機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイのモブになってしまった 作:Mr.bookman
アデレードの空は、地獄の業火に包まれていた。
夜空を切り裂く幾筋ものビーム・光線。超音速で交錯するクスィーガンダムとペーネロペーの衝撃波が、激しい振動となって地上の大気を狂わせる。
煙と炎が立ち込めるコクピットの中、俺の手はがたがたと震えていた。
チ・チ・チ・チ
警告音ではない。あの不気味な心拍音のような振動とともに、全天周モニターの片隅に、無機質な赤字のシステムテキストがポップアップした。
【NOTICE】
補給拠点破壊プロトコル完了。
対象者の離脱ルートを確保。
速やかに機体を破棄し、回収ポイントへ向かわれたし。
離脱確認後、胸部デバイスの自動解除シーケンスを実行する。
「離脱……解除……?」
画面に並ぶ無機質な記号を眺めながら、俺は掠れた声で呟いた。
命令に従い、仲間を売り渡し、彼らの死と引き換えに手に入る「安全な生存」。
首輪を外してもらい、新しい名前をもらい、どこか遠い街で何食わぬ顔をして生きていく未来。……俺がずっと、死ぬほど欲しかったはずの「生き残り」のチケットが、目の前に差し出されていた。
『どうした。急速離脱せよ。……回答猶予:10秒』
画面上で、冷酷なカウントダウンが刻まれ始める。
10
9
8
(……なぁ、俺は何のために生きてきたんだ?)
頭の中に浮かんだのは、自分を気遣ってくれたエメラルダやガウマンの笑顔だった。
そして、あの黒煙を見つめながら、惨めな裏切り者である俺の背中を、ただ静かに、優しく擦り続けてくれたハサウェイの温かい手の感触だった。
恐怖に負けて仲間を売り、泥を啜り、鏡を見るたびに自分の醜さに吐き気を催すような毎日。
そんな命に、一体何の価値があるというのか。
3
2
「……拒否する」
初めて、己の言葉で呟いた。
1
【WARNING: HEART RATE CONTROL ACTIVATED】
バチッ——!
胸の奥底で、心臓を直接叩き潰すような強烈な痛みが跳ね上がった。
「ぐ、あぁぁぁぁぁぁぁっ!??!?」
視界が一瞬で真っ赤に染まる。口から溢れ出た大量の血がヘルメットの内側を汚し、視界を塞ぐ。肺の中の酸素が失われ、手指の感覚が急速に冷えて消えていく。心臓の拍動が、途切れ途切れに途絶えていく。
全身の細胞が「逃げろ」「痛みを止めろ」と悲鳴を上げていた。
だが、操縦桿を握る指先だけは、絶対に離さなかった。
(痛いか? 死ぬのが怖いか? ……当たり前だろ! 仲間を売った報いにしては、安すぎるくらいだ!!)
死ぬのが怖くて歴史を変えようとし、逃げたくて仲間を売った。
でも——最期くらい、誰かに命令された人形としてじゃなく、俺自身の命として死んでやる。
「うああああああああああああっ!!」
血反吐をぶちまけながら、俺はメッサーのスラスターを限界を超えて全開にした。
漆黒の重装甲機が、暗闇を切り裂いて爆進する。
目指すのは、撤退を開始したマフティーの仲間たちの背後。そこへ襲いかかろうとしていた、連邦軍のグスタフ・カール部隊の射撃ラインだ。
かっこいい捨て台詞なんて出ない。ヒーローみたいに誰かを救う資格なんて、俺にはどこにもない。
血で濁った喉を絞り出し、全周波数の通信ボタンを乱暴に叩きつけた。
「みんな……っ! 逃げろ……!! 逃げてくれ、頼むから……っ!!」
通信回線に響いたのは、叫びというより、泥に這いつくばる男の惨めな「乞い」だった。
『なっ……お前!? 何をしている、戻れ! 死ぬぞ!!』
通信越しに聞こえるガウマンの動揺した声。
「いいから行けよ!! 俺に……俺にこれ以上、誰かを殺させるな……っ!!」
メッサーのビーム・ライフルを乱射し、迫りくる連邦のモビルスーツへ遮二無二突進する。
一機でも多くの射線を、この鉄の肉体で遮るために。自分が犯した取り返しのつかない罪の、ほんの微小な欠片でも償うために。
「なんだあのメッサーは!? 単機で突っ込んでくるぞ!」
「イカレ野郎が! 撃ち落とせ!」
無数のビーム光線がメッサーの装甲を削り取り、コクピット内を凄まじい衝撃と熱量が襲う。アラートがけたたましく鳴り響き、機体が悲鳴を上げる。
胸の激痛はすでにピークを過ぎ、感覚そのものが途絶えかけていた。
掠れた視界の端で、背後の暗闇へ仲間たちの機体が離脱していくのが見えた。
ハサウェイ。お前は生きろ。お前の思想がどうあれ、お前が最期に俺に見せてくれたあの優しさだけは、本物だったから。
「……あはは」
血まみれの顔で、俺は小さく笑った。
かっこよくなんて死ねなかった。最後まで泣いて、怯えて、無様に足掻いただけの、最低な裏切り者の人生だった。
でも——最後の数秒間だけは。
胸のデバイスでも、正体不明の黒幕でもなく、自分の意志で操縦桿を動かせた。
ドォン——!!
直撃したビームが、メッサーのジェネレーターを貫いた。
アデレードの夜空を、一筋の巨大な火柱が焦がしていく。
その死は歴史のどこにも記録されない。誰にも感謝されず、裏切り者として消えていく最期。
けれど確かに、一人の男が底なしの恐怖に打ち勝ち、宇宙世紀の深い闇の中で、己の命を燃やし尽くした証だった。