余計に気が抜ける思いがする。
心の軽くなるのを感じながら、廻は受話器越しに、張本人の声を聞いた。
『そっち今、大丈夫か?』
「大丈夫」
『今どこ?』
学校、と答えれば『学校?』と返ってくる。
「さっき千鶴先輩に会って……ちょっと待って。スピーカーにする」
『ん? おう』
隣でイルが、じっとこっちを見ていたからだ。
相手の身になって考えてみれば、何となく気持ちはわかる。たとえば外国で、ガイドが突然どこからか来た電話を受ける。知らない言葉で話し始めて、しかも会話中にちらちら自分の方を見てくる。それなりの想像力があれば、このあと己の身に降りかかる未来について思いを馳せるだろう。そう。売り飛ばされるのだ。
売り飛ばしはしないし、別にスピーカーにしたところで話の内容がわかるわけでもないだろうけれど、とりあえず、廻はイルにも声が聞こえるようにした。
「おっけー」
『おう。んで何? 途中で生徒会長?』
「そう。夏季講習に行く途中のところを拾ってもらって、そのまま学校に紛れ込んじゃった」
『え、何。受けてんの? 夏期講習』
「違う違う。家庭科室。今ごはん食べてちょっと落ち着いたところ」
ああ、なるほど。
と大して意味のない相槌が返ってきたとき、発話の中身とは全く関係のないことに廻は気付く。
「今そっち、周りに誰かいる?」
嶺一の声は普段、もっとでかい。
電話するときはいつも、廻はちょっと携帯を顔から浮かせているくらいだ。何なら、スピーカーにしなくたって机の上に置いて聞こえているときもある。数学で席順通りに指名されていくときの「やべえ演習やってきてねえ!」「ヘルプ!」の声は囁いているはずなのにまあまあ周囲一帯に響いている。多分教壇まで届いているが、優しさで見逃されている。
だから、思った。
妙に声をひそめている。
『――実はさっき、警察っぽいのが来た』
「警察?」
自然、廻の声も小さくなった。
届かないかも。そう思うから、テーブルの方にもう少し近付いた。イルも、怪訝な顔をしつつ同じようにした。額を寄せ合うような形になって、通じるかはわからないけれど、廻は口の前に人差し指を立ててイルにお願いをした。しー。同じポーズで返された。
「え、今周りにいるの?」
『いや、下の階。じーちゃんが弁護士呼ぶっつって中断してる。けど、裏口までパトカー……パトカーじゃねえんだよな。なんか黒塗りっつーの? そういう感じの車で塞がれてんの。やっぱ先に出て正解だったわ』
はあ。
弁護士。
「どういう状況? 取り調べ中みたいな?」
『……今そこ、テレビあるか?』
「あるけど、何。やってるの?」
とりあえず点けてみてくれ、と言われるから席を立った。
とことこイルもついてくる。家庭科室のテレビはこれまた古く、奥行きがある。ビデオデッキなる謎のオプションもついている。埃を被ったリモコンを手に取って、電源ボタンを入れる。点かない。電池かな、と思ったら何とイルが気付いた。コンセントが入っていない。入れる。点ける。
拍手。
「点けたけど。チャンネルは?」
国営、と返ってくるから1のボタンを押してみる。
すると、どういうつもりで嶺一が言ってきたのか、わかった。
『死活問題ですね。ミスティックが入ってこなくなると、国内産業のほとんどが立ち行かなくなります』
大手製造業営業部長なる曖昧な肩書の人物が、なぜか作業着でインタビューに答えている。
『今では半導体技術に欠かせないというのももちろんですが、身の回りの、たとえばインフラ整備にもミスティックは活用されています。これまでの技術と比べれば圧倒的にコストも耐久も優れていますから、この供給が不安定になると、国際競争力どころの話じゃありません。国内需要に対する十分な対応すらできず、日本社会全体に支障が発生するでしょう。企業の自助努力では、限界がありますね。正直』
供給が不安定になると、の部分でちょうど画面が切り替わる。
今日、すでに一度見た光景だった。けれど国営放送だけあって、臨場感が違う。ダンジョンの殺風景が突如吹き飛ぶ。管理団体の関連施設が破損する。現地放送局の二階で激しい揺れが起こって、書類が雪崩を起こす。オレンジ色の火がぼうぼうと燃えて、瓦礫が飛び散って、ほんの小さな影……真っ赤な機体が、稲妻のように切り込んでいく。株式市場の、高いんだか低いんだかわからない数字。大量の問い合わせに対応する証券会社のコールセンター。真夜中に会見する作業着の政府関係者。
夜の東京に、空襲警報みたいなサイレンが響いている。
『では、こうした新型、大型のMEMの出現に対し、我々はどのように対応していくべきなのか。専門家はこう語ります』
『顕在化したリスクにどう向き合うか、ということですよね』
ダンジョンを専門に取材するフリージャーナリスト。
より曖昧な肩書の人物が、真っ暗な背景を背負って語り始める。
『ダンジョンというのは、そもそも未知の空間なわけです。言ってみれば、突然生えてきた。しかしこれは使える。そう思ったから、リスクを取って各国が開発に励んできた。しかし問題は、今回のこれは日本だけで起こったということです。いえね、もちろんダンジョンに関する情報を何もかも機密扱いしてブラックボックスにしている国もあるわけで、本当のところはわからないわけなんですが、少なくとも全世界にこうして公表されたのは日本が最初になる。となると、市場はどう見るか。投資の引き上げも、もちろんありえます。ダンジョンは東京にしかないわけじゃないですから。一方で、今の政府がこうしたリスクの顕在化に対してどういう対処を取ることができるか――』
『なんかさ』
嶺一が、ぽつりと言う。
やはり小さい声で、だから廻は、耳を澄ます。
『戦ってくれって言われてんだよ。こいつらと』
「は?」
『だから、昨日倒したみたいなでっけーのと。うちに来た警察っぽい人たちから』
インタビューは続く。専門家の見解が終われば、今度はEロボパイロットの現状が始まる。何だか妙に明るいトーンで、若い世代の活躍がどうとか、Eスポーツ先進国がどうだとか、そういう話が始まって、街頭インタビューで、一方で嶺一は全然信じられないことを言っている。
『今やってたみたいな話されてさ。で、正直昨日のもヤバかったんだってさ。もうちょっと長引いてたら、しばらくダンジョンも完全封鎖されてたかもって。だから取り調べってーか……これからも似たようなことがあったら、俺に協力してもらえないかって話つけにきたらしいんだよ』
らしいんだよ、と言われても反応が取れない。
久々の感覚を、廻は味わっていた。ものすごく身近で起こったはずの出来事が、テレビを通して聞こえてくる。上手くその距離の整合性を取れなくて、なぜか『身近で起こった』ことの確信の方がなくなっていく。それに影響されるみたいに、少しずつ足のあたりから背中に抜けるようにして、何かが崩れていく心地がする。
『どう思う?』
「どう、って言われても……」
一番嫌なのは、全く納得できない話でもないということだ。
昨日の嶺一は、すごかった。Eロボなんてものすら初めてだった廻にとっては、昨日の巨大なメム……攻撃してくる機械は、とんでもなく巨大な化け物に見えた。それを、ただの高校生が一刀両断。あれをまともに倒そうとしたら、どれだけの資金と労力を要することだろう。
力を貸してくれ、と言われても何も不思議じゃない。
けれどテレビでは、まだダンジョンの話が続いていた。
ひょっとすると、一日中やるつもりなのかもしれない。次は、ヘルメットを被ったレポーターがカメラの前でマイクを握って、中継している。場所は、慌ただしく人が行き交いする国営放送のダンジョン前支局。ドローンカメラが内部に入っていって、映像は次の場所に切り替わる。ちょうど昨日、自分たちがいた場所。
殺風景に残された、爆発事故みたいな破壊痕。
心の底から、廻は思う。
あんなのと、これから何度も戦うって?
ただの高校生が?
「あ、」
本当に普通の、誰でも言えるようなことを、廻は口にする。
「危なくない?」
けれど、案外そういう言葉を嶺一は求めていたのかもしれない。
『やっぱそれが先来るか』
「来るでしょ。普通。ていうかそれ、イルさんはどうするの?」
「お?」
名前を出されたら、流石に自分のことだとわかったらしい。イルが、自分を指差す。廻が頷く。そうなんだよな、と嶺一も相槌を打って、
『その話もどっかでしなくちゃと思ってんだけど。あ、一応今のところは隠し通してるから』
言いぶりに、引っ掛かった。
「……もしかしてそれ、受ける気でいるの?」
『え?』
嶺一自身も、ひょっとすると無意識のものだったのか。あー、どうだろ。そんな相槌を打って、しばらく間が空く。ほとんど、それが答えのようなものだった。
『でもさ。放っておけないだろ』
満杯のゴミ箱でも前にしたかのような、何気ない言い方だった。
『別に、お国のためにとかそんなつもりじゃねーけど。実際、テレビでもやってんだろ。昨日の被害とか。ああいうの見てると他人事じゃないって……いや、他人事なんだけどさ。他人事だから放っておいていいってことにもなんねえし』
正論だ、と思った。
正論だけど、よくそんなこと言えるな、と思った。今更そこにどうこう言うほど浅い付き合いではなかったつもりだけれど、やっぱり廻は、そう思ってしまう。
『いやでも、確かに廻の言うとおりで、俺ひとりがやる気になったからってどうしようもねーんだけど。イルさん……こっちの方が変か。イルって今、そこいんの?』
「ん」
『お』
イルが、自分から携帯に話しかけた。
『今さあ。ちょっとスマホに自動翻訳のアプリ突っ込んでみたんだよ。通話中に勝手に言語検出して通訳してくれるってやつ。何でもいいから、イルに話してみるよう言ってみてくんね?』
もしかしたら、どこの言葉かわかっかも。
と嶺一が言うから、とりあえず廻は、色々と考えることをやめた。正確に言うなら、考えたくないことを避けて、考えてもよさそうなところから手を付けることにした。
「イルさん」
「ん?」
「喋ってみて。この機械に向かって。……えーっと」
なんか、トーク。
と言って、廻は口の前で手を開いたり閉じたりして見る。ついでに口も開いたり閉じたりしている。小学三年のお楽しみ会で『メンダコ』のお題をジェスチャーゲームで引いて、裁縫セットについてる何かだろうと勘違いしたときの記憶が蘇りそうになったけれど、幸い蘇り切る前に伝わってくれた。
「リョーイチ」
『お』
「ホットケーキ、おいしかった。ありがとう」
『検出された。日本語』
うん、と廻は頷いた。
おれにもわかった。
『――え、日本人? シャイなだけか?』
「いや。多分、さっきちょっと喋ってて覚えただけだと思う」
『マジか。それはそれですげーけど……。俺も言っとくか。イル。昨日は色々ありがとな。俺も助かったわ』
「どういたしまして!」
『検出された。日本語』
それはもうわかったから、もう少しジェスチャーを試みた。
「普通に」とか「元の言葉で」とか「いつものやり方で」とか、そういうぼやぼやした指示はひとつも届かない。だから「ありがとう 以外」「ホットケーキ じゃない」「メグル リョーイチ ちがう」なんて、うろ覚えの言葉を検索で突き止めようとするみたいに、しばらく廻は頑張った。
イルは結局、こてんと首を傾げるばかり。
あえて話さないんじゃないか、という気がした。
『なんだそりゃ』
「いや、だって旅行に来た外国人の人だって、ちょっとくらい自分の母語で喋るでしょ。通じないってわかってても」
『……まあ、だわな。ひとりごとくらい言うわ。普通』
「なんか伝わってないっていうか、伝わっててすかされてる気もする。普通に日本語は喋ってくれるし、何か、母語で喋りたくない理由があるのかも」
『なんかあるか? そんな理由。差別とか?』
「どうなんだろ。でも、少なくとも日本語が母語じゃなさそうってところまでは、おれらにも伝わってるってわかってそうだけどね」
もうちょっと仲良くなればかな、なんて牧歌的なことも考える。
牧歌の田園風景に、ふと機械の記憶が混入してくる。
「そういえば、昨日は?」
『ん?』
「昨日。嶺一って確か、イルさんの声、聞いたんじゃなかったっけ」
確か、ダンジョンが崩れる前のことだ。
そうだ。廻は、思い出した。嶺一がテレビの中に入っていて――今考えるとあれも何だったのだろう意味がわからない――Eロボに乗せて出口までと決めて、そして天井が崩落するまでの短い間。嶺一が言っていた。
――日本語でも英語でもない、知らない言葉?みたいな……。
「あれは?」
もしその音を覚えていたら、自分たちでも再現できるかもしれない。
それを手がかりにして、イルが話す言葉を特定できるかもしれない。
そう思って訊ねたのに、すぐには返答がなかった。
「嶺一?」
『……いや、これ。すげー変なこと言うんだけどさ』
いまさら何を、ともちろん思った。
昨日から変なことばかりだ。平凡な出来事を探す方が難しい。だから、廻は止めたりしなかった。『すげー変なこと』なんかいくらだって、好き放題に言わせておけばいいと思っていた。
『あのときなんか、脳に直接信号送られたみたいな感じだったんだよな』
けれど同時に、テレビから爆発音も響いた。
テレビそのものが爆発したのかと思った。けれど、そうではなかった。廻は椅子から転がり落ちそうになる。イルは転がり落ちそうになるどころか、飛び跳ねて机の下に隠れている。大きすぎる音が鳴ると、思考が一瞬飛ぶ。夜道で自動車と正面から向かい合う羽目になった野生動物みたいに、廻の身体は硬直する。反射的に動いた眼球だけが、その原因を捉えている。
点けっぱなしのテレビでは、まだ燃えるダンジョンが映っている。
今は左上に、『Live』の文字が出ていた。
『巨大機械体です! 新たに、新たにダンジョン内に出現しました!』
アナウンサーが、揺れる支局で必死の形相で叫ぶ。
そこからは、爆発的に情報が増えていった。
ティロン、ティロン、と次々に画面上部に白字の警報が現れる。東京ダンジョンで新たに巨大なメムを確認。特殊避難警報発令。画面の左側に青い帯が現れて、立て続けに赤と黄色のL字の帯も現れる。危険。逃げて。大文字のそれが七ヶ国語で次々に表示されて、右下では手話もあって、ほんのわずかに残された中継画面の向こうで再びの炎が燃え盛り、その奥で何か、黒い影のようなものが動いている。
ぴんぽんぱんぽん、と校内スピーカーが鳴ったのは、グラウンドの向こうから市内の防災放送が聞こえてきたのと、ほとんど同時のことだった。
『――廻』
妙に落ち着いた声で、嶺一が言った。
スピーカーやテレビの声に紛れそうで、紛れない。うん、と返した言葉は、多分届いてはいない。けれど嶺一は続けて、
『カバンの中、見てくれ。持っていっただろ』
廻は、それを認めた。
確かに、持ってきている。昨日、家に帰ったときに引っ掴んできた自分のカバン。嶺一の家を出るときに、ぶん投げて渡された。
開けると、昨日初めて見たものが中に入っている。
Eコン。
『それで多分、俺もイルもあっちに行けると思う。イルに渡してくれ』
どういう理屈なのか、全然わからない。
だというのに、嶺一の言葉は確信に満ちていた。
「何、どういうこと?」
『俺にもよくわかんねえ。でも、イルならできると思う』
言っている本人にすらわからないことが、聞いているだけの人間にわかるわけもない。けれど、その言葉の意味がわからなくても、どんな結果が訪れるかの予想はつく。要は、背中を押すか押さないかの話だ。目の前に崖があることをどう評価するかの話だ。テレビから流れてくる警報音とか、今さっきの嶺一の意思表明とか、背中に伝う氷みたいに冷たい汗とか、馬鹿みたいに重たい手の中のEコンとか、そういうのをどう評価するかの話だ。
「メグル?」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
イルが、こっちを見ていた。
問い詰めるような顔じゃなく、ただ、心配するような顔で。
「――あの、」
自分が行くわけでもないのに。
自分が今からあのテレビの中の惨状に割って入って戦うわけじゃないとわかっているのに、それでも勝手に追い詰められた気分になって、廻は、その結果自分が何を言おうとしていたのか、わからない。
驚いて、忘れてしまったからだ。
「廻くん!」
足音が響き始めてから、実際に扉が開くまでに三秒もかからなかったと思う。
「いま警報が鳴って、全員避難した方がいいって、」
駆け込んできた千鶴は、カバンのひとつも持っていなかった。
家庭科室の扉に手を当てたまま、彼女は必死で説明してくれる。今みんなもう動き出しちゃってるから、一緒に行こう。ガスとか大丈夫かな。そっちの子も一緒に――
多分、廻は千鶴がそんな風に息を切らしているところを初めて見た。
球技大会で去年、バドミントンをやっているところは見たことがある。中学の頃はリレーでアンカーを走っていたとも聞いたことがある。手足が長くてすらっとしていて、冬は寒そうで、夏は涼しそうに見える。
その千鶴の首筋に、珠の汗が流れるのを見た。
そんなに必死で走ってきてくれたんだ、と思った。
「――あの、」
もう一度同じ言葉を、今度は全然違う気持ちで、廻は口にした。
なぜ自分がここにいるのか、正直なところわからない。いてもいなくてもいいはずなのに、どういうわけかそこに立っている。前からずっとそうだ。ダンジョンに迷い込んで、暮らしが一変して、そのときからずっと。タイミングが悪い。立ち位置が悪い。自分がいなくても起こるはずの事件の真ん中で、ちょうどボールの邪魔になるところにいつまでも突っ立っている。嶺一が今朝、自分でイルを連れて逃げていたら。そもそも、昨日の夜にEコンを握っていたりしなければ。それはそれで、きっと問題は解決していた。いなかったらいなかったで、上手く回った。廻は、そう信じている。
ならせめて、余計なことで足を引っ張らないようにしようと、そう思った。
「イルさん」
Eコンを、イルに託した。
両手でそっと渡せば、彼女も両手で、そっと受け取ってくれる。伝わるかはわからない。それでもできる限り、きっとこの場所に嶺一がいたらそうしただろうと思うくらいの真摯さで、真っ直ぐに、
「嶺一が、あれを何とかしたいって言ってるんだ」
イルの瞳を見つめて、ボールをパスした。
「お願いしても、いいですか」
言葉が伝わったのか、それとも心が伝わったのか。
イルは、笑って答えた。
「どういたしまして」
◇
光は、家庭科室の中で溢れたものではなかった。
『あっ、今、誰か――』
それはテレビの向こう、ダンジョンの中での出来事だ。
国営放送のヘルメットを被ったリポーターがそう零したとき、民放のカメラも、野次馬のそれも、国が設置した数多くの『配信用』ドローンも、全てが同じ方向を向いた。一瞬の光。白く染まったその次の瞬間、人々を震撼せしめる巨大な機械の正面に、ふたりの人影が現れる。
悲鳴は上がらない。
すでに人々は、それを一度目にしていたからだ。
「――答えてくれて、ありがとな」
少年が告げる。
少女が、その手を取る。
「どういたしましてっ」
感じ取っていないわけでもないだろう。
そのカメラのレンズの前に、心配の代わりに、あまりにも多くの期待があることを。目の前の脅威を前に、その期待がふたりの退路を塞いでいることを。
けれど、まるでそんなもの関係ないとばかりに、少年はその手を握り返した。
「行くぜ!」
接触、と。
言葉にならない声がする。
◇
「えーっと……」
呆然としていた割に、切り出したのは千鶴の方が先だった。
「今、見間違いじゃなければ、人が消えた……ような」
突然のマジックショーを前に、避難のことなんてもう、頭の中から消えてしまったらしい。
千鶴は、ゆっくりと家庭科室の中に入ってくる。廻の隣に立つ。一緒になってテレビを覗き込んで、ついさっきの警報の元である巨大な機械を相手に、赤い、いかにもヒーローなロボットが切り込んでいく姿を見る。
おぉ……と千鶴が呟いて、
「先輩は、昨日のニュースって見てなかったですか」
ようやく、廻も少しは落ち着いて話せるようになった。
嶺一とイルは、まだ二回目だというのに、すっかり慣れた様子だったからだ。素人目に見ても――こんな問題で誰が玄人に値するのだかは知ったことではないが――とても負けそうな気配はない。
だから廻も、ようやく自分を心配して来てくれた人に、説明を始めることができた。
「ニュースって……」
戸惑った風に、千鶴は廻とテレビとを見比べる。一応、とこわごわした口調で、
「見た、けど。こういうのでしょ? ダンジョンの中で、ロボットが戦って……」
「あれ、戦ってたのがおれの友達なんです。八坂嶺一……わかりますか。結構、部活の前とかに覗きに来たりする」
八坂くん、と千鶴はテレビに視線を留めた。
けれど、もうそこには嶺一の面影なんか残っていない。人間とは似ても似つかない――ロボットの中では人間と似ている方かもしれない――赤い機体が飛び回っているのが映るだけだ。
「よかったの?」
と、千鶴が訊いた。
はいともいいえとも答えがたい。どっちだろう、と改めて廻は思考の溝にハマりそうになる。けれど、そういう話でもない。
「私に言っちゃって」
「え?」
訊き返すと、千鶴はどうも、すでに気を遣い始めているらしかった。だからほら、あの。そんなことを言いながら、空になったホットケーキの皿とか、テレビの中とか、そういうものを順番に指差していく。
ようやくわかって、「確かに」と廻は思った。
嶺一の姿は、どうせ昨日の段階でばっちりニュースになっている。
でも、イルがどうこうという話は、今のところ警察ですら知らないはずの情報だ。
「よかっ……すみません。全然考えてなかったです。そういうの」
「大丈夫? これ、人に訊かれたとき私、言っていいこと?」
「秘密にしてもらえると助かります。あの、誰にでも言ってるわけじゃなくて、先輩ならいいかと思って、油断しちゃってただけで」
言葉にするとあまりにも迂闊で、廻は自分で自分に呆れてしまった。
しかし実際、千鶴もこう言っておけば言い触らしたりするような人でもない。だからまあ、大したうっかりではない。そう、いまだに甘えるような気持ちもある。少なくともこの一年と少し一緒にいてこの人の口が軽いと思ったことはないし――
喝采の声がした。
テレビからだ。中継の状況は目まぐるしく変わる。けれど、リポーターが涙目で笑っているのを見れば、大体のところはわかる。
勝った。
「……そっか」
と千鶴が呟いたとき、廻は安堵の息を吐いている。
「じゃあ、さっきのはここだけの――ふたりだけの秘密の話にしておいた方がいいんだね」
「はい。すみませんけど――」
お願いします、とほとんど同時のタイミングだった。
パッ、と宙に女の子が現れて、降ってきた。
「おっ」
「うわっ」「たっ」
何とか、着地は間に合った。
イルが、空から降ってくる猫よろしく、足を伸ばしたからだ。スリッパは、ダンジョンのどこかに置いてきたらしい。裸足が床に着く。そこから改めてバランスを崩して、よろけて、そこにようやく廻と千鶴が間に合う。右から左から、イルを支える。千鶴が訊く。大丈夫? イルが頷く。廻が言う。よかった。
目が合う。
だから改めて、
「怪我ない? ありがとね、イルさ――」
『廻!』
携帯がまだ通話中だったことに、今更気付いた。
『廻! おい、まだそこにいるか!?』
「八坂くん?」
「聞こえてるよ! 何!?」
イルを千鶴に預ける。あまりにも切羽詰まった声色だったから、まさかまだ何かあるのかと、意味もなく廻は携帯に近付く。声を張り上げる。
向こうは、それ以上だった。
『イルと隠れろ! なんかヤバい!』
「なんかって――」
何が、まで要らない。
答えが、向こうから来た。
「動くな!」
銃を持った人間が、複数人で押し入ってきた。
迷彩服を着て、ゴーグルを着けて、車だって蹴って凹ませてしまいそうな土足で、人に向けてトリガーを引いたら簡単にボロ雑巾にしてしまえそうな馬鹿げた仰々しさの銃を構えた人間が、約十人。よくもまあそれで入口でつっかえずに済んだという勢いで、突進みたいな勇ましさで、地方都市の、県立高校の、夏休みの真昼間の、平和な平和な家庭科室に、会議室に象が走ってきたみたいな場違いさで、乗り込んできた。
両手を挙げろと言われるまでは、言われなくても、誰も指一本動かせない。