「ノア、時間だ」
「ん……」
友人に揺すられ、私は目を覚ました。空は既に夜の帳が落ちて、人の喧騒など感じさせない闇と静寂とが辺りを支配している。深く思考の海に沈むうち、いつの間にやら眠っていたらしい。
友人の方へ目を向ければ、彼は既に荷物を背負い、輝晶ランタンに光を灯して、探索の準備が整っているようだった。
「そうだね……行こうか。ねぇ、今の所、洞窟は何か起こっているかな?」
「いや、特にはな……。だが、少し照らしてみたが、話に聞いていた通り酷い霧だ。正直、余としては既に嫌な予感がする」
そう言って、彼は洞窟を示すようにランタンを掲げる。闇が照らされ洞窟の中が明らかになると、その霧の濃さがはっきりと分かる。それはまるで真っ白な壁の様だった。
「これは……とてもじゃないけど、自然の物とは思えないね」
いくら何でも、この洞窟の霧はあまりにも濃すぎる。仮に洞窟の奥に温泉が湧いていたとしても、ここまでにはならないだろうし、何より洞窟の中はひやりと涼しい。つまり、奥に熱源の類いは無いということだ。
「貴重な意見、感謝するよ。しかし、人工物だというのなら、何を考えて霧なんて作っているのやら。予感が外れることを祈るばかりだな」
「さてね、それは当事者に聞いてほしいかな。けど、多分この霧には意味がある」
「意味か、まぁ良い。どうせ此処で理屈を捏ねていた所で、結論など出ない。何かを得るのは、何時だって行動を起こした者だ」
そう言って、私たちは掲げられた輝晶ランタンの青い光を導に、深い霧の壁の中へと踏み込んでいく。霧の中に踏み込むとすぐに分かる。この深い霧の粒子は恐ろしく細かい、私たちの髪や外套はこの深い霧の中、まったくと言っていいほど濡れていない。
「これは、なるほど。目撃されるようになったのは、これが原因か」
「……? 何か見つかった?」
深い霧の中、足元や周りに意識を集中して進んでいると、不意に彼が口を開いた。
「これを見てみろ」
彼は指し示すようにランタンを突き出す。私はそこに手のひらを滑らせて確かめると、壁面に崩れた跡があるのが分かった。つまり、壁が崩れて奥にある何かと繋がったのが、幽霊の目撃談が広まった理由だろう。
「しかし、随分と大規模な崩れ方だ。まるで、最初から繋がった一つの通路だったようだ」
彼は感心したような口ぶりで、洞窟の壁面をランタンで照らし、その様子を確認していく。私も彼のランタンを頼りに壁面に視線を滑らせていくけど、崩れている以上の事は分からなかった。
「ふむ、まぁ此処はこんな所だろうな。先へ進むとしようか、ノアはぐれるなよ」
彼は手に持っていたランタンを腰に引っ掛けると、用心するように左腰のベルトに下げられた剣に左手を添えて、崩落したその先へと進んで行く。
「ん……?」
崩れた場所を越えてすぐ、不意に友人が声を漏らした。そして、その理由が私にもすぐに分かった。霧の中に人影が見える。彼も私も立ち止まって、じっと人影を見つめる。
それは話の通り、ぼんやりと輪郭が曖昧で、詳しい様子までは分からない。ただ、ゆっくりと奥へと進んで行っているのが分かる。まるで、私たちを何処かへ誘おうとしている様に。
「追うぞ……!」
彼の低く鋭い声が飛ぶ、その右手は剣の柄頭に添えられ、何時でも抜く事が出来るようになっている。
付かず離れず、私たちは人影との距離を保ったまま進んで行く。奥へ進むにつれ、人影のその輪郭ははっきりと確かになっていく。じっとその姿を観察し、思考を回していると、ひとつ気が付いた。
「ねぇ、ランタンを消してくれる?」
「ランタン? 分かった。お前の事だ、何か考えがあるんだろう?」
私の言葉で、彼がランタンの光を落とす。
「これは……!?」
そして、私の言葉のその意味は、彼にも理解できたらしい。ランタンの光が無くなっても、その人影は闇の中ではっきりと見える。いや、少し違う。洞窟の奥には、何らかの光源があるようでランタンを消しても、辺りはうっすらと明るくなっていた。
「正解、やっぱり内側。けど、答え合わせは実際に見てからにしよう。多分、すぐに分かるだろうから」
奥へ進むごとに、辺りの人影が増えていく。幽霊の目撃談の証言の揺れの理由は、そもそも同じ物を見たのでは無かったから。人、あるいは時間によって見た物が別だった。
私の前の友人は、周囲を歩く人影を避けながら進んで行く。理屈ではなく感情的なものとして、人影に触れるのが躊躇われるらしい。一方の私は真っすぐ人影を突き抜けて進む。特に触れても害があるものでも無い。
そうして進んでいると、不意に霧が晴れる。いや、完全に晴れたわけじゃないけど、霧が急に薄くなった。これまでの狭い通路と、打って変わって広い空間に出たのだ。
「なっ……!」
友人は思わず驚嘆の声を漏らす。それも当然の事だろう。そこに広がっていたのは、例え帝国の中心たる帝都でさえ、比較にならない壮麗な街だった。継ぎ目一つない街道に、天に向けてそびえる高層建築達。そして、その上には奇妙な事に、地上であるにもかかわらず、雲一つない澄み切った青空が広がっている。
「まさか……これほどとは。我が帝国の技術の粋を集め、全ての民草を動員して尚、これほどの街を創り上げるのは不可能だ」
彼は剣の柄に指先を這わせる事すら忘れ、茫然と街の様子に見入っていた。
「ふむ……これは間違い無く、『忘れ去られた人々』の遺跡だね」
「それは、本当か!」
「間違いないね。門に刻まれた文字、これは間違いなく彼らの言葉だよ」
街の入口の門、そこには『忘れ去られた人々』の文字が刻まれている。その内容は『人類文明保全博物館』つまり、滅びゆく自分達の姿そのものを後世へと残すため、街そのものを自分たちの日常と共に形作った。
「それで……なんて書いてあるんだ!?」
「そうだね………けど、その前に答え合わせの時間といこうか」
食い気味に言葉の意味を尋ねる友人。けど、私はそれには答えずに、幽霊の正体について語り始める。
「幽霊の正体、それは霧……いや、多分正確にはこれは霧じゃないんだろうけど、それに投影された映像さ。ほらあれを見て」
私はそう言って、私たちの左右と街の中央に見える塔を指差す。多分、左右に見える物は街の奥にも同じものがあり、街の中央と四方に配置されているはず。
「あの塔の頂上から照射された光が、この霧をスクリーンとして、映像を映し出している。目撃談が夜だったのも当然の事、昼間は外からの光で人の姿はかき消されてしまっていた訳だ。奥まで進めば違っただろうけどね」
「その……スクリーンとは何だ?」
「……しまったな。うーん、なんて言えばいいのかな、まぁとにかく、こうやって映像を映し出すのに必要不可欠な物だよ」
私はそう言いながら、かつての人々の面影の中を進んで、街の門をくぐっていく。
「随分抽象的だな、だが、なんとなく分かったよ。ここには滅んだ街で、そこに住んでいた人々の幻が今でもこうしているという訳だ」
もう、完全に警戒を解いてしまって、穏やかな様子で彼も私についてくる。かつての残滓であるこの街は、とても美しく、けれど何処か物悲しい。そして、私にはこの街が、何故かとても懐かしいものに感じられた。