フリーザ、ヒーローになる ~宇宙の帝王がワンパンマン世界に墜ちた結果~   作:&劉

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第七話 ムーンライトdestroy

 

二か月という時間は、人間にとって短い。会社にとっては、普通ならもっと短い。 設立から二か月。社員は三人で、社長は宇宙人。社員の一人は全身の大半を機械化したサイボーグで、もう一人は禿げた男。業務内容は怪人退治、危険生物の駆除、犯罪組織への対処、技術開発、そして将来的な宇宙事業である。 まともな企業なら、まだ事務所の備品を揃え、銀行口座や契約書の形式を整えている頃だろう。 フリーザ・コーポレーションは違った。 儲かっていた。 かなり。

 

事務所の壁に掛けられた大型モニターには、世界地図と無数の光点が表示されている。ヒーロー協会から得られる怪人災害情報、衛星観測、都市監視網、改良型スカウター、それらを統合した独自の危険反応監視システムだった。 机上の端末が短く鳴る。 フリーザが画面を見る。

 

「サイタマさん。D市に災害レベル虎です」

 

ソファに寝転がって漫画を読んでいたサイタマが、ページから目を離さずに返事をした。

 

「遠くね?」

 

「報酬は50万円」

 

「虎ならジェノスでいいんじゃね?」

 

少し離れた作業机で腕部パーツを整備していたジェノスが顔を上げる。

 

「先生が行かないのであれば、俺が向かいます」

 

「待ちなさい」

 

フリーザが端末を操作する。 数秒後、表示が更新された。

 

「危険度が上がりました。推定、鬼」

 

漫画が閉じた。

 

「いくら?」

 

「100万円です。」

 

サイタマが起き上がる。

 

「行ってくる」

 

「先生、俺も同行します」

 

「近いの?」

 

「飛べば数分です」

 

「じゃあ頼む」 

二人は玄関から出ていった。 最近では、フリーザも玄関を使うようになっている。 教育の成果だった。 もっとも本人は、「無用な修繕費を抑える経営判断です」と主張している。

フリーザは二人を見送り、自分の机へ戻った。 今月の収支表が開かれている。 怪人討伐報酬。 民間警備契約。 危険生物駆除。 技術ライセンス料。 そして、不動産売却益。 この最後の数字だけ、妙に大きかった。 理由は簡単である。 フリーザは犯罪組織を見つけると潰した。 怪人ほど強くない。 だが、彼らは土地を持っている。 事務所。 倉庫。 工場。 場合によっては繁華街の一角まで。 フリーザにとって、それは懐かしい仕事だった。 かつて宇宙で何をしていたか。 星へ侵攻する。 抵抗する者を排除する。 土地と資源を確保する。 価値を査定する。 そして売る。 地上げの規模が惑星単位だっただけで、基本原理はそれほど変わらない。 地球では、犯罪組織へ行く。 話をする。 相手が武器を向ける。 片づける。 所有権を調べる。 メタルナイト側から紹介された法務担当へ回す。 合法的な形へ資産を整理し、売却する。 非常に効率がよかった。

 

「文明が違っても、商売というものは案外同じですね」

 

フリーザは満足そうに呟いた。 この二か月で、サイタマの生活も大きく変わっている。 C級五位からC級一位。 そこからB級へ上がり、さらに上位へ。 そして現在はA級。 昇格速度としては異常だった。 だが、強さそのものが変わったわけではない。 怪人が出る。 スカウターが鳴る。 サイタマが向かう。 殴る。 終わる。 以前との違いは、ほとんどそれだけだった。

 

これまでは怪人が出ても、サイタマがその存在を知らないことが多かった。買い物をして帰宅し、ニュースを見て初めて被害を知ることさえあった。 強さは同じ。 変わったのは到着速度だった。 しかしヒーローという仕事において、それは決定的だった。 困っている場所へいなければ、どれほど強くても存在していないのと同じである。 フリーザは、その一点だけを修正した。 怪人を倒すたび目撃者が増え、映像が残り、協会の記録へサイタマの名前が積み重なっていった。 評価とは、実力そのものではない。 社会の中で、その実力が観測された回数でもある。 その意味では、フリーザの方がサイタマより遥かに人間社会を理解していた。

 

数時間後、二人が戻ってきた。 サイタマの手にはスーパーの袋があり、ジェノスの装甲には僅かに煤が付いている。

 

「ただいま」

 

「お帰りなさい。鬼は?」

 

「倒した」

 

「先生が一撃で処理しました。その後、現場近くのスーパーで卵の特売を確認したため寄り道しています」

 

ジェノスが正確に報告する。 フリーザはサイタマを見る。

 

「業務中ですよ」

 

「もう終わってただろ」

 

「帰社するまでが業務です」

 

「遠足みたいに言うな」

 

フリーザはため息をついた。 とはいえ、サイタマは以前よりかなり金を持つようになった。 今月の給与だけでも、一般的な会社員の数倍に達している。 怪人討伐の報酬制度も、最初の「鬼一体100万円」から変動性にした。 危険度。 救助人数。 被害防止額。 協会から得られる報奨金。 映像や広報価値。 それらを加算する。 結果、サイタマの一件当たりの報酬は初期より大きく増えた。 それでも会社は黒字である。

 

なぜなら、フリーザ自身が稼ぎすぎていた。 怪人。 犯罪者。 武装集団。 犯罪組織。 スカウターで見つける。 行く。 制圧する。 資産を整理する。 戻る。

 

ある国では大規模な麻薬組織が一晩で消え、別の国では武装集団の山岳基地が翌朝には存在しなくなっていた。さらに別の都市では地下犯罪組織の本部が、その構成員を失った翌週にはフリーザ・コーポレーション名義の管理物件へ変わっていた。 フリーザは机の引き出しから封筒を取り出し、サイタマへ投げる。

 

「今月分です」

 

サイタマが中を見る。 止まる。

 

「多くね?」

 

「成果に応じた額です」

 

「こんなにもらっていいの?」

 

「会社として利益が出ていますので」

 

サイタマはその場で札を数え始めた。

 

「先生、銀行振込の方が安全です」

 

「現金の方が実感あるだろ」

 

「紛失の危険があります」

 

「財布に入れるし」

 

「以前スーパーでその財布を落としました」

 

「拾った」

 

「店員が保管してくれていたからです」

 

フリーザは二人の会話を眺めながら、少し笑った。 ジェノスも、今では正式な社員だった。 最初は断ると言い続けていた。 怪しい。 先生を利用している。 絶対に入らない。 そう主張していたのに、サイタマが入社した翌日には履歴書を持ってきた。 志望動機は、「先生と同じ職場で活動し、強くなるため」。 フリーザはその場で採用した。 ジェノス本人はいまだに

 

「俺は貴様の部下ではない」

 

と言う。 フリーザは気にしていない。 給与を受け取り、会社設備を使い、経費申請まで提出している時点で、契約上は社員である。 それで十分だった。

 

「さて」

 

フリーザが立ち上がった。

 

「今日はもう一つ予定があります」

 

サイタマが封筒をしまう。

 

「何?」

 

「修行ですよ」

 

サイタマの顔が少し変わった。 ジェノスも整備していた手を止める。

 

「先生と戦うのか」

 

「ええ。そろそろ、もう少し強くやってみようと思いまして」

 

サイタマが肩を回した。

 

「ここじゃ無理だろ」

 

「もちろんです」

 

「また荒野?」

 

「いいえ」

 

フリーザは窓の外へ目を向ける。 青い空。 さらに、その向こう。

 

「月へ行きましょう」

 

しばらく沈黙した。

 

「月?」

 

「ええ」

 

ジェノスが即座に反応する。

 

「宇宙空間での戦闘を想定しているのか」

 

「そこまで大げさなものではありません」

 

「月に行く時点で大げさだろ」

 

サイタマがもっともなことを言う。 フリーザは気にしない。

 

「前回より力を出すつもりです。地上では、周囲への被害が大きすぎる」

 

「まあ、それはそうだな」

 

前回の荒野戦では山が消え、巨大な盆地ができ、地図を書き換える程度には地形が変わった。 あれ以上となれば、地球上で行う理由がない。

 

「しかし」

 

ジェノスが言う。

 

「月へどうやって行く」

 

フリーザの笑みが深くなった。

 

「ようやく完成しました」

 

事務所裏の空き地には、一隻の宇宙船が置かれていた。 円盤に近い流線型。 白と銀を基調とした船体。 中央に黒い観測窓。

 

フリーザ軍が使っていた大型宇宙船とは比べものにならないほど小さいが、地球製ロケットとも明らかに違う。 翼がない。 大型燃料タンクもない。 多段式でもない。 ただ、静かに地面へ置かれている。

 

「これ、飛ぶの?」

 

サイタマが聞いた。

 

「飛びます」

 

「誰が作ったんだ」

 

「メタルナイトさんです」

 

ジェノスの目が鋭くなる。

 

「またあいつか」

 

「優秀ですよ」

 

「信用できない」

 

「わたくしも信用していません」

 

ジェノスが止まった。

 

「なら、なぜ」

 

「信用と利用は別物です」

 

フリーザは船体を軽く叩く。

 

「わたくしの世界の基礎的な技術資料を一部提供し、彼に再現させました。まだ完成度は低いですが、月程度なら問題ありません」

 

「完成度は低いのか」

 

「本来のフリーザ軍の船と比べれば玩具ですよ」

 

「玩具で月行くの?」

 

「月程度なら一瞬です」

 

「じゃあいいか」

 

サイタマは深く考えなかった。 ジェノスは深く考えた。

 

「先生、宇宙服が必要です」

 

「え?」

 

サイタマが止まる。 フリーザも横を見る。

 

「あなたは大丈夫では?」

 

「何が?」

 

「宇宙空間です」

 

「いや、知らんけど」

 

フリーザはサイタマを頭から足まで見た。 根拠はない。 だが、何となく大丈夫な気がする。 この男なら宇宙へ放り出されても、息を止めるなり何なりして帰ってきそうに見えた。

 

「まあ、月まで一瞬ですから、息を止めておけばよいでしょう」

 

「雑じゃね?」

 

「先生は宇宙服を着るべきです」

 

ジェノスが譲らない。

 

「動きづらいだろ」

 

「生命維持の問題です」

 

「フリーザは?」

 

「わたくしは宇宙空間でも生存できます」

 

「便利だな」

 

「そういう種族ですので」

 

「すげ〜羨ましい」

 

鼻をほじりながらサイタマが言った。

 

結局、ジェノスだけが観測用の宇宙服を着ることになった。 三人が船へ乗り込む。 内部は簡素だった。 座席。 制御盤。 小型の重力制御装置。 メタルナイトらしい、無駄の少ない構造。 フリーザが操縦席へ座り、数個の操作を行う。 船体が音もなく浮いた。 地面が離れる。 事務所が小さくなる。 Z市が遠ざかる。 雲を抜ける。 やがて青い星全体が視界へ入った。

 

「おお」

 

サイタマが窓へ顔を向ける。 ジェノスも黙って地球を見る。 フリーザにとっては見慣れた景色だった。 星を外から見ることなど、以前なら日常である。

 

「地球ってこんな感じなんだな」

 

「感想が薄いですね」

 

「写真で見たことあるし」

 

「実物ですよ」

 

「まあ、丸いな」

 

「それだけですか」

 

「それだけだな」

 

フリーザは少し呆れた。 船が加速する。 重力制御が変わり、窓の外で月が急速に大きくなった。 本当に一瞬だった。

 

月面。 白い砂。 真っ黒な空。 そして地平線の向こうに浮かぶ青い地球。 宇宙船の扉が開く。 先にジェノスが外へ出た。 宇宙服の磁力靴が月面へ固定される。 サイタマも続く。 一歩踏み出した瞬間、身体がふわりと浮いた。

 

「軽っ」

 

試しに少し跳ぶ。 数十メートル上がった。

 

「おお」  

 

着地すると、白い粉塵がゆっくり舞う。 フリーザは最初から宙に浮いている。

 

「遊びに来たのではありませんよ」

 

「分かってる」

 

「本当に?」

 

「たぶん」

 

ジェノスは宇宙船から少し離れた場所へ移動した。 今回は観戦と記録に徹する。 自分が介入できる戦いではない。 それは、フリーザとの戦闘で嫌というほど理解した。 それでも見る。 記録する。 一つでも学ぶ。 サイタマとフリーザが月面で向かい合った。 空気はない。 だから音もない。 それでも互いの存在は、地球にいる時より鮮明に感じられた。 雑音がない。 街もない。 他の生命もいない。 ただ二人だけ。

 

「今回は、少々本気でいきましょう」

 

フリーザの声が、通信装置を介してジェノスへ届く。 サイタマが拳を握る。

 

「ある程度な」

 

「その言い方、気に入りませんね」

 

フリーザの口元が上がった。 次の瞬間、黄金の光が月面を照らした。 ゴールデンフリーザ。 だが、二か月前とは明らかに違う。 光が外へ漏れすぎていない。 気が身体の周囲で荒れない。 膨大な力が、黄金の身体の内側へ凝縮されている。 かつてのゴールデン形態は強かった。 その反面、無駄が多かった。 高い出力を維持するだけで力を浪費し、長時間の戦闘では自ら弱っていった。 今は違う。 この二か月、フリーザは毎日鍛えた。 怪人と戦った。 犯罪者を片づけた。 重力装置を使った。 そして何より、定期的にサイタマと拳を交えた。 力を出す。 抑える。 必要な瞬間だけ上げる。 余計な力を漏らさない。 そうした地味な反復を続けた。 ジェノスのスカウターが激しく鳴る。 数値が上昇する。 さらに上がる。 そして表示が乱れた。

 

「測定限界を超えた」

 ジェノスが呟く。 サイタマは首を傾げる。

 

「前より強くなった?」

 

「分かりますか?」

 

「なんとなく」

 

「あなたもですよ」 フリーザは即答した。

 

「俺が?」

 

「ええ。本人に自覚がないのが腹立たしいですが」

 

サイタマ自身は意識していない。 だが、以前より僅かに強くなっている。 怪人を倒す。 フリーザと戦う。 日常的に身体へ刺激が入る。 その程度の積み重ねで、この男の底知れない肉体がまだ伸びている。 完成しているように見えるのに、終わっていない。 それがフリーザには何より嬉しかった。

 

「始めましょう」

 

二人の姿が消えた。 次の瞬間、月面中央で拳がぶつかった。 地表が揺れた。 音のない世界で、白い砂だけが波のように持ち上がる。 クレーターの縁が崩れ、遠くの岩山から粉塵が舞った。 フリーザの右拳をサイタマが左手で受ける。 すぐに左肘。 サイタマは頭を下げる。 尾が足首を狙う。 跳ぶ。 上にはフリーザがいる。 膝。 受ける。 拳。 かわす。 蹴り。 防ぐ。 二人の動きは、数秒でジェノスの視界から消えた。 倍率最大。 高速追跡。 座標予測。 全て失敗する。 追えるのは、衝突した場所だけだった。 月面に穴が開く。 数十キロ離れた岩山が砕ける。 そこに二人が現れる。 フリーザの拳がサイタマの腹へ入った。 サイタマが数キロ滑る。 月面の砂を靴で削り、ようやく止まった。

 

「効きましたか?」

 

サイタマが腹を触る。

 

「ちょっと」

 

フリーザの目が輝いた。

 

「それは光栄です」

 

サイタマが一歩踏み出した。 その一歩で地面が沈む。 距離が消えた。 拳が来る。 フリーザが両腕で受ける。 黄金の腕が軋み、身体が月面から飛び出した。 宇宙空間へ。 フリーザはすぐ姿勢を整えた。 人差し指。 赤い光。 デスビーム。 一発。 続けて二発。 そこから数十、数百。 赤い光線が宇宙を走り、月面へ降る。 サイタマは左右へ跳び、前後へ動き、最小限の動作でかわしていく。 一筋が頬の横を抜けた。 その先の月面に、底の見えない細い穴が開く。 フリーザが両手を広げた。 今度は無数の光弾。 赤い雨のように月へ降り注ぎ、各所で爆発した。 新しいクレーターが次々と生まれる。 サイタマはその間を走る。 光弾を一つ拳で弾く。 軌道を変え、宇宙へ消える。 二発目は蹴り飛ばす。 三発目は避けきれず頭へ直撃した。 光が弾ける。 空気がないため爆煙は長く残らない。 光が消えた時には、サイタマがもうフリーザの目の前へいた。

 

「普通のパンチ」

 

フリーザは掌で受けた。 黄金の身体が後方へ押される。 足元の地面が長く削れた。 数百メートル。 一キロ。 さらに滑って、ようやく止まる。 受けた腕が痺れている。 フリーザは笑った。

 

「素晴らしい!」

 

掌を開く。 小さな赤黒い球体が生まれた。 それが膨らむ。 さらに大きくなる。 月面の空を偽りの太陽のように照らす巨大なデスボール。 ジェノスの警告装置が最大音量で鳴った。

 

「フリーザ、その出力は月面への損傷が大きすぎる!」

 

「ご安心ください。月そのものを消すほどではありません」

 

「安心できる内容ではない!」

 

フリーザは楽しそうに笑い、巨大な球体を投げた。 月面すれすれを進むだけで、白い地表が赤く焼けていく。 サイタマは避けなかった。 拳を引く。 目つきが少しだけ変わる。

 

「マジ殴り」

 

ジェノスの目が見開いた。 拳とデスボールが正面からぶつかる。 巨大な球体が止まった。 一瞬だけ。 次いで、中央から裂ける。 二つ。 四つ。 さらに細かく砕け、赤いエネルギーが宇宙へ散っていく。 音のない暗闇に、巨大な花火が広がった。 フリーザの表情が変わる。 歓喜。

 

「それです!」

 

飛び込んだ。 サイタマも前へ出る。 そこから先は、技名を呼ぶ暇さえない肉弾戦になった。 フリーザの拳がサイタマの頬へ入り、顔が僅かに横へ動く。 サイタマはその腕を掴んだ。 投げる。 フリーザが月面へ叩きつけられ、大きなクレーターが開く。 すぐサイタマが追う。 拳。 フリーザは横へ転がってかわす。 拳が地面へ入り、そこから数十キロにわたって亀裂が走った。 横から蹴る。 サイタマが吹き飛び、岩山を一つ貫通する。 反対側へ抜けたところには、すでにフリーザが待っている。 尾が首へ絡みついた。 締め上げようとする。 サイタマは尾を掴んだ。

 

「今度はこっちな」

 

振る。 フリーザの身体が回転し、月面へ叩きつけられる。 一回。 二回。 三回。 連続してクレーターが開いた。 フリーザが気を爆発させる。 サイタマの手が離れる。 上空へ抜ける。 両腕を交差させた。 薄い光の円盤が生まれる。 二枚。 四枚。 八枚。 デスソーサー。 高速回転する円盤が月面を切り裂きながらサイタマへ向かう。 一枚目をかわす。 背後の岩山が真っ二つになる。 二枚目を身体を反らして避けた。 白いマントの先が切れた。 サイタマが振り返る。

 

「またマント切れた」

 

「戦闘中ですよ!」

 

「直すの面倒なんだよ」

 

三枚目を手刀で叩く。 軌道が変わり、四枚目と衝突する。 残りの円盤が左右と上下から追尾する。 サイタマは月面を走った。 その後ろをデスソーサーが追い、地表へ何本もの長い溝を刻んでいく。 フリーザが指を動かす。 円盤の軌道が変わる。 前後から挟む。

 

「普通のパンチ」

 

前方の一枚を砕く。 振り返り、後方も拳で壊す。 その瞬間には、フリーザが懐へ入っていた。

 

「隙ありです」

 

拳が腹へ入る。 サイタマの身体が月面へ沈み、クレーターが開く。 フリーザが追う。 右。 左。 再び右。 連打をサイタマが腕で受ける。 腕の隙間から尾が側頭部を狙う。 サイタマが横へずれる。 蹴り。 その足首を掴む。

 

「じゃあ、もう一回」

 

投げた。 フリーザが月の地平線を越えて飛んでいく。 ジェノスは視線を追った。 数秒後、月の反対側で巨大な閃光が上がった。 ジェノスは言葉を失った。 最初に浮かんだ感情は恐怖だった。 自分が、小指一本で敗れたこと。 今なら分かる。 あれは屈辱ではない。 事故を免れただけだった。 フリーザが本気で自分を殴っていたなら、修理という言葉を使える状態すら残らなかった。 そしてサイタマは、そのフリーザと戦っている。 互角に見える。 いや、まだどちらにも余裕が残っている。

 

「先生……」

 

ジェノスはスカウターの録画、高速カメラ、姿勢解析、全てのセンサーを動かした。 見える範囲だけでも見る。 一瞬でも学ぶ。 フリーザの戦い方は高度だった。 速度だけではない。 相手の視線。 重心。 肩の始動。 拳を出す直前の僅かな身体の変化。 それらを読み、最小限だけ避けて反撃する。 宇宙で長く戦ってきた経験がある。 戦闘技術というより、殺し合いの積み重ねに近い。 一方、サイタマは武術家ではない。 技術だけ見れば粗い。 だが、その粗さを圧倒的な基礎能力が消している。 拳の始動が読めても速すぎる。 重心が分かっても止められない。 間合いを外しても、一歩で埋まる。 技術以前に絶対的なものがある。 ジェノスは、二人の違いを必死に記録した。 やがて月の地平線から黄金の光が戻ってくる。 一直線。 サイタマも立ち上がった。 頭へ付いた月の砂を払う。

 

「結構飛んだな」

 

「投げ方が乱暴ですね」

 

「お前もさっき蹴ったろ」

 

「戦闘ですので」

 

「じゃあ同じだろ」

 

二人は、また笑った。 そして再び消える。 フリーザが二本の指を立て、交互にデスビームを撃つ。 サイタマは左右へ動き、しゃがみ、跳び、光線をかわす。 月面へ穴と亀裂が増える。 フリーザが接近する。 今度はビームではない。 指先から手刀へ切り替え、首を狙う。 サイタマが掌で受け、そのまま腹を押す。 フリーザが後退する。 すぐ踏み込む。 拳。 サイタマも拳。 正面からぶつかった。 月全体が揺れた。 離れた場所に停めていた宇宙船が僅かに浮き、着陸脚が地面を離れる。 ジェノスが慌てて固定装置を作動させた。 観測画面には、月震。 地形変動。 新規クレーター。 地表断裂。 警告が増えていく。 戦闘前と現在の月面地図を比較する。 別物だった。 岩山が消えている。 新しい盆地がある。 亀裂が伸びている。 二人は、本当に月の表面を書き換えていた。

 

やがて、フリーザが空へ上がった。 サイタマも跳ぶ。 黒い宇宙。 背景には青い地球。 二人が向かい合う。

 

「では、最後にしましょうか」

 

フリーザが言った。

 

「そうだな」

 

サイタマも頷く。 再び月面へ降りた。 距離は数百メートル。 フリーザは右拳を構え、腰を落とす。 珍しく、何の技も使わない。 光線も。 気弾も。 尾も。 純粋な拳。 サイタマも同じように右拳を引いた。 二人が一歩ずつ前へ出る。 月面に亀裂が入った。 そして同時に突進する。 黄金と黄色の距離が消えた。 右ストレート。 右ストレート。 拳と拳が真正面からぶつかる。 最初の一瞬だけ、宇宙全体が止まったように見えた。 次いで衝撃が解放される。 月面が円形に沈んだ。 巨大なクレーターが広がり、縁は何十キロも先まで伸びていく。 岩も砂もまとめて宇宙へ吹き上がった。 地球から観測していれば、月面に一瞬だけ新しい光が灯ったように見えただろう。 ジェノスのスカウターは画面が真っ白になった。 通信へノイズが入る。 センサーが一時停止する。 数秒間、何も見えない。 やがて粉塵がゆっくり落ちていく。 巨大クレーターの中央。 二人は立っていた。 拳と拳を合わせたまま。 フリーザの腕が僅かに震えている。 サイタマのマントは半分ほど破れていた。 どちらも倒れない。 しばらくそのまま互いを見る。 先に拳を下ろしたのはフリーザだった。 黄金の光が薄れていく。 白と紫の最終形態へ戻った。

 

「今日は、このくらいにしておきましょう」

 

呼吸が少しだけ荒い。 サイタマも腕を下ろし、肩を回す。

 

「うん。結構楽しかった」

 

フリーザが笑った。

 

「わたくしもですよ」

 

それは珍しく、ほとんど打算のない言葉だった。 フリーザは自分の右手を見る。 僅かに震えている。 疲労。 筋肉の痛み。 それだけではない。 身体の奥に、何かがある。 これまで触れていなかった壁。 そして、その向こうで燻っている。チリチリと、火花を伴って…

 

「……なるほど」

 

フリーザが小さく呟いた。 ジェノスが慎重に近づく。

 

「何かわかったのか」

 

フリーザはすぐには答えなかった。 自分の身体。 気。 意識。 これまで最終形態の先にゴールデンを得た時、自分は新しい到達点へ来たと思った。 だが、違う。 ゴールデンは終着点ではない。 まだ途中だ。 サイタマの拳を受けるたび、身体の奥に眠っていたものが刺激される。 もっと強く。 もっと速く。 もっと無駄なく。 もっと高密度に。 今すぐ別の姿へ変われるわけではない。 形すら見えない。 それでも、先があることだけは分かる。

 

「ほっほっほっ……」

 

小さな笑いが漏れた。 次第に大きくなる。

 

「ほっほっほっほっ!」

 

ジェノスが警戒する。

 

「何がおかしい」

 

フリーザは顔を上げた。 青い地球。 その向こうの遠い宇宙。 孫悟空。 ベジータ。 ブロリー。 ビルス。 かつて自分を超えた者たち。

 

「まだでした」

 

「何が?」

 

サイタマが聞く。 フリーザは自分の胸へ手を当てた。

 

「わたくしには、まだ成長の余地がある」

 

サイタマは少し考えた。

 

「よかったじゃん」

 

あまりにも軽い。 フリーザが少し睨む。

 

「もう少し感動してください」

 

「いや、強くなれるならいいことだろ」

 

「あなたという方は……」

 

ため息が出る。 それでも笑みは消えない。

 

「おそらく、ゴールデンの先がある」

 

フリーザは右手を握った。

 

「今はまだ、そこへ届く方法すら分かりません。ですが、今日の戦いで確信しました」

 

サイタマの表情が少し変わる。 怖がったわけではない。 むしろ、ほんの少し嬉しそうだった。

 

「じゃあ、次もっと強くなるな」

 

「ええ」

 

フリーザも拳を上げる。

 

「もちろんですよ」

 

サイタマの拳と軽く触れた。 大げさな約束ではない。 友情を確かめたわけでもない。 次も戦う。 ただそれだけの合図だった。 少し離れた場所で、ジェノスは二人を見ていた。 恐怖。 憧れ。 焦り。 いくつもの感情が混ざる。 それでも最後に残る答えは一つだった。 強くなる。 自分も。 必ず。 いつか、あの場所へ。

 

翌日。 地球各地の天文台では、月面に突如出現した巨大クレーターについて世界中の研究者が頭を抱えていた。 未知の天体衝突。 局所的な地殻変動。 観測機器の異常。 未確認の爆発現象。 いくつもの説が並んだ。 その中に、「宇宙人と禿げた男が修行で殴り合ったため」という正解を唱える者は、一人もいなかった。

 

 

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