五歳児たちは、転生よりも「この人を助けて」を選びました 作:ぶるぶるメタボ
天界。
どこまでも白い空間の中に、一人の女神がいた。
そして彼女の目の前には、一つの映像が浮かんでいる。
映し出されているのは夜の大地。
ナザリック地下大墳墓――だった場所から、遥か遠くまで吹き飛ばされた一体の骸骨。
「殺さないでくれ!」
「…………」
「頼む!」
「…………」
「命だけは――」
「……は?」
「…………」
女神は黙って映像を見つめていた。
映像の中にいるのは、アインズ・ウール・ゴウン。
つい少し前まではナザリック地下大墳墓の絶対者として玉座に君臨し、数多くの異形たちから忠誠を捧げられていた存在だ。
その彼が今、一人の少女を見上げながら地面に倒れている。
アルシェ・イーブ・リイル・フルト。
本来ならシャルティアに捕らえられ、そこで人生を終えるはずだった少女。
今やアインズは、その少女を前に完全に怯えていた。
「…………」
女神は少し考えた後、小さく頷いた。
「まあ……こうなりますよね」
当然と言えば、当然だった。
アルシェに与えた力を選んだのは自分なのだから。
五歳の女の子から、
『ぜったい、いじめられないやつ』
と頼まれ、考えた末に与えたものは、とにかく圧倒的な身体能力だった。
相手がどれだけ強かろうと。
どんな防御を持っていようと。
たとえ世界の法則そのものに守られていようと。
そんなものを拳一つで突破してしまえるほどの力。
「シャルティアさんを一撃で吹き飛ばせるようにしたのですから、当然と言えば当然ですね」
映像の中では、アインズが震え、反対にアルシェが困惑している。
「…………」
女神は少しだけ眉を下げた。
「……ちょっと、可哀想でしょうか」
さすがに少しだけ同情した。
あの世界で多くの者を踏みにじってきた存在とはいえ、自分が絶対者だと思っていたところへ、突然世界の理屈そのものを拳で無視する少女が現れたのだ。
しかも当の本人にすら、何が起きているのか分かっていない。
「…………」
女神はもう一度アインズを見る。
「まあ……ちょっとだけですが」
本当に、ちょっとだけ。
そう思った。
その時だった。
女神の周囲に、別の光が灯る。
一つ。
二つ。
三つ。
「……?」
振り返ると、そこには別の映像が浮かんでいた。
「これは……」
女神の目が細くなる。
今まで見ていた世界とは違う。
同じ『オーバーロード』という世界。
同じナザリック地下大墳墓。
同じアインズ・ウール・ゴウン。
しかし、少しずつ違っている。
別の可能性。
別の園児たちの願いによって、本来の運命から外れ始めた世界だった。
女神は、そのうち一つへ視線を向けた。
◇ ◇ ◇
湖と湿地に囲まれた、リザードマンたちの集落。
戦いは終盤を迎えていた。
「ハァ……!」
ザリュース・シャシャは全身傷だらけだった。
呼吸は荒く、武器を握る手も震えている。
その前に立つのは巨大な影。
コキュートス。
ナザリック地下大墳墓第五階層守護者にして、武人。
そして圧倒的な強者。
本来なら勝敗など考えるまでもなかった。
ザリュースは勇敢であり、優れた戦士でもある。
それでも、届かない。
そういう存在だった。
「見事ダ」
コキュートスが武器を構える。
「オ前ノ勇気、ソシテ仲間ヲ守ロウトスル意志。敬意ヲ表スル」
ザリュースは荒い呼吸の中で笑った。
「……そいつは、どうも」
足はもうほとんど動かない。
身体も限界だった。
それでも、後ろには守るべき者たちがいる。
クルシュ。
仲間たち。
同胞。
死にたくない。
それでも、退くことはできなかった。
コキュートスが武器を振り上げる。
「サラバダ。ザリュース・シャシャ」
そして、振り下ろした。
その瞬間。
「……?」
ザリュースの身体に、何かが起きた。
冷たい。
だが、不思議な感覚だった。
恐怖ではない。
むしろ優しい。
小さな誰かに背中を押されたような、そんな感覚。
――がんばって。
知らない声。
幼い、子供の声。
「…………」
ザリュースの目が見開かれる。
コキュートスの武器が迫る。
ザリュースは無意識に手を前へ出した。
次の瞬間。
世界が白く染まった。
「――!?」
コキュートスが初めて驚愕する。
冷気。
いや。
そんな生易しいものではない。
空気。
地面。
水。
その全てが、一瞬で凍結した。
「ナ――」
コキュートスの言葉が途中で止まる。
巨大な身体が一瞬にして氷に覆われていく。
腕。
脚。
胴体。
顔。
完全凍結。
「…………」
ザリュースは手を伸ばしたまま固まっていた。
「…………は?」
周囲のリザードマンたちも沈黙している。
クルシュも何も言えない。
ザリュースは氷像となったコキュートスを見て、それから自分の手を見る。
「……俺」
もう一度、氷像を見る。
「何した?」
誰も答えられなかった。
◇ ◇ ◇
天界。
「…………」
今度は女神が沈黙していた。
「……なるほど」
思い出す。
少し前、この場所へ来た一人の男の子。
映像の中で、必死に仲間を守ろうとするザリュースを見た。
男の子は泣いた。
『このトカゲさん、しんじゃうの?』
女神は答えた。
『このままなら、そうなります』
男の子は少し考えた後、言った。
『じゃあ、ぼくの、てんせー。このひとにあげる』
女神は映像へ視線を戻す。
そこには氷漬けになったコキュートス。
「……少々、強くしすぎたでしょうか」
しかし、映像はまだ終わっていなかった。
◇ ◇ ◇
ナザリックへ報告が届く。
コキュートス敗北。
信じられない報告だった。
守護者たちは激昂した。
主への忠誠。
同胞を倒された怒り。
そして、リザードマン討伐が開始される。
だが――。
「うおおおおおお!!」
ザリュースが腕を振るった。
吹雪が爆発し、大地が凍りつく。
「な――!?」
アルベドが氷壁へ叩きつけられる。
「馬鹿な!?」
デミウルゴスの翼が凍結した。
そこへシャルティアが迫る。
「下等生物がぁぁぁ!!」
ザリュースが振り返る。
「来るな!!」
冷気が爆発した。
「ひゃああああああああ!?」
シャルティアが凍ったまま吹き飛んでいく。
そして最後に残ったのは――。
「…………」
アインズだった。
装備はボロボロ。
周囲には倒れた守護者たち。
その目の前にはザリュースがいる。
「…………」
アインズは沈黙する。
ザリュースが一歩近づいた。
「待て」
もう一歩。
「待て!」
さらに一歩。
アインズは杖を上げた。
「ひぃぃぃ!!〈ゲート〉ッ!!」
空間が開く。
アインズは迷うことなく飛び込み、その場から消えた。
「…………」
ザリュースは足を止める。
「……逃げた?」
◇ ◇ ◇
天界。
「…………」
女神は二つの映像を見比べた。
一方では、地面に倒れて命乞いしているアインズ。
もう一方では、恐怖のあまり〈ゲート〉へ飛び込んで逃走するアインズ。
「…………」
女神は少しだけ表情を曇らせた。
「……大変ですね」
アインズへの同情が、ほんの少しだけ増えた。
そして次の映像へ視線を向ける。
そこに映っていたのは、一人の女性だった。
美しく、優しげな女性。
カルカ・ベサーレス。
ローブル聖王国の聖王女。
民を愛した統治者。
そして本来なら、あまりにも残酷な運命を迎える者。
「…………」
女神の顔から少し笑みが消える。
この運命を見せた時、ここにいたのは小さな女の子だった。
『このお姉ちゃん、どうなるの?』
『…………』
『このおっきいのに、つかまっちゃうの?』
『……はい』
『いたいこと、される?』
女神は嘘を言えなかった。
『……はい』
女の子は泣いた。
『かわいそう』
そして、やはり言った。
『わたしのぶん、このお姉ちゃんにあげて』
「…………」
女神は映像を見る。
◇ ◇ ◇
聖王国。
炎。
悲鳴。
悪魔。
絶望。
そして、巨大な悪魔の手。
ヤルダバオト。
そう名乗る存在。
その正体は、ナザリックの計画によって役割を与えられた憤怒の悪魔。
その手がカルカへ伸びる。
「くっ……!」
捕らえられ、身体が持ち上げられた。
人間一人。
悪魔にとっては武器。
ただの道具。
これから彼女自身が生きた棍棒として振るわれる。
――はずだった。
「…………」
カルカの目が変わる。
次の瞬間。
憤怒の悪魔の腕が止まった。
「……?」
力が入らない。
違う。
カルカが片手で、悪魔の指を押さえている。
「…………」
カルカ自身も驚いていた。
「これは……?」
何が起きたのか分からない。
けれど、今なら動ける。
そして目の前にいるのは、自分の民を殺した悪魔。
カルカの瞳に怒りが宿る。
「私の国を」
悪魔の指を一本ずつ外していく。
悪魔は抵抗できない。
「私の民を」
最後の指を外し、悪魔の手から降り立つ。
「これ以上――」
地面を踏みしめる。
「傷つけないでください!!」
一気に踏み込み、拳を悪魔の腹部へ叩き込んだ。
ドゴォォォォォォン!!
巨大な憤怒の悪魔の身体が、くの字に折れる。
「――!?」
そのまま吹き飛び、建物を破壊しながら地面を転がった。
カルカが追う。
「待ちなさい!」
悪魔が立ち上がり、攻撃を振るう。
カルカは片手でそれを受け止めた。
「…………」
悪魔には理解できない。
カルカはその腕を掴む。
「あなたは――」
そのまま持ち上げる。
「何なのですか!!」
悪魔を地面へ叩きつけた。
ズドォォォォン!!
「グ――!」
さらにカルカが拳を振り上げる。
悪魔は焦った。
あり得ない。
こんな情報はない。
この人間はただの聖王女。
なぜ。
どうして。
「ア、アインズ様――!」
言った。
言ってしまった。
カルカの拳が止まる。
「…………」
悪魔も固まる。
カルカの表情が、ゆっくりと変わった。
「……今」
静かな声。
「何と?」
「…………」
悪魔は答えない。
「アインズ」
カルカが繰り返す。
「そう言いましたね?」
「…………」
沈黙。
それが答えだった。
カルカの瞳から迷いが消える。
「……分かりました」
◇ ◇ ◇
数日後。
聖王国には生き残った者たちが集められていた。
その前にカルカが立つ。
「調べてください」
静かな声で告げる。
「アインズという名を」
側近たちが顔を見合わせた。
「陛下、それは……」
「徹底的に」
カルカの声は穏やかだった。
だが、その目は冷たい。
「この国を襲った者たち。その背後に何がいるのか」
拳を握る。
「必ず、突き止めます」
◇ ◇ ◇
天界。
「…………」
女神は無言だった。
アルシェの世界では、アインズが命乞い。
ザリュースの世界では、アインズが逃走。
カルカの世界では、ナザリックへの報復準備が始まっている。
「…………」
女神はゆっくり呟いた。
「ちょっと……」
一度止まる。
そして訂正する。
「……だいぶ、可哀想になってきましたね」
もっとも、自業自得でもある。
女神もそれは分かっている。
それでも、どの世界でもアインズが酷い目に遭っているのは確かだった。
「…………」
女神は次の映像を見る。
そして、また沈黙した。
◇ ◇ ◇
リ・エスティーゼ王国。
戦士長ガゼフ・ストロノーフ。
対するは、アインズ・ウール・ゴウン。
一騎打ち。
ガゼフは分かっていた。
勝てない。
相手は怪物だ。
強い。
あまりにも強い。
それでも戦う。
王国の戦士長として。
ガゼフは剣を握った。
「参ります」
「うむ」
アインズも構える。
そして魔法を発動した。
「〈タイム・ストップ〉」
世界が停止する。
――はずだった。
「…………」
アインズが違和感を覚える。
何かがおかしい。
止まった世界の中で、一つの音がした。
ザッ。
「…………?」
ガゼフの足が動いた。
「…………」
アインズの思考が止まる。
いや。
時間そのものは停止している。
「……何?」
ガゼフが一歩踏み込んだ。
その瞬間。
パリン。
何かが割れたような音がした。
時間停止という現象そのものが砕ける。
「…………は?」
アインズの口から声が漏れた。
ガゼフが剣を抜く。
「おおおおおおお!!」
「待――」
斬撃。
アインズの身体が吹き飛ばされた。
「ぐおっ!?」
地面を転がる。
ガゼフは自分の剣を見る。
「…………」
次に、地面へ倒れたアインズを見る。
「…………」
そして。
「……勝った?」
本人が一番信じられていなかった。
◇ ◇ ◇
天界。
「…………」
女神は何も言えなかった。
目の前には四つの映像。
アルシェ。
ザリュース。
カルカ。
ガゼフ。
そして、その全ての世界で。
アインズが酷い目に遭っている。
「…………」
女神はしばらく考えた。
そして、本当に申し訳なさそうに呟く。
「……ごめんなさい」
誰に謝ったのか、自分でもよく分からなかった。
「やったぁ!」
突然、後ろから声がした。
女神が振り返る。
そこには一人の園児がいた。
先ほどまでガゼフの映像を見ていた男の子だ。
「おじちゃん!」
嬉しそうに跳ねる。
「かった!」
ぴょん、ぴょんと。
本当に嬉しそうだった。
「…………」
女神はその姿を見つめる。
やがて男の子の身体が淡く光り始めた。
「あ」
自分の手を見る。
透け始めている。
もう時間なのだ。
転生権を他人へ譲った。
だから、この子も元の世界の魂の流れへ戻る。
女神は男の子へ尋ねた。
「……後悔していませんか?」
「こうかい?」
「あなたはもう、別の世界で新しい人生を始めることはできません」
「…………」
男の子は考えた。
難しい言葉だから、完全には分からない。
それでも女神が何を聞いているのかは、なんとなく理解したらしい。
男の子はガゼフを見る。
「でも」
そして笑った。
「おじちゃん、たすかったよ?」
「…………」
「だったら、よかった!」
満面の笑顔。
女神は何も言えなかった。
男の子の身体がさらに薄くなる。
「女神さま!」
「……はい」
「ありがとう!」
「…………」
「おじちゃん、たすけてくれて、ありがとう!」
まただ。
同じだった。
女神の胸の奥で、何かが動く。
違う。
私ではない。
助けたのはあなた。
自分の新しい人生を差し出した、あなたなのに。
どうして、私に「ありがとう」と言うのですか。
「……こちらこそ」
気づけば、女神はそう答えていた。
男の子は嬉しそうに笑う。
そして、その姿は光となって消えた。
最後まで、笑顔だった。
◇ ◇ ◇
静寂が戻る。
女神は一人になった。
周囲には、運命を変えられた者たちの映像がいくつも浮かんでいる。
アルシェ。
ザリュース。
カルカ。
ガゼフ。
そして、まだ他にもいる。
「…………」
女神は目を閉じた。
最初、あの女の子を変わった子だと思った。
珍しい。
そう思った。
長くこの役目を続けていれば、たまにはそんな魂もいる。
そう考えた。
でも違った。
二人目も同じ。
三人目も同じ。
四人目も。
そして今、また一人。
「…………」
女神は呟く。
「この子たちは……何なのですか……?」
性格は違う。
最初の女の子はお母さんが大好きだった。
二人目の男の子は少し怖がりだった。
別の女の子はよく喋った。
今の男の子は元気だった。
みんな違う。
どこにでもいる普通の、幼い子供たち。
なのに、一つだけ同じだった。
映像の中で誰かが泣いている。
誰かが死にそうになっている。
誰かが家族の元へ帰れない。
それを知った瞬間。
全員、同じことを言う。
――かわいそう。
そして、自分に与えられたたった一度の奇跡を差し出す。
「…………」
女神は、これまで出会ってきた者たちを思い出した。
転生。
願い。
力。
富。
名誉。
美貌。
幸福。
愛。
復讐。
平穏。
誰も悪くない。
自分の人生なのだ。
自分のために願う。
それが普通だ。
だから女神は願いを聞き、送り出した。
そして、それで終わり。
その後、彼らがどうなったのか。
知らない。
知ろうともしなかった。
幸せになったのか。
英雄になったのか。
王になったのか。
誰かを愛したのか。
もう一度、命を落としたのか。
知らない。
転生完了。
次。
それが女神にとって当たり前だった。
「…………」
ふと、女神が目を開く。
周囲には四つの映像が、まだ浮かんでいる。
アルシェ。
アインズを見下ろしている。
ザリュース。
仲間たちに囲まれている。
カルカ。
地図を広げ、ナザリックについて調べている。
ガゼフ。
自分が何をしたのか分からないまま、剣を見つめている。
「…………」
女神が瞬きをした。
「……あれ?」
なぜ消していない?
もう園児はいない。
願いは叶えた。
転生権も使った。
終わった。
映像はもう必要ない。
なのに。
「私……」
アルシェを見る。
泣いた少女。
ザリュースを見る。
仲間を守った戦士。
カルカを見る。
国を守ろうとする女王。
ガゼフを見る。
覚悟を持って戦った戦士長。
「どうして……まだ見ているのでしょう?」
答えはない。
それでも、女神は映像を消さなかった。
知りたい。
この人たちが、これからどうなるのか。
園児たちが自分の未来を差し出してまで助けた人たちが、生きて、何をして、何を選び、どんな未来へ進んでいくのか。
知りたい。
「…………」
そこで初めて、女神は気づいた。
自分が、人間に興味を持っている。
これまで転生させたら、それで終わりだった人間に。
その人生に。
今、自分は興味を持っている。
「……私が?」
不思議だった。
本当に不思議だった。
でも、嫌ではない。
むしろ少しだけ、温かかった。
◇ ◇ ◇
その時。
魔法陣が光り、新しい魂が現れた。
「…………」
また黄色い帽子。
幼稚園の制服。
今度は女の子だった。
「ここ、どこ?」
女神はしばらくその子を見つめる。
そして微笑んだ。
「こんにちは。私は女神です」
「めがみ?」
「はい」
「ようちえんのせんせい?」
「…………」
女神はまた額を押さえた。
◇ ◇ ◇
説明する。
女の子は泣く。
女神は待つ。
転生について説明する。
そして映像を見せる。
「…………」
女の子はじっと見ていた。
女神も見る。
今度映っているのも、本来なら救われない誰か。
女の子が悲しそうに眉を下げる。
「女神さま」
「…………はい」
女神はもう、なんとなく分かっていた。
「このひと、このあと、どうなるの?」
「…………」
女神は答える。
嘘はつかない。
女の子は黙り、やがて小さく言った。
「かわいそう」
女神は目を閉じる。
来る。
きっと来る。
「女神さま」
「……はい」
「わたしの、てんせーってやつ」
「…………」
「このひとに――」
女神は小さく息を吐く。
そしてほんの少し困ったように。
ほんの少し嬉しそうに。
笑った。
「……やっぱり」
◇ ◇ ◇
それからも、また一人。
また一人。
誰も違わなかった。
そして女神の中で、一つの疑問が大きくなっていく。
なぜ?
どうして?
この子たちは、全員こうなのか。
偶然?
違う。
もう偶然では説明できない。
女神は初めて、園児たちの生前を調べた。
同じ事故。
同じバス。
同じ幼稚園。
そして――。
「…………」
女神の指が止まる。
名簿。
そこに並ぶ園児たち。
その下。
引率者。
教師。
女神は、その名前を見る。
さらに生前の映像を開いた。
幼稚園。
園庭。
子供たちが走る。
笑う。
転ぶ。
泣く。
そしてそこに、一人の大人がいた。
先生。
転んだ子へ駆け寄る。
泣いている子の膝を見る。
その様子を、別の子が心配そうに見ている。
先生はその子へ笑いかけ、何かを言った。
女神は映像を拡大し、音を拾う。
『大丈夫だよ』
『でもね』
『お友達が困っていたら、「どうしたの?」って聞いてあげようね』
『できることがあったら、一緒に助けてあげよう』
園児が頷く。
『うん!』
ただ、それだけだった。
特別な教育ではない。
世界を救え、でもない。
自分を犠牲にしろ、でもない。
ただ。
困っている人がいたら、助けよう。
どこにでもありそうな言葉。
「…………」
女神は先生を見る。
そして園児たちを見る。
みんな笑っている。
普通。
本当に普通の子供たち。
「もしかして……」
女神が呟く。
視線を名簿へ戻す。
引率者。
そこには、まだ処理されていない魂があった。
同じ事故。
同じバス。
子供たちと最後まで一緒だった人。
先生。
「…………」
女神はその名前を見つめる。
そして初めて、少しだけ緊張した。
もし、この人があの子たちに何かを残したのなら。
聞いてみたい。
あなたは、あの子たちに何を教えたのですか。
なぜ、あの子たちは自分よりも見知らぬ誰かを選べたのですか。
そして女神は、まだ知らない。
その問いへの答えが、自分自身をもさらに変えていくことを。
白い空間の中。
一つの魔法陣が、ゆっくりと光り始めた。。