フリーザ、ヒーローになる ~宇宙の帝王がワンパンマン世界に墜ちた結果~   作:&劉

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第二話 ハゲと尻尾とマントの巻

 

拳が、フリーザの腹へ触れていた。 まだ振り抜かれてすらいない。肩も腰も、本格的には動いていない。本来なら、こんな位置から放たれる拳に警戒する必要などないはずだった。

 

拳というものは、距離を使って威力を作る。脚で地面を押し、腰を回し、その力を背骨から肩、腕へ伝え、最後に拳へ集める。熟練した戦士ほど、その連動を正確に使うものだ。 だが、目の前の男にはそんな常識が当てはまらない。 拳そのものが、すでに破壊として完成している。 腹へ触れた瞬間、フリーザの身体が警告した。 受けるな。

 

思考ではない。宇宙の帝王として無数の戦士を屠り、幾度も致命的な攻撃を受けてきた肉体が、反射より先に出した結論だった。 サイタマの肩が僅かに動く。 それより早く、フリーザの膝が跳ね上がった。

 

黄金の膝がサイタマの肘へ入り、拳の軌道を上へ逸らす。同時に身体をひねり、太い尾を鞭のように脇腹へ叩き込んだ。 空気が破裂した。 サイタマの身体が横へ飛ぶ。Z市上空を抜け、雲を貫き、周囲の山々さえ越えていく。 フリーザも追った。

 

金色の閃光となって背後へ回り込み、両手を組む。そのまま巨大な槌を振り下ろすように、サイタマの背中へ叩きつけた。 黄色い影が地上へ落ちていく。

 

その先に広がっていたのは、人家のない荒野だった。茶色い岩山がいくつも並び、乾いた大地から奇妙な石柱が突き出している。 サイタマがその中央へ落下した。

 

大地が沈み、円形の亀裂が数百メートルにわたって走る。岩山が根元から揺れ、砂塵が壁のように立ち上がった。 フリーザは上空で腕を組んだ。

 

「街から離れる手間が省けましたね」

 

砂煙の奥から声が返る。

 

「お前が飛ばしたんだろ」

 

サイタマが土を払いながら穴から出てきた。 スーツの胸元には埃が付いている。それだけだった。 傷らしい傷はない。 フリーザの口元が、自然に持ち上がった。

 

「そうでしたね」

 

サイタマは周囲を見回した。建物も人もいない。当然、スーパーもない。 最後の一点だけ、少し気になった。

 

「ここなら多少暴れても平気か」

 

「多少?」

 

フリーザが笑う。

 

「ずいぶん控えめな表現ですね」

 

金色の光が消えた。 次の瞬間には、フリーザがサイタマの目の前へいた。 拳が飛ぶ。 サイタマが首を傾け、黄金の拳を頬の横へ流す。その拳圧だけで、背後にあった岩山が爆発した。 フリーザは拳を引かない。 そのまま肘へつなげる。サイタマは前腕で受け、続く膝を掌で止めた。 掌を支点にフリーザが回転する。 逆脚が側頭部へ走る。 サイタマの首が僅かに傾いた。 その瞬間、今度はサイタマの拳が動く。

 

「普通のパンチ」

 

正面から迫った拳を、フリーザは上体を大きく反らしてかわした。 鼻先を風が撫でる。 拳そのものは外れた。 だが、その先にあった岩山は上半分を失った。 フリーザは一瞬だけそちらを見た。

 

「それで普通ですか」

 

「普通だぞ」

 

「あなたの普通は、基準として使えませんね」

 

身体を起こしたフリーザが掌底を顎へ打ち込む。 サイタマの頭が跳ねた。 続いて両手を組み、腹へ振り下ろす。 サイタマの身体が地面へめり込む。 フリーザは右手を向けた。

 

「ほっ!」

 

赤い閃光が走る。 デスビーム。 一発目が地面を貫いた。 二発目が同じ穴へ重なる。 三発目、四発目。そこから指先が霞み、数十本の赤い光線が大地の奥へ降り注いだ。 地下で爆発が連鎖する。 地面が大きく持ち上がった。 まるで巨大な何かが下から荒野そのものを押し返しているようだった。 次の瞬間、大地が破裂した。 岩石と炎が空へ噴き上がる。 その中から黄色い影が飛び出した。

 

「逃がしませんよ!」

 

フリーザの十本の指が開く。 デスビームが同時に走った。 一本ではない。 十本でも終わらない。 指を動かすたび、赤い光が空を縫い、サイタマの逃げ道を網のように塞いでいく。

 

「お」

 

サイタマが空中で身体を小さくずらす。 首を傾ける。 肩を引く。 片脚を曲げる。

 

大きく避ける必要はなかった。ほんの数センチずつ位置を変えるだけで、死を運ぶ光線が身体の横を通り過ぎていく。 背後の大地には、地平線まで続く穴が次々と刻まれていった。 フリーザの目が細くなる。 撃つ速度を上げる。 角度を変える。 逃げ道を削る。 赤い網が完成した。 その瞬間、サイタマが消えた。 フリーザの視線が右へ動く。 いない。 左にもいない。 上空にも気配がない。 背後。 気づいた時には、拳が頬へ迫っていた。 フリーザは反射的に首をひねる。 完全には避けきれない。 拳が頬をかすめ、金色の皮膚が裂けた。 一筋の血が飛ぶ。

 

「……!」

 

痛みより先に、歓喜が来た。 フリーザの尾がサイタマの足首へ絡みつく。

 

「捕まえましたよ!」

 

身体ごと回転する。 一回、二回、三回。 速度はさらに上がり、空に黄金と黄色の円が描かれる。 フリーザが尾を離した。 サイタマが岩山へ飛ぶ。 一つ目を貫通する。 二つ目を砕く。 三つ目の奥へ姿が消えた。 フリーザは両手を掲げた。 五本の指先へ気が集まる。

 

「これは、どうです?」

 

上空に巨大な光球が生まれた。 赤と黒が混じり、表面を稲妻のような光が走っている。

 

かつてナメック星で孫悟空を追い詰めるために使ったものと同種の技。扱いを誤れば、地表どころか星そのものへ深刻な傷を残しかねない破壊の塊だった。 フリーザは片手でそれを持ち上げた。

 

「今度は死ぬかもね」

そして、投げる。 光球が、サイタマの消えた岩山へ落ちた。 一瞬だけ、音が消えた。 次いで、世界が膨らんだ。

 

光が地平線を呑み込み、岩山が蒸発する。大地は液体のように波打ち、熱せられた空気が炎となって噴き上がった。 衝撃波が荒野を走る。 岩が引き抜かれ、石柱が根元から消え、遥か遠くの雲まで二つに裂けた。 爆発の中心には、底の見えない大穴が開いていた。 赤く焼けた土が、ゆっくり崩れ落ちていく。 フリーザは上空からその穴を見下ろした。 呼吸は乱れていない。 だが、赤い瞳には明らかな期待があった。 死んでいてほしくない。 その願いに気づき、フリーザ自身が僅かに可笑しくなる。 これまで敵には死を望んできた。できれば苦しみ、恐怖し、自分の強さを理解してから死ねばなおよい。 なのに今は違う。 この男には立ち上がってほしい。 もう一度、自分へ拳を向けてほしい。 穴の奥から何かが飛んできた。 小石だった。 フリーザは首を傾けてかわす。 その直後、人影が穴から飛び出した。 サイタマだった。 マントの端が少し焦げている。 それ以外、ほとんど変わっていない。

 

「危ねえな」

 

サイタマは頭を撫でた。

 

「ちょっと熱かったぞ」

 

フリーザは黙った。 一秒。 二秒。 やがて、小さな笑い声が漏れる。

 

「ほっ……ほっほっほっほっ!」

 

肩が震える。 抑える必要などなかった。

 

「素晴らしい!」

 

サイタマが眉を上げる。

 

「何が?」

 

「いえ。こちらの話ですよ!」

 

フリーザが突進した。 今度は最初より速い。 空間を一つ飛ばしたように、サイタマの正面へ現れる。 右拳。 サイタマが腕で受ける。 左拳は首を傾けてかわす。 尾を跳び越える。 フリーザはその空振りを回転へ変え、踵を腹へ叩き込んだ。 サイタマの身体が折れる。 だが、飛ばなかった。 フリーザの足首を掴んでいた。

 

「捕まえた」

 

「おや」

 

サイタマが腕を振った。 フリーザの身体が地面へ叩きつけられる。 一度では終わらない。 反対側へ振る。 また地面へ落とす。 三度目には大地そのものが大きく沈んだ。 フリーザは尾でサイタマの腕を打つ。 握力がほんの僅かに緩んだ。 その隙に足を引き抜き、空中で身体を返す。 掌から放った光弾をサイタマが腕で払った。 弾かれた光が遥か遠くの岩山を消し飛ばす。 その爆炎を目隠しにして、フリーザが踏み込んだ。 頭突き。 額と額がぶつかった。 空気が円形に押し広げられる。 どちらも一歩も引かない。 フリーザの拳がサイタマの頬へ入る。 サイタマの拳がフリーザの胸へ入る。 二人が反対方向へ吹き飛び、ほぼ同時に止まった。 そして同時に前へ出る。 そこから先は、攻撃というより衝突だった。 拳と拳。 肘と膝。 手刀と掌。 尻尾と脚。 打撃のたびに雷鳴のような音が荒野へ響いた。 二人の姿はほとんど見えない。 黄金の線と、白い衝撃だけが残る。

 

空でぶつかり、地上でぶつかり、岩山の側面へ叩きつけられ、そのまま山を粉砕する。地中へ消えたかと思えば、数キロ先から大地を破って飛び出した。 荒野の形が変わっていく。 山は平地になった。 平地は谷になった。 谷は爆発で埋まり、再び平地へ戻った。 何万年もかけて風や雨が作るはずだった景色を、二人は数分で書き換えていく。 フリーザが後方へ飛びながら、片手を大地へ向けた。 指先を横へ振る。 赤い光の刃が地面を走った。 大地烈斬。 地面がただ割れたのではない。

 

巨大な刃物で惑星の表面そのものを切ったように、一直線の断裂が地平線まで走り、途中の岩山を縦に両断していく。 サイタマが横へ跳ぶ。 二本目が足元を走る。 さらに跳ぶ。 三本目が空中まで追ってくる。 身体をひねってかわした。 白いマントの端が切れる。 小さな布片が空へ舞った。 サイタマの動きが止まる。

 

「これ、直すの面倒なんだけど」

 

「戦いの最中に服の心配ですか?」

 

「自分で縫ってるからな」

 

「それは感心ですね」

 

フリーザは指を振った。 今度は十本の赤い斬撃が同時に走る。 前後左右を塞ぐように大地から空まで切り裂いた。 サイタマが拳を引く。

 

「普通のパンチ」

 

真正面へ拳を放つ。 衝撃波が赤い斬撃へ正面からぶつかり、大地烈斬をまとめて押し返した。 光が砕け、粒子となって散る。 その向こうからフリーザが突っ込んだ。 拳をサイタマが受け止める。 互いの手が組み合った。 力比べ。 二人の腕へ力が入る。 足元の大地がゆっくり沈む。 フリーザの金色の筋肉が隆起した。 サイタマの表情は変わらない。 それでも、足が半歩だけ後ろへ滑った。 フリーザは見逃さなかった。 ほんの半歩。 ただそれだけ。 だが、その半歩が途方もなく大きい。 自分の力で、この男を動かした。

 

「ほっほっほっ!」

 

フリーザが笑いながら額をぶつける。 サイタマも頭を前へ出した。 二つの額が再び衝突し、地面がさらに沈んだ。 サイタマが片手を離す。 拳を引く。

 

「連続普通のパンチ」

 

視界が拳で埋まった。 前からだけではない。 横から、下から、僅かな隙間へ無数の拳が飛び込んでくる。 フリーザは笑った。 首を振り、肩を引き、腰をひねる。 最小限の動きで拳をかわしていく。 全ては無理だった。 一発が肩へ入る。 黄金の身体がへこむ。 二発目が腹へ突き刺さり、内臓が揺れる。 三発目は腕で受けた。 骨へ重い衝撃が走る。 それでも崩れない。 拳と拳の僅かな隙間へ、自分の拳を差し込む。 サイタマの顎へ入れる。 尾で足を払う。 崩れた姿勢へ蹴りを叩き込む。 サイタマが飛ぶ。 フリーザが追う。 背後へ回り、両手を組んで振り下ろした。 サイタマは空中で振り返り、腕を交差して受ける。 下へ落ちていく。 フリーザは光弾を連射した。 サイタマは落下しながら、それを拳で叩き落とす。 一発叩くたび、空中で爆炎が咲いた。 やがてサイタマが着地する。 フリーザも少し離れた場所へ降りた。 二人の間には、焼けた大地が広がっている。

 

「大したものですね」

 

フリーザは口元の血を親指で拭った。 金色の身体にはいくつもの打撃痕が残っている。 それでも笑っていた。

 

「あなたほどの方が、なぜ無名なのです?」

 

「無名じゃないぞ。ヒーローやってるって言ったろ」

 

「では、有名な方なのですか?」

 

「…いや」

 

「無名ではありませんか」

 

「うるさいな」

 

サイタマのスーツにも焦げ跡と汚れが付いている。 頬には、フリーザの拳が残した赤い跡があった。 そこへ手を当てる。 痛い。 酷い痛みではない。 だが、確かに痛みとして認識できる。 その事実だけで、胸の奥に長く忘れていた感覚が戻ってくる。 強くなりたかった。 限界を越えたかった。 そして、本当に限界を越えた。 その先に待っていたのは達成感ではなく、何も起きない毎日だった。 怪人が現れる。 殴る。 終わる。 敵がどれほど自分の強さを語ろうが、結末は同じだった。 一撃。 勝利には、敗北する可能性が必要だったのかもしれない。

 

失敗するかもしれないから、成功した時に何かを感じる。死ぬかもしれないから、生き残った時に安心する。 ところがサイタマには、その可能性がない。 長い間、苦戦できるのは夢の中だけだった。 目が覚めれば、いつもの天井がある。 半ば諦めていた。 自分の拳を受けて立ち上がり、また拳を返してくる者など、もう現れないのだろうと。 だが、目の前の男は立っている。 笑っている。 こちらの拳を避け、受け、殴り返してくる。 拳で。 足で。 尾で。 サイタマの口から、自然に言葉が出た。

 

「楽しいな」

 

フリーザの目が僅かに見開かれた。 それから、笑みが深くなる。

 

「奇遇ですね」

 

フリーザもまた、同じように歓喜していた。 見つけたのだ。 理想的な修行相手を。 孫悟空ではない。 ベジータでもない。 ブロリーでもない。

 

あのサイヤ人どもに頭を下げて修行を頼む必要はない。破壊神の機嫌を取りながら修行場所を借りる必要もない。 目の前の男は、そうした連中とはまるで違う。 誇りを語らない。 使命も語らない。 神の力にも興味がない。 そのくせ、スーパーの卵の値段を真剣に気にしている。 あまりにも平凡で、あまりにも異常な男。 そして底が見えない。 この男は、今殺すべきではない。 少なくとも、まだ。 自分をもっと高みへ押し上げる基準として使える。 超えるべき壁として利用できる。 フリーザにとって、それで十分だった。 友情などではない。 互いを理解したわけでもない。 他者とは支配するものか、利用するものか、邪魔なら消すものだという考えも変わっていない。 ただ、この瞬間だけは一人の敵として認めていた。

 

「続けましょうか」

 

「うん」

 

二人が同時に消えた。 荒野の中央で再び激突する。 フリーザの拳が胸へ入り、サイタマの拳が脇腹へ返る。 二人が吹き飛ぶ。 止まる。 また前へ出る。 手刀を腕で受け、尾を跳び越え、その跳躍を読んで蹴りが上がる。 サイタマは蹴りの上へ足を置いた。 踏み台にする。 そこから拳を振り下ろす。 フリーザが両腕で受ける。 衝撃で二人とも地上へ落ちた。 落下地点を中心に、数キロ四方の大地が沈む。岩の柱が折れ、地割れが何本も走り、砂塵が空を覆った。 その中で二つの影がまたぶつかった。 拳と拳。 正面から衝突する。 最初の一瞬だけ、音がなかった。 二つの拳が触れた場所で空気が歪む。 次の瞬間、抑え込まれていた衝撃が一気に解放された。 荒野が吹き飛んだ。

 

二人を中心に大地が円形に削られ、岩山が根元から砕ける。空へ舞った巨大な岩石さえ、衝撃波の中で粉々になった。 砂と石が雲のように広がり、太陽を覆う。 何十キロも先まで地面が波打った。 やがて風が弱まり、砂塵が少しずつ落ちてくる。 荒野だった場所には、巨大な盆地ができていた。 その中央に二人が立っている。 拳と拳を合わせたまま。 フリーザの腕が僅かに震え、サイタマのマントが風に揺れている。 互いに相手を見る。 言葉はいらなかった。 先に拳を下ろしたのはフリーザだった。 黄金の光が薄れていく。 身体が白と紫の最終形態へ戻った。

 

「今日は、このくらいにしておきましょう」

 

「そうだな」

 

サイタマも拳を下ろした。 空を見る。 太陽の位置を確認する。 そして、何かを思い出した。

 

「あ」

 

フリーザが眉を上げる。

 

「どうしました?」

 

「特売」

 

サイタマの顔色が変わった。 戦闘中には一度も見せなかった種類の焦りだった。

 

「何時まででしたか?」

 

「五時」

 

「現在時刻は?」

 

「時計、壊れた」

 

サイタマは手首を見る。 安物の腕時計は文字盤が割れ、針が止まっていた。

 

「まずい」

 

「そこまで重要なものですか?」

 

「卵が一パック九十八円なんだぞ」

 

「先ほども聞きましたよ」

 

「一人一パックまでなんだ」

 

フリーザは黙った。 追加された条件の重大さが、どうしても分からない。 サイタマは腰を落とした。

 

「じゃあな」

 

「ええ。またお会いしましょう」

 

サイタマが地面を蹴る。 盆地の底がさらに沈んだ。 黄色い影が地平線へ飛び、すぐに見えなくなる。 数秒遅れて、暴風が荒野を駆け抜けた。 フリーザはその風の中に立ち、サイタマが消えた方向を見ていた。

 

「また、ですか」

 

自分が口にした言葉を、静かに反芻する。 また会う。 まるで次があることを当然のように言った。 だが、それでいい。 次はもっと力を引き出す。 さらにその次は、もっと強くなる。 そして、いずれ超える。 フリーザは笑った。 この星へ来たのは正解だった。 時空の流れは元いた宇宙と異なる。 強力な怪物が頻繁に現れるらしい。 そして何より、サイタマという男がいる。 ここで鍛えれば、孫悟空もベジータも、ビルスでさえ、自分がどこまで進化したかを知ることはない。 再び彼らの前へ現れた時、その顔がどう歪むか。 想像するだけで愉快だった。 もっとも、そのためには準備が必要だった。 宇宙船は失われている。 部下とも連絡が取れない。 この星の地理も文明も勢力も知らない。 サイタマが何者なのかも分からない。 あれほどの力を持つ男が、なぜ人間の街で暮らし、一パック九十八円の卵を求めて走るのか。 同程度の強者が他にもいるのか。 怪人とは何なのか。 ヒーローとは何なのか。 調べることは山ほどある。

 

「まずは、この星を知らなければなりませんね」

 

フリーザは宙へ浮かんだ。 眼下の荒野を見渡す。 戦う前には、いくつもの岩山があった。 今は一つも残っていない。 代わりに巨大な盆地と、無数の亀裂が広がっている。 地図を書き換えるには十分な戦いだった。 それでも、二人にとってはまだ小手調べにすぎない。 フリーザはZ市の方角へ飛び始めた。 途中、ふと思う。 サイタマは特売に間に合うだろうか。 その瞬間、自分がそんなことを気にした事実に腹が立った。

 

「まったく……」

 

小さく吐き捨てる。 それでも口元には笑みが残っていた。 その頃、サイタマは街へ向かって本気で走っていた。 山を越え、川を飛び越え、道路を横切る。 速度だけなら、先ほどの戦闘とほとんど変わらない。 頭の中にフリーザはいなかった。 黄金の姿も。 デスビームも。 大地烈斬も。 考えていることは一つしかない。 卵。 一パック九十八円。 一人一パックまで。 もし間に合わなければ、今日の戦いは完全な勝利とは呼べない。 そして宇宙の帝王は、その価値観をまだ知らなかった。

 

――第二話・終。

 

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