主人公の友達   作:quiet

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10話(後)

 

 

 目覚めると、水の中にいた。

 

『聞こえる?』

 

 違う、とすぐにイルは気が付いた。

 

 生ぬるい液体が、自分を覆っている。けれど、苦しくなかったから。普通に息ができていたから。保護液の中にいるんだ、と気付いた。実物に触れるのはこれが初めてで、驚いて呼吸が一度止まる。元通りになるころには、多分、向こうに気付かれている。

 

『平気?』

「……お母さん?」

 

 それは、とてもよく知っている人の声だった。

 

 なぜ目覚めたのかよりも、なぜ眠っていたかの方が気にかかる。周囲を見てわかるのは、自分がダンジョンの中にいることだけ。保護液が見せる薄緑の屈折した風景は、あの味気のない荒野そのものだった。

 

「ちょっと待ってよ、なに……なんでいきなり、」

『戦争が始まったの』

 

 もう一度、息が止まった。

 

『それ、わかるでしょう。今入ってるの。あなたがそこに保護されるように、治安部の人がマネキンを迎えに出してくれたの。融合率が不安定だから、まだ生体移送は危なくてできないって言うんだけど。それ、ショックアブゾーバが高性能だから、じっとしてれば安全だって。それからあなた、体調は平気? 多分、フラッドが一気に進行したから電気的な負荷が――』

「そんな話してない!」

 

 叩いた。

 

 ダンジョンへと続くその場所を、思い切り拳を振り上げて、叩いた。けれどそれは、母が説明したとおりの強度を見せる。びくともしなくて、叩いた手すらも痛まない。

 

「戦争ってなに! だって、昨日までそんな話――」

『そんな大事なこと、一般市民に全部話すわけないでしょう』

 

 遠い昔に、習い事に行きたくないと駄々をこねたあの日と同じ声色で、母は言った。

 

『ここ一ヶ月、タイミングを見て治安部の人たちも調査用のマネキンを出したり、そっちの偉い人とコンタクトを取ったりしてたの』

 

 そんなこと、千鶴は一言も教えてくれなかった。

 自分も千鶴に、まだ一言も打ち明けていなかった。

 

『でも、残念だけどそれは上手くいかなくて――それだけじゃなくて、そっちの世界の人たちは、ダンジョンで化学兵器の実験をしたり、未処理の産業廃棄物の投棄場にしたり……次は核の実験場にしようとしてる。フラッドが進めばその影響がそれぞれの世界に流出してきて、周辺一帯が人の住めない土地になるって何度も警告してるのに。それにね。もうあなたが滞在してる地域の同盟国から、連合総会のマネキンを相手に直接の攻撃が――』

「違うよ!」

 

 それでも、イルは叫んだ。

 

「全然――全然、違うよ! そりゃ、話を聞いてくれない人も、おかしい人もいるけど、そんなのうちと同じだよ! ちゃんとこっちの人たちだって私たちと同じで、優しくしてくれたり、気を遣ってくれたり――」

 

 必死で言い募るその最中、イルは、ものすごく嫌な予感を覚えている。

 

 言っていることは間違いないはずだ、と思う。ここに来て半年も経たない。でも、確信がある。自分が言っていることは間違っていない。母もまた、何も言わない。じっとこちらの言うことに耳を傾けてくれている。それがかえって、イルを焦らせた。経験があるからだ。今、電波の向こうで母がどんな顔をしているかわかる。穏やかで優しい顔のはずだ。自分の言葉を本気で聞いて、本気で、気持ちを汲み取ろうとしてくれている。

 

「だから、ちゃんと話せば、」

『あのね』

 

 そしてそういうとき、いつも物事はすでに決まっていて、自分ではどうにもならないものになっている。

 

『お母さんもね。こっちで色々手を尽くしてくれた皆さんもね、わかってるの。そっちにいる人たちがあなたに優しくしてくれて、気遣って、大事にしてくれたこと。お話に出てきたお友達の子たちにも、会ってお礼を言いたいってずっと思ってる』

 

 でもね、と母が言う。

 その先に何が続くのか、イルはもうわかっている。

 

『もう、そういう話じゃなくなっちゃったの』

 

 なのに、反論の言葉が何も思いつかない。

 目の前の保護膜を、八つ当たりみたいにもう一度だけ、イルは叩いた。

 

 破れない。

 決して、外には出られない。

 

 

 

 

 

 

 どうして珠ヶ浜にいるのかと言えば、そこ以外に逃げ込む場所がなかったからで、どうして珠ヶ浜を歩いているのかと言えば、ただ居たたまれない気持ちに耐え切れなかったからだ。

 

 廻は、空を見た。

 

 とんでもない日差しだ。空が青いよりも先に、空が眩しい、という感想が出てくる。帽子のひとつくらいでは何の気休めにもならない。日焼け止めなんかひとつも塗らなかった肌は、今まさにじりじりと焦げ付き始めている。未来の科学兵器の攻撃みたいな陽光は街を丸ごと煙らせて、気温は九月にあっても三七度。海辺なのに、カモメどころかセミの声すら聞こえない。

 

 人通りも何もない。

 元は観光地で、見通しもずっと良い商店街は、しかし今やその全てがシャッターを下ろしている。あまりの暑さに猫の子一匹いない。廻は思う。まるで、人類が滅んで二十年後。三十年後。生き物とは関係なく巡ってきた、何の意味もない夏みたいだ。

 

 そういう夏があるのが、珠ヶ浜が潜伏先として選ばれた理由だった。

 

「バレてるとは思う。でも、今の状況でここに自衛隊を突っ込ませるわけにもいかないだろうから」

 

 選定したのは、もちろん千鶴だった。

 病院で、入院着のまま駆け出して、廻ごと車に連れ込んだ彼女は、およそ一時間ほどの間に現状の多くを理解した。隣で、廻もその説明を聞いている。珠ヶ浜に何とか逃げ込めた真田たちに、千鶴がより整然としたあらましを語る場にも、居合わせている。

 

 だから、わかるところはわかっている。

 

 軍事クーデターが起こった。

 

 テロリストが国会議事堂を占拠して……というような、一般にイメージされるものとはまた異なる。自主クーデターと言うそうで、元々権力を握っていた人間が、さらにクーデターを起こす。どうしてそんなことをする必要があるのかと問えば、やはり千鶴はすらすらと答えてくれた。

 

 つまり、通常の手順では達成不能なほどの、強力な権力を得るためだと。

 建前としては、ダンジョン法に基づく権限移行だそうである。治安維持において危急の懸念が生じたとき、対策本部が設置される。対策本部は内閣と同等の権限を持つほか、立法過程を経ずに法律と同効果を持つ政令を発することができる。また、選挙の実施を困難と認めるに足る十分な理由が存在する場合には、無期限に各議員の任期延長を決定できる。この対策本部が発した政令は速やかに国会の追認を得ることが望ましいが、具体的な期限の定めはない。立法案が提出された時点で「違憲である」との指摘が数多くなされたが、審議不十分のままで可決された、そういう条文がダンジョン法には存在する。

 

 要は、政府は何をやってもよくなった。

 

 いいわけない、と千鶴は言う。政府もこれが違憲だとわかっていたから、憲法改正で事後的に正当化したがっていたと。筋道が通っていないことは、クーデターに該当することは、自分たちでもわかっていると。言うが、同じことを大々的に言った国会議員は、与野党問わず逮捕・収監されている。その扱いに抗議した法学者や市民団体も同じくで、彼らの弁護を引き受ける弁護士がいれば、まず同じ目に遭う。

 

 一方で市井は、平熱に戻った。

 民放が再開され、インターネットアクセスも復旧し始めた。

 

 元々は、大停電も『向こうの世界』からの攻撃だったという触れ込みだ。我々報道は、通信は、敵国の非情な攻撃には屈しません。そう言って放送は再開された。東京からの大規模避難も、受け入れ先が見つからなかったのか、たった一日二日の大騒ぎに終わった。珠ヶ浜オーシャンスプリングのロビーで、テレビを点けてみればいい。今でもやっている。東京の美味しいチョコレートのお店。新作映画に向けた俳優の舞台挨拶。スポーツ選手の海外での活躍。明日からも残暑は続くでしょう。子どもたちが噴水で遊ぶ様子をご覧ください。老後の年金生活、どうやって節約してますか? ただ、そういう番組の間に挟まるだけ。陣ヶ堂戦時指揮官、国民に向けてメッセージ。国家の至宝、クロガネ。求ム、救国英雄ストリーマー!

 

 敵が攻めてくる。

 

 我々は、戦わなければならない。

 

 ダンジョン内で、敵は軍を展開中。

 

 それこそ天気予報みたいな頻度で、その情報は電波に載ってくる。けれど、一般人には関係がない。たまにテレビ番組にゲストとして生出演する戦時指揮官も、「戦争という言葉自体が印象が悪くていけない」「いくさと言い換えてみませんか」「織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も、いくさならいくらでもやりました」「太平の世を作るためにはですね、やはり、歴史ドラマを見てもわかるでしょう。いくさが必要なんですよ」なんてふわふわした言葉で戦意高揚を図るばかりで、具体的なことは全て『軍事機密』として伏せてしまう。だから、何の実感も湧かない。

 

 千鶴は、こっちに来てからずっと、あのホテルで忙しくしている。

 

 他の人たちもだ。クーデターのその日、休暇や出張でかろうじて難を逃れ合流できた人たちは皆、かつて懇親会の会場に使われた場所でいくつものコンピューターを広げている。何かまだできることはないかと、必死になっている。本当は『向こうの世界』から正式な接触があったのに、こちらに情報が下りてこなかったことに憤っている。向こうの世界からの使者であるAMEMに対して先制攻撃した国があることを、日本もまたそれに追従していることを、中央官庁の一部の役人から今になってようやく伝え聞いている。しかし、そうした役人もまたすぐに音信不通になる。人によって言うことが違う。知っていることが違う。調べられたことが違う。辻褄が合ったり、合わなかったりする。本当のところ、どちらが先に始めた戦争なのか。明確にはいつからこの話が始まっていたのか。どこがどういう枠組みで絵を描いて、どこを落としどころとして何を行おうとしているのか、いまだにほとんどわかっていない。将来像が錯綜しているのかもしれない。縄張り争いが高じたのかもしれない。あるいは誰も、何もコントロールできていないのかもしれない。

 

 そんな状況で、ただの高校生にできることなんてひとつもない。

 

 ひとり、廻はホテルを抜け出した。

 

 海辺には、恐ろしくて近寄れない。国境警備ドローンの心配はない、と言われてはいる。ずっと昔からあそこにあるのはハリボテで、珠ヶ浜は様々な事件の後、実質どの国も手出しできない、手出ししても旨味がない地域になっている、と。それでも、落ち着かないのは確かだ。だから廻はホテルから出て、海を目指さない。廃墟同然の街並みを、海風の匂いだけを頼りに歩いている。寂れた無人駅とか、石段の欠けた階段とか、そういうのをひとりで旅している。何の息遣いもなくて、汗ばかりが流れる。影がついてくるのばかりが目に入って、段々と意識がぼやけてくる。

 

 そうしたら、素直な気持ちが覗き始めた。

 

 これからどうなるんだろう、とか。

 珠ヶ浜まで辿り着かなかったみんなは、今頃どうしてるんだろうとか。あの日ダンジョン庁にいた人たちは、山蔵さんは、イルは、

 

 嶺一は、

 

 

 車の音が聞こえた。

 

 驚いて身を竦める。みんな、ホテルに籠っている。珠ヶ浜に車が走ることなんて、滅多にない。それも、結構近くで聞こえた。あまり速い速度じゃない。徐行している。走れば多分、追い付ける。

 

 走ったら、黒い車が見えた。

 物陰からでも、その助手席にいる人が見えた。

 

「――三条さん?」

 

 物陰から出ていく。車が止まる。助手席のドアが開くまでが緊張のピークで、目と目が合えば、多分、自分も笑ったのだろうと廻は思う。三条は自然に笑みを浮かべようとして、湿布を張った頬が引き攣る。いてて、とそれでも冗談めかして笑って、車のエンジンが切られて、運転席からもシートベルトを外す音が聞こえる。

 

「日傘とか、差した方がいいよ」

 

 笑ったままで、三条は言った。

 

「熱中症になっちゃうから」

 

 

 

 

 

 

「俺のことは年の離れた兄貴だと思ってくれよ」

 

 毎日、そんなことを言って中年の男が部屋に訪れる。妙に馴れ馴れしい口調で、まるで部活の顧問や家庭教師のような態度で、嶺一に話しかけてくる。

 

 訊いてもいないことを、ずっと説明してきた。

 

 今、イルのいた方の世界――異世界が、AMEMなる兵器を展開している。今まで君が戦っていたGメムもやつらの先兵だったのだろう。しかし、戦力が小出しなのは何もただの牽制ではないらしい。すでに俺の部下が分析を終えているが、どうも一度に戦力を投入することはできないみたいだ。

 

「ダンジョンの中に、このメムの製造工場がある。いわば親だな。今はこの親から生み出された子どもが展開中――そこでだ。君はまずこの親を破壊する。わかりやすいだろ?」

 

 嶺一は一度も、この男の言うことに頷いたことはない。

 けれど陣ヶ堂と名乗る男は、全てが決まったような顔をして、明るく親しみやすそうな表情を作って、平然と命令してくる。

 

「とはいえ、こっちもこっちで色々と準備がある。前に君を預かっていたところがトンズラをかましたからな。やっぱり若い女をありがたがってトップに据えてるような奴らは、肝心なときに役に立たないんだよ。嶺一、君はああいう奴らになっちゃいかんぞ。ああいうのが日本をダメにしてきたんだ」

 

 そして必ず、男は他の誰かに呼び出されて去っていく。いかにも忙しそうな顔をして、その忙しい合間の時間を縫ってここまで来たのだと言いたげな態度で。

 

「ま、しばらくは覚悟を固めるための時間だ。不安なことがあったら、何でも相談してくれよ」

 

 当たり前の話だが、初対面で、拉致監禁されて、その首謀者に『不安なことを相談』するわけもない。覚悟なんか、爪の先ほどもする気にならない。

 

 一日は、ほとんど永遠のような長さだった。

 逃げ出そうにも、監禁されたホテルの部屋は窓が開かない。開いたとして、これは地上の十何階だろう。飛び降りられるはずもなく、出入り口は外から鍵がかけられている。食事の出し入れや、あの男が入室してくるタイミングで隙をついて逃げるにしても、そもそもここまで来て大人しく捕まった理由――山蔵がどこにいるのかもわからない。

 

 イルは、もう自分を呼んではくれない。

 

 嶺一もまた、何もできない日々が続いた。

 それでもやがて、部屋の外に呼び出される。

 

 

 

 

 

 

 千鶴が、泣いた。

 

 二台三台四台とあのホテルに車が集っていって、特装室のメンバーが揃ったのを見て、三条が「戻りました」と掠れた声で言ったとき。

 

 憎まれ口のひとつでも言うのかと思った。ねぎらいの言葉でもかけるのかと思った。どっちもなくて、千鶴は目を見開いて、ドラマの主役みたいに綺麗に涙を一筋、流した。慌てて廻が傍に駆け寄ると、椅子に腰かけたまま俯いた。膝の上に涙がそのまま数滴落ちるのが見えて、背中を撫でた。撫でていない方の手を取られて、握られた。

 

「しつちょ~……!」

 

 佐藤も泣いた。

 ソファの前に膝をついて、千鶴の頭を抱え込むみたいに抱き締めた。こっちはドラマみたいな泣き方じゃない。堰を切ったようにわんわん泣いた。三条が苦笑した。他の面々も笑いを零して、けれどそっぽを向いて目元を拭う人も、咳払いで誤魔化すような人もいた。

 

「クロガネも特装室の設備も、全部持っていかれました。すみません。留守を預かったのに」

 

 ようやく涙が落ち着けば、ホテルのロビーは作戦会議室になった。

 廻も、流石にもう散歩には出ない。戻ってきた三条たちの報告を、一緒になって聞いていた。

 

「僕らが解放されたのは、まあ、用済みだからでしょうね。あんまり真面目に技術を扱う空気じゃありませんでしたし」

「嶺一は?」

 

 そして思わず、口を挟んだ。

 三条は、申し訳なさそうな顔をして答えてくれた。

 

「陣ヶ堂……クーデターの首謀者のところにがっちり持たれてる。一応、こっちも接触できないか探ってみたんだけど」

「流石に建物に突撃するのは無理だ。頭がどんだけ馬鹿でも、元々あった組織をそっくり乗っ取ってんだから、手足は馬鹿じゃねえ」

 

 あの日に嶺一の警護についていたという戸渡彰吾も、溜息交じりに付け加えてくれた。

 

「ホテルの前に装甲車が止まってるよ。テロリストが立てこもってるみたいな状態だ」

 

 それからも、報告は続いた。

 

 どうやらダンジョンの向こうに『敵国』が存在していることは確からしい。向こうが展開しているとされる軍は、おそらくすべて無人機だと思われる。戦争が始まったと言いつつ、理由は不明だが、まだ攻撃は始まっていない。ダンジョン内から出られないのか、無人機の展開状況に遅れがあるのか、あるいは向こうの世界の何らかの規則――たとえば戦時国際法のような――に則った動きであるのか。少なくとも無人機の展開場所が東京ダンジョン周辺に限定されていることを踏まえると何らかの理由がありそうだが、日本政府の対応状況すら正確には把握できない以上、手元で推測するのも困難である。

 

「こちらからの攻撃は?」

「そちらもまだです。イルくんが失踪した話は伝わっていますか?」

 

 千鶴は頷いた。もちろん、伝わっている。

 

 八染山なる、廻にとってはそれほど馴染みのない地元の山で、新たなダンジョンが見つかった。そこから出てきた機械体にイルが捕まって、誘拐された。当初この機械体はメムと考えられていたが、今となっては向こうの世界から送り込まれた無人機である可能性が高いと見られている。

 

 それが原因だろう、と三条は言った。

 

「不幸中の幸いと言っていいかはわかりませんが。八坂くんひとりでは、クリムゾン・スパークは起動できませんからね。クーデター一派もそれを当てに見切りで開戦して、今頃戸惑っているんじゃないでしょうか。クロガネの量産計画も途中で投げっぱなしになっていますし、実際、一部のEロボストリーマーに声掛けも行っているみたいです。普段使いの機体で参戦してくれないかって。いきなり末期戦の様相ですよ。一応、民間Eロボの強制差し押さえなんかはまだみたいですが――」

 

 三条が、真田を見る。

 いや、と彼は首を横に振った。

 

「流石に俺のは持っていかれた。Eコンの反応もねえ」

 

 そうか、と三条は返す。

 それから、戸渡の方を見た。ああ、と彼は頷く。ボディバッグから、一台のスマートフォンを取り出す。

 

 背中のシールに廻は、見覚えがあった。

 

「イルの……」

「回収してきました」

 

 戸渡は、それを千鶴に手渡した。

 隣で廻は、それを見る。随分と傷付いていた。画面は割れて、周りの傷も酷い。それでも電源ボタンを押せば、光は点いた。

 

「中に、室長宛てのメッセージが入っているそうです」

「――私?」

 

 はい、と戸渡は頷いた。

 その先は、三条が引き継ぐ。

 

「イルくんが連れ去られる際、そのスマホは山中に落下しました。八坂くんが身柄を押さえられる前に、戸渡さんに依頼しておいたそうです。中にイルくんからのメッセージが入っている。見つけて室長に届けてほしいと。……申し訳ありませんが、先に中身を確認しました」

 

 千鶴が顔を上げた。

 三条は、その視線を正面から受け止めて、

 

「必要なら、室長以外の人間にも共有していいということでしたから。紛失に備え、頭の中に入れました」

「内容は?」

「……恐らく、問題はありません。元々、うちでも検討していた可能性のうちのひとつです」

 

 ほんの一秒、千鶴は動きを止めた。

 そして、何かに思い至る。

 

「――それじゃあ」

 

 三条は、皆まで言わない。

 ただ、頷いた。

 

「中を見て室長にご判断を――とは、もう言いません。僕たちは権限も剥奪されていますし、現体制下では何の公的な組織性も持たない集団です。だから……ただひとりの人間として、彼らを心配する者のひとりとして、言わせてください」

 

 三条は、この場に集った一同を見渡した。

 ひとりひとり、顔と名前と、気持ちを確かめるようにだ。まだ、多くの者がこれから何を話されるのか、予想もできていない。廻にだって、はっきりとはわからない。

 

 それでも、誰一人としてその場を離れない。

 だから三条は、続けたのだと思う。

 

「この中には、イルくんが我々に伝えたかったメッセージが入っている。『僕も』責任を取ります。全員で、観ましょう」

 

 

 

 

 

 

「――じいちゃん?」

 

 部屋の中でしばらく待っていると、やがて現れた。

 

「じいちゃん!」

「嶺一、」

 

 日付の感覚すらなくなる頃のことだ。

 

 嶺一は、監禁された部屋の外に呼び出された。街中ですらなかなか見ない、はっきりと自分より背の高い男たちに前後左右を固められた。アメリカの映画に出てくるみたいな、運転席と客席の間にフェンスが置かれた、外の景色が見えない車に乗せられた。着いた先はどこかの公的施設のようにも見えたけれど、裏口から入ったから、そこがどこなのはわからない。エレベーターにも乗らない。階段を歩かされて、通された先は教室よりは少し小さい程度の部屋で、やけに小綺麗で、ソファに座るよう促されて、そのまま座っていた。

 

 扉が開く。

 山蔵だった。

 

 駆け寄ろうとした。椅子から立ち上がって、すぐ傍に行こうとした。大丈夫だったかよおいなんか全然会えなくてさ――そういう不安を、一気に吐露しようとした。できない。そもそも椅子から立つこともできない。

 

 隣に並ぶ男たちに、肩を上から押さえ込まれている。

 

「なんだよ、」

「まあ、まずは話をしよう」

 

 一緒に入ってきた男の存在には、そもそも気付いていなかった。

 しかし見れば、それは陣ヶ堂だった。山蔵に席を譲ることはない。嶺一の対面の席に座る。手を組んで、机に覆い被さるように前に出てくる。

 

 嶺一、と馴れ馴れしく名を呼んで、

 

「君は、嘘を吐いていたな?」

 

 心当たりが、はっきりあった。

 

「……何が」

「あの異世界から来た少女がいないとクリムゾン・スパークには変身できない。君はそう言っていたはずだが」

 

 もちろん、言った。

 

 だが、と嶺一は静かに動揺を呑み込む努力をする。確かに、嘘だ。けれど大嘘というほどではない。イルは自分ひとりでも『ドレス』なるロボットを纏うことができると言ったが、少なくとも今の時点で、それを試みたことはない。ついこの間までは、そんなことができるなんて夢にも思っていない。だから大丈夫。落ち着け。どうとでも誤魔化せる。そう自分に言い聞かせて、

 

「だから?」

「だからじゃねえだろ!」

 

 そういう冷静さは、全部無駄になった。

 突然、陣ヶ堂が激昂したからだ。

 

 瞬発力の問題なのだと思う。ここまで急激に態度を変える人間に、嶺一は今までの人生で一度も出会ったことがない。大した運動能力の持ち主とも見えないし、まさかギガメムとは比べ物にならない。机を蹴り上げるのも、椅子から立ち上がるのも見えた。けれど、呆気に取られた。固まっていた。まさか本気でそんなことをやってくる人間はいないだろうと、どこかで高を括っていた。

 

 腹のあたりに衝撃が走って、気付いたら床の上で天井を仰いでいた。

 

「嶺一!」

「てめえもどんなしつけをしてんだよ!」

 

 今度の鈍い音は、はっきりと耳に届いた。

 さあっと血の気が引いた。起き上がって、けれど駆け寄れない。数人がかりで腕を押さえられて、うつぶせに床に潰される。それでも何とか、首だけで顔を上げる。

 

 恐れていたものが見えた。

 山蔵が、額から血を流して倒れている。

 

「てめえ!」

 

 叫んだ次の瞬間、視界が真っ暗になった。

 

 さらに大きな音もする。どんな勢いでぶつかったら、と思った次の瞬間、気付いた。自分の頭そのものがぶつかったのだ。自分の頭が、思い切り床にぶつけられて、それでこんなに大きな音がした。上下左右がわからなくなった。力が抜けた。頭の中身が壊れた気がして、怖くなって、息が止まった。

 

 足音が近付いてくる。

 

「――お前、自力で変身できるんだろう」

 

 わざわざそれは、嶺一の視界の中で止まった。

 汚れ一つない革靴が、目の前にある。踵が上がって、裾が傾く。男は屈んで、覗き込んできて、ものすごく近いところから声を落としてくる。

 

「立派な大人を騙して馬鹿にするとはいい度胸だな、え? 嘘を吐いたらいけないってそこのジジイに教わんなかったのか?」

 

 なんで、という疑問がようやく湧いた。

 なんでこいつらは、それを知ってるんだろう。身体が動けない分、頭は速く動く。嶺一は、すぐに答えを見つけた。イルは、自分の世界と連絡を取っていた。自分の秘密を知っているのは、イルひとりじゃない。イルが教えたか、イルに教えたか、そういう人間が向こうにいても不思議じゃない。どこかから情報が漏れたって、何もおかしくない。

 

 バレた。

 バレて――どうなる?

 

「臆病者」

 

 押さえ込まれた腕はへし折れそうなくらいで、腹は、中身が潰れそうなくらいだった。

 顔も名前も知らない奴らにのしかかられて、身動きもできなくて、一方的に罵声と暴力だけが降ってくる。

 

「国が一丸となって頑張ろうってときに、どういう了見なんだお前は。恥ずかしいと思わないのか? 戦うのが怖くて尻尾を巻いて逃げようってか? 育ててもらった恩も忘れて、どうせ自分はこの国の人間じゃないからどうでもいいってか?」

「誰がそんなことを言った!!」

 

 その痛みが、頭の中から飛んだ。

 驚くほど大きな声を、山蔵が出したからだ。

 

 視界の隅にも映りはしない。だから想像するしかない。多分、山蔵は出血する頭を押さえてよろよろと立ち上がっている。もう大して丈夫でもないくせに、態度ばかりは妙に堂々として、はっきりと、自分の主張を口にする。

 

「勝手なことを言うな! 誰がそんなことのために――」

「じいちゃん!」

 

 だから、もう一発だった。

 

 派手な音がしないのが、余計に怖かった。椅子の倒れる音と、机にぶつかる音がする。見えない。想像するしかない。山蔵の頭が割れていて、血が流れている。さっきよりずっと酷い。コップから水が零れるみたいに際限なくて、カーペットに瞬く間にしみ込んでいって、

 

 ぴくりとも動かなくて、

 

「おい」

 

 陣ヶ堂が見下ろして、

 

「黙らせろ」

 

 

 

「――やめろ!!」

 

 叫んで、部屋が壊れた。

 

 

 

 電気が走るのを感じた、その次の瞬間のことだった。今までとはまるで比べ物にならない轟音が響いた。巨大な力が急激に膨らんで、部屋の中で破裂した。異様な温度の風が吹いたのは天井が吹き飛んだからで、身体が軽くなったのは、自分を押さえていた奴らが全員吹き飛んだからだ。

 

 原因は、自分でわかった。

 感触があった。

 

 手が、

 

「――あ、」

 

 身体は、自由になった。

 

 大層立派な施設の、吹き飛んだのは天井だけじゃない。壁もだ。ミサイルでも撃ち込まれたような有様で、半分以上は青空の下に晒されて、骨組みが突き出している。いくつものビル群が光を跳ね返して、途方もない数の太陽がこっちを見ている。肺には溺れるほどの熱気が流れ込む。皮膚が焼ける。

 

 鋼の右腕は、その光を真っ赤に跳ね返している。

 

 陣ヶ堂は、壊れた部屋の片隅で、山蔵の頭に拳銃を突き付けていた。

 

 今なら、と嶺一は思った。こいつら全員、皆殺しにできる。さっきまであれだけ調子に乗っておいて、いざこの状況になったら腰を抜かして情けない顔を浮かべたあの偉そうな男も。ついさっきまで人を散々に足蹴にしてくれやがった図体ばかりが自慢の奴らも。自分が立ち上がっただけで、怯えて悲鳴を上げている。一歩近付くだけで、化け物でも見たみたいに背を向けている。虫けらと同じだ。頭を撥ねて簡単にぶち殺せる。ぺちゃんこに潰してやれば、一息に粉々にしてやれば、銃なんて、人質なんて関係ない。山蔵は仰向けになって、もう目を開けていない。額は切れて、顔の半分が血に染まっている。思い出が、数々の思い出が嶺一の頭を過る。ひとつひとつの、どうでもよかったはずの時間の全てが記憶を巡る。何も許せなかった。殺してやりたかった。奥歯を割れるほど噛み締めて、拳を潰れるほど固く握りしめて、満身の力でその腕を振り上げて、

 

 

 

 人を殺した後、どんな顔をして山蔵に会えばいいのか、わからなかった。

 

 そんなことのために育てられたわけじゃないと、言われなくても、わかっていた。

 

 

 

「やめてくれ……」

 

 真っ赤な腕が、地に落ちていく。

 膝をついて、あまりに暑くて、息もできない。

 

 

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