"躯倶留隊"。
その組織は、禪院家に生まれながら術式を持たない多くの男子が所属することを義務付けられている。そして隊長は"禪院信朗"。その隊長を含め、人数は79名のようだ。
そんな組織の中で、炳の下部組織であるために内心では酷く嫌っている者、非常に慕っている者、実力は信頼しているが、謎が多い存在への疑問を抱く者などがいる。
そんな躯倶留隊の一員である"禪院雫"…という者がかつて所属していた。
「…………」
ここは禪院家、に忌み嫌われる者の墓場である。その墓場は誰かの骨が分からない程無造作に散らばっており、雑に弔っているようだ。いや、悲しみを持って弔う者が少ないだろう。
「……分かってはいたが、どれが"瑠都"なのか分かんねぇな…」
"瑠都"。彼は凛音の兄であり、雫の親友でもあった────。
「──ずく、しずく……雫!」
誰かに呼ばれ、振り向いてみた雫の目線の先には生前の瑠都の姿。
「怪我してるよ。手当てするからこっちにおいで」
躯倶留隊の者は禪院家の者に名前を覚えてもらえないのが当然だった。名前を一生覚えてくれずまま禪院家に従事して、命を終えるだろうと思っていた。
それなのに、瑠都、コイツは俺の名前を呼んで近寄ってくる。
「貴方のような方が醜い血を汚させるわけにはいけないので、お気になさらずに」
名前を覚えてもらわなくてもいい、相手に雑に利用されるだけでいい…ただただ、それで構わないと思っていた。
それなのに……どうしてお前は必要以上に俺の手を掴む?
「怪我をほっといたら悪化するよ、おいで」
…まあ、コイツのやりたいように付き合わせてやって、用が済んだら俺のことを忘れるだろう。
「さっき直哉さんと手合わせしてたよね?」
瑠都は手当てしながらそう話しかけてきた。彼の質問を必要以上に答えずに、簡潔に答えるだけ。
「直哉様が俺に相手しろとおっしゃっていましたので」
「よく直哉さんと手合わせしているよね、仲良いの?」
「そんなに仲良くはないです」
「そうかな〜直哉さん、雫と闘っている時に楽しそうに見えたよ?」
「俺のことを発散用の玩具だと思っているのでは?」
「ん〜それはどうかな〜?」
…物好きなヤツ、という印象だった。
瑠都は俺を見かければすぐに話しかけ、別に言わなくてもいいことを必要以上に質問され、俺が怪我すれば強引に手当てされる。コイツの人当たりが良い性格に影響されたからだろうか。いつの間にかコイツからの質問に対する返しが積極的なキャッチボールのような会話になっていた。
「瑠都様はなんで俺の名前が分かったのですか?俺たち喋ったことがないでしょう?」
禪院家から虐げられているであろうの痣だらけで寝息を立てて寝ている凛音を優しく撫でている瑠都に聞いた。彼は相変わらず柔らかな笑みを浮かべながらこう言った。
「聞いてたんだよね、君が仲間に言い返してたのを」
最初はなんの事やらと分からなかったが、彼の口から話される経緯を聞けば、何気ない日常から記憶を引っ張り出されるように思い出した。
『ぜってぇそうだよ、親がビッチなら子もビッチだって!』
『禪院家にはない術式を持ってたからなぁ…』
『アイツを犯してもいいよな、どうせ男遊びすんだろ』
『俺たち日々のストレスで溜まってんだからアイツで発散しようぜ』
『おっ、雫〜!お前そろそろ女に興味ある時期だろ?せっかくだからいいもの見せてやるぜ?』
その時だった。瑠都は自分の妹を犯そうとする躯倶留隊に殺気を抱きながら"雫"という名前を聞いたことあるそうだ。瑠都の術式である十種影法術で懲らしめてやろうと思った時、雫の言葉が彼の耳に入った。
『お前らな、自分より小さくて弱ぇヤツに大勢で囲んで虐めんのは、真の弱者がやることだからな。あまりにもカッコ悪くて情けすぎるからやめろよ』
「……あ〜…確かにそんなことあったな…」
そんなささやかなことをよく覚えていたもんだ。俺からしたら日常茶飯事だってのに。
「あれから君のことが気になっちゃってて…だから名前を覚えていたんだ」
それで俺のことをよく話しかけたり絡むようになったのは、そんな何気ない出来事がきっかけだったのか。別に覚えてなくてもいい、どうでもいい出来事だってのに、どうして身体がくすぐったく感じるのはなんでだろうか。
「ねぇ雫」
瑠都がいきなり顔を近づけてきて、思わず背を反らすように後退りする。
「僕のこと瑠都って呼んでよ」
「…は?」
「僕は君と仲良くなりたいんだよ。だから敬語も様付けも無しで話して欲しいんだ」
徐々に顔を近づけながら話してくる瑠都から距離を取るように後退るが、正座していた足を崩し、尻餅をついてしまう。
「ねぇ雫…瑠都って呼んで?」
なんなんだ?なんなんだコイツは?コイツに話しかけられるだけで、コイツに近づけられるだけで、なんで変な気持ちになってしまうだろうか。
『なあ』
ふと思い出す。禪院家の当主である直毘人に言われたことを。
『家族が欲しいと思わんのか?』
その時は何言ってんのか分からなかった。
物心つく前から母親の顔は覚えていない。自我が芽生えた頃に術式が使えないということを知った瞬間、父親である直毘人に見捨てられた。縁を切ったかのように自分に家族がいないことが当然だと現実に突きつけられた俺は直毘人のことをすぐに家族と思わないようにした。たとえ兄や弟がいても、いとこがいても、家族とは思わない。そういう家だったはずだろう?
"こんな気持ち"はすぐに捨てたはずだろう?
なのに、なんで、コイツの言葉に甘えようとしてるんだ?
『家族が欲しいと思わんのか?』
…………ああ…そっか…だから俺は…ずっと、ずっとずっと…心のどこかで無意識に羨ましく思ってたんだ
「……る、瑠都…」
今更、直毘人とは家族になろうだなんてもうどうでもいい。俺は、瑠都と家族になりたい、と思った。
「わ…っ」
抱き締めた。思わず抱き締めたくなった。初めて自分から抱き締めたこの体温は久しく、どこか懐かしいものだった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「雫、また怪我してるね」
あれから瑠都は俺のことを見かければ、家族のように、そして友達のような感覚で呼びかける。瑠都が野良猫に餌を与えるような行為だが、いつの間にか俺はソイツに対して「瑠都」と呼び捨てで呼ぶことの抵抗は無くなっていた。
「俺がほっとけと言っても手当てするんだろ?瑠都」
「ふふふ、そうだよ〜」
「今こうして喋ってっけどアイツらに何も言われねぇのか?」
アイツらとは禪院家のことだ。俺のような落ちこぼれの者と"仲良く"喋っている所をよく思わない人が多くいるに違いない。
「今の所は何も言われていないかな。だって雫と話したくて内緒で会いに行っているんだから」
話したくて……
まただ…瑠都が俺のために向けている言葉をかけられると、この溢れ出る感情がくすぐったくてたまらない。でも嫌じゃないのが変な感覚だ。
「俺にはそう言っているが、凛音の所にも内緒で行ってんだろ」
「そうだね〜」
そうだ。瑠都が俺に向けられる言葉は特別だと限らない。凛音や、俺の知らない所で誰かに言っているかもしれねぇ。
「…僕がなんで雫と仲良くしているのか分かるかな?」
「ただ仲良くしてぇだけだろ」
「それはそうだけどそうじゃないよ」
瑠都の方へ少し振り向いて、なんなんだよ?と声を出そうとした途端、言葉を飲み込んだ。
そこには口角を柔らかく上げ、目を優しげに細め、首を少し傾けているため、素色の髪の毛がサラリと横へ軽く流している瑠都がいた。儚くて美しい青空のような瞳が俺の姿を捉えているのが少し見える。
「今から僕の話すことを聞いてね」
「……おう」
あの瞳と同じように、儚くて優しい笑みを浮かべる瑠都はこう言った。
「僕が雫と仲良くしているのはね…"信用しているから"だよ、誰よりも」
「雫のことを知る前は凛音を大切にしてきたんだ」
「僕にとって大切な妹だからこそ、誰かに傷付けられたら僕は許さない。たとえ身内だろうともね」
「でも、ふと思うんだ」
「もし僕が死んだら誰が凛音のことを守るんだろうって…」
「そんなこと考えたら不安でたまらなくてね…」
「僕が死んだ後に凛音が酷いことされたり虐められたり…そんなこと考えるだけで僕はそんなこと耐えられない」
「だからね……」
【その時は雫が僕の代わりに凛音を守ってくれるかな?】
「…雫なら安心して任せられそうなんだ」
……今思えば、その時が瑠都に【呪い】をかけられたかもしれない。瑠都に呪言という術式はないが、凛音に似て、言葉で【呪い】をかけられたような気分だった。
その時の俺は禪院家に逆らうような力も術式もなく、たとえ呪霊が襲ってきても凛音を守れる力がないからできるわけないだろうと思っていた。それなのに、「いいぜ」と返してしまった俺は大馬鹿だ。
「瑠都の代わりに守ってやるよ」
守れるはずがないのに───
だから……なあ…そんな期待している目で、そんな嬉しそうな顔で俺を見るな、瑠都。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「…………」
「…………」
……気まずい。
どんな状況かと言われれば、稽古場の端っこで腕を組んで、立ちながら壁に背を預けて休憩している所に、禪院家の中で一番寡黙なヤツが何故か隣に俺と同じような体勢で立っているのである。
ソイツは禪院甚壱。俺たち躯倶留隊で一番尊敬している人物だ。…まあ俺も尊敬してはいるが。
「…………」
しかも、先程から俺の方をジッと見つめてくるが、そろそろ誰か手合わせして欲しいものだ。もういっそ相手を探すフリしていこうかと思った途端、甚壱が声を発した。
「これは俺の独り言なんだが…」
「…………」
お前…………喋れたんか…っ!?!?
⬆
驚きのあまりに京都弁
「……今はいないことになっているが…というかもうこの世にはいないが……俺に弟がいた」
「弟さんがいらっしゃったのですね」
「その弟は術式も呪力も無く、ここの躯倶留隊に所属したことがあった…20歳を超えた頃には出て行ったがな…」
「そうなんですね」
「……その弟がお前に少し似ている」
…………は?
呪力はあるにはあるが、術式が無いのが似ているとも言いたいのだろうか。でもそれは俺たち躯倶留隊に言えることだろ?
「弟がこの家を出て行くまで…いつも無気力で何もかも諦めたような目をしていた…自分が禪院家の人間だと思わず、そこら辺のゴミと同じように過ごしていた…その目がお前に似ている」
「……そう、ですか…」
確かに俺は禪院家の人間として思っていない。親も兄すらも家族とは思わずに赤の他人として過ごしていた。確かに似てるな。
「俺はこの立場の上、どうすることもできずにいたのが……後悔している」
「…………」
「もし時が戻ることができたならば…弟にこう言いたい」
そんな時、俺の頭に少し固めなものがそっと当たる感覚がした。見上げれば、甚壱の手が俺の頭に置いたことに理解する。
「……俺たちを恨んでもいい、呪っても構わない…お前の思うがままにやりたいことをやれ」
それはその弟に対する言葉に違いない。それなのに俺に言っているように聞こえた。
「……俺の独り言に付き合ってくれてありがとな。聞かなかったことにしたり忘れたりしても構わない」
……なぜ俺たちが、俺が甚壱に尊敬しているのか分かった。ただただ強いだけじゃない。禪院家と違ってただただ優しいだけじゃない。
自分の弟にしてやれなかったことを俺たち躯倶留隊に罪を償っているんだ。
もしも、禪院家の理不尽な考え方を抗い、その弟を受け入れていたら、甚壱と仲良くなっていたに違いないだろう。
そんな甚壱さんの優しさを知っている俺たちは、"俺たち躯倶留隊だけは甚壱さんの良さを理解している"とも言える。…だが、ワガママを言えば、甚壱が弟に対する想いを俺にだけ話していたと思ってもいいなら……"俺だけは甚壱さんの良さを理解している"…とも言いたい。
「甚壱さん、もしよろしければ俺と手合わせしてくれませんか?」
「…ああ、いいぞ」
俺が甚壱を誘ったことに気付いた躯倶留隊は羨ましそうな目を輝かせながら寄って来た。
「あっ!ずりぃ!!俺も甚壱さんと手合わせしてぇ!!」
「先に手合わせするのは俺だ!!」
「俺は俺の甚壱さんなんだから俺が一番だろうが!!」
俺たち躯倶留隊に慕われている甚壱は相変わらず無愛想だが、困惑のあまりに固まっているようだ。威厳があって少し近寄り難いイメージだったが、少しだけ親近感が湧いたことに甘えてもいいだろうか。
「おいお前ら!俺が先に誘ったから順番な!!手合わせ終わるまで待ってろ!!」
この時の俺は、少し調子乗りすぎてしまったかもしれねぇ。
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時々、直哉の気分で強制的に手合わせに付き合わされることがある。躯倶留隊にじゃなくて何故かいつも俺だけだった。サラッと吐き出した理由は俺は躯倶留隊より強いから発散しがいがあるとのことだそうだ。
俺からの反撃も攻撃威力も自由。実戦と同じようにお互い攻撃し合うだけ。そんな普通なルールだった。
でも今回は違った。
直哉から与えられる攻撃はいつもより威力が高く、手合わせ開始から執拗に急所を狙ってくる。何とか受け止めているが。
そんないつもの直哉の様子が違ったことに対して考え事をしたため、直哉の拳が顔面に命中されてしまった。地面に倒れた俺の鳩尾を足で踏み、グリグリと押し付けられる。息ができない。
「君、最近瑠都と一緒におるみたいやけど、自分の立場分かっとるん?」
「ぐ…っ、あぁ…」
「俺嫌いなんや、下の奴が俺たちと同じように振る舞うんが」
「うぅ…っ」
「君はそっち側に立たへんや」
「は…、く…っ」
「この先も、ずっと俺たちの奴隷でおること、覚えといてや」
「ぐ ぁ あ゛あ゛あ゛っ!!」
トドメに鳩尾をより強く踏みつけられる。屋敷にいる禪院家は当然のように見て見ぬふり。中には虫を見るような目で見る人もいる。
その人たちにどうにか欲しいとかじゃない。やっぱりそういう目で見るの当然だなと思うだけだった。
「だから俺たち禪院家に馴れ馴れしゅうしたらあかんで」
……分かってる。自分の立場くらい分かってる。禪院家と同じような立場に立つことはないと思ってる。でも…少し欲を出した自分は馬鹿だった。出さねぇってとっくに昔から決めてたのだろ?何やってんだ俺は……。
直哉が去った暫くした後に、瑠都が俺の元に駆け寄ってきた。瑠都は心配そうな表情を浮かべながら俺の名前を呼びかけてくる。
…やめろ。そんな顔して俺を呼ぶな。優しくするな。心配するな。そんな顔されたら……
もう関わらないと目を逸らしたのに、瑠都が手で俺の頭を撫でようとしたのが分かった瞬間、その手を強く払ってしまった。払った手がジンジンと痛々しく熱く感じる。でもそんな感覚は感じないように堪える。
「ほっとけよ…というか俺にもう話しかけんな、関わんな」
「でも…」と何かを言いかけた瑠都を無視するように立ち上がる。しかし、直哉からの攻撃がまだ効いているのか、よろけてしまう。それでも持ち堪えながら歩き出す。後ろから瑠都の声が聞こえてくるが、もう瑠都の言葉も声も聞かない。もう聞こえない。
だって、俺たちは本来馴れ馴れしくするような関係じゃないだろ?
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「瑠都様がお亡くなりになられたってよ」
躯倶留隊から聞こえた噂が俺の耳に入った。
「数日も食事も水も与えられずにいりゃ死ぬわな…」
「恐ろしや恐ろしや…」
「しかも病気があったにも関わらず、病院どころか医者にも診てくれなかったらしいぞ」
「禪院家ってこんなもんだろうな…」
「いつか俺もああなるかもなあ」
瑠都についての話題が次々と入ってくる。全部聞き取れているはずなのに、頭が追いつかない。
瑠都が…死んだ……?
その言葉しか繰り返すことしか出来なかった。
「…………」
その噂を聞いた夜、俺は瑠都の部屋にこっそりと忍んだ。灯りを付けずに障子を開ければ、畳には月夜の光に照らされる。しかし、月光に照らされずに闇の中にいる瑠都は布団で眠るように寝そべっていた。
「……なあ瑠都…」
そう呼びかけたらお前は俺の姿を見つけて笑みを浮かべるだろう。そして、怪我のことで心配されたり、俺が聞いたこともないような何気ない話題を出したりするだろう。…でも、今の瑠都はそうしてくれない。
「…本当は起きてんだろ?」
本当は瑠都に話したいことが沢山あるんだ。お前が起きてくるまでお前の側で座ってやる。そして、うるさくて眠れないと言われてもいいほど話しかけてやるからな。
「…俺が来たってのに目を覚まさねぇのかよ」
…………俺の嘘つき。本当は言いたいことがあって来たんだろ。それは、瑠都が目を覚ましている時に言えなかったことだ。
「……ごめん…手、痛かったよな」
あの日、お前の手を払った時の感覚は今でも鮮明に覚えている。あの感覚が今でも罪悪感として取り払ってくれねぇ。
「俺は躯倶留隊…術式を持たねぇ野郎がお前みてぇなヤツに仲良くしちゃいけねぇって…わざと突き放したんだ」
俺が払ったお前の手を掌で重ねるようにそっと触れた。
「それでもお前は俺を向き合おうとしてくれた、一人の人間として見てくれようとしてくれた…それなのに俺はそれを無下にした」
ああ…なんでお前の手は……冷たいんだろうな…鋭く凍った氷柱のような目線で突き刺してくる禪院家よりも温かかったお前はなんでこんなにも冷たいんだ?そんな温かいお前を突き放した俺の方が冷たいんだろ?だから……
「俺より冷たくなってんじゃねぇよ…っ」
【 お前には俺よりも長生きして欲しかった 】
そんな時、胸が張り詰めたように苦しくなった。息苦しい。肺が裂けて爆発してしまわないかくらいに息苦しい。身体の中から何か暴れるように溢れ出そうな感覚がした。
今まで感じたことがない感覚だった。あの息苦しさは何だったのか。無機質なゴミクズのような人生しか送ってこなかった俺にとっては分からなかった。
「はぁ……」
抑えた。術式が無いと明らかになり、感情を蓋した時と同じように抑え込んだ。だが、今回は抑えきれなかった。
雨のようにうるさかった。溢れ出そうとするモノが俺に訴えかけるようにザーザーと騒がしい雨音が聞こえてくる。それが頭にも心にも響いてくる。
そんな騒がしい中、誰かが"俺ではない俺"を呼ぶような声が聞こえた気がした。気の所為だと思う所なのに身体は何故か咄嗟に動いてて、気が付いたら走っていた。その身体が向かった先には、忌庫。
その忌庫の扉の前には騒がしかった。ギャーギャーと喚く声が聞こえてくる。嫌がっている声に助けを求めるような声。その声の主は……凛音だった。
禪院家が凛音を忌庫に放り投げようとしている。
「凛音っ!!」
禪院家を追い抜かすように忌庫の中へ放り出される凛音の方に手を伸ばし、地面への強打を防ぐために庇うように抱き締めた。そして、強い衝撃が伝わってくる中、受け身を取り、凛音の方を確認してみる。
俺の腕の中にいる凛音は目に水を溜めながら震えるように俺を見ていた。
「雫…?」
そんな時、禪院家により扉が閉じてしまった。俺たちは忌庫に閉じ込められてしまったようだ。確かその忌庫は準2級以下の呪霊が沢山いるらしい。
……そんな状況で凛音を守れるのか?
「…凛音、俺から離れんなよ」
守る、絶対守る。だって瑠都と約束したからな。
「……うん…」
今呪霊はどこだ?柱の向こうでひっそりと俺たちを見ているのか?それとも既に近くにいるのか?もう囲まれているのか?……クソッ、何も見えねぇ!
「なあ凛音…」
呪霊が見える凛音の言葉を借りて闘うしかないと思い、そう呼びかけようとした途端、左頬に鋭い痛みが一瞬走る。
……今何が起こった?
凛音の無事を確認するために彼女の方を見れば、息が止まった。目の前にいる凛音は、血…流している血、目から右頬にかけて付けられた傷、その傷口から血を流している。
「お、おい…凛音…」
今ので失明したかもしれねぇ。失明…?凛音が…?傷……この傷が跡として一生残ってしまったら…?
《守れなかった》
守れたはずだ
《凛音を守れなかった》
何とかなるって思った
《だから俺言ったのに》
瑠都と約束したんだ
《術式が使えないくせに》
たとえ術式が使えなくても!
《呪霊すら見えないくせに》
たとえ呪霊が見えなくても!!
《守ると言ったお前は大馬鹿だ》
絶対守れると信じてたんだ
《じゃあ凛音はなんで血を流してるんだ?》
《アイツとの約束、守れなかったじゃねぇか》
《この先も凛音を守ったとしても、また繰り返すかもしれないだろう?》
《守っても守っても凛音の傷跡が増えるだけだ》
《だからお前は凛音を守れないんだ》
「…………」
……さっきの傷は呪霊の仕業だ。呪霊は俺に触れる。…ということは俺も呪霊に触れる。だったらこの剣で……
「……ぶっ殺してやる」
ぶっ殺してやる、呪霊も俺もぶっ殺してやる───!!!
当時の雫の等級は4級。2級以下の呪霊が閉じ込められている忌庫で命を落としてもおかしくない状況だ。だが、そんな状況でも過去に一度だけ、例外な人物として生き延びた者がいる。
それは禪院家の皆から忘れ去られ、呪力も術式もなかった、"天与呪縛"という超人的な身体能力を持つ者であった。
その者とは違うが、雫は例外な人物として誕生しようとしていた!!
迷いのない剣のさばき、その剣が呪霊に貫いていた。勿論、雫は呪霊が見えていない。急所すらも把握してはいない。だから、斬る、斬る、斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る…とにかく斬りまくる。途中で呪霊に引っかかられようが殴られようが関係ない。動く。凛音のために動け。瑠都がかけた呪いによってとにかく動きまくる。動く、斬る……"殺す"…今の雫の頭の中にはそれしか思い浮かばなかったのだ。
「っ、はぁ…っ!はぁはぁはぁ…」
いつの間にか息をするのを止めていたのを気付き、口を開けば一気に酸素が入り込んでくるのを感じる。脳内に占められる程の多くのモノを詰め込んだような怒りが一気に溢れて狂わされてからどのくらい経ったのだろうか。
「り……んね…」
そういえば凛音は無事だろうか。確認するために振り向こうとした途端、くらぁ…と急に目眩に襲われる。今まで立てていたはずの脚が嘘のように力が抜けて身体がゆっくりと後ろの方へ倒れていくのを感じる。
ドサッと背面が地面に叩き落とされる音が聞こえれば、ああ倒れたんだなと理解する。にしても目眩が酷く、息が苦しい。
この感じは……毒か…そういえば凛音の血は猛毒だっけな?……そんなことはどうでもいい…凛音が無事でいてくれれば…それだけでいいんだ。
声を出す気力がなく、グルグルと回るぼやけた視界のままで目を閉じた。
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呪霊の毒は特に特級呪霊の方が猛毒だ。ということは半呪霊である凛音の血も猛毒。その血を体内に入れば毒で回り、人間の身体が呪霊の血に拒絶反応が出てくるのである。そして最終的に死に至るが、他人に治癒することができる反転術式が使える人がいる場合、無事で済むケースもある。しかし、雫の場合、その反転術式を使える人がいない状況だった。つまり、最悪死ぬ…………はずだった。
「なんで無事なのお前」
一人の躯倶留隊が信じられないようなジト目で雫に声をかける。
「知らねぇ」
雫がそう答えれば、その者は呆れるように息を吐いた。彼の目の前にいるのは確かに雫だ。幽霊でも呪霊でもなく、ただ平然と生きている雫だ。だが、変わったのは髪色だった。
「体内に毒が入った状態で忌庫に3日間で閉じ込められて、今日まで1週間で意識を失うだなんてありえねぇよ、そんなヤツが。しかも髪が紫に変わってるしよぉ」
そう、雫の頭の右半分のみ紫で染められていた。
「それだけで済むヤツなんかいねぇよ、まずは…」
「実際にいるだろ?ここに」
「普通はいねぇよ普通は!しかも1週間意識を失った後に起きて、何も無かったかのようにいつも通り鍛錬するし…なんなのお前」
「さあな」
「さあなってお前なあ…はぁ……」
何かブツブツと言っている者を気にせずに木刀を持って鍛錬し続ける雫。先程まで寝込んでいた人とは思えない程の木刀を力強く、そして軌道良く振っている。
「なあ、俺が意識を失っている間、凛音はどうしてたんだ?」
「詳しい所までは教えてくれねぇが、確か噂では出て行ったらしいぜ」
「……出て行った?」
「ああ、ここが嫌になって逃げ出したんだろうよ。行き先は誰も分からんよ」
この時の雫は、凛音が出て行ったことに心配はしたが、安心した自分がいた。
何も守れない弱い自分をこの先、凛音に見られなくて済む。起きた後にすぐに鍛錬したのは凛音に顔を合わせにくかったという言い訳だった。もう、こんな思いしなくて済む……そう思いたかったが、どうしても罪悪感が隅っこでチラついてしまう。
「あら?まだ生きていたの?」
稽古場に現れたのは真依だった。女中の衣服を纏っており、やや嫌味な笑みを浮かべながら雫を見ていた。雫の側にいた一人の躯倶留隊は「なんだ落ちこぼれか」と呟いていた。
雫は真依の方を見ずに、真依の言葉に対して返した。
「……悪いか?」
「まあ…これで呪霊の恐怖は分かったんじゃないかしら?アイツは禪院家の厄介者だから…だからあなたから離れて正解だったのよ」
「…………そう、なのか…?」
真依は雫の反応を楽しんでいるかのように薄笑いしながら続けた。まるで雫に洗脳をかけるように。
「そうよ。あのままいたらあなたまでも印象悪くなっちゃうからね。だから出て行って正解だったの。あなたはあの女のことを気にせずに自分の役割をやるだけでいいのよ」
「…………そうか…」
真依は言いたいことを言い切ったのか、笑みの中で満足な色が含んでいた。そして、雫に後ろから近付き、耳元で囁いた。
「ねえ、この後暇だったら久しぶりに話さない?」
しかし、離れた場所から他の躯倶留隊の人から雫に呼びかけた。任務の派遣だそうだ。
「…………悪い…」
雫が真依から離れようとした瞬間、足を止めた。そして横目で真依を見た。
「……任務の後…夜ならいいか…?」
真依は何故か驚いたかのような目を少し見開いた後に、いつもの笑みにすぐに戻った。
「うん、いいわよ」
夜。
雫は真依がいる部屋の前まで来ていた。障子の前で正座をし、いつもより小さめな声でかけた。
「真依様、雫です。来ました」
「入っていいわよ」
真依から部屋に入る許可をもらった。両手で障子をゆっくりと開ければ、そこには寝間着姿の真依が布団の上で足を横に投げ出すように座っていた。その真依の姿を目で捉えれば、軽くお辞儀し、中腰で部屋に入ってから障子を閉めた。そして、真依の所に近寄らずに障子の側で再び正座した。
「もっと近寄ってもいいのに」
「いえ…このままでいます」
「ふーん…」
真依は不満そうな表情を浮かべた。そして、ため息を吐けば、立ち上がった。立ち上がった真依は雫の所に歩み寄りながら話し出した。
「真希に続いて凛音も出ていくし雫は素っ気ない男になっちゃったし…もう何なのよ」
雫の近くまで近寄った真依は雫の横に座った。太腿と太腿、腕と腕、肩と肩を密着し、真依の頭は雫の肩口に置いた。
「雫は…昔はこんなのじゃなかったじゃない」
昔。真依が言う昔は雫に術式があるかどうか判明される前のことだった。
生まれつき、呪霊が見える真依は呪霊の存在に怖がっていた。しかも、いつも手を引っ張ってくれていた真希もいない。この状況で真依の恐怖心は増すばかりだった。
「よお真依、こんな所でどうしたんだ?」
真依が振り向いたのは、雫だった。今と違って感情があり、明るくて、よく笑みを浮かべていた。
「し、雫…そこに呪霊がいるの」
「呪霊?この辺りにいるんだな?」
雫は呪霊が見えなかった。真依が見えている方向とは正確に捉えられないが、どこかにいるのだろうと軽く周りを見渡した。そして、真依の方を見て、手を差し出した。
「俺が守ってやっから真依は目ぇ瞑っとけよ」
そう言って雫はニカッと笑った。その笑顔が真依は酷く安心感を覚えていたのだ。
しかし、今の雫は笑わない、距離を取ったような態度を見せている。昔の雫とは真逆だった。
「……そんなこと、ありましたか…?」
雫はその出来事を忘れてしまっていたようだった。真依は覚えているのに。真依は今の雫に不満を覚え、眉を顰めた。
「…雫のバカ」
そう言っているのに真依は雫から離れなかった。離れないように、真依の手が雫の裾をそっと掴んだ。
「…ねえ雫、雫も…どこかへ行かないよね?」
その声はいつもの真依ではなく、怖がりで寂しがり屋という本当の姿を見せていた。
「…………」
雫は答えられなかった。真依のことを見ずに、答えられずに、黙ったままだった。
雫が禪院家を出ていかないかどうか。それは真依からの願いを破り捨てられたのは数ヶ月後だった。
「なぜ出ていくことになった?」
雫の前には肘を立ててやや横になっている直毘人の姿があった。値踏みするような目で雫を見ていた。
「…………分からないです…ただ単に出ていきたくなった…それだけです」
どこを見ているのか分からない、遠い目で見るように淡々とした態度でそう言っていた。周りの禪院家の人は雫に興味無さそうに見ていた。兄の直哉も興味無さそうな態度を晒していた。そして、真依は歯を食いしばって睨むように雫を見て、人に聞こえない小さな声で呟いていた。
「裏切り者…っ」
禪院家の当主である直毘人はハッと目を瞑り、不敵な笑みを浮かべた。だが、その笑みはどこか、ほんのりと寂しげだったのは気の所為だろうか。
「勝手にしろ」
さらに、雫は有り得ないことを発言した。
「……では…禪院家とは勘当させていただきます…」
一瞬だけ、直毘人が時が止まったように硬直していた。そして、ゆっくりと雫を見上げた。
「……本気か?」
「はい…」
即答だった。直毘人は何も言えなくなったのか、隣にいた女中にこう命令した。
「奴に3万やれ」
「かしこまりました」
直毘人から出された金は3万円だった。働くまでに必要なものを揃えて生活が出来ない程の金額だった。それでも雫は反論することも文句を言うこともなく、ただ受け入れていた。
「……お世話になりました」
そう言って、直毘人から離れるように大部屋から出て行った。障子を閉める音は寂しさも悲しみもない、無機質な音だった。
この日、雫が禪院家として、凛音の兄代わりとして、何もかも捨てた日だった────。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「…………なあ瑠都…」
無造作に散らばっている無数の人骨から頭蓋骨を両手で拾った。その骨が瑠都なのかどうか分からない。しかし、これが瑠都の骨だとどこかで感じていた。
「……あの時は…瑠都に酷いこと言ってごめん…」
その頭蓋骨を大切にするように、抱きしめていた。もう二度と離さないと力を込めていた。
「あの時の俺は…自信が無くて…立場的に無理だろって思っていたんだ…だから…瑠都も凛音も突き放した…俺は凛音の兄代わりではないとそう言い続けていたんだ…いや、自分に言い聞かせていたと近いな…」
正座していた足を崩し、足を前に投げ出すように尻餅を着いた。
「……本当に鈍感だな俺は…今になって気付いた……やっと…自分の本音に気付いた……本当は…突き放したくなかった…」
その頭蓋骨が瑠都なら、瑠都が生きていたなら、あの日のように、瑠都を抱き締めているような形になっていたのだろう。
「……禪院家を出て…見知らぬ女と出会って…禪院という苗字を捨てて…普通の家庭を築きたかった…」
なあ瑠都…
「でも捨てきれなかった…」
自信を持って言っていいだろうか…
「俺が今持っている苗字は…アイツらの禪院家として生きているんじゃない…ずっと…ずっと…ずっと……お前らの家族として生きていたんだ…っ」
瑠都が家族として俺と仲良くしてくれた時からずっと…俺は瑠都と凛音の家族だっていうことを言っていいか?
気の所為かもしれないが、瑠都のあの穏やかで柔らかな笑みを浮かべながら「いいよ」と言ったような気がした。