「あのさ」
何がきっかけだったのか、自分でもはっきりとはわからない。
それでも珠ヶ浜の、懇親会の、一日目の夜。廻は、言っておこうと決めた。
「ありがとうね」
ふたり部屋に布団を敷いて、さてそろそろ寝るかという段だ。
コンセントが遠いと文句を言いながら、座卓の横であぐらをかいてスマホを弄っていた嶺一は、鳩が豆鉄砲を食らって、たまたまそれが口に入ってきたみたいな顔をした。
「何が」
「最初のやつから全部」
言ってから、あんまり伝わっていない気がした。
本当に最初からを言うのは今更すぎて、湿っぽすぎる気がした。だから廻は、一番わかりやすい始まりを、身替りみたいに差し出した。
「Eコンのやつ。おれを誘ってくれて、ありがとう」
しばらく、嶺一は呆気に取られた顔をしていた。
それからスマホを置いて、速やかに畳の上で正座をした。
「……もしかして、今からこの世で初めて見るような芸術的な怒られ方をするやつすか。俺」
なんで、と廻は笑ってしまった。
冗談めかしているところが全然なくて、あまりにも神妙な顔をしている。それが余計におかしくて、もう一度廻は訊ねる。何でそう思ったの。いやあ、と嶺一は腿の上に手を置いて、
「無理やり付き合わせてる自覚があるから……」
まあそれは、確かにそうだ。
ものすごく強引だったし、コントローラーを握っている間はずっと、「なんでおれ?」と思っていた。でも、廻は知っている。嶺一は、そう無神経なタイプじゃない。そうだったら、そもそもここまで仲良くはなっていない。
だから今ここで、改めて、言っておこうと思った。
「助かったよ」
嶺一は、目を丸くした。
それでも廻は、多くを語ろうとは思わなかった。自分なりに、不安を感じていたこととか。自分は将来にわたってずっとこうで、ならどうしたらいいのかとか、そういう考えに毎晩ぐるぐると夢の中で追われていたこととか。現実逃避みたいに勉強をしたって、将来のことなんかろくに考えられなくて、きっとこの夏休みだって、何もせずに過ごしていただろうとか。
本当は、きっかけが欲しかったとか。
それをくれる誰かが、傍にいてくれる誰かがいて、本当によかったとか。
そんな込み入った事情、嶺一だっていざ言われたら戸惑ってしまうだろう。別に、気遣われたいわけじゃない。これ以上優しくされたいわけでもない。だから廻は、一番大事なことだけを言葉にした。
「……そか」
ちゃんと、伝わったのだと思う。
嶺一は、安心したように応える。それから足を崩して、後ろに倒れて、てか、と勢いよく笑い飛ばした。
「普通こういうの、電気点けてるときに言わねーだろ」
「何それ」
「だから、修学旅行で深い話とかするのって、電気消してからだろ。こう、天井とか見ながら、言いにくいことをぼそぼそさ」
「それ嶺一がもうやったじゃん。家出のとき」
「だから、お前もやれよ」
「やんないよ。おれ、明るいもん」
なんだそりゃ、と嶺一は言った。鏡見ろ、逆だ逆。いや、事実としてそうなってるから。おれの方が明るくて、嶺一が暗い。ごめん明るくて。明るいから、明るいとこで全部喋っちゃう。
言ってろ、と嶺一は笑った。
だから廻も、勝手なことを言って、笑っていた。
◇
嶺一より先に、イルが気付いていた。
通信ハブの、マネキンの送出装置の、保護液の中で。意識は朦朧としている。これから起こることを直視せずに済むように。未成年者が精神的な衝撃を受けないように。それが不安定な世界の融合状態において、イルが暮らしてきた世界の大人たちが彼女に施せた、せめてもの気遣いだ。
余計なお世話だ、とイルは思う。
思うから、腕に爪を立てて、一際鋭敏に神経を研ぎ澄まして、ダンジョンを見ていた。
ずっと、遠くの場所だ。
ここからは嶺一が、クリムゾン・スパークが戦う姿すら、ろくに見えはしない。鼓膜に届く轟音を、肌を震わせる砲の衝撃を、息を呑んで彼女は感じている。止んでほしいのに、止んでほしくない。ときどき真っ赤な機体が上空に飛び上がるのを見るたびに、泣き出しそうなほどの安堵が胸に溢れた。まだ壊れてない。まだ死んでない。まだ、まだ、まだ、
名前を、何度も呼んでいた。
何度も叫んで、何度も叩いて、なのに、拳から血のひとつも出てくれない。何もできない。外の世界から来て、世界平和とかそんなの夢見て、それなのに蓋を開けてみたら、自分は何の変哲もない一般人だ。何も決められない。大切なものひとつ守れない。必死になったって、何にも影響できずにいる。何もかもが嫌だった。何もかもが惜しかった。泣いている場合じゃないのに、涙がずっと止まらない。思っている。今まで一度も、こんなことを思ったことはなかった。それでもイルは、今やこうして自分を責めずにはいれらない。自分がいなければよかった。来たのが自分じゃなければ。もっとうまくやれる人だったら。あのとき、助けを呼ばなければ。あのとき、嶺一の手を取らなければ。
最初から、出会わなければよかった。
そんなこと、あるわけがないのに。
その証明が、彼女の頬に触れた。
たとえば、一台の自転車がある。
この一夏の間、イルがしたことと言えば、ふたりの友達とこの自転車に乗り合わせたことばかりだ。片方は、とにかく漕ぐのが速い。力いっぱいで、放っておくとガードレールから吹っ飛んでいきそうになる。だからイルは、後ろで目一杯地面に靴の裏を擦りつけて、そっちに行くなとブレーキを掛けていた。もうひとりは、ちょっと頼りない。安全運転はいいのだけど、慎重すぎるから車体がなかなか安定しなくて、だからイルは、風に乗れとばかりに思い切り地面を蹴って、アクセルの代わりをしていた。
同じことをしていたけれど、ふたりとも、性格もやり方も、全然違う。
だから、それぞれが全然別のやり方を覚えても、不思議じゃない。
それは、ほんのかすかな電気だった。
目には見えない。音にも聞こえない。この場を飛び交う稲妻の壮絶さを思えば、わずかなノイズとほとんど変わらない。それなのになぜそれがわかったのか、イル自身、不思議でならない。風が吹くよりもずっと優しくて、水飛沫に濡れるよりも、ずっと切ない。形がわかる。気持ちがわかる。何が起こったのか、はっきりわかる。
友達のひとりはこの夏、ロボットに変身する方法を覚えた。
友達のひとりはこの夏、テレポートの方法を覚えた。
どちらも、イルがいたからできたことだ。
◇
『戻れ、ガキ!!』
真田が叫ぶ声が、そのとき聞こえていた。
『んなとこ突っ立ってたら死ぬぞ! 下がれ! 早く! ――くそっ、まだ動かせねえのか三条ぉ!』
それは、ダンジョンの真っ只中、旧式のEロボから聞こえてくる声だ。四機が崩れ落ちて、残りの一機は立ち尽くしている。それ以上前には進めない。そんな場所から、搭載されたスピーカーから、必死の声だけが響く。分析の声も、同時に混じる。どうして卯井さんが。まさかテレポートを。呼ばれたのか? 違う! イルさんとずっと一緒にいたからだ。八坂さんと同じで能力を自分の意思で――
廻は、聞いていない。
一歩、前に踏み出す。
『戻れってんだよ!!』
灼熱の日だった。
地球とは思えないくらいに暑い。身体を取り巻く大気の熱が、どこか知らない星で宇宙服を脱いでしまったような心地にする。息を吸うたび、これ以上はやめろと肺が悲鳴を上げている。立っているだけで肌が焼ける。足元から伸びる影は焦げ付いて、二度と地面から剥がせないほどに濃く滲む。一歩一歩が、砂の海を行くように重い。音はどんどん近付いて、光は刺すように鋭く燃えている。汗が伝う。目が乾く。
廻は、それを見ている。
世界が、溶け出していた。
見えないはずのものが、目の前に現れていく。展開したAMEM。飛び交う光。砲弾。煙と焼けた鉄の匂い。宇宙のように暗い場所。それが見る間に変質していく。それら全てが、明るすぎる夏の中にどろどろに混ざり始める。あのときと同じだ。都立小学校を前に、特装室がギガメムに立ち向かった、あのとき。フラッドと呼ばれる現象が、今まさに進行している。あちらとこちらの境界線が溶け出していく。壁がなくなる。世界と世界が重なって、反応する。向こうからは電気と鉄と炎が漏れ出して、こちら側からはひどく見慣れたものが、長く続いた夜の終わりのように、その姿を現していく。
夏の日差しと、真っ青な空。
赤く輝くロボットが、その真ん中を飛ぶのが見える。
『――行け!!』
声が聞こえて、目を見開いた。
『おい、』
『今しかないなら、今行って!』
それは、千鶴の声だった。
震えている。乾いていない。それでもはっきりと、彼女は言う。マイクの向こうで真田が止める声なんて、微塵も聞かない。
『自分の手で何かを決められるチャンスなんて、一生――一生ないかもしれないんだから、』
もう彼女には、何の権限もない。
たまたま周りに人と物が集まっているだけの、自分と何ら変わらない高校生に過ぎない。権限がなければ、責任もない。ここから何かを背負う理由なんて、背負わなきゃいけない理由なんて、どこにもない。そっぽを向いたって、逃げ出したって、誰も責めない。責められない。
それでも一緒に行くために、叫んでくれた。
『変えたいことがあるなら、自分で掴め!!』
足が、
嘘みたいに、軽くなった。
取り巻く風の全てが背中を押しているみたいで、吹き抜ける大気がシャツの背中を膨らませる。できたのは、イルの真似事は、この場所に飛ぶところまで。ロボットになるやり方なんて、土壇場じゃわからない。青い機体には変われない。だから形なんて、姿なんて、何も変わらないはずなのに、それは翼みたいに広がって、腕も、心も、全てが自由になる。時間は止まっているみたいで、地球が廻るのに釣られるみたいに、初めて夏を目にした真っ白な鳥のように、
卯井廻は、走り出した。
「りょぉいちぃいいいいーー!!」
爆発の音が、鼓膜を破るほどに激しく響いている。
飛び散る破片が頬を掠めて、鋭い痛みが走る。
何でもできるとか、自分は無敵だとか、そんな夢みたいなこと、ひとつも思わない。
でも、そのとき廻は、嶺一が振り向いた気がした。
◇
絶え間のない悲鳴が上がる。
高校の体育館で、暴動が起こりかけている。
「おいヤバいってあれ!」
「あれ! あれ、俺らの友達で――」
立ち上がったって、何の意味もない。
司会に詰め寄ったって、マイクに音を拾われたって、カメラを叩いて警察に羽交い絞めにされたって、何が変わるわけでもない。
戦争というのは、遠い場所で起こる無関係なことで、自分たちにできることは何もない。
けれどその中心に向かって生身の人間が――自分たちが知っている人間が、飛び込んでいく。
それでみんな、ようやく目が覚めた。
人が死ぬんだ、と気付いたのかもしれない。自分たちもこのままじゃ死ぬんだ、くらいのことを思ったのかもしれない。画面の中で見ていた兵器が急にせり上がってきて、自分たちを襲う妄想をしたのかもしれない。
唯子は、そんなことはなかった。
この場所に来る前から、何となく想像できていたからだ。こういうことが起こっていることは、起こってきたことは、知っていた。知っていて、何もしなかった。自分には関係がないから。こういうのは自然災害みたいなもので、そのうちやってきて、どうしようもなくなる。本当にその際の際で自分がどうなるか、どう思うのかはわからなくて、不安で、だけどしょうがない。お父さんにもお母さんにもどうにもできない。どうにかできる人を、誰も知らない。
なのに、卯井くんはあんなに必死になって走っている。
「――唯子?」
隣で、愛佳が心配する声が聞こえた。
泣いているのがわかれば、慌てた顔をした。普段はそんなこと絶対にしないのに、抱き締めてくれた。
唯子は、考えた。
あの頃の卯井くんの同級生も、同じ気持ちで画面を見ていたんだろうか。あの頃の卯井くんも、あんな風に、誰かに駆けつけてほしいと思っていたんだろうか。
自分だったら、どうだろう。
あの場所にいれば、同じ夏休みを過ごせば、同じように駆け出せただろうか。
多分、無理だと思う。
でも、無理だと思いたくなかった。
挿しっぱなしのイヤホンから、いまだに奇妙な大演説は聞こえている。唯子は、自分が何をどうすればいいのかわからない。悲しくなっているだけでは、涙を流しているだけでは、何も真剣じゃないような気がする。何も足りていない気がする。それでも、思う。ああやって走り出したことが、無駄にならないでほしい。駆け抜けた先に、何かが待っていてほしい。それが何なのか、唯子にはわからない。涙は溢れて、ひとつも言葉が出てこない。
でもきっと、この人が言っていることは、自分が考えていることと同じだと思った。
一度だけ、愛佳を力いっぱい抱き締めた。驚いて、向こうの力が緩む。緩んだそのとき、代わりみたいに勇気が貰える。イヤホンの接続を切る。立ち上がる。ボリュームを最大音量まで上げて、止める声も聞かずに、殺到するクラスメイトに紛れて、押し込まれて、一番前まで辿り着く。
カメラの前に、スマホを放り出す。
唯子の代わりに、電波に載った。
『どんな状況であろうと、どんな人間であろうと――友人に銃を向け、引き金を引かせることを許す理由はない!』
◇
夢みたいなこと言ってんなよ。
ありふれたコメントが、ありふれた配信のひとつに書き込まれた。
戦争が起こっている。それを当然のように中継する、ひとつの配信がある。何もおかしなことじゃなかった。配信者は、要請を受けていた。戦争に参加してください。あなたが所有するEロボを使ってください。そうじゃなければこの中継を実況するなどして、国内の雰囲気醸成にご協力ください。ミラー配信を歓迎します。みんなで一丸となって、敵を打倒しましょう!
その配信に、電波に載って老人の声が届く。
反応が沸き起こる。
この声何? 理想論ではあるけどさ。誰のスマホなんこれ。放送事故だろ。笑える。てか誰こいつ。ジジイっていつも理想論ばっかで現実見てないよな。猿のひとつ覚え。何考えて生きてきたんだよ。てかこれって自衛戦争だろ。好きでやってるわけじゃない。言ったってどうしようもなくね。てかカメラに寄ってるガキもなに。
現実、わかってないよな。
「でもさ、」
ありふれた配信に、少し変わった声が載る。
持ち主は、今年で三十八になる女だ。使い古したゲーミングチェアに座っている。モニターは三枚ある。一枚は中継映像の載った配信を映していて、もう一枚は頻繁に更新される内輪のメッセージアプリ。残りの一枚は、ただ暗く、視界も不明瞭な景色が映り、画面の端にいくつもの数字が並んでいる。子どもたちは「こわいから見ない」とリビングでアニメ映画を観ていて、夫がそれを見守っている。
彼女ひとりだけが、防音室の中にいる。
整頓を旨とするその部屋の中には、珍しくキャラクターグッズが持ち込まれていた。
ふたつのフィギュアだ。古い方の名は、マックス・ジェットバーン。新しい名は、都築楓子。ふたりのキャラクターには、ふたつの共通点がある。ひとつは、声が同じであること。もうひとつは、プロフィール欄に書かれた『趣味:人助け』の文字。
だから白幡早絵は、Eコンを握っている。
暗いモニターから、光が差し込み始める。身内のチャットにはいつの間にか百人以上の人が集っていて、今でもまだ人が人を呼んで、参加者が増え続けている。深く息を吐く。手汗を拭う。息を吸う。
一生で一番、大それたことをする。
かつて子どもたちの小規模なヒーローだった彼女は、何千人もの馴染みの視聴者と、何万人もの見知らぬ視聴者の前で、
あの頃のように、
「みんなが同じ夢を見て、それを現実にできたら、それが一番良いでしょ」
格好つけた台詞が、不思議なくらいに力になる。
コントローラーのスティックを、思い切り倒した。
◇
真田隆輝は、機体が動くようになったその瞬間、駆動系を全開まで開けた。
とんでもない音がした。画面に映る計器が一斉に真っ赤になって、機体に風穴を開けられたような警告が次々に出る。オペレーションスタッフが立ち上がって、何かを叫ぶのが聞こえる。
知るか、んなもん。
旧式が、うなりを上げた。
ほんのちょっとの間だったはずだ。八坂嶺一が放った電磁波の余波が、突入後にもまだ残っていた。旧式のミスティック回路に起因する、機体制御の問題が発生した。報告までに二秒。三条が原因を特定するまで五秒。千鶴がそれを直すのに七秒。再起動を果たしたときには、全て合わせてたったの二十二秒――永遠にも等しく感じたその時間は、たったのそれだけだったはずなのに、あの痩せたか弱いガキの背中は、妙に遠い。
大体、前から気に食わなかった。
どう見ても人前に立つような性格をしていない。だというのに引っ張り出されている。引っ込んでろよと足で除けてやったのに、どういうわけか本人が、自分の意思でまた戻ってくる。八坂のひねくれ方はわかりやすいが、こっちはずっと危ない。大した理由もないのに、ずっと危ない場所に立っている。さっさとどけた方がいい。どこかに閉じ込めておいた方がいい。室長のやり方もどうかと思うが共感はあって、
だというのにこんなところまで来てしまったから、否応なしに飛び込んだ。
「伏せろ!」
極度の集中状態が、身体に痛みまでもたらした。
破砕音が響く。音だけで損傷個所がわかる。腹がぶっ壊れた。そんなことはいい。廻の状況を確認する。言われたとおりに伏せている。よくやった、と頭を撫でてやりたい気持ちと襟首をひっつかんでぶっ叩いてやりたい気持ちの両方が煮えたって、それどころじゃない。目が左右に動く。その目は真田のものでもあるし、旧式のものでもある。
AMEMの攻撃体勢が見える。
駆動系を切る、以外に間に合う方法を思いつかなかった。
旧式はもう、ろくな動きができなかった。だから廻を庇うには、普通の動きじゃ間に合わない。回路を切るしかない。切って、自重に任せて崩れて、押し被せて、けれどその先は? 被せたらまず廻は動けなくなる。向こうの攻撃を本当に受け切れるのか。間に合わせの機体の耐久は? 攻撃角度は? 被せるったって、ちゃんと人ひとりのスペースは確保できるのか? 圧死しないか? その計算を、真田は瞬時に終えている。経験と、瞬発と、才能と、実績は、いけるはずだと信じるに足る。
ゲームならその速度で判断できたはずで、けれどこれは、ゲームではない。
躊躇したから、真田はAMEMの砲口が光るのを見た。
それが別の砲撃で吹き飛ぶところも、見た。
「――――、」
『そこにいるのタキナダ!?』
三条が叫んでいるのが、背中から聞こえていた。
けれど、叫ばれずともわかった。通信を向けられているのは自分の機体に他ならない。ド派手な原色の、実用性無視の、底抜けに明るいその機体に、真田は見覚えがある。声に、聞き覚えがある。憧れていたから。所属が変わっても、名前が変わっても、ずっと追いかけていたから。
『こっちの味方で、やること合ってる!?』
都築楓子の機体が、そこにある。
「――合ってる、」
そして、それだけじゃなかった。
何がどうしてこうなったのか、真田にはわからない。自分の知らないところで、特装室の誰かが増援要請をしていたのか。根回しができていたのか。それとも、何か別のきっかけがあったのか。わからないから、目の前の光景が信じられない。なのに泣きそうになって、コントローラーを握る手も、絞り出す声も、全てが震えている。
同じ理由で、ここにいるくせに。
「合ってるから、助けてくれ!」
所属のない数百のEロボが、戦場に駆けつけていた。
◇
『嶺一、持ち場を離れるな! それでも兵士か!』
ずっと、その声は聞こえていた。
だから、と言い訳することを嶺一は自分に許さない。だから動けなかったんだ。AMEMの圧力だって止まらない。前方から、絶え間なく攻め手は続いている。じいちゃんを人質に取られてる。どっちにしろここを譲ったら、向こうの侵攻が止まらなくなる。人が死ぬ。俺がやらなくちゃいけない。だからしょうがないんだ、とは思わない。それでもそうするしかない。
それなのに、廻は走ってくる。
いつの間にか後方には、山のようなEロボが現れていた。きっと嶺一は、この夏が来る前だったら、それらとAMEMとの区別がつけられなかった。でも、今ならわかる。全然違う。兵器として作られたものと、配信のために、人を楽しませるためにデザインされたものは、フレームが似ていても、他の全てがまるで違う。
数知れない爆発が、ふたりの間を隔てていた。
音も、光も、全てが生身を竦ませるに、破壊するに足りる。気が遠くなるような、自分だったら一歩も動けなくなるような恐怖の道を、長い距離を、たったひとりが縮めている。華やかな、けれど取るに足らないEロボの――見ず知らずの他人の力を借りて、その足で駆けてくる。
「――く、」
思っているのとは、全く逆の言葉が出た。
「来るな!」
耐え切れなかった。
どんな顔をして会えばいいかわからない。この道の他に、何もないと感じる。この道の先にも何もないと感じる。望みのない袋小路に迷い込んで、到底抜け出す術はない。あの日、はじまりのあの日とすら比べ物にならない。生身の自分が、廻のロボットに助けてもらったのよりもずっと酷い。強大な鎧を纏って、それでどうにもならなくて、そこにたかが生身の人間ひとりが辿り着いたところで、できることなんて、変えられることなんて、ほんのひとつも見当たらない。
向き合ったら、本当の別れを告げなければならない。
それなのに、友達が手を伸ばす。
だから嶺一は、その手を取ってしまった。
嘘みたいに、全ての喧騒が遠ざかった。
クリムゾン・スパークの手のひらに、ひどく小さな人間が乗っている。荒い息を整えているのが聞こえる。前髪が汗で、額に張り付いているのが見える。ついこの間まで自分の後ろに隠れて、何もかもに怯えていた彼は、まるで寄る辺もなくて、剥き出しで、痩せた腕には血が滲んで、何かの拍子に折れて死んでしまいそうなほどか弱くて、
「めぐる、」
なのに目の前にしたら、堪え切れなくなった。
「俺、どうしたらいいのかわかんないよ……」
機械の奥に自分の身体があることが、初めてわかった。
涙がぼろぼろと溢れる。溺れて、苦しい。
廻が、立ち上がった。こんな場所まで来ておいて、細い身体で、腕で、クリムゾン・スパークの巨大な五指のひとつに触れる。髪が揺れて、シャツがはためいて、そうして不思議と、彼は機械の奥底に隠れた友達の居場所を、まっすぐに見つめている。
そのとき廻が浮かべた表情を、きっと生涯、嶺一は忘れはしないだろう。
「でも、少なくともこんなことはしたくないんでしょ?」
それは、遠い夏のような微笑みだった。
ずっと昔に忘れ去られていた、涼やかで眩い、明るいばかりの夏のように、笑った。
「それだけはわかったから、来たんだよ」
こいつがいればいい、と嶺一は思った。
廻がいてくれれば、他には何も要らないと、そう思った。