破闇の守護者〜正体は100万分の1を引き当てた最強だった〜 作:時代に遅れている
「今日も、遊ぼうぜ? ……なぁ?」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた顔が視界に映った直後、オレの目の前にあった机が勢いよく蹴り飛ばされた。
「秘術《スキル》――疾風蹴り!!」
「ゴフッ……!」
風を纏った蹴りの衝撃が腹部を容赦なくえぐる。
吹き飛ばされたオレの身体は、教室の隅に固められていたゴミ箱の集合体に激突し、散乱したゴミと一緒に床へ転がった。
「ハッハッハッ!! 見ろよあいつの格好!」
「まさにストライクって奴? ボウリングのピンみてぇに綺麗に飛んだな!」
取り巻きの連中が、ゴミまみれになって蹲るオレを見てゲラゲラと下品な笑い声を上げる。
「ぐっ………ぅ……」
呻き声しか出ない。
「なにちんたらやってんだよッ! 早く来いよ!」
「まだまだやり足りないんだからさ〜。もっと遊んでくれよ?」
そんなこと言われても……。
軋む身体は、すでに限界をとうに超えていた。全身の筋肉が悲鳴を上げ、指先すらまともに動かせない。
「あーあ。定信《さだのぶ》さーん。こいつ、命令聞きませーん」
取り巻きの一人が、わざとらしく呆れたような声で振り返る。
その視線の先から、この地獄の中心人物である定信がゆっくりと歩み出てきた。
「……はぁ?」
定信の底冷えするような声に、場がピリッと凍りつく。
彼はゴミ屑を見下ろすような目でオレをねめつけた。
「おい、お前……俺が言ったこと忘れたのか? お前は俺の『ペット』。俺の下僕だって」
「……」
「お前は一生、俺に飼い慣らされる運命なんだよ。……まさか反抗する気か? 何の取り柄もない、ただのゴミのお前が? んん?」
顔を覗き込んでくる定信の威圧感に、オレは震える声で絞り出す。
「べ、別に……そういうわけじゃ……」
「……酷い話じゃねぇか」
ドンッ!
次の瞬間、定信の蹴りがオレの顎を跳ね上げた。
視界が反転し、身体が宙に浮く。
「俺はお前を――」
空中に打ち上げられたオレに向かって、定信の右腕が異様な膨張を始める。
威圧的なオーラが筋肉に絡みつき、尋常ではない圧が周囲の空気を震わせた。
「養ってやるっつーのによォッ!!」
「秘術《スキル》――荒神豪腕!!」
「ガハッ……!!」
大砲のような一撃がオレの身体に直撃する。
肺からすべての空気が搾り出され、視界が真っ白に染まった。
床に叩きつけられた衝撃で、何かが折れる嫌な音が響く。
(まずい……骨が……。それに、血が止まらない……)
薄れゆく意識の中で、生温かい液体が制服を濡らしていく感覚だけがやけに鮮明だった。
「やべえ……」
「いつ見てもえげつないな、定信さんのアレ」
「仕方ねぇよ。だってあいつ――『神の試練』を乗り越えた、白磁の盤士なんだろ?」
遠のく耳に、取り巻きたちのひそひそ声が届く。
――御扉《みとびら》。
試練を与え、盤士に異能を授けるその扉には三種類の等級がある。
下位から順に『桜』、『翡翠』。そして最高位の『白磁』。
特に『白磁』の鳥居に選ばれた者は、神から直接力を預かるとされ、他の等級とは比較にならないほどの絶大な力を手にする。
定信は、その白磁に選ばれた紛れもないエリート。
だから、誰も逆らえない。どれだけ理不尽な暴力を振るわれようと、持たざる者であるオレには、ただ黙って蹂躙される運命しか残されていないのだ。
「なぜ自分だけがこんな目に」と嘆くことはあっても、かつてのオレは「圧倒的な力が欲しい」と渇望したことなどなかった。
なぜなら、人には誰しも何かしらの取り柄があり、どんなに弱くても、それぞれが自分なりの形で社会の力になれると信じていたからだ。
しかし――今は違う。
異界より唐突に現れる"鳥居"と、そこから這い出る『ものの怪』に怯える日々。
世界はすっかり狂ってしまった。
力ある者だけが法となり、何もかもが許される唯我独尊の異常な社会。弱者はただ、強者に搾取され踏みにじられるだけの存在に成り下がったのだ。
「コラァ!! お前ら、何をやっている!!」
唐突に教室の扉が開き、担任の教師が怒声を上げた。
「……チッ」
定信は忌々しそうに舌打ちをすると、オレの耳元に顔を寄せ、悪魔のように低く囁いた。
「邪魔が入ったな。……まあいい。また、放課後な?」
ニヤリと歪んだ笑みを残し、定信と取り巻きたちは悪びれる様子もなく教室を出ていく。
あとに残されたのは、散乱したゴミと、血を流して倒れるオレ、そして教師だけだ。
「ったく、またお前か、灯道」
教師の口から出たのは、加害者を咎める言葉ではなく、被害者であるオレへの呆れ声だった。
床に這いつくばるオレを、ゴミでも見るような冷たい目で見下ろしてくる。
「いつもいつも問題ばかり起こしやがって……。面倒だから、散らかしたゴミはお前がちゃんと片付けとけよ」
それだけ言い捨てて、教師も足早に去っていった。
白磁の盤士である定信に、ただの教師が逆らえるはずもない。見て見ぬふりをするのが、この狂った世界での正しい「大人」の生き方なのだ。
痛む身体を引きずりながら、オレはゆっくりと窓枠に手をつき、外を見た。
どうして……世界は、こんなにも曇ったままなんだろうか。
見上げた空は、絶望に沈む己の心をそのまま映し出したかのように、どこまでも分厚く淀んだ鉛色の雲に包まれていた。
「養ってやる……か。どっちかというとペット……いや、奴隷だな。コレ」
放課後。定信のパシリとしてヤツの家へ向かう道中、オレは力なく自嘲した。
いつまでこんな生活が続くんだ?
死ぬまで? まさか、本当に死ぬまでじゃないよな?
一生孤独に、ただただゴミとして扱われ続ける永遠の日々。
身寄りのないオレに、頼れる人間なんて当然いない。
まさか――。
『おい、煌介! お前は俺が――一生養ってやるからな?』
脳裏に蘇る定信の歪んだ笑顔。
終わりなき地獄。想像しただけで、あまりの恐ろしさに身震いが止まらなかった。
いっそ、こんなことなら潔く死を――。
「こんばんわ〜、ゴミムシくん?」
唐突に、背後からヘラヘラとした声がかけられた。
振り返ると、そこには見知った不良グループの姿があった。
「いやー、さっきまで鳥居で『ものの怪』と戦ってたんだけどさ〜。見ろよコレ、痛いのなんのって」
「『桜』の等級は辛えよな。名も知らない昔の奴が、ちょびっと力を貸してくれるだけだもんよ」
「てなわけでさ。なってよ、俺たちのサンドバッグに」
ニタニタと笑う彼らの目に、明確な加虐心が宿っている。
逃げないと……!!
しかし――。
「ハハハ!! 転びやがったぜ、こいつ!」
昼間、定信から受けた傷が癒えているはずもなく、もつれた足はあっさりと地面に倒れ込んだ。
「ギャハハ!! ひっでぇ無様!!」
そこからは、一方的な暴力の雨だった。
桜の盤士とはいえ、超常の力には変わりない。
風の刃で切り刻まれ、見えない鈍器で打撲を負わされ、時には炎で直接炙られる。
痛い。苦しい。辛い。
なんて情けない話だろう。さっきまで死にたいと考えていたくせに。
いざ死の淵に立たされると、生きたいと思うからこそ辛く、苦しみを感じる。オレの身体は、まだ生きたいと悲鳴を上げていた。
「た、たすけ……だずけ……っ」
「ギャハハ!! 助かるわけねぇーじゃん! サンドバッグのくせに喋んな!!」
ズブッ――。
笑い声と共に、男の一人が突き出した刃が、オレの心臓を無慈悲に貫いた。
(ああ……結局、オレは最後まで……)
視界が暗転しかけた、その時だった。
――パキンッ!!
オレの胸を貫いていた剣が、内側から弾け飛ぶようにへし折れた。
「なっ!」
「なんだコレ!?」
「火の……鳥居!?」
目の前に、唐突にそれは現れた。
赤々と燃え盛るような、見たこともない『御扉』。
(……御扉? 良かった。オレの前にも、ついに御扉が……)
だが、遅すぎた。オレにはもう、その扉を開けるだけの命の灯火が残っていない。
「火の御扉なんて聞いたことねぇぞ! よし、俺が――」
「え?」
横取りしようと手を伸ばした不良の言葉は、そこで途切れた。
ドンッ!!
御扉の中から突然『人間の手』が飛び出し、不良の身体をボールのように彼方へと吹き飛ばしたのだ。
「な! 御扉から手が!?」
驚愕する連中をよそに、その手は真っ直ぐにオレへと伸びてきた。
そして、オレの身体を力強く掴むと――燃え盛る御扉の中へと、無理やり引きずり込んだのだった。