『あれ、これもう撮れてるかも』
という言葉から、その動画は始まっている。
画角は、妙に斜めだ。屋外で、日の照りが強い。やや白くなった画面の中、夏の暑気に耐えられずに茶色く枯れ始めた雑草を踏んで、サンダル姿の、長身の少年が立っている。おま、と口を開ける。
『かもってなんだ。かもって』
『わかんないんだって。これ、撮れてるかどうかってどこ見たらいいの?』
『中学まで普通にデジタルネイティブだろ? なんでイルの方がスマホの扱いに慣れてんだよ』
『しょうがないじゃん。使ってないんだから』
『撮れてる~?』
下からひょいっ、と自分の顔が覗き込んでくる。
それを見てイルはくすくすと、畳の上に寝転がりながら、スマホを前に笑う。それじゃあ、と動画の中の自分が言うのを、見ている。
『今日は超巨大なシャボン玉を作ってその中に入ってみようと思います。ちゃんちゃらっらっららららんらーん!』
『ジングルなげーし口で言うのかよ』
『……』
『メグルも喋ってよ~! ふたりじゃ盛り上がんないよ!』
『……』
『後で編集で声は消せるから!』
『そんなことできるの?』
『だからなんでイルの方が詳しいんだよ……』
「何観てんだ?」
後ろから、嶺一が覗き込んでくる。
夕方過ぎの、八坂家でのこと。二階の、嶺一の部屋でのことだった。
畳の上に寝そべってイルは、ぐるりと寝返りを打つ。膝を立てて、踵をぱたぱた鳴らして、
「この間のシャボン玉の~」
またかよ、と呆れたように嶺一は言う。横失礼、とイルを避けて部屋の奥に進んで、
「何回観てんだよ、それ」
「だって面白いんだもん」
画面の中で、シャボン玉が割れた。
うわーっ、と動画の中のイルが叫ぶ。虹色のわたしになった!と液まみれで叫んで、嶺一と廻が大慌てになる。何と、カメラ係は仕事を忘れ去った。縁側にスマホが置かれる。ものすごい角度で、大慌ての背中だけが映る。折角面白いところなのに、とにまにま笑いながらイルは、仰向けになってそれを観ている。
嶺一の部屋には、飾り気のない銀色の、何かの特典で貰ったようなアナログ時計が置いてある。時刻は十八時七分十二秒。日の入りの時間が近付いて、妙に濃い橙色の夕焼けが、部屋の中にある全ての影を長く伸ばしている。
ふと、イルは笑みを収めた。
「ねー。メグルって、ほんとに写真とかも全部嫌なの?」
「ん? おお」
嶺一は、テレビを弄っていた。
電源を点けて、床に置いたEコンを操作している。コントローラーと名付けられている割に、この機械は大抵のデバイスの代わりになる。インターネットにも接続できるし、それをテレビモニターに映すこともできる。動画ポータルに繋いで、『あとで見る』を選択。そうして『タキナダEロボバトル集14』が再生され始める。
画面からは視線を外さないまま、嶺一は、
「あいつ、人前全般ダメだかんなー……。高校で卒アルないって聞いて『やった』って言ってたくらいだし。下手したら中学から通して、自分で持ってる自分の写真って一枚もないんじゃねえかな」
ほう、とイルは言う。
動画が終わる。ぱたり、とそれを腹の上に置いて、
「そんな人を強引にダンジョンに引き込んだわけですか。わたしたちふたりは」
「……」
「甘えたカスだ……」
「…………」
無言のまま、嶺一は動画を切り替えた。
日頃からお世話になっている方に。デキる社会人のお中元12選、全部食べてみた。
「え、美味しそう!」
逆さまでそれを見たイルが、がばっ、と起き上がる。
部屋を明るくしてテレビから離れて、なんて気にも留めない。おい、と嶺一が止めるのも聞かない。懐かしい友達でも見つけたみたいに、テレビにずいっと寄りつく。ゼリーの詰め合わせとか、クッキーの詰め合わせとか、そういうのを指差す。
「これやろうよ。これ」
「どこにそんな金が――あるわ」
給料貰ってるもんな、と嶺一はまたスマホを触り始める。銀行のアプリをタップして、口座情報から残高を確かめている。その間、イルは画面に出てくる商品名をひたすらスマホで検索して、保存し続けている。言う。これならメグルも一緒に食べられるし、楽しいでしょ。
今度は、嶺一の方が顔を上げた。
「前から思ってたんだけど」
お前ってさ、と。
「動画とかは口実で、三人で遊びたいだけか?」
「いや、動画は撮りたい。天下も取りたい」
「そのモチベは何由来なんだよ」
「いずれは土下座とかして、メグルにもちょっとだけ出演許可もらう」
「やめろよマジで。嫌がってんだから」
「リョーイチには言われたくな~い」
痛いところを突かれた、という顔。
いやそれはわかってるんだけどだからこそ俺は人一倍周囲に気を配ってだな……と嶺一はうだうだ言い訳を始める。イルは、全然聞いていない。一心不乱に検索を続けている。気付けば最初の動画は終わり、次の動画に映っている。
メモは、それでも止まらない。
その背中に、嶺一は訊ねた。
「……なんで、そんな動画にこだわってんだ?」
今更といえば今更の質問に、あっさりとイルは答えた。
「ひみつ」
「――おぅい」
階段下から、声が上ってきた。
うーい、と嶺一は首で振り返って答える。部屋の襖を開ける。エアコンの冷気は逃げていくけれど、より声は通るようになって、
「そうめん茹だるぞー」
「おいよー」「はーい」
山蔵の声が聞こえるから、嶺一は言う。テレビ消すぞー。ちょっと待ってこれだけ。そう言ってイルはEコンを死守する。スマホをたぷたぷ押す。最後の商品名を打ち終わったとき、もう嶺一は立ち上がって部屋の外に出ている。廊下には、昼の間に散々に育てられた暑い風が溜まっていた。顔を手で煽ぎながら、嶺一は階段に足をかける。待って待って、とイルが後を追ってきて、肩に手を掛けてくる。あぶねーってそれ。そういえば流しそうめんもやってみたいなー。会話になっていない会話を交わしながら、ふたりは階下に下りていく。台所では菜箸片手に山蔵が汗をかき、好きな総菜チンしとけ、と冷蔵庫を指す。ふたりで覗き込む。わたしこれ。じーちゃんどれにすんの。どれでもいい。どれでもいいが一番困んだよなあ。じゃあサンゾーはこれ。リョーイチはこれ。俺のもお前が決めるんかい。
決めちゃうもんね、とイルが笑う。
先週ホームセンターで買ってきた風鈴が、窓辺で揺れている。
◇
五〇〇円、と値付けされたアイスの自販機がスーパーの裏手にある。
そういう、全然知らないことを知る夜だった。
スーパーマーケットに、廻はよく行く。普段から自炊をしているからだ。それでも、高校近くとか、駅近とか、そういう人が集まりすぎるところにはいかない。家からそれほど遠くない旧道沿いの、薬局と抱き合わせの駐車場を持つスーパーに、自転車で行く。駐輪場のいつもの場所に停めて、いつものようにカゴを取って、野菜売り場から奥へと進んでいく。
地方都市の夜というのは、ルール違反の匂いがする。
それは、廻に想像がつかないからだ。こういうところに暮らしている人たちが、わざわざ夜になってから出歩く理由が。駅前の商店街はとっくの昔に寂れ切って、精々飲み屋がいくつか明かりを灯すくらい。教員不足を理由に、どこの部活も十八時とか十九時には終わる。スーパーの特売も大体十八時までには終わってしまうし、売り切れた総菜をわざわざ見にくる理由はどこにもない。地方都市の一日というのは、日が沈めば終わってしまって、それ以降は皆、何か事情があって行動している。そんなイメージが勝手にあって……多分、お菓子売り場ですれ違った子どもがちょっとした駆け足をしていたのも、似たような理由だと思う。
カゴを置く。
エコバッグから取り出した古いキャップを、目深に被る。
普段は使わない側の出入り口から出て、見ず知らずの自動販売機と証明写真機の前を横切っていく。
裏手も駐車場になっているけれど、立地の都合で、こっち側にはさらに人の気配がない。止まっている車は五台ほど。こういうところの駐車場はやけに広いものと相場が決まっているから、いかにも目隠しが少なくて、頼りない。遠くのラーメン屋の看板が監視塔に見える。夜になって湿気を含んだ空気が、何かの気休めになってくれればと思う。
振り返ると、スーパーの頭の上に歩道橋が見える。一応、廻は目を凝らす。
誰もいない。
どこのものかもわからない室外機の傍を通って、隣の駐車場に入っていく。郵便局のものなのか、それとも契約駐車場なのかの判断もつかない。もう少し進むと、黄色い看板のファミリーレストランが見えた。夜も随分と遅くなった時間だから、こっちも大して車は停まっていない。でも、二十三時までは開いている。時給千七百円からホールスタッフを募集している。入口の張り紙にはっきりと書いてある。
もう一度だけ振り向いてから、ドアを押す。
この店、初めて入った。
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
駐車場が空いている以上、店内も似たようなものだった。
室内等の明るさよりも、窓の外の暗さが際立つような寂しさだった。親子連れが一組に、財布を出して会計の相談をしている作業着の男たちが三人。あとは店内が入り組んでいて――
ちらり、と見えた。
「待ち合わせです」
自分の母と大して変わらないだろう年恰好の店員に、そう告げる。深くは訊いてこなかった。ああ、と頷いて、ご注文が決まりましたら、と彼女は去っていく。廻も歩き出す。間違ってませんように。心の中で祈りながら、店のほとんど中心のあたり、曇りガラスで三方を覆ったボックス席へ歩みを進める。
「あの……」
注文は、廻がするまでもなく終わっていた。
テーブルの上には、席を使うアリバイ作りみたいなフライドポテトが置いてある。それから、コーヒーがふたり分。湯気は、まだ立っていた。
「――見張りは?」
顔を上げないままで、その人は言った。
そのまま突っ立っていた方が目立つかもしれない。そう思って廻は、ボックス席に身体を滑り込ませる。そのときもう一度だけ振り向いておく。
「いない、と思います」
「いつも?」
首を横に振って答えた。
三条たちから、そうなってるよ、と明言されたことはない。けれど廻は、ときどき気付いていた。自分たちの周りに、よく見る知らない顔があること。特に電車がわかりやすい。わざわざ廻が嶺一やイルを連れて端の車両に乗るとき、何人か、体格の良い人間がついてきている。それにもうひとつ、比較できる過去があるから、なおさら際立つ違和感がある。あんなことがあったにしては、今の自分の生活は、身の回りは、静かすぎる。
本当のところはわからない。
けれど、もしいたとしても、途中で撒けるようにしてここまで来たつもりだった。
「あまり時間がかかると怪しまれるかもしれないです」
そう、と向こうも頷いた。
「一応、私の方でも先に来て店の中は見ておいた。奥側にはもう一組家族連れと、あとおじいちゃんおばあちゃんの夫婦。それから高校生がひとり。今、一番怪しかった人たちが――」
ごちそうさまでした、とレジから挨拶の声が聞こえる。ありがとうございました。またご利用ください。
「――出ていったから、多分大丈夫だと思うけど」
手早く済ませよう、と彼女は言う。
廻から、口火を切った。
「メモを入れたのはあなた……なんですよね」
「うん。自己紹介、要るかな」
要らない。
あらかじめ、目星をつけてきた。
ポケットにメモが入っていたのは、あの懇親会の日だ。そうなると、あの場にいた誰かが、と考えるのが自然になる。夏だから、それほど厚着をしていたわけではない。薄っぺらの紙きれ一枚とはいえ、それなりに密着するような形でもなければ、自分もその場で気付くはず。そして懇親会では、盛り上がりこそあっても、未成年を相手に羽目を外すような人はいなかった。だから、容疑者はふたり。
ひとりはトイレで会話したストリーマー、真田隆輝。
もうひとりは、酔っ払いの運搬を手伝ってくれた彼女――マックス・ジェットバーン。
調べた。パカパカの、旧式の携帯で。マックス・ジェットバーンはかつて大手企業に属していたバーチャルタレントの名前だ。アニメ調のキャラクターをアバターにして活動する、一種のストリーマー。所属していた事務所が相当やり手だったらしく、十年前には朝の子ども向け番組で『ゲームのお姉さん』として準レギュラーを務め、廻でも知っているくらいには当時の子どもたちに知名度抜群。
彼女は五年ほど前に『マックス・ジェットバーン』としては引退し、三年ほど前に『都築楓子』なる名義で、新たに個人としての活動を始めている。こちらもまたバーチャルタレントで、主な活動内容はEロボを用いたダンジョン探索。本名は、懇親会の最初の顔合わせの記憶を手繰って、何とか名字だけは思い出せた。
白幡。
経歴から見て、多分三十歳は過ぎているはず。外見から細かい年齢を察するのは苦手だから、しない。
「場所」
と、また廻から話を振った。
「よくここに……」
「うん。もうひとりの男の子の方が、色々割れちゃってるから。ここなら近そうかと思って、勝手に。遠かった?」
いえ、と答えながら廻は納得している。
どうしてメモに、家の近くのファミレスが書かれているのか、それが不思議だった。けれど確かに、嶺一から辿ればいい話だ。家ではなく、高校最寄りの駅から行ける範囲として指定したのだろう。それがたまたま、自分の家からひどく近かっただけ。
少し、背筋が寒くなった。
一方的に、自分の生活圏を見透かされていることに。
「時間がないみたいだから、単刀直入に言うね」
そして、遠回りの探り合いはそこで終わりだった。
白幡は一瞬、廻の向こうの通路に目を凝らした。だから、廻も同じようにする。白幡が背にした通路には、誰の姿もない。廻は頷く。白幡も頷く。
それでも彼女は、よりいっそう声を潜めて、こう言った。
「ダンジョン庁の案件、手を引いた方がいい。あなたたち全員、戦争の道具にされるかもしれない」
◇
ピロリロリロ、とスマホが鳴ったとき、ちょうど嶺一は風呂から出たところだった。
二階の方に「空いたぞー」と声はかけ終えていた。イルはいつも、自分が一番最後に入ってお風呂も洗う、と言って聞かない。嶺一も同世代の女子が入った後に風呂にというのも何だか気まずいものがありお言葉に甘えているが、自分が入った後の風呂に同世代の女子が入るというのも、大変恥ずかしい。というわけで地球環境にごめんなさいの上、山蔵が入った後に嶺一が入り、一旦嶺一が風呂を洗い、綺麗にした状態でイルに渡す、という七面倒くさい手順を踏み続けている。毎晩一仕事の気分で、仕事終わりには冷蔵庫から牛乳を取り出して、かーっと一杯やっている。
「うお」
というわけで、びっくりした。
慌てたせいで、若干手に牛乳がかかった。流しで手を洗う。まだ微妙にタオルで拭き取り切れてない濡れた手で、スマホを取る。
三条遥人。
「はい」
『ごめん。出動』
イルは、風呂に入る前に必ず一杯、水を飲む。
だから、浴室よりも先に台所に来た。珠のれんを上げて、電話中の嶺一を発見する。あれ、とジェスチャーをする。指三つ。三条さん?
頷いて、
「場所はいつものとこすか」
『いや、ちょっと遠い。Eコン経由で発着場所の座標を送っておいたから、それをイルくんに読み取ってもらって――』
「了解す。ちょうど近くにいるんで、すぐ行きます」
通話終了。わり、と手短にイルに説明すれば、「お風呂入る前でよかった」と、部屋の中で虫にでも遭遇したみたいな、何とものんきな返事が来る。先に二階に上がらせて、嶺一は居間に向かう。
「じーちゃん」
風呂上がりの山蔵は、今日も真面目な顔をしてペンを握っている。
「電話来たから、行ってくるわ。コップ、帰ってきたら――」
「洗っとくよ」
嶺一を見るでもなく、山蔵は言った。
いつものように、部屋にはラジオが流れている。山蔵が、何気ない様子でボリュームのつまみを上げる。ダンジョン庁から警報が発令されました。東京ダンジョン近隣にお住まいの方は、ダンジョン庁のSNS等から避難情報を確認し、ご自身の判断と責任で行動してください――。
「わり。ありがと……あ、あと。もしかしたら廻がこっち来っかも。そんときは――」
あいよ、とみなまで聞かずに山蔵が言う。もう、何度も繰り返したやり取りだ。今更嶺一も、振り返りはしない。二階に駆け上が――ろうとして、ぶつかりかける。イルだ。彼女は大人しく待ったりしない。Eコン片手に、居間まで降りてきた。
準備万端。
だから、ふたりは言った。
「っしゃ、行くぜ!」
「レッツゴー!」
そうして次の瞬間には、何もなかったかのような静けさが八坂家に訪れる。
山蔵が、ペンを止める。席を立つ。キッチンに残されたコップを手に取る。水を入れて、牛乳の残りを流し出す。真新しいスポンジを手に取って、匂いが残らないよう、ひとり静かに、丁寧に、コップを洗い始める。
ラジオが言う。
それでは、次のニュースです……。
◇
「せ、」
喉が、変な詰まり方をした。
「戦争?」
「まず、今が世界待戦期って呼ばれてるのは知ってる?」
夜のファミレスで、白幡は間髪入れない。こっちの動揺なんてお構いなしに質問を飛ばしてきて、混乱の先まで思考を連れ出そうとする。
「それは、まあ……」
廻は、テレビも見ないしネットもやらない。新聞もほとんど読まない。それでも、授業で突然当てられたときと同じ調子で答えられたのは、授業で扱うこともあるからだ。
ダンジョンが出来てから、世界中の戦争は、一時停止した。
それどころじゃなくなったからだ。
高校受験のとき、時事の予想問題で散々目にして、そのたびに昔のこととか、その当時の自分の置かれている環境のこととかを思い出して、気分を悪くしていた。それだけに、はっきりと記憶に残っている。
ダンジョンに埋蔵されていた新種の金属、『ミスティック』。
この分析過程で顔を見せた『空気電池』だの『常温超電導』だの、景気の良い言葉が、ほとんどの国の方向性を決定した。科学進歩と、社会実装。金と人を食わせる先として、紛争よりも遥かに優先度の高い新たな課題が、世界に現れた。
一時的な、世界平和だ。
もちろん、その先に目を向けることもできる。
誰にでも思いつくようなことを、しっかりと言葉にした人間がいた。ダンジョンがもたらした平和は、一見素晴らしい。しかし実際には、これは単なる準備段階に過ぎない。今、世界は壮絶な技術競争の中にある。この競争の順位が確定したとき、国家間格差が今より遥かに拡大することは、予想に難くない。貧富の差は固定され、最後の勝ち負けが決まる。本当のところ指導者たちは、銃を置いたわけではない。ただ、銃を磨く複雑なやり方に適応しようとしているだけ。銃を扱う以外のゲームの重要度が上がっただけ。
その勝敗が決まる日を、ただ待っているだけなのだと。
ある思想家が定義し、ダンジョン登場以後から今までを、『待戦期』と呼ぶ向きがある。
「そういうあの、経済的な話なら――」
「ううん、本当の戦争」
廻には追い付けない速度で、白幡は答えた。
遊びのない、真剣そのもの口調で、真っ直ぐに廻の目を見つめて、言った。
「あのね。うちはダンジョン条約を批准してるし、配信を前面に押し出してる国だから、実感がないと思うんだけど。他の国だと、ガンガン軍隊をダンジョンに送り込んでミスティックの採掘をしてるし、色んな手続きを無視してダンジョンで新しい技術の実験をしたりしてるの」
聞いたことはなかった。
けれど、聞いて納得できない話ではない。
だって、廻だって思った。Eロボがどうとか、そういう話が出てきたとき。それを配信してエンタメとして消費するという話を聞いたとき。なんでそんな遊びみたいなことをしているんだろう。そう思った。戦車でも戦闘機でも、初めから『敵』と戦うものは用意されているはずなのに。個人個人の活躍なんて不安定なものに頼らなくったって、国でも大企業でも、初めから綿密な計画を立てて、人も機械も大量に使って、一気にやっちゃえばいいのに。こんなに広くて誰もいない場所なんだから。空港とか、発電所とか、軍事施設とか。ダンジョンは何もない場所で、地域住民の意向調査も必要なくて、建て放題なんだから。
以前にそう零したとき、三条の答えは「条約も憲法もね」の短いものだったけれど――
「当然、その技術の中には兵器開発も含まれてる」
きっぱりと、白幡は言った。
「世界待戦っていうのはドイツで提唱された概念なんだけど、元々は単なる経済格差の固定だけじゃなくて、そういう兵器開発がもたらす破滅的かつ一方的な侵略戦争の発生まで見据えた言葉なんだよ。実際今、一部の国ではダンジョン周りに公害が漏れ出てるって問題が報告されていて、取材したジャーナリストの不審死も――」
廻は、怖くなった。
戦争とか、戦争に加担するだとか、兵器だとか。そういう言葉が急に目の前に現れたから。もちろん、それもある。クリムゾン・スパーク。ブルー・ドッグ。それまで「なんか子どもの頃に見たアニメみたいだな」なんてのんきに捉えていたその感触が、急にざらつき始めた。普段、普通に接していたダンジョン庁の人たちが、本当は何を考えていたんだろうと不安になり始めた。自分の行く先が、いる場所が、また霧に包まれて見えなくなった。
それ以上に、手を伸ばせば触れる距離にいる人が、大真面目に『戦争』とか『世界の真実』を語ってるのが、怖かった。
「あの、おれ、」
だから、逃げるように割り込んだ。
「そういう話は、ちょっとよく――」
「DMも来てるんだよ。私たちみたいなストリーマーにも」
でぃーえむ、を正しく理解できる背景知識がない。
何の話だ、と思う。
「タキナダくんみたいな人だけじゃなくて、私たちみたいなライト層にまで来てるの。他の国から、機械翻訳にかけた口調で、『うちの国でオペレーターをやりませんか』ってスカウトが。だからこの間の懇親会も、この国なりの抱え込みなんだと思ってる。ましてあなたたちみたいな――」
「すみません」
できるだけ冷たい口調に聞こえますように。
祈りながら、廻は言葉を遮った。
「心配してくれてるのはわかるんですけど、ちょっと、いきなりすぎて。職場の人にそれとなく訊いて――」
「それ以外にして」
やり返される。
向こうは、廻よりもずっと真剣な口調だった。
「親御さんでも、学校の先生でもいいから。いきなりこんなこと言われて戸惑う気持ちはわかるけど、絶対に、職場以外の、信頼できる人に相談して」
お願い、とまでついてくるから、なおさら押されて、
「いや、でも、」
「子どもを戦わせる大人って、まともじゃないの」
その言葉が、一番刺さった。
聞き覚えがあったからだ。直接ではない。嶺一の口から。
――子どもの身柄を押さえて前線に送り出そうとする奴らなんて、ろくなもんじゃない。
それは、目の前にいる知らない大人の言葉じゃない。
遊びに行けば麦茶を出してくれたり、夕食の心配をしてくれたり、いざというときには弁護士まで雇って庇ってくれる、それなりに身近な大人の言葉だ。
「それにね。あなたたちが所属してる特殊装備室。あそこは、何か隠してる」
「――え?」
「あそこの室長っていう人、あなたは見たことある?」
だから、話に乗ってしまった。
いえ、と首を横に振った。これまで一度も、会ったことがない。副室長の三条とはよく会うけれど、その上は一度もない。そういうものなんだと思っていた。現場には出てこない人なんだと。忙しいから、自分たちが行くような時間帯には常に外を飛び回っているのだと。
名刺だけは、その三条から貰ったことがある。
確か、名前は――
「小笠原公彦。その人、多分存在しない」
信じられないことを、白幡は言った。
「色々つてがあって調べてみたんだけど、この人――ほんっと、急にゲームがダメになっちゃってね。もしかして老眼なのかなあとか思うわけよ。いやー。若いってほんといいことだよ。自覚ないだろうけど」
耳が壊れたのかと思った。
それか、知らない言語で喋り始めたのかと思う。そのくらい一息に、廻は文脈を見失った。
「老眼って名前の割に四十歳前後で始まるんだって。いやー、勘弁してほしいよね。『老』て。この国の平均年齢って今五十歳とかなのにだよ? でも実際、FPSとかねえ。なんか急に反射神経が耐えられなくなっちゃって。マックスを辞めたのも正直、子どものことよりそっちの衰えの方が大きいかなー。スキル売りに限界が来たっていうか」
何が起こったのか理解するのに、三秒を要した。
後ろから、足音が近付いてきている。
誰かに話を聞かれないようにしたのだ、と気付く。気付くまでに要した三秒が、致命的な過ちになりませんようにと願う。少し身体を内に向けた。キャップを深く被り直して、話を合わせた。
「そうなんですか。おれ、あんまり自分ではゲームやらなくて」
「あ、ほんと? まあねえ。今はゲームも進化しすぎて子どもが気軽に手を出せるものじゃなくなっちゃったし。でもほんと、結構がっくりくるよ? 運動とかは仕方ないなと思うけど、真剣に毎日やってるものが衰えるんだったら、もう終わりじゃんって」
視界の端に、エプロンの端が見えた。
店員か、と安心した。白幡も、多分そうだ。表情が心なしか明るくなる。もしかすると、と廻は思う。いつまでも自分が注文しないから、催促に来たのだろうか。それともコーヒーのおかわりか。それはそれで新たな問題が目の前に現れる。それを受け入れるか否か。この場にもっと長く留まるか、それとも去るか。何にせよ、誤魔化しはまだ続く。
「まあでも、仕方ないよね。小学生の頃から見てました、なんて言ってくれる子が――」
いるくらいなんだから、という言葉に、こんな音が重なった。
ぴん、ぽーん。
凍ったのは、廻だけじゃなかった。白幡も。驚いた顔をして、見上げている。ファミレスの制服を着た誰か。テーブルの横に立っている誰か。呼び出しボタンを、指で垂直に押し下げた誰か。
ぴん、ぽーん、と。
何度も何度も、何度も何度も何度も何度もボタンを押す、誰か。
廻はキャップを、深く被りすぎていた。これだけ近くにいるのに、隣に立っているその誰かの顔が見えない。見えないままの方がいいのかもしれない、と思う。このまま席を立って、走って逃げた方がいいのかもしれないとも思う。そっちの方が、ずっと適切な行動なのかもしれないと思う。
けれど廻は、その指先の形に覚えがある気がして、顔を上げてしまった。
「いらっしゃいませ~」
顔も、知っていた。
ここにいるはずのない人だった。
受験勉強で忙しいはずだった。ひとつ上の先輩のはずで、部活も同じはずで、廻の携帯に登録されていたこの間までたったふたりの家族以外の人で、なぜかファミレスの制服を着て、にっこりと笑って、見下ろして、
「ご指名いただきました、小笠原公彦です」
梓間千鶴が、テーブルの横に立っている。
◇
「あん? これ――」
「厄介くんだね」
ダンジョンに入って、ふたりはすぐに気が付く。
だから、迷いなく三条に連絡した。
「三条さん。これ、クリスパじゃきつい――うおっ!」
向こうの先制攻撃だった。
壁をぶち抜いて、光線が飛んでくる。この数週間、もちろん彼らは遊んでいたわけではない。クリムゾン・スパークに搭載されてる解析機能の使い方もわかって、相手の姿も見えないうちから大体の力を読み取って、だから、死角から飛んできたはずの攻撃も、センサーの表示を元に、すんでのところで回避する。
それでも舌打ちは出て、
「イル、損傷ないか!?」
「ないよ~ん」
けれどもちろん、向こうも一発で手を休めるはずもない。
乱れ撃たれる光線を、赤い機体は次々に避けていく。射角と威力から、大体の位置を特定する。壁を破壊する技は、正直なところあまり得意ではない。それでも生成した赤い剣を片手に、距離を詰めていく。
そうして、それ以上は踏み込めない、という間合いが訪れる。
「三条さん、これ高出力タイプ! 俺らだけじゃ無理!」
「でも、ダンジョンの結構深いところだからね。メグルと連絡取れるまで、結構待てますよ~ん」
慣れたものだった。
お決まりの手順といえば、お決まりの手順だ。別に、嶺一とイルと廻はいつも一緒にいるわけではない。だから大抵の場合、先に嶺一とイルが出る。その後から、ダンジョン庁を通して廻に連絡が行く。向こうが待機状態に入れば、それで初めて、連携が始まる。
ここ最近、以前に倒した一角獣のような、クリムゾン・スパーク単騎では攻略しがたいギガメムが増えてきた。そのたびに、ブルー・ドッグに交代して、向こうの攻撃能力を削って対処してきた。
だから、嶺一もイルも動じない。
いつもの流れを待っている。
『――いやあ、それがさあ』
けれど、妙に歯切れの悪い返答が返ってくる。
えっ、と嶺一がそこで初めて焦る。向こうの攻撃の手は止まらない。高機動で誤魔化しながら、慌てて訊ねる。なんすか何か問題すか。一秒、さらに間が空く。
実はね、と三条が言う。
『卯井くん、退職するんだって』
◇
「小笠原、」
と復唱したのは、白幡の方が先だった。
けれど彼女も、混乱していないわけではない。立ち上がりもせず、目の前に現れたその人物を見上げて、
「だって、高校生くらいじゃ、」
「高校生ですよ。工学の博士号も持ってますし、色々噛ませて国家公務員もやってますけど」
どうぞ、と彼女は机の上に名刺を滑らせた。
ダンジョン庁技術推進部技術開発課特殊装備室室長、小笠原公彦。
何が何だか、廻には全くわからない。
「監視してたの?」
「どちらかと言うと、監視が上手くいかなかったから私が直で来ました。実動員の警備って、今の管轄はうちじゃなくて別のところなんですけど、まあ、どういうモチベーションでやってるんだか……。正直、この子がこのお店に入ってきたとき、びっくりしました。高校生の素人が、簡単に抜けられちゃうんだって」
千鶴が、こっちを見た。
目が合う。笑う。まるでいつもと変わらない、優しい微笑みだった。
「――待ち伏せ」
「ちゃんと盲点でした? 高校生」
「前から私に目を付けてたの?」
「いえ、別に。そういうお話をされてる方、ひとりやふたりじゃありませんから。いちいち気にしません。小笠原公彦のことも、その筋では公然の秘密ですし。私、省庁を跨いで色々やることも多いので、そもそもそんな本気で情報封鎖しようとは思ってないんですよ。こういうのは『封鎖してるぞ』っていうポーズが大事なので、それだけです」
ただ、と。
千鶴は、白幡と話している間も、ずっと廻を見つめていた。それでいて決して、何かの言葉も、反応も、求めてはこない。
「この子、普段はインターネットなんか使わないのに、急にあなたのことを調べ始めたので。ちょっとだけあなたのカーナビで、目的地を覗かせてもらいました」
白幡の反応が、少し遅れた。
「え、」
噛み砕いて、
「通信傍受までしてるの? この子のも? そんなの――」
「合法になってますよ。三年前から、令状なしでも。でも、白幡さんのは防諜法で引っ張ろうと思えば引っ張れます。もう少し気を付けて喋るようにしてくださいね。話の通じないのって、いっぱいいますから」
廻はこの人と、長い付き合いのつもりでいた。
高校に入学してから、一年と少しが経つ。たったの一年、と呼べるほど長くは生きていない。だから思っていた。同じ部活なのは、自分だけだから。放課後も、よく一緒に過ごしていたから。たまに電話だってしているから。本当に珍しく、自分から連絡してもいいと思える人だから。向こうから連絡が来ても、怖くない人だから。
自分のことをよく知っているはずの、ふたりのうちのひとりだから。
でも、逆は?
「それで、卯井さんにも上司としてお伝えしたいことがあるんですけど」
そうして彼女は、今日になって初めて廻に語り掛けてきた。
他人行儀の口調で、
「今、警報が出てるのは知ってますか?」
「けい、」
慌ててポケットを探った。
携帯を取り出す。確認する。着信。そんなものは、入っていない。
『――東京ダンジョン。現場に中継を繋ぎます』
代わりに、テーブルの向かいから声は聞こえてきた。
白幡も、廻と同じ行動をしていた。彼女もスマホを取り出していた。着信を確認する代わりに、どこかのライブ中継に繋いでいた。
「あのそれ、見せてください!」
もう廻の頭には、「夜のファミレスだから多少声は抑えよう」とか、そんな考えの居場所はなくなっていた。立ち上がって、手を伸ばす。白幡は戸惑いながらも、スマホを渡してくれる。流石にひとりで独占はしない。テーブルの上に置いて、横向きにして、廻は無意識のまま全員が見えるような形にセットする。ここ最近、嶺一とイルが同じことをよくやっていた。
粗い画質で、けれどダンジョンの中、クリムゾン・スパークが戦っているのが見える。
「すみません! おれすぐに――」
「卯井さん」
ボックス席から抜け出そうとすると、腕を掴まれた。
ひんやりした、幽霊みたいな手だった。
「そのまま、よく見ていてくださいね」
逆の手で、彼女は自分のスマホを握っている。見もしないで、その指を動かす。ダイヤル音が聞こえてきて初めて、廻にも千鶴が何をしているの、わかる。
特装室の室長は、電話を掛けた。
「『ヤサカニ』の使用、許可します」
「――了解」
ダンジョン庁九階、オペレーションルーム。
答えたのは、銀色のピアスを嵌めた男だった。
部屋の中央に、仰々しい椅子が置かれている。着座すれば人体を強制的に一定の形に嵌め込むような曲線を持ち、男は脱力し、その曲線に従っている。静かに息を吐く。
額から鼻までを覆う、これもまた仰々しいHMDを装着していた。
男の目が動く。ディスプレイには巨大なパノラマの映像が映る。男は、その画面の中を激しく動き回る赤い機体に、
「おい」
『――リョーイチ! 通信、割り込まれてる!』
『あぁ!? なんだそりゃ――』
こう呼びかける。
「道を開ける。突っ込め」
そうして、黒い機体は現れた。
それは、クリムゾン・スパークやブルー・ドッグとは比べ物にならない無骨な機械だった。鋭角も流線も、その印象には大して現れない。意匠の要請としてではなく、技術の限界として現れた巨大で鈍重なフレームと装甲が、戦闘の間に、強引に割って入ってくる。
良い的だった。
だからギガメムは、狙いを変えた。赤い機体から黒い機体に、砲塔を向け変える。光線がチャージされる。放たれる。
その瞬間に、差し込んだ。
「発射」
奇妙な波動が、黒い機体から放たれた。
ベンタブラックの凹凸を見分ける能力が備わっていれば、発見も可能だったことだろう。黒い機体の右腕には、長い腕輪のような装備が搭載されている。ギガメムの放った光線が、その腕輪から溢れ出す波動に中和されていく。
何が起こったのか、原理を知らない者にはわからない。
それでも、場数を踏んできた彼らだから、タイミングだけは逃さなかった。
「――ぉおお!」
道は開かれ、赤い機体は乗り込んだ。
後は、語るべきことは何もない。稲妻が巨木を目掛けて落ちるように、ただ真っ直ぐに、切り込んだ。
斬り捨てた。
一瞬の後、激しい音ともにギガメムが爆ぜる。
歓声が上がった。いつものことだ。嶺一は、それを気にしない。イルもまた、それを気にしない。十分な距離を取り、赤い機体から抜け出して、燃え盛るギガメムの残骸を遠くに、目の前の黒い機体を仰ぎ見る。
呆然と、呟いた。
「なんだ、こいつ……」
その姿は、オペレーションルームにも映っている。
歓声は鳴り止まない。職員たちは、皆が巨大モニターを見上げている。三条が手を叩き、後処理の指示を出す。それら全てに関わりないような顔をして、ピアスの男は、HMDを取り外す。
彼の顔に、歓喜の色はない。
眉根を寄せて、巨大モニターを見上げて、ふん、と鼻であしらうように、
「くだらない仕事だ……」
真田隆輝は、小さく舌打ちをした。
そして地方都市の、夜中の、寂れたファミレスでも同じ映像が流れていた。
状況が終了し、中継が終わる。何もできずに見ていただけの少年は、続くニュースの画面をただ眺めている。腕を握られたままで、顔も上げられなくて、
「卯井さん」
満面の笑みで、こう言われる。
「今までありがとうございました。もう、八坂さんとイルさんだけで結構です」