『嶺一、そいつをどかせ!』
声が響いた。
『何を考えてるか知らんが、少なくともそいつらは味方じゃない! 民間人とはいえこんな場所まで勝手に来た奴ら――』
「切らないの?」
こともなげに廻が言う。
嶺一は、驚いた。
当てずっぽうじゃない。聞こえている。装着されたインカムからの声なんて、この場では漏れ出るはずもないのに、当然のように廻はそれを感じ取っている。
電波に載ってきただけの声を、聞き取っている。
『ふざけるな!』
そして廻の言葉も、向こうに届いている。
激昂の声が、耳をつんざいた。
『黙るのは貴様らの方だ! こっちはお前たちのようなテロリストは正当性が違う――国民の代表、この国の最高決定機関だぞ!』
「だから何ですか」
落ち着いた声で、廻は返した。
「国の代表なら、知らない人間を戦わせていいわけですか」
『当然――』
「家族を人質に取ってもですか。嶺一のおじいさんを監禁して、暴行して、脅しつけて、それでも正当性があるっていうわけですか」
『当然だ! 権利を享受しておいて義務の履行を渋ること自体が――』
「今、中継で全国にこの会話も流れてます。それでも同じことを言えますか。人の家族を人質に取って、無理やり戦わせてるって」
声の詰まった音が聞こえた。
廻は、言葉を止めない。
「あなたは確かに選挙で選ばれた国民の代表者かもしれないけど、別に、あなたのすること全てが『みんな』の責任になるわけじゃない。あなたがやったことは法的な正当性を欠くただの犯罪だし、その責任を引き受けるのは、あなた自身です。法律を抜きにしたって――」
向こうから、通信が切れた。
ぷつっ、とわかりやすい音がして、インカムから何の電気も感じなくなる。廻も多分、それを感じ取っていた。意外そうな顔をしている。嶺一はけれど、そうでもない。元々、大して理知的な相手とも見えなかった。都合が悪くなったら対話を拒否することくらいは、想像の範疇にある。
むしろ、あの引っ込み思案があんなことをすらすら言い立てたことの方がずっと不思議で、
「ごめん」
照れたように、廻は笑った。
「今の、全部先輩の受け売り」
あんな難しいこと言えないよ、と。うっすら覚えてたことを適当にぶつけてみただけ、と白状して、
「おれにできるのは……」
一瞬、言葉がためらった。
口元で、古い癖のように手指がさまよった。考え込むように前髪が下がって、諦めたように顔を上げる。もう一度、彼はクリムゾン・スパークの指先を握り直す。
目を瞑って、身体を預けるみたいに額を当てる。
かすかな電気が、通じ合う。
繋がった。
思えばそれが、最初から、全ての始まりだったのかもしれない。
廻がそれをどうやって成し遂げたのか、嶺一には全くわからない。でも、できていた。小さな石が、ずっと遠くから伝わる電波を拾って声にするみたいに、小さなラジオのように、廻から、廻の額と触れた指先から、流れ込んでくる。
それは、信号だ。
カメラの前で、クラスメイトが必死になって呼び掛けている姿が見えた。怒っているのもいれば、泣いているのもいる。普段は虫も殺さないような奴らが、警察の制服と取っ組み合っているのが見える。そこまでして、画面に何かを押し付けようとしている。スマートフォンだと気付くまでは一瞬で、そこに映っているのが何かと気付くのは、直接その光景を見てからになる。
山蔵が、病院の窓から何かを叫んでいた。相変わらずだなと呆れたり、笑ったり、そういうことは全然できそうにない。包帯を巻いた姿は痛々しくて、顔まで真っ赤にして叫ぶ様には、胸が潰れる思いになる。無事だったと安堵する気持ちの一方で、その後ろに自衛隊の制服が見えると、気持ちが一気に挫けそうになる。
心配するな、と聞き慣れた声が叫んだ。
三条のものだ。
難しいことは、全然わからない。本当のところ、聞こえてくる声のうちで言葉として理解できるものは、そう多くはない。三条のそれも、一番指示を飛ばしてきた人のものだから、かろうじて聞き取れただけだ。その後は、いくつもいくつも重なっていく。三条の、佐藤の、真田の、千鶴の、特装室の声が聞こえる。それだけじゃない。無数の声には、もっと、一方的に知っていたものも混じって、それは今、下でEロボを駆る人々のものなのかもしれない。それ以外の誰かのものなのかもしれない。
全てが流れ込んできて、けれど全ては理解できない。
「――伝わった?」
それでも、そう言って廻が目を開けたとき、顔を上げたとき、嶺一が心に浮かべた答えは、たったひとつだった。
「俺、」
だから、絞り出すように嶺一は言った。
「俺、さっき、廻だけいてくれればいいと思った」
廻は、動じなかった。
うん、と小さく頷いて、受け止めてくれる。
「でも、本当はそうじゃない。俺、この夏が楽しかったから。こんなことになっちゃったけど、なる前も。それに、廻に会う前の時間も。本当は、ごめん。俺、廻だけじゃ全然良くない。もっと――もっと、繋がりたいものが、たくさんある」
思えばそれが、この夏の始まりの理由だったのだ。
声がして、それに応えた。これからもきっとずっと一緒にいてくれる友達は、とっくの昔に隣に座ってくれていたのに、欲張って、別の誰かにも手を伸ばして、繋がった。何度も嶺一はそれを後悔した。そんなことしなきゃよかった。誰も巻き込まずに、ひとりでいればよかった。そう思った。
でも、そんなのは嘘だと、教えてもらった。
「本当はこんなこと、したくない」
ラジオからたったひとつ、聞こえなかった声がある。
それは、新しい友達の声だ。
「わけのわかんない奴らに、めちゃくちゃな理屈で全部台無しにされたくない。戦争だとか何だとか、そんなもんで塗りつぶされたくない」
言葉にすれば、ひとつひとつの枷が外れていく。
嶺一は、インカムを外した。手の中で握り潰そうとして、けれど、機体の奥にいる自分は想像よりもずっとちっぽけで、罅を入れるのが精いっぱい。それでも、浅くなっていた呼吸が戻ってくる。冷たい手足に、熱が宿る。
夏だ、と。
嶺一は、今更気が付いた。
この世界に流れ着いてから十何年も経って、今時の夏は、七月や八月じゃなかなか終わらない。暑すぎて勉強なんかできないんだから、家の中に籠ってなさい。そんな風に言われて、けれど全ての若者が約束を破って、少しずつ、少しずつ自分なりのやり方で外へと繰り出していく。
そんな季節の、終わりに立っている。
「俺、」
あり余った気力を使い切る、絶好の機会だった。
「やってみるわ。できるかどうか、わかんねーけど」
どういう仕組みなのか、嶺一にはわからない。
それでも一番賢い友達は、声に紛れて奇妙な贈り物をくれた。
それはひとつの作戦と、ひとつのデータだ。
電波に載って、それはやってきた。ああしろこうしろこれを使え。とても耳慣れたやり取りで、なのに今までとはまるで違うのは、自分からやってみようと、やりたいと思うのは、どういうわけなのだろう。
本当のところ嶺一は、その理由を知っている。
クリムゾン・スパークは、ゆっくりとその手のひらを地面に下ろした。
駆けつけてくれたEロボが、すぐさま廻を拾い上げてくれる。担がれて、護衛がついて、それでもこの場では頼りない。ここから先はなおさら、生身の人間なんて連れて行けない。連れて行く理由だって、何もない。
けれど、随分と心細くなることは、間違いない。
「嶺一!」
踵を返すそのとき、その珍しい大声は聞こえてくる。
まるっきりあの日の逆だ。機械に抱えられた、生身の廻がいる。ほんのちっぽけな姿で、自分を見上げて、たった一言、短い言葉を口にする。
「頼んだ!」
あのとき、廻は何と言って答えてくれたのだったか。
思い出せなくて――どうせ大したことのない言葉だったのだろう。だから、大したことのない言葉で答えることにした。
「任せとけ」
翼を広げたそのとき、確かに嶺一は、自分が自分の思っていたような人間ではなかったことに気が付いた。
全力を出すのは、これが初めてだった。
当たり前のことだ。家族を人質に取られて、気乗りなんかするはずがない。友達に武器を向けて、力なんか込められるわけがない。
それが、今はまるで違う。
漲る電力は、形にせずとも身体から迸っていた。赤い翼が空を駆る。真夏の雷は、空へと昇る。破壊も防御も何の必要にもならなくて、音の速さなんか、とっくにぶっちぎってしまった。すれ違うAMEMが、ビル風に煽られたビニール傘のようにひっくり返っていく。ミサイルが描く放物線は真っ赤な機体の尾に決して追いつくことはなく、直線の稲妻なんて融通の利かないものでは、決してその行く手を遮ることはできない。クリムゾン・スパークは、廻たちのいる場所からできる限りに遠ざかる。誰にも、何にも遮られないように、一番高いところまで飛び上がる。
探せ、と千鶴は言った。
これが戦争なのだったら、どこかに必ず通信拠点がある。
自分たちがそうしているように、戦場の様子を窺うための設備がある。世界と世界を繋げている場所がある。ひとつひとつのAMEMの中に紛れているかもしれない。それ以外の何かかもしれない。けれどどこかに、必ずある。
向こうの世界とこちらの世界を繋げる扉が、必ずある。
嶺一は、それを見つけられずにいる。
AMEMの中のどれがどれなんて、一瞬では見分けがつかない。地上では乱戦が起こって、飛び交うミサイルもレーザーも掻い潜りながら、どれが安全地帯にあるだとか、中継するのに適したロケーションを取っているだとか、そんな判別はつけられそうにない。でも、そんなのは初めからわかっている。高いところに飛び上がったのは、そのためじゃない。
世界を繋げると聞いて思い浮かぶのは、ただひとりの顔しかない。
自分じゃ見つけられない。
だから素直に、訊いてみることにした。
「――イル、」
鋼の肌が、音に震える。
このくらいじゃ届かない。廻とかイルとか、ああいう器用な奴らみたいに、囁き声で優しくなんてことは、自分にはできそうにない。向いていないことは、やらない。
だから、生涯最初の本気で嶺一がやったのは、馬鹿みたいな大声で呼び掛けることだ。
「イル、どこだ!!!」
そのたった一言が、世界の隅々まで響いた。
とんでもない入力に、まずは戦場の小さなロボットがよろめいて、バランスを崩した。珠ヶ浜のロビーで、いくつかの精密機械が悲惨な音を立てて煙を上げた。県立高校の体育館ではスピーカーから強烈なハウリングが発生して、暴徒と化した生徒たちのパニックに水を被せる。国営放送を監視していた海外の技術者たちが赤い機体データの上方修正を確信したそのとき、ダンジョンを通ってそれは山へと抜け出して、幾千羽の鳥を止まり木から飛び立たせる。海が揺れて、雪が崩れて、頭上に浮かんだ雲は八方に散っていく。空と彼とを遮るものは何もなく、青く散乱する光を逆流して、遥かなる距離を、宇宙に至るまで広がっていく。
「ここ、」
だから、届いた。
イルは、その声を聞いていた。
何度も何度も叩いた柔らかい壁は、クリムゾン・スパークの呼び掛けの一撃で、硬直した。通らなかった言葉が通るようになる。跳ね返る声に、自分の声を載せられる。そういう計算が一瞬頭に浮かんで、それよりもずっと濃く、深い思いがイルの胸に湧き上がる。
そういう話じゃなくなっちゃったの、と母は言った。
人の言葉に頷くばかりが人生じゃない。もっともらしい言葉で丸め込まれるばかりが生涯じゃない。諦めて、泣いて、座り込んでいる姿が自分の全てじゃない。
だからイルは心の底から叫んだ。
「ここにいるよ、リョーイチ!」
赤い翼が、翻る。
最後の数キロメートルは、この世でもっとも遠い数キロメートルだった。
向こうだって、それは気付く。そして思う。軍事兵器の生産ハブ。要救助者保護用ポッド。世界観通信拠点。重要な機能が集約されたその機械の城は、向こうの作戦の要だから。もちろん、守りは固めている。それでも、クリムゾン・スパークの桁違いの火力を前にすれば、到底安心はできない。破壊されて、一気に戦局は不利に陥るかもしれない。要救助者を拉致され、人質として扱われるかもしれない。あるいは通信拠点を足掛かりに、画面の前にいる自分のところまで攻め込んでくるのではないか。そうやって、怯えている。
最後の大砲火が、嶺一を迎え撃つ。
「く、ぉ――」
機体の反応よりも、脳の反応の方がずっと限界に近い。
右とか左とか、そういう実用性のない概念から先にすっぽ抜けた。天地の別もやがては尽き果てて、機体は軋みを上げて、脳はそれよりもっと早くに限界を迎える。もう、匂いも感じない。動体を追い続けた目はすでに反応らしい反応を返さず、炸裂する轟音の中で、海の果てで聞くような耳鳴りがずっと響いている。痛みだけが、身体の輪郭を作る。
それでも、真っ赤な機体の奥底に、それはある。
こんなもので何かが変わるのか。
確信なんて、ひとつもない。
今まで下された命令の中で、一番めちゃくちゃだと思う。取るべき行動と期待される結果が、全然釣り合っていない気がする。人から聞いたら、自分だって鼻で笑ってしまう。千鶴がこんなことを言い出すなんて、本当は全部が全部もう何の望みもなくて、だけどそれをそのまま伝えちゃ可哀想だからと、言い訳づくりみたいに何の意味もないことをやらされているのかもしれない。
そんなもののために、必死になっている。
必死になりたいからだ。
この夏、嶺一には明確に嫌いなものができた。暴力だとか、戦争だとか。自分の大切なものを上から塗りつぶしてくる何もかもが、嶺一は大嫌いだ。けれどそれは強大で、個人の力じゃどうにもならない。無敵の機体はときどき役に立たなくて、本気を出したって瞬く間にボロボロになって、そういう抗いがたい力の奔流の中で、たった数人が必死になって、手を繋いで、それで何が変わるのか。そうやって問い掛けられて、何も、と答える自分がいる。
変わる、と本気で信じた友達がいる。
その顔が、見えた。
「イル!」
泣き腫らした顔が、全然似合っていない。
それでちょっとだけ嶺一は、廻がああして駆け出してくれた理由がわかった気がする。
「向こうに――」
「――――!」
ほとんど何も言っていないはずなのに、それだけで伝わってしまうのは、元々それが彼女の計画だったからか。薄緑の膜の向こうで、イルの指先に電気が迸るのを、嶺一は見た。それだけで十分で、覚悟は決まった。
必死になって、けれど、本当は何も信じられていない。
それでもいい、と嶺一は思った。
「世界が、」
自分の代わりに、誰かがそれを信じているなら、それでいい。
一回で上手くいかないなら、二回でも百回でも千回でも付き合ってやる。お前らがもう無理だって言うまで、どうしようもないって諦めるまで、いくらだって、何回だって付き合ってやる。
「平和に、」
でもきっと、諦めないんだろうな。
そう思うから、最初の一回を、試してみた。
「なりますよぉーにぃっ!!!」
指先に触れて、物語は飛び立つ。
これは、そういう話だった。
イルが開いた扉から、向こうの世界に繋がるネットワークに、その小さなデータは入り込んでいった。ウイルスなんか入っていない。攻撃の意図なんて、微塵もない。だから障壁も迎撃もたったのひとつも働かなくて、見ていた全ての人々の目の前に、あっさりと映し出される。
それは、思い出だ。
イルが作った、地球を紹介する一本の動画だ。
それは、整然とはしていない。専門家でも何でもないひとりの子どもが作り上げたものに、大した論理性はない。計算されたドラマも、激しいヒューマニズムも見当たらない。どころか、力を合わせて共通の脅威に立ち向かった、愛と勇気に溢れるアクションシーンすらほとんど入っていない。イルにとっては大して重要じゃなかったからだ。
詰め込まれているのは、生活だ。
ご飯を食べたり、ゲームをしたり、くだらない会話をして遊んだり、そんな時間ばかりが詰め込まれている。だから嶺一は、呆れた。こんなものを見せて「ああ、向こうの世界も私たちと同じなんだなあ」なんて納得してくれると思ったのか。イルの提案を聞いた時点では、まだわかるところもあった。でも、こんなことになって、取り返しのつかないところまで進んで、なおこんなものが通じると思うのか。千鶴は本気でそう思ったのか。
少なくとも、そう見えた。
だからそれは、ひとつのメッセージになる。
どう働いたかは、きっと、歴史の中で勝手に位置づけられていくだろう。
『敵』の中にそれを届けようと決めた、大真面目なのか大馬鹿なのかわからない指揮官がいた。貴重なふたりのパイロットを、こんなメッセンジャーに頼んでボロボロに使い果たした。動画に映っている人質のはずの子どもが、よりにもよって主力部隊らしき子ども三人に囲まれて、ずっとにこにこ笑って、時には大切にされたり、時には邪険にされたり、要は、普通に扱われていた。
その彼女が、ついでとばかりに壁を破って、夏の日差しにも似た晴れやかな顔で、真っ赤な機体の腕に飛び込んだ。
そういうことが、尾ひれをつけて語られていくのだろう。どれがどう決め手になって、誰がどう感じて、何がどう動いたのか。勝手に文脈をつけられて、勝手に分析した気になって、そのうち、何が何だかわからなくなったりもするのだろう。
それでも今、確かな事実がひとつある。
一機のAMEMが、銃を下ろした。
感極まったから。あるいは、馬鹿馬鹿しくなったから。
別に、どちらでもよかったのだと思う。