オートジャイロ。ヘリコプターのご先祖様。
※PINE
ピネではない。
雲一つない快晴の日。あきつ丸は訓練場でカ号の発着訓練をしていた。
彼女の練度が足りていない訳では無い。ただ、何もしない日があるとそれだけ自身の腕が鈍るので反復練習をしているのだ。といっても艦載機を持つ艦娘にとってのそれは人が自転車に乗るようなものであり、そう簡単に鈍ったりはしないのだが。
カ号がくるりとアクロバットを行った瞬間に、不意にびゅうと風が吹いた。
「おっ、そういえば今日はカレーの日でありましたな」
あきつ丸の鼻をくすぐったそれはカレー特有のスパイスの香り。いわゆる『海』に所属する艦娘には必ず金曜に振る舞われ、当鎮守府においては名物でもあるそれだ。
あきつ丸は訓練場の隅にある外灯に取り付けられた時計をチラと見た。時計の針は食事の五分前を丁度示したところで、お馴染みの那珂の声が木霊した。
『那珂ちゃんが!夕食五分前を! おしらせしまーーす!!』
相変わらず元気であります。あきつ丸は声に出さず発艦させていたカ号を幻灯機の影にしまい込み、彼女にしては大変珍しく満面の笑みを浮かべながら食堂に向かって行った。
「おっ、なんかキミ凄くご機嫌やん。なんかあった?」
「秘密であります!」
途中で出会った龍驤の脇を通り抜けて、あきつ丸は破顔したまま独りごちた。
「やっぱり、提督殿のカレーは何度食べても楽しみなのであります!」
■■■
一年と少し前。あきつ丸は『陸』に所属する者を『海』に派遣するというプロトケースの被験者となった。
訓練は積んだ。礼やマナーも学んだ。演習にも参加した。それでもなおあきつ丸の体は硬い。
なぜなら、『陸』の都合によって本来午前のうちに挨拶を済ませておくはずがズレにずれ込み夕方の五時。『陸』の都合というのもなんてことはない物で、つまりは上層部の只の嫌がらせであった。
しかし矢面に立たされたあきつ丸はたまったものでは無い。一体どんな罵詈雑言が飛ぶかと戦々恐々である。流石に送り返すなどという事はないであろうが、風当たりが強くなることはもはや避けられぬことであった。
(恨みますよ、将校殿…!)
取り次ぎ待ちの為に鎮守府の前で直立不動のままの彼女は、陸の上司である禿げ頭を頭の中で呪った。そしてこれからの上司となる提督のことを思い浮かべて身震いする。
禿げ頭の持ってきた顔写真と身体的特徴を思い浮かべるに、提督とは苛烈な人物だろうとあきつ丸は思う。切れ長の目に深淵のような瞳、傍目でもわかるような絞られた体、そして数多くの逸話である。
曰く、軍学校時代に対人訓練で相手を再起不能にした回数は三ケタを超え、内訳には教官を含んでいる。曰く、女とは思えぬ長身である。曰く、「だーくえるふ」などというおとぎ話で出てくるような妖魔の類と比較されるほどの人物である、等。
遠くに見える大箱を担いだ用務員を見ながらあきつ丸はどうにか気を紛らわそうと適当な事を考え始める。
(ずいぶんと大荷物でありますな。箱には「PINE」と書いてありますが…はて、ぴね?それに用務員殿は女性であります。随分と背が高いようでありますなぁ…)
並んでいる眼鏡を掛けた艦娘より頭一つ大きい用務員は大箱を担いだまま建物の影に隠れて見えなくなってしまった。
視線を戻すと丁度取り次ぎに行っていた艦娘が秘書艦と思わしき艦娘を連れてきているところだった。あきつ丸は先ほどまでの現実逃避を頭の中のゴミ箱に丸めてポイし、姿勢を正して向き直る。
「ごめんな、待たせてしもて」
「いえ!元はと言えばこちらの責任であります!この度は何とお詫び申し上げれば良いか…!」
あきつ丸と向き合ったのは小柄な艦娘。茶髪をツインテールにまとめた、幼さを感じさせる矮躯の女性だ。しかしその幼さとは裏腹に体の動きや目の動きに切れがあり、また年長者としての余裕が見えた。自分の目を信じるならば、あきつ丸はこの艦娘を手練れと評するだろう。
「ま、堅苦しい挨拶は抜きで。ウチは龍驤や」
「…これは申し訳ありません!自分はあきつ丸であります!若輩でありながら名乗り遅れたことをお許しください!」
うわ、手の掛かりそうな子やなーと龍驤は思った。あきつ丸は今も敬礼をしているが、緊張しているのか『陸』の敬礼のままだ。その事を突っ込むとまた面倒くさい事になりそうなので挨拶もそこそこに龍驤は話を切り込む。
「で、提督なんやけど今は手が離せんのや。そのまま待つんもなんやから食堂でご飯食べてからな」
「は…はっ!了解であります!」
「今日はあきつ丸ちゃんのためのスペシャルメニューやで~。夕食に間に合ってよかったわ」
(非情に心苦しいであります将校殿ぉー!)
陸の方はねちっこい嫌がらせをしているにも関わらず海では歓迎の用意すらあることにあきつ丸はこれまでに体験したことが無い程の気まずさを感じていた。なんだかもう謝罪しながら走り回りたい気分だった。
「じゃあ、着いてきてな」
「はい!」
しかし実際そんな訳にはいかず。その内心を仏頂面に押し込んでただ粛々と龍驤の背を追いかけた。
「海はどう言う所か聞いとる?」「苦手な食べ物ない?」「キミ胸でかいなぁ」といった龍驤の言葉をとにかく気分を害さないように曖昧に返しつつ辿り着いたのは宿舎と小奇麗な大衆食堂を足して二倍掛けしたような大きな場所。
それにふさわしい大扉をくぐると中に居た艦娘全員の視線が龍驤とあきつ丸に向いた。
(は…針のむしろであります!!)
さっきまでざわついていたはずだったのに急に静かになったことにあきつ丸は再び凄まじいほどの気まずさを感じていた。許されるのならスッポンポンで海にでも飛び込めるような気分だった。
「今あんまり席空いてないからココ座ろか。入口前でごめんなんやけども」
「いえ、お気になさらず!」
しかし実際そんな訳にはいかず。青い顔をしながらも龍驤の隣に座る。向かいにある「予約席」というプレートが何を示すのか判らなかったが、今のあきつ丸の心理状態ではそんな些細なことをも聞くことも憚られた。
ざわり、と空気が変わった。
空気に気が付いたあきつ丸が意識をプレートから出入り口に戻すと、随分と背の高い眼鏡の艦娘が大荷物を持って立っていた。
「お待たせしました!今日の特製カレーは『パインカレー』ですよ!」
「キタコレー!」「おっそーい!」「ハラショー」「来た!特製カレー来た!」「これで勝つる!」
眼鏡の長身艦娘の言葉に各々が歓声を飛ばす。しかしあきつ丸はただカレーを持ってきた艦娘を見つめていた。そう、先ほど用務員と一緒に歩いていた艦娘と瓜二つなのだ。そして用務員はこの艦娘より頭一つ分大きかった筈で…。
そこまで考えて、眼鏡の艦娘の後ろにもう一つ影があることに気が付いた。似合ってない割烹着を来てこれまた大荷物を抱えた、見上げるほど大きな色黒の女。
曰く、女とは思えぬ長身である。
提督の身体的特徴を想い出し、あきつ丸は全身が粟立つのを感じた。想像していたよりもずっと大きく、その威圧感は将校と面談したときよりもずっと強かったからだ。
その威圧感に意識をどこかにやってしまい、ふと気が付いたときには向かいに提督が座っていた。そしてお互いの手元には半分に切られたパインの中をくりぬいて作った皿に盛ったカレーライスとスプーン。
一体どれだけ茫然としていたのか。そして自分はどうすればいいのか。その疑問に隣の龍驤が教えてくれた。
「ま、カレー食ってみ?」
意識は提督に向けたまま、言われるがままにカレーを口に運ぶ。とたんビリビリするような刺激が口の中で暴れ回った。
(───!?滅茶苦茶辛いであります!)
あきつ丸は口を押え水を取ろうとした…が、その手は途中で止まった。初めに感じた刺激は一瞬でなりを潜め、その後にはそれなりの酸味とほのかな甘みが口を満たしたからだ。
不思議に思ったあきつ丸はもう一口食べてみた。再びビリビリするような刺激が口の中で暴れ回ったが、一瞬後にはうま味だけが残る。
とにかく不思議だった。何を使えばこんな味になるのか再び口に含もうとして、提督と目が合った。
提督は僅かにではあるが笑っていた。嘲笑の類では無く、母が子に向けるような慈しみを含んだ微笑。
こんな顔が出来たのか、そう思うあきつ丸は自身の顔が赤くなるのを感じていた。
「うまいか?」
「…はい」
提督の短い問いにあきつ丸も短く返す。これがあきつ丸と提督が初めて交わした言葉であった。
隣の龍驤が肘でツンツンとあきつ丸をつつく。
「実はな…このカレー作ったん提督なんやで」
あきつ丸は飛び上がるほど驚いた。
■■■
それから金曜日の夕食の時、提督の向かいはあきつ丸の特等席になった。
競争率は高そうだったのだが別にそんなことは無かったので龍驤に聞いてみた所、意外な事が発覚した。どうも提督は自分の作った料理を他人に食べさせるのが好きで、向かいに座ればじっと見つめてくるので凄まじく気まずいのだ。
確かに提督は威圧感が凄まじいし、あの黒い瞳にじっと見つめられるのは恐怖だろう。でもあきつ丸は別にそんなことはどうでも良かった。
「うまいか?」
「はい!提督殿のカレーは最高に美味であります!」
なんといっても、提督に一番最初に感想を告げることが出来るのだから。
PINE=パイン
提督特製パインカレー
パインが皿になっている見た目にも楽しいカレー。漣が執務室に持ち込んだ漫画を読んで思いついた。
各種スパイスのほかにマスタードが入っていて凄まじく不思議な味だが、その謎の味が艦娘に大人気。
これを作った日のデザートには必ずパインが付く。
眼鏡の長身艦娘
180cm強。自分より背の低い天然気味の姉が三人いる。
予約席
皆が一望できる場所にある提督指定の席。プレートにはたまに落書きが増えている。
あきつ丸
陸出身の艦娘。生真面目であるがゆえにメンタルが弱くたまに現実逃避をすることがある。
上官は敬うものという強い固定概念を持っており、砕けた話し方をすることはほとんどない。
夕張と見ていたアニメ、ミスター味っ子にパインカレーが出てきたときに「提督の発想はアニメに参考にされるほどの物でありましたか」と勘違いを起こしている。あとおっぱいが大きい。