フリーザ、ヒーローになる ~宇宙の帝王がワンパンマン世界に墜ちた結果~ 作:&劉
サイタマは、C級五位になった。 Z市一帯を消し飛ばしかねなかった巨大隕石を、一発の拳で粉砕した。メタルナイトのミサイルでも止まらず、ジェノスが全エネルギーを注ぎ込んだ焼却砲でもわずかに表面を削っただけだった隕石を、真正面から。 その結果が、C級五位だった。
「上がったな」
サイタマはヒーロー協会から届いた通知書を眺めながら、特に感慨もなさそうに言った。 いつもの部屋。 いつものちゃぶ台。 窓だけは新しくなっている。
前回フリーザが勝手に侵入した際に壊した留め具と窓枠を、ジェノスが業者を呼んで修理したのだ。費用もジェノスが払った。 壊した本人へ請求するという発想は、最初からなかった。 言えば間違いなく払わない。 しかも悪びれず、
「なぜわたくしが?」
と本気で聞き返す。 そういう相手だと、ジェノスはすでに学習していた。 そのジェノスは、サイタマの向かいへ正座している。 手には協会から届いた公式通知。 何度読み直しても内容は変わらない。 C級五位。
「納得できません」
「何が?」
「先生の順位です」
「結構上がったぞ」
「そういう問題ではありません」
ジェノスは通知書をちゃぶ台へ置いた。 少し力が入ったらしく、横にあった湯飲みの茶が揺れる。
「巨大隕石を粉砕したのは先生です」
「うん」
「俺の焼却砲では止められなかった」
「うん」
「メタルナイトの兵器も有効打にはならなかった」
「そうだな」
「シルバーファングも、隕石そのものには手を出せなかった」
「そうだったっけ」
「先生が一撃で破壊した」
「うん」
「なのにC級五位です」
「上がったじゃん」
ジェノスはゆっくり目を閉じた。 サイタマは通知を裏返してみた。 何も書かれていない。 もう一度表へ戻す。 やはりC級五位。
「まあ、前よりいいだろ」
「よくありません」
「何でお前がそんな怒ってんの?」
「先生への侮辱は、俺への侮辱と同じです」
「別だろ」
「同じです」
「そうなの?」
「はい」
サイタマは少し考えた。 面倒になったので、すぐに考えるのをやめた。 ジェノスは立ち上がる。
「本部へ行ってきます」
「何しに?」
「抗議します。先生の功績が正しく記録されていないなら、評価制度そのものに問題があります」
「やめとけよ」
「しかし」
「別にいいって。俺、順位とかそこまで気にしてないし」
「ですが、先生の功績は正当に評価されるべきです」
「給料増えるなら嬉しいけど」
「ならば、なおさら抗議すべきです」
ジェノスが玄関へ向かいかけた、その時。 こん。 窓が鳴った。 二人が同時にそちらを見る。 白い顔。 紫色の頭。 赤い瞳。 窓の外にフリーザが浮かんでいた。 笑っている。 サイタマの表情が険しくなった。
「玄関」
窓越しに言う。 フリーザが首を傾げた。
「はい?」
「玄関から来い」
「今日は壊していませんよ」
「そういう問題じゃねえ」
窓を自分で横へ開け、フリーザは当然のように入ってきた。 足元に靴という概念がないため、そのまま畳へ降りる。 ジェノスの目が細くなった。
「貴様」
「おや、ジェノスさん」
フリーザは爽やかな笑顔を向けた。
「お元気そうで何よりです。機械の身体というのは便利ですね。あれだけ壊れても、短期間で元通りになる」
ジェノスの右手が僅かに震える。 額へ触れた小指。 乾いた音。 そして、一瞬で途切れた視界。 あの敗北記録が蘇る。
「次は同じようにはいかない」
「そうであってほしいものです」
「フリーザ」
サイタマが間へ入る。
「何しに来たんだ?」
「少々、お話がありまして」
フリーザはちゃぶ台の前へ座った。 許可は取らない。 そこは、さっきまでジェノスが座っていた場所だった。 ジェノスの眉間の皺が一つ増える。 フリーザは机の上に置かれた通知書へ目を止めた。
「C級五位」
「知ってんの?」
「ええ」
紙を拾い、ざっと読む。 そして、鼻で笑った。
「低すぎますね」
ジェノスが即座に反応した。
「貴様もそう思うか」
「もちろんです」
珍しく意見が一致した。 ジェノス自身、それが少し気に入らない。
「隕石を破壊したのはサイタマさんです。それを、たまたま現場にいたS級の功績へ分散したのでしょう」
「協会の公式発表では、S級ヒーロー複数名による共同迎撃の結果、隕石が破壊された可能性が高いとされている」
ジェノスが補足する。
「先生の名前は補助的に記録されているだけだ」
「愚かですね」
フリーザは即答した。 サイタマが煎餅を食べる。 ぱり。
「でも、見てた人少なかったしな」
「それだけではありませんよ」
フリーザは窓の外へ目を向けた。 青い空。 洗濯物。 古い集合住宅。 どこにでもある日常だった。
「人間というものは、自分の理解を超えたものを、そのまま受け入れるのが苦手です」
サイタマの煎餅を噛む動きが止まる。 ジェノスもフリーザを見る。
「山の麓に立つ者には、山全体の大きさが分からない。海の中にいる魚は、自分の住む海の広さを測れない。それと同じです」
フリーザはサイタマへ視線を戻した。
「あなたの強さは、この星の基準から外れすぎている」
「俺?」
「ヒーロー協会は人間が作った組織です。当然、評価基準も人間が作ったもの。その物差しで測れる範囲を大きく超えた存在が現れれば、どうなると思います?」
「さあ」
「理解できないのですよ。ですから、自分たちが理解できる形へ無理やり押し込める」
巨大隕石。 壊れた街。 複数のS級ヒーロー。 そこに、名前もほとんど知られていないC級ヒーローが一人。 普通なら考える。 一人の人間が拳だけで巨大隕石を粉砕した。 そんなことが可能なのか。 不可能だ。 なら、別の理由がある。 メタルナイトがいた。 シルバーファングがいた。 新たにS級となった異星人もいた。 彼ら全員の攻撃で破壊されたのだろう。 その方が、理解しやすい。 真実より、理解できる誤解の方が受け入れられる。
「あなたほどの力を正確に評価できる者は、この星にはほとんどいません」
フリーザは言った。
「少なくとも、わたくしが今まで見た中では数人でしょうね」
「その通りだ」
ジェノスが深く頷く。 サイタマは少し困った顔になった。 正面から持ち上げられることには慣れていない。
「別にそこまで言われてもな」
「だから、あなたはこのような場所に住んでいる」
フリーザは部屋を見回した。 狭い。 壁紙は一部変色。 冷蔵庫も小さい。 家具は必要最低限。 そもそも周辺は怪人多発地域で、住民自体がほとんど残っていない。
「悪かったな」
「そして毎日のようにスーパーの特売を気にしている」
「大事だぞ」
「卵が二十円安い」
「積み重なるとでかい」
「肉が三割引」
「もっとでかい」
「キャベツ一玉九十八円」
「買いだな」
フリーザは額へ手を当てた。
「そういうことですよ」
「何が?」
「あなたほどの力を持つ者が、なぜキャベツの値段で人生設計を変えているのです?」
「金ないから」
「だからですよ!」
フリーザが珍しく声を上げた。 ジェノスまで少し驚く。 フリーザはすぐ咳払いした。
「失礼。つまり、ヒーローとして正当に評価され、報酬も増えれば、あなたは怪人を探す時間と生活費を気にする時間を減らせる」
サイタマの目が細くなる。
「特売は減らさないぞ」
「では言い換えましょう。時間を節約できます」
「時間?」
「そうです」
フリーザの口元が上がった。
「そうなれば、わたくしが遠慮なく修行に付き合わせられる」
沈黙。 ジェノスがゆっくりフリーザを見る。 サイタマも見る。 フリーザは笑顔だった。
「結局それかよ」
「何のことでしょう?」
「俺の評価を心配してるんじゃなくて、自分が戦いたいだけだろ」
「両方ですよ」
「割合は?」
「九対一です」
「どっちが九?」
「聞く必要がありますか?」
なかった。 ジェノスが口を開く。
「先生を自分の都合で利用するな」
「では、あなたは何のために弟子になったのです?」
ジェノスが止まった。
「強くなるためでしょう?」
「それは……」
「同じではありませんか」
「違う」
「どこが?」
「俺は先生を尊敬している」
「わたくしも、強さは尊敬していますよ」
「貴様のは利用だ」
「言葉の問題ですね」
「違う!」
サイタマは煎餅の袋を閉じた。 この二人を放っておくと長い。
「で」
サイタマが言う。
「評価低いとして、どうすんの?」
フリーザの目が僅かに輝いた。 待っていました。 そんな顔だった。
「よい質問ですね」
どこに持っていたのか、フリーザは背後から二つの機械を取り出した。 ちゃぶ台へ置く。 緑色のレンズ。 耳へ装着する装置。 さらに、紙を二枚。
「何これ」
サイタマが紙を取る。
「履歴書です」
「見れば分かる。何で履歴書?」
「就職していただくためですよ」
サイタマがフリーザを見る。
「どこに?」 フリーザは自分を指した。
「わたくしの会社です」
五秒ほど沈黙が続いた。
「会社?」
「ええ」
「お前の?」
「ええ」
「いつ作ったの?」
「一昨日です」
ジェノスが機械的な速さで質問を始めた。
「会社名は」
「フリーザ・コーポレーション」
「所在地」
「Z市」
「代表者」
「わたくし」
「資本金は」
フリーザが一瞬黙る。
「質問が細かいですね」
「会社を名乗るなら当然だ」
「細かい部分は追々整えます」
「登記は」
「メタルナイトさんの協力者に頼みました」
ジェノスの目が鋭くなる。
「業務内容は」
「怪人関連情報の収集、危険生物の処理、技術開発。それから宇宙事業全般です」
サイタマが眉を寄せた。
「最後だけ規模おかしくね?」
「将来的な話ですよ」
「事務所は?」
「あります」
「どこ?」
フリーザが笑った。
「以前、親切な方々に譲っていただきました」
ジェノスの警戒が一段上がる。
「親切な方々?」
「ええ」
「どういう連中だ」
「地域密着型の組織です」
「会社か?」
「似たようなものですね」
実際には、以前フリーザが情報端末を奪うために入ったヤクザの事務所だった。 構成員は皆死んだ。 所有者がいなくなった。 空いた。 だから使った。 フリーザの中では非常に単純な話である。 ただ、その経緯を説明すればジェノスがまた騒ぐ。 余計な時間を使う理由はない。
「譲ってもらったのか?」
サイタマが聞く。
「ええ。快く」
死人は拒否しない。 厳密には嘘ではない、とフリーザは考えている。
「怪しい」
サイタマが言った。
「極めて怪しい」
ジェノスも続く。
「心外ですね」
フリーザは肩をすくめた。
「では、先にこちらを説明しましょう」
ちゃぶ台に置いた二つの機械。 スカウター。 一つを耳へ装着する。 緑のレンズが左目を覆う。
「本来、これは生命体の戦闘力を数値化する装置です」
ジェノスが僅かに身を乗り出す。
「戦闘力?」
「生命エネルギーを数値へ変換します」
「そんなことが可能なのか」
「わたくしの世界では、ありふれた技術ですよ」
フリーザは側面のスイッチを押した。 電子音。 ピピピ。 レンズをジェノスへ向ける。 数値が走った。 フリーザは少し笑う。
「何だ」
「いえ。以前より上がっていますね」
「数値を教えろ」
「嫌です」
「なぜだ」
「自分で想像する方が面白いでしょう?」
「教えろ」
「嫌です」
ジェノスの拳が握られる。 サイタマがもう一つを手に取った。
「これ、俺もつけていい?」
「そのために持ってきたのですよ」
装着。 左目の前に緑の画面が下りる。
「おお」
スイッチを押す。 ジェノスを見る。 数字が表示された。
「これ高いの?」
「基準がないと分からないでしょう」
「そうだな」
今度はフリーザへ向ける。 数字が動く。 途中で乱れた。 画面がちらつく。
「わたくしは気を抑えていますので、その状態では正確に測れませんよ」
「へえ」
「では、サイタマさんは」
フリーザが自分のスカウターを向けた。 ピピピピピ。 数値が動く。 一度止まる。 また動く。 表示が乱れる。 フリーザの眉が少し上がった。
「やはり、あなたは測定しにくいですね」
「壊れた?」
「いいえ。サイタマさんが妙なのです」
「失礼だな」
「褒めていますよ」
ジェノスが口を挟む。
「だが、それだけなら先生の順位向上には直接関係しない」
「もちろんです」
フリーザは指を一本立てた。
「ここからが重要です」
スカウターを外し、机へ置く。
「メタルナイトさんの協力で、この星用に機能を追加しました」
「メタルナイトが?」
ジェノスの声が低くなる。 彼はメタルナイトを信用していない。 正確には、かなり警戒している。 フリーザと同程度に。 その二人が組んだ。 それだけで嫌な予感しかしない。
「以前の隕石の件で、少々お話をしましてね」
「何を話した」
「企業秘密です」
「先生に危険が及ぶ内容なら」
「あなたは毎回それですね」
フリーザがため息をつく。
「ご安心ください。少なくとも、サイタマさんをどうこうできる技術を、あの方はまだ持っていませんよ」 ジェノスも、その一点だけは否定できなかった。
「改良点は二つあります」
フリーザはスカウターを指す。
「一つ。地球全土の怪人反応を検索できます」
サイタマの動きが止まった。
「全部?」
「ええ」
「どうやって?」
「ヒーロー協会が公表している怪人災害データ、衛星観測、都市監視網、生命エネルギー測定。複数の情報を重ねています」
ジェノスが理解する。
「協会で確認される前の怪人まで検出できる可能性があるということか」
「その通りです」
「精度は」
「まだ実験段階ですが、かなり高い」
側面のボタンを押す。 画面が地図表示へ変わった。 無数の点が浮かぶ。
「赤が怪人と思われる反応。黄色が正体不明。青が登録ヒーローです」
サイタマが覗き込む。
「多いな」
「弱い反応まで含まれていますから」
「消せないの?」
「できます」
操作。 表示が減る。
「災害レベル狼以上」
さらに操作。
「虎以上」
また減る。
「鬼以上」
地図上には数個しか残らない。
「竜以上」
現在は反応なし。
「そして、Z市だけを監視するモードもあります」
サイタマの目が少し変わった。
「これ便利じゃん」
フリーザの口元が上がる。 食いついた。
「でしょう?」
「怪人出たら分かるの?」
「ほぼ即座に」
「協会から連絡来る前に?」
「状況次第では、かなり早く」
サイタマはスカウターを見た。 フリーザは静かに言う。
「サイタマさん」
「何?」
「あなたには実力があります」
「うん」
「ですが、ヒーローとしてのセンスがありません」
サイタマの顔が無になる。 ジェノスは即座に立ち上がった。
「取り消せ」
「座っていなさい」
「先生を侮辱するな」
「事実です」
フリーザはサイタマを見る。
「あなたは、困っている人のところへ到着するのが遅すぎる」
サイタマは反論しようとして、止まった。 思い当たる。 怪人を探して街を歩き回る。 見つからない。 後になって別の場所で被害が出ていたと知る。 珍しいことではない。
「さらに、怪人を探している最中にスーパーを見つけると寄るでしょう?」
「寄る」
「タイムセールがあれば?」
「行く」
「卵が安ければ?」
「買う」
「それですよ」
「何が?」
「優先順位がおかしいのです」
「生活かかってるんだぞ」
「ですから、わたくしの会社へ入りなさい」
話が元へ戻った。 フリーザは履歴書を押し出す。
「怪人退治を業務にする」
サイタマが紙を見る。
「給料出んの?」
「出します」
サイタマの目が変わった。 ジェノスは即座に気づいた。 先生の興味が急上昇した。
「いくらだ?」
「成果報酬を基本にしましょう」
「怪人一匹いくら?」
「災害レベルによって変えます」
「鬼は?」
「とりあえず一体100万にしましょうか。基準ができるまではこれでいきましょう。」
サイタマが履歴書を手に取った。 ジェノスが慌てる。
「先生!」
「いや、話だけ」
「顔が就職する顔になっています」
「なってない」
「なっています」
フリーザは満足そうに笑っていた。
「福利厚生も検討しましょう」
「交通費は?」
「飛べるでしょう」
「俺飛べない」
「跳べるでしょう」
「電車使うときもある」
「では支給します」
「マジで?」
「先生!」
ジェノスが叫ぶ。
「明らかに怪しい会社です!」
「でも鬼一体100万だぞ」
「金額の問題ではありません!」
「いや、金額は大事だろ」
ジェノスが言葉に詰まる。 フリーザはますます機嫌がよくなった。
「もちろん、今すぐ決める必要はありません」
その時。 サイタマのスカウターが鳴った。 ピピピピ。 三人が止まる。 画面へ警告が出た。 赤。 Z市。 災害レベル推定、鬼。
「出た」
サイタマが画面を見る。 フリーザの笑みが深くなる。
「ちょうどよいですね」
ジェノスは即座に立ち上がった。
「座標を」
「表示されていますよ」 地図上の赤点。 市街地。 ここから数キロ。 サイタマが立つ。
「行くか」
「先生、俺も」
「もちろん」
フリーザも浮き上がる。
「実地試験と参りましょう」
三人は外へ出た。 今回は、フリーザも玄関から出た。 サイタマが少し驚く。
「学習したな」
「わたくしを何だと思っているのです?」
「窓から入るやつ」
「やめてください」
◇
スカウターの座標が近づくにつれて、人々の悲鳴が聞こえ始めた。 街の中心。 建物の間に、巨大な怪人がいる。 二本の腕。 四本の脚。 甲殻類のような外皮。 頭部には、人間の顔に似たものが半分埋め込まれている。 周囲では車が横転し、道路は割れ、人々が逃げ回っていた。
「逃げろ!」
「怪人だ!」
「ヒーローはまだか!」
怪人が腕を振る。 自動車が一台吹き飛び、ビルの壁へ突き刺さった。
「人間、弱い!」
怪人が叫ぶ。 その前方。 小さな子供が転んでいた。 五歳ほど。 母親とはぐれたらしく、擦りむいた膝を押さえながら泣いている。
「お母さん……」
怪人が気づいた。 笑う。 巨大な腕が持ち上がる。 周囲の人間たちは叫ぶ。 それでも近づけない。 当然だった。 腕一本で車を吹き飛ばす怪物。 普通の人間が近づけば死ぬ。 怪人の腕が振り下ろされた。 子供が目を閉じる。 その直前。 黄色い影が視界を横切った。 鈍い音。 怪人の頭部が消えた。 身体だけが数秒立っている。 そして、ゆっくり倒れた。 サイタマが立っていた。 拳を前へ出したまま。
「大丈夫か?」
子供が目を開ける。 黄色いスーツ。 白いマント。 禿げた頭。
「……ヒーロー?」
「まあ、そういうの」
サイタマは拳を下ろした。 母親が駆け寄ってくる。 子供を抱きしめ、何度も頭を下げた。
「ありがとうございます! 本当に……本当に!」 周囲の人々も、ようやく状況を理解し始める。 怪人は死んでいる。 一撃だった。 目の前の男が倒した。
「今の見たか?」
「一発だったぞ」
「誰だ?」
「ヒーローだろ!」
「C級じゃないか?」
「C級が鬼クラスを?」
「でも倒したぞ!」
誰かが携帯端末を向ける。 一人。 二人。 十人。 撮影が始まる。 サイタマの周囲へ人が集まった。
「ありがとう!」
「助かった!」
「すげえ!」
「名前は?」
「サイタマ」
「サイタマっていうのか!」
「ヒーロー名は?」
「まだない」
「C級のサイタマだ!」
声が広がっていく。 サイタマは困った顔になった。 こういう状況には慣れていない。 怪人を倒す。 去る。 それで終わることが多かった。 感謝されることはある。 だが、自分の名前まで聞かれることは少ない。
「写真いいですか!」
「いや、別に」
「ありがとうございます!」
返事を待つ前に撮られる。 子供がサイタマの脚へ抱きついた。
「ありがとう、ヒーロー!」
サイタマは下を見る。 ほんの少しだけ、口元が動いた。
「おう」
少し離れた建物の屋上。 ジェノスとフリーザが立っていた。 ジェノスは静かに、その光景を見ている。
「先生はやはり素晴らしい」
「でしょう?」
フリーザが腕を組んで言う。 ジェノスが横を見る。
「なぜ貴様が誇らしげなんだ」
「わたくしの装置のおかげでもありますから」
「先生の実力だ」
「その先生は、装置がなければ到着が遅れていた可能性があります」
ジェノスは反論できない。 理屈としては正しい。 気に入らないが。
「実力と世間の評価はイコールではありませんからね」
フリーザが言った。
「見られる必要があるのです」
群衆。 携帯端末。 映像。 目撃者。 救われた子供。 その母親。 今回は誰が怪人を倒したのか、誰も疑わない。 サイタマ。 一人。 目の前で子供を救い、怪人を一撃で倒した。 これは記事になる。 映像になる。 口コミになる。 協会の報告書だけで、他のヒーローの功績へ混ぜることはできない。
「地球人の社会というものは面倒ですね」
フリーザが言った。
「強ければ強い。それだけでよいでしょうに」
「貴様は強さだけで価値を決める」
「当然でしょう?」
「先生は違う」
「そうですね」
フリーザは否定しなかった。
「だから面白い」
ジェノスが横を見る。 フリーザは群衆の中にいるサイタマを見ていた。 敵を見る目ではない。 所有物を見る目でもない。 一番近い言葉を選ぶなら。 期待。 それだった。 やがてサイタマが群衆から抜けてくる。
「あー、疲れた」
「先生!」 ジェノスが地上へ降りる。
「素晴らしい一撃でした」
「いつもと同じだけど」
「子供を救うため、完璧なタイミングで怪人だけを破壊しました」
「たまたまだろ」
フリーザも降りてくる。
「どうでしたか?」
「何が?」
「スカウターです」
サイタマは耳元の装置へ触れた。
「ああ」
少し考える。
「便利だな、これ」
「でしょう?」
「怪人探さなくていいし」
「そこが重要なのですよ」
フリーザはサイタマの肩へ手を置いた。 ぽん。 サイタマが見る。 フリーザは満面の笑みだった。 もう片方の手には。 履歴書。
「では、こちらを」
サイタマは紙を見る。
「今?」
「鉄は熱いうちに打て、とこの星では言うのでしょう?」
「どこで覚えたんだよ」
「インターネットです」
「変なとこだけ馴染むの早いな」
サイタマは履歴書を受け取った。 ジェノスが言う。
「先生、本当に入社するのですか」
「まだ決めてない」
「すでに履歴書を受け取っています」
「帰ったら書く」 ジェノスが止まった。
「先生」
「何?」
「それは、ほぼ入社する人間の発言です」
「そう?」
フリーザが笑う。
「よいではありませんか」
「貴様は黙れ」
「あなたの分もありますよ」
もう一枚。 ジェノスへ差し出す。 ジェノスは履歴書を見る。 フリーザを見る。 また履歴書を見る。 長い沈黙。
「断る」
「給料はサイタマさんと同条件です」
「断る」
「研究開発費も出します」
「断る」
「新しい武装の試験設備も」
「……」
「おや?」
「断る」
今の間を、フリーザは見逃さなかった。
「検討だけでも」
「断る!」
三人は歩き始めた。 怪人の死体の周囲へ、ヒーロー協会の職員が到着し始めている。 群衆はまだサイタマの話をしていた。 撮影された動画は、すでにネットへ上がっている。 C級ヒーロー。 サイタマ。 災害レベル鬼相当の怪人を一撃。 子供を救助。 再生数は、数分のうちに増え続けていた。 フリーザはスカウターの画面を確認する。 怪人反応は他にもある。 Z市。 別の都市。 海岸。 山岳地帯。 この星には、敵がいくらでも湧いてくる。 サイタマの評価を上げる。 報酬を増やす。 生活に余裕を作る。 修行時間を確保する。 実に合理的な計画だった。
さらに。 怪人の位置情報を集める仕組み。 メタルナイトの技術。 ジェノスを造ったサイボーグ技術。 地球の科学者。 ヒーロー協会。 使えるものは、すべて使う。 フリーザにとって会社とは、そういうものだった。 かつて、惑星へ侵攻し、住民を排除し、価値のある星を商品として売っていた巨大組織。 フリーザ軍。 見方を変えれば、あれも企業だった。 営業方法が少々過激なだけで。 地球版フリーザ軍。 今はまだ。 社員候補、二名。 事務所、一つ。 スカウター、二個。 宇宙船、なし。 規模は小さい。 あまりにも小さい。 だが。 帝国は、最初から帝国ではない。 一人が始める。 力を持つ。 周囲を巻き込む。 そして、気づけば巨大になっている。 フリーザは前を歩くサイタマを見る。 世界最強かもしれない男。 本人は、その事実へほとんど興味がない。 手には履歴書。 頭の中では、おそらく夕飯のことを考えている。
「サイタマさん」
「ん?」
「ちなみに、本日の業務は今ので一件として計上します」
サイタマが振り返る。
「え?」
「災害レベル鬼。一体」
フリーザは指を一本立てた。
「100万円です」
サイタマが完全に止まった。
「まだ入社してないけど?」
「入社祝いということで」
「マジで?」
「ええ」
「今日くれんの?」
「口座を教えていただければ」
サイタマの表情が変わった。 ジェノスが危機を察知する。
「先生!」
「ジェノス」
「はい」
「帰ったら履歴書書くぞ」
ジェノスは天を仰いだ。 フリーザは笑う。
「歓迎いたします」
◇
その日の夕方。 Z市のある建物へ、新しい看板が取り付けられた。 黒地に白い文字。
FREEZA CORPORATION
その下には、小さく。 怪人対策・技術開発・宇宙事業。 かつてヤクザの事務所だった室内は、すでに別物になっていた。 死体はない。 血痕も消えている。 壁の穴も修理済み。 机。 端末。 大型モニター。 世界地図。 怪人反応を表示する観測システム。 片隅には、メタルナイトから提供された試作機材が置かれている。 中央の机には二つのスカウター。 そして、履歴書が一枚。 氏名。 サイタマ。 希望職種。 怪人退治。 志望動機。 サイタマは最後の欄だけ、しばらく悩んだ。 結局、書いた。
『給料がいいから』
フリーザはそれを読んだ。 数秒黙った。 そして。
「採用です」
判を押した。 宇宙の帝王と、趣味でヒーローをする男。 奇妙な会社の最初の一日は、こうして始まった。
――第六話・終。