フリーザ、ヒーローになる ~宇宙の帝王がワンパンマン世界に墜ちた結果~ 作:&劉
ヒーロー協会本部の廊下は、異様なほど静かだった。 普段なら職員が行き交い、通信端末が鳴り、怪人出現の報告やヒーローへの出動要請が絶えず飛び交っているはずの場所である。それが今日は、受付にも会議室にも人影がなく、建物全体が何かから逃げ出した後のように見えた。 その長い廊下を、ジェノスが一人で歩いていた。 硬質な足音が、磨かれた床へ規則正しく響く。
先日の戦闘で損傷した身体は、すでに修復されていた。失った右腕も、壊れた脚部も、亀裂の入った胸部装甲も、新しい部品へ交換されている。 外見だけなら元通りだった。 性能は、むしろ以前より高い。
推進器の出力を上げ、冷却機構を改良し、焼却砲の出力変動も抑えた。戦闘記録を解析した結果、反応速度と姿勢制御にも手が入っている。 それでも消えないものがあった。 記憶。 白と紫の異星人が、小指一本だけを立てていた光景。 最大出力の焼却砲。 格闘。 誘導弾。 囮。 至近距離からの炉心攻撃。 何一つ通じなかった。
そして最後には、額へ小指を弾かれただけで、視界も平衡制御も演算処理も一瞬にして乱れ、意識そのものを落とされた。 装甲を破壊するでもない。 炉心を潰すでもない。 ただ、こちらを殺さずに戦闘不能へするためだけのデコピンだった。 修理された今も、ジェノスの内部記録にはその瞬間が残っている。 物理的な痛みではない。 敗北そのものが焼きついていた。 ジェノスは拳を握った。 次は違う。 同じ戦い方はしない。 さらに改良し、分析し、追いつく。 少なくとも、サイタマの弟子を名乗るにふさわしい位置までは。 廊下の先に、一人の老人が立っていた。 白い髪と白い髭。小柄な身体に武術家らしい上着をまとい、窓の外を眺めている。 S級三位。 シルバーファング。 バング。 ジェノスは足を止めた。
「シルバーファング」
老人が振り返る。
「あんたが、新しくS級に入ったサイボーグの若いもんか」
「ジェノスだ」
「聞いとるよ。ずいぶん派手な戦い方をするそうじゃな」
バングは穏やかに笑った。 構えはない。 威圧感もない。 見た目だけなら、どこにでもいる小柄な老人である。 だが、ジェノスの感知装置が拾う情報は違った。 重心が崩れていない。 呼吸は深く一定で、筋肉には無駄な緊張がない。それでいて、どの方向へも即座に動ける。 隙がない。 この老人は強い。 ジェノスはそう判断した。
「他のS級ヒーローはどこにいる」
「来とらんよ」
「招集を無視したのか」
「無視というより、協会の無茶ぶりに付き合う気がないんじゃろうな。S級は変わり者が多いからのう」
「あなたは来た」
「暇じゃったからな」
冗談なのか本気なのか、ジェノスには判別できなかった。 その時。 廊下の空気がわずかに変わった。 足音はなかった。 気配も薄い。 それでも、そこに立っていた。 白と紫の身体。 長い尾。 赤い瞳。
「ごきげんよう」
フリーザだった。 ジェノスの両腕が、考えるより先に戦闘態勢へ移行した。 装甲内部で兵器が起動する。 炉心出力が上がる。 フリーザはそれを見て、何も言わずに笑った。 その笑い方が、ジェノスには何より腹立たしかった。
「なぜ貴様がここにいる」
「招集されたからですよ」
フリーザは胸元の認定証を指先で軽く叩いた。 ヒーロー認定試験。 数日前、サイタマと並んで受験した。 体力試験では、最初の数種目から測定機器が次々と壊れた。
握力計は軽く握っただけで潰れ、垂直跳びでは天井を突き抜け、反復横跳びでは床の一部が消えた。長距離走に至っては、計測側がスタートを認識するより先にゴールへ着いたため、機器の故障が疑われた。 身体能力は文句なし。 一方、筆記試験では地球の一般常識をほとんど知らず、かなりの失点をした。 経歴不明。 住所はサイタマと同じ。 職業は無職。 志望動機は「趣味でヒーローをやってみるため」。 不審な点しかない。 それでもヒーロー協会は、目の前で測定基準そのものを壊していく異常な戦闘能力を無視できなかった。 フリーザはS級へ認定された。
本人は階級にも順位にも興味がなく、S級なら強力な怪人の情報が優先的に入ると知った時だけ、満足そうに笑った。
一方、サイタマも身体能力試験では同じように異常な数値を出したが、筆記試験の点数が低く、C級からの開始となった。 フリーザは結果を知った時、しばらく笑いが止まらなかった。 サイタマは笑わなかった。 試験が長引き、帰りに寄る予定だったスーパーの特売へ間に合わなかったからである。
「S級だと?」
ジェノスの声が低くなる。
「不満そうですね」
「貴様にヒーローを名乗る資格があるとは思えない」
「資格なら、こちらにありますよ」
フリーザは認定証を見せた。
「協会が正式に発行したものです」
「そういう意味ではない」
「では、どういう意味でしょう?」
ジェノスの肩から、僅かに蒸気が漏れる。
バングが二人を交互に見た。
「知り合いかの?」
「ええ。一度、遊んで差し上げました」
「戦闘を行った」
ジェノスがすぐ訂正する。
「結果は?」
バングが尋ねた。 ジェノスは黙った。 フリーザは楽しそうに右手を上げ、小指を一本だけ立てた。
「このくらいです」
ジェノスの出力が跳ね上がる。
「その指を下ろせ」
「おや。まだ気にしていたのですか?」
「次は同じ結果にはならない」
「次があればよいですね」
「そこまでじゃ」
バングの声は大きくなかった。 だが、二人の間に張っていた空気が少しだけ緩む。 老人はフリーザを見た。 一瞬だけ。 頭から足元まで。 武術家なら、構え、呼吸、筋肉、視線、重心から相手の力量を読む。 だが、フリーザには読み取るための目盛りそのものがなかった。 力を隠している。 そう表現するのも少し違う。 巨大すぎるものを、小さな器の中へ当然のように収めている。 静かな水面だから浅いとは限らない。 むしろ、波一つない水ほど底が見えない。 バングの笑みが僅かに消えた。 長い人生で、多くの武術家を見てきた。 強者には重みがある。 立っているだけで、周囲の空間がその者を中心に組み直されるような感覚。 フリーザにもそれがあった。 ただし、武を極めた人間のものではない。 生まれつき捕食者である生物が、獲物の群れへ紛れ込んでいるような異質さだった。 フリーザは、バングの視線の意味に気づいていた。 そして、自分を一目で強者と認識したことを気に入った。
「あなたは、なかなか見る目があるようですね」
「年寄りは、長く生きとるぶん人を見る機会が多いだけじゃ」
「謙遜は結構です。フリーザと申します」
「バングじゃ。世間ではシルバーファングなどと呼ばれとる」
「よい名前ですね」
「そうかのう。年寄りには少々物騒じゃ」
「名前負けはしていないように見えますよ」
ジェノスは警戒を解かない。 バングほどの武術家が、一目でフリーザを警戒した。 それだけで、自分が戦った相手の異常さを改めて理解できる。 だが、退くつもりもなかった。 フリーザは静かな廊下を見回した。
「ところで、なぜこれほど人が少ないのです?」
「避難しとる」
「避難?」
「協会が、また無理難題を押しつけてきおった」
「S級を招集するほどの?」
「災害レベル竜じゃ」
フリーザの目へ、僅かな興味が浮かんだ。 災害レベル竜。 複数の都市が壊滅する危険。 登録後に読んだ資料では、この星の基準でかなり上位に位置する脅威である。
「怪人ですか?」
「いや」
バングは窓の外を見た。 青空。 遠くの雲。 まだ見た目には何も起きていない。
「隕石じゃよ」
「隕石」
「巨大隕石が、この街へ落ちる」
ジェノスが即座に反応した。
「落下まで?」
「およそ三十五分」
内部演算が始まる。 想定直径。 速度。 落下角度。 衝突時のエネルギー。 被害範囲。 Z市だけでは終わらない。 周辺都市まで壊滅的な被害が広がる。 避難は間に合わない。 迎撃するしかない。
「他のS級は」
「今のところ誰も来とらん」
「連絡は?」
「送っとるじゃろう。じゃが、S級は協会の命令を必ず聞くわけではない。そもそも隕石を壊せと言われても、普通は困る」
「無責任な連中だ」
ジェノスが吐き捨てる。 バングは苦笑した。 フリーザは窓へ近づき、空を見上げた。 まだ肉眼では見えない。 だが意識を宇宙へ伸ばせば、高速で接近する巨大な質量が分かる。 確かに、この星の人間にとっては災害だろう。 しかしフリーザにとって、宇宙を漂う岩石など珍しくもない。 ふと、別の星を思い出した。 赤い空。 荒れた地表。 猿の尾を持つ民族。 惑星ベジータ。 かつて自分は、あの星の上空で指先へ光を作った。 最初は小さかった。 それが膨れ上がり、星へ落ちる。 地殻が裂け、炎が惑星を包み、最後には宇宙の闇へ大きな光が咲いた。
「あの時は、綺麗な花火が上がったものです」
フリーザが小さく笑う。 バングが横目で見た。
「何の話じゃ?」
「昔の思い出ですよ」
「隕石に思い出があるのかの」
「似たようなものです」
似ているのは、宇宙から巨大なものが落ちるという一点だけだった。 ジェノスは何か引っかかるものを感じたが、今は追及している時間がない。
「落下予想地点へ向かう」
「わたくしも行きましょう」
フリーザが言った。
「貴様が?」
「S級ヒーローとして招集されたのでしょう?」
「人を救う気などないと言っていたはずだ」
「ええ。ありませんよ」
フリーザは穏やかに笑う。
「ですが、隕石が落ちればサイタマさんの住む街も壊れるのでしょう?」
「先生を心配しているのか」
「修行相手を失うのは困ります」
「やはり先生を利用するつもりか」
「いまさら何をおっしゃっているのです?」
「喧嘩は隕石を片づけてからにせい」
バングが呆れたように言った。
◇
ジェノスが先に飛び出した。 脚部から炎が伸び、都市上空を一直線に進む。 フリーザは数秒遅れて窓から出た。 それでもすぐ横へ並ぶ。 ジェノスが出力を上げる。 フリーザも同じ速度で飛ぶ。 抜こうと思えば一瞬だろう。 それをせず、あえて隣にいる。 その余裕が腹立たしい。 眼下では避難が始まっていた。 道路は車で詰まり、交差点では事故が起き、警報が鳴り続けている。 空を見上げる者。 泣く者。 家族へ電話する者。 逃げるのを諦め、酒を開ける者。 三十五分後に街が消えると知らされた時、人間の取る行動は一つではない。 ただし、隕石が直撃すれば結果は同じだった。
「騒がしいですね」
「当然だ」
「避難しても意味は薄いでしょうに」
「それでも人間は生きようとする」
「無駄な努力がお好きなのですね」
「貴様には理解できない」
「理解する必要がありませんから」
都市の端を越える。 荒野が広がった。 遠くには、サイタマとフリーザの戦いで生まれた巨大な盆地も見える。 ジェノスが空を見上げた。 赤い点がある。 見る間に大きくなっていく。 大気圏へ入った巨大隕石。 表面が真っ赤に燃えていた。 距離はまだある。 それでも大きさが分かる。 山が落ちてくる。 そう表現するしかない規模だった。 ジェノスは地上へ降りた。 フリーザも少し離れた岩の上へ立つ。
「どうするおつもりですか?」
「焼却砲を最大出力で撃ち込む」
「先日、わたくしには効果がありませんでしたが」
「隕石は貴様ではない」
「それは幸運ですね」
ジェノスは無視して分析を続けた。 直径。 密度。 回転。 突入角度。 単純に砕けばいいわけではない。 破片が都市へ落ちれば、それだけで大きな被害になる。 理想は完全消滅。 現在の自分の最大出力で可能か。 演算結果は、厳しい。 それでも他に方法はない。 両腕を構えようとした、その時。 空から重い機械音が聞こえた。 巨大な人型兵器が雲を割って降下してくる。 黒く厚い装甲。 大きな肩部。 無機質な頭部。 S級六位。 メタルナイト。 正確には、本人ではない。 遠隔操作される戦闘ロボットだった。 フリーザの目が明らかに輝く。
「おや」
ジェノスも機体を確認する。
「メタルナイト」
「隕石より、よいものが来ましたね」
「何?」
「こちらの話です」
メタルナイト。 ヒーロー協会と深く関わる謎の科学者。 無人兵器。 建設技術。 大量の戦闘ロボット。 ジェノスを造った技術者と同一人物とは思えない。 だが、宇宙船やスカウターを再建する技術者候補としては十分に価値がある。 巨大ロボットは二人へ挨拶をしなかった。 隕石だけを見上げている。 装甲が開く。 複数の砲門とミサイルが露出した。
「メタルナイト! 何をするつもりだ!」
ジェノスが呼ぶ。 返事はない。 次の瞬間、数十発のミサイルが一斉に発射された。 白煙を引きながら空へ上がり、巨大隕石へ突き刺さる。 一斉爆発。 空に巨大な光が生まれた。 遅れて轟音が地上へ届く。 岩山が揺れ、爆風が雲を吹き飛ばす。 ジェノスは空を見た。 爆煙の向こうから、赤く燃える隕石が再び現れる。 速度は変わっていない。 表面が少し削れただけだった。
「効果なしか」
メタルナイトは追加攻撃をしない。 機体の頭部だけが隕石を追い続けている。 観測。 記録。 兵器試験。 都市を救うためではなく、自分の兵器が巨大隕石へどこまで通用するかを確認しに来た。 ジェノスはそう理解した。
「貴様、実験をしに来ただけか!」 反応はない。 フリーザはむしろ満足そうだった。
「合理的な方ですね」
「どこがだ」
「自分の目的を優先している。それだけですよ」
「このままでは街が消える」
「では、あなたが止めればよいでしょう」
ジェノスは空を見上げた。 隕石はさらに大きくなっている。 残り時間は少ない。 背後から軽い足音が近づいた。 バングだった。 飛べないにもかかわらず、大きく遅れず追いついている。 老人は隕石を見上げ、髭を撫でた。
「こりゃまた大きいのう」
「シルバーファング」
「わしの拳では、さすがに届かん」
バングは笑った。 目は笑っていなかった。 ジェノスは両腕を前へ出す。 装甲が展開し、左右の腕部砲口が一つの射線へ揃う。 胸部炉心の出力を上げる。 冷却制限を解除。 安全制御も切る。 警告が視界を埋めた。 無視する。 全エネルギーを攻撃へ回す。
「ジェノス」
バングが呼ぶ。
「何をする気じゃ」
「全力で撃ち落とす」
「成功する見込みは?」
「低い」
「失敗すれば?」
「都市が消える」
「おぬしも壊れるぞ」
「関係ない」
ジェノスの身体から蒸気が噴き出す。 足元の地面が熱で溶け始める。 フリーザは腕を組んだまま見ていた。 手を出す気配がない。 ジェノスが横目を向ける。
「貴様は何もしないのか」
「あなたがやるのでしょう?」
「止められなかったらどうする」
「その時に考えます」
「ふざけるな」
「わたくしに頼みたいのですか?」
ジェノスは答えなかった。 フリーザへ助けを求めるくらいなら、自分の全てを使う。 炉心が限界へ近づく。 砲口へ白い光が集まった。 周囲の空気が吸い寄せられ、小石が浮かび上がる。 照準。 固定。
「焼却砲!」
光の柱が空へ伸びた。 白と青が混ざり、中心部は熱量が高すぎて色さえ薄い。 雲を貫き、巨大隕石へ直撃する。 表面が弾けた。 溶けた岩石が赤い雨となって飛び散る。 ジェノスは出力を上げ続ける。
「まだだ!」
脚部を地面へ固定する。 反動で大地が割れた。 腕部装甲が赤熱し、内部配線の一部が焼け、冷却系の警告が次々と増える。 それでも砲撃を止めない。 隕石は僅かに揺れた。 だが、落下は止まらない。 巨大な質量が、光の柱を押し返すように迫ってくる。 ジェノスの足が地面へ沈む。 身体が少しずつ後方へ押される。
「俺が……先生の住む街を……壊させるものか!」
フリーザは、その姿を横目で見ていた。 笑っている。 ただし嘲笑ではない。 結果を知りながら、それでも踏ん張る者を見る笑みだった。 ジェノスの攻撃は以前より明らかに強くなっている。 出力。 安定性。 制御。 短期間でこれだけ更新されるなら、機械の身体というものも悪くない。 だが。 隕石を消すには足りない。
「踏ん張りますね」
フリーザが呟く。 バングが横を見る。
「手を貸さんのか?」
「必要ありませんよ」
「おぬしなら、何とかできるように見えるが」
「できます」
即答だった。 バングの眉が僅かに動く。
「なら、なぜ」
「彼が自分でやりたいようですから」
「死ぬかもしれんぞ」
「死なないでしょう」
「根拠は?」
フリーザは答えなかった。 遠くから、一つの気配が近づいている。 静かで、小さい。 普段なら一般人とほとんど区別がつかない。 だが、一度拳を交えたフリーザには分かる。 サイタマ。 ジェノスの砲撃が細くなる。 炉心残量が尽きかけていた。 最後の光が途切れる。 ジェノスが片膝をつく。 両腕から煙が上がる。 隕石は空の大半を覆っていた。 もう山ではない。 空そのものが落ちてくるようだった。 ジェノスは顔を上げる。 動けない。 自爆しても足りない。
「先生……」
その時。 誰かが地面へ着地した。 黄色いスーツ。 白いマント。 赤い手袋。 禿げた頭。
「でけえな」
サイタマだった。 ジェノスが振り返る。
「先生!」
「おう」
「なぜここへ」
「招集の連絡来てたから」
「先生はC級では」
「そうなんだけど、家の近くだし」
サイタマは首を回し、軽く拳を握る。 それからフリーザを見た。
「あれ、俺がやっていい?」
フリーザは片手を胸へ当て、丁寧に頭を下げた。
「どうぞご遠慮なく」
「お前はやらないの?」
「せっかくですから、見学させていただきます」
「そう」
サイタマが膝を曲げた。 バングの目が細くなる。 ジェノスは息を止める。 フリーザだけが笑っていた。 地面が沈んだ。 円形の亀裂が走る。 次の瞬間、サイタマの姿が消えた。 遅れて衝撃波が広がり、周囲の岩を吹き飛ばす。 サイタマは一直線に空へ上がっていた。 巨大隕石と、一人の男。 大きさだけ比べれば、砂粒ほどしかない。 しかしフリーザには分かっている。 あれは砂粒ではない。 拳を引いた人間の形をした破壊そのものだ。 サイタマの拳が隕石へ触れた。
「俺の街に落ちてくんじゃねえ!!」
衝突。 巨大隕石の表面へ一本の亀裂が走る。 枝分かれする。 一瞬で全体へ広がる。 内部から白い光が漏れた。 次の瞬間。 隕石が砕けた。 空が爆発した。 巨大な岩塊が無数の破片へ分かれ、四方へ飛び散る。 衝撃波が雲を消し飛ばし、赤熱した岩石が雨のように降り始める。 バングが目を見開いた。 ジェノスは無意識に拳を握る。 自分が全エネルギーを使っても止められなかったものを、一撃。 やはり先生は圧倒的だ。 一方、フリーザは静かに空を見上げていた。 数日前、自分へ向けられた拳と同じ。 いや、今回の方が僅かに出力を上げたかもしれない。 ただ力任せに砕いたわけではない。 中心へ衝撃を通し、全体へ破壊を広げている。 単純な拳だからこそ、ごまかしがない。
「素晴らしい」
フリーザが小さく呟いた。 サイタマが地上へ戻ってくる。 砂煙を上げながら着地し、手を払った。
「一件落着だな」
ジェノスが空を見る。 本体は消えた。 だが。 無数の破片が残っている。 小さなものでも自動車ほど。 大きなものは建物を丸ごと潰せる。 それらがZ市全域へ降り注ぎ始めた。
「先生! 破片が!」
サイタマが空を見る。
「あ」
最初の岩塊が市街地へ落ちた。 爆発。 建物が崩れる。 二つ。 三つ。 さらに無数。 空襲のように岩石が降り、道路が裂け、屋根が潰れ、ビルの外壁が崩れていく。 避難途中の人々から悲鳴が上がった。 サイタマは頭をかいた。
「細かくなったから平気かと思った」
「平気ではありません!」
「でも、でかいまま落ちるよりはましだろ」
「それはそうですが!」
バングも街の方角を見る。
「被害は避けられんか」
フリーザは空を見上げた。 指一本動かせば、落下する破片をかなりの数消せる。 だが、すぐには動かなかった。 サイタマがどうするのか見たかった。 サイタマは飛来する岩を一つ殴る。 砕ける。 次は蹴る。 さらに細かくなる。 ジェノスも残った出力で小型砲撃を撃つ。 バングは地上へ落ちた破片を拳で砕いていく。 そしてフリーザは、自分の頭上へ落ちてきた巨大な岩塊だけを人差し指で軽く弾いた。 岩は軌道を変え、誰もいない山へ落ちる。
「危ないですね」
「手伝え!」
ジェノスの怒鳴り声が飛んだ。
「働いているではありませんか」
「自分の上だけだ!」
「合理的でしょう?」
◇
上空では、メタルナイトの無人機が全てを記録していた。 サイタマの跳躍速度。 拳の衝撃。 隕石の破砕過程。 既存の計測基準では評価できない身体能力。 C級ヒーロー。 筆記試験では低評価。 だが実戦では、災害レベル竜相当の巨大隕石を一撃で粉砕した。 有用性は極めて高い。 同時に、危険でもある。 必要なデータを集め終えた無人機は上昇した。 都市の被害。 負傷者。 救助。 それらは今回の目的ではない。 機体は方向を変え、Z市から離れていく。 山岳地帯を越え、雲の中へ入った。 数分後。 進行方向に何かが現れた。 白と紫。 小柄な異星人。 フリーザ。 無人機が停止する。 センサーが対象を解析する。 先ほどまで地上にいたはず。 移動過程、検出不能。 最高速度、測定不能。 フリーザは空中で腕を組み、機体の正面を塞いでいた。
「お帰りですか?」
返事はない。 無人機の奥にいる操縦者が、こちらを観察している。 フリーザは笑った。
「無視は感心しませんね」
機体の砲口が開く。 複数の照準装置がフリーザへ向く。 それでも動かない。
「あなたがメタルナイトですか?」
外部スピーカーから、低い声が流れた。
『何者だ』
「フリーザと申します」
『新しく登録されたS級ヒーロー』
「ご存じでしたか。光栄ですね」
『目的は何だ』
「話が早くて助かります」
フリーザは腕をほどき、両手を軽く広げた。 敵意がないことを示す仕草。 ただし、操縦者には何の安心材料にもならない。 目の前の存在は武器を持つ必要がない。 身体そのものが兵器なのだから。
『接近した理由を答えろ』
「あなたの技術に興味があります」
『技術』
「ええ。この機体、遠隔操作、ミサイル、推進装置。どれもこの星の一般的な技術水準より明らかに高い」 フリーザは機体の周囲をゆっくり回る。 装甲。 関節。 推進器。 センサー。 外から見える範囲だけで構造を観察していく。
「まだ未熟ではありますが、方向性は悪くありません」
『未熟だと?』
「お気に障りましたか?」
『お前に技術の何が分かる』
「宇宙船を何千隻も所有していましたので」
無人機が沈黙する。 操縦者は、その一言を記録した。 宇宙船。 何千隻。 所有していた。 過去形。 外見。 飛行能力。 未知のエネルギー。 地球外生命体という可能性が一気に高まる。
『目的を具体的に言え』
「あなたに一つ、提案があります」
フリーザは再び機体の正面へ戻った。 赤い瞳が、無機質なカメラの奥にいる人間を直接見ているようだった。
「わたくしと、手を組みませんか?」
風が流れる。 遠くでは、砕かれた隕石の破片がまだZ市へ落ちている。 メタルナイトの機体は動かない。
『何を求める』
「宇宙船です」
フリーザは即答した。
「それから、いくつかの装置を再現していただきたい」
『見返りは』
「知識です。地球には存在しない航宙技術、通信技術、重力制御。あなたが興味を持ちそうなものはいくらでもあります」
フリーザの笑みが深くなる。
「そして必要であれば、あなたの邪魔をする者を、わたくしが消して差し上げましょう」
メタルナイトの砲口が、ほんの僅かに下がった。 拒絶ではない。 受諾でもない。 興味を持った。 それだけで、フリーザには十分だった。 科学者は未知に弱い。 権力者は力に弱い。 そして人間は、自分だけが利益を得られると思える取引に弱い。
「詳しい話をしましょう」
フリーザが言った。
「お互いに、有益な関係を築けると思いますよ」
機械の目と、赤い目が空の上で向かい合う。 一方は、未知の技術を求めている。 一方は、未知の生命体と異星文明を研究しようとしている。 互いに、相手を利用するつもりだった。 その意味では。 交渉はすでに、半分成立していた。
――第五話・終。