フリーザ、ヒーローになる ~宇宙の帝王がワンパンマン世界に墜ちた結果~ 作:&劉
サイタマが武術大会に出ると言い出したとき、フリーザは三秒ほど返事をしなかった。
朝のフリーザ・コーポレーション本社。事務所の大型モニターには世界各地の怪人反応が表示され、赤や黄色の光点がいつもより忙しなく明滅している。その前で、サイタマは一枚のチラシを掲げていた。
紙面には大きく「SUPER FIGHT」の文字。賞金、強者集結、最強の武術家を決める戦い――いかにも格闘大会らしい文句が並んでいる。
「武術大会、ですか」
「うん。出る」
「なぜです?」
「新しい見地」
フリーザはもう一度、今度はわざとらしく三秒黙った。
「まだその言葉を使っていたのですか」
「便利だぞ。なんか賢そうに聞こえるし」
「意味を理解して使っています?」
「だいたい」
横に立っていたジェノスが、当然のように口を挟んだ。
「先生は最近、フリーザとの戦闘を通じて、自身とフリーザの間に純粋な出力以外の差があることを意識している。異なる戦闘技術に触れることで、その差を分析する意図だと考えられる」
「そうそう。俺が説明してんだけど」
「先生の説明では情報が不足する可能性が高いため、補足しました」
「そういうとこだぞ、ジェノス」
フリーザは苦笑しながらチラシへ目を落とした。
武術とは、限られた身体能力を効率よく使うための技法だ。相手の重心を崩し、力を流し、呼吸や間合いを読み、より小さな動作で大きな結果を得る。そういう意味では、今の自分が追求している気の制御とも共通点がないわけではない。
もっとも、それがサイタマに必要かと問われれば、答えは限りなく否だった。彼の場合、重心を崩すより先に相手ごと地面が消えかねないし、力を流す以前に殴った方が早い。技をいくつ覚えようが、最後には「普通に殴る」で終わる気がする。
しかし、サイタマ本人が何かに興味を示すこと自体が珍しい。ならば止める理由もなかった。
「よいのではないですか。行ってらっしゃい」
「お、意外とあっさりだな」
「ただし」
フリーザは机の下へ手を伸ばし、長い筒状のものを取り出した。布に包まれたそれを見た瞬間、ジェノスの目がわずかに細くなる。
「嫌な予感がする」
「奇遇ですね。俺もです」
布が広がる。現れたのは、横幅だけで数メートルはある巨大な横断幕だった。白地の中央に黒と紫の太字で「FREEZA CORPORATION」。その下には「怪人対策・技術開発・宇宙事業」と、必要以上に堂々と事業内容まで記されている。
「いらない」
サイタマは完成品を見る前から即答した。
「なぜです?」
「恥ずい」
「宣伝になります」
「俺、普通に武術大会出たいんだけど」
「ではジェノスさん」
「はい」
「応援席でこれを」
「了解した」
「了解すんなよ」
ジェノスは横断幕を受け取り、真顔で畳み始めた。
「会社の広報活動も社員の責務です」
「お前、最近フリーザ側に寄ってない?」
「違います。先生の活動を支援するため、会社という組織を合理的に利用しているだけです」
「給与はきちんと受け取っていますけどね」
「それは契約上の権利だ」
「しっかりしてんな、お前」
少し離れたソファでは、タツマキがスマートフォンから顔を上げた。一週間前まではフリーザがいるだけで眉間に皺を寄せていたが、最近は会社にいること自体には慣れてきたらしい。態度が丸くなったわけではない。慣れただけだ。
「ジェノス、応援まで行くの?」
「当然だ。先生の戦闘を観察する価値は高い」
「武術大会で戦闘になると思ってんの? 一発で終わるでしょ」
「やってみないとわかんないぞ」
サイタマが真顔で言うので、タツマキは呆れた顔をした。どう考えても一発で終わる。だが、この男は本気で「やってみなければわからない」と思っているらしい。その無自覚さが、最近では少し怖い。
フリーザはそんな三人を横目に、大型モニターへ視線を戻した。
怪人反応が増えている。
「ところで」
ジェノスがモニターへ顔を向けた。
「お前は応援には来ないのか」
「わたくしですか?」
「先生が参加する。会社として視察する価値もあるはずだ」
「一応、そうしたいところなのですがね」
フリーザは赤い光点が密集する地域を指した。
「怪人が出ています。それも、今日は少々多い」
ジェノスの目が戦闘用のものに切り替わる。タツマキもスマートフォンを伏せ、サイタマはチラシとモニターを見比べた。
「俺、そっち行こうか?」
「結構です。あなたは武術大会へ行ってください」
「いいの?」
「普段から十分働いていただいていますので、たまにはご自分の興味を優先しても構いませんよ」
サイタマが少しだけ意外そうな顔をした。
「俺、そんな働いてる?」
「怪人討伐数だけ見れば、相当なものです」
それ以上に、フリーザにとってサイタマはこの星で唯一と言っていい修行相手だった。その価値は怪人討伐の実績などより遥かに大きいのだが、本人へわざわざ言う気にはならなかった。
「ジェノスさんも十分働いていますよ。装備開発、戦闘データの解析、怪人討伐、技術部門との連携。それから、サイタマさんのスケジュール管理」
「最後のは会社の仕事じゃなくない?」
「結果的に会社へ利益があります。あなたが怪人討伐を忘れないだけでも価値がありますから」
「先生は怪人討伐を忘れてはいない」
「怪人を目の前にしても、それ以上にスーパーの特売日を気にしていましたね」
ジェノスが黙った。サイタマは自分で頷いた。
「あるな」
「先生」
「事実だし」
タツマキが鼻を鳴らして立ち上がる。
「だったら今日は私が全部片づけるわよ」
「半分です」
「は?」
「半分はわたくしが、半分はあなたが。訓練も兼ねています」
「全部いけるって言ってるの」
「だからこそ、取り分けるのですよ」
タツマキは不満そうに睨んだが、結局それ以上は反論しなかった。
一週間。たった七日とはいえ、彼女は確実に変わっていた。
毎日、フリーザを相手に限界近くまで念力を使い、飛び、避け、防ぎ、撃ち返す。最初は一時間もたなかった訓練が、いまでは同じ密度でも最後まで立っていられる。何より大きいのは、戦闘以外の感覚まで研ぎ澄まされ始めたことだった。
フリーザは気を探る方法をそのまま教えることはできなかった。タツマキの力は気とは性質が違う。しかし、周囲の生命反応や精神的な圧力、空間のわずかな歪みを「異常」として拾う訓練なら応用できる。
もともと年動力による探知能力は優れていたが、その精度と速度に磨きがかかった。
タツマキは目を閉じた。数秒だけ沈黙し、指を上げる。
「あっち。一体。北東」
別の方向へ指が移る。
「西に二体。かなり遠いけど、南に三体」
ジェノスがスカウターで照合する。
「一致している。以前より精度が上がっている」
「当然でしょ」
タツマキの口元がわずかに上がった。フリーザも満足そうに頷く。
「では、小さい反応の方はお願いします」
「小さい方?」
「反応の規模です。大きいのが一つありますので」
フリーザはモニター上のZ市を示した。そこには他の赤点とは明らかに違う、強く大きな反応が灯っている。
「ずいぶん大きな虫がいるようですね」
「虫?」
「ムカデです」
「でかい?」
「かなり」
サイタマの目がほんの少しだけ輝いたのを、フリーザは見逃さなかった。
「武術大会に遅れますよ」
「あ、そうだった。じゃあ行くわ」
ジェノスは巨大な横断幕を抱えたままサイタマの後を追う。
「先生、急ぎましょう」
「それ本当に持ってくの?」
「持っていきます」
「マジか……」
タツマキは窓を開け、ふわりと宙へ浮いた。
「じゃ、先に片づけてくる。あとで数を比べるから」
「競争ではありませんよ」
「私が勝つ」
「聞いていませんね」
緑色の光が窓の外へ消えた。サイタマとジェノスも事務所を出ていき、急に室内が静かになる。
フリーザはZ市の大きな赤点を見つめた。
「さて。わたくしも働きますか」
◇
Z市の一角では、怪人より先に人間同士がぶつかっていた。
道路は割れ、ビルの壁が崩れ、横転した車から煙が上がっている。街の中央で金属バットが肩で息をし、その正面では白髪の青年が楽しそうに拳を構えていた。
ガロウ。
数日前、フリーザに全身の骨を何本も折られ、病院へ運ばれたはずの男だ。包帯はまだ残っている。頬にも傷がある。それなのに、動きは以前より鋭かった。
「てめえ、病院から出てきたばっかりじゃねえのかよ」
「寝てりゃ治るだろ、こんくらい」
「治ってねえだろ」
「動けるなら十分だ」
金属バットが舌打ちし、踏み込んだ。
振り下ろされたバットをガロウが流水岩砕拳で逸らす。地面へ叩きつけられた鉄塊のような一撃が道路を割り、その隙にガロウが懐へ潜り込んだ。肘が脇腹へ入り、金属バットの身体がわずかに浮く。
「ぐっ……!」
「へえ。やっぱS級はいいな」
「何がだ」
「強え」
ガロウの顔に浮かんだ笑みは、純粋に戦いを楽しんでいるようにも見えた。
だが、その奥には別のものがある。
フリーザ。
あの白と紫の小さな宇宙人が、頭から離れない。
腹を殴られた感触。指を一本ずつ折られた痛み。髪を尾で吊り上げられ、何十台ものスマートフォンを向けられた屈辱。「広告塔」と呼ばれ、「殺す価値もない」と言い捨てられた瞬間。
思い出すだけで、身体の奥に火が点く。
強くならなければならない。
今のままでは遠すぎる。話にならない。だから、強い奴を狩る。一人倒すたびに技を盗み、身体を追い込み、生き延びるたびに自分を更新する。
タンクトップマスターの次は金属バット。その先にもS級がいる。怪人もいる。
全部、踏み台にする。
「フリーザ……」
「……あ?」
金属バットが眉を寄せる。
「なんでもねえ」
ガロウは再び踏み込んだ。拳とバットが正面から衝突し、空気が弾ける。
金属バットは後ろへ下がりながら、相手の目を見た。
妙だ。
こいつは自分と戦っているのに、自分だけを見ていない。目の前の敵を倒すためではなく、そのさらに向こうにいる何かを殴るために戦っている。
「てめえ、何をそんなに急いでんだ?」
ガロウの目がわずかに動いた。
「何?」
「戦い方が前のめりすぎんだよ。オレを倒すってより、オレの向こうにいる誰かを殴りたがってる顔してやがる」
金属バットは武術家ではない。理屈で相手を分析するタイプでもない。ただ、喧嘩と戦闘の場数が多い。だからこそ、そういう匂いには敏感だった。
「図星か?」
「黙れ」
ガロウの踏み込みが一段速くなる。
その瞬間、地面が揺れた。
最初は小さな震動だった。だが数秒もせず、それは街全体を揺さぶる地鳴りへ変わった。道路が波打ち、ビルの窓が一斉に震え、周囲から悲鳴が上がる。
金属バットが顔を上げた。
「来やがったか」
「何だ?」
遠くの地面が盛り上がる。
土砂とアスファルトを押し退けながら、巨大な節が地上へ現れた。その一節だけでも建物ほどの大きさがある。続いて二つ、三つと長大な身体が地下からせり上がり、やがて空を覆うほど巨大なムカデが姿を現した。
ムカデ長老。
怪人協会の幹部級にして、災害レベル竜。何百という脚が地面を抉り、その巨体が進むだけで道路も建物も破壊される。
金属バットが舌打ちした。
「チッ」
「知り合いか?」
「んなわけあるか」
金属バットはバットを握り直した。
目の前にはガロウ。街にはムカデ長老。市民はまだ逃げ切れていない。どちらか片方だけならどうとでもなる。二つ同時となれば話は別だった。
ガロウはその迷いを見て、口元を歪める。
「どうした、ヒーロー。怪人も俺も両方やるか?」
「上等だ。そのつもりだよ」
本気だった。
ガロウは一瞬だけ目を細めた。こういう男は嫌いではない。だからこそ、倒す価値がある。
ムカデ長老が咆哮した。空気そのものが震え、周囲のガラスが悲鳴を上げる。
その轟音の中に、場違いなくらい穏やかな声が混じった。
「困りますね」
二人が同時に上を見る。
ガロウは、頭で理解するより先に身体が強張った。
白と紫の小柄な姿が、空からゆっくり降りてくる。
「……てめえ」
抑えきれない殺気が漏れた。
金属バットが横目でガロウを見る。
「知り合いか?」
「ええ」
答えたのはフリーザだった。
地面へ降り立ち、いつもの笑顔でガロウへ軽く会釈する。
「お久しぶりですね、ガロウさん。」
「数日しか経ってねえよ」
「そうでしたね」
「てめえ……!」
ガロウが一歩前へ出る。
そこで止まった。
あの日の記憶が、一瞬で蘇ったからだ。
攻撃すれば骨が折れた。距離を取れば一瞬で詰められた。腹を殴られても意識を失うことすら許されなかった。反撃するたび、自分の身体だけが壊れていく。
いま飛びかかっても勝てない。
悔しいほど明確に、それだけはわかった。
フリーザはその停止を見て、少しだけ感心したように眉を上げる。
「ほう」
「何だよ」
「利口になりましたね。てっきり、顔を見た瞬間に飛びかかってくるものと期待していたのですが」
「次は、殺せる時にやる」
「よい判断です」
褒められたような口調が、むしろ腹立たしい。ガロウの拳に力が入る。しかし、動かない。
「おい」
金属バットが二人を交互に見る。
「何だこの空気」
フリーザはようやく金属バットへ視線を移した。
「あなた、先日のS級の方ですね」
「金属バットだ」
「存じています」
「で、何の用だ」
フリーザは少し考え、ガロウを見た。
「ガロウさん。今日は見逃して差し上げましょう」
ガロウの目が細くなる。
「…条件は?」
「こちらの方を、わたくしへ寄越してください」
フリーザがムカデ長老を指す。
「は?」
「何でだ」
「仕事の分担ですよ」
ガロウはムカデ長老、フリーザ、金属バットの順に見て、鼻を鳴らした。
「俺が逃げると思ってんのか」
「ほっほっほ。戦略的撤退、と呼んでも構いませんよ」
殺意がまた膨らむ。
それでも、ガロウは踏み込まなかった。
いまフリーザへ挑んでも何も得られない。ただ壊されるだけだ。金属バットとの決着は後でもつけられる。自分が本当に倒したい相手は、目の前の二人よりさらに向こうにいる。
「チッ」
ガロウは背を向けた。
「勘違いすんなよ」
「誰にです?」
「両方だ。次は俺が勝つ」
「期待していますよ」
その一言が一番むかつく。
ガロウは建物の壁を蹴り、屋上から屋上へ跳んで姿を消した。
フリーザは遠ざかる背中を眺めながら、目を細める。
「やはり、成長していますね」
「逃がしていいのか?」
「あなたは捕まえたいです?」
金属バットはムカデ長老を見た。
「今は、そっちが先だ」
「結構」
フリーザは胸元から小型スカウターを取り出し、金属バットへ放った。
「何だこれ」
「スカウターです」
「知ってる。テレビで見た」
耳へ装着すると、視界の端に地図と光点が表示された。フリーザが簡単に操作を教える。
「赤が怪人反応、黄色は正体不明、青が登録ヒーローです。現在地の近くに鬼クラス相当が数体います」
「おい。あれは?」
金属バットが巨大なムカデを親指で指した。
「わたくしがやります」
宇宙船を一撃で破壊した映像は、S級なら誰でも知っている。疑う理由はなかった。
「……わかった。借りるぞ」
「差し上げます」
「いいのか?」
「会社の宣伝をしていただければ」
金属バットの顔が露骨に曇る。
「そういう条件かよ」
「冗談です」
「お前、冗談言う顔じゃねえだろ」
「失礼ですね」
金属バットはスカウターへ表示された赤点を確認し、バットを肩に担いだ。
「じゃあ、こっち行く」
「お願いします」
走り出した背中を見送りながら、フリーザは少し考える。
強い。真面目。判断が早い。話も通じる。
「社員に欲しいですね」
本人には聞こえていなかった。
◇
ムカデ長老は、ようやく自分の前に残った小さな存在へ注意を向けた。
巨大な頭部を低く下げ、無数の眼でフリーザを見据える。
「貴様、S級ヒーローか」
「ええ。一応」
「ならば潰してくれる!」
ムカデ長老が身体をうねらせた。何百もの脚が一斉に地面を掻き、道路を粉砕しながら巨体が前へ出ようとする。
出なかった。
「……?」
ムカデ長老の表情が変わる。
力を込める。動かない。脚を動かそうとする。一つも動かない。尾も、牙も、首も動かない。声だけが出た。
「な、何だ……?」
避難途中の人々が足を止め、遠くから見ていたヒーローたちも息を呑む。
あれほど巨大な怪人が、完全に静止している。
まるで、そこだけ時間が止まったようだった。
フリーザは片手を前へ出している。それだけに見える。
実際に行っているのは、単純な念力とは少し違った。ムカデ長老の巨体全体へ極めて細かな気の圧力を同時にかけ、関節、甲殻、筋肉、数百の脚の動きを一つずつ封じている。
ボロスとの戦いから始めた精密制御。その後、タツマキとの訓練でさらに細かくなった制御を、今度は相手そのものへ応用しているのだ。
力そのものだけで押さえ込むなら、もっと簡単だった。しかし、それでは訓練にならない。
「どうしました? 来ないのですか?」
「貴様……何をした!」
「少々、動かないようにしているだけですよ」
「ふざけるな!」
ムカデ長老は内部から力を爆発させようとした。しかし、出力が上がる瞬間に、それを上回る圧力が必要な箇所だけへかかる。爆発する前に抑えられ、結局、身体は一ミリも動かなかった。
「あれ、止まってる?」
「ムカデ長老だぞ……?」
「フリーザ、何してんだ?」
周囲でスマートフォンが次々と持ち上がる。
フリーザは横目でそれを確認した。
また宣伝になる。
悪くない。
右手をゆっくり上げる。
それに合わせて、ムカデ長老の長大な身体が地面から離れた。
「なっ――!」
十メートル、二十メートル、五十メートル。やがて百メートルを超える高度まで、全身が持ち上げられる。
何百本もの脚は空中で固まったまま動かない。その姿は、巨大な標本を空へ吊り下げたようだった。
見上げる人々から声が消える。
ムカデ長老は、その瞬間に初めて恐怖を理解した。
目の前の男は小さい。自分の頭部だけで何十体も踏み潰せるほど小さい。それなのに、自分の身体は完全に支配されている。
「やめろ! 離せ!」
フリーザは見上げながら、妙に懐かしい気分になった。
ナメック星。
小さな地球人を宙へ持ち上げ、逃げられないまま爆発させたことがある。その直後、孫悟空は怒りによって超サイヤ人へ変わった。
あの頃の自分は、相手が恐怖に染まる瞬間を心から楽しんでいた。
最近はサイタマと本気で殴り合い、タツマキと制御を磨き、以前とは違う種類の戦闘を楽しむようになった。だが、一方的に相手の生殺与奪を握る感覚まで忘れたわけではない。
「懐かしいですね」
「何だと?」
「昔、似たようなことをしたことがありまして」
フリーザの右手が、ゆっくり閉じていく。
「やめ――」
ぱん、と小さな音がした。
次の瞬間、ムカデ長老の身体の内側を光が走った。一節、二節ではない。長大な身体全体がほぼ同時に膨らみ、内側から一斉に爆ぜる。
赤と白の閃光が空を染め、遅れて衝撃波が街へ広がった。だが爆発は外へ無秩序に広がらず、フリーザの気によってほとんど上空へ押し込められている。
甲殻も肉も焼き尽くされ、巨大な怪人は数秒のうちに跡形もなく消えた。
フリーザは静かに手を下ろす。
「終わりです」
数秒の静寂。
それから、街が揺れるほどの歓声が上がった。
「うおおおおおっ!」
「フリーザ!」
「一瞬だぞ!」
「ムカデ長老が消えた!」
「フリーザ様!」
以前なら、自分以外の者が勝手に上げる歓声などどうでもよかった。最近は少し違う。恐怖で強制した忠誠とは別の、自発的な称賛には独特の味がある。
悪くない。
フリーザは小さく笑った。
◇
少し離れたビルの屋上に、一人だけ歓声を上げない男がいた。
ガロウだった。
撤退したはずなのに、結局その場を離れきれなかった。フリーザがどの程度の戦いをするのか、自分の目で確認しておく必要があると思ったからだ。
いま、その判断を少し後悔している。
「……マジかよ」
額から汗が落ちる。
ムカデ長老は、見ただけでわかった。いまの自分では勝てない。金属バットより明らかに上の怪人だ。
その怪物が、何もできなかった。
攻撃するどころか、身体を動かすことすら許されなかった。最後は指一本まともに触れられないまま、空中で爆裂した。
ガロウの脳裏に、数日前の自分が重なる。
腹へ拳を叩き込まれ、骨を一本ずつ折られ、それでも殺されなかった。
あれを手加減だと思っていた。
違う。
手加減という言葉では足りない。ムカデ長老にしたことを、自分へやろうと思えば一秒で終わっていた。
「俺……運が良かっただけじゃねえか」
もしあの日、フリーザの機嫌が少し違っていたら。
もし「広告になる」ではなく「面倒だ」と判断されていたら。
自分は何も残らず消えていた。
「殺す価値がない」
あの言葉の意味まで変わる。
本当に、殺す必要すらなかったのだ。
怖い。
正直に言えば、怖かった。
それでも、数秒後にはガロウの口元が歪んだ。
「ハ……ハハ……」
恐怖が、そのまま別の熱へ変わっていく。
自分は生きている。
フリーザはあの日、自分を殺さなかった。それが偶然でも気まぐれでも、いま時間が残っていることだけは事実だ。
なら、強くなれる。
「ついてる」
ガロウは目を見開いた。
「俺、ついてるじゃねえか」
いま弱いなら、強くなればいい。
ムカデ長老を一瞬で消した場所まで、自分も行く。そして、そこからさらに上へ行く。
「待ってろ、フリーザ」
笑みが深くなる。
「絶対、そこまで行ってやる」
執念が、また一段深くなった。
◇
地上の光景を、さらに別の場所から見ている者がいた。
地下深く。怪人協会の巨大な空洞。
岩と肉が混ざったような壁の奥で、無数の眼を持つ異形――ギョロギョロが、千里眼を通して複数の映像を同時に追っていた。
一つはタツマキ。
各地の怪人を次々と撃破している。以前から怪人協会にとって最大級の障害だったが、最近は動きが明らかに変わっている。念力の操作が細かくなり、無駄が減り、何より怪人の居場所を以前より早く探り当てるようになっていた。
「成長している……戦慄のタツマキが」
ただでさえ厄介だった存在が、さらに伸びている。
しかし、本当に問題なのはもう一つの映像だった。
フリーザ。
ムカデ長老を完全に静止させ、宙へ持ち上げ、最後には内側から消し飛ばした。
ギョロギョロの無数の眼が、文字通り一斉に見開かれる。
「……」
言葉が出ない。
ムカデ長老は災害レベル竜。怪人協会でも上位に位置する幹部だ。S級一人で確実に仕留められる相手ではない。
それが戦闘にすらならなかった。
攻撃を一度も成立させられず、拘束を解除することもできず、そのまま消された。
(これは、尋常ではない…)
宇宙船を一撃で破壊した。宇宙の覇者ボロスを倒した。そうした映像や情報は集めていた。しかし、あまりにも規模が大きすぎて、どこまでが事実でどこまでが誇張なのか判断しにくい部分もあった。
いまは違う。
自分の目で見た。
ムカデ長老が、片手で処理された。
「竜では……話にならない。幹部が集ってもおそらく…」
竜を複数同時にぶつける?
おそらく意味がない。数の問題ではない。
しかも相手はフリーザだけではない。強化されつつあるタツマキ、異常な成長を続けるサイボーグのジェノス、そして詳細な底がまるで見えないサイタマ。同じ組織に属し、場合によっては同時に動く。
怪人協会の計画そのものを見直さなければならない。
「どうする……フリーザ、サイタマ、タツマキ。ヒーロー協会の通常戦力とは別に、異常な札が三枚もある」
その時、背後の暗闇から低い声が響いた。
「その男」
ギョロギョロが振り返る。
洞窟の奥に、巨大な何かが座っていた。
角、眼、牙、幾重にも重なった異形の肉体。動いていないにもかかわらず、その存在だけで空間へ圧力を与える怪人。
怪人王オロチ。
「フリーザは私がやろう」
ギョロギョロは少し黙った。
「あなたが?」
「我が復活の生贄に相応しい…あれを喰らえば私は間違いなく神へと到れる…」
オロチは元々ギョロギョロの管理化で膨大な合成実験と戦闘実験を経て徐々に進化してきた。生贄を食らいに喰らい、完全なる化物となった。
フリーザを相手にすることは危険すぎる。
だが、もし本当にその力の一端でも取り込めるなら、怪人協会そのものの戦力が別次元へ跳ね上がる可能性がある。
ギョロギョロの目元がゆっくり上がった。
「そうですね。面白いかもしれない」
地上のフリーザは、自分が新しい獲物として見られ始めたことなど知らない。
もっとも、知ったところで喜ぶだけだっただろう。
◇
その頃、フリーザは会社へ戻るため空を飛んでいた。
通信が入る。
『終わった』
タツマキだった。
「何体でした?」
『十三』
「こちらは一体です」
『は?』
「大きいのを」
『ずるくない?』
「競争ではないと申し上げました」
『サイズで誤魔化してるでしょ!』
フリーザは思わず笑った。
「では次は、大きい方を譲りましょう」
『絶対よ!』
通信が切れた。
社員が増えた。仕事も増えた。怪人も増えている。そして、強い存在が少しずつこちらへ意識を向け始めている。
悪くない。
「さて。次は何が来るのでしょうね」
フリーザは速度を上げた。
その頃、武術大会の会場では、サイタマが別の意味で頭を抱えていた。
「やっぱそれ出すの?」
「当然です」
ジェノスが観客席で巨大な横断幕を広げる。
FREEZA CORPORATION。
周囲の観客が一斉に振り返った。
「俺、普通に武術見に来ただけなのに……」
サイタマは深いため息をつく。
誰もまだ知らない。
この武術大会の裏で、怪人協会、ガロウ、タツマキ、そしてフリーザへ伸びる線が、少しずつ同じ場所へ集まり始めていることを。
当の帝王だけは、そんなことを考えていなかった。
次に会社の売上をどこまで伸ばせるか。その程度だった。
もっとも、怪人の王が自分を狙っていると知れば、きっと売上のことなど数分は忘れるだろう。
強い相手が来るのなら、それで十分なのだから。