廃墟になった観光地のホテル跡で、その大作戦は始まる。
悪い冗談みたいだ、と廻は思った。
映写室の古臭いプロジェクターは、すっかり用済みになった。一階のロビーが、大幅に改装されている。どこで手配されてきたのかもわからない機材が山積みで、配線はきっと何かの規則性があるはずながら、廻の目にはただ散らかっているようにしか見えなくて、マッサージ機も売店の売れ残りも全部が撤去されて、代わりにいくつものモニターが設置されている。一際大きなそれには、『政府公営放送』の透かしが浮かぶ。それは大して良くも悪くもない画質で、今まさに、世紀の決戦の始まりを中継している。
なんだありゃ、と誰かが言った。
ずっとクリムゾン・スパークの戦いを見守ってきた全員が、そう思ったはずだ。
だって、全く動きの質が違う。素人の廻の目から見ても、それは明らかだった。元々、ブルー・ドッグと比べて機動力に長けていた。破壊力に長けていた。けれど、目の当たりにしているそれは、これまでの性能なんか比較にならない。ただ移動するだけで、真っ赤な稲妻が迸る。残像のような光が、敵陣を引き裂いていく。
簡単に引き裂かれるAMEMのひとつひとつが、これまで特装室が戦ってきた自然発生のギガメムよりも、大きく見える。
誰もが、多かれ少なかれ思っていたはずだ。この夏の特装室の奮闘は、まるでロボットアニメみたいだと。現実のこととは思えないと。けれど、これを見るともう、そんなことも思えなくなる。今まで見ていたのは、ただの現実の延長だった。そう遠くないうちに人類が辿り着くだろう機械の性能を、先取りして見ているだけだった。これは、それとは違う。
違う宇宙の話みたいだ。
そこにこれから、旧型のEロボで乗り込もうとしている。
「――悪いけど、周りを庇う余裕はねえぞ」
震える声で、真田が言った。
彼が腰かけているのは、オペレーションルームにいたころと比べれば随分と貧相になった椅子だった。ベースになっているのがゲーミングチェアなのか、それとも高性能のマッサージ機なのかすらもわからない。埋め込まれた配線がいくつも飛び出して、戦う前からコックピットが剥き出しにされたような心もとなさがある。旧型のEロボは、かろうじて五機が用意できた。真田の他には四人、クロガネのテスターを務めていたというスタッフがオペレーターとしてついている。
機体はすでに、珠ヶ浜を出た。
街中を疾駆するわけにはいかない。けれど、世界と世界を繋げるダンジョンが、同じ世界の観光地と首都を繋げていないはずもない。この数日の間に、調査用のドローンをずっと飛ばし続けていた班があった。どこならAMEMが展開していないか、現政府の警戒網をかいくぐることができるか、ずっと、そのルートが探索されてきた。
その道を、真っ直ぐに行く。
障害物も何もない。それでも、真田がEコンを握る手は強張っていた。
「性能じゃはっきり言ってクロガネの超劣化版だ。軍もどういう反応をしてくるかわからねえ。とにかく短期決戦で行くぞ! 八坂に接触して状況を再設定することだけを考えて――」
戦争とは、何もできなくなることなのかもしれない。
輪の中で、廻はそんなことを考えていた。
この数日間、自分にできたことなんて何もなかったからだ。技術がない。知識もない。経験もなければ権力もなくて、ドローンの操作だって人並みで、車の運転をして物資を調達してくることすらできない。佐藤が、気遣って雑用を振ってくれるのがかえって申し訳なかった。真田から励ましの言葉を貰うたびに、ここにいない方がマシなのかもしれないとすら思った。
ただその場所で、じっと立っているだけ。
それでも、見えた。
「射程に入るぞ! 駆け抜けろ!」
真田が、そう叫んだ瞬間のことだ。
クリムゾン・スパークが、遥か上空で身を丸めるのが見えた。
予兆は、ほんのわずかなものだった。ここがダンジョン庁のオペレーションルームだったら、もっとたくさんの人間が気付いたかもしれない。最新鋭の機材で、常日頃からメンテナンスを欠かさず、ちょっとした異状が報告に繋がる環境だったら、モニターに走った僅かなノイズに、報告の声が上がったのかもしれない。けれど、多くの人間は気にしない。
千鶴だけが、それに気付いた。
「止まれ!!」
身を丸めた機体の奥に、赤い光が宿る。
後は、たったの半秒の猶予もなかった。
パイロット用の五つのモニターのうち、四つが落ちた。残りのひとつも馬鹿げたカメラワークで、ありえない動きをしていることがわかる。廻は目で見てはそれを理解できない。メインの中継映像もノイズまみれになって、状況が把握できない。だから飛び交う報告が、先に情報を伝えてくれる。五機のうち四機が反応なし。シグナルロスト。真田機のみ健在。それで、初めてわかった。残ったひとつのモニターには、転倒した四機の旧型の姿が映っている。パイロットの操作ミスじゃない。
ヤサカニだ、と誰かが言った。
特装室が開発した、人類のための武器。それを今、あの場で、即席で、嶺一は使いこなしている。
電波が遮断された。
遠隔操作のEロボは、そこから先に進めない。
◇
画面が暗転して、会場は不穏なざわめきに包まれていた。
「なに?」
「事故った?」
映画館と違って、こっちは足元のライトも点かない。しばらく何のアナウンスもない。勝手に立ち上がる音が聞こえる。壇上にスタッフらしき人たちが駆け寄っていく。暗いからはっきりとはわからないけれど、多分この学校の生徒でも、先生でもない。
唯子は、焦りはしなかった。
現実感がなかったからだ。
さっきからずっとそうだ。周りに合わせてスティックバルーンを叩いているときも、『敵』の無人機が蹴散らされて、会場が湧いているときも、ずっとそうだった。画面の向こうに見えていた赤いロボットにクラスメイトが乗っているということが、どうしても上手くイメージできない。交通事故の再現ビデオの方が、まだ感情移入できる。子どもの頃にちょっとだけ見たあの、何とかレンジャー。そういうのの、知らない劇場版でも見せられているような気になっている。
他の人も、でも、多分同じなんじゃないかと思っていた。
『ただいま、映像が乱れております』
ようやく、司会がマイクを握った。
キー局のアナウンサーだ。このためだけに呼んだらしい。誰が呼んだのかは知らない。実物は流石にすごい迫力だった。すごい迫力で、はきはきした声で、誰が見てもわかり切っていることを言う。しばらくお待ちください。
一番真剣にざわついていたのは、やっぱり、唯子たちが座る二年五組の席のあたりだったんじゃないかと思う。え、ヤバくね。なんかあったのかな。八坂大丈夫か? 唯子は思う。ヤバいことには、最初からヤバかったんじゃないだろうか。口には出さない。
『えー。政府の方から、作戦行動に伴う一時的な電波不良との連絡がありました』
やがてアナウンスが続いて、
『中継が復活するまでの間、当応援会で用意しました、八坂嶺一さんの半生をまとめたVTRがございますので、そちらをご覧になってお待ちください』
当応援会って、誰の主催なんだろう。
答えなんて知る由もなくて、唯子は他の皆と同じように、流れ出したそれをぼんやりと眺めていた。従姉の結婚式でこんなの見たな、と思う。やることができて、客席は一気に静かになった。代わりに、スタッフがひそひそ話し合う声がかえって目立ち始めている。かき消すようにVTRの音量は増して、AI音声で、こんなナレーションが聞こえてくる。
『こうして、居場所のなくなった赤ん坊を、当時の八坂山蔵さんが拾い、育てることとしました。これはまさに桃太郎に記されるような、日本古来から続く伝統の形であり――』
こんなの聞いていいのかな、と思う。
同じクラスで、二年目で、自分も知らなかったのに。
見ていられなくなった。でも、ずっと顔を伏せていたり、露骨に目を逸らしたりするような度胸は、唯子にはない。スマホを取り出す。こういうのもカメラで抜かれたりしたら、真剣じゃないって叩かれたりするのかな。こういうのもダメなのかな。何なら許されるのかな。
でも、気になった。
今、実際に何が起こっているのか。
検索窓に打ち込む。中継。中止。なぜ。確定。いつものことだけれど、AIの的外れな要約と、関係のない動画が一番上に出てきた。どこから自分の知りたい情報が始まるんだろう。スクロールを始める。指を止める。
動画のサムネイル。
そこに映った顔を、不思議なことに唯子は知っている。
指先ひとつでアクセスできる。ライブ配信中を示す赤いアイコンがついている。どこかの病院だろうか。立派な建物の高層階に向かって、ちゃちなスマホがズームアップしている。ひとりの老人が、窓から身を乗り出している。
変わった名前の人。
八坂山蔵が、配信に映っていた。
◇
「おい、どうなってんだ!」
真田が叫べば、間髪入れずに千鶴が答えた。
「射程が広すぎる! 八坂さんの主導です!」
高速で、けれどさしたる専門用語もなく、彼女は説明してのけた。
電波の通りがおかしくなっている。おそらく妨害用装備のヤサカニが、戦場で起動している。けれど、クロガネに積んでいたものはここまで大規模な電波障害を起こすことはできない。だからおそらく、その発信源は八坂嶺一。クリムゾン・スパークの本来の力を引き出している。数度見ただけの技術を真似して、拡張して、あらゆる通信を妨害している。
そしてEロボは、当然それらの通信を用いて、遠隔操作で駆動する。
間合いに入ってしまえば、役立たずのボロ人形と変わらない。
「じゃああどうすんだよ!」
「間合いに入らずに済ませます! 内蔵している閃光弾を――」
「ダメです、室長! さっきの転倒音で気付かれてる!」
「十三番が開いた! 真田、クロガネが来るぞ!」
「退避ルート出します、動いて!」
「つったってこいつの性能じゃ――」
廻は、黙って立ち上がった。
誰も、気付いていなかったと思う。
これだけの混乱の中だ。子どもがひとり動いたくらいで「どうしたの?」なんて訊いてくる親切な人は、ひとりしかいない。そのたったひとりの佐藤すみれも、今は必死になって地図とにらめっこしている。他の職員も、皆同じ。突発の事態を前に、見通しなんてなくて、ただただ必死になっている。
まして、向かった先はただのモニターだ。
中継映像が途切れて、八坂嶺一の生い立ちが流れるそれじゃない。必死の駆動でどうにか活路を探している真田隆輝のEロボが映すものでもない。調査用のドローンが地べたをラジコンカーのように這いずって、電波の届くギリギリの場所から仰いだ景色が、そこに映っている。
暗い空の向こうで、嶺一はたったひとりだ。
前にもこんなことがあった、と廻は思った。
思い返すのは、初めてダンジョン庁に、特装室に行ったときのことだ。あのときも同じだった。警報が鳴り響いて、マスクを付け直すのも忘れて部屋に戻って、大人が大パニックになっていて、画面の中で赤い機体はたったひとり。でも、それとは違うところもある。あのとき、確かに機体はひとつだった。けれど、中にはふたりいた。今はそのふたりは、離れ離れになっている。それどころじゃない。此岸と彼岸に分かたれて、お互いがお互いに、銃を向けている。
嫌だな、と思う。
我知らず手が震えるほど、嫌な気持ちだった。
そして今更、廻は気付く。この状況になってから、もう取り返しがつかないのではないかと誰もが怯えるようになってから、自分は一度も弱音を口にしていない。夜中、一番遅くまで作業していた三条が、ひとり俯いて顔を覆っているときも。佐藤がひとり、エレベーターホールですすり泣いているときも。真田が展望フロアで海を眺めているときも。千鶴がたった一言、「悔しい」と溢したときも。廻はずっと、彼らの傍にいた。じっと、彼らの声に耳を傾けていた。それでも思い返せば、たったの一言も、自分自身の気持ちを吐露したりはしなかった。みんなの気持ちがわかるから、わざわざ自分で言葉にする必要がなかった。
でも、ここにある。
心の中でぐつぐつと煮えたって、けれどまだ、誰とも共有できていない感情が、言葉にできていない感情が、確かにある。
誇りに思っていた。
あの日。初めてダンジョン庁に行った日。嶺一とイルがギガメムに苦しめられているのを見た、あの日。行きたくないと思っていた。戦いたくなんてなかった。巻き込まれて、嫌々で、その場に居合わせた。
それなのに足を踏み出せた自分が、誇らしかった。
だって、自分で自分を格好いいと思った。
たとえ、その後に出てきたものが、まるで嶺一とイルには及ばないものだったとしても。もしかしたら、同じくらいの高校生だったら、誰にでもできたことだったのかもしれなくても。それが他人にとっては試練とも障害とも呼ぶに値しない、ほんの些細なものだったとしても――踏み出せたこと、それ自体が廻にとっては、ひとつの達成だった。
だから、今もそうしたいと思っている。
できないと、わかっていても。
だって、イルはもういない。目の前で起こっている出来事は、所詮はモニターの中で起きている出来事だった。今ここに立っている自分は、所詮はモニターの前に立っている自分だった。向こうで起こる出来事が自分の生活に侵食してくるのはまだ先のことで、侵食してきたときにはもうどうしようもなくて、成す術もない。教科書に載っていた二文字が、何度も使われてきたあの言葉の意味が、ようやく少しだけわかってきた。戦争は、遠い場所で始まって、何もできずにいる間に迫ってくる。
近付けば何かできるのかといえば、何もない。
それでも、もう一歩近付く。
新しいこの場所では――落ちぶれた特装室には、怒号が飛び交っていた。いい年をこいた大人が、恥も外聞もなく、必死になっていた。どうしてこんなことになるんだろうと、傍から見れば不思議に思われるかもしれない。だって、もう誰にとってもこれは仕事じゃない。報酬もない。命令もない。地位もなくして、職もなくして、ひょっとしたら将来も。この場にいることすら罪になる。本当のところ彼らだって廻と大して変わりはなくて、できることなんてなくて、なのに、まだ何かをしようとしている。
放っておけば死んでしまうと、怯えているからだろうか?
それだけじゃない気がして、廻は、目の前のモニターに指を伸ばす。
そうしたら、届いた。
◇
そのとき不意に、真っ赤なロボットは振り向いた。
理由は、確かにあった。何か、電気の通じたような感覚があったから。けれど、大した違和感じゃなかった。自分の身体から出ている量だって、途方もない。ヤサカニの電波遮断が通じたのもほんの一瞬のことで、すでに『敵』のマネキンは自律戦闘に切り替わっているらしい。向けられる砲撃も、視線も、そのひとつひとつが肌を痺れさせる。だから、大した不思議はない。ほんの数秒前なら、数秒後なら、何も気に留めもしなかったかもしれない。理由と言えば理由だけれど、強いて挙げようとしなければ意識の端にも浮かばない。そんな些細なこと。
戦い方は、もうわかっていた。
それでも勝つのか負けるのか、わからなかった。
途中で力尽きてくれたらいい、と思っていた。この場所から先に進む前に、誰かが撃ち落としてくれたらいい。何の解決にもならないとわかっている。ただの現実逃避で、けれど、それ以外に何をどうしたらいいかわからない。遠い宇宙のような暗闇の中、永遠に終わらない夜の中、とめどない電力が、イメージが、自分の身体から兵器を取り出していく。破壊して、疑問が湧いて、掻き消えて、何より巨大な力を振るいながら、何より冷たい無力感ばかりが募る。
その時間の真ん中に、それは走る。
些細なことが、全てを決めた。
「――廻?」
目で見たものが信じられなくて、名前を呼んだ。
攻撃は止まない。迎撃も止まない。戦いは終わらない。続いている。
それでも一番最初にしたのは、ジャミングを切ること。
繋がりたかったのだと思う。
◇
唯子が見ていたのは、奇妙な配信だった。
八坂山蔵、で間違いないと思う。あまりお年寄りの顔の判別をつけるのは、上手い方じゃない。でも、そもそも配信タイトルに書いてある。救世主の育ての親、魂の叫び! 配信元は、名前も知らない週刊誌らしかった。ポケットからイヤホンを取り出す。左耳にだけ付けて、音を出す。
よく聞こえない、と最初は思った。
けれど、すぐに動画サイトから音質の修正が入った。視聴者数が、見る間に伸びていく。三桁が五桁になって、そして、身も蓋もないことを八坂山蔵は叫ぶ。
『子どもを戦わせて、恥ずかしくないのかお前たちは!』
多分、と唯子は思った。
お母さんもお父さんも、もしあそこにいるのが自分だったら、同じことを言っただろう。
『民主主義において政治の代表を選ぶのは、王を戴くのとは全く違う! どんな問題に直面しているのかを隠し、解決の手段を自分たちで勝手に選択し、結果だけを押し付ける――こんなものは民主政治とは呼べない!』
コメントが、無数に流れていた。
何言ってんだジジイ。反社。インテリかぶれの老いぼれが偉そうに。論理が通ってませんけど。大人ならいいわけ? 低能が難しい言葉を喋っても頭は良くなれないんですよ。得体の知れないガキ連れ込んだ戦犯がなに人間の言葉喋ってんだよ死ね。現実見ろよ。こいつスパイだろ。後ろのやつ自衛官? 仕事しろよ。早く捕まえろ。非国民。死刑にしろ。撃ち殺せ。死ね。殺せ。消えちまえ。
邪魔なんだよ。嫌なら出てけ。
――どこに?
悲鳴が上がった。
驚いて、唯子は顔を上げる。見ると、八坂嶺一の半生をまとめたVTRは終わっていた。代わりに、またあの殺風景が映っている。ダンジョン。カメラが揺れる。安定していない。いくつものミサイルが、レーザーが、画面を横切る。
まさか、と不吉な予感があった。
まさか、八坂くんが乗っていたあの真っ赤なロボットが、壊れてしまったのだろうか。見逃したその一瞬、本当に何か、破滅的なことが起こってしまったのだろうか。見たくない、と思う。それでも見なくちゃいけない気がする。顔を上げる。画面を見る。
それ以上のものが、そこに映っていた。
ずっと遠い場所だ。豆粒みたいな大きさで、それは動いている。うっかりすれば何かの見間違いのように見えるそれは、実のところ唯子が、これまでの人生で一番熱心に見た動画とよく似ている。
ひとりの少年が、ダンジョンの中にいる。
卯井廻。
生身だった。