フリーザ、ヒーローになる ~宇宙の帝王がワンパンマン世界に墜ちた結果~ 作:&劉
Z市の空が、白く染まった。 ジェノスの掌から放たれた焼却砲は、もはや光線というより巨大な熱の奔流だった。空気そのものが焼け、雲が裂け、無人の市街地に残されていた窓ガラスは光へ触れるより先に溶けていく。
白熱した奔流は真正面からフリーザを呑み込み、そのまま廃墟の向こうへ伸びた。進路上の建物が消え、鉄骨が飴のように曲がり、さらに遠方の荒野で岩山が一つ内側から膨れ上がって爆発する。 轟音は遅れて押し寄せた。
砂と粉塵が巨大な壁となって立ち上がる中、ジェノスは右腕を突き出したまま砲撃を継続していた。肩部装甲の隙間から冷却用の蒸気が噴き出し、掌の砲口は白く焼けている。 出力は最初から最大だった。 様子を見るつもりなどない。 相手はサイタマと戦い、生きている。 その一点だけで、通常の怪人へ使う火力では不足すると判断するには十分だった。 やがて光が細くなり、焼却砲が途切れる。 ジェノスの掌から煙が上がった。
前方には一直線の破壊跡ができている。廃墟だった建物はさらに削られ、大地は赤く焼け、遥か向こうにあった岩山は原形を失っていた。 ジェノスは動かなかった。 視覚情報を切り替える。 通常視界。 熱源。 赤外線。 エネルギー反応。 高熱と粉塵の奥に、小さな影がある。
「……」
やがて影がゆっくり姿を現した。 フリーザだった。 腕を組み、先ほどとまったく同じ位置に浮いている。 傷はない。 焦げてもいない。 白と紫の身体には煤すら付いていなかった。 ただ、口元から細い煙が一本だけ立ち上っている。 フリーザはゆっくり息を吐いた。煙が小さな輪になって空へ昇る。
「なるほど。当分、葉巻はいりませんね」
ジェノスの内部で複数の警告が重なった。 攻撃結果、測定不能。 対象損傷率、零。 防御障壁、検出不能。 回避行動、確認できず。 つまりフリーザは、防いでいない。 避けてもいない。 最大出力の焼却砲を正面から受けた。 それだけなのに、何も起きていない。
「馬鹿な……」
ジェノスの口から言葉が漏れた。 フリーザの赤い目が僅かに細くなる。
「何がです?」
「直撃したはずだ」
「しましたね」
「なぜ無傷でいられる」
フリーザは少しだけ考えるように首を傾けた。
「あなたの攻撃が弱いからでしょう」
あまりにも単純な答えだった。 だからこそ、残酷だった。 ジェノスの両拳が固く閉じる。内部の人工筋肉が軋み、装甲の継ぎ目から小さな火花が散った。
「…まだ終わっていない」
「そうですか」
フリーザは腕をほどいた。 ジェノスが身構える。 反撃が来る。 そう判断した。 しかしフリーザは拳を構えない。 右手を上げ、人差し指、中指、薬指、親指を順番に折り曲げた。 最後に残ったのは、小指一本だけだった。
「では、この小指だけで相手をして差し上げましょう」
ジェノスは一瞬、意味を理解できなかった。
「何?」
「足も尻尾も使いません。もちろん気功波もなしです。あなたは好きなだけ攻撃してください。わたくしは、この一本だけを使います」
フリーザは立てた小指を軽く振った。 子供をあやすような動きだった。 ジェノスの視界に赤い警告色が増えた。 機械の異常ではない。 怒りだった。
「ふざけるな」
「ふざけてなどいませんよ」
「俺を侮辱するつもりか」
「事実を分かりやすく示しているだけです」
「俺は先生の弟子だ」
「自称でしょう?」
その一言で、ジェノスの中に残っていた僅かな余裕が消えた。 脚部推進器が爆発的に噴射する。 姿が消えた。 次の瞬間には、フリーザの正面へ拳が迫っている。 右拳。 顔面。 最短距離。 フリーザの小指が動いた。 拳の側面へ、ほんの少し触れる。 それだけで軌道が外れた。 ジェノスの拳は頬をかすめることすらなく空を切る。 左肘へつなげる。 小指が肘の先を押した。 数センチのずれが上半身全体の軸を崩す。 そこから膝。 フリーザは立ったまま、小指を下へ振った。 膝が叩き落とされる。 ジェノスは即座に姿勢を低くし、脚部推進器を最大まで吹かして頭から突っ込んだ。 フリーザの小指が額へ触れる。 そこで前進が止まった。 完全に。 推進器は炎を吐き続けている。背後の地面が噴射の余波で削られ、瓦礫が吹き飛ぶ。 それでもジェノスの頭部は一ミリも進まない。 フリーザの小指一本が、全出力を押さえ込んでいた。
「出力を上げても構いませんよ」
ジェノスは歯を食いしばった。 推進力をさらに上げる。 炎が長く伸び、大地が割れる。 フリーザの身体は揺れない。 小指も曲がらない。
「その程度ですか?」
ジェノスは頭を引くと同時に、至近距離から掌を向けた。
「焼却!」
閃光が弾ける。 フリーザの小指が砲口へ触れた。 白い熱線が途中から二つに裂けた。
フリーザの左右へ分かれ、背後の荒野へ伸びていく。二本の光が遠方で別々に爆発し、地面を大きく抉った。 フリーザは笑っている。 ジェノスは角度を変えた。 右。 左。 上。 下。 どこから撃っても、小指が必ず先へ来る。 払う。 弾く。 逸らす。 動きだけ見れば、むしろ遅く感じるほどだった。 それなのに、ジェノスの攻撃より必ず早い。 砲撃を止めて拳へ切り替える。 小指。 蹴る。 小指。 掌底。 小指。 腕を掴もうとすれば、手首の関節部を軽く押され、機械の指が閉じる前に力の向きそのものを崩される。 ジェノスは大きく後退した。 胸部装甲が開く。 中央の炉心へ強い光が集まり始める。
「胸からも撃てるのですか」
フリーザが興味深そうに見る。
「最大出力だ」
「先ほども同じことを聞いた気がしますね」
胸部から巨大な熱線が放たれた。 フリーザは小指を正面へ突き出す。 白い奔流が指先へ衝突した。 爆発が球状に広がる。 その中心で、小さな小指だけが動かない。 熱線はそこで完全に止まっていた。 フリーザが指を横へ振る。 巨大な光線全体が空へ曲がった。 まるで一本の紐を払いのけたようだった。 雲が縦に割れる。 ジェノスの胸部から冷却蒸気が噴き出した。 炉心温度は危険域へ近づいている。 それでも止まらない。 地面を蹴る。 右腕の装甲を展開し、内部から高速回転する刃を出した。 首を狙う。 小指が刃の側面へ触れた。 金属が砕けた。 細かな破片が宙へ散る。 だが、それはジェノスも予測していた。 破片を目隠しに、左拳を腹部へ繰り出す。 小指が拳を受け止める。 腕は引かない。 肩部砲口を開く。 零距離射撃。 爆炎が二人を包んだ。 ジェノスは爆発の反動を利用して後方へ跳ぶ。 空中で両腕を向ける。 無数の小型誘導弾が発射された。 ミサイルが四方へ散り、上空、地上、背後から異なる角度でフリーザへ殺到する。
「少しは考えましたね」
フリーザの声が聞こえた。 一発目を小指で弾く。 弾かれた弾頭が二発目へ衝突し、まとめて爆発する。 三発目は軌道を変えられ、四発目と五発目を巻き込んだ。 六発目は爪先が先端部を正確に切り落とし、信管だけが地面へ落ちる。 七発目は、軽く押し返された。 来た道を逆に戻り、ジェノスへ飛ぶ。
「……!」
ジェノスは空中で身体をひねった。 ミサイルが肩をかすめ、背後で爆発する。 熱と爆風が一瞬だけ視界を塞いだ。 次の瞬間。 フリーザが消えた。 ジェノスの感知装置が全方向を探る。 上。 下。 左右。 反応がない。
「遅いですよ」
声は目の前からした。 フリーザの小指が、ジェノスの額へ軽く触れている。 ジェノスは反射的に後退した。 その瞬間には、フリーザは元の場所へ戻っていた。 いや。 あまりにも速すぎて、最初から動いていないようにすら見える。 ジェノスは映像記録を再生した。 フリーザは確かに消えた。 目の前へ現れた。 額へ触れた。 戻った。 しかし、その途中だけ映像が飛んでいる。 処理能力が追いつかなかったのではない。 記録できる時間幅の外で動いた。 ジェノスはそこで初めて、怒りとは別の感情を自覚した。 恐怖ではない。 理解だった。 この男は、自分を相手にしていない。 最初から。 小指一本という条件さえ、ハンデではない。 遊びですらない。 ただ差を見せつけるための説明だった。
「どうしました? 攻撃は終わりですか?」
ジェノスは一度息を吐いた。 生命維持のためというより、精神を整えるための動作だった。 怒りで戦えば勝てない。 冷静になっても勝てない可能性が高い。 それでも戦闘とは情報の積み重ねだ。 速度。 反応。 力の向き。 防御範囲。 癖。 どれほど圧倒的な相手にも、必ず何かはある。 ジェノスは姿勢を低くした。
「今度は考えてきましたか」
フリーザは余裕の笑みを崩さない。 ジェノスは答えず、正面から突っ込んだ。 直線的な突進。 フリーザの小指が動く。 その直前で急停止した。 両手を地面へつく。 脚を回転させて下段から蹴る。 小指が下へ向かう。 予測通り。 ジェノスは蹴りを途中で止めた。 両腕を地面へ向ける。
「焼却!」
地面が爆発した。 瓦礫と砂が噴き上がり、フリーザの視界を塞ぐ。 同時にジェノスは地中へ潜った。 砲撃で地面を掘り進み、フリーザの真下へ回り込む。 両掌を上へ向ける。 最大出力。 焼却砲が地中から噴き上がる。 大地が円形に破裂し、炎の柱が空へ伸びた。 ジェノス自身も地面を突き破り、爆炎の中へ飛び込む。 熱源探知は役に立たない。 だが位置は分かっている。 そこにフリーザがいる。 やはり動いていない。 小指一本を立てたまま。 ジェノスは拳を振り抜かなかった。 右腕の接続部を切り離す。 腕だけを前へ射出した。 フリーザの小指が飛来した右腕を弾く。 その瞬間、腕の後方からジェノス本体が飛び込んだ。 囮。 左手には、右腕から抜き取った高熱の炉心を握っている。 制御限界寸前。 至近距離で暴走させれば、自分の機体も大きく損傷する。 それでも構わない。
「これならどうだ!」
炉心をフリーザの胸へ押しつける。 小指は右腕を弾いた直後。 間に合わない。 そう判断した。 フリーザの小指が戻った。 速い。 炉心の中心へ先端が触れる。 暴走寸前だった光が止まった。 急速に小さくなる。 熱が消え、炉心が静かになった。 ジェノスの目が見開かれる。
「技術は面白いですね」
フリーザが言った。
「ですが、使う方がこれでは宝の持ち腐れです」
小指を軽く押す。 炉心がジェノスの胸部へ押し戻され、その勢いだけで機体全体が後方へ吹き飛んだ。 地面を何度も跳ね、岩壁へ激突する。 壁面へ大きな亀裂が走った。 ジェノスはすぐに起き上がった。 右腕はない。 左肩の装甲も一部が砕け、胸部冷却機構から白い蒸気が噴き出している。 視界の端を警告表示が埋める。 それでも立つ。 フリーザへ向く。
「まだやりますか?」
「当然だ」
「諦めの悪さは、サイヤ人に似ていますね」
フリーザにとってはかなりの侮辱だったが、ジェノスには意味が分からない。 ただ笑われていることだけは伝わった。 ジェノスが突進する。 残った左拳を振る。 小指で払われる。 身体が回転する。 その勢いを利用して踵を打ち込む。 小指で止められる。 脚部推進器を噴射し、蹴りの出力を上げる。 フリーザの小指は微動だにしない。 ジェノスは反対の脚を折り畳んだ。 膝部の小型砲口が開く。 至近距離から発射。 小指が砲口へ置かれた。 爆発はジェノスの脚部内部で起きた。 装甲が吹き飛び、機械脚の制御が乱れる。 地面へ落ち、片膝をつく。
「終わりですか?」
「まだだ」
ジェノスは左腕で地面を押し、無理やり身体を起こした。 フリーザは見下ろしている。 その赤い瞳には、もう最初の僅かな興味すら薄れていた。 攻撃には工夫がある。 機械の身体も悪くない。 戦意もある。 だが、力が足りない。 あまりにも遠い。
「あなたは、サイタマさんの弟子を名乗りましたね」
ジェノスが顔を上げる。
「それがどうした」
「あの方の強さを、少しでも理解していますか?」
「先生の強さは、俺が最もよく知っている」
「いいえ」
フリーザは静かに首を振った。
「あなたは、まだ何も知りません」
ジェノスの拳が握られる。
「先生の何を知っている」
「少なくとも、わたくしは実際に拳を交えました」
フリーザの笑みが消えた。 荒野で交わしたサイタマとの戦いを思い出す。 拳圧だけで裂けた頬。 黄金の身体の奥まで響いた打撃。 そして何より、受ければ危険だと本能が叫んだ最初の瞬間。 あれほど純粋な力に触れた経験は、長い生涯でも多くない。
「あなたでは、あの方の本気を引き出す以前の問題です」
「黙れ」
「事実ですよ」
ジェノスが動いた。 損傷した推進器を無理やり噴射し、最後の左拳を構える。 残った出力を全て乗せた突進。 フリーザは右手を下げた。 小指を曲げる。 ジェノスの拳が迫る。 その瞬間、フリーザの身体が消えた。
「――!」
ジェノスの拳は空を切った。 フリーザは真正面ではなく、僅かに横へ立っていた。 右手を上げる。 親指で小指を押さえる。
「もう結構です」
小指を弾いた。 乾いた音が一つだけ鳴った。 デコピン。 ただそれだけだった。 小指の先端が、ジェノスの額へ正確に当たる。 頭部ユニットが大きく跳ねた。 衝撃そのものは、ボディを破壊する方向へ流されていない。 装甲を砕くためでも、炉心を潰すためでもない。 瞬間的に頭部全体を後方へ加速させ、視覚、平衡制御、演算処理を一度に乱す。 ジェノスの視界が真っ白になった。 警告表示が無数に重なる。 姿勢制御不能。 映像処理遅延。 平衡センサー異常。 音声入力断絶。 そして最後に、意識だけがすっと切れた。 身体が地面を滑り、数十メートル先で停止する。 装甲はすでに戦闘で傷ついていたが、今の一撃で新たに大きく壊れた箇所はない。 ただ、ジェノス本人の意識だけが完全に落ちていた。 荒野へ静寂が戻る。 フリーザは、自分の小指を少し眺めた。
「なるほど」
指を軽く曲げ伸ばしする。
「こちらの方が壊さずに済みますね」
ジェノスの機体反応は残っている。 炉心も停止していない。 ただ、意識と姿勢制御が落ちているだけだった。 殺していない。 約束は守った。 それで十分だった。 フリーザはジェノスの横へ降りた。
「サイタマさんに感謝なさい」
当然、返事はない。 少し離れた地面には、切り離された右腕が落ちている。 フリーザはそれを拾い上げた。 内部には精密な部品が詰め込まれていた。 小型動力炉。 推進機構。 砲撃装置。 人工筋肉。 神経信号を機械へ伝達する接続回路。 この星全体の文明水準から考えると、明らかに浮いている技術だった。
「面白いですね」
装甲を指で軽く叩く。 材質だけなら、フリーザ軍の一般的な航宙素材より劣る。 だが、小さな身体へこれだけの兵器と動力機構を詰め込む設計思想には価値がある。 ジェノス本人が自分を改造したとは考えにくい。 技術者がいる。 損傷するたび修理し、部品を交換し、性能を更新している者。 フリーザの目が細くなった。
「アップデートされるのでしょうね」
機械である以上、強化できる。 より高出力の炉心。 より硬い装甲。 より高速な演算装置。 より効率の良い推進機構。 現在は弱い。 しかし次に会った時まで同じとは限らない。 その点は面白かった。 そして何より、この星にはジェノスほどのサイボーグを造れる技術者がいる。 ならば。 宇宙船の原理を伝えれば、再現できる者がいるかもしれない。 スカウター。 通信装置。 重力制御。 星間航行用の推進機関。 フリーザ軍の技術を一から発明させる必要はない。 原理と設計思想を渡し、必要な素材を集めさせればよい。 自分で工具を握り、配線一本ずつを繋ぐ必要などない。 帝王にそのような仕事は似合わない。
「なるほど」
フリーザの口元へ笑みが戻る。 サイタマという最高の修行相手。 怪人と呼ばれる異常な生物。 ヒーロー協会という情報網。 そして高度な機械技術を持つ技術者。 最初は、ただ文明の遅れた星だと思った。 その評価自体は変わらない。 だが、利用価値は想像以上に高い。
「あなたを造った方にも、お会いしてみたくなりましたよ」
意識のないジェノスへ語りかける。 当然、返事はない。 無理やり起こして聞き出す必要もない。 ヒーロー協会へ入れば個人情報へ近づける可能性がある。サイタマに尋ねてもいい。 もっとも、あの男はジェノスの長い身の上話を途中から聞いていなかったので、期待は薄い。
「まずは登録試験ですね」
フリーザは右腕の残骸をジェノスの横へ置いた。 そのまま荒野へ背を向ける。 以前のフリーザなら、敗者を放置することに何の感慨もなかった。 今も基本的には同じである。 ただ、今回は壊しすぎるとサイタマの機嫌を損ねる。 だから意識だけを落とした。 それだけの違いだった。
◇
サイタマはまだ部屋にいた。 壊れた窓の前に座り、新聞の折り込み広告を見ている。 野菜。 肉。 洗剤。 卵。 価格を一つずつ確認していた。 窓の外から影が差す。
「ただいま戻りました」
フリーザだった。 当然のように壊れた窓から入ってくる。 サイタマが顔を上げた。
「玄関から来いって言っただろ」
「次回から検討します」
「検討じゃなくて使えよ」
サイタマはフリーザの後ろを見る。
「ジェノスは?」
「置いてきました」
「置いてきた?」
「眠っています」
「どこで?」
「荒野です」
サイタマは数秒、無言でフリーザを見た。
「生きてる?」
「もちろん」
「本当に?」
「あなたとの約束は守りましたよ」
フリーザは胸へ手を当てた。
「わたくしは約束を重んじる方です」
「嘘くせえ」
「失礼ですね」
「何した?」
「小指で少々」
サイタマが眉を寄せる。
「少々?」
「デコピンです」
「デコピンで荒野に置いてきたの?」
「ええ」
「説明だけ聞くと意味分かんねえな」
「実際は非常に簡単ですよ」
サイタマはしばらく迷った。 ジェノスが簡単に死ぬような身体ではないことは、モスキート娘との戦いで知っている。 フリーザも殺していないと言っている。 完全には信用できない。 ただ、この宇宙人はジェノスを殺していれば、隠すより先に楽しそうに報告する気がする。
「まあ、生きてるならいいか」
「よろしいのですか?」
「自分で喧嘩売ったんだろ」
「あなたは意外と厳しい方ですね」
「弟子じゃないし」
「本人は弟子だと断言していましたよ」
「勝手に言ってるだけ」
サイタマは広告を机へ置いた。 その横には一枚の用紙がある。 ヒーロー協会の登録試験申込書。 ジェノスが持ってきたものだった。
「これが申込書ですか」
「そうらしい」
「すでに書き始めていますね」
氏名。 サイタマ。 職業。 無職。 志望動機。 趣味でヒーローをやっているため。 フリーザは一通り読んでから顔を上げる。
「本当に、そのまま提出するのですか?」
「駄目か?」
「正直ではありますね」
「お前も書くんだろ」
サイタマがもう一枚を差し出した。 フリーザは受け取り、床へ座る。 ペンを持った。 氏名。 フリーザ。 年齢。 そこで手が止まる。
「年齢は必須ですか?」
「たぶん」
「地球の暦へ換算しなければなりませんね」
「適当でいいんじゃね」
「では二十四歳にしましょう」
「無理あるだろ」
「何がです?」
「見た目」
「あなたにだけは言われたくありませんね」
サイタマは自分の頭を触った。
「俺は二十五だけど」
フリーザのペンが止まった。 サイタマを見る。 もう一度見る。
「二十五?」
「そう」
「思ったより若いですね」
「よく言われる」
「苦労されているのでしょう」
「いま、お前髪のこといじったか?」
フリーザは年齢欄へ二十四と書いた。 住所。 また手が止まる。
「住所がありませんね」
「俺んちでいいんじゃね」
「よろしいのですか?」
「郵便来ても受け取るだけだろ」
「では同居人ということになりますか」
「ならねえよ」
「同一住所なら、そう判断されるのでは?」
「面倒だな」
「隣の空室を使いましょう」
「勝手に住むなよ」
「住居費が必要ですか?」
「家賃だよ」
「払いません」
「じゃあ住めねえよ」
話が進まない。 結局、フリーザは一時的な連絡先という名目でサイタマの住所を記入した。 次は職業。
「無職でよいでしょうか」
「俺と同じだな」
「一緒にしないでください」
「じゃあ何なんだよ」
「帝王です」
「会社名?」
「違います」
「じゃあ無職でいいだろ」
フリーザは無職と書いた。 ペン先が紙を少し強く押した。 志望動機。 ここが一番の問題だった。 強者の情報を集めるため。 怪人を修行相手として利用するため。 上位ヒーローの力量を調査するため。 いずれ元の宇宙へ戻り、孫悟空たちを圧倒するため。 正直に書けば、さすがに不都合がある。 フリーザはサイタマの用紙を見る。
『趣味でヒーローをやっているため』
「これを写しても?」
「いいんじゃね」
「では」
フリーザは書いた。
『趣味でヒーローをやってみるため』
「少し変えました」
「変わってるか?」
「盗用ではありません」
二人は並んで申込書を書いていく。 一人は強くなりすぎた男。 一人はかつて星々を恐怖で支配していた宇宙の帝王。 どちらも「ヒーロー」という言葉に、世間ほど大きな意味を感じていない。 サイタマは趣味として。 フリーザは情報収集と修行のため。 ヒーロー協会が想定する志願者からは、かなり外れている。 それでも用紙の空欄は埋まっていった。 性別。 男。 フリーザの手が止まる。
「これはどちらにすれば?」
「男じゃないの?」
「地球人の分類へ合わせる必要がありますか?」
「知らねえよ」
「では男にしておきましょう」
保有資格。 なし。 犯罪歴。 サイタマは空欄。 フリーザも空欄。 嘘ではない。 少なくとも、この星の司法機関に記録された犯罪歴は存在しない。 惑星侵略。 大量虐殺。 星の売買。 それらは地球の記録には載っていない。 フリーザは満足そうに頷いた。
「問題ありませんね」
「何が?」
「こちらの話です」
二枚の申込書が机へ並ぶ。 ヒーロー協会はまだ知らない。 次の試験会場へ、どのような二人が現れるのか。 一人は、測定装置という概念そのものを無意味にする男。 もう一人は、星々を恐怖で支配してきた宇宙の帝王。 試験官たちは体力を測り、筆記能力を確かめ、適性を判断するつもりでいる。 それは火山へ体温計を差し込み、平熱かどうか確かめるようなものだった。 サイタマが申込書を持ち上げる。
「じゃあ、明日出しに行くか」
「直接会場へ?」
「ジェノスが案内するって言ってた」
「そのジェノスさんは、荒野で眠っていますが」
「忘れてた」
「迎えに行かれますか?」
サイタマは時計を見る。 夕食の時間が近い。 さらに壊れた窓を見る。 修理も必要だった。
「明日でいいか」
「頑丈な機械ですね」
「たぶん」
二人は机の上の申込書を見る。 壊れた窓から風が入り、紙の端だけが僅かに揺れた。 フリーザには新しい目的がいくつもできていた。 ヒーロー協会へ入る。 強者の情報を集める。 サイタマを修行相手として利用する。 ジェノスを造った技術者を探す。 宇宙船とスカウターを再建する。 そして、いずれ元の宇宙へ帰る。 孫悟空。 ベジータ。 ブロリー。 かつて自分を阻んだ者たちを圧倒するほどの力を得て。
「楽しみですね」
フリーザが言う。 サイタマは申込書を封筒へ入れながら答えた。
「試験が?」
「いろいろと、ですよ」
外では日が沈み始めていた。 赤い光が壊れた街を染める。 その頃、遠く離れた荒野では、ジェノスの視界がようやく再点灯していた。 内部診断が走る。 右腕欠損。 脚部損傷。 冷却系異常。 戦闘結果。 敗北。 最後に使用された敵の攻撃。 小指によるデコピン。 ジェノスは数秒、その表示を無言で見つめた。 やがて内部記録へ、新しい目標を書き加える。 フリーザを超える。 その距離がどれほど途方もなく遠いのか。 今のジェノスには、まだ理解できていなかった。
――第四話・終。