工匠都市フォンスの北部は帝国領の大半がそうであるように、草木の緑が生い茂る草原地帯だ。しかし、帝国領の北端に向けて進むにつれ、その緑は色褪せていき、やがて荒れ果てた荒野が広がっている。そこにはいつの時代に作られた物なのか、無数の遺跡が点在している。
フォンスを拠点とする冒険者たちは、点在する遺跡群を探索し、物品から資料まで古代文明の技術を回収する事を生業にしている。
あたし、クーラもそういった冒険者の1人だ。
遺跡に到着したあたしは、地下へと続く階段の前で足を止めた。地上部分はとっくの昔に風化して、もうほとんど残っておらず、残っているのはこの階段の脇に立つ柱くらいだ。地面に口を開けた地下への入口のその先は真っ暗で、まるで怪物か何かが、口を広げて待っている様に感じられた。
腰に下げた酷く有り触れたオイルランタンに火を灯し、短剣の柄に触れその座りを確かめる。大丈夫、いつも通り鞘にぴったりと収まり、不意に抜け落ちることは無いはずだ。革製の鞄の中には水の入った水筒に、薄焼の酷く硬い保存性だけが考えられたパン。そして最後に腰に巻き付ける様に携帯したロープ。
「オーケー……行こう」
仕事道具の確認を終え、あたしは暗闇の中へと降りていく。ランタンの火が、大理石を切り出して作られた壁に、紅く反射する。ランタンの火だけじゃあ、階段の下までは照らすことが出来ていない。あたしはゆっくりと、足場の崩れが無いか確認しながら降りていく。
階段を降りきると、こういった遺跡特有のひやりと、底冷えするような空気が広がっている。あたしはランタンを高く掲げ、出来る限り通路の先を照らしながら進んで行く。
「あれ……? これって、もしかして」
不意に視線を落とした時、あたしは気が付いた。床を覆っている砂埃が払われて、くっきりと足跡が残っている。足跡の大きさは1フェト*1を大きく割って、半フェトと少し、子供か、そうで無いなら相当小柄な人物の物。警戒の気配は感じられず、無造作な付き方をしている。他の同業者の物とは思えない。
この異様な状況に、あたしは警戒の度合いを高め進んで行く。すぐにでも抜くことが出来る様に、短剣の柄に触れた手に無意識に力が入る。
「光……?」
通路の先に光が見えた。オイルランタンとは、比べ物にならないほど明るく青白い光、こういった遺跡で発見され、高値で取引される輝晶ランタンの光だ。そしてその光の出所は、その広がり方からして広間になっているようだった。
「壁に据え付けられている訳じゃないわね。輝晶ランタンを持った冒険者なんて、とんだジョークね」
青白い光が揺れた。何者なのかは知らないけど、あたしと同じように、ランタンを手にして遺跡を探索しているらしい。あたしは広間の入口の柱に身を隠し、光の出所を覗き込む。
「予想通り、小柄ね」
青白い光の中心、そこに居たのは、あたしの予想通りの小柄な人物だった。物によってはそれ1つで、家と等価にもなる輝晶ランタンを、無造作に地面に置いて、周囲の事など目に入らないといった様子で、壁をじっと見つめて、ノートにペンを走らせている。
あまりの無防備さのあまりに、あたしは毒気を抜かれ、警戒を解いて短剣の柄に添えられた手を離すと、その人物に声を掛けた。
「こんな所に何の用なの? お坊ちゃん」
「ん……?」
声を掛けられたことで、あたしに気づいたのか、その人物はゆっくりとこちらに振り返った。
「……!?」
皮肉を続けようと思ったあたしは、その容姿に声を失う。貴重な品を無造作に扱える身分には、一見見えない質素なローブと外套、けどそれは重要じゃない。目の前の人物はその顔を仮面で覆っている。知識が無ければ、何のデザインも無い、無機質な仮面だと思ってしまうその仮面の意匠は、メンフクロウの物だ。
「お坊ちゃん……? ああ、私の事か。何の用と言われると、そうだね。友人からの依頼かな」
「友人? 子供たちのお遊びなら、余所でやった方がいいんじゃない? ここは人里離れた遺跡、何が起こるか分からない危険な場所よ」
仮面の下から響く声色は高く、けどどこか落ち着いて澄んだ響きがあって、少年というより、女性の物のようにさえ感じられる。少年かそれとも小柄な女性か、可能性は五分五分ッて感じかな。
「ふーむ……あまり使いたい物でも無いけど、背に腹は代えられないか……」
小さな声で独り言のようにそう言うと、仮面の人物はメダルを懐から取り出して、あたしに見せて来た。
「は……!? 噓でしょ……? そのメダル……」
この遺跡に来て、一番の衝撃があたしを襲った。その頂上にルビーをあしらった塔の意匠のメダル。それは、皇帝直属の冒険者を表す、この一見すると子供にしか見えない人物がひと握りどころかひとつまみの存在。あたしは思わず息を飲みこみ、言葉が出てこない。
「さて、私はノア。少なくともそう名乗ってる。君の名前は?」
「クーラ……あたしの名前はクーラ。一応冒険者だけど、あなたとは比べる事すらおこがましいわね」
驚きで裏返りそうになる声を必死に抑えて、あたしはどうにか名乗った。
「まさか、この肩書は重要じゃないし、そもそも私は自分を冒険者だと思った事も無いしね。正直言って、冒険者である君が来てくれた事を有難いと思っている」
「ありがたい? どういう事なの?」
皇帝直属の人物が、あたしみたいな一介の冒険者風情に言う言葉とは思えない。けど、その言葉の響きは素直で、嘘を言っているようには思えない。
「付いて来てくれるかな? 見せたい物がある」
そう言ってノアは踵を返した。ひと纏めにされた長い髪が揺れて、甘い焼き菓子のような匂いがした。
「扉……? これが見せたい物なの?」
「そう、私の調べに拠れば、この先は書庫区画なのだけれど、生憎の事に、ここを開けるための仕掛けはあそこという訳だ」
ノアが指し示す先は、崩れ落ちてしまった階段があった。
「ふーん、なるほどね~。その大層なメダルは飾りってわけだ」
「さっきも言ったけど、私は冒険者じゃないし、普段は簡単な翻訳仕事で、糊口を凌いでいる身だからね」
「まま、お姉さんに任せなさい」
あたしは軽い足取りでまだ崩れていない段に足を掛ける。次は崩れ残った柱の縁へ、これまで何度も経験してきた動作、あたしは危なげなく飛び移った。さらに壁を蹴るようにして、上の階層の縁に指を掛けると、体を引き上げる。
「ふぅ。ノア、着いたけどどうすればいい?」
登り終えたあたしの前には古代の端末が鎮座していた。その端末は、その刻まれた風を模ったような紋様を、揺らめくように発光させている。
「その端末に球形の部品が付いてないかい?」
ノアの言葉を聞いて、あたしは端末に目を向けた。端末のやや右側にノアの言葉通りの丸い彫刻があった。それには3つの窪みが、縦方向に刻まれている。
「あったよ! それで、これをどうするの?」
「単純だよ、押し込めば良い」
「というか、素人がいじって大丈夫?」
ノアの指示に、あたしは聞き返した。ヘタに弄って、壊れでもしたら目も当てられない。
「問題は無いよ。当時からして、別に専門家が取り扱っていた訳では無いだろうから」
「分かった。あなたを信じることにする」
あたしは意を決して、球体を押し込んだ。力を掛けた瞬間、少しだけ抵抗があったけど、すっとスムーズに少しだけ沈み込んだ。
怯え半分、期待半分で、何が起こるのか待ってみても、何も起こらない。
「あなたの知識間違ってたんじゃないの? 何も起こらないじゃない」
「いや、合ってるよ。後は私が……良し」
ノアが扉の中央に触れると、左右にスライドするように開いた。
「二重のロック……随分と厳重ね。その書庫ってそんなに大層な物なの?」
あたしはロープを使ってするりと、ノアの横に降りながら言った。
「書庫が大層な物かはともかく、二重に施錠されてる訳では無いよ。扉にエネルギーが来ていれば、扉の方だけで良いから」
そう言って、ノアは扉の先へ進んで行く。その足取りは勝手知ったる家を歩いているかのように、リラックスしている。
ノアのランタンの青白い光が、ゆっくりと部屋を照らし出していく。そこは意外にも狭い部屋だった。天井にまで本棚がそびえ立ち、見事に装丁が施された本が整然と収められている。
「えほ……えほっ……埃っぽいわね」
「仕方ないね。この遺跡が造られたのは、5000年以上前の事。まぁ、そんな説明は不要だね。イスタールの民の物であるという事を考えれば、当たり前の事だから」
ノアの講釈を聞き流し、あたしは周囲に意識を向けながら、メモを鞄から引っ張り出した。依頼の品は、遺跡の機械部品や遺物の取り扱いのメモの類い、あるのであれば技術書などがあれば、なお良し。
「ふーん……ありきたりな依頼だね」
「ちょっと、勝手に見ないでよ」
無遠慮に覗き込んでくるノアを睨みつけ、あたしはメモを鞄に押し込んだ。
「まぁ、これで良いんじゃないかな」
ノアは手近な位置の本棚から1冊の本を抜き出すと、あたしに押し付けてくる。飾り気の無い紙そのままの装丁で、丸みを帯びた文字で表紙に何やら書かれている。
「これは?」
「そうだね。帝国の言葉に訳せば、『猿でも分かる、日用品の使い方』辺りが妥当かな」
「うわ~……」
あたしはドン引きした。あまりにも最悪すぎるタイトルだ。中身を見てみると、あたしにこの文字は読めないけど、図解などが描かれていて分かりやすそうに思える。そして、それが余計に腹立たしい。
「それで、あなたの目的の方は何なの? 友人の依頼とかって言ってたけど」
「そうだね。まぁ別に勿体ぶる物でもないし、話しても良いか。ひとつ目は、書庫の存在の確認で、それは既に完了した訳だ。ああ、手伝ってくれた君にはこれを」
そう言って、ノアは硬貨を1枚あたしに渡してきた。タニクス金貨、1枚で馬1頭ほどの価値がある。正直言って破格の報酬だ。
「ちょっ……! 嘘でしょ、タニクス金貨なんて、いくら何でも破格過ぎない!?」
「そうでも無いよ、私の仕事、そのふたつ目は書物の目録の作成。その先払いの報酬も兼ねてるから」
そう言って、ノアは1冊の本を懐から取り出した。赤く染め上げられた革で装丁された見事な物だ。
「なるほどね。それで、あたしは何をすればいいの? イスタール語なんて、分からないんだけど」
「そうだね、劣化の少ない内容の判別可能な本を、そこに積んでくれるかな?」
そう言いながらノアは、近くの棚から本を抜き出すと、手元のページにペンを走らせていく。
「内容が判別可能ね……うっ……」
あたしが手を伸ばした本は、本棚から抜き出した途端にぼろぼろと崩れていってしまう。
「あー……やはり、経年劣化が酷いね。気を落とす事は無いよ、どの道その本は内容を判別できないから」
あたしを慰めるように仮面の奥で目を閉じると、柔らかい声でノアが言った。
「ふぅ……」
気を取り直して、あたしは次の本に手を伸ばす。背表紙の文字がくっきりと残っていて、比較的に劣化が少ないように見受けられるそれは、あたしの思った通りさっきみたいに崩れ落ちることなくあたしの手に収まった。
「はい、これ。ここに置いとくわね」
「うん」
そうやって、あたしは次々に本を抜き出し、ノアの傍らの机に積み上げていく。
「ところでさぁ、ノアのその仮面は何なの? 正直言って、あまり趣味が良くないよ」
フクロウは不吉の象徴、普通のでもそうなのに、わざわざその中でも不気味なメンフクロウを選ぶなんて正気とは思えない。
「そうだね、まず着けてるのは顔を隠しておいた方が面倒が少ない、辺りが理由かな。そして意匠だけど、そんなに悪趣味かな? 私は気に入ってるけど」
「あなた……やっぱり変わってるわ」
あたしは軽く首をすくめた。この会話の間も2人とも手は止まっていない。ノアは絶えずペンを走らせ、本の山が積みあがっていく。
「悪いけど、此処の本を本棚に戻してくれるかな?」
「ん~……」
あたしは軽く頷き、ノアが積み上げた本を戻して、別の本を積み上げていく。
「ねぇ、ここに来たのは友人の依頼って言ってたよね?」
「そうだね、私は友人の頼みで此処に来てるよ」
「その友人って誰なの? もしかして、シルヴァヌス閣下?」
あたしが挙げたのは、フォンスの技術者を総括するギルドの重鎮の名前。こういった本の目録を欲しがりそうな人物で一番の大物は彼だ。
「いや、違うよ。私に頼み事をしてきた友人は帝都に住んでる」
「帝都?」
その答えは意外だった。帝都に住むような人物が、帝国領の北部に人を送るなんて。
「じゃあ、カトー老?」
「ううん、彼でも無いよ。まぁ彼の名前については、伏せさせてもらうよ」
ノアはそうはぐらかして、仮面に指を当てた。
「今度は、私が質問をさせてもらおうかな。君は何で冒険者を?」
「あたし? そりゃあ、当然ロマンを求めて! なんて、半分はね」
「半分……?」
「そ、これ見て」
あたしは自分のボロボロのマントを外して、その留め金を見せた。そこに刻まれているのは、ねじくれた角を持トカゲの紋章。
「これは、あたしの家の物置に仕舞い込まれていたの。あたしは、この紋章の意味を知りたいわけ」
「自らのルーツ……君は案外、私に似ているのかもしれない」
「似てる? それってどういう……」
「うん、もう少しで終わりそうだ……」
あたしの問いは、ノアに打ち切られた。いつの間にか、ノアの前の本の山は、消え去っていた。写しているのは本の題名だけとはいえ、怖ろしい早さだ。
「ふぅ……さて、私はこの遺跡で、少し眠ってから帰るつもりだけど、君はどうする?」
「寝るって、ここで?」
遺跡で眠るなんて、まともな危機管理能力があるならあり得ない。
「そうだけど? 君が来る前に調べた中で、眠るのに都合の良い部屋を見つけてある」
「あなた……フクロウじゃなくて、アホウドリだったのね。はぁ……あたしも残るわ」
これで死なれでもしたら、目覚めが悪い。あたしが見張りとして立っておくべきだ。
「そう、なら案内するよ」
ノアは少しよろめくように歩き出した。ひっきりなしに仮面の位置を指で調整しているあたり、相当に眠いらしい。書庫を出て、広間の中央付近を通る頃には、足取りが怪しくなってきている。
広間の入口の右側に設けられた扉をくぐり、ノアに案内され着いた部屋は極めて簡素な狭い部屋だった。
「ん~……私は暫くフォンスに滞在するから、翻訳者を探しているなら訪ねてくると良い……」
言葉を言い終わるか終わらぬかという所で、糸が切れた様にノアは眠ってしまった。
「はぁ……本当に無防備ね……」
あたしはため息をついた。けど、不思議と訪ねる事になるのはすぐの事のように思えた。