フリーザ、ヒーローになる ~宇宙の帝王がワンパンマン世界に墜ちた結果~ 作:&劉
本来なら、ジャネンバという怪物は、戦うために生まれた存在ではなかった。別の世界、別の歴史では、その始まりは地獄で働く一匹の赤鬼にすぎない。武術の心得もなければ、星を壊すような力も持たず、ただ自分の仕事をサボりながらもこなしていただけの存在だった。
そこで起きたのが、スピリッツロンダリング装置の事故だった。悪人の魂から取り除かれた邪念が限界を超えて蓄積し、装置が破裂する。逃げる間もなくその邪念を浴びた赤鬼は、本人の資質とは無関係に、膨大な悪意の器へ作り替えられた。
その結果として生まれたジャネンバは、ただの事故の産物でありながら異常な強さを持っていた。変身後はスーパーサイヤ人3の孫悟空を圧倒し、スーパーサイヤ人2のベジータすら寄せつけない。それほどの怪物でありながら、元の素体には戦闘力らしい戦闘力がなかったのである。
では、もし素体の方が最初から怪物だったらどうなるのか。高い耐久力、怪力、再生能力、そして竜クラスの生命力を持つ怪人へ、魂洗浄機に溜め込まれた邪念が流れ込んだなら。しかも蓄積されていたものが普通の人間の悪意ではなく、人間であることを捨てた怪人たちの憎悪、劣等感、殺意、捕食欲、破壊衝動まで混ざったものだったなら…その答えがフリーザへ拳を振り抜いていた。
「ジャネンバァァァァァ!」
巨大な拳が正面から迫る。フリーザは両腕を交差させて受け止めたが、直後に地下全体を震わせる衝撃が走り、その小柄な身体が数百メートル後方へ吹き飛んだ。壁を一枚、二枚と突き抜けても勢いは落ちず、最後には岩盤そのものを破りながらさらに奥へ消える。
それでもフリーザは、途中で尻尾を岩壁へ突き立てて強引に制動をかけた。身体を一回転させて両足を壁へ着き、そのまま蹴る。砕けた岩を置き去りにして加速し、次の瞬間にはジャネンバの正面へ戻っていた。
「ほっほっほっほ! いいですねぇ!」
声には苛立ちがなかった。むしろ、久しぶりに玩具らしい玩具を見つけた子供のような楽しさが混じっている。フリーザの拳がジャネンバの腹へ叩き込まれた。巨体がわずかに浮くが、怪物はほとんど怯まずに口を開く。
「ジャネ――」
叫び終える前に、フリーザの姿が消えた。次に現れたのは頭上であり、振り下ろされた踵が頭頂部へ直撃する。ジャネンバの巨体が地面へ叩きつけられ、床を突き破って一層下まで沈んだ。
フリーザは追撃を止めない。穴の中へ飛び込んだ直後、埋まっていたジャネンバが腕を振り、周囲の岩盤をまとめて吹き飛ばした。巨大な拳が襲うが、フリーザは身体を僅かにずらしてかわし、そのまま尻尾を腕へ絡める。
「少々、大きすぎますね」
小柄な身体が回転した。自分の何十倍もの体積を持つ怪物が振り回され、反対側の岩壁へ叩きつけられる。怪人協会を支えていた巨大な柱が何本も折れ、天井から岩塊が落下した。
その衝撃は地下だけで終わらなかった。地上のZ市だけでなく、近隣都市でも信号機が揺れ、ビルの窓が小刻みに震え、道路へ細い亀裂が走る。避難途中の市民たちは足を止め、また地震かと周囲を見回したが、その原因が地下で殴り合う二体の怪物だとは誰も知らない。 フリーザは崩れる岩の中で片手を上げた。
「なるほど。再生能力も確認しておきましょう」
人差し指から赤い光が走る。デスビームは一発では終わらず、肩、腹、脚、顔と次々にジャネンバの身体を貫いた。十発を越え、さらに増え、巨体へ無数の穴が開く。 ところが肉はすぐに蠢いた。貫かれた穴が内側から埋まり、数秒も経たないうちに元の形へ戻っていく。
「ジャネンバ!」
怪物が両手を広げると、周囲の空間が四角い断片へ分かれた。フリーザの目が細くなる。
ジャネンバの身体の一部が消え、次の瞬間にはフリーザの背後で拳だけが現れた。首を傾けてかわした直後、今度は足元の空間が開き、そこから巨大な脚が飛び出す。蹴りを受けたフリーザが上空へ弾かれると、ジャネンバ自身も別の場所へ組み上がりながら追いついた。
「ほう!」
空中で始まった連打を、フリーザは両手と肘、時には尻尾まで使って受け流す。ジャネンバは力任せに見えて、空間を分解して位置を変えるため攻撃の角度が一定しない。正面から来た拳を防いだ直後、背後や足元から別の攻撃が現れる。
それでもフリーザは笑っていた。拳、掌、肘、蹴り、尻尾が高速で交差し、一秒にも満たない時間に何十回もの攻防が行われる。二人がぶつかるたびに岩盤が砕け、柱が消え、地下空洞の形そのものが変わっていった。
「素晴らしい!」
「ジャネンバァ!」
最後に正面から拳が衝突し、爆発のような衝撃で二人が反対方向へ飛んだ。
◇
少し離れた場所でその戦いを見たサイタマは、率直な感想を口にした。
「楽しそうだな」
しかし、彼にも自分の相手が残っていた。目の前には巨大な水の塊が浮かび、その中に二つの眼だけが見える。エビル天然水は周囲の殺気へ反応する怪人だが、サイタマからは分かりやすい殺意がほとんど出ていないため、一瞬だけ判断が遅れた。
「これ、水?」
サイタマが近づいたことで、エビル天然水の感情センサーが攻撃意思を拾った。圧縮された水流が細い槍のように射出され、サイタマの顔面へ直撃する。岩盤を簡単に貫く威力だったが、本人は水しぶきの中で瞬きをしただけだった。
「水鉄砲?」
続けて二発、三発、さらに十発近い水圧砲が撃ち込まれる。サイタマの衣装はびしょ濡れになったが、それ以上の変化はない。
「服、濡れたじゃん」
少しだけ嫌そうな顔をし、腕を振る。
普通のパンチによる風圧だけで、エビル天然水の巨体が一瞬で歪んだ。まとまっていた水は水滴よりも細かく吹き散らされ、霧のようになって数百メートル先の岩壁へ叩きつけられる。 静かになった空洞で、サイタマは濡れた袖を見た。
「水の怪人だったのか」
それで一戦が終わった。
◇
ジャネンバとフリーザの戦闘で壁が消えた穴から、ジェノスが高速で飛び込んできた。
「先生!」
「あ、ジェノス。人質どうだった?」
「一人目は確保済みです。アマイマスクが地上へ護送しました。もう一人も位置を特定し、救出を完了しています」
「早いな」
「フリーザの指示通り、壁を破壊して最短距離を取りました」
「便利だろ」
「さすがです、先生」
「地下だし、怪人協会だし好きにやれるな」
その瞬間、横合いから数十の光球が飛来した。ジェノスは反射的に両腕を前へ展開し、爆炎の中で後方へ滑る。
「高エネルギー反応……!」
煙の向こうにはホームレス帝が立っていた。痩せた生身の人間にしか見えない身体の周囲へ、無数の光球が浮かんでいる。
「機械人形。邪魔をするな」
ジェノスはスカウターの解析表示を見る。
「生体反応なのに、外部生成型のエネルギー……?」
「神から与えられた力だ。貴様が理解する必要はない」
「神?」
「知る必要もない」
ホームレス帝が手を振ると、光球が雨のように降った。ジェノスは推進器を噴かして軌道を外し、二発だけを腕で受ける。装甲表面が焼け、赤熱した金属から煙が上がった。
「威力は高い。だが、遠距離戦ならこちらも改良している」
肩部装甲が開き、追加砲門が展開する。炉心の出力が上がり、両腕へ光が集まった。
「焼却」
巨大な光が地下を貫いた。ホームレス帝も光球を束ねて正面からぶつけ、二つのエネルギーが中央で拮抗する。白と金の光がせめぎ合い、熱で周囲の空気が揺らいだ。
「ほう」
ホームレス帝の眉が寄る。
「まだだ!」
ジェノスはさらに炉心出力を上げた。
◇
別ルートでは、アマイマスクが人質を地上へ送り届けたあと、すぐに地下へ戻っていた。契約に不満があろうと、怪人協会を放置する理由にはならない。彼にとって怪人は、美しくあるべき社会へ入り込んだ醜悪な異物だった。 通路の先から、巨大な口が現れる。
「ブモオォ!!!」
ハグキだった。
アマイマスクは一瞬でその姿を見定め、冷たく吐き捨てる。
「……醜い」
ハグキが床を蹴った。見た目から想像する鈍重さはなく、巨体が一瞬で間合いを詰める。大口がアマイマスクを呑み込もうとするが、身体を横へ捻って牙をかわした。
「速いな」
頬をかすめた牙を見ながら言った直後、ハグキの腕が横から来る。アマイマスクは両腕で受け、床を滑りながら壁の直前で止まった。
「見かけによらず、と言うべきか」
ハグキが再び飛びかかる。
今度はアマイマスクの方が前へ出た。手刀が肩の肉を裂き、そのまま反対の腕、腹、胸、首へ連続して走る。高速の斬撃じみた手刀で肉が次々に裂け、血が噴き出した。 それでもハグキは止まらない。
「ブモオォ!」
「タフだな」
噛みつきを一歩でかわし、顎下へ手刀を入れる。アマイマスクの口元がわずかに上がった。
「少し時間がかかりそうだ。それだけだ」
自分が負ける可能性は、最初から計算に入れていなかった。
◇
中央空洞では、エビル天然水が一撃で消えた光景を見た黒い精子たちが、揃って顔を引きつらせていた。
「いや、ちょっと待てよ。こいつヤバくない?」
「ヤバい」
「かなりヤバい」
「数でどうにかならないか?」
「なる?」
数百、数千と増殖した自分同士で会話が始まり、サイタマは少し眉を寄せた。
「独り言多いな」
「独りじゃねえ!」
無数の声が同時に返ってくる。
「うるさ」
サイタマが耳を塞いだ。 黒い精子の判断は早かった。数を増やしても意味がない相手なら、数そのものを力へ変えるしかない。
「仕方ねえ。合体するぞ」
無数の黒い身体が一点へ集まり始める。融合し、さらに融合し、膨大な細胞数が一つの肉体へ圧縮されていった。黒い表皮は消え、引き締まった身体が白銀に輝く。 白銀精子が立つ。 気配が一気に変わった。 サイタマは少しだけ目を向ける。
「へー、それだけか?あ、色は変わったな」
「色だけではない。強さも格段にあがりましたよ」
「そうかな」
「そうとも」
◇
さらに別の巨大空洞では、タツマキとサイコス・オロチが真っ向から超能力をぶつけ合っていた。 緑と赤紫の力場が衝突し、間に挟まれた岩盤が圧縮されて巨大な球となり、そのまま爆散する。タツマキは数メートル後退し、サイコス・オロチも同じだけ地面を削って止まった。
「チッ……」
サイコスは舌打ちした。
想定より強い。もともと戦慄のタツマキが怪物であることは知っていた。しかし、今目の前にいる女は、以前集めたデータより明らかに動きが違う。感知、反応、念力の出力切り替え、その全てが速く、細かい。
「貴様、以前より強くなっているな」
「気づいた?」
タツマキが嬉しそうに笑う。
サイコス・オロチの触手が無数に伸びるが、タツマキは念力でまとめて掴み、逆方向へ捻った。肉が裂けるが、怪人王の組織はすぐに再生を始める。
「何をした?」
「別に。毎日、性格の悪い宇宙人に殺されかけてるだけ。」
「何の話だ!」
「そのままの話だけど?」
念力が爆発し、サイコス・オロチの巨体が押し戻される。すぐに反撃が返り、タツマキの緑色のバリアが大きく歪んだ。 タツマキの表情が少しだけ真剣になる。
強い。これは認めるしかない。一週間前、いや、フリーザとの修行を始める前なら、かなり危なかったかもしれない。
「悪くないじゃない」
「何だと?」
「フリーザと修行してなかったら、ちょっと危なかったかもね」
「舐めるな!」
両者の念力が再び激突し、地下全体が大きく揺れた。
◇
その頃、フリーザとジャネンバの戦いはさらに激しくなっていた。 ジャネンバの拳をかわしたフリーザが、脇腹へ蹴りを入れる。巨腕が防ぐが、肉が大きく沈み、反対側の拳がすぐに腹を狙う。フリーザは掌で受け止め、尻尾で足を払って巨体を浮かせた。
「ほっ!」
回転から放たれた蹴りがジャネンバの顔を打ち、巨体が横へ飛ぶ。 また空間が四角く分かれ、身体が消えた。 フリーザは背後を見る。いない。上にも下にも気配がない。 次の瞬間、自分の胸元にだけ四角い亀裂が開いた。
「!」
空間そのものから拳が現れ、フリーザを真正面から吹き飛ばす。ジャネンバは別の位置で再構築され、嬉しそうに叫んだ。
「ジャネンバァ!」
空中で姿勢を戻したフリーザは、むしろ口元を上げた。
「やりますね!」
両手を前へ向け、無数の気弾を放つ。地下空洞を埋め尽くすように飛んだ光を、ジャネンバは空間ごと四角い断片へ変えた。 消えた気弾が、別の場所から現れる。 全てがフリーザへ向いていた。
「おや」
自分の攻撃をそのまま返されたフリーザが腕を振る。一発ずつを正確に弾き、周囲で連続爆発が起きた。怪人協会の地下構造はさらに崩れ、地上では道路が隆起し、ビルの警報が一斉に鳴り始める。
◇
ヒーロー協会本部では、童帝がモニターを見ながら顔を引きつらせていた。
「地下構造が急速に崩壊しています」
「突入部隊は?」
シッチの問いに、童帝は生命反応を確認する。
「全員生存。ただ、このまま戦闘が続けば……」
地下立体図の一部が次々に消える。
「怪人協会本部そのものが、地上へ出てきます」
その予測は、すぐに現実になった。
◇
フリーザとジャネンバが正面から拳をぶつけた。 今度はフリーザの方がわずかに押された。足が地面を削り、数十メートル後方へ滑る。
「なるほど」
腕に残った微かな痺れを確かめ、楽しそうに笑う。
「現在のわたくしの、この姿を楽しませる程度にはあるようですね!」
最終形態のまま、フリーザは再び踏み込んだ。
ジャネンバが頭突きを放つ。フリーザも額で受け、衝撃で足元が大きく陥没した。そのまま腹へ拳を何発も叩き込み、最後に蹴りで顎を跳ね上げる。
「上へ行きましょうか」
追撃の蹴りが胸へ入り、ジャネンバの巨体が上方へ吹き飛んだ。一層、二層、三層と岩盤を突き破り、そのまま地上へ向かう。 フリーザも真下から追いつく。
「少々、場所を変えましょう!」
下から顎へ拳を入れた。 ジャネンバがさらに加速する。 次の瞬間、Z市中央の道路が爆発した。
巨大な穴が開き、ジャネンバの身体が地上数百メートルまで飛び上がる。少し遅れて白と紫の影が穴から追いかけてきた。 地下へ初めて大きな外光が差し込む。
「出口できた」
サイタマが上を見た。
「余所見をする暇があるとでも?」
白銀精子の拳がサイタマの顔へ入る。頭がほんの少し横へ動いた。
「結構強いな」
白銀精子は黙った。殴った手が痛い。しかし表情へ出すわけにはいかない。 少し離れた場所では、ジェノスも地上への穴を確認した。
「地上へのルートが確保された」
「逃がすか!」
ホームレス帝が数十の光球を放つ。
「逃げるのではない」
ジェノスが全砲門を開き、正面から撃ち返した。
「戦場を移すだけだ!」
アマイマスクもハグキの首を掴み、壁へ投げつける。追撃の手刀で腹を裂いたあと、地上へ続く穴を見上げた。
「ちょうどいい」
「ブモオォ!!!!」
ハグキが飛びかかる。
「黙れ」
顎を蹴り上げ、その巨体を穴の方向へ飛ばす。アマイマスク自身もその後を追った。
タツマキとサイコス・オロチも、巨大な念力を衝突させながら岩盤を完全に崩壊させる。そのまま融合体の巨体が地上を突き破り、緑色の光を纏ったタツマキが追って浮上した。 結果として、怪人協会地下にいた主戦力は次々に地上へ出ることになった。
サイタマは軽く跳び、白銀精子が追う。ジェノスは推進器で上昇し、ホームレス帝も光球を足場のように使って続く。アマイマスクはハグキを蹴り飛ばしながら地上へ移動し、タツマキとサイコス・オロチは空を占拠した。
エビル天然水はもういない。ブサイク大総統も、元の姿では存在していない。彼の肉体を素体として生まれた邪念の怪物が、今はZ市の空に浮かんでいる。 怪人、ヒーロー、異星人、そして説明不能な存在が、ひとつの空へ集まった。
◇
フリーザは空中で腕を組み、ジャネンバと向かい合った。
「さて、化け物。これで終わりですか?」
地上へ着地したジェノスは戦場全体を確認した。ホームレス帝も、白銀精子も、サイコス・オロチもまだ健在である。それでもフリーザとジャネンバの戦いだけを見ていると、いずれフリーザに余力を持ったまま押し切られるように思えた。
「フリーザ。その怪人は、もう終わりか?」
フリーザは答えなかった。 代わりに、笑みが少しだけ薄くなった。
サイタマがその変化に気づく。相手が弱ければフリーザは余裕を持って笑う。強くても、まだ自分の方が上だと分かっている時はもっと楽しそうに笑う。 今の顔は、そのどちらとも少し違った。 ジャネンバの巨体が止まる。 身体の奥から、心臓の鼓動のような脈動が響いた。 どくん。どくん。
「何?」
タツマキがサイコス・オロチとの押し合いの途中で視線を向ける。 ジャネンバの身体が縮み始めた。
最初はゆっくりだった。次の瞬間には、一気に肉が収束する。巨大な腹が消え、腕が細くなり、黄色と紫、そして黒の邪念が一つの人型へ凝縮されていく。
角が鋭く伸びる。顔は細くなり、眼には先ほどまでなかった冷たさが宿る。長い尾が生え、二メートルを少し超える程度の体格へ変わっていった。 巨大だったさきほどまでと比べれば、明らかに小さい。
「小さくなった?」
アマイマスクがハグキから距離を取りながら呟く。 ジェノスはスカウターを向けた。 一瞬だけ数値が表示され、次の瞬間には画面が真っ白になった。
「……測定不能」
「弱体化したのか?」
アマイマスクの問いへ、フリーザが即座に答えた。
「いいえ」
声が低い。 珍しく、冗談も嘲笑もなかった。
「逆です」
完成した怪物――スーパージャネンバが顔を上げた。 口元が歪む。
「ヒヒ……」
先ほどまでの幼児のような叫び声ではない。高く、不気味で、明確な悪意を感じさせる笑いだった。
「ヒャハハハハハハハ!」
空間が歪む。 そして、邪念の気が一気に解放された。 空が暗くなったように感じた。
実際には光が消えたわけではない。それでも周囲の全員が、世界そのものが一段沈んだような圧迫感を覚えた。地面が数センチ沈み、近くのビルの窓が一斉に割れ、浮き上がった小石が次々に粉へ変わる。 ジェノスのスカウターは警告を出す前にレンズが破裂した。
「っ……!」
ホームレス帝の顔から血の気が引き、周囲の光球が不安定に揺れる。白銀精子も笑みを消し、自分が無意識に一歩下がったことへ後から気づいて苛立った。 アマイマスクの背中には冷や汗が流れ、ハグキでさえ本能的に距離を取る。
タツマキの念力も一瞬だけ乱れた。サイコスはその隙を逃さず攻撃を仕掛けたが、本人も同じ圧力を受けており、融合体の身体が僅かに震えている。
「何よ、これ……」
タツマキはフリーザが気を解放した時の感覚を知っている。あれも人間の理解を超えた圧力だった。 だが、これは質が違う。
強いだけではない。邪悪さが濃すぎる。周囲の空間や物質まで、自分と同じ歪んだ形へ侵食していくような力だった。
「さっきまでとは別物だ」
アマイマスクの声が乾く。 ジェノスも割れたスカウターを外した。
「エネルギー規模だけでは説明できない。存在そのものが周囲へ干渉している」
白銀精子は歯を食いしばる。身体が勝手に下がったことが気に入らない。それでも、近づけばただでは済まないと細胞の全てが警告している。
ホームレス帝の頭にも、理由の分からない警鐘が鳴っていた。神から与えられた力がある。それでも、この怪物へ不用意に近づくべきではない。滝のように流れる汗が、それを告げていた。
サイコスの顔も引きつっていた。魂洗浄機の出力は想定を完全に超えている。自分が生み出した切り札なのに、自分には制御できない。敵味方を区別しないのなら、怪人協会側までまとめて消されかねない。
サイタマも、珍しく目を細めていた。
「……あいつ」
フリーザが横を見る。
「ええ」
「さっきより、かなり強くなったな」
「そのようですね」
二人の認識が一致した。
その事実が、周囲の者たちには何より不気味だった。普段ほとんど何を見ても驚かない二人が、今は揃って真面目な顔をしている。落ちていた木の枝を拾い、スーパージャネンバが笑った。
「ヒャハハハハ!」
なんでもないただの木の枝が。赤い結晶のような剣となり、身体が四角い断片へ分かれ、消える。フリーザの目だけが動いた。
背後の空間からその剣がそのまま振り抜かれる。フリーザは身体を捻って紙一重でかわした。 刃は胸元を数ミリ外れ、そのまま背後の大地を何キロにもわたって一直線に裂いた。フリーザが地上へ着地する。笑みが戻っていた。ただし先ほどまでの、相手を試す余裕の笑いではない。久しぶりに本気で戦える相手を見た戦士の顔だった。
「なるほど」
スーパージャネンバは赤い刃を肩へ担ぐ。フリーザが拳を握る。
「これは、修行相手として……」
白と紫の身体を光が包む。気が一段階跳ね上がる。
「申し分ありません」
黄金が広がった。 ゴールデンフリーザが完成する。
黄金の気と邪念の気が真正面からぶつかり、二人の中間で大気が目に見えるほど歪んだ。地面へ新たな亀裂が走り、タツマキはさらに汗を流しながらも口元を上げる。 サイタマは腕を組んだ。
「やる気だな」
ジェノスは息を呑んだ。
ゴールデンフリーザは何度も見ている。しかし今のフリーザは、タツマキとの一週間の修行で気の制御をさらに洗練している。常時全力を垂れ流さず、必要な瞬間だけ黄金の力を爆発させる。それを本格的な戦闘でどこまで使うのか、ジェノスにも分からない。スーパージャネンバが笑う。フリーザも笑った。
「ほっほっほっ。ゴールデンフリーザの威力、思い知らせてあげましょう!」
「ヒャハハハハハ!」
邪念の剣が構えられる。
黄金の拳が上がる。
その瞬間、サイタマが小さく呟いた。
「これ、結構長くなりそうだな」
誰も否定できなかった。Z市上空で、黄金と邪念という二つの異質な力が世界を押し合う。本当の意味で最も危険な戦いが、今まさに始まろうとしていた。