とある悪徳オペレーターの音声ログ 作:ロボバトル曇らせメリバ百合風味
4月1日
私は死ぬ。あと一週間で。
……。
マジで?
ーーー
四月。近づく春の足音を遠ざけるような、冷たい雨の日のことだ。
「えっ……?」
薄暗い路上。オペ子がうつ伏せで倒れ、雨に打たれている。
顔は見えずとも、艶のある黒髪、小さな体格、雰囲気は間違えようもなくオペ子のものだ。
「なん、で……」
今日はオペ子を組合の自室に招き、昼食を共にするはずだった。予定の時刻を過ぎても姿を見せないオペ子を探し、組合からほど近い場所の路地に入ったところでオペ子を見つけたのだ。
これは現実なのか。夢を見ているのか。なぜオペ子が倒れている。
思考が千々に乱れ、目の前の光景が現実として受け入れられない。
それでも呆けていたのは数秒で、体はすぐに動いていた。呆ければ死ぬ戦場の経験が活きたのだろう、と他人事のように思う。
「オペ子さんっ!」
呼びかけ、抱き起こす。体は冷たく、肌は死人のように白いが、呼吸はしている。ケガをしているようには見えない。
カモ子は震える手で端末を取り出し、傭兵組合に連絡を取る。
「急病人です! 助けてください!」
ーーー
組合は多額の使用料と引き換えに、傭兵に必要なサービスを幅広く提供している。医療もその一つだった。
あの後すぐに駆け付けた医療班がオペ子を回収し、組合内施設で治療を施した。
といっても、具体的に何をしたのかは分からない。医者は沈痛な顔で口を噤み、ただオペ子を病室に移す旨を伝えるだけだった。
「おや、カモ子。面倒をかけましたね」
「オペ子さんっ!」
病室に入ると、オペ子はもう起きていた。
思わず力一杯抱き着こうとして、どうにか思いとどまる。病人にそんなことをしてはいけない。
オペ子は小さく笑った。
「気遣いどうも」
「ううん。それよりどうしたの? 何か病気?」
「体が急にありえないくらい痛くなったんですよ。痛み止めODも効かなくて、失神しちゃいました」
「体ってどこ? ODって何?」
「がぶ飲みって意味です」
言葉を濁しているのが分かる。それでもただごとではない事態なのは確かだ。薬をがぶ飲みしても効果がない痛みなんて。
「というわけで、先生のご意見は?」
カモ子が震えていると、オペ子が視線を白衣の男性に移した。先ほどオペ子を治療したという医者だ。
黙り込むカモ子を一瞥して、彼は口を開く。
「彼女は家族か何かか?」
「同僚です。大丈夫ですよ、言っちゃって」
「極めて重い事実を言わねばならん。本当にいいのか」
無表情で念を押す医者。普段通りに穏当な外面を保っていたオペ子が背筋を伸ばし、カモ子もそれにつられて姿勢を正した。
病室は個室で、カモ子たち三人しかいない。その点を配慮するくらい、重たい病気なんだろうか。カモ子の心臓が緊張で強く脈打つ。
オペ子が頷く。
すると医者はあっさり、告げた。
「AP症だ。余命はおよそ一週間。延命は不可能」
「……へ?」
訳が分からない。
言葉の意味は分かる。余命とはあとどれだけ生きられるか、ということ。オペ子にはその時間が一週間ある。それが過ぎると生きられない、死んでしまう。
なぜ、どうして。
「君の体はAP──アズール粒子に浸食されている。ほんの電子数個分の質量ではあるが、それが致命的であることは、元傭兵なら分かるだろう」
「……待ってください。生身でAPに触れたことなんて一度も──」
オペ子がハッと息を呑み、俯く。
「あの時か……」
「一度体内に入ったAPを取り除く方法はない。細胞の一つ一つを炭化させ、いずれは重要臓器さえも……今生きているのが奇跡的だ。いつ曝露した?」
「一年と少し前ですね」
医者の仏頂面が驚愕に染まり、あんぐりと口を開ける。
「なぜ生きて……人間か?」
「失礼な。それより、どうにもならないなら痛み止めとかくれません? 超痛いんですけど」
「あ、ああ。市販の痛み止めでは効かないだろう。出しておくよ」
「待ってよっ!」
淡々としたやり取りをたまらず遮るカモ子。
「オペ子さん、死んじゃうなんてウソでしょ……? なんでそんなに……どうにかできるよ、どうにか……!」
カモ子の頭がかつてないほど稼働する。
AP症とは、アズール粒子が体を侵食することを指すらしい。
APは常温でプラズマ化していて、あらゆる原子に潜り込みその熱量で崩壊させる性質がある。無機物はガスに、人の体であれば炭にされてしまう、といつかオペ子から聞かされた。
そのとき言っていたはずだ。零下40度でプラズマの粒子から固体になると。
「冷やせばいいんです! 冷やして固めた粒子を取り除けば……」
「粒子は呼吸器と心臓周辺の細胞と完全に一体化している。冷やせば粒子に関係なく凍死するぞ」
言下の否定。
所詮は素人の浅知恵だ。その程度で取り除ける物質なら、汚染区域など生まれていない。二の句が継げず、カモ子は唇を噛む。
それでも考えるのを止めない。オペ子がたった一週間で死んでしまうなんて到底受け入れられない。すべてを丸く収める魔法のアイデアが何かあるはずだ。
ラルヴァや御老公のときのような、死が間近に迫ったときよりも更に深く、激しく思考に浸る。
だからだろう。関係ないはずの記憶の情景が再生され、カモ子は悟った。
どうしようもない真実を。
「──っ」
テックマンの施設から逃げた。
大きな乗り物、オリジンに乗った。理性を失い、破壊をまき散らした。
そんな自分を止めてくれたADがいた。そのADは装甲の一部が抉れていて、コックピットが露出していた。中には血を流すオペ子の姿があって、周囲には──青い燐光が瞬いていた。
「私のせい──?」
アズール粒子は青い。透き通るように輝く青白い粒子だ。オリジンはその青を身に纏っていて、オペ子は生身の傷口を晒していた。
あの戦いでオペ子の体は粒子に侵され、あと一週間で死ぬ。
だから、つまり。
「私のせいで……私が、オペ子さんを殺すの?」
オペ子が先ほど言葉を濁した理由。失神するほどの痛みが生じたのは、きっとあのときカモ子が付けた、胸の傷痕だった。
すでに記憶を取り戻したにもかかわらず、何かを見落としている違和感があった。致命傷に気付かず放置しているような落ち着かない感覚。日常の幸せに埋没して気にならなくなっていた焦燥。
錯覚と思い込んでいたそれの正体を、今更になって悟るのだった。
ーーー
夜の町を駆け抜ける。降りしきる雨も冷えていく体も知ったことではない。どこに向かっているのかも分からない。
罪を悟った直後、カモ子は病室を逃げるように後にした。
逃げるよう、ではなく実際逃げたのだろう。自らの罪と、オペ子から。
オペ子は文字通り命の恩人だ。最初に出会ったオペレーターがオペ子でなければ、カモ子は傭兵になって間もなく死んでいただろう。
そもそもテックマンの施設で起きたあの騒動も、おそらくはオペ子によるものだった。暴走したカモ子を止めてくれたことを含め、知り合う前からオペ子には恩がある。今の幸せな暮らしがあるのもみんなオペ子のおかげなのだ。
その大恩を、最悪の形で裏切ってしまった。
オペ子は死ぬ。自我を失ったカモ子が負わせた傷のせいで。
「あっ……」
足がもつれ、倒れ込む。
路面はいつしかむき出しの砂地に変わっていた。周囲には廃材を組み合わせた簡易住居の黒々とした影がそびえる。いつの間にか九番街に戻って来ていたらしい。
体調を崩したカモ子を心配して、やってきたオペ子と初めて顔を合わせたのもここだった。
けれど今、力なく倒れて雨に打たれるカモ子に手を差し伸べる者はいない。真っ先に駆け付けてくれるオペ子は死の間際にいるのだから。
「う、うぅ……」
唐突に涙が出てきた。自分に泣いている資格なんてないのに、という自虐がよけいに涙を溢れさせる。弱く惨めで情けなくて、消えてしまいたかった。
そうしてぐちゃぐちゃに砕けた心の重さに、押しつぶされそうになっていると。
「ちょっと! 大丈夫!?!」
体が抱き起こされた。
艶やかな水色の髪、切れ長の目の少女。PJだ。
「何があったのよ。あーあ、びしょ濡れじゃない」
「なんで……」
PJはカモ子についた泥をハンカチで拭い、傘を広げながら、
「オペ子さんから頼まれたの。メンタルケアよろしく、たぶん九番街の方って」
「はは……」
オペ子はなんでもお見通しだった。
その優しさが今は辛い。乾いた笑いが漏れ出る。
PJはカモ子の手を取り、近場の廃材の影に移動した。雨足は強く、傘一つで二人が動いては濡れてしまうためだろう。
薄っぺらなトタンの壁に背を預け、PJは口火を切る。
「で、何? 正直、あの人に解決できないことを私がどうこうできるとは思えないけど」
「……私のせいなの」
「何が」
「私のせいで、オペ子さんが死んじゃう。一週間で。私のせいで。私が殺すの」
「……は?」
唖然とするPJに、カモ子は語る。
その口調はあまりに訥々として頼りなく、語るというよりむしろ、砕けた心の欠片が言葉となって零れ落ちるようだった。
ともすれば支離滅裂な単語の羅列を、PJは辛抱強く受け止め、読み取り、次第に顔を青くしていく。
しばらくしておおむね事情を把握したPJは、なんとか声を絞り出す。
「何かの間違いじゃ、ないのね?」
「だったらいいね」
勘違いであればいい、と思う。
しかし事実は変わらない。記憶を反芻すればするほど、あのときADに乗っていたパイロットの顔がはっきりしてきて、それはオペ子以外の何者でもない。
オペ子は生身でAPに曝され、そのためにもうすぐ死ぬ。どうしようもない現実だ。
「オペ子さんは、あんなに良くしてくれたのに……オペ子さんがいないと、私なんてすぐ死んでたのに……あんなに優しい、大好きな人が、わ、私のせいでっ、死んじゃう……っ」
泣いている場合じゃないのに、涙ばかりが溢れる。
かといって他にどうすればいいのか? カモ子には何も分からない。
膝に埋めていた顔を上げ、縋るようにPJを見る。
「どうすればいい? ごめんなさいってすればいい? 許されるわけない。もうやだ、消えたい……オペ子さんに命あげて消えちゃいたい……」
ぱちん、と乾いた音。
頬が熱い。PJに頬を張られたのだ。
この程度の痛み、何百回受けても償いにはならない。力なくPJを見返して、目を見開く。
PJも泣いていた。叩かれたカモ子よりも痛そうに顔を歪め、玉のような涙を流す。
「しっかりしろ!」
カモ子の肩を掴み、まくしたてるPJ。
「正直、私だって分かんない、何を言えばいいのか……でも! あの人から逃げるのは違うでしょ! どうしようもなくっても、許されなくても、怖くても! あの人から逃げちゃダメ! 消えたいだの死にたいだの、情けないこと言うなっ!」
無茶苦茶だ。今更何をしても過去は変えられない。取り返しのつかない現実とそれでも向き合えなんて。
言い返そうにも喉がつっかえて何も出ない。
すると、PJはそんなカモ子の頭を引き寄せ、自身の胸に押し付けた。薄い胸板越しにPJの激しい鼓動を感じる。
「どうしてもその勇気が出ないなら……情けない気持ちは全部、ここで吐き出していきなさい」
雨で冷え切った体に、PJの体温が染み入る。厳しくも優しい気持ちにあてられて、涙がとめどなくあふれ出る。
そうしてカモ子は友人の胸に抱かれ、声にならない悲鳴と情けない弱音をありったけぶちまけるのだった。
ーーー
数時間後。
涙は枯れた。これ以上は一滴すら出ない。
「水没したみたいになっちゃったわ……」
PJは涙と鼻水でぐずぐずにされた上着を脱ぎ、顔をしかめている。
「ごめん、ありがとう」
「ん」
軽く頷くPJ。カモ子はぶんぶん首を振り、雨足の弱くなった空を見上げた。
事態は何一つ好転していない。気分はこれ以上なく最悪だ。死んでしまいたいほどの罪悪感もまだ残っている。
とはいえ、気持ちに押しつぶされてただ泣いてばかりでいることは間違っていると、確信する程度の余裕は取り戻した。
カモ子は立ち上がる。
「オペ子さんに会いに行くよ」
「ええ」
「……ついて来て?」
「なっさけないやつ!」
カモ子は崩れ落ちた。
涙は目が痛くて出ないだけで、心の方は砕けた破片を無理やり繋げただけの状態だ。再び死に体モードに入り、膝を抱えだす。
「怖い怖い怖い怖いどうしようどうしよう……」
「もー! 怖いって何がよ! オペ子さんに怒られるかもってこと!?」
「分かんない、とにかく怖い!」
「いい加減にしなさいよぉ!」
数時間前の焼き直しになりそうな気配を悟り、PJが激高する。その迫力にカモ子が怯え、頭を抱えてふさぎ込む。
終わりのない無限ループに陥ろうかというとき、激しいブザーが鳴り響く。
「なっ、なに!?」
カモ子は反射的に跳ね起き、周辺を警戒した。そのブザー音は、機体ダメージが五十パーセントを超えた場合の警告音と同じだったからだ。
しかし今は生身である。
そこでやっと思い至り、携帯端末を取り出した。
『緊急要請』
見たことのない、白地に赤い文字が綴られたメッセージが届いていた。
「私にも届いてるわ。組合からみたいね」
二人は顔を見合わせ、同時にメッセージをタップ。
そしてすべての因縁の終着点となる戦いが、間近に迫っていることを知るのだった。