フリーザ、ヒーローになる ~宇宙の帝王がワンパンマン世界に墜ちた結果~ 作:&劉
三日後。Z市の繁華街は、何事もなかったように夕方を迎えていた。仕事帰りの会社員が駅へ流れ、買い物袋を提げた家族連れが信号を待ち、巨大な電光掲示板の下を学生や観光客が行き交っている。飲食店から漂う匂いと車の騒音が混じり合う、ごく普通の街の時間だった。
その雑踏の中を、普通ではない一団が歩いていた。先頭はフリーザ。その少し後ろにサイタマ、タツマキ、ジェノス、そしてアマイマスクが続いている。S級、A級、人気タレント、サイボーグ、宇宙人がまとめて歩けば本来なら騒ぎになって当然だが、当人たちは周囲の視線より別の問題に気を取られていた。
「……食いすぎた」
サイタマは腹を押さえながら、心底つらそうに呟いた。
「あなた、最後に冷麺まで追加していたではありませんか」
「別腹だと思ったんだけど」
「どこに別の腹があるのです?」
フリーザが呆れたように見る横で、タツマキは珍しく機嫌が良かった。数日前まで怪人協会の地下で死闘を繰り広げ、木星まで消し飛ぶ騒ぎに巻き込まれたとは思えないほど、今は平和だった。
「でも、まあ……美味しかったわね」
「肉質は非常に高かった」
ジェノスも真顔で頷く。
「お前、味分かるの?」
「分かります」
「機械なのに?」
「先生。それは偏見です」
アマイマスクまで今日は比較的穏やかな顔をしていた。
「少なくとも、店の格としては悪くなかった。予約の取り方も含めてね」
「でしょう? 本日はわたくしの奢りですから」
「珍しいな」
「失礼ですね。わたくしは社員への福利厚生も重視していますよ」
フリーザが胸を張ると、タツマキが即座に睨んだ。
「毎日修行で死にかけさせてる奴が福利厚生を語らないで」
「メディカルマシーンがありますので」
「それがあるから限界までやらせるんでしょ!」
アマイマスクが眉を寄せる。
「毎日そんなことをしているのか?」
「タツマキは順調に成長している」
「その言い方やめて」
サイタマは会話に加わる気力もなく、まだ腹を押さえていた。
「で、次どこ行くの?」
「せっかく繁華街まで来たのです。少々買い物を」
フリーザがショーウィンドウへ目を向ける。高級ブランドの服が整然と並んでいた。
「まだ買うの?」
「地球の服飾も多少は見ておこうかと」
「服着ないじゃん」
フリーザは数秒黙った。
「……見るだけです」
「そっか」
「何です、その顔は」
どうでもいい会話だった。 だからこそ、誰も気づいていなかった。その平和な時間が、あと数十秒で終わることに。
◇
一行が最も人通りの多いメインストリートへ出た時、フリーザの足が止まった。 ほぼ同時にサイタマも止まる。 ジェノスが一歩遅れ、タツマキとアマイマスクも続けて異変に気づいた。 大きな交差点の向こうから、一人の男が歩いてくる。
紫色のコート。長身。無表情。両手をポケットへ入れたまま、急ぐでもなく普通の速度でこちらへ近づいていた。見た目だけなら、少し風変わりな服を着た男にすぎない。 だが、その男の周囲だけ、空気の流れが妙だった。 タツマキの額に薄く汗が滲む。
「何、あいつ」
サイタマも珍しく真面目な顔をしていた。
「強いな」
ジェノスの視界に警告が走る。スカウターの数値が一度表示されたかと思えば消え、別の値を示した直後にまた乱れた。
「計測が安定しない。出力の問題だけではない」
アマイマスクは周囲の人間を確認しながら男を見る。
「怪人ではない。だが、普通の人間でもないな」
男が一歩踏み出した。
その瞬間、靴の下のアスファルトがほんのわずかに結晶化したように見えた。実際に凍ったわけではない。時間という見えない膜が、一瞬だけ地面へ染み込んだような違和感だった。 通行人は誰も気づかない。 気づいた五人だけが、その意味を理解できずに警戒した。 ただ一人、フリーザを除いて。 赤い目が細くなり、口元がゆっくり上がる。
「これはこれは。ヒットさんではありませんか」
男――ヒットは十メートルほどの距離を残して立ち止まった。
「第七宇宙へ帰れ」
挨拶も前置きもなかった。 タツマキが横目でフリーザを見る。
「あんた、あいつ知ってるの?」
「ええ。力の大会でご一緒した方です」
「ご一緒って言い方、絶対違うでしょ」
サイタマはヒットから目を離さない。
「フリーザ。こいつ、お前くらい強くない?」
フリーザが一瞬だけサイタマを見た。
「よく分かりましたね」
それだけで、ジェノスの全身が戦闘態勢へ移った。
サイタマが初見でそう評価し、フリーザも否定しない。ならば危険度は今までの怪人とは比較にならない。 アマイマスクは別の意味で眉を寄せていた。 人が多すぎる。 ここで本格的に戦えば、繁華街そのものが消える。 ヒットは周囲など見ていなかった。最初から最後まで、視線はフリーザだけに固定されている。
「もう一度は言わない。帰れ」
「嫌だと言ったら?」
フリーザが微笑みながら首を傾げた。 次の瞬間だった。 フリーザの姿が消えた。 正確には、そこにいた時間だけが抜き取られたように見えた。
誰もヒットが動く瞬間を見ていない。サイタマですら視線をわずかに動かしただけだった。フリーザ自身も、攻撃の気配を感じてから防御するという一連の動作へ入れなかった。 気配がないのではない。
攻撃へ移るまでの「間」が存在しなかった。 轟音だけが遅れて響く。
フリーザの身体は道路を横切り、正面の高級ブティックへ突っ込んだ。分厚いガラスが一斉に砕け、店内の壁を貫き、さらに奥の構造物まで巻き込んで建物が大きく傾く。 数秒遅れて、街が悲鳴に包まれた。
「きゃああああ!」
「何だ!?」
「逃げろ!」
「ジェノス、避難!」
タツマキが即座に念力を広げ、崩れかけた建物を丸ごと支える。
「了解!」
ジェノスはスラスターを噴射し、道路に残っていた人間を次々と抱えて安全な場所へ運び始めた。 アマイマスクも声を張る。
「全員、この通りから離れろ! 立ち止まるな!」
知名度のある顔と通る声が、混乱した群衆を動かした。 サイタマだけは崩れたブティックとヒットを交互に見ている。
「速……」
ヒットは両手をポケットへ入れたままだった。
「降参しろ」
瓦礫が動いた。 その奥から、白と紫の影がゆっくり歩いて出てくる。 フリーザは肩の埃を払い、頬についた汚れを指で拭った。傷らしい傷はない。
「嫌ですね」
笑っていた。 ただし、赤い目には先ほどまでなかった鋭さがある。
「どうしてわたくしが、あなたに命令されなければならないのです?」
ヒットは答えなかった。 サイタマが一歩前へ出る。
「なあ、お前。何者――」
「アンタの相手は、アタシらだよ!」
横から声が飛んだ。 サイタマが振り向くより早く、黒髪の少女が飛び込んでくる。 カリフラの回し蹴りが頬へ入った。
「おっ」
サイタマの身体が横へ飛ぶ。
ただし、蹴りの方向は人の多い繁華街とは逆だった。工事中で閉鎖されている広場へ向けて飛ばされ、数百メートル先の地面を滑って止まる。 少し遅れてキャベとケールが降り立った。
「カリフラさん! いきなり街中で蹴るなんて何をしているんですか!」
「人がいない方に飛ばしただろ」
「そういう問題ではありません!」
「堅気に迷惑はかけねえよ」
「もう十分かかっています!」
ケールが困ったように二人を見ている。
「姉さん……その、建物もかなり壊れています」
「あれはヒットがやったやつだろ」
「責任の分配を始めないでください!」
その前へ三つの影が立った。 タツマキ、ジェノス、アマイマスク。 タツマキは腕を組み、露骨に不機嫌そうな顔をしている。
「何、こいつら」
ジェノスがスカウターを確認する。
「以前フリーザが感知していた連中だろう」
アマイマスクが三人を見比べた。
「つまり敵か」
キャベは慌てて両手を軽く上げた。
「待ってください。僕たちはあなた方と戦いに来たわけではありません。目的はフリーザを――」
「でも邪魔するなら、やるけどな!」
「カリフラさん!」
タツマキの眉が跳ねる。
「上等じゃない」
ケールは緊張しながらも、カリフラの隣へ進み出た。
「姉さんに手を出すなら、私も戦います」
ジェノスの両腕が展開し、砲口が開く。アマイマスクも指を軽く鳴らした。 三対三。 互いの気が膨らみ始める。 そこへ、場違いなほど平坦な声が横から入った。
「ただいま」
サイタマが戻ってきた。
走ってきたようには見えないのに妙に速く、数秒前まで数百メートル先にいた男が、もう普通に立っている。服には少し埃がついているだけで、頬にも傷はなかった。 カリフラが目を見開く。
「早っ」
サイタマは三人を指した。
「フリーザ。こいつら、俺が相手でいいんだな?」
「もちろんです」
フリーザは即答した。 そして、人差し指を一本立てる。
「あと、これは余談ですが」
「何?」
フリーザはキャベ、カリフラ、ケールを順番に眺めた。笑顔は丁寧なのに、どこか冷たい。
「わたしはそちらのサイヤ人という種族が大嫌いなのですよ」
「は?」
カリフラの眉が寄る。 キャベは嫌な予感がして顔を引きつらせた。
「少々、個人的な因縁がありましてね」
「へえ」
サイタマは特に興味がなさそうだった。 フリーザはそんな彼へ向き直る。
「ですので、倒していただけましたら特別ボーナスとして一人につき一億差し上げます」
サイタマが止まった。 一秒。 二秒。
「マジ?」
「マジです」
サイタマが拳を握った。 顔がほんの少しだけ真剣になる。
「ちょっとやる気出てきたな」
「金で!?」
タツマキが叫ぶ。
「先生、手伝います」
「お前まで!」
アマイマスクは頭を抱えた。
「本当にこの会社、こんな奴ばかりなのか」
「失礼ですね」
フリーザは不服そうだった。 カリフラの額には血管が浮いている。
「おい。人を金の対象にすんな!」
「悪い。でも一億なんだ」
「絶対ぶっ飛ばす!」
「姉さん、私もやります」
ケールの気が一段大きくなる。 キャベは深く息を吐いた。
「完全に戦う流れになってしまった……」
◇
その間にも避難は進んでいた。 ジェノスが残っていた市民を安全区域へ運び、タツマキが崩れた建物を支え、アマイマスクが逃げ遅れた者を誘導する。繁華街から人の姿がほぼ消えた、その時だった。 空を紫色の光が覆った。 巨大な球状の障壁が形成され、繁華街だけでなく周辺一帯を大きく包み込む。 全員が空を見上げた。 そこに二人が浮いている。 腕を組み、明らかに機嫌の悪いシャンパと、いつもの穏やかな笑みを浮かべたヴァドスだった。
「よし! これで外には被害が出ねえ!」
シャンパが満足そうに言う。
「シャンパ様、かなり広めに張りましたね」
「当たり前だ! こいつらが本気でやったら街一つじゃ済まねえだろ!」
シャンパは地上へ顔を向ける。
「ヒット! そいつを逃がすんじゃねえぞ! 絶対に第七宇宙へ送り返せ!」
ヒットは返事をしない。 両手をポケットへ入れたまま、フリーザだけを見ている。 フリーザは上空のシャンパへ軽く頭を下げた。
「これはこれは。シャンパ様まで」
「お前、人んとこの宇宙で好き勝手やりすぎなんだよ!」
「会社を経営しているだけですが」
「それが気に食わねえ!」
「理不尽ですね」
ヴァドスが口元へ手を添える。
「フリーザさん。シャンパ様は以前からこのような方ですので」
「ヴァドス! どっちの味方だ!」
「事実を申し上げただけです」
サイタマが上を見上げた。
「あの太った猫、偉いの?」
シャンパの耳がぴくりと動く。
「誰が太った猫だァ!」
フリーザが小声で言った。
「サイタマさん。あまり刺激しない方がよろしいですよ」
「強いの?」
「今、相手を増やす必要はありません」
「そっか」
それで納得するあたりがサイタマだった。
やがて避難が完了し、ジェノスたちも戦闘区域へ戻る。タツマキが最後の一般人を障壁の外へ送り出し、周囲に人間の気配がないことを確認した。 フリーザは肩をゆっくり回し、ヒットへ向き直る。
「ヒットさん」
「何だ」
「あなた、わたしを殺すつもりですか?」
「必要なら」
即答だった。 フリーザの笑みが深くなる。
「それは素晴らしい」
白と紫の身体から、静かに気が膨らみ始めた。 最初は小さい。 だが、次の瞬間には爆発した。
「はあああああああっ!」
黄金の光が繁華街を埋め尽くす。 地面が割れ、高層ビルが一斉に揺れ、シャンパの張った障壁の表面が波打った。 キャベの顔が強張る。
「やっぱり……力の大会の時より、ずっと……!」
ケールの身体がわずかに震える。 カリフラだけは逆に口元を上げた。
「へえ……!」
光が収束する。 ゴールデンフリーザ。 ただし、月面修行で見せていたような徹底した抑制はしない。 今日は最初から違う。 ヒットが自分を殺すつもりなら、こちらも相応の力を見せる。 黄金の気がさらに増大し、街全体へ圧力をかけた。タツマキの額に薄く汗が浮かぶ。
「最初からこれ?」
ジェノスのスカウターは数値を表示する前にエラーへ変わった。
「測定不能」
アマイマスクが拳を握る。
「冗談ではないな」
サイタマも少し離れた場所からフリーザを見ていた。
「本気だ」
ヒットの右手が初めてポケットの中で動いた。 ほんのわずかだった。 だが、フリーザは見逃さない。 赤い目が鋭くなる。
「今回は、小手調べはなしです」
「そうしろ」
ヒットが片手をポケットから出した。 それだけで、周囲の時間感覚がほんのわずかに歪んだ。 フリーザの全身から黄金の気がさらに噴き上がる。
「はじめから全力で行きますよォォォ!」
対するヒットは片手を残したまま、もう片方をゆっくり構えた。 派手な気の爆発はない。 ただ、空間の中から余計な時間だけが削り取られていくような静けさがあった。 一方、少し離れた広場では、サイタマと三人のサイヤ人が向かい合っていた。 カリフラが拳を鳴らす。
「一億、取れるもんなら取ってみろ!」
「悪いけど、結構欲しい」
サイタマも軽く拳を握った。 ケールの気が膨れ、キャベが静かに構える。 二つの戦場が、同時に動こうとしていた。 殺し屋対帝王。 三人のサイヤ人対趣味のヒーロー。 その激突を、破壊神と天使が上空から見下ろす。 ヴァドスだけが微笑みながら、ほんの少し首を傾げた。
「さて。ヒットさんの想定通りに進むでしょうか」
「何?」
シャンパが聞き返す。 ヴァドスは答えなかった。 地上で、ヒットとフリーザの視線が交わる。 次の瞬間。 二人は同時に消えた。