とある悪徳オペレーターの音声ログ 作:ロボバトル曇らせメリバ百合風味
『PJが帰ってこない。心当たりがあれば連絡を』
YJから届いたそのメッセージを目にしたとき、カモ子が最初に感じたのは驚きと、次いで心配だった。
どうしてあの子が? とにかく詳しい話を聞かなければ。
そうして無駄とは知りながらPJに連絡を入れようとしたところで、やっと思い至る。
「私のせい……?」
カモ子の失われた記憶を調べる依頼。どんなルートで調べるにせよ、カモ子のいた施設の関係者、つまりはテックマンの情報を集めるのは避けられないだろう。
カモ子には大雑把な知識しかないが、テックマンが生易しい組織でないことは察している。
そんな組織が、自分たちの情報を嗅ぎまわる怪しい誰かを見つけたとして、どんな行動に出るか。
血の気が引く。冷汗が止まらない。
「お姉ちゃん? どうかした?」
「な、なんでもないよ。あの、出かけるから、みんな家にいて。カギ閉めて、絶対誰が来ても開けちゃダメだよ」
「え、え?」
困惑する妹たちを置いて、カモ子は組合の自室を飛び出した。
あてもなく通路を駆けながら端末をタップし、もっとも頼れる人物──オペ子に連絡を取る。一人で頑張ってみるなんてのんきに構えて居られる段階ではない。
しかしいくら発信しても、コール音が鳴るばかりで応答がない。
続いてPJ、YJにもかけてみる。こちらも応答がない。PJは当然だが、YJはどうしたのだろう。最後の望みとしてかけたムイの応答もなかった。
「はぁ、はぁ……」
息を切らしてたどり着いたのは、第九ガレージの三十番ハンガー。修理と補給を終え万全の状態に整った愛機『ダイコク』が佇んでいる。
これに乗れば世界のどこにでも行ける。おそろしい無人機とだって戦える。
けれど今はどこに行けばいいのか。迷いを断って導いてくれるオペ子はいない。優しい友だちのPJも、圧倒的な実力と知識を持つムイにも頼れない。
カモ子は途方に暮れ、愛機の爪先に寄りかかり、ずるずると冷たい床に腰を下ろした。
「どうしよう、どうしよう……」
頭を抱えてうずくまっても誰も助けてくれない。同じガレージに他の傭兵や整備スタッフはいるが、怪訝そうな目を向けるばかりで手を差し伸べる者はいなかった。世界に一人残された錯覚の中、焦燥と罪悪感がぎりぎりと心を締め付けていく。
そうして思いつめるのを見透かしたように、端末が着信を告げる。
「……?」
奇妙なメッセージが一通、届いていた。画像データが添付されている。
怪しいメッセージは基本無視、どうしても気になる場合は報告を。オペ子の教えが脳裏を過るものの、それどころじゃないと思い直した。
藁にも縋る思いでメッセージアイコンをタップ。
内容はシンプルだった。
『指定の場所で一人で来い』
たった一行のテキストデータと、印のつけられた地図の座標。内地からほど近い外縁の一画だ。
そして添付された画像データには、
「……っ」
拘束されてぐったりとしているPJが映されていた。
ーーー
「起きろぉ!」
「ぐえっ」
お腹に強い衝撃。変な呻きと声を吐き出し、カモ子は飛び起きた。
そこは白一色の壁、床、天井の空間だった。一方にだけ壁がないように見えるのは、透明な強化アクリルガラスがはまっているのだ。もう忘れかけていた、テックマンの施設の管理房である。
昔の夢でも見ているのかな。
「……Pちゃん!?」
呆けていたカモ子は、目の前にPJがいることにようやく気が付く。
「Pちゃん! いてっ」
思わず抱き着こうとするも、バランスを崩して倒れ込んだ。見ると、後ろ手に手錠がかけられている。
「しっかりしなさい! 寝ぼけてる場合じゃないのよ!」
「え、えーっと。Pちゃんケガはない?」
「ないわ。健康状態も問題なし。あいつら、人質の扱いには手馴れてるって感じね」
「あいつら、あいつらね。うんうん」
カモ子は分かった風に装い、必死で頭を回した。
状況の急変についていけない。カモ子はどうにか、愛機の足元でPJが人質にされているのを知ったところまで、記憶をたどることができた。
あのメッセージを見るや否や、カモ子は指定場所へ急行。しかし外縁の片隅には誰の姿もなく、PJを探そうと足を踏み出したとたん、首筋にチクりとした感触を覚え──目が覚めたらここにいた。
「Pちゃん、私の首に何か刺さってる?」
「注射の痕っぽいのがあるわよ。麻酔銃でしょうね。痛い?」
「ううん」
つまりは情報に吊られてのこのこおびき出され、拉致されたということだ。
「Pちゃんはどうしてここに?」
「知らないわよ。学校帰りに歩いてたと思ったらここにいたの。貴女もそんな感じじゃない?」
「大体は」
どちらともなく壁にもたれ、肩を寄せ合って座った。
「ごめん、Pちゃん。たぶん私のせいだ」
「なんで?」
「私の依頼のために、テックマンのこと調べてたでしょ。それで目を付けられたんだよ、きっと」
「考えすぎ。探りを入れたのは本当だけど、これがテックマンの仕業かはまだ分かんないじゃない。それに、帝国二番街なら安全と思って、油断してた私も悪いわ」
なおも言い募ろうとして、思いとどまる。これ以上の謝罪は自分勝手だ。
カモ子が口を噤んだのを見てPJは満足そうにうなずき、真っ白な管理房に視線を巡らせる。
「調べた感じ、脱出手段はない。私の失踪から36時間、あなたが連れ込まれてから一時間程度。食事は運ばれてくるけど、目的はまだ不明。他に聞きたいことは?」
PJは気丈でしたたかだった。こんな状況でもできることを怠っていない。
カモ子も見習って、何ができるか考えてみる。大人しく主犯からの接触を待つ以外に何かないか。
少し考えて、思い出す。
「私の依頼、どこまで進んだ?」
依頼をして二週間。仕事が速いPJなら決定的な情報を掴んだかもしれない。情報共有は大事とオペ子も言っていたし、時間のあるうちに済ませておこう。
「そうね。結論から言うと、貴女の記憶については分からなかったわ。ただ、あの日施設で何が起きたかは調べがついた」
「もうそれ答えみたいなもんじゃん。教えて教えて」
「近い!」
予想よりずっとクリティカルな情報を掴んでいた。
思わず身を乗り出すカモ子。PJはそれを押し返そうとするも、手が拘束されているのでなすすべなく、視線を逸らすだけにとどまった。
近い、教えて、離れろ、と押し問答をした末、PJはやっと話し出した。
「大方は予想通りだったわ」
依頼をした際、断片的な情報をつなぎ合わせた予想のことだ。
これは正しかった。テックマンの内部資料、重大インシデント報告書によると、とある計画の実験体四体が脱走し、建造中だったテックマンの機動兵器に乗り施設から逃走したらしい。
その四体の管理番号は『901』『875』『876』『877』となっていた。901はカモ子。残り三つはそれぞれココ、ロロ、ナナの番号だ。
「施設の目的は人類の革新。人を改造して超強力なADパイロットを作ろうってだけだったわ」
「だけ、って」
ADが戦場の主役になって数十年。テックマンはADそのものよりもパイロットを強化改修できないかと長年研究している。傭兵界隈では周知の事実であり、カモ子のいた施設もその一つだった。
「次に、あの日施設で発生した騒ぎのことね」
こちらは資料の機密レベルが高く、半分以上が黒塗りされていたという。
「簡単に言えば暗殺事件よ。あの日、施設にテックマンの大口献金者が来てた。そいつの命を狙ってやってきた誰かと、派手な防衛戦をしてたらしいわ」
「防衛戦……じゃあ私はそれに巻き込まれた?」
大きな乗り物に乗り、戦火を潜り抜けた情景。
その真実は、あの日偶発的に発生した戦闘だったのか。
「かもしれない。ひとまず調べがついたのはここまで。記憶が欠けた理由、その乗り物とやらを動かせた理由、貴女が何を思い出さなければならないのか。そのあたりはまだ分からないわ」
「いや、十分だよ! Pちゃんすごい! 何でも知ってる天才!」
「やーめーなーさい!」
抱き着く代わりに全力の頬ずりを敢行し、感謝と感動を表明するカモ子。
PJの仕事はその程度の賞賛では足りない成果だった。あの日の事実関係を把握できたのは大きな一歩だ。何を、なぜ、どうして忘れてしまったのか。そうした核心に至る日も遠くないだろう。
「やめ、ちょっ、ほんとに、くすぐったいから!」
夢中で感謝するうち、カモ子はPJを押し倒して胸に顔を押し付けていた。
付き合いがそこそこ長いカモ子には、PJがイヤと言いつつまんざらでもない気持ちにあることが分かる。そのまま感謝の舞を続行し、無機質な管理房にPJの悲鳴のような嬌声のようなものを響かせた。
「拉致監禁されてる婦女の姿かい、これが」
暇つぶしを兼ねてくんずほぐれつしていると、低い声。
アクリル板の向こうに白衣の男と、屈強な兵士らしい男たちが数名立っている。
呆れ顔の男たちとしばしにらみ合っていると、白衣の男がため息と共に告げる。
「まあいい。連れて行け、二人ともだ」
「ちょっと、触んないでよ!」
「はーなーせー!」
アクリル板の一部が開き、兵士たちが入ってくる。
カモ子とPJを乱暴に引っ立て、外へと連れ出したのだった。
ーーー
二人が連れて来られたのは、大掛かりな医療機器がいくつも並ぶ小さな部屋だ。
中央には外科手術に使うような寝台とライトがある。
カモ子はその寝台に抑えつけられ、手足をベルトで固定された。
「そいつに何する気よ!」
「大丈夫! 大丈夫だから!」
頭に銃を突きつけられているにもかかわらず、PJは兵士たちに食ってかかっている。
見ていると危なっかしくて、逆にカモ子の方が落ち着いてきた。首だけ動かして平気そうに笑う。
「こんなの慣れっこだし」
施設に居た頃の記憶はぼんやりと曖昧だ。けれど、白衣の男たちは実験体に似たようなことを毎日していたし、カモ子自身もそうされた。記憶がなくとも体が覚えているのか、あまり恐怖はない。
体を切り開かれようが薬物の副作用で激痛に襲われようが、すべてを受け入れ、過ぎ去るのを待てばいい。そうするほかない、とも言えるが。
「カモ子……」
「協力的で助かるよ、901」
悲痛な声を絞り出すPJとは対照的に、朗らかに笑いかけるのは白衣の男だ。
兵士たちと他の白衣たちが忙しなく機材の準備をする中、無精ひげの目立つこの男は、呑気に寝台に腰掛けてカモ子を見下ろしている。
「僕のことは覚えているかい?」
男の口調はどこまでも軽い。無機質な手術室を、明るい街かどと錯覚するような気楽さだ。
「……」
「無視するなよ、寂しいだろ」
「ひぅっ!?」
カモ子の右手に激痛。男が胸ポケットから取り出したボールペンを、手の甲に突き刺しているのだ。
「カモ子!? このっ……うぐ」
激高するPJが、兵士に腹を殴られうずくまる。
その様子を視界の端でとらえ、カモ子は苦々しく口を開いた。
「初めまして。カモ子です。901なんて初めて聞きましたね」
「そうかそうか。じゃあ初めまして901、僕は主任だ。短い間だけどよろしく」
男は、血で汚れたボールペンをつまらなそうに眺め、床へ放り投げた。
ぎょろり、と血走った目がカモ子を捉え、口元が不気味な弧を描く。
「まあ覚えてないのも無理はないよ。本来ならこうして自我を保っているのが不思議なくらいなんだから」
「はい……?」
「先ほどの君たちのおしゃべりは聞いていたよ。一介のオペレーターがあそこまで調べをつけるなんて大したものだ。でも記憶の欠落については分からなかったようだね。知りたいかい? 全部教えてあげようか」
「帰ったらPちゃんに調べてもらうから、いいです」
「帰れないよ」
男は酷薄に笑い、何らかの準備が進む手術室を見やる。
「今用意してるのは、チャチな強化育成実験なんかじゃない。有機的自立思考中枢加工処置──君の脳を部品に仕立てる工程だ。君という人格は消える。死ぬ。分かるかい?」
「……は?」
脳、加工、死ぬ。強い単語の羅列にカモ子の思考が止まる。
死ぬより辛い実験をすることはあっても、本当に死ぬことはない。無意識の思い込みを否定され、じわじわと恐怖が湧く。
「な、なんで……人の革新っていうのを、強いパイロットを作るんじゃ」
「それはもう終わったよ、最悪の結果でね。下級職員や他勢力にはそっちで通しているけど、本命はこっち」
こっち、と指で額を叩く主任。
みるみる青くなっていくカモ子に向け、楽し気に続ける。
「冥途の土産兼、僕の暇つぶしだ。せいぜい面白いリアクションをしてくれ」
ーーー
君の記憶の欠落は、オリジンに乗った反動だ。
オリジンは聞いたことあるだろう。僕らのご先祖が作った最初の無人機さ。正確にはそのレプリカなんだけど、今は関係ないね。
無人機なら人は乗らないんだろうって? その通り、生きた人間は乗らないよ。代わりに人間の脳を加工した特殊な制御中枢を入れる。それによってはじめて起動できるんだ。
でも普通の人間の脳を加工したって、機体からの情報フィードバックで壊れるだけ。オリジンを動かすに足る特別な脳を作ろうってのが、君のいた施設の目的で、僕の専門だったんだよね。
これがもう大変でさ。どんなアプローチでも必要なスペックに届かなくて。オリジンの機体は完成してるのに脳みそだけ足りない状態で超焦ったよね。しかもスポンサーがバケモン傭兵引き連れて来て施設で暴れ始めちゃうし、あの時はマジ終わったって思った。
でもそこで嬉しい誤算が起きたんだ。
君だよ、901。
必要なスペックには到底届かない、凡庸な脳しか持たない君が、なぜかオリジンを起動させた。
相乗りした他三人の脳が過負荷で意識を失う中、君は一人だけで負荷を受け止めた。にもかかわらず廃人になることもなく、軽度の記憶障害のみで正気を保っている。
驚異的だ。制御を失い暴走状態に陥ったのを差し引いても、君の脳は奇跡の産物と言っていい。
僕は納得したよ。先人たちが制御中枢の素体に人の脳を選んだことに。理論や1と0の連なりじゃ説明できない神秘こそ、オリジンを御するのにふさわしい。
他の失敗作が死のうが生きようがどうでもいいんだけど、君は別だ。
生きていてくれてありがとう、901。
おかげで僕たちは次の革新を始められる。
ありがとう。ありがとう。
ーーー
「本当は噂を聞きつけてすぐに回収しに行きたかったんだけど、こっちもゴタゴタしててね。ラルヴァと御老公を下すほど強くなった君と、正面からぶつかるのも分が悪い。こんな形になってしまったことは悪かったと思ってるよ」
申し訳なさそうに手刀を立てる主任。
世間話の延長めいた空気感の彼に反し、カモ子の脳内では新情報が受け止めきれずに反響している。
オリジン。始まりの無人機。
ムイが妹たちに歴史を教える中で、話しているのを聞いたことがある。
いわく、戦争を終わらせた。他の無人機が群体としての強さを突き詰めたのに対し、オリジンは単体戦力を徹底的に極め、ただ一機しか製造されていない。その一機のみで全勢力と敵対し、撃退されども撃破はついぞされなかった。戦後の消息は不明。
聞くだにすさまじいオリジンをテックマンが所有していること。
そして、自分自身がそれに乗ったこと。
現実離れが過ぎていてピンと来ない。
なのに、事実だと体が覚えている。ぼやけた記憶の中にある真っ暗な狭い部屋は、オリジンのコックピットだったのだ。
『機体ダメージ90%──ジェネレーター破損──』
けたたましいブザーと機械音声、激しい衝撃が脳裏に蘇る。
あのとき、自分は暴走していた。オリジンの意志にのっとられ、目につくものすべてを破壊する部品に成り果てていた。
それをあの人が止めてくれた。
青い光の中、露出したコックピットの中に見えた、あの人の顔は──
「ふざけんじゃないわよ!」
過去に埋没するカモ子に代わり、反駁するのはPJだ。
「カモ子を何だと思ってるの! あんなろくでもない機械動かして何しようってのよ!」
「言っただろう。次の革新だよ」
出来の悪い生徒に言い聞かせるみたいに、主任が指を立てる。
「今の世は安定している。紛争はあれども戦争はなし。三大勢力の管理下で計画的な紛争を行い、均衡を保つ。紛争には死んでも安い傭兵を使う。ダブルシェルによって死者数も抑制できる。Chaos Under Control──闘争を求める人類が、破局を避けながら闘争を飼い慣らす画期的なシステムの時代だよ。先人の知恵は大したものだ」
しかし、と首を横に振る主任。
「出来過ぎているんだ、このシステムは。過度な安定は停滞を生み、停滞は先細りにつながる。現状維持に甘んじる人類に未来はない。だからこそ次の革新が必要なのさ。統制された混沌ではなく、純粋な殺意と憎悪の渦巻く、まじりっけのない混沌に回帰するんだ。人類を進歩させるのはいつだって、淘汰と闘争なのだから」
今の世界が平和過ぎてつまらんからぶっ壊そう。
主任が言いたいのは要はそういうことだ、とカモ子は理解した。共感はまったくできないが。
PJはカモ子より驚きが大きいのか、唖然としている。
「……待ちなさいよ。オリジンが作られたのは、いつまでも終わらない大戦を終わらせるためでしょう? なのにまた戦いを起こそうって言うの?」
「その通り。先人たちは平和を望み、闘争を抑止せず制御することで今の世を作った。しかしその革新はもう終わっている」
どこまでも晴れやかで、屈託のない笑みを浮かべる主任。
「革新に次ぐ革新を。それが我々だ。戦争、平和、戦争と来て、次はどんな革新が来るのか。楽しみで仕方ないね」
「狂ってる……」
「ありがとう」
主任だけではない。
機材の準備を進める他の男たち、武装した兵士たちも含め、その顔には充実感が漲っている。自分たちの行動に一切の非はなく、自分たちこそ正義と確信している自負が見える。
もしも中央で拘束され血を流すカモ子の姿がなければ、もしも彼らの目的が破局的な大戦だと分からなければ、彼らは世界を救う職人集団のように映っただろう。
これがテックマンなのか、と。カモ子とPJは戦慄した。部屋に満ちる溌剌とした空気があまりに不気味で、体の芯から寒気を感じる。
「主任、準備完了です」
「よし。始めようか」
男たちからの報告を受け、主任が寝台から離れる。
部屋の暗がりに消えたかと思うと、点滴スタンドを引いて戻ってきた。指先でカモ子の腕の血管を探しながら、
「鎮静剤だよ。加工時のストレスは厳禁だからね。痛みや苦しみは一切ない。リラックスして」
慈愛に満ちた声で言った。白衣も相まってまるで医者のようで、先ほど無造作にカモ子を害した人物とは思えない。
血管を見つけたのか、主任は点滴針を腕に近づけてくる。あれを刺されたら、眠っている間にすべて終わってしまう。
必死で身を捩るカモ子。頑丈な革のベルトはびくともしない。
何度目かの明瞭な死が迫る感覚に、現実感が遠のいていく。PJが悲痛に何かを叫んでいる。今更ながら、大人しく手術を受けさせるための脅しで彼女を同行させたのだ、と意図に気付く。テックマンは悪質で狡猾で、自分たちが敵う相手ではない。
せめて死ぬ前に、オペ子への恩を返したかった。
カモ子は体の力を抜き、目を閉じる。
「ぐっ!?」
瞬間、体が飛び跳ねた。
そうではない、と気づく。部屋全体が大きな振動に襲われたのだ。点滴スタンドが倒れ、白衣の男たちが床に倒れ伏している。
主任は寝台に掴まり、携帯端末を耳に押し当てていた。
「警備班、何事だ?」
『ADです! 防衛システムが応戦中ですが被害甚大! 侵入者二名も──』
爆音の混じるノイズと共に声が途切れた。
その音と同じものが部屋の外から響き、またも大きな揺れが襲う。警報のサイレンが鳴り、切迫した声の放送が響く。
『コードレッド、コードレッド! 各職員は速やかに対応を開始してください。繰り返します、コードレッド──』
コードレッド。初めて聞く単語のはずなのにどこかで聞いた覚えがある。
あの日の放送だ、とカモ子は見当をつけた。施設から脱出したあの日も、今のようにサイレンと放送がうるさいくらい鳴っていた。
しかし主任たちはあの日のようにカモ子を逃がすつもりはない。それぞれが迅速に動き始め、避難の算段を整えていく。
「各員、荷物は最小限に。警備班、901を頼む。それと」
てきぱき指示を下しながら、主任は思い出したように言った。
「そこの人質はもう不要だ。処理しろ」
「えっ」
「了解」
たしかに逃げる際の荷物としては、人質は最大級の邪魔だろうが。
それにしても異様なほどにあっさりと指示を下し、警備兵も疑いなく銃口をPJに向ける。
カモ子とPJが悲鳴を上げる暇さえなく──
無慈悲な銃声が轟いた。
ーーー
銃声は六発。
しかし血を噴き上げ倒れたのはPJではない。
壁際に配置されていた六人の警備兵たちが、声も上げずに崩れ落ちる。
「あっぶねー。間一髪っすね」
引き金を引いたのは、部屋の出口に立つ女性だ。両手の大型自動式拳銃が硝煙を上げている。
派手なピンク髪のツーサイドアップが目を引く彼女に、カモ子は見覚えがない。鮮やかなピンク色だけはどこかで見たことがある。
女性の名はマウ・リリーランド。帝国親衛隊第三小隊の隊長だ。
主任はその顔を知っていたのか、「へえ」と面白そうに口の端を吊り上げる。
「帝国がテックマンの施設を不当に襲撃とは。そんなに戦争がしたいのかい?」
「いやいや、違うっすよ。ここに来たのは仕事じゃなくて、個人的な事情っす。ほら、ちゃんと私服でしょ?」
ほら、と胸を張る彼女の服装は、タンクトップとカーゴパンツ、タクティカルベスト。以前見た親衛隊の制服ではない。帝国という大勢力の思惑とは関係なく動いているらしい。
「そんな言い分が通るとでも?」
「知らねっす。そこらへんは先輩がうまくやってくれるらしいんで、そっちに聞いてください。ねー、先輩」
背後に呼びかけると、新たな人影が部屋に入ってきた。その顔を見るなり、カモ子と主任が同時に目を見開く。
「ムイさん……!」
「なっ……!?」
見慣れたビジネススーツとメガネ姿の小柄な少女、ムイである。
主任が天を仰ぐ。
「……まさか、よりにもよって君が901のオペレーターだったとは。大人しく隠居でもしていればいいものを」
「誰ですかお前。なれなれしいですよ」
「失礼。ちなみにどうやってこの施設を特定したのかな?」
「教える義理はありません」
「そうか、ありがとう──死ね」
刹那、部屋の空気が張り詰める。その正体は肌が焼け付くような熱──殺気である。
倒れ伏した警備兵たちが、横倒しになったまま銃口をムイとマウに向けていた。優秀な防弾ベストによって即死を免れ、反撃の機会をうかがっていたのだ。
白衣の職員たちもそれを察し、さりげなく射線を開けている。無意味な問答はこのための時間稼ぎだった。
完全に不意をつかれ、ムイたちはなすすべもないはずだったが──
「対AD戦の必勝法って知ってます?」
フルオートの銃声が止む。
硝煙がけぶり、薬莢がコロコロと転がる中、響いてきたのはムイの声だ。
「生身のパイロットをぶち殺すことです。乗る前に殺すのが一番簡単なのは、子供でも分かるでしょう。じゃあこれに対して、帝国がどんな策を講じたかというと」
煙が薄れた先に、肉塊となった人体が二つ浮かんでいる。
ムイとマウではない。二人にもっとも近い位置にいた、白衣の男たちだ。
真っ赤に染まったその二体が雑に床に捨てられた。その後ろには無傷のムイとマウ。マウは手近な白衣の男たちを掴み上げ、即席の盾としたのだ。
「生身のパイロットを死ぬほど鍛えること。特に親衛隊第三小隊は、白兵戦最強です」
「先輩、皆殺しで大丈夫っす?」
「ええ」
マウが首肯するや否や、一方的な蹂躙が始まった。マウの大型拳銃が白衣の男たちを撃ち抜き、弾倉が空になれば直接の肉弾戦に移行。頭部を床に叩きつけ、延髄を蹴りで砕き、ナイフで急所をめった刺しにして、部屋を血の海に沈めていく。
ムイは人の血肉と悲鳴が満ちる中、悠々と中央の寝台に近づいてくる。
「おや、死に損ないがいますね。命乞いでもしてみます?」
ムイが冷たく見下ろしたのはカモ子ではなく、血を流して寝台にもたれかかる主任だ。
吐血の混じる、湿った笑みをこぼす主任。
「ハハッ……悔いはない……。計画はもう始まっている……革新を遂げるのは、僕でなくとも構わない……がはっ」
ひと際大きな血の塊を吐く。
そしてかっと目を見開き、歓喜に満ちた声を上げる。
「革新に次ぐ革新を」
それが彼の死に際だった。胴体を穴だらけにされながらも、どこまでも満ち足りた顔で絶命した。
ムイは無造作にその体を押しのけ、カモ子の拘束を解いていく。
上体を支え起こし、手際よく応急処置を始めた。
「まったくもう、大けがしてるじゃないですか。手のほかにケガは?」
「だ、大丈夫です……」
「よし。マウ、そっちはどう?」
蹂躙劇は終わり、部屋には人だった肉塊と肉片が転がる凄惨な光景が広がっている。
返り血を斑に浴びたマウは、警備兵の死体のそばに膝をつき、何かを調べているようだ。
「マウってば。どうしたの」
「先輩……あとで話すっす。こっちの子は、体は平気そうっすよ。体は」
マウは首を振り、気絶したPJの体を横抱きにして立ち上がった。PJはむせ返るほどの死臭に耐えられず失神したようだ。
「よし、撤収」
「あの……ムイさん」
「ぼさっとしてないで早く」
カモ子はムイに手を引かれ、部屋を出る。
変わらずサイレンが喧しい通路を進み、階段をいくつか下り、建物の外に出ると、そこは滑走路を備えた広大な基地のようだった。広々とした滑走路では一体のADがブースト炎を引いて駆け回り、基地の防衛砲台と戦火を交わしている。
『俺の娘はどこだぁ!』
外部スピーカーから怒声が響くと同時、ADの背部兵装、大型ロケット砲が火を噴く。防衛砲台を吹き飛ばし、すさまじい爆炎と共に基地を鳴動させた。
「うわわ!? あぶねっす!」
爆散したロケット砲弾の破片が、カモ子たちの近くに落下してくる。
慌てて建物内部に避難しつつ、ムイが端末を取り出し、叫ぶ。
「おいこらオッサン! 娘がどこにいるかも分からんのに暴れすぎだろうが!」
『娘はどこだぁ!』
「ここだよ! 確保したから攻撃やめ! 撤収!」
『了解した!』
「急に物分かりよくなりやがって……」
その後、基地の車両を奪い十分ほど移動。
車両を乗り捨て、岩陰に駐機させていた輸送ヘリに移乗し、PJのADを回収して、帰路に就いた。
「ポラリア……よかった、本当に……!」
「お、お父さん、苦しいってば。あと本名……!」
輸送ヘリの中、親子が感動の再会を果たしている。
それを横目に見ながら、カモ子はやっと処理が追いついてきた。PJの失踪を皮切りに、怒涛のイベントと新事実の連続で心が追いつかなかったのだ。
「マウ、さっきはどうしたの?」
「あの警備兵の装備、シリアルが消されてたっすけど、共和国の制式だったっす。かなりデカいこと企んでるっぽいっすよ」
「ああ、以前から主戦派に秋波を送る動きがありましたからね。相変わらずスポンサー探しが上手いことで。まあ一介のオペレーターには関係ありません」
「まーたそんなこと言ってぇ」
「ムイさんっ!」
難しそうな話をしているムイとマウの間に割って入る。
二人はきょとんとして、それからムイが「あ」と思い出したように反応した。
「はい、私がムイですよ。何ですか急に大声出して」
「ムイさんは、オペ子さんですよね?」
ムイの表情が固まった。
「……は? だ、誰ですっけその人」
「それ! 考えてみれば、今のそれみたいにボロ出しまくりでした!」
ムイはしまった、とばかり口に手を当てる。
あまりにも分かりやすい。隠す気があるのかと疑うほどに、細かなボロが無数にあった。
「前々から変だと思ってたんです。ムイさん、私が困ったらすぐ『依頼された』って来てくれますけど、来るの早すぎですし。基本丁寧口調だけど慌てると口悪くなるところとか、底抜けにお人よしなところとか、オペ子さんとそっくりです」
そういった小さな疑念を強めたのが、先ほどの手術室でのやり取りだ。
『よりにもよって君が901のオペレーターだったとは』
主任のこの言葉に対し、ムイは否定も肯定もしなかった。
もしかして、オペ子は仕事中だけではなく、ずっと傍で自分を支えてくれていたのではないか。そうであってほしい疑惑が芽生え、ずっと頭の中で反芻されていた。
その疑惑は今、確信に変わっている。
「えっと、そうじゃなくて、えとえと……」
ムイはぐるぐる目で必死に言い訳を考えているようだ。
嘘や隠し事が苦手な人柄なのだろう。あんなに頼りになるのに、こんなかわいい一面もある。言いようのないふわふわした気持ちが心を満たす。
混乱するムイ改めオペ子。その様子をじっと見つめるカモ子。
「あっはっは! 言わんこっちゃない! だーから言ったんですよ先輩!」
そんな二人を、マウが笑い飛ばす。
「先輩が隠し事なんて無理なんすよぉ。真面目と正直の化身みたいな性格なんだから!」
「いやっ、でも、あのテックマンのアホが言わなきゃバレなかったし……」
「とっさに白を切れない時点で、どうせ遠からずだったっす」
「ぐぬぬ」
「偽名も超雑だし。ムイ・リリーランド? 私の妹になりたいっすか? んん?」
「ぐぬぬ!」
オペ子は悔し気にうなり、カモ子を睨みつけた。
「このっ、このっ……」
必死で反撃の言葉を探るが、結局いいものを思いつかなかったようで、
「バーカ!」
「シンプルな罵倒!?」
負け惜しみにしてももう少し何かありそうなことを口にして、そっぽを向いてしまった。
「あはっ、あーはははは!」
機内に響くマウの爆笑。
ひとしきり再会を喜び、こちらに耳を傾けていたPJとYJも苦笑する。
「オペ子さーん!」
「なれなれしい! やめい!」
今まで助けられてきた分の感謝、やっと直接会えた喜び。溢れる気持ちを伝える方法が分からなくて、カモ子は全力で抱き着くしかなった。
嫌がるオペ子だったが、結局最後は諦めて、帰路の間はずっとカモ子の膝上で抱かれているのだった。