五歳児たちは、転生よりも「この人を助けて」を選びました 作:ぶるぶるメタボ
物語は、もう終わっている。
遠足へ行くはずだった子供たち。
先生。
彼らが残したもの。
それを受け取った人々。
そして、少しだけ人間を知りたいと思うようになった女神。
だから、これは本当にただの裏話。
その後。
いくつもの世界で、同じように少しだけ困ったことが起きた。
◇ ◇ ◇
最初の世界。
夜。
ナザリック地下大墳墓の外では、地面が大きく抉れ、何枚もの壁が吹き飛んでいた。
そして、その中心に。
アインズ・ウール・ゴウンが座っていた。
正確には、座り込んでいた。
「…………」
少し前。
アルシェ・イーブ・リイル・フルト。
たった一人の人間。
その拳が、アインズの防御を全て抜いた。
腹部へ直撃。
そのまま何層もの壁を貫通し、外まで吹き飛ばされた。
さらに、本来なら存在しないはずの痛みまで味わった。
そして最後には。
命乞いをした。
「…………」
アインズの脳裏に、先ほどの自分の声が蘇る。
――殺さないでくれ!
「…………」
精神が揺れる。
緑色の光が走り、感情抑制が発動した。
「忘れよう」
低く呟く。
「今のは、戦術的撤退に伴う合理的な交渉だ」
誰もいない。
「命乞いではない」
さらに自分へ言い聞かせる。
「断じて、命乞いではない」
その時だった。
ひらり、と。
何かが落ちてきた。
「…………?」
一枚の白い紙。
それがアインズの目の前へ落ちる。
「何だ?」
警戒するのは当然だった。
探知。
罠。
魔法。
呪い。
一通り確認する。
異常なし。
アインズは慎重に紙を拾った。
最初の一行。
――アインズ・ウール・ゴウン様へ。
「…………」
自分宛。
ますます嫌な予感がする。
読む。
突然のお手紙、失礼いたします。
先ほど、あなたがアルシェ・イーブ・リイル・フルトに大変な目に遭わされた件について。
その経緯をお伝えした方が良いと思い、筆を取りました。
「…………」
アインズが止まった。
先ほど。
大変な目。
「…………」
誰だ。
これを書いたのは。
誰が見ていた。
さらに読む。
アルシェ・イーブ・リイル・フルトに与えられた力は、本来彼女自身が持っていたものではありません。
その力を与えた者がいます。
アインズの眼窩に灯る赤い光が細くなる。
やはり。
背後に何者かがいる。
「プレイヤーか?」
世界級アイテム。
神格。
未知の存在。
思考が高速で回る。
そして、続きを読む。
その者は、五歳の女の子です。
「…………」
アインズが停止した。
もう一度読む。
その者は、五歳の女の子です。
「…………」
三回目。
「……五歳?」
思わず声が漏れる。
続き。
その子は自らの世界で、幼稚園の遠足へ向かう途中に事故へ遭い、命を落としました。
本来なら別世界へ転生する予定でした。
しかし、転生先を確認するために映像を見せた際、シャルティア・ブラッドフォールンに捕らえられたアルシェを見つけました。
そして、このままではアルシェが命を落とすと知りました。
その子は私に、こう言いました。
「このお姉ちゃん、かわいそう」
「たすけて」
と。
「…………」
アインズは読む。
止まる。
また読む。
「……待て」
誰に言うでもなく呟く。
「つまり……何だ?」
さらに読む。
そこで私は、その子に説明しました。
自分の転生権を放棄すれば、その分の奇跡をアルシェへ与えることができると。
少女は迷わず、自分の転生を放棄しました。
そして。
「ぜったい、いじめられないくらい、つよくして」
と願いました。
「…………」
アインズは長い、長い沈黙の後。
ゆっくりと紙を下げた。
夜空を見る。
「……私が」
言葉を選ぶ。
「シャルティアごと、人間一人に殴り飛ばされた原因が」
一度止まる。
「五歳児?」
返事はない。
「…………」
緑色の光が走る。
感情抑制。
すぐに続きを読む。
まだ終わっていなかった。
なお、誤解のないように申し上げます。
その子は、あなたを倒したいとは一度も願っていません。
「…………」
アインズが固まる。
ナザリックを滅ぼしたいとも言っていません。
「…………」
あなた方を憎んでいたわけでもありません。
「…………」
ただ、アルシェがかわいそうだった。
それだけです。
「…………」
アインズの、紙を持つ手がわずかに震える。
「つまり……私は」
声が低くなる。
「敵として認識された結果ですら……ない?」
もう一度読む。
ただ、かわいそうだった。
それだけ。
「…………」
頭を抱えたい。
そして実際に、両手を頭へ添えた。
「善意の……余波?」
緑色の光が、また走った。
◇ ◇ ◇
別の世界。
湿地方面での敗北を受け、ナザリックでは臨時会議が開かれていた。
アインズは玉座へ座っている。
その正面にはコキュートス。
全身のあちこちに、まだ霜が残っている。
シャルティアの髪にも氷の欠片がついていた。
アルベドは無言。
デミウルゴスも無言。
空気が重い。
原因はザリュース・シャシャ。
リザードマン一人。
コキュートスを氷漬けにし。
守護者たちを返り討ちにし。
最後にはアインズ自身が〈ゲート〉で逃走することになった。
「…………」
誰もそこには触れない。
触れられない。
アインズは威厳を保ちながら口を開いた。
「今回の敗北は、情報不足が最大の原因であった」
「はっ!」
「したがって今後は――」
ひらり。
「…………?」
一枚の紙が、玉座の前へ落ちた。
全員の視線が集まる。
アインズは嫌な予感を覚えた。
それでも読む。
そして、数分後。
「…………」
玉座の間には異様な沈黙が落ちていた。
コキュートス。
「…………」
アルベド。
「…………」
シャルティア。
「…………」
デミウルゴス。
「…………」
アインズは紙を持ったまま低く言った。
「五歳児であるらしい」
誰も返事ができない。
コキュートスが、恐る恐る尋ねる。
「……アノ、リザードマンニ力ヲ与エタ者ガ?」
「五歳児だ」
「…………」
シャルティアも、おそるおそる口を開く。
「その……何故、そんなことをしたのでありんすか?」
アインズは紙を見る。
「……かわいそうだったから」
「…………」
シャルティアが黙る。
アルベドの顔が引きつる。
デミウルゴスですら、何も思いつかない。
アインズは続きを読む。
その子は、ザリュース・シャシャが仲間を守ろうとしている姿を見ました。
そして。
「このトカゲさん、みんなをまもってる」
「しんじゃったら、かわいそう」
と言いました。
「…………」
アインズが視線を上げる。
「つまり」
一度、間を置く。
「我々は」
もう一度。
「五歳児の『かわいそう』によって壊滅した」
誰も否定できない。
デミウルゴスは口元へ手を当て、長い間考え続けた。
「アインズ様」
「うむ」
「…………」
さらに考える。
「申し訳ございません」
「何だ」
「私にも、解釈できません」
「…………」
アインズは黙った。
デミウルゴスが分からない。
それが一番怖かった。
◇ ◇ ◇
別の世界。
聖王国。
ナザリックでは、アインズとデミウルゴスが一枚の白い紙を挟んで向かい合っていた。
「…………」
二人とも無言だった。
手紙はすでに読み終わっている。
事情は全て書かれていた。
カルカ・ベサーレス。
本来なら計画の一部として利用されるはずだった。
それが生存。
憤怒の悪魔を返り討ちにし。
さらに「アインズ」という名まで知られた。
今や聖王国は、報復の準備を始めている。
その原因。
「…………」
アインズは紙を見る。
「五歳の女児であると書いてある」
「はい」
デミウルゴスの声が、珍しく小さい。
「そして」
アインズは続きを読む。
「カルカが悪魔に痛いことをされるのが、かわいそうだったと」
「はい」
「それだけで、計画が全てひっくり返った」
「…………はい」
「…………」
アインズは静かに言う。
「デミウルゴス」
「はっ」
「今回の敗因を説明せよ」
「…………」
デミウルゴスが固まった。
考える。
深く。
深く。
天才の頭脳をフル回転させる。
そして長い沈黙の後。
「……アインズ様」
「うむ」
「今回に限りましては、その……」
言葉を探す。
「幼児の倫理観を想定していなかったことが、最大の敗因かと」
「…………」
アインズは沈黙する。
「幼児の倫理観」
「はい」
「…………」
また緑色の光が走った。
◇ ◇ ◇
さらに別の世界。
王国。
アインズは一人、椅子に座っていた。
目の前には白い紙。
何度も読んでいる。
ガゼフ・ストロノーフに与えられた力は、五歳の男の子の願いによるものです。
その子は、あなたとの一騎打ちを見ました。
そして、ガゼフが負けると知りました。
「このおじちゃん、つよいのに、まけちゃうの?」
と聞きました。
私は「はい」と答えました。
その子は。
「じゃあ、ぼくのつよいやつ、このおじちゃんにあげて」
と願いました。
「…………」
アインズは紙を下げる。
「……時間停止を吹き飛ばした力が、五歳児由来」
さらに読む。
なお、その力はユグドラシルのレベル、職業、スキル、魔法、耐性、世界級アイテム。
いずれの分類にも属しません。
「…………」
アインズは一瞬だけ期待した。
まだ理屈があるかもしれない。
続きを読む。
ですので、それらを基準に考える必要はありません。
「…………」
アインズが紙を握る。
「関係……ない?」
もう一度読む。
「レベルも?」
紙は当然、答えない。
「スキルも?」
答えない。
「世界級アイテムも?」
答えない。
「…………」
緑色の光が走った。
「では私は、何を警戒すればよいのだ?」
静寂だけが返ってきた。
◇ ◇ ◇
そうして、いくつもの世界のアインズたちへ手紙が届いた。
ある世界ではシャルティアと並んで読む。
ある世界では守護者全員を集める。
ある世界では一人で読む。
ある世界では、途中で何度も紙を置く。
だが、どのアインズにも共通することがあった。
最初は疑う。
次に驚く。
もう一度読む。
そして最後には、頭を抱える。
さらに全員が、同じ場所へ辿り着く。
手紙の最後。
追伸。
今回、あなた方を倒すことになった力は、いずれもあなた方個人を憎んで与えられたものではありません。
子供たちはただ、映像を見て。
「かわいそうだから、助けたい」
と願っただけです。
ですので。
どうか、お気になさらないでください。
「…………」
アルシェの世界。
アインズが読む。
「お気に……なさらないで……ください?」
沈黙。
「どうやって!?」
夜空に声が響いた。
◇ ◇ ◇
ザリュースの世界。
アインズの手の中で紙が震える。
「守護者が全員返り討ちに遭ったのだぞ!?」
◇ ◇ ◇
聖王国の世界。
アインズが机を叩く。
「国家規模の計画が!」
デミウルゴスは横で非常に気まずそうにしていた。
◇ ◇ ◇
ガゼフの世界。
アインズは紙を睨む。
「時間停止を殴り壊されたのだが!?」
◇ ◇ ◇
そして。
手紙には、まだ最後の一文が残っていた。
全ての世界のアインズたちが、そこを読む。
なお。
園児たちは誰一人として、あなたを倒したいとは願っていませんでした。
「…………」
全員が沈黙した。
あなたを敵と認識していたわけでもありません。
「…………」
ただ、困っている人を助けたいと思っただけです。
「…………」
アインズたちは、それぞれの世界で同じようなことを考えた。
つまり。
自分たちは、目的ですらなかった。
障害だっただけ。
しかも、五歳児の善意の前に偶然置かれていた障害。
「…………」
ある世界のアインズが呟く。
「これは……敗北なのか?」
誰も答えなかった。
◇ ◇ ◇
そして。
女神は手紙の本当の最後に、一言だけ書いていた。
それは煽りではない。
脅しでもない。
本当に善意から。
ほんの少し心配しただけ。
それでは皆様。
今後は、子供が見て悲しくなるようなことは、なるべく控えていただければ幸いです。
「…………」
アルシェの世界。
アインズは沈黙していた。
そこへ、シャルティアが戻ってくる。
服はボロボロ。
髪も乱れている。
頬を押さえていた。
「アインズ様……」
「…………」
「何を読んでいるのでありんすか?」
アインズは無言で紙を渡す。
シャルティアが読む。
「…………」
読み進める。
「…………」
最後まで読む。
「…………」
アインズが低い声で言った。
「善処しよう」
シャルティアが顔を上げる。
「…………」
「何だ」
「その……」
慎重に言う。
「善処ではなく、本当にやめた方がよろしいのではありんせんか?」
「…………」
アインズが止まる。
シャルティアは続けた。
「次に何を与えられるか、分からないでありんす」
「…………」
アインズの脳裏に、いくつもの光景が浮かぶ。
アルシェの拳。
そして。
まだ知らない五歳児たち。
たくさん。
「…………」
緑色の光が走る。
「……確かに」
反論できなかった。
◇ ◇ ◇
数日後。
ナザリック地下大墳墓。
守護者たちを集め、会議が開かれていた。
アインズは玉座へ座る。
「以上を踏まえ、新たな方針を定める」
「はっ!」
少なくとも表面上は、いつもの威厳が戻っている。
「第一。人間を含む外部勢力への行動について、従来以上に慎重な情報収集を行う」
「はっ!」
「第二。対象の家族関係、社会的立場、周囲への影響。これらを事前に確認する」
「はっ!」
「第三」
アインズが少し止まる。
守護者たちは待つ。
「…………」
言いたくない。
だが言う。
「幼児がその場面を見た場合、泣く可能性があるか検討する」
「…………」
守護者たちが沈黙した。
誰も笑わない。
笑える状況ではない。
デミウルゴスが真剣な顔で言う。
「重要な観点でございます」
「うむ」
アインズも真顔で頷く。
「極めて重要だ」
シャルティアも強く頷いた。
「絶対に必要でありんす」
アルベドも続く。
「異論ございません」
コキュートス。
「同意スル」
全会一致。
可決。
そうして。
ナザリック地下大墳墓に、史上初めて極めて奇妙な判断基準が追加された。
――この行為を。
――五歳児が見た場合。
――「かわいそう」と言う可能性はあるか。
誰が想像しただろう。
異形。
悪魔。
吸血鬼。
アンデッド。
数多の強者が暮らす大墳墓。
その行動方針に。
幼稚園児の感想が考慮される日が来るなど。
◇ ◇ ◇
天界。
女神は一人、映像を見ていた。
アインズたちが会議をしている。
「…………」
少し驚いたように瞬きをする。
「ちゃんと考えてくれたのですね」
なんとなく嬉しかった。
周囲に浮かぶ別世界の映像を見る。
そこでも、アインズたちは似たような対応を始めている。
ある世界では、以前より慎重になった。
ある世界では、不要な残虐行為が減った。
ある世界では、デミウルゴスが提出する計画書に項目が一つ増えた。
《児童視聴時の心理的影響》
「…………」
女神はそれを見て、思わず口元を緩めた。
「そこまでしなくてもいい気がしますが」
でも、止めない。
悪いことでもない。
そして女神は気づく。
これもまた、園児たちが残したものだった。
力だけではない。
救われた人々だけでもない。
彼らを傷つけようとした側にさえ、ほんの少しだけ変化を残した。
「…………」
女神は最初の少女を思い出す。
――このお姉ちゃん、かわいそう。
ただ、それだけ。
その一言が始まりだった。
いくつもの世界が変わった。
人が救われた。
神が人間に興味を持った。
そして。
絶対的な地下大墳墓の支配者たちが、五歳児の目線を気にするようになった。
「…………」
女神は小さく笑った。
「本当に、不思議な子たちですね」
返事はない。
もう園児たちはここにいない。
先生もいない。
それでも。
寂しいというのとは、少し違った。
彼らが残したものは、あちこちにある。
だから。
完全にいなくなったような気はしなかった。
◇ ◇ ◇
そして、ある世界。
アインズは一人で、もう一度女神の手紙を読んでいた。
最後の一文。
――子供が見て悲しくなるようなことは、なるべく控えていただければ幸いです。
「…………」
長い沈黙。
アインズは紙を丁寧に折り、収納する。
大切だからではない。
ただ。
捨てる気にもならなかった。
「…………」
小さく呟く。
「まったく」
一度止まる。
「厄介な話だ」
少し間を置く。
「五歳児など、何を考えているか分からん」
だが、その声には以前ほどの苛立ちはなかった。
そして最後。
ぽつりと。
「……善処するか」
誰にも聞こえない言葉だった。
◇ ◇ ◇
これで、本当に終わり。
英雄はいなかった。
救世主もいなかった。
世界を変えようと立ち上がった勇者もいなかった。
いたのは。
遠足を楽しみにしていた、普通の園児たち。
誰かが泣いていた。
だから助けた。
それだけ。
そして、その小さな「かわいそう」は。
強者を吹き飛ばし。
運命をひっくり返し。
人を救い。
神を変え。
最後には、大墳墓の支配者たちにまで少しだけ誰かの気持ちを考えさせた。
きっと子供たちは、そんなことを知らない。
知ったとしても。
きっと、こう言うだけだ。
「よかったね」
と。
だから。
これ以上語ることは、もうない。
遠いいくつもの世界。
今日も誰かが生きている。
誰かが笑っている。
誰かが誰かを助けている。
そして、どこかのナザリックでは。
今日も一枚の計画書が提出される。
その最後には、以前存在しなかった項目が一つある。
《五歳児が見た場合》
《かわいそうと言う可能性――低》
アインズはじっと見る。
「…………」
その下。
小さく追記されていた。
《ただし、念のため再検討を推奨》
「…………」
アインズは目を閉じた。
存在しないはずの胃が。
少しだけ痛くなったような気がした。
本当に、完
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
「困っている人がいたら助ける」という、子供たちにとっては当たり前だった小さな優しさが、いくつもの世界を変えてしまう物語でした。
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。