朝ご飯を食べて、すぐにぼくは家を飛び出すと、サングイス家のお屋敷へと向かった。今回の物語の題材は、あの竜追い人コルネリウス。寝ている間もずっと楽しみでしょうがなかった。
「これはノア様のお客人、どうぞ此方へ」
「えっと、ありがとうございます。セバスさん」
お屋敷のドアを叩くと、セバスさんがノアの書斎に案内してくれた。ノアはどうやら今日は書斎にいるみたいだ。
「君か、おはよう。随分と早い時間からの訪問だね。どうやら余程楽しみにしていたみたいだ」
書斎の扉を開けると、いつものように真っ白なお面を付けたノアが、窓から入る朝日を浴びて椅子に座っていた。
「うん、早くコルネリウスの物語を聞かせて」
「そうだね。けど、少し待ってほしい。せっかく訪れてくれた友人に、お茶の1つも出さないのは非礼だからね」
そう言うとノアは立ち上がって、部屋の奥の棚の方へ移動する。戻ってきたノアが手に持ったお盆には、カップとお皿が乗っている。
「ありがとう。いただきます」
ぼくはカップに口を付ける。その中に注がれた飲み物は薄ピンク色でほんのり酸っぱい味がした。
「すっぱい味……これは何?」
「ローズヒップだよ、バラの実のお茶だね」
バラの実、いまいちぼくにはピンとこない。続いて、さらに乗った黄金色の四角いお菓子を口に運ぶ。
「美味しい……」
しっとりとしていて、口の中に入れるとさらりと溶けてなくなってしまって、ほんのりと甘い味がする。ぼくはすぐに2個目に手を伸ばした。
「気に入ってくれたようで何よりだ。さて今回の物語は、『竜追い人、コルネリウス』だったね」
「うん、とっても楽しみだったんだ」
「そっか」
ノアはお面の奥で目を細めた。
「さて、今回は……」
「ノア様……」
ノアが物語を語り始めようとした瞬間、セバスさんが部屋の扉を叩いた。
「セバスさん? 入って良いよ」
「はい、失礼いたします。ノア様、貴方にお客様でございます」
いよいよ語り始める時に、流れが切れてしまった。大人はこういうのを水を差されるって言うんだと思う。
「やあ、ノア久しぶり~。えっと、前に会ったのは、確か……1年前だっけ?」
「クーラ、久しぶり。けど、前に会ったのがいつだったのか、私に確かめるのか……」
部屋に入ってきたのは女の人だった。明るい栗色の髪をポニーテールにしていて、なんというか活発そうな感じだ。
「あ~、時間感覚がめちゃくちゃなんだっけ。そんなこと言ってたね」
「めちゃくちゃって……少し君たちとずれているだけだよ」
「ふーん……じゃあ、今、帝国歴何年?」
そういって、クーラさんは意地悪そうに目を細めた。確か今は帝国歴1028年だったはず。
「え……えっと……1020年くらいじゃ無かったかな」
「はずれ、今は帝国歴1028年。流石に10年近いズレは、少しじゃないって」
「はー……私の完敗」
言い淀むノアは、あまりにも新鮮で、ぼくは思わずふき出しそうになってしまった。クーラさんはからからと満足そうに笑うと、ぼくに向き直る。
「さて、挨拶をしてなかったね、ボク? あたしはクーラ、冒険者よ。普段はフォンスを拠点に活動してるの」
「はじめまして……クーラさん」
ぼくのあいさつは緊張でぎこちなくなってしまった。
「それで? わざわざ私を訪ねた理由は何かな?」
そう言って、ノアは椅子に身を預け、楽にしていた姿勢を正した。
「そうね。まずはこれを見てほしいの」
クーラさんは革製のカバンから1冊の本を取り出すと、机の上に置いた。汚れで黒くなっているボロボロの本だ。
ノアは考え込むように自分の顔のお面に触れると、ゆっくりとその本を手に取った。丁寧に壊れ物を扱うみたいにページをめくっていく。
「ひとつ良いかな? 何故わざわざ遠路はるばる、私に依頼しに来たの? それこそフォンスでキケロ老に頼んでも良かったはず」
「そりゃあ、頼んだわよ。けど、『これは、儂の手には負えない』なんて、言われちゃって。それで、貴方の所に来た訳」
クーラさんは重々しい声色を作って、キケロ老の言葉を真似した。
「なるほどね……」
「何か分かったの?」
1人本を読みこんでいたノアが納得がいったように頷いた。ぼくは素直な疑問を口にする。
「これは、何と言ったら良いのかな。学習用のノート、或いは翻訳の為のメモそんな所だと思う。キケロ老にも分からない筈だ。これ、単語は合ってるけど、文法が間違ってる」
「文法が間違ってる?」
このノート、文章の順番がおかしいんだろうか。
「そう、使われている文字は『忘れ去られた人々』の物だけど、文法はイスタールの民の言語だ」
「ねぇ、ノア。それなら単語をイスタール語にすれば問題ないんじゃないの?」
ぼくの言葉に、ノアはお面の頬を擦るように触れた。また、何か考えているんだろうか。
「さて、どうだろう? この2つの言語は、言語学的に極めて遠い位置にある。多分、そんな単純なやり方では上手くいかないと思うよ」
「それって、暗号って事!? なかなか面白そうじゃない。ノア、早く解いて見せてよ」
ノアの言葉に、クーラさんが声を上げた。その顔は新しいおもちゃを渡された子供みたいに、明るい笑顔を浮かべている。
「はぁ……自分が解くんじゃないと思って……そもそも、私の生業は翻訳家であって、暗号を解いたりするのは完全に専門外。それこそ、キケロ老にでも投げてしまうべきだ」
「えー」
無理だと切り捨ててしまうノアに、クーラさんはおどけた様に不満を口にした。
「まぁ、翻訳だけはしてあげるから、その後は君が自由に頭を悩ませると良い」
「それなら、翻訳料は負けてよね」
クーラさんの言葉を余所に、ノアは本棚から白紙の本を取り出すと、ペンですらすらと文字を書き連ねていく。
「ああ、お金ならいらないよ。ただ少し、力を貸してほしい事があるかな」
「うえっ……あなたがそう言う時って、めちゃくちゃ厄介事を持ってくるじゃん」
クーラさんはそう言って、顔を大きく歪めた。
「まぁ、実際に動いてもらうのは暫く先になるだろうし、それまでアイエーレに滞在してもらう事が当面の依頼かな」
アイエーレというのは、ぼくたちの住んでいるこの街の名前だ。
「しばらく……か、随分と待つことになりそうね」
「その間、この暗号を解いてれば良いよ。幸いアイエーレは学術の街、その手の人材には事欠かさないから」
「はいはい、何年になるか分からないけど、この街でしばらくの間、羽を伸ばすことにするわ」
クーラさんは体を軽く伸ばすと、椅子にどかっと座りこんだ。
「ごめんね、少年。お話の邪魔をしちゃって。ノア、この街にしばらくいるんだから、翻訳は後にして、物語を語ってあげていいよ」
「それなら問題ないよ、翻訳自体は大して時間は掛からないから。すぐに終わらせて物語を語ってあげる。けど、そうだね、私が筆を走らせてる間、君が物語を何か語ってくれるとありがたいかな」
ノアの声色は何でもないような事のように語ったけど、翻訳は普通そんなに簡単に出来る事じゃないように思う。けど、ノアの方を見てみると、文章を読むのに合わせてペンを動かしていて、本当にすぐに終わってしまいそうだ。
「分かった。じゃあ少年、あたしとノアの運命の出会いを話してしんぜよう~」
クーラさんは大仰におどけてみせると、物語を語り始めた。