フリーザ、ヒーローになる ~宇宙の帝王がワンパンマン世界に墜ちた結果~ 作:&劉
ボロスとの戦いから三日が経っても、フリーザの頭から離れないものがあった。 ボロスではない。 彼は強かった。少なくとも、この星へ来てからサイタマ以外に出会った相手の中では、明確に別格だった。メテオリックバーストの速度も、生命力を燃やすような出力も、崩星咆哮砲の規模も、怪人やヒーローという地球の分類へ押し込めるには大きすぎる。 それでも、フリーザが考えていたのは別の男だった。 ジレン。 第十一宇宙、プライド・トルーパーズ。その中でもなお異質だった戦士。
力の大会では、孫悟空、ベジータ、人造人間十七号、そして自分まで含めた複数の戦士が、あの男へ食らいついた。それでも最後まで、単純な力押しだけでは届かなかった。 当時のフリーザは、その事実を深く考えなかった。 ジレンの方が強かった。 それだけだと思っていた。 だが、今は少し違う。
地球へ流れ着き、サイタマと拳を交え、月面で自分自身の力を見直し、さらにボロスを相手に意図的な出力制御を試した。 その経験が、一つの疑問を残している。 あの時感じたジレンとの差は、本当に「力の総量」だけだったのか。
◇
フリーザ・コーポレーション本社、社長室。 机の上には、怪人討伐報告、広告契約、土地売却の資料、社員の活動記録が並んでいる。 フリーザは一件の電子署名を終え、画面へ表示された数字を眺めた。
「悪くありませんね」
二日前まで武装犯罪集団が所有していた港湾倉庫が、想定以上の価格で売れた。
発見のきっかけはスカウターだった。武装反応と異常生命反応を同時に検知したため現地へ向かい、到着直後に撃たれたので、撃ってきた者たちは排除した。 話し合いというものは、相手にも話す意思があって初めて成立する。 幸い、倉庫そのものはほとんど壊れなかった。 法務担当へ権利関係を整理させ、市場へ出す。 地球へ来たばかりの頃なら、こんなやり方は面倒だと思っただろう。
以前の自分なら、土地が欲しければ星ごと支配すればよかった。金銭など、欲しいものを持たない者が使う代用品に近かった。 ところが人間社会で暮らしてみると、数字としての金は意外に便利だった。
設備、研究、情報、人材、土地、技術。適切な金額さえ提示すれば、多くのものが反乱も抵抗もなく手に入る。
力で奪うより手続きは多いが、後から支配を維持する手間が少ない。契約書というものは、案外よくできた支配装置だった。 そして会社が儲かれば、サイタマへの給料も増やせる。 生活に余裕ができれば、修行へ使える時間も増える。 完璧な循環に思える。 もっとも、給料が増えた今もサイタマはタイムセールへ走っている。 人間の習慣というものは、怪人よりしぶといらしい。 フリーザは椅子へ身体を預け、先ほど閉じた画面へ視線を残したまま考える。 再び、ジレン。 あの男は普段、驚くほど静かだった。
必要がなければ力を誇示しない。気を派手に垂れ流さない。ただ立っているだけなら、どこまで強いのかすら掴みにくい。 しかし攻撃へ移る瞬間だけ、全く違う。 必要な一瞬。必要な一点。そこへ出力を集約する。 拳を放った直後には、また静けさへ戻る。 孫悟空やベジータにも、似た技術はある。 だがジレンの精度は異常だった。 フリーザは自分の右手を見た。 ゆっくり拳を握り、また開く。
「問題は、量だけではないですね」
小さく呟く。 もちろん、力の大会当時の自分よりジレンの方が強かった。 その事実を否定するつもりはない。 認めるのは腹立たしいが、事実は事実である。 しかし今なら分かる。 当時の自分は、力の使い方がまだ粗かった。 昔のフリーザにとって、出力制御など必要のない技術だった。 力があるなら出せばいい。大きな気をぶつければ、大抵の相手はそれだけで死ぬ。 実際、それで困らなかった。 技巧を覚える必要も、消費効率を考える必要もなかった。 その怠慢が、最初のゴールデン形態で露呈した。
膨大な力を手に入れたのに、制御が追いつかない。全身から気を漏らし続け、必要でもない瞬間まで高出力を維持する。 強い。 だが、ひどく無駄が多い。 孫悟空には、その欠点を見抜かれた。 その後は改善した。 力の大会でも、地球へ来てからも。 そしてボロス戦では、さらに一歩進めた。 普段の出力を極端に落とす。 移動するときは脚だけ。殴る瞬間は拳だけ。攻撃を受けるなら、接触する部分だけ。 百の力を全身へ出し続けるのではない。 平時は一。 必要な刹那だけ、その場所へ百を流し込む。 結果は悪くなかった。 ボロスの攻撃は多くを回避できた。 メテオリックバーストの蹴りをまともに受けても、損傷は小さい。 崩星咆哮砲も、必要な瞬間だけ脚へ出力を集めれば軌道を逸らせた。 もちろん、元から力量差はあった。 それでも以前の自分なら、もっと無駄に力を使っていたはずだ。
「ジレンさんの域には、まだ遠いですね」
口にすると少し腹が立つ。 フリーザは他人が自分より優れていると認めるのが嫌いだった。 だが、認めたくないからといって現実が変わるわけではない。 最近は、その程度のことなら受け入れられるようになっている。
「しかし、方向性は間違っていない」
ならば、続ければいい。 問題は練習相手だった。 サイタマなら申し分ない。 むしろ、申し分がなさすぎる。
彼と戦いながら「次の攻撃は右腕だけ三割」などと細かく考えている余裕はない。判断がほんの少し遅れれば殴られる。 そして痛い。 月面で受けた拳を思い出し、フリーザは無意識に右腕を撫でた。
「サイタマさんとは、全力でやり合うからこそ意味があるのですよね」
限界そのものを押し広げるには最高の相手だ。 だが、精密な制御を反復する相手としては向いていない。 別の相手が必要だった。 ジェノスの顔が浮かぶ。 すぐに却下した。 弱すぎるという問題もある。 何より、壊れやすい。
少し力を間違えれば装甲や関節が破損する。そのたびに部品を交換し、調整をやり直し、修復を待たなければならない。 メタルナイトの協力で修理設備はかなり充実したが、それでも時間はかかる。 効率が悪い。 もっと頑丈で、こちらの攻撃を受けられ、自分からも圧力を返してくる。できれば飛べる相手。
「問題は、相手ですね」
机を指先で軽く叩いた。 その時、社内通信が鳴った。 表示された名前はジェノス。
「はい」
『フリーザ』
「何でしょう」
『下へ来てくれ』 フリーザは眉を上げた。
「わたくしは今、同じ建物の数階上にいるのですが」
『知っている』
「でしたら、そちらが――」
『タツマキが来ている』
フリーザが止まった。 緑色の髪。 小柄な超能力者。 ヒーロー協会本部で、すれ違いざまに腹へ一撃入れた相手。
「ああ」
思い出す。
「何のご用です?」
『それを言わない』
「では帰っていただけば?」
通信の向こうで、何かが壁へぶつかる音がした。 少し間を置き、ジェノスが答える。
『帰る気はないらしい』
さらに遠くから、甲高い声が聞こえた。
『いつまで待たせんのよ!』
フリーザは端末を耳から少し離した。
「お元気ですね」
『早く来い』
「ジェノスさん。あなたは社員なのですから、社長への言葉遣いを――」
『早く来い』
通信が切れた。 フリーザは数秒、黒くなった画面を見つめた。
「教育が必要ですね」
◇
エレベーターを降りた瞬間、フリーザは事務所の様子がおかしいことに気づいた。 受付机が床から数センチ浮いている。 観葉植物も、椅子も、紙も。 そして中央では、本人まで浮いていた。 戦慄のタツマキ。 腕を組み、緑色の光をまとったまま、明らかに不機嫌そうな顔で宙にいる。 少し離れた場所ではジェノスが腕を組み、ソファではサイタマが弁当を食べていた。
「お待たせしました」
フリーザが言う。 タツマキが勢いよく振り向いた。
「遅い!」
「三分ほどですが」
「私を三分待たせたのよ!」
「三分程度、待てないのですか?」
「ムカつくわね!」
宙に浮く書類がさらに激しく舞い始める。 フリーザは周囲を見回した。
「会社の備品を壊したら請求しますよ」
「金取る気!?」
「会社ですので」
サイタマが弁当を食べながら頷く。
「こいつ、その辺しっかりしてるぞ」
タツマキが今度はサイタマを見る。
「なんであんたがいるのよ」
「社員だから」
「A級五位が?」
「今は上がったぞ」
ジェノスが即座に訂正した。
「先生は現在A級三位だ」
「そうだっけ」
「昨日、昇格通知が来ました」
「見てない」
「確認してください」
「あとで」
タツマキの眉間に皺が寄った。 以前なら、その態度だけで即座に腹を立てただろう。 今も腹は立つ。 だが、以前と全く同じ目で見ることはできない。 ボロス襲来の日。 サイタマとフロストの戦いを、タツマキはほとんど追えなかった。 気がつけば、フロストはぼろぼろになり、サイタマは無傷のまま立っていた。 その後、ジェノスから聞かされた。 フリーザは、サイタマ先生にまだ勝てていない。 星を壊せると笑って言った、あの黄金の化け物が。 この禿げたA級に。 その意味を、まだ完全には飲み込めていない。 だが今日ここへ来た理由は、サイタマではなかった。
「それで」
フリーザが自分の机の前へ立つ。
「何のご用でしょう?」
タツマキはすぐには答えなかった。 それだけでも珍しい。 思ったことは言う。気に入らなければ怒鳴る。邪魔ならどかす。 それがタツマキだった。 だが今回だけは、少し言いづらい。 理由は単純だった。 認めなければならないからだ。 自分より上にいる相手を。 そんな経験は、ほとんどなかった。 幼い頃から、力だけはあった。 その力ゆえに研究施設へ閉じ込められ、利用され、ブラストに救われた。 それ以来、強さはタツマキにとって単なる武器ではない。 自分を守るもの。 妹を守るもの。 誰にも依存しないための証明。 怪人は弱い。 多くのヒーローも弱い。 守ると言いながら、最後には自分が守らなければならない。 それが彼女の世界だった。 フリーザが現れるまでは。
「ねえ」
「はい」
「どうやったの?」
フリーザが首を傾げた。
「何を?」
「とぼけないで」
「質問が曖昧です」
タツマキの拳が少し握られる。
「どうやって、そこまで強くなったのよ」
サイタマの箸が止まった。 ジェノスも視線を向ける。 フリーザは少し考えた。
「どの時点からでしょう?」
「は?」
「生まれた時点から、わたくしはかなり強かったので」
「そういう自慢話じゃない!」
「では最近の話ですか?」
「そうよ!たとえばあのキンピカになれるようになるには、とかそういうの!!」
「ああ」
ようやく理解したらしい。
「四か月ほどです」
「……何が?」
「本格的なトレーニングです」
サイタマは何事もなかったように弁当へ戻った。 ジェノスは目を閉じる。 知っているからだ。 タツマキだけが理解に取り残された。
「四か月?」
「ええ」
「四年?」
「四か月」
「四十年?」
「四か月です」
宙に浮いていたタツマキの身体が、数センチだけ下がった。 本気で呆然とすると、超能力者でも浮力が弱くなるらしい。
「たった四か月で!?」
「ええ」
「何よそれ!」
今度は机まで浮いた。
「落ち着け」
ジェノスが言う。
「うるさい!」
サイタマがタツマキを見る。
「なんとなく分かる」
「何がよ!」
「俺も三年くらいでこうなったし」
タツマキが止まる。
「三年?」
「うん」
「何したの?」
「筋トレ」
「先生、その説明では誤解を招きます」
「でも筋トレだぞ」
「内容ではなく、結果へ至る原理が不明です」
「知らん」
タツマキは二人を見た。 次にフリーザを見る。
「……何なのよ、ここ」
思わず漏れた。 二十八年間生きてきた。 自分自身が異常な超能力者だという自覚もある。 怪人を何体も倒し、自分より強い者などほとんど存在しないと思っていた。 なのに目の前には、四か月鍛えた宇宙人と、三年筋トレした禿げがいる。 明らかに、この部屋だけ世界の基準が壊れている。 フリーザは椅子へ座り、足を組んだ。
「それで、わたくしのトレーニング期間を聞くためだけにいらしたのですか?」
「違うわよ」
タツマキは一度だけ呼吸を整えた。 正面からフリーザを見る。
「あんたは――強い」
フリーザの眉が僅かに上がった。 ジェノスも目を見開く。 サイタマだけは弁当を食べ続けている。
「認める」
タツマキの声は苦かった。
「ムカつくけど『今は』、私より強い。」
事務所が静まり返った。 受付のスタッフたちは、聞こえていないふりをしている。 S級二位。 戦慄のタツマキが、自分より強い相手がいると認めた。 記事になれば面倒なことになるだろう。 フリーザは、ただ笑った。
「それはどうも」
「何よ、その反応!」
「褒められたので」
「もっと何かないの!?」
「ありがとうございます?」
「ムカつく!せっかく協会で殴られたことも水に流してあげるつもりだったのに。」
「難しい方ですね。それにあれは手が滑っただけですよ。」
タツマキは宙から降り、床へ足をつけた。 フリーザの真正面に立つ。 二人とも小柄だ。 だが、その場に生まれる圧だけは小さくない。
「でも、このままじゃ終わらない」
「何がでしょう?」
「あんたを越える」
即答だった。 タツマキは指を突きつける。
「今はあんたの方が強い。でも、ずっとそうだと思わないで。私が絶対にあんたを越える」
フリーザの笑みが少し深くなった。 嫌いではない。 負けを認める。それでも下を向かず、追い、越えると言う。 少しだけ、ベジータを思い出す。 口が悪く、プライドが高く、負けず嫌い。 ただし、こちらはかなり小さい。
「それは結構です。頑張ってください」
「だから!」
タツマキが机を叩いた。
「私を鍛えなさい!」
沈黙。 ジェノスがタツマキを見る。 サイタマは弁当の蓋を閉じかけ、また開いた。
「弟子入り?」
「違う!」
「じゃあ修行仲間?」
「違う!」
「じゃあ何?」
「うるさい!」
フリーザは腕を組んだ。
「わたくしに、あなたを鍛えろと?」
「そうよ」
「お願いですか?」
「そう」
数秒、フリーザが黙る。
「何よ」
「お願いする態度ではありませんね」
「細かい!」
「かなり重要だと思いますが」
「いいから鍛えなさい!」
フリーザはしばらく何も言わなかった。 タツマキは、その沈黙を断るためのものだと思った。 なら力を見せればいい。戦って価値を証明し、条件を出されるなら飲めばいい。 しかし、フリーザが考えていたことは全く違った。 悪くない。 気のコントロールを練習する相手が欲しい。 ジェノスは壊れやすい。 サイタマは強すぎる。 ではタツマキはどうか。 S級二位。 世界最高峰の超能力者。 防御バリアがある。飛行できる。遠距離攻撃もできる。物体操作も圧力も使える。 そして何より、こちらの攻撃へ対して自分から防御を調整できる。 普通の人間から見れば、「練習相手にちょうどよい」と考える時点で正気ではない。 フリーザの尺度では、むしろ都合がよかった。 こちらが細かく出力を調整しながら、タツマキも念力の密度を上げる。 双方に利益がある。 フリーザの口元が上がった。 それを見たタツマキは、嫌な予感しかしなかった。
「何よ」
「いえ」
フリーザはにこやかに答える。
「ちょうど、こちらも別の修行相手を探していたところです」
「は?」
ジェノスが反応する。
「修行相手?」
「ええ。ボロスさんとの戦闘で、新しい気のコントロールを試しました」
「あれか」
ジェノスには心当たりがある。
「普段の出力を極端に落とし、攻撃と防御の瞬間だけ必要な部位へ集中させていた」
「よく見ていましたね」
「当然だ」
タツマキが二人を交互に見る。
「何の話?」
フリーザは右手を上げ、人差し指を一本立てた。
「力というものは、ただ大きければよいわけではありません」
「知ってるわよ」
「では例を挙げましょう。常に百の力を全身から出し続ける者と、普段は一まで抑え、必要な瞬間に必要な場所だけ百を出す者。同じ最大出力なら、どちらが効率的です?」
「後者」
タツマキは即答した。
「そうです」
フリーザが笑う。
「ジレンさんは、それが異常なほど上手かった」
「ジレン?」
サイタマが聞く。
「力の大会にいた方です」
「お前より強い?」
フリーザの顔が少しだけ嫌そうになる。
「当時は」
「へえ」
「当時は、です」
「二回言った」
「重要です」
タツマキが話を戻す。
「そのジレンっていうのが、力の使い方が上手かった?」
「非常に」
フリーザは拳を握った。
「わたくしは、自分とジレンさんの間にあった差の全てが、単純な出力差だったとは考えていません」
「差は制御か」
ジェノスが言う。
「ええ。瞬発、集中、省エネルギー、攻防の切り替え。全てが桁違いに洗練されていた」
同じ一発でも、重さが変わる。 同じ量の力でも、結果が変わる。 タツマキには理解できた。 超能力も同じだ。 常に全開で念力を垂れ流すわけではない。 一点を潰す。広範囲を持ち上げる。バリアの一部だけを厚くする。 目的に応じ、範囲と出力を切り替える。
「それを、私相手に練習する?」
「ええ」
「私を練習台に?」
「言い方が悪いですね」
「そういうことでしょうが!」
「まあ、そうですね」
タツマキの拳が震えた。 腹は立つ。 ものすごく腹は立つ。 しかし、ここへ来た目的は自分が強くなることだ。 その意味では、これほど都合のいい相手はいない。 自分の全力を受けられる。 自分を一撃で壊さない程度に追い込める。 そして何より、自分より強い。 これまでタツマキには、そういう相手がほとんどいなかった。 怪人相手なら本気を出せる。 だが目的は倒すことだ。 修行とは違う。 性格は最悪。 間違いなく最悪。 それでも強さだけは本物だった。
「いいわ」
タツマキが腕を組む。
「やってやる」
「ただし」
「何?」
フリーザが机の引き出しを開けた。 一枚の紙を取り出す。 サイタマが見た瞬間、「あ」と言った。 ジェノスは少しだけ顔をしかめる。 タツマキは紙を見る。
「何これ」
フリーザが机の上へ置いた。 履歴書だった。
「入社してください」
「……は?」
「フリーザ・コーポレーションへ」
「何でよ!」
「修行には業務時間、施設、医療設備、その他の会社資産を使います。さらに、わたくしの時間も使う」 フリーザは、ごく当然のことを説明する口調だった。
「ならば社員になっていただくのが筋でしょう?」
「意味わかんない!」
「俺もそうだったぞ」
サイタマが口を挟む。
「何が?」
「怪人探しの機械使いたかったら入社しろって」
「先生が入社したため、俺も入社した」
ジェノスまで続く。 タツマキが即座に言った。
「それはあんたが勝手についてきただけでしょ!」
「先生の活動を支援するためだ」
「はいはい」
フリーザはもう一枚、雇用契約書を取り出した。
「給与、成果報酬、怪人討伐手当、装備支援、医療費。必要な費用は原則こちらで負担します」
「金なんかどうでもいい!」
「では給与なしで?」
タツマキが止まった。
「もらっとけよ」
サイタマが言う。
「うるさい!」
「それから社員割引もあります」
「何の?」
「会社保有物件」
サイタマの目が少し輝いた。
「家、安くなる?」
「なりますよ」
「俺も買おうかな」
「先生、まず現在の貯蓄と将来支出を整理しましょう」
「話逸れてる!」
フリーザは椅子の背へ身体を預けた。
「嫌なら結構ですよ」
タツマキの動きが止まる。
「修行も?」
「もちろん」
そこは卑怯だ、とタツマキは思った。 だが、フリーザに駆け引きをしている様子はない。 本気で、会社の設備を使うなら社員になれと言っているだけだ。 妙なところで規則に忠実なのである。 タツマキは履歴書を睨んだ。 氏名、年齢、住所、職歴、志望動機、希望職種。 あまりにも普通の紙だった。 つい三日前、自分は星の表面を吹き飛ばしかねない攻撃を見た。 その相手を越えるために今日ここへ来た。 そして今、自分は履歴書の前に立っている。 なぜこうなった。
「断るのか」
ジェノスが聞いた。
「何よ」
「お前はフリーザを越えると言った」
「言ったわよ」
「なら、効率だけを考えればここで修行する価値はある」
「分かってるわよ」
サイタマが弁当の最後の一口を食べた。
「会社、悪くないぞ」
「給料で買収されてるだけでしょ」
「怪人倒したら結構もらえる」
「だから!」
フリーザがペンを一本差し出した。
「どうぞ」
タツマキはペンを見る。 フリーザを見る。 もう一度、履歴書を見る。 数秒後。 乱暴にペンを奪った。
「いいわよ」
椅子を引き、どすんと座る。
「入ってやる」
「歓迎いたします」
「勘違いしないで。会社に興味があるわけじゃないから」
「はいはい」
「その返事ムカつく!」
タツマキが氏名欄へ書き始める。
『タツマキ』
フリーザが覗き込む。
「名字は?」
「面倒だからこれでいいでしょ」
「住所」
「今書いてる!」
年齢欄。 二十八。 横からサイタマが覗き込む。
「やっぱ二十八なんだ」
ペンが飛んだ。 サイタマは首を傾けただけで避ける。 壁へ突き刺さった。
「備品ですよ」
「一本くらいいいでしょ!」
「給与から引きます」
「細かい!」
ジェノスの口元が、ほんの僅かに緩んだ。 フリーザは見逃さない。
「ジェノスさん」
「何だ」
「笑いました?」
「笑っていない」
「そうですか」 タツマキのペンが、今度は志望動機の欄で止まった。
「何て書けばいいのよ、これ」
「俺、給料がいいからって書いた」
「最低」
「俺は『先生と同じ職場で活動し、強くなるため』と記載した」
「聞いてない」
タツマキは少し考えた。 やがて、一行だけ書く。
『フリーザを越えるため』
フリーザが履歴書を受け取る。 志望動機を読む。 数秒。 笑った。
「結構」
「何よ」
「非常に分かりやすい」
契約書へ判を押す。
「採用です」
「軽いわね!」
「S級二位。怪人討伐実績多数。世界有数の超能力者」
フリーザは淡々と数える。
「不採用にする理由がありますか?」
タツマキが一瞬だけ黙った。 褒められたようにも聞こえる。 しかしフリーザは本当に採用基準を読み上げているだけらしい。
「ちなみに、役職ですが」
「役職?」
「ジェノスさんは戦闘技術部門。サイタマさんは怪人討伐特別担当です」
「そんな名前だったの?」
「先月決めました」
「聞いてない」
「今お伝えしました」
タツマキが嫌な予感を抱きながら聞く。
「私は?」
フリーザは数秒考える。
「念動力災害対策部門」
「ダサい!」
「では超能力部門」
「雑!」
「ご自分で決めます?」
「そうする!」
「では、入社手続きは以上です」
フリーザが立ち上がる。
「修行は?」
「今から?」
「当たり前でしょ」
「今日は物件売却の最終確認と会議が――」
「そんなの後!」
「会社経営を何だと思っているのです?」
「修行より大事なの!?」
「時と場合によります」
「意味わかんない!」
ソファではサイタマが横になった。
「俺、昼寝していい?」
「先生。午後は怪人巡回の予定があります」
「何時?」
「十五時です」
「じゃあ一時間寝る」
「四十五分です」
「細かいな」
フリーザは室内を見回した。 サイタマ、社員。 ジェノス、社員。 そしてタツマキ。 今日から社員。 つくづく妙な会社になった。 趣味でヒーローをする規格外の男。 S級サイボーグ。 S級二位の超能力者。 そして社長は宇宙人。 まともな企業なら、一人もいない。 それでもフリーザは、この状況を嫌いではなかった。 むしろ少し面白い。変な踊りを暇さえあれば見せつけてくるやつもいないし。
「では」
フリーザがタツマキを見る。
「明日から始めましょう」
「何を?」
赤い目が細くなる。
「あなたのトレーニングと、わたくしのトレーニングを」
タツマキが腕を組む。
「望むところよ」
二人の視線がぶつかった。 一方は、この男を越えるつもりでいる。 もう一方は、ちょうどよい修行相手が手に入ったと思っている。 温度差は大きい。 そのやり取りを見ていたジェノスには、嫌な予感しかなかった。
「フリーザ」
「はい?」
「一つ確認しておく」
「何でしょう」
「タツマキを壊すな」
「誰が壊されるって!?」
タツマキが即座に噛みつく。
「お前ではなく、フリーザに言っている」
「それがムカつくのよ!」
フリーザが片手を上げた。
「ご安心ください。出力は細かく調整しますよ」
「その言い方が一番安心できないんだけど!?」
目を閉じたまま、サイタマが言った。
「大丈夫だろ」
「何がよ!」
「死にそうになったら止める」
タツマキが止まった。 フリーザが笑う。
「ほら。安心でしょう?」
「安心できる要素が一つもない!」
タツマキはこめかみを押さえた。 選択を間違えたかもしれない。 ほんの一瞬、そんな疑念が浮かぶ。 だが履歴書はもう提出した。 雇用契約も成立した。 フリーザ・コーポレーション、新入社員。 戦慄のタツマキ。 こうしてS級二位、人類最高峰の超能力者は、人生で初めて会社員になった。 理由は一つ。 フリーザを越えるため。 そして翌日。 初回トレーニング開始初日から。
「殺す気!?」 タツマキが本気で叫ぶことになる。