主人公の友達   作:quiet

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09話(前)

 

 

 昨日の全てが幻だったみたいに、空は晴れ渡っていた。

 

 午前中、嶺一は山蔵の手伝いをした。物置に入った鉢植えだの何だのを取り出した。晴れたから、と昨日たっぷり濡れた服を洗濯機に詰めて、回した。干した。イルが自分の分を済ませている間に、朝食も作った。昨日は結局、伸び切った謎のラーメンを七割くらい食わされた。伸びてもんまい、と元凶が幸せそうな顔をして豚骨ラーメンを啜っていた姿を思い出す。こいつ愛嬌がありゃ何でも許されると思ってんだろ、とうっすら腹が立ったし、今でも舌がつるつるした感触のまま残っている。

 

 電話をした。

 

「え、何。徹夜してんの」

 

 通話口の向こうでは、いつものあの穏やかな声が聞こえてきた。

 けれど、その声質を以てしても内容の不穏さは隠せなくて、

 

「――もしかして、」

『あ、ううん』

 

 と嫌な予感を口にすれば、それを上塗りするように廻は言った。

 

『おれが勝手にやってるだけ。……目が覚めたとき、誰かが傍についてくれてた方が、安心しない?』

 

 こういうところが、と嶺一は思う。

 思うから一瞬、魔が差しそうになった。

 

 喉まで出かけた。悪いんだけど、今から病院抜けてこっち来てくんね。話したいことってか、今から色々、話されることがあんだわ。……そういう勝手な頼みが、思い浮かんだ。

 

「――だな」

 

 言葉にはしない。

 明るいことだけ話して、電話を切った。

 

 朝の情報番組で男性アイドルが新商品のヨーグルトを食べているのを眺めているうちに、イルは、部屋に洗濯物を干し終えて居間に戻ってくる。テーブルに並んだそれを見て、

 

「サンドイッチ?」

 

 と、呼んでいいのかどうか。

 昨日のコロッケの余りをパンに挟んだだけだ。ソースとマヨネーズはお好みで。それでも嬉しそうに、「いいね~」とイルは言う。台所に入っていって、牛乳は自分で持ってきた。じーちゃん、と呼び掛ければ、庭の掃き掃除をしていた山蔵も中に上がってくる。

 

 手を合わせて、朝食を摂って、皿を洗って、もう一度居間に戻る。

 

 じゃあ、とイルが言う。

 

「行ってみようか」

 

 

 

 

 

 

 続きなのかと思ったから、瞼を久しぶりに開けたとき、ほとんど反射的に千鶴の身体は引き攣った。

 

 妙に良い記憶力が災いしたとも言える。丸一日近く気絶しておいて、目を覚ました瞬間にはもうその直前のことを思い出していた。土曜の夜勤が明けて、日曜日。それにしてはタクシーの車列が長い気がした。大体、このあたりに来る車は覚えている。それに、なぜだか運転席に人がいるように見えない。何か不穏なものを感じて足を止める。頭上でガラスが割れる音。三条の絶叫。咄嗟に踵を返して、雨の中を駆け出して、

 

「――先輩?」

 

 今は、晴れていた。

 朝日が黄金色にまどろむ中で、そのまま溶けてしまいそうな色をして、卯井廻がベッドの隣に座っている。自分を覗き込んでいる。

 

 跳ね起きようとした力が、それで抜けた。

 

 こちらが何を答えるよりも早く、廻は腰を上げる。枕元のナースコールを押して、「大丈夫ですか」とか「覚えてますか」とか、医者でもないくせに問診の真似事みたいなことを口にし始める。

 

 それだけで読み取れることも、あった。

 助かったらしいとか、病院にいるらしいとか、結構時間が経っていそうだとか、もうすぐ医者が来るだろうとか。読み取れるから、千鶴はこう思う。

 

 今のうちに。

 

「わ、」

 

 腕を伸ばして下から抱き締めると、殊勝なことに、素直にそのまま収まった。

 

「あの、先輩」

 

 暴れるのも、子犬より大人しいくらいだ。喋らなければなおいい、と思う。

 

 日に当たる窓辺にいたからだろうか。手を回せば、背中が温かい。大きな軽い毛布を被っているような安心感がある。いつ嗅いでもクッキーの匂いがするけれど、これは多分、記憶が勝手に結びついて、この匂いを自分がクッキーだと勘違いしているだけなのだと思う。

 

「ちょっと、」

 

 ちょっとくらいいいはずだ、と千鶴は思う。

 考えるべきことは、いくらでもあったからだ。一度動き出せば、もう止まることはない。本当なら、今すぐ動いた方がいいくらい。スマホを取って、三条でも佐藤でも久津見でも磯部でも連絡のつく職員に電話をかけて、事情を確かめて、すぐに対処を練った方がいい。入院なんて、五十年後六十年後には病院側が嫌だと言ってもやってやる。休んでいる時間なんて、今はない。

 

 それでも、医者の第一声を聞くまでの間くらいは、こうしていてもいいはずだ。

 なのに、クッキーの匂いの温かい毛布は、腕の中でこんなことを言った。

 

「親御さん、いらしてます」

 

 毛布に顔をうずめたまま、恐る恐る、千鶴は病室の入り口を見た。

 

 駆けつけた看護師の隣に、母がいる。手には珍しくコンビニのレジ袋なんかを持っていて、廻の分まで含めて朝食を買ってきたのだろうか。ペットボトルの頭がふたつ覗いている。

 

 自分と似た顔で、こっちを見ている。

 生涯で初めて見るような、鏡の中でも見たことがないようなにやついた表情をしながら。

 

 ゆっくりと、千鶴は毛布の胸に手を当てた。

 

 ゆるく力を込めれば、大した抵抗もなく離れていく。それでも依然として腕の中にあると言っていいそれは、照れたような困ったような顔をして、自分を見下ろしている。よく見れば、顔色が悪い。ただでさえ線が細いのに、今日にいたってはいかにも寝ずにここまで駆け付けて、そのままずっと傍にいましたとでも言いたげな疲労を目の下にこさえている。

 

 こいつどうしてやろうか、と千鶴は思った。

 

 

 

 

 

 

 八染山に登るというのは、登山というよりハイキングに近いものがある。

 

 外から見ると「おお、まあまあでかいじゃないか」という気分になる山だ。たとえば小学校の傍なんかにあったりしたらまさに『裏山』というやつで、ウサギだろうがタヌキだろうが何でも出てきそうな風格がある。しかしいざ登り始めてみると、これが拍子抜けするほど低い。放課後に遊びに来た小学生ですら、日が暮れる前にいつの間にか山頂に辿り着いてしまう。時期によっては犬の散歩コースに採用する地域住民もいるほどで、小学校低学年の遠足に使われることも多い場所だ。

 

 それでも真夏になれば、人は全然いなくなる。

 

 特に、道中に屋内施設を持たない裏からの登山ルートは、閑散としたものだ。理由の全ては『暑すぎる』という一点に集約される。暑すぎて海に出られなくなったのと同じく、この程度の日陰と標高では、本物の炎天下はしのげない。地上よりは流石にマシな涼しい風も吹くけれど、どう考えても上り坂が与えてくる負荷の方が激しく、滝のような汗をかく。『氷』ののぼりが立った売店はいつからかすっかり抵抗を諦めて無人となり、カウンターはささくれ立って山の立ち木と大した区別もなくなり、青いプラスチックのベンチは座ったが最後、尻が溶接されて二度と立ち上がれなくなるほどの灼熱を放っている。大体、何を血迷ってこんなガンガンの日向に休憩用のベンチを置いたのか。もしかすると、気を利かせてパラソルのひとつくらいはあったのかもしれない。今はそれも吹き飛ばされたか撤去されたか、どこにも見当たらない。

 

「……なるほど?」

 

 当然、イルが先に音を上げた。

 

「登山って、苦行?」

「真昼間だしな、今」

 

 しかも台風一過、と顔を上げた先には、地球は人間のためにあるのではないと知らせるような、それはそれは容赦のない、雲ひとつないピーカン照りが待っている。その上、足元は雨の名残でぬかるんでいて、一歩一歩が粘つくように重く、実際、泥が張り付いた靴裏は厚底と変わりつつある。現在進行形で蒸発していく雨露は湿気となって肌にまとわりつき、肺に入り込み、むせかえるような草木の匂いが堪能でき、揺れる陽炎は今まさに自分の身体が鍋に放り込まれて野草と共に煮られているような錯覚を引き起こす。夏の低山を登るには、最悪のコンディションのひとつと言える。

 

 それでもふたりは、八坂家を出て、ここまで来た。

 

 もちろん嶺一は、考えた。家を出る前に、千鶴に起こった出来事を。爆発。あれが事件なのか事故なのか、わからない。テレビを見ても、今日は天気の話ばかり。ネットニュースを見ても、昨日からの続報はひとつも見当たらない。佐藤も三条も、どちらとも明言しなかった。

 

 自分も何か、巻き込まれるかもしれない。

 

 実感はない。ないが、そういう推測くらいは働く。働かせるようになった。だから嶺一は、相談をした。特装室で働くようになってから、その日のうちに隣の空き家に引っ越してきた人たちに。八染山に行きたいんです。重要なことで。三条さんにも伝えます。確認を取ってくれて構いません。危ないって言われてるのもわかってます。

 

 でもふたりなら、何かあってもダンジョンに瞬間移動で逃げられるから。

 

 許可が出た。

 

「扇風機持ってくればよかったよ~……」

「あれ、外気温高すぎると逆効果らしいぞ」

「なんで?」

「熱風になるだろ。ストーブの前に立ってるようなもんだ」

「熱中症になんの?」

「なる」

 

 灼熱の国だ……と荒くイルは息を吐く。さぞ苦しかろう、と嶺一は思う。イルは、大してここの夏を知らない。大体はクーラーの効く部屋か電車の中で完結して、その間を行き来するときにたまに日射を食らうくらい。一番外で長く過ごしたのは、多分珠ヶ浜でのことだろう。あそこはあれでまだ避暑地の部類に入るし、出たのもたまたま気温が下がったタイミングだから、今日みたいな夏とは比べ物にならない。さぞ苦しかろう。ほれがんばれ、と凍らせたペットボトルを首筋に当ててやったり、当て返されたりして、励まし合いながら進んでいく。

 

 流石に、展望台まで来ればそれなりの風が吹き抜けた。

 

「わ」

 

 大袈裟なくらいに、イルは驚いた顔をした。

 

 追い風に背を押されたように、二歩くらい、イルは走った。けれどそこまで爽快な涼しさでもないと、駆け出しても夏を振り切れはしないと気付いたらしい。すぐに歩きになった。無意識のように欄干に手を掛けて、それが良くない。あちち、と踏んだり蹴ったりで、もうほとんど生ぬるくなったペットボトルを後ろ手に掴んで、立ち止まる。

 

 見下ろす。

 白く霞んだ街だ。

 

 昨日の夜に見たはずのそれとは、全く違う印象を受けた。不思議なことに、夜に見た光景の方が、ずっとはっきりして見えた。今と違って、もっと気温が低かったから。空気が冷えたおかげで、視界が揺らいでいなかったから。降り注ぐ雨の一筋一筋が、立ち並ぶ住宅街の輪郭をはっきりと浮かび上がらせていたから。違う場所のようにすら見える。けれど、構成しているパーツがそっくり同じであることもはっきりとわかって――

 

「こっち」

 

 とイルに手を取られる。

 展望台の欄干の先を、イルは指差した。

 

「さわってみて」

 

 そう言って、手を離す。

 

 それは、昨日と同じ構図だ。離された手を、嶺一はゆっくりと持ち上げる。何かの予感を持って、イルが指差したその場所に、手を伸ばしていく。

 

 

 

 辺りは、見慣れた風景に変わる。

 ダンジョンだ。

 

 

 

 暑くは、ない。そういえばと嶺一は今更思った。ダンジョンの中にいて暑いとか寒いとか、思ったことがない。ギガメムと対峙しているときに熱で攻撃を浴びるとか、そういうのだけが例外で、それ以外には夏だとも冬だとも感じない。ひょっとすると、と思った。ここにいた方が、ずっと快適なのかもしれない。夏の山の中で、日の光にまみれているよりも、ずっと。 

 

 それでも、踵を返した。

 下手をすると欄干の外に出てしまうのではないか。そんな懸念が心の奥にかすかにあって、けれど、それ以上の確信もある。不思議と、大丈夫な気がする。そのとおりになる。一歩踏み出せば、ついさっきまで見ていた光景が、また目の前に広がる。

 

 八染山の展望台。

 

 イルは、いつもは余計なことばっかり言うくせに、こんなときに限って何も言わない。

 嶺一は、一本だけ電話を掛けることにした。

 

「あ、三条さん?」

 

 荷物の中には、まだ家の冷房の気配が残っていた。少し冷たいスマホで、もう随分と話し慣れた人に、今日、ここまで来る許可をくれたその人に、『重要なこと』を伝える。

 

「やっぱり八染山にありました。未確認のダンジョン」

 

 はい、はい。

 

 後はそれだけ受け答えして、電話を切った。また、スマホは荷物にしまい込む。小さく息を吐いて、身体の重さに耐えがたくなる。ベンチに触れると、こんなときばかりは夏の良さだ。もうすっかり、昨日の雨は空に帰ってくれた。濡れる心配もなくて、腰を下ろす。

 

 昔、ここによく座っていた。

 そういうことを、嶺一は思い出した。

 

 子供の頃の自分は、思えばすごい行動力だった。山蔵が自転車を買い渋ったのには当時大反発をしていたけれど、今ならその理由もわかる。「せめてランドセルを家に置いてから遊びに行け」が相当の譲歩だったというのも、今更ながらに。それでも、これだけ背が伸びた今になっても車を出してもらわなくちゃいけないくらいには遠い場所だ。こんなところまで足を運んだのは、学校で嫌なことがあったとか、山蔵と喧嘩したとか、そんなときだけ。

 

 ここにいれば、自分の『本当の居場所』に戻れるような気がしていた。

 

 それが怖くなって、いつからか、ここに来るのはやめた。

 

 家の物置と、大して変わらない感慨を覚えた。あのころ夕方の風が吹いていた展望台は、今や壮絶な日照りの下で、ひどく狭く、息苦しいものに思えた。広がる街並みは、何かの冗談みたいだった。空ばかりが青くて冷たくて、そのくせ住宅街はどこまでも間を詰めている。本当にこんな数の人間が、ひとつの街の中に暮らしているのだろうか? 学生が遊ぶところだってろくにない、こんな街で。何もかもが駅前にあって、それ以外は国道しかない、そんな街で。

 

「あのさ」

 

 いつまでも、こんな場所にはいられない。

 だから、切り出した。

 

「イルと俺は違うって、言ってたよな」

 

 思い返すのは、昨日の嵐の夜のこと。

 手と手が触れて、走った電気。青白い明かりの下で、冷たい手を握って見つめた瞳の底。

 

 うん、と欄干の前に立ったまま、風に髪をなびかせて、イルは答える。だから嶺一は、その続きを口にした。

 

「じゃあ、俺は誰なんだ?」

 

 その答えを訊く前には、もうひとつ、経由しないといけない問いがある。

 わかっているから、続けて訊ねた。

 

「イルは……自分が誰なのか、覚えてるのか」

 

 その答えも、もうわかっているはずだった。

 

「――わたしたちの世界はね、これで二回目なんだ」

 

 なのに、まるで予想しない言葉が続いた。

 

「海でね、船と船がぶつかるみたいなものなんだって。私たちが見ている『世界』には本当はもっと基層的な部分……みんなが言う『ダンジョン』みたいな下敷きがあって、認識できてるのは、そのほんの一部。でも、たまにこういう風に世界と世界がぶつかって、繋がっちゃうことがある……」

 

 それが二回目、と。

 説明されているのに、何も掴めない。遠い昔の誰かが書いた、知らない童話を読み聞かされているような気持ちになる。

 

 イルは、聞いたこともないような寂しい声をしている。

 

 セミも、今日は鳴かない。

 たったひとりで、喋り始めた。

 

「一回目は、戦争になったんだって」

 

 それは彼女が生まれるよりずっと前の、『向こうの』歴史の教科書に出てくるような話だ。

 

 イルは、何の実感もなさそうな語り口で言う。一度接触した世界同士は、おそらく不可逆に繋がっていく。知らない世界と、知らない世界が、出会う。お互いがお互いを警戒して、いがみ合って、衝突して、

 

「わたしたちが勝って、」

 

 行き着くところまで、行き着いた。

 

「もう片方は、跡形もなく亡びちゃった。残ってるのは、『一回目』があったってことを証明するだけの、広くて何もなかった……何もなくなった土地だけ。そう思ってた」

 

 でも、と彼女は振り向く。

 まっすぐに、正面から、太陽の光を背負って嶺一を見た。

 

「きっと、そうじゃなかったんだよね」

 

 リョーイチ、と名前を呼ぶ。

 そうして決定的な答えを、口にした。

 

「君は、この世界の人でもなければ、わたしたちの世界から来たわけでもない。なくなった世界の、たったひとりの生き残りなんだと思う」

 

 

 

 

 

 

 わかった、と電話を切ってからすぐに次の電話をかける。

 

「あ、どうも。特装室の――そう、そうなんですよ。しばらく室長代理で。今大丈夫ですか? 木岐さんいれば代わってもらいたいんですけど。どうも。……あ、すみません。いきなりなんですけどちょっと重い話です。未確認の見つけちゃいまして。はい。ポイント把握してます。防諜処理あるんで、今ひとりそっちに送りますね」

 

 自分?とひとつ隣の席で佐藤が指差した。

 自分、と三条は声に出さずに頷いた後、

 

「いやあ、何を仰いますか。餅は餅屋でしょう。頼みますよ、ほんと。たまたまですって。で、もちろんこちらも下心がありまして。……いやいや。そこまでは言いません。ただ、どうせこれ周辺の封鎖まではやるでしょう。うちにも情報共有欲しいんですよ。ほら、ギガが出たときに困るでしょ。配備場所とかはまあ……色々やりくりしてどうとでもしますよ。それが仕事ですから」

 

 はい、はい、はーい、と電話を切った。

 

「佐藤さん、調査室の方にお願いできる?」

「いいですけど、例のところですか?」

「そう。後はまあ、裁量でお願いします」

 

 んな無茶な、と顔を歪める佐藤に、

 

「いやほんとに。室長業務丸抱えは僕じゃ無理だから、ちょっとずつ他にも振ってくよ。悪いね」

「ちょっとですか、これ?」

「そうだよ。このくらいは優秀な室長秘書ならちょちょいの――」

 

 言葉を止めたのはコール音で、内線ではなく、スマホから響いた。

 ワンコールも待たずに、三条はそれを取る。

 

「もしもーし」

『――お疲れさまです。卯井です』

 

 あ、と佐藤の顔が明るくなる。が、三条は容赦ない。いいから行って、とジェスチャーすれば彼女はしぶしぶ背を向けて、

 

『今、大丈夫ですか?』

「もちろんいつでも大丈夫! もしかして……」

 

 はい、と嬉しい返事が来た。

 

『さっき先輩、起きました』

 

 三条は、通話口を抑えた。

 室長不在の特装室オフィス。いつの間にか集まっていた視線をばっちり受け止めて、言う。

 

「室長、お目覚めです!」

 

 おぉ~、という喜びの声と拍手が上がった。

 三条は苦笑して、

 

「ごめん。大丈夫? 聞こえる?」

『あ、はい。全然』

「ちなみに今、室長は隣にいたりする?」

 

 調子に乗って重ねると、いえ、と今度は残念ながらの返事だった。

 

『起きたからってことで診察と検査みたいで。今、おれだけ外に出てきてるんです』

「あ、ほんと? ごめんごめん。暑いだろうから手短にするね」

 

 いえ、と廻は返してくれるけれど、三条は三条で、のんびり雑談をしているわけにもいかない。うーん、と一度髪を掻いて、椅子にもたれて、

 

「とりあえず、落ち着いたら連絡欲しいですって伝えておいてもらえるかな」

『わかりました。……ちなみに、何かありました?』

 

 舌を巻いた。

 一体今の会話のどこで気付かれたんだろう。鋭いなあこの子と思うから、かえって誤魔化しは少なく、言える範囲で素直に言う。

 

「あった。けどまあ、緊急事態っていうより前からあった爆弾が掘り出された感じだから、急ぎになることはなさそう……って見込み」

『……おれ、そっちに行った方がいいですか?』

「切羽詰まったらイルくんからお呼びがかかるかも。それはごめん。でも、とりあえず今のところは大丈夫だから、そっちにいてあげてくれると嬉しい。あと、何か室長から伝言あったりする?」

『犯人の目星くらいはついたのかって言ってました』

 

 うーん、と天を仰いだ。

 言われるとは思ったが、言えることがあまりない。

 

「目下捜査中。というか、ごめん。正直警察の管轄に首突っ込めるほどのパイプと手腕が――」

 

 ぱち、ぱち、と見上げた蛍光灯が点滅していた。

 昼だから、それほど目立ちはしない。けれど、視界がちらつく。あれって変え時だよな。今の時期にここに外部の人間なんか入れられないし、後で脚立持ってきて自分でやるか――

 

「――うわ、落ちた!」

 

 そう最初に叫んだのは、一体室員の誰だったか。

 三条は目を丸くする。驚いて、身体を起こす。背筋が寒くなるほど容赦がない真っ暗の画面が目に入る。落ちた。端末の電源が。

 

「っと。ごめんねかけ直す――」

 

 違和感に気付くまで、一秒もかからなかったと思う。

 

 三条は、言葉の途中でスマホを顔から離した。見ると、通話が切れている。キーボードを叩く。反応がない。スマホを弄る。こっちはまだ多少操作が利く。検索窓を呼び出して、親指をフリックして文字を叩き込む。

 

 停電情報。

 インターネットアクセスがありません。

 

「――これ、ヤバいか」

 

 呟いたと同時、特装室の扉が勢いよくこじ開けられた。

 

 

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