破闇の守護者〜正体は100万分の1を引き当てた最強だった〜 作:時代に遅れている
『おいおい、なにあのいかにも後でざまぁされそうなテンプレ野郎。勝てんの?』
極限の緊張感の中、脳内に響いた火野の声はひどく暢気だった。
勝てる、勝てないじゃない。ここで勝たなきゃならないんだ……!
オレが内心でそう叫んだ直後、脳内の火野が呆れたようにため息をつき、パチンと指を鳴らした。
すると、視界の空中に半透明の画面が展開され、オレと定信の能力値が残酷なほど明確に並べられた。
【 徳山 定信 】
・契約者:荒ぶる神 須佐男《スサノオ》
・体力:732
・武力:532
・強度:324
・素早さ:120
・直感:54
・霊力:541
【 灯道 煌介 】
・契約者:現人神/鬼日向 火野勝成
・体力:93
・武力:54
・強度:32
・素早さ:194
・直感:234
・霊力:61
「……っ」
絶望的な数値の差に、オレは息を呑んだ。
これが、白磁の盤士。日本神話においても最強格とされる荒ぶる神『須佐男』を宿す者の、圧倒的な暴力の可視化。
まともに打ち合えば、武力532の攻撃を強度32のオレが防げるはずもない。掠っただけで即死だ。
無理だ。この勝負、正面から挑んで勝つことなど絶対にできない。
どーする、一体どうすれば……!
恐怖で足が竦みそうになるオレを、火野の声が鋭く打ち据えた。
『テメェの戦いは、コイツで終わりか?』
『人ってやつは、生まれた時から大きな戦場に出陣してる。そいつはな、「人生」っていう大きな戦場だ』
いつものふざけた態度は消え去り、そこには歴戦の神としての深く重い響きがあった。
『そいつに負けるのは、己の人生に未練を残した奴。よーするに、自分の戦いに諦めて負けた奴だ』
『煌介。テメェの戦いは、ここで終わりじゃねぇだろ?』
粉砕されたテーブルの向こうで、定信が首の骨をボキボキと鳴らしながら、獲物を甚ぶり殺す捕食者の目を向けてくる。
『人生、楽しめりゃ勝ちだ。謳歌して笑えりゃ、それが勝ちなんだ。……だったら、テメェがここでやるべきは、「勝つ」んじゃねぇだろ?』
――その言葉で、冷え切っていた頭の中がパッとクリアになった。
そうだ。なぜオレは、わざわざ相手の土俵に立って「勝とう」などと思っていたのか。
ヤツを見返すチャンスなら、この先いくらでもある。ここで無謀な意地を張って死んでしまえば、それこそオレの人生は定信に敗北したまま終わってしまう。
視線を再びステータス画面に戻す。
圧倒的な格上である定信に対し、オレが唯一上回っている数値。それは『素早さ』と『直感』だ。極限の生存本能が開花させた、逃げ延びるための力。
オレが今すべきことは、敵を倒すことじゃない。
己の全てを懸けて、この場をなんとか切り抜けることだ!
その間、わずか0.001秒。
生存本能による思考の加速が、現実の時間を置き去りにする。
「迷わずあの世に逝かせてやるよ!!」
定信の鼓膜を破るような咆哮と共に、再び必殺の拳が放たれた。
秘術――『荒神剛拳』!
大気を圧縮し、触れるもの全てを粉砕する一撃がオレの顔面を捉え――そのまま、煙のように
すり抜けた
「なに……ッ!」
驚愕に目を見開く定信。
彼が拳を振り抜いたその時、オレはすでにヤツの背後に音もなく立っていた。
(残像……か!)
舌打ちをする定信を背に、オレは息を整える。
秘術――『泡沫の残火』。
焔とは、すなわち熱だ。真夏のよく晴れた日、熱せられたアスファルトからゆらゆらと立ち上る空気の揺らぎ……光の屈折によって幻影が現れる『陽炎』や『蜃気楼』の現象。
オレは自身の魂から発する熱を操り、定信の眼前に本物と見紛うばかりの幻影を創り出して、攻撃を空ぶらせたのだ。
定信は背後を振り返り、オレの周囲に僅かに残る熱の気配を不快そうに睨みつけた。
(微かに残る熱……火に関連した能力か?)
(だとしても、所詮は幻影で回避するだけの小手先の技。この俺にダメージを与える攻撃手段はないってことか?)
オレの逃げ腰な戦法を見切ったと確信したのだろう。定信の顔に、下劣な嘲笑が張り付いた。
「くだらねぇ……実にくだらねぇ小細工だ!」
定信が両腕を広げると、全身から暴風のような神気が立ち上り、周囲の空気がビリビリと震え始めた。
「幻影で惑わすってんなら、どれが本物か探す手間すら省いてやる。幻ごと、辺り一帯吹き飛ばすまでだ!!」
来る……!
オレは全身の筋肉をバネのように収縮させ、床を蹴る準備をした。
相手は白磁の盤士だ。威力を分散させた広範囲攻撃だろうと、今の強度のオレが巻き込まれれば即死は免れない。
だが、あのステータスが示す通り、オレの『素早さ』なら技が放たれる前に攻撃範囲外へと離脱できるはずだ。
迷わず逃げる。そう決断し、一歩を踏み出そうとした――その時だった。
「うぅ……うっ、う……」
――!
微かな、本当に微かな泣き声。
研ぎ澄まされたオレの『直感』が、その音を正確に拾い上げた。
視線を走らせると、先ほど定信が一番初めに粉砕した瓦礫……その物陰に、埃まみれになってうずくまる一人の小さな少女の姿があった。
そうか、あの時の攻撃で飛んだ瓦礫に埋もれて、逃げ遅れてたんだ……!
オレ一人なら、なんとか逃げ切れる。
だが、オレがここで避けたら、あの少女は間違いなく定信の広範囲攻撃の直撃を受ける。
「うらァァァ!!」
定信の凶悪な雄叫びと共に、鳥居出現付近一帯を更地にするほどの圧倒的な破壊の波が解き放たれた。
「……しぶといな。生きてやがったか」
粉塵の向こうから、不機嫌極まりない定信の足音が近づいてくる。
息が、上手く吸えない。肺が焼け焦げたように痛み、全身から止めどなく血が流れ出して視界が明滅を繰り返している。
背中越しにそっと確認すると、オレが庇った小さな女の子はボロボロになりながらも気絶しているだけで、微かに胸が上下していた。
息は……ある。よかった。
とはいえ、こっちも他人の心配ができるほど余裕はない。
広範囲の殲滅攻撃が直撃する寸前、オレは力ある限りの最大出力で焔を爆発させ、その反発力と衝撃波でヤツの攻撃の威力を相殺しようと試みた。
だが、ステータスの圧倒的な暴力は覆らない。完全に威力を殺し切ることはできず、オレの体力は先ほど、一度完全に「ゼロ」になった。
――秘術『残火』。
燃え尽きずに燻り続ける命の火。その能力は、一度だけ体力が尽きた状態からでも、生きる意志さえ手放さなければ、ほんの僅かな体力を残して強制的に生き延びるというもの。
火野さんがくれたあの特別報酬《ボーナス》がなかったら、間違いなくオレは肉片すら残らず消し飛んでいただろう。
だが、代償としてオレの霊力は文字通り空っぽだ。指先一つ、まともに動かすこともできない。
定信は瓦礫の中で立ち上がれないオレを見下ろし、爬虫類のような目をスッと細めた。
(幻影による回避に、爆発による威力相殺……。意外に応用が効くんだな、コイツの能力。このまま経験を積まれて、俺たちトップ層に並ばれても厄介だ。……今のうちに摘んでおくのが道理ってもんだろ)
ヤツの全身から、先ほどまでの遊び半分な態度とは次元の違う、冷酷で重い『本物の殺意』が膨れ上がっていく。
確実な死の気配。
それでも――オレは血に濡れた口角を、僅かに吊り上げた。
大丈夫だ。あと少し。
あと少しだけ耐えきれば、この勝負……オレの勝ちだ。
「今、この瞬間……確実に殺すッ!」
定信が、トドメを刺すべく地を蹴った。
死神の鎌のような白磁の剛拳が、無防備なオレの脳天を砕こうと無慈悲に迫り来る――。
振り下ろされるはずだった必殺の拳が、突如として空を切った。
「うわっ、なんだこれ!? ゲホッ、ゴホッ!」
定信の顔面を覆い隠すように、濃密な煙が噴き上がる。
ヤツは勢いを殺しきれずにたたらを踏み、喉を掻き毟りながら激しく咳き込んだ。
――秘術『火刑・無空』
古来より、罪人を炎で炙る火あぶりの刑罰が存在した。
しかし、この刑における本当の絶望は、皮膚を焼かれる熱の痛みそのものにはない。
炎が激しく燃焼する過程で周囲の酸素を急激に食い尽くし、極所的な真空状態を作り出すことによる『窒息』。息を吸おうと肺を膨らませても空気が存在しない、無酸素状態に陥る絶息の苦しみこそが、真の処刑なのだ。
「ゲホッ、ゴホッ……! 煌介、ゴホッ、ゲホッ、ゴホッ……テメェ……!」
血走った目で涙を流しながら、定信が怨嗟の声を漏らす。
広範囲を吹き飛ばすような大火力を生み出すことは、今のオレには到底できない。だが、ヤツの衣服にわずかな火種を纏わせ、顔の周囲だけで急激な燃焼反応を起こして酸素を奪い取るという物理的な絡め手なら、底をつきかけた微小な霊力でも十分に実行可能だった。
ここからは、時間との戦いだ。
オレの霊力が完全に尽きてこの能力が解除されるのが先か。
それとも、酸欠で意識を刈り取られる前に、ヤツのデタラメな腕力が盲滅法にオレを殴り飛ばすのが先か……。
もってくれ……!
視界が黒く霞み、膝が笑う。
極限状態の中で、オレは自身の命を削るようにして、ヤツの衣服で燻る不可視の焔へ残りの全てを注ぎ込み続けた。
10、9、8、7、6、5、4、3、2、1――。
0。
オレの霊力が完全に底をつき、炎を維持していた意識が限界を迎えて途切れる。
それと同時に、定信の顔を覆っていた濃密な煙がフッと霧散した。
「ゲホッ、ゴホッ! ゲホッ……ゴホッ……あ?」
酸素を貪るように喉を鳴らして吸い込み、涙と充血で霞む目を細めた定信は、すぐさまそこにあるべき光景がないことに気づいた。
足元に転がっているはずの無惨な死体が、ない。
「……奴が……煌介の野郎、逃げやがったのか!!!」
瓦礫の山となったカフェの跡地に、定信の怒号が響き渡る。
「クソォォ!! あの野郎ォォ!! この俺をコケにしやがって!!!!」
底辺のゴミだと見下していた相手に出し抜かれた。その事実が、白磁の盤士である彼の異常なプライドをズタズタに引き裂いていた。狂乱したように、周囲の残骸を拳で粉砕する。
「殺す、殺す、殺す! 絶対に殺す! なにがあっても! お前だけはッ!!」
「――うるさいですよ?」
極限まで高まった定信の殺意に冷水を浴びせるような、ひどく静かな声だった。
「なッ!」
振り返った定信は、自身の周囲の景色が唐突に異様な変貌を遂げていることに気づき、息を呑んだ。
破壊されたはずのビル内の光景が消え去り、代わりに和紙と墨で描かれた巨大な『屏風』のような空間が、彼を完全に包囲していたのだ。
(こいつは……屏風の中か!? 空間そのものを隔離する能力……!つーことは)
「全く、なにを男がぐちぐちとみっともなく言っとるんか!!」
驚愕する定信の前に悠然と姿を現したのは三人。
先ほどの静かな声の主である、薄緑色の髪を綺麗な姫カットに切り揃えた少女。そして、呆れたようにため息をつく豪快な雰囲気の女性。最後に――。
「お前、気づかなかったのか? お前自身が特権で扱ってるそのGPSの管理装置……『俺たちも扱える』ってことによ」
手元のタブレットを揺らしながらニヤニヤと笑う、前髪をV字に切り揃えた青年だった。彼の手元からは、なぜか不釣り合いな甘酸っぱいケチャップの匂いが漂っている。
盤士同士の私闘を禁ずる連合会のルール。特権にあぐらをかき、派手に街中で暴れ回った定信を、彼らが管理システムを通して見逃すはずがなかったのだ。
「う、うるせぇ!! 俺は奴を――!」
「だから、ガタガタとうるさいと言っとるじゃろうが!! やかましい!」
反論しようと声を荒げた定信の言葉は、女性の放った雷のような一喝と、空間を揺るがす圧倒的なプレッシャーの前に完全に掻き消されたのだった。
「ええい、御託ばかりを並べおって! 喧しいッ!」
空気を叩き割るような女傑の一喝が、閉鎖された和の空間に雷鳴のごとく轟いた。絶対の自信を誇っていた白磁のエリートの顔が、その凄まじい覇気に圧されて僅かに引き攣る。
張り詰めた対峙の裏側では、既に連合会の実働部隊が迅速な救助作業を展開していた。
「対象の女児、確保しました!」
制服の職員が、煤に塗れた小さな躯を慎重に抱き上げる。そこへ、巌を思わせる巨漢の男が静かに近づき、短く問うた。
「ご苦労、容体は?」
「外傷こそ多いものの、呼吸は安定しています。ただ……この凄惨なグラウンドゼロの中心で生還できたのは、もはや奇跡です」
その報告に、巨漢の男は半壊したフロアへ険しい眼差しを巡らせた。
最高等級の異能者が本気で暴れ回った惨状。本来であれば、子供一人はおろか、コンクリートの壁ごと塵芥と化しているのが必然だ。
にもかかわらず、女児が倒れていた地点だけが、まるで見えない結界に守られたかのように原型を留めていた。そこに微かに燻る、空気を焦がしたような熱の痕跡。
(監視映像に映っていた、あの一位《レベル1》の少年。白磁の神霊にすら屈せず、己の身を盾にして無辜の命を庇い切ったか。あまつさえ、我々が介入するまでの時すら稼ぎ出すとは……)
空間に溶けゆく残り火の気配に、男は武者震いにも似た感情を抱いた。停滞した盤上の世界に、嵐を呼ぶ強烈な『新風』が吹き込んだことを確信して。
時を同じくして。
「カハッ……ァ……、ハァッ……!」
惨劇の現場から数区画離れた、人目のつかない雑居ビルの隙間。
オレは泥水を舐めるようにアスファルトへ這いつくばり、ひび割れた肺へ無理やり酸素を送り込んでいた。
肉体の駆動限界などとうに超えている。魔力に等しい霊力は最後の一滴まで搾り尽くされ、脳髄に焼け火箸を突っ込まれたような激痛が視界を明滅させていた。
『残火』の加護がなければ間違いなく死んでいた。指先ひとつ動かすことすら叶わない、完全なガス欠状態。
だが、確かにオレの心臓は脈打っている。
……助かった。オレは、生き延びたんだ……!
重い瞼を押し上げる。灰色の空は相変わらず分厚い雲に閉ざされ、薄暗いままだった。
しかし、もう絶望に染まった景色には見えなかった。あの絶対的な死の象徴から逃げおおせ、見知らぬ少女の命をその手で繋ぎ止めることができたのだから。
『テメェの戦いは、ここで終わりじゃねぇだろ?』
焦燥の中で響いた火野の問いかけが、再び脳裏をよぎる。
そうだ。運命を呪い、ただサンドバッグとして蹂躙されるだけの『弱者』はもう死んだ。
理不尽が罷り通るこの狂った世界に牙を剥き、望む明日を奪い取るための第一歩を、オレは確かに踏み出したのだ。
だからこそ、『力』が要る。
誰にも虐げられず生きるために。絶望的な状況を生き抜くために。
何より――己に課せられたこの過酷な『戦い《じんせい》』に、完全な勝利を収めるために。