような凄惨な光景である。
「いまに見るがいい。わしの言ったことが正しいことが証明されるのだ。わが国は終わりだ。」
「まだ言うか。」
鞭が終わるとクレイシュは
「皆の意見に免じて今回は処刑だけは免じてやった。つぎはないぞ。」
ウルグ・ベイは笑い
「王弟ともあろうお方が....忠臣をこのように扱うとは。もう王弟もムオジネルももう先がない。」
ウルグ・ベイは弱弱しく言い捨てると気絶した。諸将たちはたすけ起こして幕舎へ運んだ。
一晩過ぎてウルグ・ベイの幕舎にヒブル人のシェケムが訪れた。
ヒブル人とは、大昔メディト海の南岸のムフリーキヤ東部のミツライムに住んでいたがその後メディト海の東岸ペレスオン地方に脱出して一時期王国を築いたがその後流浪の民となった民族である。商業民族として生き残り、さまざまな国家に仕え、商業のかたわら諜報活動や軍師としての活動も行なっている。
ウルグ・ベイはなぜかこのヒブル人と奇妙に馬が合った。
「クレイシュ様とあなたが何を考えているかわかりました。一緒にドーリア・アンドレアスの旗艦へまいりましょう。」
シェケムは降伏する旨の密書を携え、猟師に扮して、ウルグ・ベイをつれてドーリア・アンドレアスの旗艦へ向かう。
「アンドレアス様、あやしいものを捕らえました。」
「お前はヒブル人ではないか。」
「はい。ムオジネル王にお仕えするシェケムにございます。こちらにおられるのはウルグ・ベイ殿です。」
「お初におめにかかります。うッ...。」
「どうしたのだ。」
「ウルグ・ベイ殿は三代にわたりムオジネル王に使え続けてきた旧臣です。今回の戦いが無謀であると進言したのに、まだ若造でしかない王弟クレイシュが断固抗戦だと主張し、繰り返し進言したところ、激怒して斬首といいはじめたので諸将がとめ、鞭打ちとなったのです。」
「アンドレアス殿。わたしは50にも満たないガレオンや申し訳程度の海賊船で戦うのは無謀であると申し上げました。しかし、聞き入れてもらえませんでした。アンドレアス殿は海賊討伐に実績のある方。そういった方にこんな戦いはどう考えても無謀です。ですから降伏の使いできたのです。」
「ふむ。」
「アンドレアス様、わなの可能性もあります。」
「そうだな。牢に放り込んでおけ。」
ザクスタンのスパイがもどってくると、
王弟クレイシュがすさまじい剣幕でウルグ・ベイを鞭打ったという報告がなされる。
今度こそドーリア・アンドレアスは安心した。
「よくわかった。降伏を受け入れよう。親書をしたためよ。」
「ご信用しただけて幸いです。」
シェケムとウルグ・ベイはアンドレアスの親書を受け取った。
その夜、ザクスタン艦隊の風上にはムオジネル艦隊200隻の快速船が迫っていた。
「クレイシュ様、敵まで120アルシンです。」
「よし。合図の火矢だ。」
合図の火矢が放たれると、一斉に火矢がザクスタン艦隊に放たれた。
前代未聞のザクスタンの大艦隊に対し、赤ひげクレイシュの作戦がはじまった。